2024/04/04 - 2024/04/04
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Reiseさん
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岐阜城の麓にある織田信長居館跡は圧巻でした。
もう建物はありませんが、発掘の調査が行われ、その建物の詳しい様子がわかってきていて、詳しい説明がありました。
CGの予想図もあり、わかりやすく、興味深いです。
もともと斎藤道三の館のあったという場所で、斎藤道三の時代の石垣も残っています。
濃姫の部屋も再現されたCG画もあり、とてもゴージャスでした。
金の瓦も出土しており、織田信長の建物に対して、強いこだわりがあることが伝わりました。
やがて、安土城の建築も着手しますが、ここでのお城や居館の建設がのちの安土城の築城にも大きく影響していたのだと感じました。
岐阜市歴史博物館は岐阜の古墳という特別展がありました。
2階には戦国時代を中心として、織田信長の生涯がわかるビデオや楽市場の様子が再現されているコーナーがあり、衣装なども使い撮影ができるコーナーもありました。
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岐阜城の見学を終えて麓にもどってきました。
麓には信長が館を構えた場所があります。
もともと、斎藤道三の館もあったところで、その後信長が大改修しています。 -
門をくぐってなかへ。
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大きな案内板がありました。
館跡は発掘をされて、様子がよくわかってきています。 -
イチオシ
館の様子はこのようであったと考えられています。
壮大な館です。
CGを使って。 -
イチオシ
金の瓦も出土しています。
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建物の居室などの場所に案内板があり、わかりやすい。
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入口には大きな列石が並んでいたそう。
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入口付近。
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左下の写真に当時の様子が描かれています。
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発掘されたところ?ビニールシートで追われています。
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石垣も当時のものでしょうか。
小さめの石が巧みに重なっています。 -
斎藤氏の時代の石の階段も残っているようです。
発掘でわかったことは、稲葉城(岐阜城)を織田信長が攻め落とした際に、
この屋敷あたりに火災があったこと。
館の地形は斎藤氏の時代のものを継承したようです。 -
斎藤氏時代の石段?
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庭園も素晴らしかったようで、庭園の上に金の瓦の建物、、
おそらく濃姫の部屋ではなかったか、といわれています。
庭園の池の石も色とりどりだったそう。 -
中心的な建物、宮殿があったところ。
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建物はないけれど、想像がふくらむ。
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この辺りは庭園の池があったあたり?
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おもてなしの館、、美しい庭園だったはず。
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庭園の上の緊迫の瓦の建物は、濃姫の住まいだったのでは、、、ということです。
ルイス・フロイスなどの記録からも考えられます。 -
イチオシ
濃姫の住まいも豪華です。
金づくしですね。 -
いまは、建物もなく、広場が広がります。
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石段のような物は残っています。
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橋もかかっていたようです。
壮大なスケールの館。 -
茶室も。
こだわりのある館。 -
今は夢のあとです。
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山からの水も流れて、
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細い川もできていました。
山の麓の地形をうまく利用して、美しさを追求した館なのだとわかりました。 -
公園にある庭園。
趣ありました~ -
イチオシ
居館の跡や博物館、広い公園になっています。
その中の庭園もみごとで。 -
お城の井戸もここにもありました。
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山内一豊の婚礼の場所も、美濃だったのですね~。
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美しい日本庭園でした。
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桜も本当にきれいで。
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可愛い種類の桜ですねぇ~。
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イチオシ
思わず、何枚も写真撮ってます。
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広い公園です。
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天下布武、、岐阜で、織田信長の天下統一に向けて、夢と希望に満ちていた時期ではないだろうか、、とおもいました。
館も豪華を尽くし、その権威を見せつつ、客をもてなす工夫もそつなく、
細かなことに気を配る人だったのかなぁ~。 -
公園のなかの、居館跡入口付近にあったのが、板垣退助の像です。
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説明板もありますが、演説を終えて宿舎に戻ろうとしたところを襲撃されたようですが、その時に叫んだといわれている一節は有名。
「板垣死せども自由は死せず」 -
吉田茂の揮毫もあり、
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石碑もあります。
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ちょっと見落としそうな場所にありました。
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岐阜公園、、ひろいですねぇ~。
1日のんびりできそう。 -
ここでお団子も食べようか〜と話していましたら、博物館から出てきたときもう閉まってました。
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抹茶もいただけるようなところもありました。
ここも行きたかったなぁ~。←夫と行動するときは、お互いに、、多々制限があり。^^; -
樹々に囲まれた洋館がありました。
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現存する日本最古の昆虫専門の博物館だそうです。
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孫を連れてきたいなぁ~
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建物の雰囲気もよいですねぇ~
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近くにある噴水もよく見ると、レトロ。
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岐阜市歴史博物館へ。
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岐阜の古墳という特別展がありました。
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エントランス
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美濃でみられる古墳の形や分布。
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鏡の出土。
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装飾品。
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土器の数々。
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鳥の形の装飾も技術が。
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細やかな金の装飾も出土していました。
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こちらも装飾品。
それぞれの古墳からの出土品の展示でした。 -
二階に上がります。
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ココカラは、岐阜の歴史。
主に戦国時代を中心としています。
写真撮影は三カ所ほどと決まっています。
見どころは、織田信長の生涯を描いた「天下鳥瞰絵巻」(ビデオ)で、迫力がありました。
あと、信長時代の宅市場な町屋を原寸大で再現した「戦国立体図鑑」では
着つけなども体験ができるコーナーがありました。 -
戦国ワンダーランド。
こちらは撮影可能でした。
信長の商業政策、楽市場の様子がよくわかります。 -
イチオシ
楽市場の様子が実寸大で再現。
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当時の遊び、双六なども体験できます。
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こちらは塩屋のようでした。
奥にいる人は宣教師? -
こちらは衣裳を体験できるコーナー。
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イチオシ
綺麗な着物、、体験すればよかった、、、
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魚屋さん。
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そして、興味あったのが、こちら。
織田信長がお客さんのために用意したという料理。 -
イチオシ
記録が残っているのですねぇ~
栄養バランスが良いように思えました。 -
お酒なども、信長が自ら運んだそうです。
お客さんを接待し、ご機嫌な信長の様子が想像できます。 -
美濃紙も特産品。
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お店の様子。
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こちらは伝統の特産品。
美しい~ -
和傘も特産なんですね~
原始時代から現代まで、岐阜の歴史資料が展示されていました。 -
外に出ます。
山の上に、そびえたつお城。 -
公園を出る時、こんな建物もありましたが、閉まっていました。
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信長居館の発掘調査の案内所とありました。
見てみたかった、、、残念です。 -
お昼、、愛知の親戚を訪ね、美味しいひつまぶしのお店を聞いたので、
行ってみました。 -
御主人が一人で調理されていました。
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ひつまぶし、、、久々です。
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うなぎの皮はぱりぱり、、身はふっくら。
タレも甘辛くて、とても美味しかったです~。
お出汁をかけても、また美味しかった、、。
また行きたいな。。^^
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- Decoさん 2024/04/15 21:09:50
- 信長居館跡
- Reiseさん、こんばんは。
岐阜さんぽ、前後編の旅行記、力作ですね。
お城から居館跡まで岐阜城について詳しくわかり、またイメージすることができました。
特に居館跡が強く印象に残りました。ルイス・フロイスが豪壮な館と記録したことは知っていましたが、これほどまでに華麗な建物だったとは。自然の地形を利用して、複雑な構成。庭園に眺望…。ルイス・フロイスには地上の楽園だったのでしょうね。
信長といえば南蛮趣味のようなイメージを持っていましたが、”岐阜”という名称や、居館からして、この頃は中国の文化を強く意識していたのでしょうか(ちょっとだけ、那覇の福州園を思い出しました)。後に宣教師などと接触してから南蛮文化に系統していったのかな~と思いました。ただ、共通数するのは異国の文化に目を向けて新しいものを取り入れるところかも知れません。
随分前のことですが、私も岐阜城を訪れたことがありますが、居館跡は行っていないのです。その頃はまだ整備されていなかったのか、それとも私が見落としていただけなのか。居館跡を復元したら、見ごたえあるでしょうね(お金も随分かかりそうではありますが)。
ひつまぶし、美味しそうで…見ていてお腹が減ってきました(^^ゞ
Deco
- Reiseさん からの返信 2024/04/16 05:30:33
- お便りありがとうございます。
- Decoさん
おはようございます。
いつもありがとうございます。
私は実は戦国時代にはあまり興味がなくて、それほど熱心に行く気もなかったのですが、行ってみると、面白い発見がいろいろあって、結局楽しんできました。
Decoさんはご存知だったのですね、ルイス・フロイスが絶賛していた信長の居館と岐阜城、、、さすがです。
私は知りませんでした。(恥)
しかも、岐阜城の麓にこんな立派な館を造っていたことも、、。
たぶん、Decoさんが行かれたころは、まだ居館跡の発掘が始まっていなかったのではないでしょうか、、。
いまも、発掘は続いているのか、シートもかぶせられ、保護されていました。
全く建物が残っていないので、ここでは想像を働かせるしかないのですが、
あのCGをみると、そこには壮大な館が構えられていたことがよくわかります。
つくづく、CGって、便利ですねぇ〜。
おっしゃるとおり、自然の地形を利用して、工夫をこらした館ですよね〜。
濃姫の居室も豪華絢爛で、大切に扱われていたのだということがわかります。
茶室など、お客さんを招くことをとても大切に考えていたことも意外でした。
信長というと、冷酷で、短気、怖い戦う人、、というイメージがありましたが、
ルイス・フロイスの記録によると、自ら配膳も行い、お客さんをもてなすという
意外な面があり、面白いと思いました。
人を楽しませるのが好き、、という一面もあるのでしょうか、、
おっしゃるとおり、館が復元されると良いですよね〜。
あの規模の何分の一でもよいから、全体が復元されるものがあったら、もっと
わかりやすいとおもいました。
お城も素晴らしいですが、それにも増して、私達はこちらの居館跡のほうが、
心に残りました。
国の統一は成し遂げられませんでしたが、それを夢見て、希望いっぱいの
岐阜での生活、もちろんその間も戦いは続いていたのでしょうが、
ここでの優雅な生活、異国の文化への憧れもあり、充実していた時期ではないかとおもいました。
戦いつつも、信長にとって、穏やかな時間の時ではなかったかと、、
楽市場の発展や城下町の形成、現実的な統治もしつつ、自らの生活や趣味にもこだわりがあった信長の一面がよくわかりました。
ひつまぶし、、久々に、堪能しました。
ご主人が一人で切り盛りされている、レトロなお店でした。
懐かしい雰囲気でした。
Reise
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