2024/07/20 - 2024/07/20
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AandMさん
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ゴッホ(Vincent van Gogh, 1853-1890)の作品が沢山展示されている、アムステルダムのゴッホ美術館、訪れてみたいと思っていました。旅行に出発する前にネットで調べたら、ゴッホ美術館は大人気で、事前予約&チケット購入をしておかないと、入場できないことが分かりました。
美術館訪問予定の10日ほど前、予約で結構埋まっていましたが、何とか7月20日9:45~の入場予約をすることができました。入場料は家内と2人分で、(25.75 Euro +22.0 Euro)でした。私のチケットの値段が少し高いのはVAT(付加価値税)が徴収されているためと思われます。
ちなみに「アンネフランクの家」の見学も予約したかったのですが、既に一杯でチケット購入ができませんでした。アムステルダムの有名な美術館や博物館、訪問者で結構混みあっていますので、事前の予約が必須のようです。大分前(20年以上前)にもアムステルダムを訪問しましたが、その時はこんなに混んでいなかったように思います。
アムステルダムでは郊外ホテル(Holiday Inn Amsterdam - Arena Towers)に滞在していました。電車で中央駅まで行き、トラムに乗り換え、美術館のあるミュージアム広場の最寄り駅(Museumplein)で下車、ホテルから40分程かかりました。数分歩けば、ゴッホ美術館に到着します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 徒歩
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
7月20日(土)
トラム駅(Museumplein)から徒歩数分で、ゴッホ美術館が見えてきました。1973年に開設された比較的新しい美術館です。ゴッホ作品が沢山展示されている美術館 by AandMさんゴッホ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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1階の入口、皆さん予約してきているためか、行列は出来ていません。予約時間とほぼ同じ9:50頃です。
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予め購入しておいたEチケット、下部に印刷されているQRコードを機械にかざすことで、問題なく入館できました。
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美術館に入った場所にインフォーメーション・デスクがあり、オーディオガイドの貸し出しなどが行われています。
オーディオ・ガイドはスキップして、展示会場に向かいました。 -
ゴッホの自画像が沢山展示されていました。
これらは、1887年~1888年に描かれた自画像 -
「麦藁帽子をかぶった自画像, Self-Portrait with Straw Hat」、1887年
ゴッホが生まれたのは1853年ですので、34歳頃の自画像です -
「絵描き姿の自画像, Self-Portrait as a Painter」、1887-1888年
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「麦藁帽子をかぶっている自画像」、1887年
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1887年に描かれた「自画像」
暗い背景で、黒っぽい服を着ているためか、前掲の自画像に比べて年を取っているようにみえます。 -
「青いフェルト帽子の自画像, Self-Portrait with Grey Felt Hat」、 1887-1888年
この自画像、描き方にゴッホらしいタッチが認められます。
売れっ子画家は、注文主の依頼を受けて絵を描くことが多いのですが、生前、ゴッホの絵は殆ど売れなかったと伝えられています。絵の腕を磨くため、身近な題材として自画像を多く書いたのかもしれません。 -
ゴッホが生まれてから亡くなるまでの経緯が、写真付きで説明されていました。
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ゴッホの初期作品
ゴッホが画家を志したのは27歳頃で、その時は19世紀のフランス農民画家に傾倒し、この絵のようなミレー(Jean-Francois Millet, 1814-1875)風の絵を描いています。 -
農夫を描いた作品
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網籠を持った農婦、ミレー作品と同様に貧しい農民が題材として選ばれています
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1882年に描かれた作品「シュベンニンゲンの海景色, View of the Sea at Schevenningen」
フランス農民画家の影響が認められます。 -
1884-1885年に描かれた「ニューネンの改修された教会を去る人々, Congregation Leaving the Reformed Church in Nuenen」
暗っぽい色調で描かれています -
「小屋, The Cottage」と題する1885年の作品
この時代、ゴッホは貧しい農民の生活に興味を持っていたそうです。 -
「籠のジャガイモ, Baskets of Potatoes」、1885年の作品
経済的にゴッホを支援していた弟のテオに、この絵を描いた際に言ったそうです。「好きで描いたんだ、この絵、売れないことは分かっているけど・・・・」 -
「テーブルに座る農民家族, Peasant Family at the Table」、1882年
農民が食事をしている光景は、当時のオランダ画家達が好んだ画材で、ゴッホも彼らに倣って描いています。 -
「タイルの絵付職人, Tile Painters」、1883-1884年
ゴッホの知り合いがタイルの絵付職人で、彼の仕事ぶりを見て描いた作品 -
「ジャガイモを食べる人々, The Potato Eaters」
灯の下で食事をする貧しい人々を描いた1885年の作品
前掲の「タイルの絵付職人」と同様に暗い感じの絵です。 -
ゴッホは1885年、オランダからフランスのパリに移っています。この頃から彼の絵が、明るい画風に変化します。
この絵は「石切り場のあるモンマルトルの丘, The Hill of Montmartre with Stone Quarry」、1886年に描かれました。
ゴッホ作品を弟テオが知り合いのパリの画商に頼んで展示販売してもらいましたが、売れませんでした。ゴッホがテオに「お前の努力が足らないので売れないんだ」と文句を言ったら、弟が「暗くて古風な絵をフランス顧客は好まないんだ・・」と答えたそうです。
以降、ゴッホの画風が変化します。 -
フランス印象派の画家Camille Pissarro(1830-1903)の作品「Rocquencourt、1871年」
ゴッホの画風に影響を与えたと考えられています -
印象派の画家クロード・モネ(Claude Monet, 1840-1926)が1886年に描いた「ヘーグ近くのチューリップ畑、Turip Fields near The Hague」
パリでゴッホが、チューリップ畑を描いたモネの明るくて鮮やかな絵を見て感心したそうです。モネが用いた明るい色調と点描が、以降、ゴッホの画風に影響を与えます。 -
点描で明るい色調で描かれているモネの絵、ゴッホの画風に影響を与えました。
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ゴッホが1887年に描いた「テオのアパートからの光景, View from Theo's Apartment」
明るい色調で、モネが使用した点描に似た描き方がされています。 -
日本の版画に興味を惹かれ、幾つかの習作を残しています。弟のテオと一緒に日本版画が数百枚を入手していたそうです。
1887年に描いた「遊女(英泉より), Courtesan (after Eisen)」
Eisenは、江戸時代後期に活躍した浮世絵師の渓斎英泉(1791-1848)、英泉の原画題名は「雲龍打掛の花魁」 -
1887年に歌川広重(1797-1858)の版画作品「亀戸梅屋舗」の習作を描いています。「梅の開花(広重を模して), Flowering Plum Orchard(after Hiroshige)」
縁部に描かれているオレンジ色背景の漢字は、絵にエキゾチックな雰囲気を与えるためにゴッホが独自に付加したもので、広重のオリジナル版画にはありません。 -
当時パリに住んでいたポール・ゴーギャン(Paul Gauguin, 1848-1903)が描いた「眠るクロービス, Clovis Sleeping」
クロービスはゴーギャンの息子で、パリで一緒に暮らしていました。ゴーギャンの画風もゴッホに影響を与えています。 -
1888年に描かれた「ひまわり」、ゴッホ作品のなかで高く評価されています。
この絵の前は、見学者が溢れていました。
ゴッホは7枚の「ひまわり」を描き、現在、6枚が現存し、1枚は東京にある損保ジャパン日本興亜美術館で所蔵されています。 -
ゴッホが1888年に描いた「耕された溝のある畑,Ploughed Field (The Furrow's)」
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「ズアーブ兵, The Zouave」、1888年の作品
ズアーブ兵とは当時フランス植民地であった北アフリカに駐屯していたフランス兵で、主にアルジェリア人やチュニジア人で構成されていました。ゴッホは、当時、売れない画家でしたが、ズアーブ兵がモデルになってくれたことを喜んだ記録が残されています。1888年6月の記録に「やっとモデルが見つかった・・・」。 -
「カミール・ルーリンの肖像, Portrait of Camille Roulin」、1888年
郵便配達夫をしていたルーリン一家の息子カミール、ゴッホとカミール一家は知り合い。カミールは父親より文章を書くのが上手だったそうです。賢そうな表情が、ゴッホタッチで描かれています。 -
ゴッホ美術館は中央に大きな吹き抜けがあり、広々としていました。各階の移動は、階段もしくはエレベータでした。
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1888年の作品「黄色い家, The Yellow House」
ゴッホ作品として良く知られている絵です。 -
ゴッホに影響を与えた画人達の作品が展示されていました。
これは、ゴーギャンが描いた「ひまわりを描くファン・ゴッホの肖像(1888年11月)」 -
ユージン・ボッシュ(Eugene Boch, 1855-1941)の作品「The Mine Crachet-Picaquery in Frameries, Borinage」,1888-1890年
ボシュは弟テオを通じてゴッホと知り合いになったベルギー人画家 -
ゴッホの作品「グラジオラスとチャイニーズ・アスターが生けられた花瓶, Vase with Gladioli and Chinese Asters」、1886年
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テオフィル・ド・ボック(Theophile de Bock, 1851-1904)の作品「ボートのある湖、Lake with a Boat」、1880年
弟のテオが、パリでオランダ人画商として最初に購入した作品の一つ -
オーギュスト・ルペール(Auguste Lepere, 1849-1919)の作品「雪のモンマルトル, Mountmartre in the Snow」、1876-1877年
ルペールはフランスの版画家
ゴッホとテオが気に入った作品だそうです。 -
ゴッホの作品「開花した桃の花、Peach Tree in Blossom、1888年
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アンリ・ファンタン=ラトゥール(Henri Fantin-Latour, 1836-1904)の作品「花」、1877年
アンリ・ファンタン=ラトゥールはフランスの画家でリトグラフの版画家であった人物 -
ジョルジュ・ラコンブ(Georges Lacombe, 1868-1916)の作品「赤松, Red Pines」、1894-1895年
ジョルジュ・ラコンブはフランスの画家で彫刻家
日本の浮世絵版画で見るような絵です。 -
ジョルジュ・ラコンブの彫刻作品「ブルトンダンス, Breton Dance, 1893-1894」
ブルトンダンスはフランスのブルターニュ地方に伝わる伝統的なダンス -
弟のテオが使っていたキャビネットで1790-1800年に製作されたもの
ゴッホがテオに送った手紙などが保存されていたそうです。 -
1887年の作品「ヤマウズラと麦畑、Wheatfield with Partridge」
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1887年に描いた「自画像、Self-Portrait」
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ゴッホが1886年に習作のために描いた「トロソのヴィーナス, Torso of Venus」
人物を描く腕を磨くために、石膏モデルを色々な角度から5回描いています。 -
歌川広重の「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」の習作で、「雨中の橋(広重を模して), Bridge in the Rain」と表題が付けられていました。
日本の浮世絵画家作品が、ゴッホの画風に影響を与えたことが分かります。 -
ミレー作品の習作で「藁を束ねる農婦(ミレーを模して), Peasant Woman Binding Sheaves(after Millet)」、1889年の作品
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「セーヌの畔、By the Seine」、1887年の作品
モネやコローなど印象派の影響が伺えます。 -
1890年に描いた「雷雲に覆われた麦畑, Wheatfield under Thunderclouds」
ゴッホが亡くなる数週間前、麦畑を題材に数枚の絵を描いています。この絵はその一つで、精神の不安定さが反映されていると解釈されています。 -
「カラスのいる麦畑, Wheatfield with Crows」、1890年
雷雲に覆われた麦畑にカラスが舞っている構図、ゴッホの悲劇的な自殺を予知しているような絵ですが、この絵を描いた後に数枚の明るい絵を描いています。 -
「黄昏の光景, Landscape at Twilight」、1890年の作品
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ヤン・スライヤーズ(Jan Sluijters, 1881-1957)の「キスする女, Woman Kissing」、1906年の作品
スライヤーズはオランダの画家で、オランダにおけるポスト印象派運動の主要な先駆者。彼の絵がここにあった理由、残念ながら説明を見落としました。 -
ゴッホが1887年に描いた「裏返った蟹、A Crab on its Back」
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ゴッホが1890年に描いた「アーモンドの花, Almond Blossoms」
ゴッホが弟テオの息子ヴィンセントのために気持ちを込めて丁寧に描いた作品で、ゴッホ作品の中でも貴重な絵として高く評価されています。
ゴッホ美術館のショップで、絵のコピーや絵皿が売られていました。ゴッホの甥に対する細やかな愛情が込められており、見飽きない良い絵だと思います。 -
1890年に描いたバラの絵、複数枚のバラの絵が展示されていました。
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1889年に描かれた「アイリス」
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1890年に描いたレンブラントの絵の習作「ラザルスの復活,The Raising of Lazarus(after Rembrandt)」
「ラザルスの復活」はキリストが成した奇蹟の一つ。写実的なレンブラント画風ではなく、ゴッホのタッチで描かれています。 -
1890年に描いたミレーの絵の習作「夕映えのある雪に覆われた野原,Snow-Covered Field with Harrow(after Millet)」
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ゴッホ美術館では、建物中央にある吹き抜けに設置された階段を使って各階を移動します。吹き抜け壁に、ゴッホ作品が大写しされていました。
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1890年に描いた「ドービニーの庭, Daubigny’s Garden」
ドービニー(Charles-Francois Daubigny)はオーワーズ(Auvers)の芸術家で、ゴッホがオワーズに滞在していた時に彼の家を訪問しています。 -
1890年の作品「オーワーズの景観, View of Auvers」
明るい色調で描かれており、ゴッホの初期作品の暗っぽい色調とは異なります
オーヴェル=シュル=オワーズ(Auvers)はフランス中北部の町で、ゴッホはこの町に1890年の5月から9月まで滞在しています。 -
暖色系の色で描かれた明るい色調の絵は、オディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)の「赤い木, The Red Tree」と題する作品
ゴッホの弟テオが彼の家に飾るためにルドンから購入したそうです。 -
この絵もテオが購入したオディロン・ルドン(Odilon Redon, 1840-1916)の作品「赤い木, The Red Tree」
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レオ・ヘステル(Leo Gestel, 1881-1941)が1909年に描いた作品「秋の日, Autum Day」
ヘステルはオランダの画家で、ゴッホが用いた色と照明法を取り入れた絵を描いています。 -
約2時間でゴッホ作品、彼の画風に影響を与えた画家たちの作品などを、一通り見学し、美術館の入り口に戻ってきました。昼前で、美術館内は多少混み始めていましたが、事前予約制で入館人数を絞っているため、混雑感はありませんでした。
ただ、「ひまわり」、「アイリス」、「アーモンドの花」などの人気作品前は見学者数が多く、しかも滞在時間も長くて、結構混みあっていました。 -
入口ゲート横の出口を通って館外に出ました。
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入場ゲート前には、20名ほどの行列ができていました。我々が入館した午前10時頃、行列はありませんでしたが、お昼近くになると、若干混みあってくるようです。
ゴッホ作品が沢山展示されている美術館 by AandMさんゴッホ美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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ゴッホ美術館を後にして、ミュージアム広場の北側にあるアムステルダム国立美術館に向かいます。12時入館で予約してあります。
ゴッホ美術館、約2時間の見学でしたが、じっくりと作品を見ることができました。作品が時系列的に展示され、英文で簡単な説明が付けられていましたので、絵が描かれた背景やゴッホが置かれていた状況なども知ることができました。
これまで断片的にゴッホ作品を鑑賞したことはありましたが、系統的に沢山の作品を見るのは初体験でした。入場料約25 Euro(約4000円)、作品のレベルと充実度を考慮すると、高くはないと思います。
絵画好きの方にとって、ゴッホ美術館は見逃せない美術館だと思います。ミュージアム広場 広場・公園
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