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訳あって5年間、メモリースティックの中に眠っていた画像たちと旅行記です。そろそろ、冬眠から覚めさせてやりたいと思いました。<br />2019年2月中旬から下旬にかけてシカゴ~フィレンツェ~オルチャ渓谷~シエナ~フィレンツェ~シカゴという行程。初めておとずれたオルチャ渓谷はまだ少しばかり冬の衣をまとい、乾いた色が広がっていました。でもシカゴよりうんと暖かくて優しい春の日差しが雲の間からこぼれる時もあったり。。<br />この③の旅行記は2月20日のアカデミア美術館、ミケランジェロ広場のみをまとめています。<br />

2019 早春の旅(Look back編):③花の都,フィレンツェと春浅きオルチャ渓谷へ(アカデミア美術館)

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2019/02/18 - 2019/02/28

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Nora

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訳あって5年間、メモリースティックの中に眠っていた画像たちと旅行記です。そろそろ、冬眠から覚めさせてやりたいと思いました。
2019年2月中旬から下旬にかけてシカゴ~フィレンツェ~オルチャ渓谷~シエナ~フィレンツェ~シカゴという行程。初めておとずれたオルチャ渓谷はまだ少しばかり冬の衣をまとい、乾いた色が広がっていました。でもシカゴよりうんと暖かくて優しい春の日差しが雲の間からこぼれる時もあったり。。
この③の旅行記は2月20日のアカデミア美術館、ミケランジェロ広場のみをまとめています。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
タクシー 徒歩
航空会社
スイスインターナショナルエアラインズ
旅行の手配内容
個別手配
  • 2/20/2019. 午後。さてタクシードライバーのお兄さんにもらった地図で見ると次の目的地、アカデミア美術館はここからとても近い。歩いて行くとしよう。

    2/20/2019. 午後。さてタクシードライバーのお兄さんにもらった地図で見ると次の目的地、アカデミア美術館はここからとても近い。歩いて行くとしよう。

    シニョリーア広場 広場・公園

  • ブルーに白地のフィレンツェのパトカー。ドゥオーモ の広場前で。<br />

    ブルーに白地のフィレンツェのパトカー。ドゥオーモ の広場前で。

  • ドゥオーモ の近く、正しくはシニョーリア広場。ベッキオ宮殿の目の前のWine Bar(De Peccatori)で働くかっこいいお兄さん。帽子のかぶり方がイキだよね!!アメリカの男とチト違う。いや、見るべきものは世界遺産ばかりではないのです。<br />

    ドゥオーモ の近く、正しくはシニョーリア広場。ベッキオ宮殿の目の前のWine Bar(De Peccatori)で働くかっこいいお兄さん。帽子のかぶり方がイキだよね!!アメリカの男とチト違う。いや、見るべきものは世界遺産ばかりではないのです。

  • このお店はレストランもやっていてカジュアルな雰囲気。では遅めのランチとしようか。ブルスケッタ、小さいラザーニャ、ストリベリーパンナコッタ。とても美味しかった。ごちそうさま!!

    このお店はレストランもやっていてカジュアルな雰囲気。では遅めのランチとしようか。ブルスケッタ、小さいラザーニャ、ストリベリーパンナコッタ。とても美味しかった。ごちそうさま!!

  • アカデミア美術館はフィレンツェにある美術学校の美術館。<br />もともとは中世につくられたサン・マテオ病院とカファッジョ聖ニコラス修道院の施設を改修して、18世紀にロレーヌ大公ピーター・レオポルドが美術アカデミーを創設したのがその始まりであるとか。数世紀の間に改修を繰り返し、現在のミケランジェロ専門の美術館となった。今日ではウフィツィ美術館に次いでフィレンツェで最も訪問者が多い美術館といわれる。<br />入館口は、当日券専用の入口と、そこからちょっと離れたところに、予約客および団体客用の入り口がある。<br />私は、自由にしたいほうなので、ここも予約なしの当日券のほう。ウフィツイもそうだったが、今はローシーズンなのでそれほど混んではいない。ここも入場するとセキュリティーチェックがある。

    アカデミア美術館はフィレンツェにある美術学校の美術館。
    もともとは中世につくられたサン・マテオ病院とカファッジョ聖ニコラス修道院の施設を改修して、18世紀にロレーヌ大公ピーター・レオポルドが美術アカデミーを創設したのがその始まりであるとか。数世紀の間に改修を繰り返し、現在のミケランジェロ専門の美術館となった。今日ではウフィツィ美術館に次いでフィレンツェで最も訪問者が多い美術館といわれる。
    入館口は、当日券専用の入口と、そこからちょっと離れたところに、予約客および団体客用の入り口がある。
    私は、自由にしたいほうなので、ここも予約なしの当日券のほう。ウフィツイもそうだったが、今はローシーズンなのでそれほど混んではいない。ここも入場するとセキュリティーチェックがある。

    アカデミア美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • まずコロッソの大広間(Hall of the Colossus):<br />ジャンボローニャの&#39;サビニの女たちの略奪(Giambologna&#39;s Abduction of the Sabine Women)&#39;。大理石製のシニョリーア広場のランツイにあるのが最終版でこちらにあるのはその為の最終版練習用として作成された 1:1 のスケールの石膏モデル。シニョリーア広場の最終版のほうは何と単一の大理石の塊から彫りだしたものであり、ジャンボローニャの最高傑作とされている。<br />’サビニの女たちの略奪’は古代ローマの伝説的挿話の1つでローマがロムルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。ので、子孫を残し国力を維持するために多数の女性をサビニ国から略奪という空恐ろしい手段で調達したというストーリーである。真偽のほどは別としてもこのストーリーは’目的のためには手段を選ばず’の好例(?)。

    まずコロッソの大広間(Hall of the Colossus):
    ジャンボローニャの'サビニの女たちの略奪(Giambologna's Abduction of the Sabine Women)'。大理石製のシニョリーア広場のランツイにあるのが最終版でこちらにあるのはその為の最終版練習用として作成された 1:1 のスケールの石膏モデル。シニョリーア広場の最終版のほうは何と単一の大理石の塊から彫りだしたものであり、ジャンボローニャの最高傑作とされている。
    ’サビニの女たちの略奪’は古代ローマの伝説的挿話の1つでローマがロムルスによって建国されたばかりのころ、最初の世代は女性が少なかった。ので、子孫を残し国力を維持するために多数の女性をサビニ国から略奪という空恐ろしい手段で調達したというストーリーである。真偽のほどは別としてもこのストーリーは’目的のためには手段を選ばず’の好例(?)。

  • 奴隷(囚人)のギャラリー(Hall of the Prisoners):<br />教皇ユリウス2世の墓碑のための装飾彫刻としてバチカンのサンピエトロ大聖堂に設置される予定だった彫刻群。が、教皇の要望があまりにも現実離れした壮大なものだったため、途中で頓挫し完成、未完成を含め6体しか作成されていない。<br />この6体のミケランジェロの「奴隷(囚人)シリーズ」のうち、アカデミア美術館には未完の彫刻4体のみがある。(ちなみに奴隷(囚人)とは後世の人々が名付けたものでミケランジェロ自身はそう呼んではいない。)<br />後の2体はルーブル美術館所蔵の&#39;瀕死の奴隷&#39;と&#39;反抗する奴隷&#39;である。<br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dying_slave_Louvre_MR_1590.jpg<br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Michelangelo%27s_Rebellious_Slave,_1513-1515,_02.JPG

    奴隷(囚人)のギャラリー(Hall of the Prisoners):
    教皇ユリウス2世の墓碑のための装飾彫刻としてバチカンのサンピエトロ大聖堂に設置される予定だった彫刻群。が、教皇の要望があまりにも現実離れした壮大なものだったため、途中で頓挫し完成、未完成を含め6体しか作成されていない。
    この6体のミケランジェロの「奴隷(囚人)シリーズ」のうち、アカデミア美術館には未完の彫刻4体のみがある。(ちなみに奴隷(囚人)とは後世の人々が名付けたものでミケランジェロ自身はそう呼んではいない。)
    後の2体はルーブル美術館所蔵の'瀕死の奴隷'と'反抗する奴隷'である。
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dying_slave_Louvre_MR_1590.jpg
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Michelangelo%27s_Rebellious_Slave,_1513-1515,_02.JPG

  • ダビデのトリブーナ-ダビデ像(The Tribune-Statue of David): <br />ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。人間の力強さや美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言える。ーwikipedia<br />天才ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと投石器を左肩にかけて狙いを定めている場面を表現している。静脈の浮き上がった右手(拡大図を挿入)や堅く踏みしめられた右足、わずかによじらせている胴体の様は、観る者にダビデがいままさに攻撃を開始しようとしている劇的瞬間を彷彿とさせる。

    ダビデのトリブーナ-ダビデ像(The Tribune-Statue of David):
    ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つである。人間の力強さや美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言える。ーwikipedia
    天才ミケランジェロが1501年から制作を開始し、1504年9月8日に公開した彫刻作品である。ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと投石器を左肩にかけて狙いを定めている場面を表現している。静脈の浮き上がった右手(拡大図を挿入)や堅く踏みしめられた右足、わずかによじらせている胴体の様は、観る者にダビデがいままさに攻撃を開始しようとしている劇的瞬間を彷彿とさせる。

  • ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。<br />この空間は、隣接する芸術アカデミーの学生が素晴らしい芸術家の彫刻作品を学ぶために設立された教育用ギャラリーである。 ここには19 世紀の彫刻家でアカデミー教授であったロレンツォ バルトリーニ(Lorenzo Bartolini)と彼の弟子、パンパローニの手になる250体を超える石膏模型のコレクションが収蔵されている。

    ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。
    この空間は、隣接する芸術アカデミーの学生が素晴らしい芸術家の彫刻作品を学ぶために設立された教育用ギャラリーである。 ここには19 世紀の彫刻家でアカデミー教授であったロレンツォ バルトリーニ(Lorenzo Bartolini)と彼の弟子、パンパローニの手になる250体を超える石膏模型のコレクションが収蔵されている。

  • ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。<br />エリザ.ボナパルト.バチョッキのモニュメント(Monument to Élisa Bonaparte Baciocchi), ロレンツォ・バルトリーニ作1808 - 1813年.<br />エリザ.ボナパルトはフランス皇帝およびイタリア王であるナポレオン1世の妹。フランス帝国の皇女にして、イタリアにおける、ルッカ・エ・ピオンビーノ公国、トスカーナ大公国の君主であった。エリザは本来の名ではなく愛称らしい。夫は同郷コルシカ人のフェリーチェ・バチョッキ。<br />(注)トスカナ地方はナポレオン1世の体制下、1807年にフランス帝国に併合され、1814年までフランスの支配を受けていた。<br />このオリジナルモニュメントのデータ:<br />https://www.galleriaaccademiafirenze.it/en/artworks/monumento-a-elisa-baciocchi/<br />売却の背景:<br />https://www.loquis.com/en/loquis/1084592/Monumento+Malvezzi+Angelelli<br />1820 年のエリサ・バチョッキの死をきっかけに、バルトリーニ は彼女の夫であるフェリーチェ・バチョッキから(一連のモニュメントの製作を)依頼された。が、製作途中で大理石の欠陥(黒い筋が彼女の顔の中心を走る不具合)のため、作り直しを提案するも依頼主から却下される。 その後、廃却をまぬがれたこの彫刻は(マッシミリアーノ)マルヴェッツィ.アンジェレッリ侯爵(Malvezzi Angelelli )に売却された後、マルヴェッツィ.アンジェレッリのモニュメント(Monumento Malvezzi Angelelli)と改名。改作された台座に乗ってボローニャ、チェルトーザのある家族の墓地にて第2の人生(?)を歩んでいるという。<br />イメージ:<br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Monumento_Malvezzi_Angelelli_Sala_del_Colombario.jpg<br />

    ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。
    エリザ.ボナパルト.バチョッキのモニュメント(Monument to Élisa Bonaparte Baciocchi), ロレンツォ・バルトリーニ作1808 - 1813年.
    エリザ.ボナパルトはフランス皇帝およびイタリア王であるナポレオン1世の妹。フランス帝国の皇女にして、イタリアにおける、ルッカ・エ・ピオンビーノ公国、トスカーナ大公国の君主であった。エリザは本来の名ではなく愛称らしい。夫は同郷コルシカ人のフェリーチェ・バチョッキ。
    (注)トスカナ地方はナポレオン1世の体制下、1807年にフランス帝国に併合され、1814年までフランスの支配を受けていた。
    このオリジナルモニュメントのデータ:
    https://www.galleriaaccademiafirenze.it/en/artworks/monumento-a-elisa-baciocchi/
    売却の背景:
    https://www.loquis.com/en/loquis/1084592/Monumento+Malvezzi+Angelelli
    1820 年のエリサ・バチョッキの死をきっかけに、バルトリーニ は彼女の夫であるフェリーチェ・バチョッキから(一連のモニュメントの製作を)依頼された。が、製作途中で大理石の欠陥(黒い筋が彼女の顔の中心を走る不具合)のため、作り直しを提案するも依頼主から却下される。 その後、廃却をまぬがれたこの彫刻は(マッシミリアーノ)マルヴェッツィ.アンジェレッリ侯爵(Malvezzi Angelelli )に売却された後、マルヴェッツィ.アンジェレッリのモニュメント(Monumento Malvezzi Angelelli)と改名。改作された台座に乗ってボローニャ、チェルトーザのある家族の墓地にて第2の人生(?)を歩んでいるという。
    イメージ:
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Monumento_Malvezzi_Angelelli_Sala_del_Colombario.jpg

  • ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。<br />横たわるヴィーナス(Vénus couchée)。これはウフィツィ美術館で見たウルヴィーノのヴィーナスのポーズだ!!。解説書に、ウルヴィーノのヴィーナスのポーズは後世の画家や彫刻家たちに多大な影響を与えたとあったものね。調べるとオリジナルはファーブル美術館(モンペリエ)が所蔵しているらしい。<br />因みに、これらの石膏模型像には小さな黒いピンが無数に打ってある。これについてあるサイトで’これはデッサンの時の構図確認のための印’。と説明していたが、そうではなくて、この石膏模型をもとに大理石で本作していくときの位置、寸法(Reference points)の確認ピンであるというのが正しいようだ。参考:https://treasuresofflorence.wordpress.com/2015/10/09/unexpected-treasures-at-the-accademia/

    ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。
    横たわるヴィーナス(Vénus couchée)。これはウフィツィ美術館で見たウルヴィーノのヴィーナスのポーズだ!!。解説書に、ウルヴィーノのヴィーナスのポーズは後世の画家や彫刻家たちに多大な影響を与えたとあったものね。調べるとオリジナルはファーブル美術館(モンペリエ)が所蔵しているらしい。
    因みに、これらの石膏模型像には小さな黒いピンが無数に打ってある。これについてあるサイトで’これはデッサンの時の構図確認のための印’。と説明していたが、そうではなくて、この石膏模型をもとに大理石で本作していくときの位置、寸法(Reference points)の確認ピンであるというのが正しいようだ。参考:https://treasuresofflorence.wordpress.com/2015/10/09/unexpected-treasures-at-the-accademia/

  • ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。<br />楽器を弾くローマ兵(Statue of a Roman Soldier playing an instrument)。この作品については上記以外、殆ど情報がなかったが、彼が弾いているのは間違いなく古代ギリシャ、ローマ時代の代表的な竪琴、キタラ(Cithara or Kithara) のようだ。

    ギプソテカ バルトリーニ(Gipsoteca Bartolini=石膏模型ギャラリー)19世紀ホール。
    楽器を弾くローマ兵(Statue of a Roman Soldier playing an instrument)。この作品については上記以外、殆ど情報がなかったが、彼が弾いているのは間違いなく古代ギリシャ、ローマ時代の代表的な竪琴、キタラ(Cithara or Kithara) のようだ。

  • トリブーナの翼廊:<br />アレッサンドロ・アッローリ(Alessandro Allori)作の受胎告知。1578年~1579年。<br />’ブロンツィーノの弟子、アッローリ’と自らの作品にサインするほどブロンツィーノに近しい画家で(実際、実の父が他界した後、ブロンツィーノは彼の父親代わりでもあったらしい)ルネッサンス後期からマニエリスムへの移行期にメディチ家(フランチェスコ1世)のお抱え画家として活躍した人物。<br />女性の表情に特有の優しさがあり、落ち着いたトーンの色彩とあいまってこの受胎告知からは繊細で柔らかい雰囲気が伝わってくる。<br />それと、’祝福された方よ。。’で始まる大天使ガブリエルの言葉に、聖母マリアが驚いたり、’いえいえ、ワタクシなど役不足でして。。’などと余計なことを言わず、ただ、’神のみ旨のままに。。’と受け入れる風であるところが、非常に好感がもてる。ジタバタしてもどうせ人間の運命なんて最初から決まっているのだもの。。

    トリブーナの翼廊:
    アレッサンドロ・アッローリ(Alessandro Allori)作の受胎告知。1578年~1579年。
    ’ブロンツィーノの弟子、アッローリ’と自らの作品にサインするほどブロンツィーノに近しい画家で(実際、実の父が他界した後、ブロンツィーノは彼の父親代わりでもあったらしい)ルネッサンス後期からマニエリスムへの移行期にメディチ家(フランチェスコ1世)のお抱え画家として活躍した人物。
    女性の表情に特有の優しさがあり、落ち着いたトーンの色彩とあいまってこの受胎告知からは繊細で柔らかい雰囲気が伝わってくる。
    それと、’祝福された方よ。。’で始まる大天使ガブリエルの言葉に、聖母マリアが驚いたり、’いえいえ、ワタクシなど役不足でして。。’などと余計なことを言わず、ただ、’神のみ旨のままに。。’と受け入れる風であるところが、非常に好感がもてる。ジタバタしてもどうせ人間の運命なんて最初から決まっているのだもの。。

  • 13~15世紀作品のギャラリー:<br />パチーノ・ディ・ブオナグイダ(Pacino di bonaguida), 作&#39;生命の木(albero della vita)&#39;1310年~1315年頃。板絵/油彩。<br />14世紀初めにモンテッチェリのクラリス修道院のためにジョット派の画家・ブオナグイダが描いた作品。同修道院はフィレンツェに移るのであるが、後にクローズされ、この絵をアカデミア美術館が所有するところとなった。<br />キリストの磔刑図が中心に描かれ、左右6本づつのびる枝についた果実にイエスの物語の細密画が配されている。絵の下部にはアダムとイヴをはじめとする創世記の人物が、木のトップには天国が描かれている。<br />この作品は13世紀イタリアの神学者「ボナヴェントゥラ」の著書「生命の木」が元になっており、絵画を通してキリストの教義を示している。

    13~15世紀作品のギャラリー:
    パチーノ・ディ・ブオナグイダ(Pacino di bonaguida), 作'生命の木(albero della vita)'1310年~1315年頃。板絵/油彩。
    14世紀初めにモンテッチェリのクラリス修道院のためにジョット派の画家・ブオナグイダが描いた作品。同修道院はフィレンツェに移るのであるが、後にクローズされ、この絵をアカデミア美術館が所有するところとなった。
    キリストの磔刑図が中心に描かれ、左右6本づつのびる枝についた果実にイエスの物語の細密画が配されている。絵の下部にはアダムとイヴをはじめとする創世記の人物が、木のトップには天国が描かれている。
    この作品は13世紀イタリアの神学者「ボナヴェントゥラ」の著書「生命の木」が元になっており、絵画を通してキリストの教義を示している。

  • アカデミア美術館はこれくらいにして、duomoのほうに向かう。<br />シニョーリア通りの入り口(リヴォワール - フィレンツェカフェRivoire Firenze Caféの横)で客待ちしていたタクシーで(赤丸のところ)ミケランジェロ広場へ。フィレンツェのタクシーは所定のタクシープール場に行けば必ずキャッチできる。フィレンツェでのタクシーの乗り方は下記が詳しい。<br />https://cupola-e-nuvola.com/blog/taxi<br />観光のメッカであるだけに流しのタクシーも結構走っていて手を挙げると止まってくれる。’道端で手を上げても無視される’と書いてあるサイトがあったが、私の経験ではそれはなかった。<br />料金も非常にリーゾナブルでミケランジェロ広場までせいぜい10ユーロくらい。所要時間は10~15分程度。メーター付きでボラれることはないし、時間を節約したいときには早くて安全、便利だ。Uberで呼ぶほどのこともない。

    アカデミア美術館はこれくらいにして、duomoのほうに向かう。
    シニョーリア通りの入り口(リヴォワール - フィレンツェカフェRivoire Firenze Caféの横)で客待ちしていたタクシーで(赤丸のところ)ミケランジェロ広場へ。フィレンツェのタクシーは所定のタクシープール場に行けば必ずキャッチできる。フィレンツェでのタクシーの乗り方は下記が詳しい。
    https://cupola-e-nuvola.com/blog/taxi
    観光のメッカであるだけに流しのタクシーも結構走っていて手を挙げると止まってくれる。’道端で手を上げても無視される’と書いてあるサイトがあったが、私の経験ではそれはなかった。
    料金も非常にリーゾナブルでミケランジェロ広場までせいぜい10ユーロくらい。所要時間は10~15分程度。メーター付きでボラれることはないし、時間を節約したいときには早くて安全、便利だ。Uberで呼ぶほどのこともない。

  • そうこうするうちに、15分くらいでミケランジェロ広場に到着。ここは、1869年に建築家ジュゼッペ・ポッジによって都市拡張プランの一環として整備された広場。で、ルネサンスの巨匠ミケランジェロに捧げられたので「ミケランジェロ広場」の名前が付いている。<br />中心の立像は先ほど見てきたアカデミア美術館のダビデのブロンズコピーである。<br />広場にはバス停やタクシープール場、屋台やお土産を売る売店、ストリートパフォーマー等がいてなんだか落ち着かない。一応ダビデにご挨拶して、静けさをもとめて階段を登りサンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)方向を目指す。

    そうこうするうちに、15分くらいでミケランジェロ広場に到着。ここは、1869年に建築家ジュゼッペ・ポッジによって都市拡張プランの一環として整備された広場。で、ルネサンスの巨匠ミケランジェロに捧げられたので「ミケランジェロ広場」の名前が付いている。
    中心の立像は先ほど見てきたアカデミア美術館のダビデのブロンズコピーである。
    広場にはバス停やタクシープール場、屋台やお土産を売る売店、ストリートパフォーマー等がいてなんだか落ち着かない。一応ダビデにご挨拶して、静けさをもとめて階段を登りサンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)方向を目指す。

    ミケランジェロ広場 広場・公園

  • サンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)。11世紀から13世紀に建てられたロマネスク様式の教会。<br />ルネッサンス様式の街に数点のみ存在する希少なロマネスク様式の教会の一つ。サン・ジョヴァンニ洗礼堂と並んで、ロマネスク建築の傑作とされている。 白と緑のトスカナ大理石を組み合わせた幾何学模様のファサードが特徴で、フィレンツェ様式と呼ばれているようだ。ファサード上部のモザイク画は下記に。

    サンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)。11世紀から13世紀に建てられたロマネスク様式の教会。
    ルネッサンス様式の街に数点のみ存在する希少なロマネスク様式の教会の一つ。サン・ジョヴァンニ洗礼堂と並んで、ロマネスク建築の傑作とされている。 白と緑のトスカナ大理石を組み合わせた幾何学模様のファサードが特徴で、フィレンツェ様式と呼ばれているようだ。ファサード上部のモザイク画は下記に。

    サン ミニアート アル モンテ教会 寺院・教会

  • 聖ミニアート(San Miniato)はフィレンツェ最初の殉教聖人で、もともとアルメニアの貴族の出であったようだ。彼は現在のミケランジェロ広場近くの洞窟に住み、福音を述べ伝えていたが、3世紀半ばに捕らえられ、円形闘技場で処刑された殉教者。ファサード上部には12世紀の「聖母マリアと聖ミニアート(San Miniato、向かって右)の間にいる玉座のキリスト」のモザイクがある。<br />(注)聖ミニアートの生きた3世紀半ばはデキウス帝によるキリスト教迫害の時代であった。

    聖ミニアート(San Miniato)はフィレンツェ最初の殉教聖人で、もともとアルメニアの貴族の出であったようだ。彼は現在のミケランジェロ広場近くの洞窟に住み、福音を述べ伝えていたが、3世紀半ばに捕らえられ、円形闘技場で処刑された殉教者。ファサード上部には12世紀の「聖母マリアと聖ミニアート(San Miniato、向かって右)の間にいる玉座のキリスト」のモザイクがある。
    (注)聖ミニアートの生きた3世紀半ばはデキウス帝によるキリスト教迫害の時代であった。

  • 内部:<br />三廊式の身廊より成り、クリプトとその上の一段高くなった後陣などは、多彩な大理石によって飾られている。<br />主祭壇の周囲は修復中(?)でスクリーンで覆われている。

    内部:
    三廊式の身廊より成り、クリプトとその上の一段高くなった後陣などは、多彩な大理石によって飾られている。
    主祭壇の周囲は修復中(?)でスクリーンで覆われている。

  • 聖ミニアート(San Miniato)。<br />この教会の名前でもある聖(サン)ミニアートの絵。周りにはこの聖人の伝説がサムネールのように描かれている。前にも述べたが、聖ミニアートは紀元3世紀デキウス帝の時代に殉教した聖人。処刑され首を切られても、その首を持って自分が弔われるべき場所、つまりこの教会のある場所までわざわざ川を渡ってやって来たという超人的聖人のようなのだが。。(そんなこと物理的に、医学的に可能なんだろうか?と不信心な私は思ってしまう。)この聖人の聖遺物は現在でもクリプタにあるそうだが目にするチャンスがなかった。

    聖ミニアート(San Miniato)。
    この教会の名前でもある聖(サン)ミニアートの絵。周りにはこの聖人の伝説がサムネールのように描かれている。前にも述べたが、聖ミニアートは紀元3世紀デキウス帝の時代に殉教した聖人。処刑され首を切られても、その首を持って自分が弔われるべき場所、つまりこの教会のある場所までわざわざ川を渡ってやって来たという超人的聖人のようなのだが。。(そんなこと物理的に、医学的に可能なんだろうか?と不信心な私は思ってしまう。)この聖人の聖遺物は現在でもクリプタにあるそうだが目にするチャンスがなかった。

  • 側廊部フレスコ。スピネロ・アレティノ作の『聖徒論』Theory of Saints by Spinello Aretino (ca. 1350-1410). 連作の一部。<br /><br />

    側廊部フレスコ。スピネロ・アレティノ作の『聖徒論』Theory of Saints by Spinello Aretino (ca. 1350-1410). 連作の一部。

  • 側廊部 及びアプス(後陣)への階段。<br />壁面のフレスコはスピネロ・アレティノ作の『聖徒論』Theory of Saints by Spinello Aretino (ca. 1350-1410).  連作の一部。<br /><br />

    側廊部 及びアプス(後陣)への階段。
    壁面のフレスコはスピネロ・アレティノ作の『聖徒論』Theory of Saints by Spinello Aretino (ca. 1350-1410). 連作の一部。

  • アプス(後陣)&#39;栄光のキリスト&#39;のモザイク(Mosaic of Christ in Glory)拡大図。13世紀の作。キリストの左右に聖母マリアと聖ミニアート(向かって右)が描かれている。<br />

    アプス(後陣)'栄光のキリスト'のモザイク(Mosaic of Christ in Glory)拡大図。13世紀の作。キリストの左右に聖母マリアと聖ミニアート(向かって右)が描かれている。

  • マリオット・ディ・ナルド(Mariotto di Nardo)作の’イエス・キリストの磔刑(Jesus Christ on the cross)を囲む聖フランシスコ、聖ミニアート、聖母マリア、座った聖ベネディクト、福音記者聖ヨハネ、聖ステファノ、聖アントニオ’。

    マリオット・ディ・ナルド(Mariotto di Nardo)作の’イエス・キリストの磔刑(Jesus Christ on the cross)を囲む聖フランシスコ、聖ミニアート、聖母マリア、座った聖ベネディクト、福音記者聖ヨハネ、聖ステファノ、聖アントニオ’。

  • サンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)の正面階段からはフィレンツェの遠景が眼下に広がる。ダヴィンチの空気遠近法を見ているようだ!

    サンミニアートアルモンテ教会(Basilica di San Miniato)の正面階段からはフィレンツェの遠景が眼下に広がる。ダヴィンチの空気遠近法を見ているようだ!

  • 教会を出て少し歩くと小さい売店(画像左下に見える)。教会の修道士会が営む売店で、自家製のお菓子やリキュール、書籍や小物類が並んでいた。屋根から生えている(?)ように見えるのは後ろの植え込みのローマ松。<br />さて、この下にはサン ミニアートの丘に通じるサンミニアート門(Porta San Miniato)があるらしいのだが、急坂をかなり歩くというような情報があり、そこに行くことはギブアップした。調べるとこの門はかなりユニークでフィレンツェ市街を取り囲んでいた中世の城壁の一部に穿たれたもので築700年(1320年の建設)という。初めから塔付きの門として建設されたものではないらしいのだが。。。

    教会を出て少し歩くと小さい売店(画像左下に見える)。教会の修道士会が営む売店で、自家製のお菓子やリキュール、書籍や小物類が並んでいた。屋根から生えている(?)ように見えるのは後ろの植え込みのローマ松。
    さて、この下にはサン ミニアートの丘に通じるサンミニアート門(Porta San Miniato)があるらしいのだが、急坂をかなり歩くというような情報があり、そこに行くことはギブアップした。調べるとこの門はかなりユニークでフィレンツェ市街を取り囲んでいた中世の城壁の一部に穿たれたもので築700年(1320年の建設)という。初めから塔付きの門として建設されたものではないらしいのだが。。。

  • ローマ松=イタリアカサマツ (学名:Pinus pinea)とポルテ・サンテ墓地の一部。<br />フィレンツエに来て初めて見たこの巨大なブロッコリーのような形状の松はローマ松。アメリカでは間違っても目にすることのない種でしげしげと見てしまった。フォトジェニックな松である。

    ローマ松=イタリアカサマツ (学名:Pinus pinea)とポルテ・サンテ墓地の一部。
    フィレンツエに来て初めて見たこの巨大なブロッコリーのような形状の松はローマ松。アメリカでは間違っても目にすることのない種でしげしげと見てしまった。フォトジェニックな松である。

  • ローマ松(イタリアカサマツ )<br />6000年位前から松の実を食用とするために地中海沿岸ですでに栽培されていたという。非常に有益かつ景観美を保つための樹木として重用されてきたようだ。ローマ街道やアッピア街道で街路樹として植えられており、イタリアの歴史的シンボルとして扱われているとか。

    ローマ松(イタリアカサマツ )
    6000年位前から松の実を食用とするために地中海沿岸ですでに栽培されていたという。非常に有益かつ景観美を保つための樹木として重用されてきたようだ。ローマ街道やアッピア街道で街路樹として植えられており、イタリアの歴史的シンボルとして扱われているとか。

  • ポルテ・サンテ墓地の正式名称は &#39;聖なる扉の墓地(Cimitero delle Porte Sante)&#39;というそうで、サンミニアートアルモンテ教会を囲むように配置されている。ここは一般市民と著名人(芸術家、作家、その他のフィレンツェのVIP)の両方のために 1800 年代に設立された墓地。美しい建築と彫刻で知られており、野外博物館とも評されている。これはシルビア・マリーニ・ネイ・デ・ロガティ(Silvia Marini Nei de Rogati)の墓標、 作者不明。

    ポルテ・サンテ墓地の正式名称は '聖なる扉の墓地(Cimitero delle Porte Sante)'というそうで、サンミニアートアルモンテ教会を囲むように配置されている。ここは一般市民と著名人(芸術家、作家、その他のフィレンツェのVIP)の両方のために 1800 年代に設立された墓地。美しい建築と彫刻で知られており、野外博物館とも評されている。これはシルビア・マリーニ・ネイ・デ・ロガティ(Silvia Marini Nei de Rogati)の墓標、 作者不明。

  • アントニオ・ピアッティの墓(Tomb of Antonio Piatti)<br />ピアッティ(1875~1927)はポートレート、風景画で知られたイタリアの画家でありまた彫刻家でもあった。よく知られた作品ではカヴァレリア・ルスティカーナの作曲で知られるピエトロ.マスカーニの肖像画がある。

    アントニオ・ピアッティの墓(Tomb of Antonio Piatti)
    ピアッティ(1875~1927)はポートレート、風景画で知られたイタリアの画家でありまた彫刻家でもあった。よく知られた作品ではカヴァレリア・ルスティカーナの作曲で知られるピエトロ.マスカーニの肖像画がある。

  • サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会 (Chiesa di S.Salvatore al Monte)。サン・ミニアート・アルモンテ教会の下の小高い丘の上にひっそりと立つ控えめな教会。なんでもミケランジェロが &quot;私の美しい小さなヴィッラ(la mia bella villanella)&quot; と呼んだそうだ。<br />ファサードは非常にシンプルで、質素さを尊重するフランシスコ会特有の様式になっている。内部も身廊が1つだけで、両側に5つの礼拝堂があるのみ。教会内は静けさに満ちている。

    サン・サルヴァトーレ・アル・モンテ教会 (Chiesa di S.Salvatore al Monte)。サン・ミニアート・アルモンテ教会の下の小高い丘の上にひっそりと立つ控えめな教会。なんでもミケランジェロが "私の美しい小さなヴィッラ(la mia bella villanella)" と呼んだそうだ。
    ファサードは非常にシンプルで、質素さを尊重するフランシスコ会特有の様式になっている。内部も身廊が1つだけで、両側に5つの礼拝堂があるのみ。教会内は静けさに満ちている。

  • 入口で訪問者を迎える聖サンフランシスコの像、作者不明。

    入口で訪問者を迎える聖サンフランシスコの像、作者不明。

  • 主祭壇とキリストの磔刑。

    主祭壇とキリストの磔刑。

  • 主祭壇横の壁面には、ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(Giovanni dal Ponte)の即位する聖母子(Madonna in trono col Bambino)

    主祭壇横の壁面には、ジョヴァンニ・ダル・ポンテ(Giovanni dal Ponte)の即位する聖母子(Madonna in trono col Bambino)

  • ロッセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(Rossello di jacopo franchi)作の15世紀のパネル2枚。聖コスマスと聖ダミアン及びフランシスコとアンソニー(Santi Cosma e Damiano, Francesco e Antonio)。

    ロッセッロ・ディ・ヤコポ・フランキ(Rossello di jacopo franchi)作の15世紀のパネル2枚。聖コスマスと聖ダミアン及びフランシスコとアンソニー(Santi Cosma e Damiano, Francesco e Antonio)。

  • サンタマリア(Santa Maria)の礼拝堂、作者不明。

    サンタマリア(Santa Maria)の礼拝堂、作者不明。

  • ミケランジェロのダヴィデ像まで戻って来た。ここでブルーアワーを待とう。<br />ダヴィデ像の足元にやや怠惰に横臥する四体の像はミケランジェロ作の寓意像「夜」「昼」「曙」「夕暮れ」のコピー。オリジナルはメディチ家礼拝堂にある。

    ミケランジェロのダヴィデ像まで戻って来た。ここでブルーアワーを待とう。
    ダヴィデ像の足元にやや怠惰に横臥する四体の像はミケランジェロ作の寓意像「夜」「昼」「曙」「夕暮れ」のコピー。オリジナルはメディチ家礼拝堂にある。

  • フィレンツェの町を囲む城壁の一部。遠くに小さく見えるのがボーボリ庭園の丘の上にあるベルヴェデーレ要塞のようだ。<br />フィレンツェの市壁(城壁)の情報は:<br />https://www.firenze-oltrarno.net/nihongo/arte/mura.php

    フィレンツェの町を囲む城壁の一部。遠くに小さく見えるのがボーボリ庭園の丘の上にあるベルヴェデーレ要塞のようだ。
    フィレンツェの市壁(城壁)の情報は:
    https://www.firenze-oltrarno.net/nihongo/arte/mura.php

    ベルヴェデーレ要塞 史跡・遺跡

  • ドオーモを中心としたフィレンツェの歴史遺産地区。<br />ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)。八角形のクーポラ(円蓋)の高さは、107m、左手にそびえる「ジョットの鐘楼」は85mと、一望するフィレンツェの町の中ではひと際存在感のある建物。

    ドオーモを中心としたフィレンツェの歴史遺産地区。
    ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)。八角形のクーポラ(円蓋)の高さは、107m、左手にそびえる「ジョットの鐘楼」は85mと、一望するフィレンツェの町の中ではひと際存在感のある建物。

    ドゥオーモ (フィレンツェ) 寺院・教会

  • ドゥオーモの美しさはそのクーポラの形と色によるところが大きいと思う。その形状は円形ではなく、トップに向かって徐々に収斂していくようになっている。ちょうど花のつぼみを思わせるように。<br />この壮麗なドームが完成したのが今から約550年前(1461年)というから、日本では室町時代の内乱を経て戦国時代に突入しようとする頃。かたやこちら、フィレンツェではルネッサンスが開花していた。

    ドゥオーモの美しさはそのクーポラの形と色によるところが大きいと思う。その形状は円形ではなく、トップに向かって徐々に収斂していくようになっている。ちょうど花のつぼみを思わせるように。
    この壮麗なドームが完成したのが今から約550年前(1461年)というから、日本では室町時代の内乱を経て戦国時代に突入しようとする頃。かたやこちら、フィレンツェではルネッサンスが開花していた。

  • サンセット(ブルーアワーのちょっと前)。もう少し時間がたってブルーが濃くなった方がいいのだが、客待ちのタクシーが少なくなるのが気になって。。。<br />

    サンセット(ブルーアワーのちょっと前)。もう少し時間がたってブルーが濃くなった方がいいのだが、客待ちのタクシーが少なくなるのが気になって。。。

  • この時刻になると殆どマイカーやレンタカーで来ている人が多くて、帰路のタクシーが少なくなる。1,2台だけ止まっていたタクシーをキャッチして一目散?に坂をおりる。そして無事ホテル帰着。<br />

    この時刻になると殆どマイカーやレンタカーで来ている人が多くて、帰路のタクシーが少なくなる。1,2台だけ止まっていたタクシーをキャッチして一目散?に坂をおりる。そして無事ホテル帰着。

    ホテル コジモ ド メディチ ホテル

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