興聖寺(旧秀隣寺庭園)
公園・植物園
3.28
興聖寺(旧秀隣寺庭園) クチコミ・アクセス・周辺情報
高島 観光 満足度ランキング 11位
興聖寺の境内にあり、昭和10年に国の名勝指定を受けている庭園です。もともと、16世紀の半ば、相次ぐ武将たちの反乱に追われた室町幕府の第12代将軍足利義晴、そして第13代義輝が、朽木氏を頼って数年間滞在した居館の庭園です。秀隣寺は、のちに他の地に移され、江戸時代に朽木氏の菩提寺である輿聖寺がこの地に移されて、現在にいたっています。朽木一族を始め佐々木一族・京極高秀や浅井亮政、浅倉孝景等の協力で、管領細川高国が将軍を慰めるために贈ったといわれています。安曇川の清流と比良山系を借景として、西側の築山に石を利用した滝をしつらえ、屈曲した汀線を持った池に仕上げています。池には、2つの鶴亀島を置き、楠の化石の石橋が対岸の出島に架けられています。細川高国の代表作であり、旧秀隣寺庭園とも呼ばれます。
クチコミ・評判
1~6件(全6件中)
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庭園は工事中でしたが、寺域全体が赤と黄の紅葉で美しかった。
- 4.5
- 旅行時期:2021/11(約4年前)
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大河ドラマの放送後のミニ番組で存在を知り庭園目当てで行きましたが2022年初夏まで工事中で残念でした。庭園も見れれば5点... 続きを読むでした。
安曇川駅から朽木行バスで終点下車。そこから国道沿いの道は車が多く歩道もないので往路は歩いていて排気ガス(窒素酸化物)が不快でした。復路は裏道を寺で教えてもらい歩いていて快適でした。(投稿写真5枚目)
バス終点の朽木学校前からは裏道をお薦めします。
邇々杵神社の多宝塔を見学後に興聖寺に行きました。庭園は残念でしたが、それ以外の寺域全体が赤と黄の紅葉で非常に美しく魅了されました。
同月に丹波の紅葉の名所:高源寺で失望したのですが、こちらの紅葉は予想以上に素晴らしかったです。単色でないのが良いです。
庭園の工事が終わった緑のきれいな時期に再訪したいです。 閉じる投稿日:2022/08/06
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幽玄な庭園
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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朽木の名刹 丁寧に案内していただきました
- 3.5
- 旅行時期:2020/06(約6年前)
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鯖街道にある足利庭園 借景と枯山水が素晴らしい
- 5.0
- 旅行時期:2017/12(約8年前)
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鯖街道朽木宿の高厳山興聖寺は嘉禎3年(1237年)近江の守護佐々木信綱が曹洞宗開祖道元禅師に願い出て建立、仁治元年(12... 続きを読む40年)遷仏式が行われた永平寺の末寺。西近江の宗派を統括する総禄所でありました。佐々木信綱は宇多天皇の直系(とも寺伝に書かれているが)、晩年この地に入り隠棲、高野山で没しています。曾孫の義綱より朽木氏に改め廃藩置県まで1万石の大名だったそうです。
室町幕府十二代将軍足利義晴が三好松永の乱を避け朽木氏を頼り三年間、十三代将軍義輝は細川幽斎を従えて六年半それぞれこの地に滞在した。その時、細川幽斎は熊川城主の沼田光兼の娘・麝香(じゃこう)と結ばれる。幽斎も相当な趣味人だったらしく和歌・茶道・連歌・蹴鞠等の文芸を修め、さらには囲碁・料理・猿楽などにも造詣が深く、今の十八代当主細川護熙もその血筋をひいているのでしょうか。
興聖寺に十二代足利義晴が滞在した期間、将軍を慰めるために銀閣寺の庭園を基に造られたのが旧秀隣寺庭園です。「近江には、人に知られていないが、名園が多い」と「かくれ里 石をたずねて」で白洲さんが紹介している庭園です。「安曇川の渓流をへだてて、比良山が眺められる。今は少々荒れているが妙に手のこんだ庭園より、石組みも自然で、気持ちがいい。」と云うように素朴な石と借景が素晴らしい庭園です。 閉じる投稿日:2018/01/02
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散り紅葉と庭園
- 4.5
- 旅行時期:2011/11(約14年前)
- 1
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朽木の風景を取り入れた借景庭園
- 3.0
- 旅行時期:2011/06(約15年前)
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1件目~6件目を表示(全6件中)
基本情報(地図・住所・アクセス)
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