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兼六園は高低差を利用した庭園で、いろいろな工夫が凝らされていました。「JR金沢駅東口」(7番のりば)から15分

  • 4.5
  • 旅行時期:2024/03(約2ヶ月前)
Lily-junjunさん

by Lily-junjunさん(男性)

金沢 クチコミ:36件

「兼六園」へのアクセスは、「JR金沢駅東口」の7番のりばから「城下まち金沢周遊バス」(右回りルート)に乗り、「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で下車し、左手の公園の中にある階段があるので上ります。上り終えると横断歩道があり、それを渡ると「兼六園」で、前方50mほどのところに「兼六園」の「桂坂口」があります。反対側は「金沢城」の「石川門」です。ちなみに、「兼六園」の入口は、「桂坂口」、「蓮池門口」、「真弓坂口」、「随身坂口」、「小立野口」、「上坂口」、「桜ヶ岡口」の七か所あります。この中で「金沢城公園」と直結する「桂坂口」、「金沢21世紀美術館」とは交差点の対角線上に位置する「真弓坂口」、これらの2つの料金所の間に位置し、「兼六園」の「正門」とされている「蓮池門口」を合わせた3つの料金所が平地に位置する料金所となっていますこの料金所は最も利用者の多い桂坂口の近くに位置しています。「桂坂口」はゴールデンウイークなどの行楽シーズンには長蛇の列になることが多く、「桂坂口」に長蛇の列ができている時は、「桜ヶ岡口」に回ると早く入園できるかもしれません。ちなみに、「桜ヶ岡口」へは、「兼六園観光案内所」と「九谷焼片岡光山堂」の坂道を110mほど上ると右手にあります。
最初に、「兼六園」の歴史と概要を紐解いてみると、「兼六園」は、水戸の「偕楽園」、岡山の「後楽園」とならぶ「日本三名園」の一つで、国の特別名勝に指定されています。「兼六園」は、敷地面積が約11.4万㎡と広大で、園内を廻遊して鑑賞する「林泉廻遊式庭園」となっています。「兼六園」は江戸時代の代表的な「大名庭園」として、加賀藩の歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。そして、12代藩主となった「前田斉広」は文政5年(1822年)に、藩校の跡地に自己の隠居所として「竹沢御殿」を造営し、同文政5年(1822年)、「兼六園」と命名しました。そして、13代 藩主「前田斉泰」は、「竹沢御殿」を取り壊し、庭を拡張・整備し、万延元年(1860年)には、「蓮池庭」との間にあった門と塀を取りこわして、一大庭園につくりあげました。さらに、文久3年(1863年)には、母「真龍院」の隠居所として「巽御殿」(現在の「成巽閣」)が造営され、ほぼ現在の庭の形になりました。明治時代に入ると、「兼六園」は」は全面的に市民へ開放され、それにあわせて多くの茶店が出店しました。大正11年(1922年)、国の「名勝」に指定された「兼六園」は、昭和60年(1985年)には「名勝」から「特別名勝」へと格上げされ、庭園の国宝とも言える最高の格付けを得ました。そして、冬の風物詩の「雪吊り」や梅苑の紅梅白梅など四季折々の自然を活かした景観は屈指の美しさと評されており、平成21年(2009年)には「ミシュラン観光ガイド」で最高評価の3つ星に選ばれました。ちなみに、「雪吊り」は雪の重みから枝を守るために、木を「りんご吊り」などの方法で縛り上げるというものです。

《「兼六園」お薦め散策巡路》
「兼六園」の「桂坂口」から入園したので、次のような見学順路で「兼六園」を散策してみました。
①「眺望台」⇒②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」⇒⑥「七福神山」⇒⑦「明治紀念之標」⇒⑧「根上松」⇒⑨「花見橋」(曲水)⇒⑩「鶺鴒島」⇒⑪「山崎山」⇒⑫「成巽閣」(別途料金)⇒⑬「内橋亭」⇒⑭「栄螺山」⇒⑮「時雨亭」⇒⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」⇒⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」⇒⑳「噴水」
★「金沢城公園」(石川門)へは、「桂坂口」へ、「金沢21世紀美術館」へは「真弓口」が便利です。

では、「兼六園」の散策のスタートです。
《①「眺望台」》
まず、「桂坂口」で入園券を購入し、「眺望台」へ向かいました。徒歩約3分150mの距離です。「眺望台」付近には、ベンチが7脚ほどあり、金沢市内などが一望できる絶好の景色を座って、ゆっくり堪能することができます。「眺望台」は、「六勝」の一つである「眺望」を楽しむのに最適な場所です。金沢市内ばかりでなく、遠くに、白山山系の一部、戸室山、医王山を望むことができ、正面には卯辰山、その手前には市街地がつづきます。また、その向こうには加賀平野が広がり、さらに、河北潟や内灘砂丘、日本海、能登半島なども眺めることができる絶好のビューポイントです。

《②「霞ヶ池」⇒③「徽軫灯籠」⇒④「唐崎松」⇒⑤「雁行橋」》
次が、「眺望台」の反対側にある「霞ヶ池」付近です。まず、「徽軫灯籠」ですが、「徽軫灯籠」の手前辺りから「霞ヶ池」の全体の景観を見渡すことできます。「霞ヶ池」は、「兼六園」のほぼ中心部に位置する園内で最大の池です。「霞ヶ池」の「面積」は約5800㎡、「深さ」は最も深いところで1.5mあるそうです。「栄螺山」、「内橋亭」、「徽軫灯籠」、「虹橋」、「唐崎松」、「蓬莱島」などの見どころがこの「霞ヶ池」の周辺にあり、「霞ヶ池」の周りを廻遊しながら庭景を楽しむことができます。「徽軫灯籠」の後ろには、「徽軫灯籠」の傍らにあるもみじの古木、曲水に架かる「虹橋」と一体になった風景は、「兼六園」を代表する景観になっているので、一旦足を止めて是非じっくり見てください。
「徽軫灯籠」は、「霞ヶ池」の北岸に配された「兼六園」を代表する景観です。「眺望台」から徒歩で、1分50mほどの距離です。「徽軫灯籠」は足が二股になっていて、琴の糸を支える「琴柱」(ことじ)に似ているのでその名が付いたと言われています。この灯籠は水面を照らすための「雪見灯籠」が変化したもので、高さは2.67mあります。一脚は水中にあって高さが2m、陸にあるもう一方は、高さが80cmです。そして、この不均衡さが美しいといわれています。また、「徽軫灯籠」の右手奥には、「虎石」があります。「虎石」は、文字どおり、虎が前足を低くして吠える姿を連想させることから、この名が付けられました。「虎石」は、能登外浦の曽々木か福浦あたりから持ち込まれた自然石であると言われています。「虎石」は、「兼六園」を守護する魔除けの石の一つで、薄暗い夕方などに見ると、あたかも生きているかのように見えるそうです。
「虹橋」を渡り40mほど進むと右手に「唐崎松」があります。「唐崎松」は、「月見橋」のそばにあり「霞ヶ池」に面して立って生い茂っている松で、「兼六園」のなかで最も枝ぶりの見事な松で、地面をはうように広がっています。13代藩主「前田斉泰」が近江八景の一つである琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松です。特に、「兼六園」ならではの冬の風物詩である「雪吊り」は、雪の重みによる枝折れを防ぐため、冬にほどこされ、他の庭園では見ることができないそうです。
「雁行橋」は、11枚の「赤戸室石」を使用し、雁が夕空に列をなして飛んでいく様をかたどった橋で、「唐崎松」から80mほどの距離にあります。また、石の一枚一枚が亀の甲の形をしていることから「亀甲橋」とも言われています。万年を生きる亀にちなんで、この橋を渡ると長生きするとされてきましたが、現在は石の磨耗が著しいため、残念ながら通行禁止です。ちなみに、「戸室石」は、石川県金沢市東部の「医王山」、「戸室山」や「キゴ山」で採掘されます。

《⑥「七福神山」》
「七福神山」は、「雁行橋」から60mほど先にあり、近くに「兼六園」の「上坂口」の入口があります。「七福神山」は、12代藩主「前田斉広」が造営した「竹沢御殿」に附帯していた庭園の一部です。「七福神山」は、別名「福寿山」とも呼ばれ、「曲水」、「築山」、「雪見灯籠」など、当時の雰囲気をそのまま今に伝えています。また、「七福神」になぞらえた七つの石を配置しているのも大きな特徴となっています。

《⑦「明治紀念之標」》
「明治紀念之標」は、「七福神山」から80mほど先にあります。「明治紀念之標」は、中央に日本で最初に建てられた銅像といわれる「日本武尊像」、そして左側に「石川県戦士尽忠碑」が配置されています。「明治紀念之標」は、「西南戦争」で戦死した郷土軍人の霊を慰めるものです。「日本武尊」の銅像の身長は5.5mもあり、明治13年(1880年)に建立されました。両脇に植えられた赤松は「手向松」と呼ばれ、当時、京都の東西両本願寺の門跡から移されたものだそうです。

《⑧「根上松」》
「根上松」は、「明治紀念之標」から70mほど先の「花見橋」の手前付近にあります。「根上松」は、大小40数本もの根が地上2mにまでせり上がったもので、「兼六園」名物の一つとなっています。「根上松」は、13代藩主「前田斉泰」が土を盛り上げて若松を植え、根を深く土で覆い、成長後に土をのぞいて根をあらわにしたものだと伝えられています。奇想天外であまり目にすることのない太古の世界のような珍しい景観です。

《⑨「花見橋」(曲水)》
「花見橋」は、「擬宝珠」の欄干がある木橋で、「根上松」のすぐそばにあります。「花見橋」の間前の由来は、橋から見る花の眺めがすばらしいことからついたそうです。花の季節になると、緩やかに流れる「曲水」に沿って、桜、カキツバタ、サツキ、ツツジなどが咲き誇り、素晴らしい景観をおりなすそうです。特に、夏の緑陰、秋の紅葉、冬の雪景は見どころ満載だそうです。

《⑩「鶺鴒島」》
「鶺鴒島」は、「花見橋」を渡り左方向に30mほど進むと左手にあります。まだ日本という国がなかった頃、国生みの神である「イザナミ、イザナギ」の尊が、男女和合の方法を「鶺鴒」から教わったという故事より、その名が付けられたそうです。「鶺鴒島」には、正面に「三社」と書かれた「石額」がかかった鳥居があり、その奥には、「陰陽石」(誕生)、「相生の松」(結婚)、「五重の石塔」(死)を配置して、人生の三儀式を表現しています。他の大名庭園でも例を見ない珍しいものだそうです。

《⑪「山崎山」》
「山崎山」は、「鶺鴒島」から130mほど進むと正面に現れてきます。「山崎山」は、「小立野口」付近にある築山で、秋になると赤や黄に美しく色づくので「紅葉山」とも呼ばれます。「山崎山」の中腹には、白川御影石でつくられた「五重の塔」(御室の塔)があります。そして、山麓の岩間から流れ出る水は、約570mの「曲水」となって「霞ヶ池」に注いでいます。

《⑫「成巽閣」》
「成巽閣」は、「山崎山」から「石川県立伝統産業工芸館」の前を通りすぎ、徒歩で210mの距離にあります。「成巽閣」は、13代藩主「前田斉泰」が、文久3年(1863年)に母である「真龍院」のために、「兼六園」の中に建てた隠居所です。「成巽閣」は、2階建ての建造物で、階下は「大名書院造り」、階上は「数奇屋風書院造り」の様式を持っており、国の重要文化財に指定されています。特に、見どころは、北陸新幹線「かがやき」のグリーン車に使われている色のモチーフとなった「群青の間」の天井です。また。「謁見の間」の花鳥の欄間や「松の間」の小鳥の絵が描かれたオランダ渡りのギヤマンなど、小鳥や花が多くあしらわれています。

《⑬「内橋亭」》
「成巽閣」から「霞ヶ池」を目指します。「内橋亭」は、「霞ヶ池」のほとりに立つお食事処、お土産処です。「内橋亭」は、かつて「蓮池庭」内にあった「四亭」の一つで、「霞ヶ池」の西南岸に設けられた「水亭」です。また、別名「鯰之亭」(なまずのてい)ともいわれている大変歴史のある建物です。蓮池馬場の馬見所に建てられていたものを、明治7年(1874年)、現在の場所に移築しましたものです。「栄螺山」のうっそうとした樹々を背景に、石脚で支えられたこの亭は、まるで水面に浮かんでいるように見えました。「内橋亭」の店内から眺めた「兼六園」は、散策路から眺めるものとは一味違った景色を醸し出していました。

《⑭「栄螺山」》
「内橋亭」の背後にある「栄螺山」は、「霞ケ池」の西岸に立っています。「栄螺山」は、13代藩主「前田斉泰」が「霞ヶ池」を掘り広げたときの土を利用してつくった今でいうとサステナブルな築山です。「栄螺山」は、高さ9m、周囲約90mで、山頂に「避雨亭」と呼ばれる御亭があります。頂上へ向かってグルグルとらせん状の道が延び、時計回りでぐるぐるとうずを巻き、まるで栄螺の殻を思わせることからこの名の由来です。しかし、実際の貝類の「サザエ」は逆巻きだそうです。そして、頂上へ到達すると「霞ヶ池」を臨める絶景が待っています。

《⑮「時雨亭」》
「時雨亭」は、「内橋亭」から徒歩で130mほどの距離の「瓢池」付近にあります。「時雨亭」は、5代藩主「前田綱紀」が「兼六園」を作庭した頃からあった建物です。5代藩主「前田綱紀」は、延宝4年(1676年)に作事所を城内に移し、その跡に「蓮池御亭」を建て、その周辺を作庭しました。これが「兼六園」の歴史の始まりです。「時雨亭」は、明治期の廃藩のあとに、残念ながら撤去されてしまいました。それを、平成12年(2000年)3月に、新しい庭園の完成とともに現在地に復元したものです。庭側の10畳と8畳、さらにそれに続く御囲は、残されていた当時の平面図により復元したそうです。また、「時雨亭」内での抹茶、煎茶の呈茶(有料)、見学もできます。

《⑯「夕顔亭」と「伯牙断琴の手水鉢」》
「夕顔亭」は、「時雨亭」から徒歩で150mほどの距離にあり、「瓢池」の東岸にある茶亭です。安永3年(1774年)に建てられた「兼六園」内最古の建物です。「蓮池庭」にあった四亭の一つで、当時のままの姿を今に伝えています。本席は質素で小間ながら、本格的な茶の湯が催せるようになっているそうです。また、その美しい名は、茶室内の壁に装飾されている「夕顔の透彫り」から名付けられました。
また、「夕顔亭」の縁先には、「伯牙断琴の手水鉢」があります。「伯牙断琴の手水鉢」は、自らの琴の音を最も理解した友人の死を嘆き、一生、琴を奏でないことを誓った名手「伯牙」の姿が浮き彫りにされている手水鉢です。「伯牙断琴の手水鉢」は、高さ45cm、直径85cmと大きいもので、5代藩主に招かれた京都の名金工「後藤程乗」の作だそうです。

《⑰「翠滝」⇒⑱「瓢池」⇒⑲「海石塔」》
「翠滝」は、「霞ヶ池」から流れ出て、「瓢池」に注ぎ込む大滝で、「夕顔亭」の対岸に懸かっています。高さ6.6m、幅1.6mで水量が豊富、滝音も大きく、目と耳を楽しませ、心を和ませてくれます。その荘厳さは他の庭園にはないスケールと景観で、兼六園のなかでも最もすぐれた庭景の一つとされています。また、「翠滝」は別名「紅葉滝」とも呼ばれています。
「瓢池」周辺はかつて「蓮池庭」と呼ばれ、「兼六園」の作庭はこの辺りからはじまったと言われています。そのユニークな名前は、池のなかほどがくびれて、「瓢箪」のような形をしていることから名付けられたものです。「瓢池」の中には「不老長寿の島」と「神仙島」をかたどった大小二つの島があります。
そして、「瓢池」の中島に建つ、高さ4.1mの六重に重ねられた塔が「海石塔」です。「海石塔」は、3代藩主「前田利常」がつくらせ、虫が喰ったように穴の空いた淡茶色の笠石が、六重に重ねられているのが特徴です。

《⑳「噴水」》
日本で最古の「噴水」は、文久元年(1861年)に造られ、「蓮池門口」から入った左手にあります。この「噴水」は、電気などを使わずに、「霞ヶ池」を水源とし、池の水面との高低差による自然の水圧を利用してあがっています。水の高さは約3.5mあり、「霞ヶ池」の水位の変化によって変わります。藩政末期、金沢城内の二ノ丸に水を引くため試作されたものと伝えられています。

01_【「兼六園」のその他の見どころ】
① 「蓮池門旧址」(れんちもんきゅうし)
「蓮池門」は、松濤坂の真正面にある門で、かつては「兼六園」の正門です。「蓮池門」に立派な階段があるのは、かつて、「蓮池御門」と呼ばれる立派な門があり、「金沢城」から「兼六園」へ来る殿様や奥方が「蓮池御門」をくぐって「兼六園」へ出入りしていたからです。古い図によると、石段を登った右にやや大きな番所があり、「三十人頭」と呼ばれる役人が門番をしていました。現在は、「特別名勝兼六園」の石標が建っています。また、当時この門には、「石川県伝統産業工芸館」に保存されている「松平定信筆」の「兼六園」の額が掲げられていました。
㉒ 「黄門橋」
「黄門橋」は、「常磐ヶ丘」にある石の橋で、謡曲「石橋」を題材につくられた橋です。青戸室石でできた反橋は、橋台石に斜めに架けられているほか、一枚石を二枚石に見えるよう工夫して、立体感を持たせて細工されています。このように独創的な手法が凝らされている「黄門橋」は、用と美が見事に調和した橋であると言えます。「黄門橋」の名前の由来は、三代藩主「前田利常」の役職が、「中納言」であったことから、「黄門橋」と呼ばれているそうです。そして、「黄門」という呼び名は「中納言」の中国での役職名だそうです。
② 「親不知」(おやしらず)
「親不知」は、「霞が池」を周遊しながら「内橋亭」の横を通って行くと、「栄螺山」の山腹が「霞ヶ池」の水際に迫り、崖下には大きな護岸の配石とともに沢渡があります。その配置された護岸の岩の荒々しい様子が、北陸道の難所である新潟県の「親不知海岸」の険しさを連想させることから名付けられました。汀線は池の水の増減で石が見えたり見えなくなったりするよう配石されています。
③ 「梅林」
「梅林」は、昭和43年(1968年)、明治百年記念事業として、約3000㎡ともいわれる広大な場所に、「北野天満宮」、「大宰府」や「湯島天神」、「水戸偕楽園」などの協力により、「兼六園観光協会」が中心となって全国の名梅を集めて造成されました。約20種、200本の梅が植えられており、これだけ沢山の種類の梅を見ることが出来る場所も少なく、3月になると紅白の花が美しく咲き誇るそうです。
④ 「兼六園菊桜」
「兼六園菊桜」は、かつて国の天然記念物だった原木が枯れ、現在は2代目の兼六園菊桜が2本植えられています。原木が枯れる前に桜守「佐野藤右衛門」により枝接ぎ、育成され、「兼六園」に戻されました。一つの花に花びらが300枚以上つき、ちょうど菊の花のように咲くことからこの名で呼ばれています。開花期は4月下旬から5月上旬までの約2週間足らずです。普通の桜と違って、濃紅、薄紅、白と色が移っていくのが特徴で、全国にある桜のなかでも特に珍しい品種です。
⑤ 「辰巳用水」
「辰巳用水」は、寛永9年(1632年)に、3代藩主「前田利常」が、寛永8年(1631年)の法船寺大火を契機に、
「金沢城」の防火用水を確保するためなどに設置した用水です。後に「兼六園」の「曲水」として用いられることとなりました。「辰巳用水」は、板屋兵四郎が開削し、「江戸時代の土木技術を知る上で貴重である」として、国の史跡に指定されています。用水の取り入れは、金沢の南を流れる犀川の上流で、「兼六園」から約10km離れた上辰巳町にあります。
⑥ 「金城霊沢」(きんじょうれいたく)
「金城霊沢」は、「金澤神社」のそば、「放生池」の南側にある泉です。真夏の炎天の際も枯れることなく、また、長雨が降ってもあふれることなく、いつも清水をたたえています。12代藩主「前田斉広」によって、現在のように丸い石の枠と屋根が設けられました。また、この「金城霊沢」は、その昔、「芋掘藤五郎」という男がこの湧き水でイモを洗ったところ、たくさんの砂金が出てきたという伝説が残っています。そこから「金洗いの沢」と呼ばれるようになり、「金沢」という地名の由来となった場所と伝えられています。

02_【「兼六園」の一口メモ】
⑴ 所在地…〒920-0936 石川県金沢市兼六町1 電話: 076-234-3800
⑵ 開園日…年中無休(時雨亭除く)
⑶ 開園時間
①3月1日~10月15日…7:00~18:00 (最終入園 17:30)
②10月16日~2月末日…8:00~17:00 (最終入園 16:30)
園内施設営業時間
⑷ 時雨亭…9:00~16:30 (最終入亭16:00)
⑸ 入園料
①個人…・大人(18歳以上)320円 ・小人(6歳~18歳未満)…100円
②団体(有料対象者30名以上)…・大人(18歳以上)250円・小人(6歳~18歳未満)80円
⑹ 早朝開園
「金沢城公園・兼六園」では、早朝開園(無料)を行っています。ただし、「兼六園」は有料開園時間の15分前までに退園することになっています。また、兼六園の入園口は「蓮池門口」「随身坂口」のみとなります。
早朝開園時間
①3月1日~3月31日…5:00~(6:45) ②4月1日~8月31日…4:00~(6:45)
③9月1日~10月15日…5:00~(6:45) ④10月16日~10月31日…5:00~(7:45)
⑤11月1日~2月末日…6:00~(7:45) 

03_【「兼六園」へのアクセス】
⑴ 城下まち金沢周遊バス
①城下まち金沢周遊バス右回りルート
・バス乗り場:「JR金沢駅東口」(7番のりば)
・6停留所目(橋場町(金城樓前)」の次の停留所) 所要時間約15分
・9時から17時の間に1時間平均4便(始発8:35、終発18:05)
・「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で下車し「兼六園桂坂口」まで徒歩2分160m
⇒バスは「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所に停まるので下車した後、左手の公園の中にある階段があるので上ります。上り終えると横断歩道があり、それを渡ると「兼六園」で、前方50mほどのところに「兼六園桂坂口」があります。
(ワンポイント情報)
「兼六園」と「金沢城公園」のどちらにも行く予定なら、こちらのバス停がおすすめです。「兼六園桂坂口」、「金沢城公園石川門口」の最寄り停留所となります。また「兼六園」の「蓮池門口」や「桜ヶ丘口」から入りたいときもこのバス停からが便利です。「兼六園」にある日本で最古の噴水から最も近いバス停です。

施設の満足度

4.5

利用した際の同行者:
カップル・夫婦
アクセス:
3.5
城下まち金沢周遊バス右回りルートに乗り、「兼六園下・金沢城(石川門向い)」停留所で下車し「兼六園桂坂口」まで徒歩2分160m
人混みの少なさ:
3.0
平日だったので、チケット売場でも並ぶことなく、すぐに入園できました。
見ごたえ:
4.5

クチコミ投稿日:2024/03/26

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