2023/10/09 - 2023/10/24
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kawausoimokoさん
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ベルリンのペルガモン博物館が4年間の完全休館に入る前に、滑り込みで見に行ってきました。
ついでにドレスデン、プラハ、ウィーンの美術館も巡ってきました。
今回の旅でも、各美術館の展示内容について事前の調査が不十分だったため、観られなかった作品がいくつかありました。
しかし、その代わりに予期せぬ企画展に出くわし、思わぬところでお気に入りの作品に出会ったりして、何より歴史を再認識する旅となりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- LOTポーランド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
2023年10月12日(木)(Day4-2)
博物館島の旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)へやって来ました。
(到着時はひどい雨で写真は撮らなかったので、この写真は前日に撮影したものです。)
統一前に東ベルリンのボーデ博物館と西ベルリンのダーレム美術館にあった絵画の内、18世紀以前の絵画は絵画館(Gemäldegalerie)に収められ、19世紀絵画がこの旧国立美術館(Alte Nationalgalerie)に収められています。 -
企画展「SECESSIONEN」が開催されており、ウィーンで観るはずだったクリムトは、ここに来ていました。
19世紀絵画の常設展示は、さすがにドイツロマン派の作品が充実しており、印象派も沢山ありました。 -
第1回ミュンヘン分離派展覧会のポスター:
フランツ・フォン・シュトック , 1893年
1892年にミュンヘンで、フランツ・フォン・シュトックやヴィルヘルム・トリュブナーらの進歩的な芸術家が、ミュンヘン造形芸術家協会を結成し、1893年に第一回展覧会を開催しました。
このポスターで既に「Secession」という言葉がキャッチコピーとして使われており、後に「Secession」(分離派)と呼ばれるようになりました。 -
パラス・アテナ : フランツ・フォン・シュトック , 1891年
ポスターの元となったパラス・アテナ -
パラス・アテナ : フランツ・フォン・シュトック , 1898年
金色の背景に堂々と描かれたパラス・アテナは、新らしい芸術の守護神として分離派の重要なモチーフだったそうです。 -
罪 : フランツ・フォン・シュトック , 1912年
ファム・ファタールの元祖、原罪を犯したイヴ -
パラス・アテナ : グスタフ・クリムト ,1898年
1897 年、グスタフ・クリムト、カール ・モル、ヨーゼフ・エンゲルハルトらのオーストリアの若手芸術家たちによって「ウィーン分離派」が結成され、1898 年にはウィーンに分離派会館が開設されて、この絵が公開されました。
この絵でも分離派の守護神パラス・アテナがモチーフとなっています。
金の胸当てに描かれた舌を出して不敵な笑みを浮かべるメデューサは、分離派を批判する人々への対抗心を表しているそうです。 -
ユディトⅠ : グスタフ・クリムト ,1901年
アッシリアの敵将ホロフェルネスの首を切り落としたユディト -
エミリーエ・フレーゲの肖像 : グスタフ・クリムト ,1902年
グスタフ・クリムトの生涯のパートナーだったエミーリエ・フレーゲ -
第1回ベルリン分離派展覧会のポスター:
ルートヴィヒ・フォン・ホフマン , 1899年
ミュンヘン分離派、ウィーン分離派に続き、1899年にマックス・リーバーマンらが主導してベルリン分離派が結成され、最初の展覧会が開かれました。 -
海辺の僧侶:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ , 1808-1810年
「海辺の僧侶」と「樫の森の修道院」は対の絵画として制作されました。
この二つの絵画は、1810年、当時15歳であった後のプロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の大のお気に入りだったそうです。 -
樫の森の修道院:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ , 1809-1810年
15歳の王太子は、廃墟を取り囲む冬枯れの樫の木と墓場という荒涼とした風景に、何に感じていたのだろうか? -
雪の小屋:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ , 1827年
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月明かりの森の奥深く:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ , 1823-1830年
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死の島: アルノルト・ベックリン, 1883年
19世紀のドイツで最も人気のあった絵画の一つとされる「死の島」は、同じテーマで五つの作品が制作されています。
これは三作目で、アドルフ・ヒトラーがお気に入りで所持していたものだそうです。 -
アフタースクール:フェルディナンド・ゲオルグ・ヴァルトミューラー,1841年
ドイツロマン派の深淵なる世界観から一転して、オーストリアのヴァルトミュラーが描く、明るく自然で素朴な人々の日常です。 -
キルヒヴァイからの帰還:フェルディナンド・ゲオルグ・ヴァルトミューラー,1859-1860年
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オーストリア皇帝フランツ1世:フリードリッヒ・フォン・アマーリング
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鉄圧延機工場:アドルフ・フォン・メンツェル,、1872-1875年
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フリードリッヒ大王と皇帝ヨーゼフ2世の会見:アドルフ・フォン・メンツェル
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夏:オーギュスト・ルノワール,1868年
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果物と料理:ポール・セザンヌ , 1869-1870頃
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1874年夏のジヴェルニー:クロード・モネ , 1874年
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ヴェトゥイユの眺め:クロード・モネ , 1880年
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冬の庭園にて:エドゥアール・マネ , 1879年
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ライラックの花束:エドゥアール・マネ , 1882年頃
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リュエイユの家:エドゥアール・マネ , 1882年
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エンターテイメント:エドガー・ドガ , 1883年
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ムーラン・ドラ・ギャレット:ヴィンセント・ファン・ゴッホ , 1886年
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Cowei
ジェームズ・サイモンパークの高架下にあるベトナム料理のお店で、遅いランチを頂きます。 -
チキンサラダプレート
アジア料理は、どこの国でも大体Okです。
チップ込みで25ユーロとお安いですが、高架下のお店の支払いはやっぱり現金でした。 -
ベルリン大聖堂
1905年にヴィルヘルム2世によって建て替えら、ベルリン大空襲で甚大な被害を受けましたが、1993年に修復されました。
雨も止んだので、展望デッキへ上がってみます。 -
大聖堂内部
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270段の階段を昇って展望デッキへ来ました。
この後は、ベルリンフィルのコンサートへ行きます。
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