2024/04/04 - 2024/04/04
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hijunoさん
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夫の希望で、岐阜城へ。
難攻不落のお城、美濃を制するものは天下を制する、、、といわれる岐阜城。
金華山の険しい地形に建てられたお城、ロープウェーを使って行きました。
麓には織田信長が斎藤氏の居館を大改修した居館の跡があります。壮大なスケールで、その様子は説明板などからもわかりますが、ルイス・フロイスも絶賛としたといわれます。
お城は岩山にそびえたつお城でした。
中は展示室になっていて、信長の岐阜城を中心に天下統一を目指していた
様子がわかりやすく説明されていました。
9年間の間に、荒廃した城下を立て直すために楽市楽座を奨励したり、
ルイス:フロイスなど宣教師を招き、世界へのつながりも求めていた現実下きな信長の現実的で、前進的な考え方、また人をもてなすというサービス精神もわかり、また信長の違った一面がわかりました。
この岐阜での9年は次の安土城に向けての希望に満ちた時間だったのではないか、、と感じます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
公園の側に車を停めます。
岐阜へ来たのは多分、初めて!!
色々見どころがありそう。楽しみです。 -
岐阜城ははるか山の上に。
-
桜も満開になっていました。
今年は開花が遅かったけれど、そんなときは一気に散ってしまう、、と
聞いたことがあります、、ほんとかな。 -
ロープウェー乗り場へ。
岐阜城のある金華山、山頂まで乗ります。 -
ハイキングコースにもなってました。
歩いて登ることもできるようです。
水手道と呼ばれて、かつて登城に使われていた道だそうです。 -
斎藤家の家紋かな、、
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マリア像が見えましたが、こちらは母は尊しという像だそうです。
岐阜は日本のへそ、、と呼ばれるところ。
それにちなんで、へその緒の処分に困っている人に向けて、台座にへその緒を入れるようになっているそうです。
母の塔。 -
美術館もありました。
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ロープウェー乗り場へ。
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15分おきに出発するようです。
平日とはいえ、結構な人の賑わいで、行列ができます。
待っている間、説明板があって、戦国時代の説明をみました。 -
斎藤道三の父からの年表、わかりやすいです。
戦国時代、うかうかしていると下剋上、厳しい時代です。
自らが滅ぼされないように、必死に戦う時代。 -
複製ですが、斎藤義龍や斎藤道三の書状もありました。
ちょっとしたミニ博物館。 -
かつての、お城と居館の様子。
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ロープウエーから見える、山麓の三重の塔。
緑の山に赤い塔が美しい。
大正天皇の即位を祝う事業として建立されたもの。
高さは約22m。
100年が経過したところで、平成には大修理が行われています。 -
山頂に到着。
レストランもあります。 -
階段を上ります。
かなり登っていくんだろうなぁ~と覚悟。 -
お城の石垣や庭園にも使われていたという、岩石チャート。
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街並みが小さく見えます。
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一の門の跡もあります。
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歴代城主がずらり。
斎藤道三は三代目だったのですね。 -
年表。
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馬場のあと。
このあたりに馬をつないでお城に入ったようです。 -
日本遺産なのですね~。
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手すりもあり、歩きやすく、石畳もコンクリートで。
ですが、きつい急こう配。^^; -
堀切、切通といわれる設備。
中世の山城ではよくあったらしい設備です。
いつもある堀を掘って、いつもは橋をかけ、
非常ににはその橋を切り落とし、敵の侵入を防ぎます。 -
やっと、二の門、下台所、、
あともう少しです。 -
閻魔堂があります。
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城をめぐる戦いの戦没者の慰霊のための塔のようです。
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小さな縁結び神社もありました。
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下台所の説明があります。
以前、フロイスが訪寝たとき、大きなざしきがあり、領主の子供で、12歳から15歳の100人ほどの人が居たとあります。
大きな建物だったのですね~。
右の古都は江戸時代のお城の様子。 -
イチオシ
天守が見えてきました。
岐阜城、もとは稲葉山城といわれていました。
1567年に織田信長がお城を攻略、井の口という名前を岐阜に改めて、
この地から天下統一が始まります。
現在の天守は昭和31年に建てられたものです。 -
行きませんでしたが、井戸の跡もあるようです。
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岐阜の街がはっきり。
春か遠くの山々も。 -
関ヶ原はどちらの方角だろう~。
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イチオシ
端正な姿のお城です。
標高約329mの山に建っているお城。 -
注意書きが。
下山の道のようですけれど、きついようです。
体力のない方はご遠慮ください、、、と。
さすが、難攻不落のお城です。 -
発掘の様子も写真で説明がありました。
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下のほうの石垣も見つかり、さらに円礫という庭を造る時に用いられる平らな石やお皿なども見つかったようです。
ここでも、お客をもてなす庭園があったのですね~。 -
天守、下から見上げます。
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山上の石垣も大きな石が使われていたようで、城主の権威を示していたようですが、この急な勾配のお城に巨石を運ぶのも大変だったと思いますが。
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お城入口に和時計がありました。
その下には耐震についての注意書きがあります。読みましたら、ちょっと
怖くなりました。。。
やはり、山城、とくに地震の際は危険もあります。 -
和時計の説明。
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入口に岐阜城の説明。
鎌倉時代の1201年に二階堂氏が砦を造ったことが始まりで、その後斎藤道三の時代にお城を修築、城主も子の斎藤義龍、孫の龍興となります。
1567年には織田信長が斎藤龍興を破り、城主となり、それまでの呼称の稲葉城から岐阜城に改めます。
城下町の整備や楽市場の保護などで商業も発達していきます。また、信長はこの時代に「天下布武」の印を用いて、天下統一に向かいます。1569年にはルイス・フロイスも訪れてお城の荘厳さを褒め称えていたようです。
信長のあとは、織田信忠が城主に、その後関ヶ原の戦いの際には西軍に属したために、福島正則や池田輝政に攻め込まれ落城、池田輝政も城主となっていますがその後、廃城となって、天守や櫓は加納城へ移築されました。
明治には模擬の天守もできたそうですが、昭和に火災により焼失しています。 -
お城の入ると、展示室になっていました。
織田信長は井の口という名前を改め、岐阜という名前にしたそうですが、
その由来は様々な説があるよう。
名前を岐阜と改め、ここを拠点にして天下統一に向かいます。
意気込みが感じられます。 -
戦いで荒廃した城下町を立て直すために、様々な策を用います。
信長と言えば、、楽市楽座です。
現実的な人だと感じます。 -
複製ですけれど、札もありました。
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レプリカですけれど、黄金の織田信長像もありました。
駅にあるんですねぇ~みてみたい。 -
鵜飼も復興させています。
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写真が切れてしまいましたが、おもてなしの精神の信長の一面があります。
公家や茶人、商人、宣教師たち、彼らを招いて心づくしのおもてなしをしたことが記録に残っています。
信長というと、冷たい、冷酷に戦う人、というイメージもありますが、反面
人を歓待して喜ばしたりという温かな面もあったのですね~。 -
城下町を9年にわたって統治。
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岐阜城の年表。
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イチオシ
これは、信長の居館のイメージのもの。
立派な館があったのですね~。 -
織田信長の居城の歴史も詳しく。
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ルイス・フロイスも、宮殿と絶賛していた信長の居館。
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難航不落のお城。
険しい山の上にあります。 -
イチオシ
こちらも複製ですが、
居館のあとから出土した金の瓦。
豪華な館であったことがうかがえます。 -
戦国時代、このような立派な居館は珍しいそうです。
信長の美意識の高さ。 -
この岐阜城から、建物に対しても高い意識が生まれ始めたのでしょうか、、、
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その後安土城の築城も始まり、ここが最後の居城となり、理想のお城の集大成、、
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イチオシ
織田信長の肖像彫刻の複製がありました。
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信長は世界へも視野を広げていきます。
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宣教師のルイス・フロイスも岐阜には9日間滞在したそうですが、
信長のみならず、家臣にも歓待され、その記録は残っています。 -
天守の最上階に来ました。
天井には美しい画。 -
外も一周回れるようになってます。
風が強い~。
城下が一望。 -
イチオシ
長良川が美しい~
関ヶ原はどのあたりかな、、 -
イチオシ
低い山々。
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天下をとったような気分~
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下に降ります。
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裏手にも登城の道が。
関ヶ原の戦いで池田輝政はこのあたりの道から攻め込んだとも。 -
岩山のごつごつした道。
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小さなお社があり、
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岩山の上に建っていることを再認識。
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お城の一段したのあたり、小さな資料館がありました。
岐阜城資料館。
お城入場のチケットがあると入れるようです。
このあたり、元々、倉があったようで、食料の米や味噌などを貯蔵していたようです。 -
イチオシ
ドラマの中の斎藤道三。
もっくんが演じていたのですね。。
イケメン風です。 -
ドラマの中で、斎藤道三の用いていたかぶと。
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当時の衣裳。
織田信長と明智光秀。 -
面白い写真が撮れるコーナーがあって、
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イチオシ
信長がフロイスに言ったことば
「美濃へななんどでも来られよ」
1階のみの小さな資料館でした。 -
資料館が終わり、ロープウエー乗り場へ向かいます。
石垣、崩れそうなところもあって、 -
古い時代の石垣のよう。
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こんな山の上に石垣も運び、どんなに重労働だったのだろう、、、。
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水は大切。
本丸の井戸もありました。 -
ごつごつとした岩の上に優雅なお城。
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イチオシ
ここがベストショットだとおもいました。
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やはり、崩れそう。
網で保護していました。 -
このあたりで、ひと休みします。
太鼓櫓のあったところらしいです。
ここから敵の侵入を防いだ場所。 -
甘いものが食べたくなりました。
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外のテラスで。
ここも見晴らし抜群です。 -
気持ち良いです~。
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ソフトクリームも美味しかった、、
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熱々のワッフル。
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リス村というところもあります。
孫を連れてくると喜びそう。 -
帰りのラクラクのロープウエー。
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15分おき。
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前のほうに立ちますが、けっこうスリルですね、、
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降りたところはお土産物コーナー。
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小さなお土産を買いました。
ういろ~大好きです。 -
昆虫館もあるのですね、、確か、日本最古の建物とか、、
こちらも孫を連れてきてみたい。
続いて、織田信長居館の跡と岐阜市歴史博物館へ行きます。
最後までお読みいただいてありがとうございます。^^
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この旅行記へのコメント (2)
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- sukecoさん 2024/04/12 11:51:26
- 難攻不落!
- Reiseさん、こんにちは♪
岐阜城が難攻不落のお城なのが、ジオラマを見ただけでわかりましたー。
あれだけ険しい山を登っていかなければならないとなると・・・。
でも、天守閣からの眺めは最高ですね。
天下を取った気分になれます♪。
信長の居館のイメージ、ホント豪華ですね。
興味深く、拝見させていただきましたー。
建物が個性的なんですよねー。
さすが、信長!!って感じがします(笑)。
休憩時の「imo kuri」ワッフル、そちらも興味津々です♪。
芋や栗の風味なのですかー?!。
続きも楽しみにしています♪
sukeco
- hijunoさん からの返信 2024/04/12 19:59:11
- いつもお便りありがとうございます。
- sucekoさん
こんばんは!
そうなんです〜あんな岩山の上に、よくお城を築けますよね〜。
天守の一番上のところからの眺めはとてもよくて、一望見渡せました。
風も強い日で、ちょっと怖いくらいでした。外回りも1周できないという臆病さです。笑
信長の館跡も、説明がとても面白くて、その館の建物の様子が想像されて
信長の建物へのこだわりが興味深かったです。
美のセンスがあった人だったのでしょうね〜。
信長が理想とした天下統一への熱い想いが伝わってくるようです。
この岐阜には信長の夢や希望が詰まっていたように思えました。
あの本能寺の変がなくて、そのまま織田信長の世が続いていたら、どうなっていたのだろう〜とも想像したりして、、。
あのワッフルはおっしゃるとおり、お芋と栗のクリームが入ってました。
熱々でした。
なんだ、かんだと、甘いものに手を出して、、、反省です。^^;
お腹もいっぱいだったのに。
いつもお便り、ありがとうございます。^^
Reise
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