2023/11/23 - 2023/11/23
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morisukeさん
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オッサンネコです。
出撃すれば成果の可否に関わらず搭乗員の死は絶対だった特攻兵器『回天』。
最初にその存在を知ったのは、横山秀夫氏の小説「出口のない海」で、
回天搭乗員が特攻に至るまでの苦悩や葛藤、死と向き合う覚悟を通して、
戦争がもたらす狂気や人間の尊厳を深く考えさせられました。
回天にまつわる史跡は全国各地にあるのですが、
瀬戸内海に浮かぶ大津島は、別名「回天の島」と呼ばれるほど、
回天搭乗員の訓練場跡や関連施設が今もしっかり残されているそうな。
ちょうど広島を旅する折、意外と徳山と広島は近いじゃないの…。
戦争のリアルは現地現物で感じるのが我がモットー。
戦争遺跡を後世に残したい派である以上、行かねばならぬでしょう。
果たして回天の島「大津島」とはどの様な場所なのか?
そして青年たちが命を懸けた特攻兵器とは如何なるものなのか?
その時の記録です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 船 ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
どうもどうも、オッサンネコことモリネコちゃんです。
本日、周南市は『大津島』に行くために徳山駅までやって来ました♪
大津島に行くには海を渡らねばいかんのですが、
島行きのフェリー発着地は駅から見えるくらい近い場所にあります。
ここまで駅近な港は全国的にも珍しいんじゃないかと…。
7:40発のフェリーに乗り込むため、まだ朝靄に包まれた港を眺めつつ、
長い一日の始まりでごわんす (*'▽') -
徳山港には回天のレプリカが展示してあります。
もはや説明するまでもありませんが、魚雷に大量の爆薬を搭載し、
自ら魚雷を操縦し敵艦に突っ込むことを目的とした特攻兵器です。
今日はこの人間魚雷と呼ばれた『回天』を五感で捉えるべく、
大津島で回天に関わる史跡を巡ってみようと思います (*´з`) -
フェリーが発船するまでの空き時間、明け始めた港をぷらぷら。
徳山は工場夜景が絶品だそうで、別の機会に見てみたいものでござる。 -
徳山港からは大分(竹田津)行きのフェリーも出ています。
航路はわずか2時間程度だそうで、意外と九州は近いのだと実感。 -
汽笛が鳴ってフェリーが離岸するのをボーっと眺め… え…?
……( ゚Д゚)…… 口開けたまま出発して行くんや…。 -
モリネコが乗り込む大津島(馬島)行きのフェリーはこっち。
コンパクトでいい感じ (ΦωΦ)フフフ…
運賃は片道720円。
小1時間程度で大津島に着く予定です。 -
街が起き出す頃、上り始める朝日と一緒に徳山港を出発。
こういうフェリーに乗ると絶対デッキに出ちゃうワタクシ。
潮風と排気ガスで髪の毛は既にベトベト… (;´・ω・)
でもそんなの関係ねぇ。 -
イチオシ
徳山の工業地帯を照らす朝日。
まるで切り絵の一コマの様。
嗚呼…ふつくしい ( ゚Д゚) -
イチオシ
朝靄の漂うコンビナート群を海から眺める至高の一時。
早起きは三文の徳と言うが、ご利益、頂きましたぞ (ノД`)・゜・。 -
定刻通りフェリーは馬島港に到着。
フェリーはそのまま折り返しになるそうで、慌ただしく降船を促されます。
観光目当ての乗船者はわずか2-3名で、他は釣り人でした…。 -
港から少し歩くと、山越に海へ突出した史跡の様なものが見えます。
まずはアレに行ってみましょう。
回天訓練基地跡地。
日本国内に四ヶ所あった基地の中でも最初に完成したものであり、
現存するものでは最大の遺構になります ( ゚Д゚) -
回天訓練基地跡に行くには、薄暗い隧道を通る必要があります。
元々は整備された回天を訓練基地に運ぶために掘られたトンネル。
回天搭乗員もこの陰鬱なトンネルを通って基地に向かいました。
床にはトロッコの軌道跡が2本、既にコンクリで埋め戻されていますが、
レールの敷設位置は今も生々しいほど鮮やかに残っています。
回天の訓練は過酷であり、生きて帰って来られるかも分からない中で、
搭乗員はどんな気持ちでこの暗闇を進んだのでしょうか。 -
イチオシ
トンネルの途中に外に繋がっている出口があったので出てみました。
眩しい青空の下に見えるのは要塞の様な訓練基地。
トンネルが完成する前は、このゴツゴツの岩場の上にレールを敷いて
訓練基地まで回天を運んだそうです。 -
回天運搬用トンネルの出口付近は少し幅が広くなっています。
ここに回天にまつわるパネルが展示されていましたが、
搭乗員のリアルを現在に伝える、とても貴重な資料の様に感じました。
出口付近はレールの敷設が2連になっていますが、
基地に近い此処には予備の回天が3基も常設してあったそうです。 -
訓練基地の近くまでやってきました。
終戦間近には国内の沿岸部各地で回天の発射基地が建設されましたが、
基地から敵艦に向けて発射された事はありません。
回天はあくまでも『魚雷』なので、長距離を自走で運行する能力はなく、
潜水艦のデッキに固定し、敵艦のすぐ傍まで運ぶ必要があったのです。
回天が実用された終戦間際、日本の戦局は悪化の一途を辿っており、
制海権を失いつつあった局面の下、敵の駆逐艦の機雷を掻い潜り、
敵艦の近くに回天を運ぶだけでも至難の業だったと言われています。 -
こちら魚雷発射場跡地。
誤解されがちですが、この跡地はあくまでも魚雷の発射実験場です。
当初は魚雷の実験に使われていたこの施設ですが、
回天が実用されると共に、回天の訓練場として使用される事になりました。
史跡への立ち入りは不可ですが、当時の面影を十分に感じる事ができます。 -
こちらが魚雷の発射口。
間口は想像以上に狭いですね。
廃墟に響く波の砕ける音のリズムがあまりにも心地よく、
しばし此処でボーっと、80年の月日の重みを感じていました。
(ノД`)・゜・。 -
でわ、回天はどこにあったかと言うと、発射場の逆側になります。
発射場の端には回天を吊るしたクレーンの跡がはっきり残っています。
回天は、操縦できたとは言え、直角に曲がる事はできなかったため、
少し先に船を停泊させて、横抱きで回天を沖合まで運んだそうです。 -
これが実際の回天の訓練水域。
訓練水域は5つあり、これに沿って回天の訓練が行われてました。
Ⅰは単純に真っ直ぐ走れるかの訓練ですが、回天の最も厄介なところは
水中で絶えず昇降(上下)の制御をしなければいけない点があります。
間違って下降したまま海底に突き刺さってしまった場合は、
後ろに下がる機能がないため、引き揚げを待つしか助かる道がないのです。
訓練に参加した約1,400名の内、訓練中に亡くなった若者は15名。
約1%の方が訓練中に亡くなった事を思えば、回天が如何に人命を軽視した
急造の兵器であったことがよく分かる数値かと思います。
そしてVの航路は最終訓練になります。
潜水艦のデッキに固定した回天に沖合地点から乗り込み、
実際の突撃と同じ速度で目標物に突っ込む試験が行われていたそうです。 -
続いて、山の上に当時の魚雷観測所が残されているそうなので、
ちょいと軽くお散歩してみたいと思います (*´з`)
道自体は非常によく整備されており、スニーカーで全然問題ないレベル。 -
山道をえっちらおっちら登る事15分。
景色が開けた先に、何か無骨な建物の様なものが視界に入ります。 -
というわけで、これが魚雷観測所。
先ほどの魚雷発射所から発射された魚雷の性能を確認していた場所です。
日本側が独自に開発していのは「酸素魚雷」というものでした。
酸素魚雷の優れた点はステルス性と超長射程のふたつでしょうか。
特に超長射程については、当時はバケモノクラスの性能であり、
更には駆逐艦を真っ二つにする程の高威力を備えていたことから、
正に世界を震撼さすとんでもねぇ兵器だったのは確かなのです。
問題は… 当たらないんです。
当時は誘導装置も付いていなかったので、いくら超射程能力があっても
相手の動きは予測できないので、当てる事自体が難しいのです。
日本軍は確かにすごい魚雷を開発したのですが、他国はそもそも
長距離射程の魚雷に意味を見出してなかった、というのが真実でしょう。
結局、この当たらない魚雷をどうするのか、の解が、
人間を魚雷に乗せて誘導する『人間魚雷』の構想に繋がっていくのです。 -
此の地からは確かに海がよく見える (ノД`)・゜・。
終戦から78年後、2023年の海は変わらず美しいのでした。 -
山の中腹から見下ろす馬島港。
対岸は島のように見えますが、工業地帯から繋がる半島になります。 -
続いて回転記念館にやってきました。
元々この場所には回天搭乗員の寄宿舎があったそうですが、
戦後GHQによって解体され、現在は記念館として生まれ変わってます。
早速、門を通って記念館の入り口に向かおうとしたのですが、
小径の脇には回天搭乗員の名前が刻まれた墓標が延々と続きます。
この光景、とにかく圧倒されます…。 -
敷地内にある大きなサクラの木の下に慰霊碑があります。
まずは国の為に命を懸けてくれた御霊に心から感謝し黙祷。 -
記念館の前には回天の実物大レプリカが展示されています。
回天の名前の由来は、
『天を回(めぐ)らし、戦況を逆転させる』という意味。
1942年のミッドウェー海戦後、米国と日本の戦況は完全に逆転し、
物量に圧倒され、暗号を解読され、日本は悲惨な状況に陥ります。
日本軍は徐々に制海権を失い、米軍はどんどん本土に迫ってきます。
1944年には初の空襲「八幡空襲」で都市部も壊滅的なダメージを受け、
愈々以て戦況を楽観視していた軍部や国民にも動揺が走ります。
このヤバい状況を何とか打破せねば…
祖国を、家族を、絶対に守らなくてはならない。
そうやって若き青年士官によって考案された一撃必殺の戦術。
それこそが人間魚雷となる『回天』でした。
回天は先端に1.5トンの爆薬を搭載したわけですが、最高速度は55km/h。
当然爆薬の重量を重くすれば、突撃の速度は遅くなります。
当初は停泊している敵艦をターゲットに練られた作戦でしたが、
米軍も回天の構造を徐々に把握し、その対策を実施していきます。
回天の弱点とは… 漁網です。
スクリューに漁網が絡むと自ずと自走が止まってしまうわけで、
米軍は回天対策として停泊地に防御網を張り巡らせていきます。
こうなると泊地攻撃ができなくなるので、
日本軍の攻撃目標は航行中の船舶に切り替える必要が出てきました。
静止している船ならまだ知らず、動いている船の横っ腹に突撃する…
突入速度、方位角、潮流、天候、すべてを計算した技術…
もはや当てるには神懸かり的なナニカが必要ですらありましたが、
どんなに命中確率が低くても搭乗員はこぞって突撃していったそうです。 -
回天記念館。
入館料310円をお支払い。
館内は特攻隊員の遺品や生の肉声(録音)、
出口のない海で使用された回天のレプリカ等が展示されています。
最も印象に残ったのは、回天で殉死した青年士官の遺影でした。 -
こちらは回天を創案した青年士官。
黒木博司大尉と仁科関夫中尉。
二人は呉海軍工廠魚雷実験部で出会った先輩後輩の仲でした。
終戦間際、戦争は艦隊戦ではなく航空戦に移行していたので、
艦隊戦で使用するはずの魚雷が余りまくっていたのでした。
二人が目を付けたのはこの余った魚雷の改造。
しかし、魚雷は至近距離から発射しない限り、その命中率は芳しくなく、
一発を製造するコストも大きかったため、割に合わないものでした。
例えば独逸では音響を追尾する誘導魚雷を先駆けて実用化してましたが、
当然ながら当時の日本には金も技術もない…
ならば、テクノロジーの代わりに人間を誘導装置にしてしまおう…。
この日本式の発想で回天が発案されるのは『必然』だったのです。
ちなみに創案者の二人は実際に回天に搭乗し、黒木大尉は訓練中に、
仁科中尉は自ら特攻に出撃し、二人とも戦死(殉職)しています。
出撃したら100%死ぬと分かっている兵器にも関わらず、
開発を進め、自ら先陣を切って乗り込んでいく…
何が何でも日本を護るという強い信念に、適切な言葉が出て来ないです。 -
回天搭乗員の遺品。
出撃の際、搭乗員には短刀が渡されました。
突撃しても敵艦に当てれず海底に突き刺さってしまうケースもあり、
酸欠で苦しまずに死ぬため、言わば『自決用』の短刀になります。 -
回天搭乗員で生き残った方の記録に印象的だった言葉があります。
曰く、回天搭乗員は皆『真剣』だったと。
皆、本音では敵艦にぶつけられるとは思ってなかったそうですが、
自己犠牲の精神で厳しい鍛錬に励み、天祐を信じてぶつかりに行けば
必ず成果は上がると信じて突撃していったそうです。
その『真剣さ』が今の時代にどう評価されるかは全くの別問題であり、
課せられた使命をやり遂げようとする志は、
特攻の狂気に真っ向から対峙した人でしか分からない感覚なのでしょう。
先人の国を想う真剣な志に、ただ敬礼の祈りを捧げるばかりです。 -
回天記念館に続く道には『壁』の遺構が残されています。
当時大津島には酸素魚雷の発射訓練場があったのは説明した通り。
回天は酸素魚雷を改造した、最重要機密の特殊兵器であったため、
訓練場には「島」という閉鎖的な環境が打ってつけだった訳です。
そもそも大津島には訓練場ができる前から住民が住んでいたので、
機密の観点から住民から軍施設が見えない様に「壁」を設置したのです。
これも当時を偲ばせる戦争遺構の一部なのですが、
壁、低くね? ( ゚Д゚)… と思うのはモリネコだけでしょうか。 -
回天記念館のある高台からは、回天の整備工場跡を臨む事ができます。
GHQにより整備工場は解体され、小学校がその跡地に建っていますが、
校庭には今も昔の整備工場の名残が残されています。 -
例えばコレ。
一般の民家にしか見えないですが、魚雷の点火試験所。
整備工場付近で唯一現存する木造の施設。
その名の通り、魚雷の点火に関わる試験がされていたものと推察。
窓の隙間から中を覗いてみると… ただの物置になってました… -
続いてコレ。
危険物貯蔵庫。
恐らくは、万が一誤って爆発が起きてしまっても被害が出ない様に、
山の斜面を掘って作ったスペースを保管庫にしていたものと推察。
こちらも中が覗けたのですが… 物置になってました… (*´з`) -
イチオシ
大津島小学校は数年前から生徒不在で休校になっていました。
少子化の進むこのご時世、恐らく再開の目途は立たないでしょう。
校庭の錆びた雲梯がどこかもの寂し気に映ります。 -
大津島には本浦小学校と馬島小学校、二つの小学校があったのですが、
今の馬島小学校、名前を改め、大津島小学校に統合されています。
その内、中学校も幼稚園も併設されることになったのですが、
いずれも生徒不在に付き、事実上の『廃校』になっています。
建物は立派なので、何か他の活用方法があればいいのに( ̄ヘ ̄)ウーン -
校舎の裏には会議室で使う机が乱雑に積まれていました。
この場に漂う哀愁感が…少し切ない ( ゚Д゚) -
校舎の中の厠。
スリッパがきれいに整頓されている…
廃の中のこの不調和… 個人的にはかなり好みです ( *´艸`) -
帰りのフェリーの時刻は11:07 馬島港発。
結局、島には2時間半程度しか滞在していなかったのですが、
80年前にあった戦争の狂気を感じるには十分な時間でした。
大津島や回天記念館は、戦争の痛ましさを今に伝える場所ですが、
人の道徳観を説くようなメッセージ性は殆どありませんでした。
事実を事実として受け止め、ありのままの姿を見て聞いて感じる、
それが、決して消える事のない傷痕の意味なのだと切に感じました。
山口・広島の旅、もう少し続きます。
それではまた~。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 吉備津彦さん 2024/10/28 13:13:29
- 若い頃職場に 震洋特別攻撃隊員で出撃前に終戦を迎えられた同僚がいました。
- その方を思い出しました。平和について静かに考えることが出来る場所ですね。私も訪れたいと思いました。
ウクライナでガザでミャンマーで若い命が散っていると思うと心が痛みます。平和外交、平和外交、とお経のように唱えているだけでは平和は維持できません。
- morisukeさん からの返信 2024/11/04 21:55:36
- RE: 若い頃職場に 震洋特別攻撃隊員で出撃前に終戦を迎えられた同僚がいました。
- 吉備津彦様
こんばんは。返信が遅くなり申し訳ありません_(._.)_
戦争史跡は割とよく訪問するのですが、ココは別格の雰囲気を感じます。ただ、私が訪問したのは祝日でしたが、訪問客はチラホラでした。釣り客は多いんですがね(^^ゞ
終戦から80年余り、世界で相も変わらず戦争が続いている今こそ、多くの人にこういう場所を訪れて欲しいと思うのです。
お経の様に… で思い出した事がひとつ。
私のおじいは信心深い人で、毎朝毎朝、大きな仏壇に向かてずっとお経を唱えていました。鬼籍に入ってから聞いた話ですが、それは戦地(インパール)においてきてしまった仲間のためだったそうです。捕虜になって自分だけ日本に帰ってきてしまった事、せめてもの償いだったんでしょうね。隣国がキナ臭くなっている今日、平和とは何か、戦争とは何か、真剣に考える局面に来ている様な気がします。
長文失礼いたしました、今後ともよろしくお願いします (*^^*)
Mori Neko
-
- danteさん 2024/09/21 10:08:32
- 先日はご返信ありがとうございました。
- 重々しいお話&歴史で、一言で言い表せませんが、かなり考えさせられますね。
日本は1945年以降戦争はありませんが、他国では毎日どこかの国で戦争していますね。昨今は輪をかけたようにあちらこちらで。私は勿論、戦争とは無縁の世代ですが、この当時は【日本の為に戦うぞ! 日本の為に死ぬぞ!】と亡くなっていた若者が大半だったのでしょう。今の日本ではどうでしょう? 恐らく居ないでしょうね。命を捧げるよりも、【日本脱出】を選ぶ人のほうが多いかと思われます。
あまり戦争の事は知りませんが、アメリカ戦に異議を唱えたという「山本五十六」さんの言葉は凄いと思います。《やって見せ・言って聞かせて・させてみて、褒めてやらねば人は動かじ》。職場で実践したら、見事に当たりました。
それにしてもお写真が綺麗ですね。
dante
- morisukeさん からの返信 2024/09/26 18:41:04
- RE: 先日はご返信ありがとうございました。
- dante さん
こんにちは~。コメントありがとうございます。
昨今の世界各地で起こっている戦争のニュースを見ると本当に心が痛みます。先日ウクライナの戦場の取材を見たのですが、最前線で戦っている兵士の多くは精神的な異常を発症しており、無事に戦場を離れたとしても後遺症が残ったり、性格そのものが変わってしまったりするそうです。怖いのはそれでもまた戦場に戻ろうとしてしまう事。逃げる事が許されない環境下であれば、私ならどうするか、自分に置き換えて考える事が多くなりました。毎度結論は出ませんが (-ω-)/
山本五十六の話は私も持ちネタとして使う事があります♪ 特に「褒めてやらねば人は動かじ」のくだり。相手を認める大切さを「伝え」なければ人は育っていかない、という事で正に現代の企業理念に通じるところがある気がします。山本五十六が戦死しなければ、日本の迷走は少しはマシになっていたと思いますが、それはよく言う「たられば」の世界ですね。
写真は少し整えています(笑) 書くのも遅いので、一向に次のハナシがアップできず… まぁのらくら頑張ります!
今後ともよろしくお願いします (*^-^*)
Mori Neko
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