2024/01/27 - 2024/01/27
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morisukeさん
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オッサンネコです。
唐突ですが、「遊廓」と聞くと何をイメージするでしょうか。
最近では鬼滅の刃とか薬屋のひとりごとでも遊廓が舞台になったりしますが、
やはり『負のイメージ』しかないというのが一般の本音でしょう。
しかし、遊廓は女性たちの悲しい歴史を前提にしながらも
ある一定の秩序を形成し、日本古来の文化を形成していた側面もあるのです。
その妖美な場所は、その時代に存在した唯一無二の異世界空間であり、
二度とつくる事ができない場所だと語られる始末…
令和の時代、そんな遊郭の面影を辿ろうにも痕跡すら見つけられない昨今、
なんと大和郡山市には当時の遊郭建築を公開している施設があるそうな。
その名、旧川本家住宅「町家物語館」と云ふ。
そんな敢然たる施設を聞いてしまったからには、行かねばならぬでしょう。
宇随天元が評した「愛憎渦巻く夜の街」とは、果たしてどの様な場所なのか。
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコちゃんです。
本日、奈良県は大和郡山市に舞い降りました。
奈良県は学生以来、20年ぶりの訪問でありんす (*´з`)
早速、洞泉寺にある旧遊廓楼「川本家住宅」に行こうとしましたが、
如何せん、朝が早すぎて少々空回り気味です。はい。
というわけで、開館の時間まで大和郡山の街並みをぷらり、モリ散歩♪
何でもこの柳町商店街は金魚アピールがすごいんだとか (*¯ω¯)
時間つぶしの金魚探しの旅に少々お付き合いください… -
まずは商店街の軒先にあるコレ。
まぁ序の口、序の口…。
こんな程度ではモリネコは驚きませんぜ (*´艸`)ヒッヒッヒ -
って隣見たら、金魚、飛んでますがなー ( ゚Д゚)
五味太郎の「きんぎょがにげた」もびっくりな跳躍力ゥゥ。 -
紺屋町通りをぷらりぷらり。
なんと道の真ん中に水路が走るちょっと不思議な景観。
その昔、城下町で染め物をする職人たちがこの辺りに集まっていて、
染め物をするのにこの川の水を使ったんだとか、ほにゃほにゃ。
金魚の町を標榜するのであれば、当然水路には金魚が泳いでるはず!
と、いうわけではないみたいですぅ… 残念 (´口` )
でも、この景観は情緒たっぷりなので、ずっと残して欲しいもんです。 -
あ、金魚いた。
-
柳町商店街のはずれには古い木造建築が数件見られます。
江戸時代から続く老舗の呉服店(和田徳呉服屋)
個人的にはしっかりリノベして、商店街をもっと魅力的にして欲しいっす。
あれ… ( ゚Д゚)
よーく見ると、すごいとこに金魚発見… -
金魚の飛び出し注意 ですとぉ ( ゚Д゚)!!
五味太郎の「きんぎょがにげた」まるかぶりやん… -
金魚巡りはこの辺にして、続いては洞泉寺町にある源九郎稲荷神社。
源九郎稲荷神社は、日本三大稲荷にも数えられる由緒正しき神社…
否否、ちょい待て待て。
記憶している限り「日本三大稲荷」って他にもあった様な… (・-・`)
日本三大稲荷を検索すると、出てくる出てくる…
伏見稲荷大社 (京都府京都市)
笠間稲荷大社 (茨城県笠間市)
豊川稲荷 (愛知県豊川市)
竹駒神社 (宮城県岩沼市)
最上稲荷山妙教寺(岡山県岡山市)
祐徳稲荷神社 (佐賀県鹿島市)
どうやら、京都伏見の伏見稲荷大社は誰もが認めるお稲荷様ですが、
残る二社は、わたすもあちきものスマブラ状態。
まぁ答えはない世界なのでみんな仲良くという事で (`∀´*) -
社殿には狛犬ではなく狛ギツネがお出迎え。
源九郎の名前の由来は、その名の通り源義経から来ているとの事。
何でも義経が兄・頼朝との戦いの最中に、
幾度となくこの神社に助けられた事もあり自分の名前を送ったそうな。
今日は神社がメインではないので散策はこの辺で (´罒`*) -
神社にあった手水の使い方の指南書。
昭和テイストがハンパねぇ ( ゚Д゚)
このお洋服を見ると、なぜか私の脳内でムスカ大佐が騒ぎ出す…
ムスカ「流行りの洋服は嫌いですか?」 -
源九郎稲荷神社の周辺は、今も遊廓建築が僅かながら残っています。
10年前までは比較的多くの「楼」が残っていたのですが、
老朽化に伴い、古い家屋は軒並み取り壊されてしまいました。
現在洞泉寺に残された遊廓建築は、旧川本楼とこの2軒だけ。
宇随天元は遊廓を「愛憎渦巻く夜の街」と評していますが、
その昔、確かにこの小さな通りは欲深き男性で溢れていたのです `∀´)ウシシ -
こちら路地から眺めた旧川本楼。
洞泉寺では最大級の妓楼で、周りの住居からもその規模が伺えます。 -
イチオシ
旧川本楼を別の路地から。
ハート型の窓が付いているのが特徴的ぃ (*゚Д゚)φ -
こちら旧川本楼の入り口。本来「町家物語館」が正しい名称ですが、
モリネコは敢えて「旧川本楼」と昔の名前で呼びたいと思います。
旧川本楼は、今からちょうど100年前の大正13年に建てられ、
川本家の住居と遊郭、二つの空間を併せ持つ独自の建築になっています。
ピーク時には12名の娼妓がここで働いていたそうですが、
昭和33年に売春禁止法が正式に施工された後は遊廓を廃業し、
学生向けの下宿として細々と営業を続けてきたとのこと。
その後、老朽化が進み、愈々廃屋になりかけていたのを
大和郡山市が8,700万で買い上げ、7,600万をかけて耐震工事を施工。
約20年の月日を経て、2018年から無料で一般公開されてます。
一般公開に当たっては、色々な反対意見もありまして。
当時の女性達の境遇や心境を思慮せず、内部を見せるなんてけしからん!
なんて厳しい声もたくさんあったそうな。
やはり遊廓や花街と言うものは負のイメージが強すぎるようで。
ただ、それでも歴史の暗部にただ蓋をして隠していくのではなく、
後世に残すべき遺産として語り継いでいく事も必要だと
公開に踏み切ったのは卓見以外の何物でもないかと思います。
それでは開館と同時にお邪魔しませう `∀´)ウシシ -
遊廓建築を見る前に大事な要素を紹介(ガイドさんの資料から拝借)
昔、吉原などで客引きをする方法に「張見世」というのがありました。
まぁ要は、道路に面した部屋に遊女が盛装して並んでいたわけです。
明治と大正に人道的見地から張見世を禁止する法律が制定されましたが、
当時吉原では店に入らず、張見世を見て楽しむだけの輩もいたそうな。
だから張見世が禁止された所以でもあるのですが…。
ちなみに… 鬼滅の刃(遊廓編)では
炭治郎たちが初めて遊廓を見て唖然としているシーンの傍らで、
男たちがじーっと張見世を眺めているのが描写されています ( ゚Д゚) -
中に入ると、ガイドさんが内部を案内してくれました。
ありがたや。ありがたや。(*´з`)
さて、川本楼が営業していた時、張見世はすでに禁止されていたため、
殆どの遊廓では「写真見世」という手法に切り替わっていきました。
当時この壁には娼妓の写真がずらっと並び、
お客は気に入った娼妓を写真で指名するシステムになっていました。 -
ガイドさんに見せてもらた洞泉寺遊郭の貴重な資料。
回廊状に区切られたエリアには大小17件の妓楼が軒を連ね、
全盛期(大正13年)には約200人の娼妓が在籍していたそうな。
洞泉寺遊郭は、別名「又春廓(ゆうしゅんかく)」と呼ばれ、
県外からも多くの客が訪れ、それはそれは賑わっていたそうな。
なんか…聞いていると男の欲深き行動に息苦しくなる(笑) -
こちらが当時の料金表。大変興味深い… ( ゚Д゚)
大正時代の大卒初任給が50~60圓と言われてますので、
若人が娼妓にお熱になってしまった日には破産しますな。
少なくとも遊郭通いは高根の花であった事がよく分かる資料です。 -
それでは早速中を見て廻りましょう。
まずは2階の客間。ここは実際に娼妓が生活をしていた空間であり、
窓は細かい格子で外から中が見えない構造になっています。
戦前は窓の前に鉄格子があったそうで、外からの侵入を防ぐ事と
娼妓が逃げ出さない様にする事、二つの目的があったのだと思います。
ちなみに壁は土壁になっているので、隣の部屋の声は漏れないんだとか。 -
2階の廊下に出てみると、客間がずらっと並んでいます。
廊下には布団を収納する押し入れもあったそうなのですが、
押し入れに布団が収納される事はほぼ無かったと言われています。
朝から晩まで客を取る仕事、うーん、心が痛い ( ノД`) -
3階も基本的には同じような構造。
ただし、圧倒的に明るいです ( ゚Д゚)
と言うのも、3階部分は脱走や外部からの侵入のリスクが低いので、
格子の目が2階より大きくなってるとの事。
それ故、3階の部屋は人気のある娼妓たちが優先的に入っていたそうです。 -
3階の客間。
わずか3畳ほどのスペースが娼妓の居住空間、兼、仕事場でありました。
このわずかなスペースにも床の間(釣り床)がちゃんと設置してあり、
お客様をもてなすための装飾が施されていた事に「粋」を感じます。
当時この部屋にあったのは、娼妓の家財道具や火鉢など。
女性の秘めやかな生活空間に招き入れられる得も言えぬ感覚。
これもまた遊郭が持つ魅惑の一つだったと言われています (*´艸`) -
イチオシ
旧川本楼の中でもひときわ目を引くのがこのハート形の窓。
こちら正しくはハート形ではなく「猪の目」と言います。
おししのおめめが本当にこんな形をしているかは知らんけど。
猪の目は日本古来の伝統様式で、魔除けの目的で使われてきました。
また火除けの意味で竈の上に取り付けられたのではなかろうと (ノ∀`*) -
これは下宿時代の名残。
これは大変興味深い ( ゚Д゚)
昔はラジオの受信ですら、NHKはお金を徴収していました(笑)
このラジオ受信料の制度は昭和42年に撤廃されていますが、
お隣のシールには昭和40年調査と残されておます。
島耕作が初芝電産に入社したのが昭和45年。
正に彼が学生だった頃はこんな下宿先で暮らしていたという事ですな。 -
柱に書かれたお経。
SNSもなかった時代。
何かすがるものが欲しかったのかもしれない。 -
これは下宿時代に付けられた電気のスイッチ。
うーん、懐かしい ( ゚Д゚) -
ガス燈も当時のまま残されています。
当然、下宿時代に使われることは無かったのですが。 -
3階部分の奥の部屋は上客用の客間。
手前の部屋は覗き窓で繋がっており、遊郭らしい意匠になっています。 -
3階部分を別のアングルから。
妓楼というよりは妖怪アパートの方がしっくりきそう。 -
イチオシ
1階部分にある中庭。
庭に生えている棕櫚竹(シュロ竹)は建築当初からここにあるそうな。
という事は100年… すごっ ( ゚Д゚)
この中庭を挟んで、奥側が遊廓、手前側が川本家の居住区になってます。
この遊廓と居住区が”共存”しているのが、遊廓建築の面白い所以。 -
中庭から見える空。
外出も儘ならない娼妓にとって、このわずかに見える空が、
娼妓たちの見る空のすべてだったはず。
と思ってたら、ガイドさん曰く、ここの娼妓は普通に外歩いてたとの事。
何でもここの当主は娼妓にも自由を与えていたらしく、
お休みの日とかは大阪までお出かけしたりしてたんだとか…。 -
こちら炊飯場。
川本家の人たち同様、娼妓たちも此処で食事を取っていたそうです。
煉瓦づくりの土間が当時の面影を色濃く残しておます。
この奥にも秘密のスペースがありまして。 -
こつらは浴室。
娼妓もここで湯浴みする事を許されていたとガイドさんは仰ってました。 -
この奥には厠があります。
当時厠の前室の床はガラス張りで、足元には金魚が泳いでいたそうです。
ここでも大和郡山っぽさが出てくるとは ( ゚Д゚)
そして正面の部屋。今では何も残されていませんが、
昔は娼妓達が客を取った後に膣を洗う部屋だったそうです。 -
イチオシ
今でいう個人ロッカー、ですかね。
個人の茶わんや湯飲みなどを此処にしまったんだとか (*´з`) -
柄杓の様なものが置いてありましたが、昔のアイロンですね。
中に火のついた炭を入れ、布に当ててしわを取ったんだとか。
底は鉄でできているので、見た目よりかなり重いです。
片手で扱うには相当な剛腕が必要だったはず… (*`艸´)
旧川本楼の見学はこれにておしまい。
ガイドさんの説明も面白く、とても有意義な時間が過ごせました。 -
最後に洞泉寺遊郭とは別のエリアにある遊郭跡を訪問してみました。
大和郡山には洞泉寺町だけでなく、東岡町にも遊廓が存在していました。
その名「東町遊廓」と呼んでおきましょうか。
昭和33年の売春禁止法の施行以降、一斉に廃業した洞泉寺遊郭に対し、
東岡遊廓では郡山新地と名を変え、密かに営業を続けていたそうです。
時は流れて平成元年、東岡遊廓で働く女性の顔触れはすっかり変貌し、
フィリピン人やタイ人など外国籍の女性が多く見られる様になりました。
この頃、東町遊廓では外国籍の女性からパスポートを取り上げ、
半ば監禁のような形で女性を働かせている事がタレコミにより発覚。
ただ、そこは遊廓側も狡猾で、組織ぐるみですぐに女性を雲隠れさせ、
警察のガサ入れ時には「知らぬ存ぜぬ」のどこ吹く風。
しかし…この言い逃れにはとうとう警察もブチ切れ。
これまでの黙認の姿勢から、打って変わって摘発を猛強化。
これにより東岡遊廓は一気に廃れていき、廃業へと追いやられるのです。
今目の前に見えている遊郭跡、見るも無残な花街の残骸。
ここが正に件の摘発劇の中心となった場所なのです (*´з`) -
この遊廓跡の建物は、廃業後、老朽化と崩壊が加速し、
遂に2024年に大和郡山市が取り壊しを強制執行する事になりました。
間もなく建物は取り壊され、影も名残も消え去るのでしょう。
尚、この東岡町界隈には、この廃墟の他にも、
かつての遊廓の面影を残す家屋が今も幾つか残されています。
ただ、一般の家屋と紛れて存在するため、写真は撮れませんでした。
残念… (ノД`)・゜・。 -
あ、ここにも金魚発見 ( ゚Д゚)
-
JR大和郡山駅まで戻ってきました。
想像通り、やはりここでも金魚が泳いでいました(笑)
この町には確かに一世を風靡した「秩序から外れた秩序」が存在し、
かつて姿を今に伝えようとする真摯な情景に出会えたのでした。
それではまた~
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この旅行記へのコメント (8)
-
- 万歩計さん 2024/10/08 14:08:56
- 面白いものを見せて頂きました
- morisukeさん、こんにちわ。
面白いものを見せて頂きました。歴史の生き証人ですね。
それにしてもこの場所をよく見つけられましたね。私同様になかなかの廃墟趣味?でいらっしゃる。
万歩計
- morisukeさん からの返信 2024/10/08 20:09:31
- RE: 面白いものを見せて頂きました
- 万歩計様
毎度訪問ありがとうございます (・∀・)ノ
誰ぞの旧邸宅とか、武家屋敷とか、陽の者がお使いになられた建築はすんなり後世に残されていくのでしょうが、遊廓はその存在自体が「負」ですから、今回の様に歴史の生き証人になられるパターンはレアですね。それ故に貴重、なのは間違いないと思いますが (*´з`)
レトロ?廃墟?フリークのシンパが増えるのは大変嬉しい限りです。
また合法的に怪しいところに突撃しますので、応援よろしくお願いします(笑)
それではまた~。
Mori Neko
-
- たらよろさん 2024/10/06 16:23:49
- 遊郭跡
- こんにちは、morisukeさん
京都にも遊郭跡地がありますが、
大和郡山にそんな場所があるなんて、
全然知らなくて、凄く興味津々見せていただきました。
やっぱり、大和郡山といえば、
最初に触れられておられるように、
金魚の街のイメージが強く、まさかの遊郭だったので、
ビックリです。
でも、写真で見て決めるっていうのは、
今の時代も結局そうですものね。
何も変わっていないんだなーって実感しました。
高嶺の花の遊郭遊び、時代を感じさせていただきました。
たらよろ
- morisukeさん からの返信 2024/10/07 01:43:44
- RE: 遊郭跡
- たらよろさん
こんばんは~。書き込みありがとうございます (´∀`o)
京都の遊廓地と言うと… 五条楽園ですかね。五条楽園は遊廓跡でもレベチだと思います(笑) 個人的な感覚ですが、やはり京都の遊廓建築は華がある様な気がします。
大和郡山の遊廓も、東岡町は庶民の娯楽、洞泉寺町はハイソなお金持ちが行く所で住み分けができていたそうです。
今も昔も写真で決める… もうお恥ずかしい限り大筋は変わっておりません(笑) そして、今も昔も盛メイク…これも変わっておりません。ガイドさん曰く、写真と全然違う人が出てくる事もあったんだとか (´ω`*)
時代が変われば価値観も変わるという事で、あまり語られない歴史の裏側を見て感じる分には非常に貴重な経験でした~。
Mori Neko
-
- Decoさん 2024/10/06 06:33:06
- 大和郡山
- morisukeさん、こんにちは。
大和郡山、奈良の古い街という印象がありましたが、意外や意外、遊郭街もあったのですね。でも、人間の本能に根差した部分だから、規模や形の違いはあっても、至るところにあったのでしょうね。特に街道筋の宿場町には。
しかし、川本楼の買取・保存、市は思い切ったことをやりましたね。社会的には”好ましからざる”物件を公的な機関が保存するとは。いろいろ苦情があったのもわかりますが、私も保存・公開されて良かったと思います。これも街の歴史の一部。建造物としても街の記憶を伝える大変貴重なものです。
しかし…遊郭廃業後に下宿生活した学生さんたちは、このワールドをどのように感じたのでしょうか…。
遊郭といえば、私は宮尾登美子さんの小説(「陽暉楼」など)を思い出しますが、人の本能がぶつかる場所だから、それはドラマチックで激しい場所だったことでしょうね。愛憎うずまき欲得が絡み、その中でも純な恋愛があったり日常の喜怒哀楽があったり…。
それ故に多くの人がひかれる部分があるのではないかと思います。
東岡遊郭も、当時の建築がわかる貴重なものですが、あの状態で取り壊しも止むをえないでしょうね。その前の姿を残されたのは貴重な記録だと思います。シャッターも見えて、いろいろ手を入れて時代が変化していく中でも使われ続けたように思い得ました。
今回の旅行記は、周囲の風景、建物の内部や娼婦の生活ぶりなどが写真と文章と両方充実していて臨場感溢れ、その世界に引き込まれるようでした。
これからもmorisukeさんの旅行記を楽しみにしています。
Deco
- morisukeさん からの返信 2024/10/06 14:32:59
- RE: 大和郡山
- Deco さん
こんにちは~。書き込みありがとうございます。
遊廓の訪問記なんて結構グレーな所を攻めているので、ご賛同頂き感謝感謝です (*´з`)
仰られる様に、街道が通る交通の要衝には人が集まるもので、そこに花街ができるのは自然の流れかと思います。私の場合、郷里は滋賀の大津市でしたが、当時は「雄琴」という全国区レベルの花街があり、子供ながらにあの強烈なおピンク空間は何なんだろうと訝しく思っておりました(笑)
当時は駅前にも普通に怪しいのがいっぱいあったんですが、今はすべて撤去の流れになっているのは少し寂しい気もしています。
そして、私も遊廓廃業後にそこに住んだ学生さんの心境が気になってしょうがなかったです (σ・∀・)σ 当時の面影はすべてリセットされてるとは思いますが、何かしらの妄想が頭をよぎるんじゃないかと…。
私個人は、この下宿屋を見て「めぞん一刻」がパッと脳裏に浮かびました。
ボロアパートながらも常に騒々しい日常生活、昔を賛美するつもりは全くありませんが、
こういう共同生活って想像もつかない世代にはなぜか輝いて見える時があります。
中々外からは伺い知れない世界、でも潜在的な本能ではその秘密の扉を開いてみたい…
遊廓ってオカルティズムに近い気がして、私たちが惹かれてやまない理由はこの要素もあるんじゃないかと思っています。個人的興味が尽きない場所は絶対見たい派なので、またディープな場所があればアップしていきたいと思います。
それではまた~。
Mori Neko
-
- mistralさん 2024/10/05 22:32:29
- 金魚の街と思っていましたのに。
- morisukeさん
こんばんは。
いつも興味深い街を旅行記にアップしていただき拝見することが楽しみなことです。
今回の旅先は、私てきには金魚の泳ぐ城下町とのイメージのある町でした。
確かに金魚があちこちに描かれたりしていて、イメージ通りの雰囲気。
奈良方面に行ったおりには、いつか行ってみたいと思っていました。
ところが全く違った側面もあった街だったことが分かってきました。
一体そのような情報の数々を、morisukeさんはどこから発掘しておられるのやら、
そちらにも興味があります。
改めて大和郡山を検索してみますと、旧川本家住宅との表示がありますが
そこがかつては遊郭だったとはどこにも書いてありませんでした。
それでも、市が朽ち果てそうだった建物を買い取り、耐震工事もほどこした
そうですから、一応は観光資源として考えてのことだったのでしょう。
ガイドさんは、ボランティアガイドさんをお願いされたのでしょうか。
ボランティアのガイドさんがおられるとの記述も書かれていましたので。
金魚の街とばかり思っていたものでしたら、驚いてしまいあれやこれや
質問をしてしまいました。
そんな経過のあった建物ですが、朽ちる前に救われて、改修工事をされて
蘇ったことには、一安心しております。
mistral
- morisukeさん からの返信 2024/10/06 13:46:52
- RE: 金魚の街と思っていましたのに。
- mistral さん
こんにちは~。書き込みありがとうございます (*´з`)
旧川本家住宅が「遊廓」だとはっきりとは書かれていない理由は、公開を快く思わない方たちへの配慮だと思います。所詮遊廓は春を売り買いする負の場所なので、それに税金突っ込んで活用してこう!ってのは、受け入れがたい人も出てきて当然かと思います。なので、大義名分は遊廓の全面押しではなく、あくまでも「大正時代から続く貴重な家屋の保存」なんですよね。
ただ最近は負の歴史を敢えて観光資源にするダークツーリズムも認められてきているので、今後旅の目的地はまたいろんな選択肢が増える様な気がします (*゚∀゚)ノ
どこから発掘しているかは… 企業秘密 (ΦωΦ)フフフ…という事にしておきましょう。
町家物語館は入ると受付を済ます必要があるので、ガイド(ボランティア)も方は常駐だと思います。込み合ってなければ内部を案内してくれますので、訪問するのであれば是非ガイドの帯同前提で考えておいた方が良い気がします。間違いなく行くなら朝一です。
私はガイドさんに1周案内してもらって、そこから一人気ままにのんびり建物を見て廻りました。ただ冬は足元がかなり冷えるので、厚手の靴下などで防寒は必須です(笑)
大和郡山市は奈良市からも近いので、奈良から少し足を伸ばしてみるのもおススメです( ゚∀゚)
貴重な経験になると思いますので、是非是非訪問してみてくださいまし。
それではまた~。
Mori Neko
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