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訳あって5年間、メモリースティックの中に眠っていた画像たちと旅行記です。そろそろ、冬眠から覚めさせてやりたいと思いました。<br />2019年2月中旬から下旬にかけてシカゴ~フィレンツェ~オルチャ渓谷~シエナ~フィレンツェ~シカゴという行程。初めておとずれたオルチャ渓谷はまだ少しばかり冬の衣をまとい、乾いた色が広がっていました。でもシカゴよりうんと暖かくて優しい春の日差しが雲の間からこぼれる時もあったり。。<br />この②の旅行記は2月20日のウフィツイ美術館の部分のみをまとめています。歩き回って棒が足になりました。

2019 早春の旅(Look back編):②花の都,フィレンツェと春浅きオルチャ渓谷へ(ウフィツィ美術館)

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2019/02/18 - 2019/02/28

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Nora

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訳あって5年間、メモリースティックの中に眠っていた画像たちと旅行記です。そろそろ、冬眠から覚めさせてやりたいと思いました。
2019年2月中旬から下旬にかけてシカゴ~フィレンツェ~オルチャ渓谷~シエナ~フィレンツェ~シカゴという行程。初めておとずれたオルチャ渓谷はまだ少しばかり冬の衣をまとい、乾いた色が広がっていました。でもシカゴよりうんと暖かくて優しい春の日差しが雲の間からこぼれる時もあったり。。
この②の旅行記は2月20日のウフィツイ美術館の部分のみをまとめています。歩き回って棒が足になりました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
交通手段
タクシー 徒歩
航空会社
スイスインターナショナルエアラインズ
旅行の手配内容
個別手配
  • 2/20/2019. 朝イチで目指すはduomo。ウフィツイ美術館はこの目と鼻の先にある。シーズンオフであるし、ウフィツイ美術館の当日券買えるだろうと希望的観測。しかし売り切れと言う事態も発生することがあるから早朝に行くに越したtことはない。

    2/20/2019. 朝イチで目指すはduomo。ウフィツイ美術館はこの目と鼻の先にある。シーズンオフであるし、ウフィツイ美術館の当日券買えるだろうと希望的観測。しかし売り切れと言う事態も発生することがあるから早朝に行くに越したtことはない。

    ドゥオーモ (フィレンツェ) 寺院・教会

  • ウフィツイ到着。いうまでもなくウフィツィはイタリア語でオフィスの意味。名前の通り、ヴァザーリの設計で1580年に完成したフィレンツェの政庁(ウフィツィ)を美術館として利用している。展示室は、各世紀、各派、画家ごとに45部屋もあり、イタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に総展示物は2500点以上にのぼるという。

    ウフィツイ到着。いうまでもなくウフィツィはイタリア語でオフィスの意味。名前の通り、ヴァザーリの設計で1580年に完成したフィレンツェの政庁(ウフィツィ)を美術館として利用している。展示室は、各世紀、各派、画家ごとに45部屋もあり、イタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に総展示物は2500点以上にのぼるという。

    ウフィツィ美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 当日券購入者は2番の窓口にならぶ。いろいろなサイトに予約なしの当日券購入者は8時15分前にこの窓口に並ぶとあったのでほぼその時刻に出向くと、すでに50人くらい並んでいる。しかし思ったより列が早く進んでチケット購入、入館、セキュリティーチェックとスムースに進んだ。入場料は12ユーロ。思ったよりも簡単。しかし如何せん途中の通路のスペースが狭いので息苦しい。

    当日券購入者は2番の窓口にならぶ。いろいろなサイトに予約なしの当日券購入者は8時15分前にこの窓口に並ぶとあったのでほぼその時刻に出向くと、すでに50人くらい並んでいる。しかし思ったより列が早く進んでチケット購入、入館、セキュリティーチェックとスムースに進んだ。入場料は12ユーロ。思ったよりも簡単。しかし如何せん途中の通路のスペースが狭いので息苦しい。

  • ウフィツイフロアプラン、wikimedia commonより。:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Plano_Uffizi.png<br />展示があるのは、PLANTA 2、PLANT 1の2フロア。日本で言えば、それぞれ3階と2階にあたる。<br />順番に回っていけばいいのであるが、時間の関係ですべて見るわけにはいかないので必見といわれている作品+自分自身が見たいと思っていた作品とに絞って観ていくことにしよう。<br />因みに絵画、彫刻に関する情報は主にUffizi Gallery: Art History Collections by Gloria Fossi およびインターネットの情報を参考にした。

    ウフィツイフロアプラン、wikimedia commonより。:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Plano_Uffizi.png
    展示があるのは、PLANTA 2、PLANT 1の2フロア。日本で言えば、それぞれ3階と2階にあたる。
    順番に回っていけばいいのであるが、時間の関係ですべて見るわけにはいかないので必見といわれている作品+自分自身が見たいと思っていた作品とに絞って観ていくことにしよう。
    因みに絵画、彫刻に関する情報は主にUffizi Gallery: Art History Collections by Gloria Fossi およびインターネットの情報を参考にした。

  • まずは主要な作品が展示されている3階へ。レトロなボタンのついたエレベーターで登る。ボタンの表示版の横でやさしく来客を迎えるトンドの絵は神話と旧約聖書の物語Storie mitologiche e veterotestamentarie)、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ画(本名はジョヴァンニ・マンノツィ(Giovanni Mannozzi)である。メディチ家の宮廷画家(familiare di corte)として活躍しフィレンツェのピッティ宮殿などの多くの装飾画を描いた人である。<br /><br />ここでエレベーターを待ってる間にふと目があった日本人女性(多分現地ツアーコーディネーター)から&#39;Are you Japanese?&#39;ときかれた。アメリカにいると全くそういうことを訊かれることがないのでチョット戸惑う。でも彼女は単に私が国籍不明の浮浪者(?)でないことを確認したかったのかもしれない。ま、いいや、深く考えない!!<br />

    まずは主要な作品が展示されている3階へ。レトロなボタンのついたエレベーターで登る。ボタンの表示版の横でやさしく来客を迎えるトンドの絵は神話と旧約聖書の物語Storie mitologiche e veterotestamentarie)、ジョヴァンニ・ダ・サン・ジョヴァンニ画(本名はジョヴァンニ・マンノツィ(Giovanni Mannozzi)である。メディチ家の宮廷画家(familiare di corte)として活躍しフィレンツェのピッティ宮殿などの多くの装飾画を描いた人である。

    ここでエレベーターを待ってる間にふと目があった日本人女性(多分現地ツアーコーディネーター)から'Are you Japanese?'ときかれた。アメリカにいると全くそういうことを訊かれることがないのでチョット戸惑う。でも彼女は単に私が国籍不明の浮浪者(?)でないことを確認したかったのかもしれない。ま、いいや、深く考えない!!

  • 第1回廊部分。ギリシャ、ローマ時代の彫刻がずらりと並ぶ。これらは20世紀になって修復されたものが殆どという。廊下の左手にある間口から絵画作品展示の各部屋に進む。<br />

    第1回廊部分。ギリシャ、ローマ時代の彫刻がずらりと並ぶ。これらは20世紀になって修復されたものが殆どという。廊下の左手にある間口から絵画作品展示の各部屋に進む。

  • 第一回廊:<br />天井は古代ローマにならったグロテスク様式(Grotteschi )で美しく装飾されている。

    第一回廊:
    天井は古代ローマにならったグロテスク様式(Grotteschi )で美しく装飾されている。

  • Room#2<br />ジョット(Giotto di Bondone)の荘厳の聖母(Ognissanti Madonna)、1310年。’ジョットの鐘楼’で知られる画家、建築家の作である。しかし彼は鐘楼の建築に着手したものの建築中途で死去したため、彼の弟子達の手で完成された。<br />ここ初期ルネッサンスの部屋にはチマブーエ、ジョット等の作品が展示されている。これは祭壇画である。表象的に描かれていた中世絵画の特徴を残しつつも、明暗と立体的表現が加味されルネッサンス(自然主義的表現)への移行が伝わってくる。

    Room#2
    ジョット(Giotto di Bondone)の荘厳の聖母(Ognissanti Madonna)、1310年。’ジョットの鐘楼’で知られる画家、建築家の作である。しかし彼は鐘楼の建築に着手したものの建築中途で死去したため、彼の弟子達の手で完成された。
    ここ初期ルネッサンスの部屋にはチマブーエ、ジョット等の作品が展示されている。これは祭壇画である。表象的に描かれていた中世絵画の特徴を残しつつも、明暗と立体的表現が加味されルネッサンス(自然主義的表現)への移行が伝わってくる。

  • Room#6(Int&#39;l Gothic)<br />ベルニーニの’聖ローレンスの殉教’ 。イタリアンマーブル。1613あるいは1617 年の作。<br />この彫刻は、バロックの巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(	Gian Lorenzo Bernini)が若干15歳(17 歳とも言われている)のときに完成したもので早熟な才能の開花が窺える作品。 生きたままグリルの上で焼かれ、殉教する瞬間の聖人を見る者を圧倒するようなリアリズムで描いている。このあとベルニーニは81歳で没するまで精力的に製作活動を行い、バロック期を代表する彫刻家、建築家、画家と呼ばれるようになる。ローマには数多くの彼の作品があり、教皇ウルバヌス八世が述べた有名な言葉「ベルニーニはローマのために作られ、ローマはベルニーニのために作られた」が彼の成し遂げた偉業を象徴する。<br />

    Room#6(Int'l Gothic)
    ベルニーニの’聖ローレンスの殉教’ 。イタリアンマーブル。1613あるいは1617 年の作。
    この彫刻は、バロックの巨匠、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ( Gian Lorenzo Bernini)が若干15歳(17 歳とも言われている)のときに完成したもので早熟な才能の開花が窺える作品。 生きたままグリルの上で焼かれ、殉教する瞬間の聖人を見る者を圧倒するようなリアリズムで描いている。このあとベルニーニは81歳で没するまで精力的に製作活動を行い、バロック期を代表する彫刻家、建築家、画家と呼ばれるようになる。ローマには数多くの彼の作品があり、教皇ウルバヌス八世が述べた有名な言葉「ベルニーニはローマのために作られ、ローマはベルニーニのために作られた」が彼の成し遂げた偉業を象徴する。

  • Room#7 <br />板上にテンペラ。1465-1472年頃。<br />イタリアのルネサンス期の巨匠、ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)の作品、ウルビーノ公夫妻像(Diptych of Federico da Montefeltro and Battista Sforza)。初期ルネッサンス。<br />ウルビーノの君主フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと、妻のバッティスタ・スフォルツァを描いた二連肖像画。フェデリーコはもともと傭兵隊長であり、馬上槍試合で右目を失い鼻を負傷したが教養ある文人君主であった。右目を失明したため、彼の肖像画はすべて左横顔になっている。

    Room#7 
    板上にテンペラ。1465-1472年頃。
    イタリアのルネサンス期の巨匠、ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)の作品、ウルビーノ公夫妻像(Diptych of Federico da Montefeltro and Battista Sforza)。初期ルネッサンス。
    ウルビーノの君主フェデリーコ・ダ・モンテフェルトロと、妻のバッティスタ・スフォルツァを描いた二連肖像画。フェデリーコはもともと傭兵隊長であり、馬上槍試合で右目を失い鼻を負傷したが教養ある文人君主であった。右目を失明したため、彼の肖像画はすべて左横顔になっている。

  • Room#8<br />フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)作の’聖母子と天使’。<br />初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の画家フィリッポ・リッピが晩年に手がけた聖母子像で最も良く知られる作品のひとつ。これより早い時期に描かれたチマブーエやジョット等の作品にくらべ、自然な陰影や遠近感が加わり、はるかにリアリスティックな表現になっている。<br />この聖母マリアは駆け落ちし、最終的に結婚した修道女ルクレツィア・ブティを、幼子イエスと天使は自分の子供たちをモデルに描いたといわれている。(私的には幼子イエスの顔がむくんだプーチンのようであまり好きではない。)<br />フィリッポは貧しい家の生まれで、父親が亡くなった後、叔母の家に引き取られるが、6歳の頃、口減らしのために兄と一緒に修道院に入れられた。後年、彼はプラートの修道院に移るが、そこで出会ったのが修道女のルクレツィア・ブティであり、彼女との間に2人の子供をもうけている。その一人が後に父の跡を継いで画家になるフィリッピーノである。

    Room#8
    フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)作の’聖母子と天使’。
    初期ルネサンスを代表するフィレンツェ派の画家フィリッポ・リッピが晩年に手がけた聖母子像で最も良く知られる作品のひとつ。これより早い時期に描かれたチマブーエやジョット等の作品にくらべ、自然な陰影や遠近感が加わり、はるかにリアリスティックな表現になっている。
    この聖母マリアは駆け落ちし、最終的に結婚した修道女ルクレツィア・ブティを、幼子イエスと天使は自分の子供たちをモデルに描いたといわれている。(私的には幼子イエスの顔がむくんだプーチンのようであまり好きではない。)
    フィリッポは貧しい家の生まれで、父親が亡くなった後、叔母の家に引き取られるが、6歳の頃、口減らしのために兄と一緒に修道院に入れられた。後年、彼はプラートの修道院に移るが、そこで出会ったのが修道女のルクレツィア・ブティであり、彼女との間に2人の子供をもうけている。その一人が後に父の跡を継いで画家になるフィリッピーノである。

  • Room#8、1493‐95年。<br />フィリッピーノ・リッピ(Filippino Lippi)作の聖ヒエロニムス(St Jerome)1490s. パネル(木板)に描かれた油彩。フィリッピーノ・リッピはフィリッポ・リッピの息子。母は父の聖母子像のマリアのモデルにもなったルクレツィア・ブティである。

    Room#8、1493‐95年。
    フィリッピーノ・リッピ(Filippino Lippi)作の聖ヒエロニムス(St Jerome)1490s. パネル(木板)に描かれた油彩。フィリッピーノ・リッピはフィリッポ・リッピの息子。母は父の聖母子像のマリアのモデルにもなったルクレツィア・ブティである。

  • Room#10~14<br />サンドロ・ボッティチェッリのヴィーナスの誕生。約1.7x2.8m。<br />ウフィツイにきたらこのこの部屋を見逃す人はいないだろう。早めに入館してここを目指しても皆、思いは同じで混雑している。前の人が終わるのを待って近くで写真をとる。<br />プリマヴェーラ(春)がパネル(木板)に描かれているのに対し、’ヴィーナスの誕生’はカンヴァスに描かれている点は注目すべきかもしれない。15世紀西洋ヨーロッパではまだパネル画が主流であったが、徐々にカンヴァスが使用されつつあった。ヴィーナスのモデルはジュリアーノ・デ・メディチの愛人で、当時のイタリアで最高の美人として讃えられたシモネッタ・ヴェスプッチといわれる。

    Room#10~14
    サンドロ・ボッティチェッリのヴィーナスの誕生。約1.7x2.8m。
    ウフィツイにきたらこのこの部屋を見逃す人はいないだろう。早めに入館してここを目指しても皆、思いは同じで混雑している。前の人が終わるのを待って近くで写真をとる。
    プリマヴェーラ(春)がパネル(木板)に描かれているのに対し、’ヴィーナスの誕生’はカンヴァスに描かれている点は注目すべきかもしれない。15世紀西洋ヨーロッパではまだパネル画が主流であったが、徐々にカンヴァスが使用されつつあった。ヴィーナスのモデルはジュリアーノ・デ・メディチの愛人で、当時のイタリアで最高の美人として讃えられたシモネッタ・ヴェスプッチといわれる。

  • Room#10~14<br />サンドロ・ボッティチェッリのプリマヴェーラ(春):<br />約3x2mの大作。ヴィーナスの誕生』と対幅で描かれたといわれている。<br />中央のヴィーナスは鑑賞者をまっすぐに見つめ、ひと際存在感を放っている。さらにこの絵の中で目を奪われのは、非常に丁寧にそして緻密に描き込まれた138種類(ウフィッツィ美術館発表)に上ると言われる植物たちである。植物図鑑のような精密さで描かれたこれらの植物は15世紀トスカナ地方の植物相を知るのに非常に貢献しているといわれる。緻密な観察と深い表現力を併せ持ったボッティチェッリなればこそ成し遂げられた偉業と思われるのである。<br />この絵はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの結婚を祝う目的で制作されたようで、左端の赤い衣をまとったモデル(マーキュリー)がロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチといわれている。

    Room#10~14
    サンドロ・ボッティチェッリのプリマヴェーラ(春):
    約3x2mの大作。ヴィーナスの誕生』と対幅で描かれたといわれている。
    中央のヴィーナスは鑑賞者をまっすぐに見つめ、ひと際存在感を放っている。さらにこの絵の中で目を奪われのは、非常に丁寧にそして緻密に描き込まれた138種類(ウフィッツィ美術館発表)に上ると言われる植物たちである。植物図鑑のような精密さで描かれたこれらの植物は15世紀トスカナ地方の植物相を知るのに非常に貢献しているといわれる。緻密な観察と深い表現力を併せ持ったボッティチェッリなればこそ成し遂げられた偉業と思われるのである。
    この絵はロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチの結婚を祝う目的で制作されたようで、左端の赤い衣をまとったモデル(マーキュリー)がロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチといわれている。

  • Room#10~14<br />サンドロ・ボッティチェッリの’パラスとケンタウロス’。キャンバスに描かれたテンペラ画。<br />学問と知性の女神パラス・アテナが獣人ケンタウロスの髪の毛をグイっとつかんで何か諫めているような(しかし本気ではないような表情)雰囲気の絵である。これは暴力、獣性などの象徴であるケンタウロスを、理性の象徴であるパラス・アテナが抑える、というのがその主題といわれる。パラス・アテナの衣服に刻まれている、指輪が三つあわさったような紋章は、メディチ家の紋章のひとつである。ゆえにこの作品はメディチ家から注文を受けて制作されたものだろうと思われる。

    Room#10~14
    サンドロ・ボッティチェッリの’パラスとケンタウロス’。キャンバスに描かれたテンペラ画。
    学問と知性の女神パラス・アテナが獣人ケンタウロスの髪の毛をグイっとつかんで何か諫めているような(しかし本気ではないような表情)雰囲気の絵である。これは暴力、獣性などの象徴であるケンタウロスを、理性の象徴であるパラス・アテナが抑える、というのがその主題といわれる。パラス・アテナの衣服に刻まれている、指輪が三つあわさったような紋章は、メディチ家の紋章のひとつである。ゆえにこの作品はメディチ家から注文を受けて制作されたものだろうと思われる。

  • Room#18, トリブーナ(Tribuna)。<br />メディチ家出身のフランチェスコ1世が自家のコレクションを政庁内に展示するように指示した当時、美術品を展示した部屋がここであった。つまりここがウフィツィ美術館の起源。中には入ることはできないので2か所の入り口からのぞき見するだけ。丸天井はすべて同じ大きさの真珠貝象嵌(総計5800個ほど)で覆われている。<br />右の写真中央に見える白い大理石の立像がかの有名な’メディチのヴィーナス’である。彼女はローマのトライアヌスの温泉跡で発見され、その後メディチ家のフェルディナンドに譲渡された。しかる後、1677年にこの美術館に移り、このトリブーナに置かれたのであるが、当時からとても人気があり、ヨーロッパやイタリア全土からこの彫刻を見る為だけに沢山の人がやってきたと言われている。今まで表現されたヴィーナスの中で、最も美しいと言われていたほど。<br />基部には作者である、クレオメネス・アポドロスの息子(Kleomenes figlio di Apollodoros)の名前が書いてあるという。彼は紀元前1世紀にアテネで活躍していた彫刻家であったため、ここからこの彫刻が作られたのが大体紀元前1世紀の終わりだということが判明している。ローマ時代にギリシャ彫刻のコピーが沢山作られたが、これは正真正銘のギリシャ彫刻といえよう。その後、トスカーナ公国がナポレオンに支配されていた時、ナポレオンがこの彫刻を非常に気に入り、1802年にパリへ持って行ってしまうのである。しかし1816年のナポレオンの失脚とともに、無事にフィレンツェに帰還したという曰く付きの流転のヴィーナスである。

    Room#18, トリブーナ(Tribuna)。
    メディチ家出身のフランチェスコ1世が自家のコレクションを政庁内に展示するように指示した当時、美術品を展示した部屋がここであった。つまりここがウフィツィ美術館の起源。中には入ることはできないので2か所の入り口からのぞき見するだけ。丸天井はすべて同じ大きさの真珠貝象嵌(総計5800個ほど)で覆われている。
    右の写真中央に見える白い大理石の立像がかの有名な’メディチのヴィーナス’である。彼女はローマのトライアヌスの温泉跡で発見され、その後メディチ家のフェルディナンドに譲渡された。しかる後、1677年にこの美術館に移り、このトリブーナに置かれたのであるが、当時からとても人気があり、ヨーロッパやイタリア全土からこの彫刻を見る為だけに沢山の人がやってきたと言われている。今まで表現されたヴィーナスの中で、最も美しいと言われていたほど。
    基部には作者である、クレオメネス・アポドロスの息子(Kleomenes figlio di Apollodoros)の名前が書いてあるという。彼は紀元前1世紀にアテネで活躍していた彫刻家であったため、ここからこの彫刻が作られたのが大体紀元前1世紀の終わりだということが判明している。ローマ時代にギリシャ彫刻のコピーが沢山作られたが、これは正真正銘のギリシャ彫刻といえよう。その後、トスカーナ公国がナポレオンに支配されていた時、ナポレオンがこの彫刻を非常に気に入り、1802年にパリへ持って行ってしまうのである。しかし1816年のナポレオンの失脚とともに、無事にフィレンツェに帰還したという曰く付きの流転のヴィーナスである。

  • Room#18, トリブーナ(Tribuna)<br />ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino)の&#39;リュートを 弾く天使(Putto che suona)&#39;。油彩、板絵。1521年<br />この作品は、長い間、単独の作品であると考えられていたが、2000年の修復の際に赤外分光法によってこの作品がより大きな作品の一部を成す断片であったことが判明した。暗く塗りつぶされた背景の下地には、階段の途中に座る天使が描かれた痕跡があるーwikipedia

    Room#18, トリブーナ(Tribuna)
    ロッソ・フィオレンティーノ(Rosso Fiorentino)の'リュートを 弾く天使(Putto che suona)'。油彩、板絵。1521年
    この作品は、長い間、単独の作品であると考えられていたが、2000年の修復の際に赤外分光法によってこの作品がより大きな作品の一部を成す断片であったことが判明した。暗く塗りつぶされた背景の下地には、階段の途中に座る天使が描かれた痕跡があるーwikipedia

  • しばし休憩。廊下からduomoと鐘楼が見える。

    しばし休憩。廊下からduomoと鐘楼が見える。

  • Room#20	<br />ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach )のアダムとイブ、1528年。板上に油彩。<br />ルーカス・クラナッハ(父)はドイツ・ルネサンス期の画家であり、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer 1471-1528) に影響を受けたといわれ、多数のアダムとイブの作品を残している。彼は宮廷画家であったが、商才にたけていて大規模な工房を営んでいた。そこではどの職人でも同じ絵が描けるよう、同じ主題の定型を作り、大量生産を可能にしたのである(絵画のプレタポルテ)。ー>こうなるともうアートとは言えないんでは?

    Room#20
    ルーカス・クラナッハ(Lucas Cranach )のアダムとイブ、1528年。板上に油彩。
    ルーカス・クラナッハ(父)はドイツ・ルネサンス期の画家であり、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer 1471-1528) に影響を受けたといわれ、多数のアダムとイブの作品を残している。彼は宮廷画家であったが、商才にたけていて大規模な工房を営んでいた。そこではどの職人でも同じ絵が描けるよう、同じ主題の定型を作り、大量生産を可能にしたのである(絵画のプレタポルテ)。ー>こうなるともうアートとは言えないんでは?

  • Room #35<br />レオナルド・ダ・ヴィンチの’受胎告知(Annunciation)’。板に油彩とテンペラ’。1472~1475年頃 。<br />フィレンツェ郊外のヴィンチ村で生まれたレオナルドが最初に絵画を学んだのがフィレンツェにあったヴェロッキオ工房。この作品はレオナルドの実質的なデビュー作(この時若干20歳位)と言われているものの、画面上には、到底同一人物が描いたとは思われない技術上の不一致があるという美術専門家もいる。しかし聖母の肌や髪の表現、それらの独特の色彩、背景描写にみられる空気遠近法は言葉をなくすほど並外れた技量が窺え、この部分は紛れもなくレオナルド自身の手になるものだとわかる。<br />レオナルドの手記「絵の本」の中で、彼は’画家は、見物人を自分の方へ引き寄せ、大きな感嘆と興味とで、人々を引きとめるような作品を制作することに励まなければならない’。と言っている。

    Room #35
    レオナルド・ダ・ヴィンチの’受胎告知(Annunciation)’。板に油彩とテンペラ’。1472~1475年頃 。
    フィレンツェ郊外のヴィンチ村で生まれたレオナルドが最初に絵画を学んだのがフィレンツェにあったヴェロッキオ工房。この作品はレオナルドの実質的なデビュー作(この時若干20歳位)と言われているものの、画面上には、到底同一人物が描いたとは思われない技術上の不一致があるという美術専門家もいる。しかし聖母の肌や髪の表現、それらの独特の色彩、背景描写にみられる空気遠近法は言葉をなくすほど並外れた技量が窺え、この部分は紛れもなくレオナルド自身の手になるものだとわかる。
    レオナルドの手記「絵の本」の中で、彼は’画家は、見物人を自分の方へ引き寄せ、大きな感嘆と興味とで、人々を引きとめるような作品を制作することに励まなければならない’。と言っている。

  • Room#35<br />アンドレア・デル・ヴェロッキオの’キリストの洗礼(The Baptism of Christ)’, 1470-1475年 。<br />ヴェロッキオは、初期ルネサンス期の画家、彫刻家、建築家であり、ダヴィンチをはじめとする沢山の優れた弟子を育てた’稀代の良師’でもあった。キリストの洗礼はフィレンツェの修道院の依頼でヴェロッキオの工房で制作されたものでダヴィンチ、ボッティチェリなども制作に加わったという。レオナルド・ダ・ヴィンチに画面左の天使や背景などを描かせたと言われるが、天使の柔らかい皮膚や空気を含んだような髪の質感、衣の襞などの傑出した表現力は中央と右に描かれたキリストやヨハネのそれとは明確に異なる。(蛇足:キリストの肌の色がくすみ、生活に疲れ切ったように描かれているのはなぜだろう?。。)。

    Room#35
    アンドレア・デル・ヴェロッキオの’キリストの洗礼(The Baptism of Christ)’, 1470-1475年 。
    ヴェロッキオは、初期ルネサンス期の画家、彫刻家、建築家であり、ダヴィンチをはじめとする沢山の優れた弟子を育てた’稀代の良師’でもあった。キリストの洗礼はフィレンツェの修道院の依頼でヴェロッキオの工房で制作されたものでダヴィンチ、ボッティチェリなども制作に加わったという。レオナルド・ダ・ヴィンチに画面左の天使や背景などを描かせたと言われるが、天使の柔らかい皮膚や空気を含んだような髪の質感、衣の襞などの傑出した表現力は中央と右に描かれたキリストやヨハネのそれとは明確に異なる。(蛇足:キリストの肌の色がくすみ、生活に疲れ切ったように描かれているのはなぜだろう?。。)。

  • Room #35<br />レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大作、’東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)’。<br />ベロッキオの工房から独立して依頼を受けた最初の大作であり、レオナルドがフィレンツェ時代に描いたもっとも重要な作品といわれる。<br />1481年3月,フィレンツェ郊外のサン・ドナート・ア・スコペート修道院から依頼された祭壇画であるがレオナルドがミラノへ旅立ったため完成されることはなかった。修道院はそれでも10年以上も完成を待ち続けてくれたのであるが、ついにはしびれをきらし14年後レオナルドの友人フィリッピーノ・リッピに依頼し、新たな祭壇画を完成させた。それがフィリッピーノ・リッピの’東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)&#39;である。<br />(注)リッピの東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)&#39;はこちらで。<br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Filippino_Lippi,_Adorazione_dei_Magi,_1496,_01.jpg

    Room #35
    レオナルド・ダ・ヴィンチの未完の大作、’東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)’。
    ベロッキオの工房から独立して依頼を受けた最初の大作であり、レオナルドがフィレンツェ時代に描いたもっとも重要な作品といわれる。
    1481年3月,フィレンツェ郊外のサン・ドナート・ア・スコペート修道院から依頼された祭壇画であるがレオナルドがミラノへ旅立ったため完成されることはなかった。修道院はそれでも10年以上も完成を待ち続けてくれたのであるが、ついにはしびれをきらし14年後レオナルドの友人フィリッピーノ・リッピに依頼し、新たな祭壇画を完成させた。それがフィリッピーノ・リッピの’東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)'である。
    (注)リッピの東方三博士の礼拝(Adoration of the Magi)'はこちらで。
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Filippino_Lippi,_Adorazione_dei_Magi,_1496,_01.jpg

  • Room #35<br />ミケランジェロの聖家族と幼児洗礼者ヨハネ。(1505-1506) <br />彫刻家が本業のミケランジェロの貴重な絵画(トンド)。システィーナ礼拝堂の天井画を描く直前の作品といわれる。<br />

    Room #35
    ミケランジェロの聖家族と幼児洗礼者ヨハネ。(1505-1506)
    彫刻家が本業のミケランジェロの貴重な絵画(トンド)。システィーナ礼拝堂の天井画を描く直前の作品といわれる。

  • Room#42, ニオベの部屋(sala della niobe)<br />ローマ時代の石棺。180AD.

    Room#42, ニオベの部屋(sala della niobe)
    ローマ時代の石棺。180AD.

  • Room#42, ニオベの部屋(sala della niobe)。ローマ時代の彫刻。<br />瀕死のニオベ(の子?)。<br />ギリシャ神話によると、ニオベは女神レトに対して子供が多いことを自慢した(総計14人)。それだけでなくアポロンとアルテミスの姿を馬鹿にして自分の子供たちが優れていると自慢した。このため怒ったレトは、アポロンとアルテミスに彼女の子供のすべてを弓で殺させた。嘆き悲しむニオベの涙はとまらず、故郷のリューディア地方に帰り、シピュロス山でゼウスに願って石に変えられたーWikipediaより。<br />これはニオベの子の一人が弓で射られた瀕死の姿を描いたものであろうか?

    Room#42, ニオベの部屋(sala della niobe)。ローマ時代の彫刻。
    瀕死のニオベ(の子?)。
    ギリシャ神話によると、ニオベは女神レトに対して子供が多いことを自慢した(総計14人)。それだけでなくアポロンとアルテミスの姿を馬鹿にして自分の子供たちが優れていると自慢した。このため怒ったレトは、アポロンとアルテミスに彼女の子供のすべてを弓で殺させた。嘆き悲しむニオベの涙はとまらず、故郷のリューディア地方に帰り、シピュロス山でゼウスに願って石に変えられたーWikipediaより。
    これはニオベの子の一人が弓で射られた瀕死の姿を描いたものであろうか?

  • カプチーノ &amp; ランチ.タイム。カフェテリア.バルトリーニ(Caffetteria Bartolini)<br />ロッジャ・ディ・ランツィの屋上が美術館のテラス+ルーフトップカフェになっている。なのでベッキオ宮殿の塔などもすぐに視界のうち。そこかしこから日本人団体様の日本語会話が聞こえてくる。<br />

    カプチーノ & ランチ.タイム。カフェテリア.バルトリーニ(Caffetteria Bartolini)
    ロッジャ・ディ・ランツィの屋上が美術館のテラス+ルーフトップカフェになっている。なのでベッキオ宮殿の塔などもすぐに視界のうち。そこかしこから日本人団体様の日本語会話が聞こえてくる。

  • ルーフトップカフェから見えるベッキオ宮殿の塔。

    ルーフトップカフェから見えるベッキオ宮殿の塔。

    ヴェッキオ宮殿 城・宮殿

  • Room#64~65<br />ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino)の’エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ’。1545年頃。パネル(木板)に描かれた油彩。<br />エレオノーラ・ディ・トレドはナポリ副王トレド公の王女であり、トスカーナ大公コジモ1世の妻となった人で、黒のアラベスクをあしらった錦織のドレスを着ており、ルネサンスの理想的な女性として描かれている。彼女はコジモ1世と結婚後、11人の子をもうける。ジョヴァンニはそれらの息子の1人であるが、マラリアに罹患し19歳で没する。<br />

    Room#64~65
    ブロンズィーノ(Agnolo Bronzino)の’エレオノーラ・ディ・トレドと息子ジョヴァンニ’。1545年頃。パネル(木板)に描かれた油彩。
    エレオノーラ・ディ・トレドはナポリ副王トレド公の王女であり、トスカーナ大公コジモ1世の妻となった人で、黒のアラベスクをあしらった錦織のドレスを着ており、ルネサンスの理想的な女性として描かれている。彼女はコジモ1世と結婚後、11人の子をもうける。ジョヴァンニはそれらの息子の1人であるが、マラリアに罹患し19歳で没する。

  • Room #83<br />ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)の’ウルビーノのヴィーナス’。ウルビーノ公爵の依頼で描かれたため、この名で呼ばれる。 油彩/カンヴァス。<br />ヴィーナスのポーズはジョルジョーネの’眠れるヴィーナス (Sleeping Venus)’を模倣したものと言われる。これは作成半ばにしてジョルジョーネが他界したため、ティツィアーノが背景等を描いて完成させた作品である。<br />https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Giorgione_-_Sleeping_Venus_-_Google_Art_Project_2.jpg<br />ティツィアーノはこのウルビーノのヴィーナスではさらに官能性を追求した作品に仕上げている。モデルはこの画家と親しい関係にあった高級娼婦アンジェラ・デル・モーロ(Angela del Moro)ではないかといわれている。文豪マーク・トウェインは「全世界に存在する絵画の中で、最も下品で下劣でわいせつな絵画である」と言っているのであるが、下記のリサーチペーパーがその背景をうまく説明しているように思う。<br />https://www.nmwa.go.jp/jp/research/pdf/zephyros_34.pdf<br />抜粋すると、’ルネサンス期のフィレンツェに おけるヴィーナス像は、当時の哲学的な議論を背景にして、慎み深い表現が多かったのですが、 一方ヴェネツィアでは、絵を見る男性の視線を意識した、官能的な女神が登場するようになります。 《ウルビーノのヴィーナス》はその代表的な作例です。ヴェネツィアのなまめかしいヴィーナス像は、その後女性ヌードを描く画家たちにとっての手本となりました’。<br />あ~、そうなのか。勉強になります。

    Room #83
    ティツィアーノ(Tiziano Vecellio)の’ウルビーノのヴィーナス’。ウルビーノ公爵の依頼で描かれたため、この名で呼ばれる。 油彩/カンヴァス。
    ヴィーナスのポーズはジョルジョーネの’眠れるヴィーナス (Sleeping Venus)’を模倣したものと言われる。これは作成半ばにしてジョルジョーネが他界したため、ティツィアーノが背景等を描いて完成させた作品である。
    https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Giorgione_-_Sleeping_Venus_-_Google_Art_Project_2.jpg
    ティツィアーノはこのウルビーノのヴィーナスではさらに官能性を追求した作品に仕上げている。モデルはこの画家と親しい関係にあった高級娼婦アンジェラ・デル・モーロ(Angela del Moro)ではないかといわれている。文豪マーク・トウェインは「全世界に存在する絵画の中で、最も下品で下劣でわいせつな絵画である」と言っているのであるが、下記のリサーチペーパーがその背景をうまく説明しているように思う。
    https://www.nmwa.go.jp/jp/research/pdf/zephyros_34.pdf
    抜粋すると、’ルネサンス期のフィレンツェに おけるヴィーナス像は、当時の哲学的な議論を背景にして、慎み深い表現が多かったのですが、 一方ヴェネツィアでは、絵を見る男性の視線を意識した、官能的な女神が登場するようになります。 《ウルビーノのヴィーナス》はその代表的な作例です。ヴェネツィアのなまめかしいヴィーナス像は、その後女性ヌードを描く画家たちにとっての手本となりました’。
    あ~、そうなのか。勉強になります。

  • 回廊から望むアルノ川とポンテ・ヴェッキオ。

    回廊から望むアルノ川とポンテ・ヴェッキオ。

    ヴェッキオ橋 建造物

  • Room #90<br />カラヴァッジオの’メデューサ’(1597) <br />バロック期を代表するミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作。油彩。キャンバスを貼った木製の凸状の盾板(ポプラ材)に描かれた非常に珍しいもの。<br />テーマはギリシア神話の英雄ペルセウスによって首を切り落とされ、彼女の頭髪である9匹の蛇がとぐろを巻きながら絡み合い、鮮血滴るメドゥーサの首である。一度見たら忘れられないほどの迫力ある作品である。<br />カラヴァッジョはメドゥーサを2点作成しており、1点は個人所有、そしてもう1点がこのウフィツイ美術館所有のものである。メドゥーサの顔はカラヴァッジョの自画像とされている。

    Room #90
    カラヴァッジオの’メデューサ’(1597)
    バロック期を代表するミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ作。油彩。キャンバスを貼った木製の凸状の盾板(ポプラ材)に描かれた非常に珍しいもの。
    テーマはギリシア神話の英雄ペルセウスによって首を切り落とされ、彼女の頭髪である9匹の蛇がとぐろを巻きながら絡み合い、鮮血滴るメドゥーサの首である。一度見たら忘れられないほどの迫力ある作品である。
    カラヴァッジョはメドゥーサを2点作成しており、1点は個人所有、そしてもう1点がこのウフィツイ美術館所有のものである。メドゥーサの顔はカラヴァッジョの自画像とされている。

  • Room #90<br />カラヴァッジオの’イサクの犠牲’(1603) <br />カラヴァッジオはあたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現をもって、バロック絵画の形成に大きな影響を与えた画家である。カラヴァッジョの作品から近現代絵画は始まったとも言われている。しかし私生活はかなりハチャメチャな男であったようだ。

    Room #90
    カラヴァッジオの’イサクの犠牲’(1603)
    カラヴァッジオはあたかも映像のように人間の姿を写実的に描く手法と、光と陰の明暗を明確に分ける表現をもって、バロック絵画の形成に大きな影響を与えた画家である。カラヴァッジョの作品から近現代絵画は始まったとも言われている。しかし私生活はかなりハチャメチャな男であったようだ。

  • Room #90<br />カラヴァッジオのバッカス。1598年<br />モデルはカラヴァッジョのローマ時代の弟分、シチリア出身のマリオ・ミンニーティ(Mario Minniti、1577-1640)。彼はカラヴァッジョの初期の絵によく登場する豊頬の美少年でカラヴァッジョの愛人でもあったといわれている。

    Room #90
    カラヴァッジオのバッカス。1598年
    モデルはカラヴァッジョのローマ時代の弟分、シチリア出身のマリオ・ミンニーティ(Mario Minniti、1577-1640)。彼はカラヴァッジョの初期の絵によく登場する豊頬の美少年でカラヴァッジョの愛人でもあったといわれている。

  • Room #91<br />ユストゥス・サステルマンス(Justus Suttermans )の&#39;コジモ2世、その妻オーストリア出身のマリア・マッダレーナ、息子フェルディナンド2世の肖像(Cosimo II with Maria Maddalena of Austria and Ferdinando II ) 油彩。

    Room #91
    ユストゥス・サステルマンス(Justus Suttermans )の'コジモ2世、その妻オーストリア出身のマリア・マッダレーナ、息子フェルディナンド2世の肖像(Cosimo II with Maria Maddalena of Austria and Ferdinando II ) 油彩。

  • 地下のトイレ。ローマ時代の遺跡の一部が見える。

    地下のトイレ。ローマ時代の遺跡の一部が見える。

  • そして盛沢山のウフィツイ美術館を後にする。目の前はフィレンツェの原点ともいえるシニョリーア広場(Piazza della Signoria)だ。ミケランジェロのダビデ像(コピー)が広場を睥睨する。<br /><br />

    そして盛沢山のウフィツイ美術館を後にする。目の前はフィレンツェの原点ともいえるシニョリーア広場(Piazza della Signoria)だ。ミケランジェロのダビデ像(コピー)が広場を睥睨する。

    シニョリーア広場 広場・公園

  • ジャンボローニャのコジモ1世騎馬像。

    ジャンボローニャのコジモ1世騎馬像。

  • 後ろ姿もなかなか素敵なバンディネッリのヘラクレスとカクス(Bartolommeo Bandinelli&#39;s Hercules and Cacus)。手前の手のない女性像は身元不明。<br />右はメドゥーサの首を持つペルセウス(Perseus With the Head of Medusa)。

    後ろ姿もなかなか素敵なバンディネッリのヘラクレスとカクス(Bartolommeo Bandinelli's Hercules and Cacus)。手前の手のない女性像は身元不明。
    右はメドゥーサの首を持つペルセウス(Perseus With the Head of Medusa)。

  • ロッジア(Loggia dei Lanzi)南東の最も目立つ場所に立っているペルセウス像(Perseus with the head of Medusa)。1500年代。ベンヴェヌート・チェッリーニ( Benvenuto Cellini)作。ギリシャのセリポス島に住んでいたペルセウスは怪物の魔女メドゥサを退治し、その帰途、エチオピアの王女アンドロメダを海の怪竜から救って妻とした。この像の制作を依頼したのはコジモ1世でペルセウスが掲げているメドゥサの首は反逆した政敵らの運命を暗示警告する意図があったと言われている。<br />

    ロッジア(Loggia dei Lanzi)南東の最も目立つ場所に立っているペルセウス像(Perseus with the head of Medusa)。1500年代。ベンヴェヌート・チェッリーニ( Benvenuto Cellini)作。ギリシャのセリポス島に住んでいたペルセウスは怪物の魔女メドゥサを退治し、その帰途、エチオピアの王女アンドロメダを海の怪竜から救って妻とした。この像の制作を依頼したのはコジモ1世でペルセウスが掲げているメドゥサの首は反逆した政敵らの運命を暗示警告する意図があったと言われている。

  • 同じくランツィのロッジア(Loggia dei Lanzi)。<br />ジャンボローニャのサビニの女たちの略奪(Giambologna&#39;s The Rape of the Sabine Women)。こちらが大理石の最終版で、アカデミア美術館にあるのは(左の画像)はその最終版練習用に作成された 1:1 のスケールの石膏モデル。<br />この最終版のほうは何と単一の大理石の塊から彫りだしたものであり、ジャンボローニャの最高傑作とされている。<br />このあと、同日のアカデミア美術館編に続く。

    同じくランツィのロッジア(Loggia dei Lanzi)。
    ジャンボローニャのサビニの女たちの略奪(Giambologna's The Rape of the Sabine Women)。こちらが大理石の最終版で、アカデミア美術館にあるのは(左の画像)はその最終版練習用に作成された 1:1 のスケールの石膏モデル。
    この最終版のほうは何と単一の大理石の塊から彫りだしたものであり、ジャンボローニャの最高傑作とされている。
    このあと、同日のアカデミア美術館編に続く。

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