金沢城公園
公園・植物園
3.69
金沢城公園 クチコミ・アクセス・周辺情報
金沢 観光 満足度ランキング 17位
加賀藩前田家の居城跡につくられた金沢城公園。広い公園内での見どころは2001年に復元された菱櫓(ひしやぐら)、五十間長屋(ごじっけんながや)、橋爪門続櫓(はしづめもんつづきやぐら)。古絵図や古文書などをもとに当時の姿を忠実に再現された建物は必見です。池と石垣によって独創的な景観を創り出した「玉泉院丸庭園」ではゆったりと庭園散策が楽しめます。「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わってみてください。毎週金・土曜、祝日の前日には夜間も開園していて、幻想的にライトアップされた風景を鑑賞できます。 【料金】 大人: 320円 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(9:00~16:30) 高校生: 100円 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(9:00~16:30) 中学生: 100円 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(9:00~16:30) 小学生: 100円 菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓(9:00~16:30) 備考: 入園料:無料(河北門)
ピックアップ クチコミ
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満足度の高いクチコミ
広さもあり散歩に最適
4.0
- 旅行時期 2025/09
- by みやびんさん
金沢城跡を中心として庭園や広い敷地を持つ公園ですが、いくつもある門はだいたい内部見学もできますし、それらを見てまわるだけで... 続きを読むも一時間以上はかかるほどの広さなので、朝の散歩にはちょうどいいと思います。訪問客も多いほうだとは思いますが、とにかく広いおかげで混雑しているようには全く感じられないので、いつでも広々とした空気を感じられる良い公園という印象です。国の史跡に指定されているだけのことはあると思います。 閉じる
クチコミ・評判
3.69
(67件のクチコミ)- アクセス:
- 3.74
- 「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で下車し「兼六園桂坂口」まで徒歩3分240m by Lily-junjunさん
- 人混みの少なさ:
- 3.76
- 平日そして公園内は非常に広いので、喧騒は全く感じられませんでした。 by Lily-junjunさん
- バリアフリー:
- 3.22
- 坂道や階段が随所にある by 安宿探求所さん
- 見ごたえ:
- 3.97
- 枝垂桜が美しい by ブルーフォトトラベラーさん
1~20件(全67件中)
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無料で内部見学できる門が多数
- 4.5
- 旅行時期:2025/06(約6ヶ月前)
- 0
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金沢城公園はきれいで静かでした
- 3.5
- 旅行時期:2025/03(約9ヶ月前)
- 0
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石川門口から
- 4.0
- 旅行時期:2025/02(約10ヶ月前)
- 0
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加賀百万石ですね
- 5.0
- 旅行時期:2024/10(約1年前)
- 2
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復元された見事な美しさ
- 4.0
- 旅行時期:2024/09(約1年前)
- 0
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早朝がお得
- 4.0
- 旅行時期:2024/07(約1年前)
- 0
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加賀百万石の象徴。能登地震で石垣が崩れた箇所も。
- 5.0
- 旅行時期:2024/06(約2年前)
- 0
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すっかり憩いの場所になっています
- 4.0
- 旅行時期:2024/05(約2年前)
- 0
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金沢城は、金沢観光の代名詞であり、江戸時代のまま現存しているのや最近再建された建築物など見どころが数えきれないほどあります。
- 4.0
- 旅行時期:2024/03(約2年前)
- 0
「金沢城」(金沢城公園)の概要と歴史を紐解いてみると、「金沢城」は、もともと「尾山御坊(金沢御堂)」という浄土真宗の寺院が... 続きを読むありました。「金沢城」は、加賀藩初代藩主「前田利家」の居城で、天正11年(1583年)に「前田利家」が「金沢城」に入り、その直後から本格的な城づくりが始められました。築城にあたっては、キリシタン大名として知られる「高山右近」を招き、その指導を仰いだと伝えられているそうです。そこから前田家の歴代藩主の居城となり、約290年間繁栄しました。「金沢城」は、度重なる火災、特に、宝暦9年(1759年)の火災では、「金沢城」のほとんどを焼失しました。その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした整備が行われ、本丸の櫓は再建されませんでした。現存する「石川門」は、この後天明8年(1788年)に再建されたものです。平成13年(2001年)に復元された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、文化5年(1808年)の二の丸火災の後再建され、明治14年(1881)年の火災で焼失したもので、安政頃の景観を再現しました。そして、「石川門」、「三十間長屋」、「鶴丸倉庫」は重要文化財に指定されています。また、明治期に失われ約140年ぶりに復元整備された黒い海鼠漆喰が代名詞の特徴的な「鼠多門」と、 城内最大規模の木橋であった「鼠多門橋」が完成しました。「鼠多門」には県内産の能登ヒバなどの木材が使用されています。「鼠多門」と「鼠多門橋」が完成したことにより、「長町武家屋敷跡」から「尾山神社」、「金沢城公園」、「兼六園」、本多の森公園を結ぶ「加賀百万石回遊ルート」もでき、城下町巡りが効率的そして気軽に楽しめるようになりました。さらに、近年再建された「菱櫓」、「五十間長屋」、「橋爪門続櫓」は、古絵図や古文書などを基にして、当時の姿を再現し、外観もさることながら内部も必見です。毎週金曜・土曜、祝日の前日には夜間も開園し、「金沢城公園園内」はライトアップされ、昼とは全く違う趣を楽しめます。「玉泉院丸庭園」のライトアップは季節ごとに変わるそうです。「玉泉院丸庭園」のお茶室「玉泉庵」の和室で食べられる抹茶と季節ごとのオリジナル生菓子もおすすめです。
「金沢城公園」の入場門は、「黒門口」、「大手門口」、「石川門口」、「玉泉院丸口」、「鼠多門口」の全部で5つ設けられています。「兼六園」とあわせて楽しみたい方は、「兼六園」(桂坂口)の向かい側にある「石川門口」からスタートするのがおすすめです。
《「金沢城」(金沢城公園)のお薦め散策ルート》
①「石川門」⇒②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観⇒③「鶴の丸休憩館」⇒④「土蔵」(鶴丸倉庫)⇒⑤「丑寅櫓跡」⇒⑥「帝国陸軍建造トンネル跡」⇒⑦「戌亥櫓」⇒⑧「三十間長屋」⇒⑨「橋詰門」⇒⑩「菱櫓」⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑬「河北門」⇒⑭「玉泉院丸庭園」⇒⑮「鼠多門・鼠多門橋」
《①「石川門」》
「石川門口」から入ると。まず、「石川門」の「一の門」をくぐり直角に曲って、次に「二の門」をくぐります。これは敵が攻め込んできたときに、その進入の勢いを鈍らせる「枡形」と呼ばれる防御を主眼においた構造です。「一の門」をくぐると、ちょっと変な感じですが、正面の壁と左側の壁の石垣は異なる積み方をしています。正面が「切石積み」、左側が「粗加工石積み」という石垣の積み方です。石垣の積み方は違いますが、両方とも「海鼠壁」との美しいコントラストを醸し出しています。
「石川門」は「高麗門」の「一の門」、「櫓門」の「二の門」、「続櫓」と2層2階建ての「石川櫓」で構成されている「枡形門」です。国の重要文化財に指定されている現在の「石川門」は、天明8年(1788)に再建されました。金沢城内は、度々火災に見舞われほとんどが焼失し、「石川門」は、「三十間長屋」とともに現存する加賀藩時代の数少ない建築物のひとつです。
「石川門」は、現在は「金沢城公園」の「表門」となっていますが、かつては「金沢城」の「裏門」でした。その容姿から「白門」と呼ばれ、昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定されました。そして、平成18年(2006年)から平成26年(2014年)にかけて、保存修理工事が実施されました。
《②「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観》
「石川門」の「二の門」をくぐると、目の前には「三の丸広場」が広がり、さらにその奥には、壮観な「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」が景観を見ることができます。なぜ「石川門」からの入城をお薦めしたのかはここにあります。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」とを2層2階の「五十間長屋」でつないでいる圧巻のスケールの景観を正面に見ることができるからです。これだけでも「金沢城公園」に来た価値があります。後ほど「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」へは、行きますので、「三の丸広場」の左手にある「鶴の丸休憩館」へ進みます。
《③「鶴の丸休憩館」》
「鶴の丸休憩館」は、鉄骨造一部木造の平家建てで、平成29年(2017年)4月に「鶴の丸」に完成しました。その特徴は、城郭建造物に面して、1枚が最大6m幅の大判ガラスを使用し開放感を演出し、さらに、石川県産の木材を使用した現代的な和風デザインになっています。大判ガラスにより額縁の中の「五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓」のような絶景を大判ガラス越しに見ることができます。「鶴の丸休憩館」は、入口から入ると、まず「案内スペース」、右手に金沢城の歴史回廊ゾーンと城と庭の魅力発信ゾーンの「展示スペース」、その奥に大判ガラスごしに絶景を見ることができる「休憩スペース」と「豆皿茶屋」があります。「豆皿茶屋」では、軽飲食をとることができ、和菓子、洋菓子、お寿司など石川が誇る銘菓や銘品が、かわいい豆皿にのって配膳されます。また、「鶴の丸休憩館」の前には鶴の丸土塀の構造模型とふだん表面しか見ることが出来ない石垣の技法が、横や後ろからもわかる展示があり、さらに「金沢城」の理解を深めることができます。
「豆皿茶屋」インフォメーション
①営業時間…AM 11:00~PM 4:00 電話:076-232-1877
②定休日…無休(年末年始を除く)
③メニュー例
「殿皿御膳」(2600円)、「姫皿御膳」(2000円)、「鶴の丸御膳」(1500円)、「ちょこっとぷれーと」は三種類あり900円~950円、その他飲み物デ・ザートなど
「鶴の丸休憩館」で景観を堪能した後は、さらに左手奥に進みむと、現存する数少ない当時の建物「土蔵」(鶴丸倉庫)があります。
《④「土蔵」(鶴丸倉庫)》
「土蔵」(鶴丸倉庫)は、金沢城本丸の北側に幕末の嘉永元年(1848年)に建築された大型土蔵で、「鶴丸倉庫」とも呼ばれた武具土蔵で、「石川門」、「三十間長屋」と同様に重要文化財に指定されています。「土蔵」(鶴丸倉庫)が国の重要文化財に指定されたのは、平成20年(2008年)です。「土蔵」(鶴丸倉庫)の建築様式は、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工「山本勝左衛門」が普請を手がけました。明治以降は、陸軍によって軍服などが保管する「被服庫」として使われていました。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれていますが、実際に建築されているのは「東の丸附段」です。石板を貼った外壁など、櫓や城門などとはデザインを変えています。城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で、総二階建の延床面積は下屋を除いて約636㎡あります。
「土蔵」(鶴丸倉庫)の次は、少々上り坂になりますが、途中に見える「橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓」の景観も素晴らしいものです。
《⑤「丑寅櫓跡」》
「丑寅櫓跡」は、東ノ丸の隅櫓があった所で、本丸から北東(丑寅)の方角にあるので「丑寅櫓」と名付けられました。「丑寅櫓跡」は、文禄元年(1592年)に築かれ、物見や本丸の防御を狙っていましたが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。。「兼六園」や「戸室山」、「医王山」などが眺望できる展望台となっています。「丑寅櫓跡」にある野面積みの石垣は「金沢城」内最古の石垣とされています。現在は石垣のみ確認することができます。また、「丑寅櫓跡」は、春の桜、秋の紅葉の時期には、絶好のポイントになるそうです。
次は、「丑寅櫓跡」からさらに進み、「戌亥櫓」(乾櫓)を目指します。
《⑥「戌亥櫓」(乾櫓)と「帝国陸軍建造トンネル跡」》
「戌亥櫓」(乾櫓)は本丸の北西角、戌亥の方角に位置していた櫓なので「戌亥櫓」と呼ばれていました。「戌亥櫓」(乾櫓)は、寛永8年(1631年)頃に築かれ、西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だったそうですが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。現在、櫓はありませんが櫓台からは二の丸に復元された「菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓」を眺めることができます。また、「戌亥櫓」の石垣は「粗加工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間には平らな石をはめ込み、「切石積み」のように見せる技法が用いられています。その他、「戌亥櫓」(乾櫓)には、「帝国陸軍建造トンネル跡」があります。「帝国陸軍建造トンネル跡」は、「戌亥櫓」の石垣に掘られた「レンガ造りのトンネル」です。明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。明治8年(1875年)に精鋭として知られた「陸軍歩兵第7連隊」、明治31年(1898年)からは、「陸軍第9師団司令部」が金沢城址に駐留しました。「戌亥櫓」の石垣にあるトンネルは旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期につくられたものとされています。ちなみに、兵器庫は城外の出羽町に建設されていましたが,弾薬については不慮の爆発のリスクを考慮し,市街地への影響の少ない城内に貯蔵しました。
「戌亥櫓」(乾櫓)を後にし、次に向かうのは、国の重要文化財の一つである「三十間長屋」です。「三十間長屋」は、「金沢城跡本丸附壇」にある「三十間長屋」は、あまり人目につかない所でひっそり建っています。
《⑧「三十間長屋」》
「三十間長屋」は、本丸附段にある二層二階の「多聞櫓」で、「石川門」、「土蔵」(鶴丸倉庫)と同様に国の重要文化財に指定されています。「三十間長屋」が国の重要文化財に指定されたのは、昭和32年(1957年)のことです。「三十間長屋」は、安政5年(1858年)に再建されたもので、現在の長さは二十六間半の二階建ての土蔵です。屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に「海鼠瓦」を貼って石垣の上に建つのは、「石川門」と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇が付いています。「金沢城」にはこの他に全部で14の長屋があったそうです。
「三十間長屋」の後は、「金沢城公園」の新しいシンボルである「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」のある「橋爪門」へ向かいます。
《⑨「橋詰門」⇒⑩「五十間長屋」(多門櫓)⇒⑪「橋爪門続櫓」⇒⑫「菱櫓」》
「橋爪門」は、「金沢城」の「二の丸」の正門にあたり、城内で最も格式の高い門とされています。「橋爪門」は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された「二の丸」の正門です。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる「枡形門」で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、「二の丸御殿」へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、「二の門」の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門でした。文化5年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化6年(1809年)に再建された姿を復元し、平成27年(2015年)に完成しました。ちなみに、金沢城内の各曲輪をつなぐ城門の中で、特に重要であった「石川門」、「河北門」、「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。
「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」は、平成13年(2001年)7月に完成した延べ床面積1894.23㎡の復元された建物で、「石川門」や「三十間長屋」と同様、「鉛瓦」や「海鼠塀」が外観の特徴です。そして、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、完成まで実に3年4ヶ月かかりました。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」を2層2階の「五十間長屋」でつないでいます。これらの建物は、戦の際に「二ノ丸」を守るための施設で、「石落し」や「鉄砲狭間」となる「格子窓」、「白塗漆喰壁」や「海鼠壁」で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。「菱櫓」は大手と搦手を見張る物見櫓として重要な役割を果たし、死角を少なくし視野を大きくするために建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっています。「橋爪門続櫓」は二ノ丸大手の「橋爪門枡形」を見張る物見櫓、「五十間長屋」は武器等の倉庫でした。伝統的な建築工法など築城の知恵がつまった内部は、金沢城公園で唯一有料です。そして、桜の季節には、「菱櫓」横の内堀の桜は人気の撮影スポットに変貌します。
次は、「三の丸広場」にある「河北門」へ移動します。
《⑬「河北門」》
「河北門」は、金沢城の実質的な正門です。「河北門」は、「金沢城」の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸」の正面にあります。これが「正門」たる由縁で、「河北門」は、「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれています。「河北門」は、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦9年(1759年)の後、安永元年(1772年)に再建されました。再建された「河北門」は、明治15年(1882年)頃に撤去されるまで「金沢城」の実質的な「正門」としての役割を果たしていました。「河北門」は平成19年(2007年)11月に着工し、平成22年(2010年)4月まで約2年半の歳月をかけて完成し、見事に復元されました。「河北門」は、高い防御力を備え金沢城の重要な門のひとつで、「高麗門」である「一の門」、「櫓門」である「ニの門」、「枡形土堀」及び続櫓の機能を持つ「ニラミ櫓台」により防御機能を持った構成となっています。
「一の門」は、幅4.7m、高さ7.4mの総欅(けやき)造りで、脇土塀をなまこ壁仕上げとし、土塀の内側には隠し狭間が設けられています。一の門の右手にあるのが「ニラミ櫓台」です。つづいて櫓門である「二の門」で高さは12.3m、幅26.9m×奥行き8.2mあり、外観は「石川門」とほぼ同じですが、規模は一回り大きくなっています。また、「二の門」は内部を見学することができます。
次は、前田家の歴代藩主が愛でた庭園である「玉泉院丸庭園」へ向かいます。
《⑭「玉泉院丸庭園」》
「玉泉院丸庭園」は、池と石垣によって独創的な景観を創り出した庭園です。庭園散策を楽しんだ後には、「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わうこともできます。「玉泉院丸庭園」は、2代目藩主「前田利長」の正室「玉泉院」(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来とされ、3代藩主「前田利常」による寛永11年(1634年)の作庭を始まりとし、その後5代藩主「前田綱紀」や13代藩主「前田斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで「金沢城内玉泉院丸」に存在していた庭園です。「兼六園」は饗応の場であるのに対し、「玉泉院丸庭園」は藩主の内庭としての性格が強い庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、城内に引かれた「辰巳用水」を水源とする「池泉回遊式」の「大名庭園」で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった「色紙短冊積石垣」などの意匠性の高い石垣群を庭の構成要素にした独創的な庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、明治期に廃絶されましたが、平成25年(2013年)5月から整備工事が始まり、平成27年(2015年)3月に、歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現されました。
また、江戸時代に「露地役所」があった場所に休憩所「玉泉庵」が設置されました。室内からは、「色紙短冊積石垣」をはじめとした意匠性に富んだ石垣群を借景に庭園を一望することができます。また、和室では抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子の抹茶を楽しむことができます。
《⑮「鼠多門・鼠多門橋」》
「鼠多門」と「鼠多門橋」は、「金沢城」の西側にあります。それぞれの特徴は、「鼠多門」が黒い海鼠漆喰、「鼠多門橋」が城内最大規模の「木橋」であるということです。「鼠多門」は、「玉泉院丸」に位置し、「鼠多門橋」により接続される「金谷出丸」からの出入口として機能していました。ちなみに、「金谷出丸」には「金谷御殿」と呼ばれる加賀藩主の別邸があったからです。そのため、当時は、一般の人が通るということは出来なかったそうです。「金谷出丸」は、現在は、藩祖の「前田利家」を祀る「尾山神社」となっています。そして、「鼠多門」は、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。「鼠多門」は、2階建ての「櫓門」で、「金沢城」内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う「鉛瓦」、外壁は「白漆喰塗り」で腰壁は「海鼠壁」が用いられています。この「海鼠壁」の目地が黒漆喰で仕上げられる建築方法が、「金沢城」内の他の門には見られない特徴です。また、「金沢城御三門」と比べて、城壁の連続した石垣の上に直接建てられている点も大きな特徴でしょう。
「鼠多門橋」は、幅5.5m、長さ29mの木の橋で、「玉泉院丸」と「金谷出丸」を隔てる水堀に架かる城内最大規模の「木橋」で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました。しかし、明治10年(1877年)に「鼠多門橋」が老朽化のため撤去され、明治17年(1884年)には「鼠多門」も火災により焼失し、周囲の水堀も埋め立てられてしまいました。そして、現在の「鼠多門」と「鼠多門橋」は、平成30年(2018年)6月から令和2年(2020年)7月までに復元整備され、往時の勇壮な姿が再現されました。そして、「鼠多門」と「鼠多門橋」の復元が何よりも素晴らしいのは、「加賀百万石回遊ルート」を誕生させたことです。これにより効率的な観光ができるようになったからです。ちなみに、「加賀百万石回遊ルート」は、「長町武家屋敷跡」⇒「尾山神社」⇒「鼠多門」⇒「金沢城」⇒「兼六園」の名所旧跡を周遊することができます。
まだ、他にも「金沢城公園」には、見るべきスポットはたくさんありますが、代表的な名所旧跡は見ることができたので次の観光地へ足を進めたいと思います。
01_【「金沢城」の見どころ】
⑴ 重要文化財(「石川門」・「三十間長屋」・「土蔵(鶴丸倉庫))
①「石川門」 昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定
「石川門」は、現在は「金沢城公園」の「表門」となっていますが、かつては「金沢城」の「裏門」でした。その容姿から「白門」と呼ばれ、昭和10年(1935年)に国の重要文化財に指定されました。現存する「石川門」は、天明8年(1788年)に再建されました。「金沢城」の「搦手門」(裏口門)で、「高麗門」の「一の門」、「櫓門」の「二の門」、「続櫓」と二層二階建ての「石川櫓」で構成された「枡形門」です。平成18年(2006年)から平成26年(2014年)にかけて、保存修理工事が実施されました。
②「三十間長屋」 昭和32年(1957年) に国の重要文化財に指定
「三十間長屋」は、本丸附段にある二層二階の「多聞櫓」で、「石川門」、「土蔵」(鶴丸倉庫)と同様に国の重要文化財に指定されています。「三十間長屋」が国の重要文化財に指定されたのは、昭和32年(1957年)のことです。「三十間長屋」は、安政5年(1858年)に再建されたもので、現在の長さは二十六間半の二階建ての土蔵です。屋根は南面入母屋造り、鉛瓦葺、白壁の腰に「海鼠瓦」を貼って石垣の上に建つのは、「石川門」と同様であり、二階の腰にも鉛瓦葺の庇が付いています。「金沢城」にはこの他に全部で14の長屋があったそうです。
③「土蔵」(鶴丸倉庫) 平成20年(2008年) に国の重要文化財に指定
「土蔵」(鶴丸倉庫)は、金沢城本丸の北側に幕末の嘉永元年(1848年)に建築された大型土蔵で、「鶴丸倉庫」とも呼ばれた武具土蔵で、「石川門」、「三十間長屋」と同様に重要文化財に指定されています。「土蔵」(鶴丸倉庫)が国の重要文化財に指定されたのは、平成20年(2008年)です。「土蔵」(鶴丸倉庫)の建築様式は、土蔵造2階建、切妻造、桟瓦葺で、もとは武具蔵として建てられ、加賀藩大工「山本勝左衛門」が普請を手がけました。明治以降は、陸軍によって軍服などが保管する「被服庫」として使われていました。長らく「鶴丸倉庫」と呼ばれていますが、実際に建築されているのは「東の丸附段」です。石板を貼った外壁など、櫓や城門などとはデザインを変えています。城郭内に残っている土蔵としては国内最大級の遺構で、総二階建の延床面積は下屋を除いて約636㎡あります。
⑵ 「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」
「五十間長屋」(多門櫓)、「橋爪門続櫓」、「菱櫓」は、平成13年(2001年)7月に完成した延べ床面積1894.23㎡の復元された建物で、「石川門」や「三十間長屋」と同様、「鉛瓦」や「海鼠塀」が外観の特徴です。そして、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国再最大規模で、完成まで実に3年4ヶ月かかりました。3層3階の「菱櫓」と「橋爪門続櫓」を2層2階の「五十間長屋」でつないでいます。これらの建物は、戦の際に「二ノ丸」を守るための施設で、「石落し」や「鉄砲狭間」となる「格子窓」、「白塗漆喰壁」や「海鼠壁」で防火構造になっている外壁がその強固さを示しています。「菱櫓」は大手と搦手を見張る物見櫓、「橋爪門続櫓」は二ノ丸大手の「橋爪門枡形」を見張る物見櫓、「五十間長屋」は武器等の倉庫でした。
① 「菱櫓」
「菱櫓」の1階は、高さ11.7mの石垣の上に建築されており、3階建で、高さは約17mあります。「櫓」とは「矢の倉」とも云われ、武器の倉庫の意味ですが、ここ「菱櫓」は主に周辺を見張る役割を担っていました。「菱櫓」という名前の通り、建物の平面は菱形で、四隅の内角はそれぞれ80度と100度になっています。これは、死角を少なくし視野を大きくするためで、建物が菱形の場合、柱も菱形です。この部屋の中に立っている4本の長さ14m、太さ33cmの桧の「通し柱」を始め、使われているおよそ100本の柱も菱形で、これらを使っての建築には大変な技術を要するそうです。
② 「五十間長屋」
「五十間長屋」は武器等を保管する倉庫と城壁の機能とを兼ね備えた2階建ての建物です。ここには天井板が貼ってないので、大きな松の木の梁など、その木組みをそのまま見ることができます。木と木は、鉄のクギやボルトで留めるのではなく、木材に「仕口」や「継ぎ手」、或いは「ほぞ」や「ほぞ穴」と呼ばれる凹凸を造って組み合わせ、 木で作ったクサビを打って外れないようにしてあります。今回復元された一連の建物は、日本古来の柱と梁・桁を持つ「木造軸組工法」と呼ばれる方法で建てられ、それに、土壁と貫という柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた「耐力壁」によって構成され、 地震に対してもきわめて丈夫な構造になっているそうです。
③ 「 橋爪門続櫓」
「 橋爪門続櫓」は、「橋爪門」を見下ろす位置にあり、三の丸から「橋爪橋」を渡り、「橋爪門」を通って、 二の丸へ向かう人々を監視するための重要な櫓で、「橋爪櫓」とも呼ばれていました。
⑶ 「橋爪門」
「橋爪門」は、「金沢城」の「二の丸」の正門にあたり、城内で最も格式の高い門とされています。「橋爪門」は、寛永8年(1631年)の大火後に整備された「二の丸」の正門です。高麗門形式の「一の門」、石垣と二重塀で囲われた「枡形」、櫓門形式の「二の門」からなる「枡形門」で、枡形は城内最大の規模を誇ります。「石川門」、「河北門」とともに「三御門」と呼ばれ、「二の丸御殿」へ至る最後の門として、通行に際しては三御門の内で最も厳しい制限がかけられ、また、「二の門」の床には二の丸御殿と同じ敷き方で戸室石が敷かれるなど格式の高い門でした。文化5年(1808年)の二の丸火災で焼失した後、文化6年(1809年)に再建された姿を復元し、平成27年(2015年)に完成しました。ちなみに、金沢城内の各曲輪をつなぐ城門の中で、特に重要であった「石川門」、「河北門」、「橋爪門」を「金沢城三御門」と呼んでいます。
⑷ 河北門(かほくもん)
「河北門」は、金沢城の実質的な正門です。「河北門」は、「金沢城」の大手から入り、河北坂を上がったところに位置する「三の丸」の正面にあります。これが「正門」たる由縁で、「河北門」は、「石川門」と「橋爪門」と共に「金沢城三御門」と呼ばれています。「河北門」は、金沢城の建物の大半が焼失した宝暦9年(1759年)の後、安永元年(1772年)に再建されました。再建された「河北門」は、明治15年(1882年)頃に撤去されるまで「金沢城」の実質的な「正門」としての役割を果たしていました。「河北門」は平成19年(2007年)11月に着工し、平成22年(2010年)4月まで約2年半の歳月をかけて完成し、見事に復元されました。「河北門」は、高い防御力を備え金沢城の重要な門のひとつで、「高麗門」である「一の門」、「櫓門」である「ニの門」、「枡形土堀」及び続櫓の機能を持つ「ニラミ櫓台」により防御機能を持った構成となっています。
「一の門」は、幅4.7m、高さ7.4mの総欅(けやき)造りで、脇土塀をなまこ壁仕上げとし、土塀の内側には隠し狭間が設けられています。一の門の右手にあるのが「ニラミ櫓台」です。つづいて櫓門である「二の門」で高さは12.3m、幅26.9m×奥行き8.2mあり、外観は「石川門」とほぼ同じですが、規模は一回り大きくなっています。また、「二の門」は内部を見学することができます。
⑸ 「鼠多門」と「鼠多門橋」
「鼠多門」と「鼠多門橋」は、「金沢城」の西側にあります。それぞれの特徴は、「鼠多門」が黒い海鼠漆喰、「鼠多門橋」が城内最大規模の「木橋」であるということです。「鼠多門」は、「玉泉院丸」に位置し、「鼠多門橋」により接続される「金谷出丸」からの出入口として機能していました。ちなみに、「金谷出丸」には「金谷御殿」と呼ばれる加賀藩主の別邸があったからです。そのため、当時は、一般の人が通るということは出来なかったそうです。「金谷出丸」は、現在は、藩祖の「前田利家」を祀る「尾山神社」となっています。そして、「鼠多門」は、城内の多くの建物が失われた宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」でも焼失を免れ、修理等を経ながら明治期まで存在していました。「鼠多門」は、2階建ての「櫓門」で、「金沢城」内の他の門と同じく、屋根は木型を鉛板で覆う「鉛瓦」、外壁は「白漆喰塗り」で腰壁は「海鼠壁」が用いられています。この「海鼠壁」の目地が黒漆喰で仕上げられる建築方法が、「金沢城」内の他の門には見られない特徴です。また、「金沢城御三門」と比べて、城壁の連続した石垣の上に直接建てられている点も大きな特徴でしょう。
「鼠多門橋」は、幅5.5m、長さ29mの木の橋で、「玉泉院丸」と「金谷出丸」を隔てる水堀に架かる城内最大規模の「木橋」で、幾度かの架け替えを経て明治期まで存在していました。しかし、明治10年(1877年)に「鼠多門橋」が老朽化のため撤去され、明治17年(1884年)には「鼠多門」も火災により焼失し、周囲の水堀も埋め立てられてしまいました。そして、現在の「鼠多門」と「鼠多門橋」は、平成30年(2018年)6月から令和2年(2020年)7月までに復元整備され、往時の勇壮な姿が再現されました。そして、「鼠多門」と「鼠多門橋」の復元が何よりも素晴らしいのは、「加賀百万石回遊ルート」を誕生させたことです。これにより効率的な観光ができるようになったからです。ちなみに、「加賀百万石回遊ルート」は、「長町武家屋敷跡」⇒「尾山神社」⇒「鼠多門」⇒「金沢城」⇒「兼六園」の名所旧跡を周遊することができます。
⑺ 「玉泉院丸庭園」
「玉泉院丸庭園」は、池と石垣によって独創的な景観を創り出した庭園です。庭園散策を楽しんだ後には、「玉泉庵」では抹茶と季節ごとの生菓子を味わうこともできます。「玉泉院丸庭園」は、2代目藩主「前田利長」の正室「玉泉院」(永姫)が屋敷を構えたことがその名の由来とされ、3代藩主「前田利常」による寛永11年(1634年)の作庭を始まりとし、その後5代藩主「前田綱紀」や13代藩主「前田斉泰」などの歴代の藩主により手を加えられながら、廃藩時まで「金沢城内玉泉院丸」に存在していた庭園です。「兼六園」は饗応の場であるのに対し、「玉泉院丸庭園」は藩主の内庭としての性格が強い庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、城内に引かれた「辰巳用水」を水源とする「池泉回遊式」の「大名庭園」で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形でした。滝と一体となった「色紙短冊積石垣」などの意匠性の高い石垣群を庭の構成要素にした独創的な庭園でした。「玉泉院丸庭園」は、明治期に廃絶されましたが、平成25年(2013年)5月から整備工事が始まり、平成27年(2015年)3月に、歴代藩主が愛でたであろう庭園の姿が再現されました。
⑻ 玉泉庵
江戸時代に「露地役所」(庭の整備管理に関する役所)があった場所に休憩所「玉泉庵」を整備しました。室内からは、「色紙短冊積石垣」をはじめとした意匠性に富んだ石垣群を借景に庭園を一望することができます。また、和室では抹茶と季節ごとのオリジナル上生菓子の抹茶を楽しむことができます。
⑼ 「鶴の丸休憩館」
「鶴の丸休憩館」は、鉄骨造一部木造の平家建てで、平成29年(2017年)4月に「鶴の丸」に完成しました。その特徴は、城郭建造物に面して、1枚が最大6m幅の大判ガラスを使用し開放感を演出し、さらに、石川県産の木材を使用した現代的な和風デザインになっています。大判ガラスにより額縁の中の「五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓」のような絶景を大判ガラス越しに見ることができます。「鶴の丸休憩館」は、入口から入ると、まず「案内スペース」、右手に金沢城の歴史回廊ゾーンと城と庭の魅力発信ゾーンの「展示スペース」、その奥に大判ガラスごしに絶景を見ることができる「休憩スペース」と「豆皿茶屋」があります。「豆皿茶屋」では、軽飲食をとることができ、和菓子、洋菓子、お寿司など石川が誇る銘菓や銘品が、かわいい豆皿にのって配膳されます。また、「鶴の丸休憩館」の前には鶴の丸土塀の構造模型とふだん表面しか見ることが出来ない石垣の技法が、横や後ろからもわかる展示があり、さらに「金沢城」の理解を深めることができます。
「豆皿茶屋」インフォメーション
①営業時間…AM 11:00~PM 4:00 電話:076-232-1877
②定休日…無休(年末年始を除く)
③メニュー例
殿皿御膳(2600円)、姫皿御膳(2000円)、鶴の丸御膳(1500円)、ちょこっとぷれーとは三種類あり900円~950円、その他飲み物デ・ザートなど
⑽ 「丑寅櫓跡」
「丑寅櫓跡」は、東ノ丸の隅櫓があった所で、本丸から北東(丑寅)の方角にあるので「丑寅櫓」と名付けられました。「丑寅櫓跡」は、文禄元年(1592年)に築かれ、物見や本丸の防御を狙っていましたが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。「兼六園」や「戸室山」、「医王山」などが眺望できる展望台となっています。「丑寅櫓跡」にある野面積みの石垣は「金沢城」内最古の石垣とされています。現在は石垣のみ確認することができます。また、「丑寅櫓跡」は、春の桜、秋の紅葉の時期には、絶好のポイントになるそうです。
⑾ 「戌亥櫓」
「戌亥櫓」(乾櫓)は本丸の北西角、戌亥の方角に位置していた櫓なので「戌亥櫓」と呼ばれていました。「戌亥櫓」(乾櫓)は、寛永8年(1631年)頃に築かれ、西と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だったそうですが、宝暦9年(1759年)の「宝暦の大火」の際に焼失し、その後は再建されませんでした。現在、櫓はありませんが櫓台からは二の丸に復元された「菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓」を眺めることができます。また、「戌亥櫓」の石垣は「粗加工石積み」の積み方をしていますが、石の隙間には平らな石をはめ込み、「切石積み」のように見せる技法が用いられています。その他、「戌亥櫓」(乾櫓)には、「帝国陸軍建造トンネル跡」があります。「帝国陸軍建造トンネル跡」は、「戌亥櫓」の石垣に掘られた「レンガ造りのトンネル」です。明治から昭和にかけて金沢城は旧陸軍の所管となり軍用施設が設けられました。明治8年(1875年)に精鋭として知られた「陸軍歩兵第7連隊」、明治31年(1898年)からは、「陸軍第9師団司令部」が金沢城址に駐留しました。「戌亥櫓」の石垣にあるトンネルは旧陸軍によって弾薬庫が建設された明治から大正期につくられたものとされています。ちなみに、兵器庫は城外の出羽町に建設されていましたが,弾薬については不慮の爆発のリスクを考慮し,市街地への影響の少ない城内に貯蔵しました。
02_【「金沢城」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒920-0937 金沢市丸の内1番1号 電話:076-234-3800
⑵ 開園時間…7:00~18:00 ※10月16日~2月は8:00~17:00
03_【「金沢城」へのアクセス】
⑴ 城下まち金沢周遊バス
①城下まち金沢周遊バス右回りルート
・バス乗り場:「JR金沢駅東口」(7番のりば)
・6停留所目(橋場町(金城樓前)」の次の停留所) 所要時間約15分
・9時から17時の間に1時間平均4便(始発8:35、終発18:05)
・「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で下車し「兼六園桂坂口」まで徒歩3分240m
⇒バスは「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所に停まるので下車した後、左手の公園の中にある階段があるので上ります。上り終えると、右手に「金沢城」の「石川門」、そして、左手に「兼六園」の「桂坂口」があります。
(ワンポイント情報)
「兼六園」と「金沢城公園」のどちらにも行く予定なら、こちらのバス停がおすすめです。「兼六園桂坂口」、「金沢城公園石川門口」の最寄り停留所となります。
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基本情報(地図・住所・アクセス)
- 施設名
- 金沢城公園
- 住所
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- 石川県金沢市丸の内1-1
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- 大きな地図を見る
- 電話番号
- 076-234-3800
- アクセス
- 金沢駅 バス 15分 北陸鉄道路線バス、城下まち金沢周遊バス、兼六園シャトル
兼六園下 徒歩 5分
武蔵ヶ辻・近江町バス停 バス 20分 金沢ふらっとバス材木ルート
兼六園下 徒歩 5分
- その他
- バリアフリー設備: 車椅子対応EV○
バリアフリー設備: 車椅子貸出○
バリアフリー設備: 車椅子対応トイレ○
バリアフリー設備: オムツ交換台○
バリアフリー設備: 割引○
- 公式ページ
- 詳細情報
- 登録者
- はい さん
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