2023/10/09 - 2023/10/24
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kawausoimokoさん
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ベルリンのペルガモン博物館が4年間の完全休館に入る前に、滑り込みで見に行ってきました。
ついでにドレスデン、プラハ、ウィーンの美術館も巡ってきました。
今回の旅でも、観られなかった作品がいくつかありましたが、その代わりに予期せぬ企画展に出くわし、思わぬところでお気に入りの作品に出会えました。
そして、何より歴史を再認識する旅となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 航空会社
- LOTポーランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2023年10月14日(日)(Day7-1)
ツヴィンガー宮殿でアルテ・マイスター絵画館を見学します。
フリードリヒ・アウグスト1世(アウグスト強健王)は、ザクセン選帝侯になる前にフランスとイタリアを旅行し、特にヴェルサイユ宮殿とヴェネチアの宮廷文化に強い憧れを抱いていたそうです。
1694年にザクセン選帝侯となったアウグスト1世(アウグスト強健王)は、それまで木造建築が主体であったドレスデンに石造の壮麗な宮殿の建築を計画しました。
宮殿はツヴィンガー(Zwinger)と呼ばれた古い城壁と新しい城壁の間に生じた場所に建設されたため、ツヴィンガー宮殿と呼ばれるようになります。
ツヴィンガー宮殿は居住用ではなく、さまざまな式典を行うための宮殿として設計され、1728年にようやく完成しました。
第二次世界大戦中のドレスデン爆撃でツヴィンガーの建築群は大きな被害を受けましたが、戦後に修復が開始され、1963年にほぼ戦前の姿を取り戻しました。 -
ツヴィンガー宮殿中庭
2002年にはエルベ川の氾濫によってツヴィンガー宮殿は甚大な被害を受けて復旧工事が行われ、現在は中庭の改修工事が行われています。 -
ツヴィンガー宮殿 ゼンパーギャラリー
建築家ゴットフリート・ゼンパーによって設計され、1854年に完成したゼンパーギャラリーにアルテ・マイスター絵画館があります。 -
アルテ・マイスター絵画館入り口 (Gemäldegalerie Alte Meister)
第二次世界大戦中のドレスデン爆撃では、この絵画館にあったほとんどの絵画が別の場所に移されていたため無事でしたが、ソ連によって多くの絵画がモスクワやキエフに持ち去られました。
戦後、これらの絵画は東ドイツへ返還されましたが、多数の絵画が行方不明となり、中には破棄されたものもあるそうです。
ゼンパーギャラリーも戦後に再建工事が行われ、1960年に絵画館として再開しました。
アウグスト2世とその息子フリードリヒ・アウグスト2世が収集した、15世紀から18世紀にかけての絵画を中心とする作品が展示されています。
この絵画館の最大の目玉とされているラファエロの「システィーナの聖母」は、残念ながら修復中でオリジナルを見ることはできませんでした。 -
聖母の三連祭壇画:ヤン・ファン・エイク , 1437年
中央パネル 33.1 cm x 27.5 cm、左右の翼パネル 各33.1 cm x 13.6 cm
薄暗いタペストリー展示室で、ガラスケースに入れられた小さな祭壇画が照らし出されています。
ドレスデンに立ち寄ったのはこの祭壇画を見るためで、ようやく対面することができました。
個人の祈祷用または携帯用として制作されたもので、美術本で眺めて想像していたものよりずっと小さいです。
ド素人ながら、ヤンの作品の中でも完成度が非常に高いと感じ、思わず鳥肌が立ちました。
この祭壇画は、15世紀半ばからジュスティニアーニ家が所蔵し、1597年にマントヴァ公ヴィンチェンツォ・ゴンザーガが購入しました。
その後、1627年にイングランド王チャールズ1世に売却され、清教徒革命でチャールズ1世が処刑されると、ザクセン選帝侯家の所有となりました。
当時はデューラーの作品とされていましたが、後にヤン・ファン・エイクの作品であると判明し、「ドレスデンの祭壇画」と呼ばれるようになりました。 -
聖母の三連祭壇画:ヤン・ファン・エイク , 1437年
(Google アートプロジェクト, パブリック・ドメインからダウンロード)
ヤン・ファン・エイクは1422年以前の記録がなく、初期の時代については不明な部分が多い画家です。
1390年頃にブルゴーニュ公国リエージュのマースエイクで生まれ、兄のフーベルトとランベルトという名前の兄弟も画家でした。
ヤンの修行時代は不明で、おそらくブルッヘで装飾写本に携わっていたとみられます。
1420年頃に制作された「トリノ・ミラノ時祷書」の中の「Hand G」というペンネームが記された二つの挿絵が、ヤンの作品ではないかと考えられています。
1420年頃、兄のフーベルトがヨドクス・フィエトとその妻から依頼を受けて「ヘントの祭壇画」の制作を開始し、フーベルトが途中で亡くなったため、弟のヤンが制作を引き継いで1432年に完成させたとされています。
もう一人の兄弟のランベルトはブルゴーニュ宮廷で働いた後、ヤンが後年ブルッヘで営んでいた工房の監督をしていたようです。
ヤンは画家としての才能だけでなく、ラテン語や古典文学にも通じた教養を兼ね備えた人物で、1422年にハーグのビネンホフ城でバイエルン公ヨハン3世に仕えて宮廷画家と近侍を兼務しました。
バイエルン公ヨハン3世が亡くなるとリールへ移り、1425年にブルゴーニュ公フィリップ3世に宮廷画家兼外交官として仕え、高額な報酬と手厚い待遇を受けました。
1427年にフィリップ3世とポルトガル王妃イザベル・ド・ポルテュガルの結婚をまとめるためにリスボンへ派遣され、同年にトゥルネーの画家組合から招かれて上級組合員となり、ロベルト・カンピンやロヒール・ファン・デル・ウェイデンらと親交があったとされています。
1429年にブルッヘに帰って工房を構え、1441年に亡くなりました。
ヤンは油彩画技術を飛躍的に発展させた画家であり、油彩の複数の薄い層を重ねるグレーズ技法で超精密な描写を行い、色彩の鮮やかさと光沢を実現しました。
また、署名と日付を作品に記した初期の画家であり、この祭壇画でも「我に能う限り(ALS IK KAN)」というモットーが記されていることが修復された際に発見されました。 -
中央パネル 聖母子像
聖母マリアが玉座に座り、幼子イエスを抱いています。
背景に遠近法を用いたアーチ状の建築物と風景が描かれており、奥行きと空間の広がりが表現されています。 -
右翼 聖カタリナ
殉教の象徴である車輪と剣を持つ聖カタリナが描かれています。
聖カタリナは金髪に宝冠、青いドレスに白い毛皮をまとい、剣と本を持ち、足元には車輪があります。 -
右翼 聖カタリナ
聖カタリナの背後には超精密に描かれた室内の背景が描かれています。
更に、聖カタリナの右に1cm位の隙間があり、そこには開いた窓から見える外の風景が描かれています。
非常に微細な風景画であるにもかかわらず、遠くの風景と近景の建物が素晴らしいです。
下手なスマホ写真ではその凄さがお伝えできないのが残念ですが、装飾写本で培った超絶技巧に感動します。 -
左翼 大天使ミカエルと祈る依頼主
大天使ミカエルが緑色の外套をまとったこの絵の依頼主をマリアを紹介しています。
両翼内面のフレームにはイタリアのジュスティニアーニ家ともう一つの紋章があるので、どちらかが依頼主だと考えられています。 -
両翼外面
大天使ガブリエルがマリアのもとを訪れる受胎告知の場面がグリザイユで描かれています。 -
マリア
マリアの頭上には聖霊を意味する鳩が描かれています。
鳩の影まで描かれているので、いかにも鳩が空を飛んでるかのように見えます。 -
大天使ガブリエル
砂岩のようなザラザラした質感の描写が見事です。
フレームまで赤い斑岩であるかの様に念入りに描き込んであります。
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