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https://4travel.jp/travelogue/11891668<br />で、茅野の街中を散策した後、下諏訪へ移動して、諏訪四社めぐりを始めます<br /><br />【表紙の写真】諏訪大社下社秋宮

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  • 10時14分 松本行<br />ホームについて2、3分で電車が到着とほぼ待つことなく電車が来ました

    10時14分 松本行
    ホームについて2、3分で電車が到着とほぼ待つことなく電車が来ました

    茅野駅

  • 10時26分上諏訪の先の下諏訪に到着<br />ここで降ります<br /><br />下諏訪と言えば、やはり諏訪大社(下社)のようですね

    10時26分上諏訪の先の下諏訪に到着
    ここで降ります

    下諏訪と言えば、やはり諏訪大社(下社)のようですね

    下諏訪駅

  • 上り線ホームには御柱が展示

    上り線ホームには御柱が展示

  • 改札前には万治の石仏のレプリカも

    改札前には万治の石仏のレプリカも

  • 駅構内にある観光案内所で散策用の地図をいただいて、

    駅構内にある観光案内所で散策用の地図をいただいて、

    下諏訪観光案内所 名所・史跡

  • それでは駅を出発

    それでは駅を出発

  • 駅前にも温泉です

    駅前にも温泉です

  • 秋宮に行く途中にあった門前ひろばです

    秋宮に行く途中にあった門前ひろばです

  • 足湯があったので、ちょっと浸かってみました<br />お湯は結構熱いんです

    足湯があったので、ちょっと浸かってみました
    お湯は結構熱いんです

  • さらに進んでサンキョーオルゴール記念館

    さらに進んでサンキョーオルゴール記念館

    日本電産サンキョーオルゴール記念館 すわのね 美術館・博物館

  • その前に立つのは「合格の木」<br /><br />昔旧奏鳴館開館にあたり植えた4本の楢の木のうち、この1本だけが枯れずに残ったことから名づけられたそう

    その前に立つのは「合格の木」

    昔旧奏鳴館開館にあたり植えた4本の楢の木のうち、この1本だけが枯れずに残ったことから名づけられたそう

  • 下社秋宮に到着<br />大鳥居の脇には千尋社がある

    下社秋宮に到着
    大鳥居の脇には千尋社がある

  • 千尋池の脇に鎮座しています

    千尋池の脇に鎮座しています

  • その千尋池<br />狭い島には鶴が所狭そうに・・・

    その千尋池
    狭い島には鶴が所狭そうに・・・

  • 鳥居は工事中のようで、参拝には脇の坂を登って行きます

    鳥居は工事中のようで、参拝には脇の坂を登って行きます

  • 現在工事中ですが、工事をしていなければこんな感じ

    現在工事中ですが、工事をしていなければこんな感じ

  • 秋宮の鳥居を挟んであるのは八幡社

    秋宮の鳥居を挟んであるのは八幡社

  • そして恵比寿社

    そして恵比寿社

  • 駐車場越しに諏訪湖を眺めることができます

    駐車場越しに諏訪湖を眺めることができます

  • 燈籠が並ぶ

    燈籠が並ぶ

  • こちらは御神湯の手水です

    こちらは御神湯の手水です

  • 神楽殿前にある根入りの杉<br />樹齢600~700年の古木で、丑三つ時になると枝を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の皮を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれているそうです

    神楽殿前にある根入りの杉
    樹齢600~700年の古木で、丑三つ時になると枝を下げて寝入りいびきが聞こえ、子供に木の皮を煎じて飲ませると夜泣きが止まるといわれているそうです

  • 神楽殿は天保6年に立川流の宮大工二代立川和四郎富昌により建てられました<br />大注連縄は御柱祭ごとに新しく奉納されるそうなので、間もなく新たに奉納されるんでしょうね<br />重量は1トンあるそうですね

    神楽殿は天保6年に立川流の宮大工二代立川和四郎富昌により建てられました
    大注連縄は御柱祭ごとに新しく奉納されるそうなので、間もなく新たに奉納されるんでしょうね
    重量は1トンあるそうですね

  • 神宮遥拝所<br />この先には伊勢神宮・・・

    神宮遥拝所
    この先には伊勢神宮・・・

  • こちらが弊拝殿<br />安永10年に高島藩の命により立川和四郎富棟により造営されました

    こちらが弊拝殿
    安永10年に高島藩の命により立川和四郎富棟により造営されました

    諏訪大社下社秋宮 寺・神社・教会

  • 見事な彫刻です

    見事な彫刻です

  • 天覧の白松は昭和39年5月12日に昭和天皇・皇后両陛下がご参拝された際の記念<br />三葉の松ともいわれています

    天覧の白松は昭和39年5月12日に昭和天皇・皇后両陛下がご参拝された際の記念
    三葉の松ともいわれています

  • 一之御柱は弊拝殿に向かって右側に

    一之御柱は弊拝殿に向かって右側に

  • その奥には四之御柱

    その奥には四之御柱

  • 二之御柱は向かって左側

    二之御柱は向かって左側

  • その奥には三之御柱<br /><br />御柱は弊拝殿を囲んで4本建っています

    その奥には三之御柱

    御柱は弊拝殿を囲んで4本建っています

  • さざれ石もあります

    さざれ石もあります

  • 続いて春宮へ向かいます<br /><br />こちらは歩いていたら見つけた「歴史のこみち」<br />宿場町の雰囲気のある小径

    続いて春宮へ向かいます

    こちらは歩いていたら見つけた「歴史のこみち」
    宿場町の雰囲気のある小径

  • その先立町通りを左に曲がって、こちらも宿場町の雰囲気のある通り

    その先立町通りを左に曲がって、こちらも宿場町の雰囲気のある通り

  • 観光案内所があります

    観光案内所があります

    下諏訪観光協会 名所・史跡

  • もう3月中旬ですが、まだひな人形が飾られていました<br />・・・お嫁に行くの遅れますよぉ!

    もう3月中旬ですが、まだひな人形が飾られていました
    ・・・お嫁に行くの遅れますよぉ!

  • 時計工房のミュージアムもありました(販売もされています)

    時計工房のミュージアムもありました(販売もされています)

    しもすわ今昔館おいでや 時計工房儀象堂 星ヶ塔ミュージアム矢の根や 美術館・博物館

  • 綿の湯は上社にお住いの女神が下社へお移りの際、お化粧用の湯を綿に湿し湯玉にしてこの地に置かれて湯が沸きだしたそう

    綿の湯は上社にお住いの女神が下社へお移りの際、お化粧用の湯を綿に湿し湯玉にしてこの地に置かれて湯が沸きだしたそう

    下諏訪温泉 温泉

  • すぐそばには宿場街道資料館がありました<br />無料だそうなのでちょっと覗いてみました

    すぐそばには宿場街道資料館がありました
    無料だそうなのでちょっと覗いてみました

    宿場街道資料館 美術館・博物館

  • 下諏訪宿の機能や様子や幕末に下諏訪で起きた事件について紹介しています<br />建物は明治7年にこの一帯が大火に見舞われた後に建てられたものですが、江戸時代の商家の特徴をよく残しているそうです

    下諏訪宿の機能や様子や幕末に下諏訪で起きた事件について紹介しています
    建物は明治7年にこの一帯が大火に見舞われた後に建てられたものですが、江戸時代の商家の特徴をよく残しているそうです

  • 1階はお休み処になっています

    1階はお休み処になっています

  • 江戸時代の下諏訪の宿場町の品々が展示されています

    江戸時代の下諏訪の宿場町の品々が展示されています

  • 建物の裏にはお庭もあります

    建物の裏にはお庭もあります

  • 中の様子

    中の様子

  • 宿場で提供されたお食事

    宿場で提供されたお食事

  • さきほどの階段<br />上から見てみます<br />実はこの階段は箱階段になっています<br />

    さきほどの階段
    上から見てみます
    実はこの階段は箱階段になっています

  • 宿場町の中にあるここが、甲州街道と中山道の合流した地点です

    宿場町の中にあるここが、甲州街道と中山道の合流した地点です

    甲州街道 中山道合流の地碑 名所・史跡

  • そのすぐそばには下諏訪宿の本陣岩波家<br />下諏訪には本陣は1軒のみ、このすぐそばにある桔梗屋が脇本陣で、桔梗屋は今でも旅館として営業しています<br />降下の際の和宮や、明治天皇が宿泊したこともあるそうです

    そのすぐそばには下諏訪宿の本陣岩波家
    下諏訪には本陣は1軒のみ、このすぐそばにある桔梗屋が脇本陣で、桔梗屋は今でも旅館として営業しています
    降下の際の和宮や、明治天皇が宿泊したこともあるそうです

    下諏訪宿本陣 岩波家 名所・史跡

  • さきほどのおいでやの裏辺りには青塚古墳という古墳があります<br />現在は長い年月により形が変わってしまったそうですが、<br />元は主軸長67m、後円部径33.4m、前方部幅42.8mの前方後円墳だったそうです<br /><br />嘗ては秋宮の境内地だったそうで、古墳上にある青塚社は諏訪大社の境外社です

    さきほどのおいでやの裏辺りには青塚古墳という古墳があります
    現在は長い年月により形が変わってしまったそうですが、
    元は主軸長67m、後円部径33.4m、前方部幅42.8mの前方後円墳だったそうです

    嘗ては秋宮の境内地だったそうで、古墳上にある青塚社は諏訪大社の境外社です

    青塚古墳 名所・史跡

  • こちらの坂を下って行くと中山道ですが、ちょっと寄り道

    こちらの坂を下って行くと中山道ですが、ちょっと寄り道

  • 来迎寺に来ました

    来迎寺に来ました

    来迎寺 寺・神社・教会

  • 御本堂

    御本堂

  • こちらは「地蔵さまとかねの像」<br />境内にある銕鐃(かなやき)地蔵に因んだ「かねと銕鐃地蔵」の伝説を大和作内がブロンズ像にしたもの

    こちらは「地蔵さまとかねの像」
    境内にある銕鐃(かなやき)地蔵に因んだ「かねと銕鐃地蔵」の伝説を大和作内がブロンズ像にしたもの

  • かなやき地蔵尊<br />かねという奉公娘が弁当を地蔵に備えていたのを主人の妻に叱られ火箸で額にやけどを負わされたが、地蔵が身代わりとなったことで女主人は改心し、かねは都に出て和泉式部となったという伝承

    かなやき地蔵尊
    かねという奉公娘が弁当を地蔵に備えていたのを主人の妻に叱られ火箸で額にやけどを負わされたが、地蔵が身代わりとなったことで女主人は改心し、かねは都に出て和泉式部となったという伝承

  • この蔵のような建物は「製糸業の展示館」だそうです

    この蔵のような建物は「製糸業の展示館」だそうです

  • 「ご自由に出入りください」と書かれていましたが、中はこれだけ

    「ご自由に出入りください」と書かれていましたが、中はこれだけ

  • こちらの御作田神社も諏訪大社の境外社という位置づけ

    こちらの御作田神社も諏訪大社の境外社という位置づけ

    諏訪御作田神社 寺・神社・教会

  • 伏見屋邸<br />明治時代の大商家で、当時の商家を保存展示しています

    伏見屋邸
    明治時代の大商家で、当時の商家を保存展示しています

    伏見屋邸 名所・史跡

  • ここにもひな人形

    ここにもひな人形

  • 吊るしびなも飾られています

    吊るしびなも飾られています

  • この階段を登って行くとあるのは慈雲禅寺<br />正安2年臨済宗建長寺派の寺院として諏訪大社下社大祝の金刺満貞を開基として、一山一寧の開山により創建された

    この階段を登って行くとあるのは慈雲禅寺
    正安2年臨済宗建長寺派の寺院として諏訪大社下社大祝の金刺満貞を開基として、一山一寧の開山により創建された

  • 滝の口(道の北側斜面から湧き出る水の注ぎ口となっている竜の頭の彫像)

    滝の口(道の北側斜面から湧き出る水の注ぎ口となっている竜の頭の彫像)

  • 入口参道の石段をあがった右手に稲荷社が建っています

    入口参道の石段をあがった右手に稲荷社が建っています

  • 中には沢山のお狐様

    中には沢山のお狐様

  • 矢除石と言われる石です<br />武田信玄が師と仰ぐ慈雲寺中興の祖・天桂上人に戦場へ向かう際に戦勝の教えを請い、上人はこの石の上に立って「私を弓で射てみよ」と言ったそう<br />で、至近距離から弓を射たが、全て岩で跳ね返されて上人に当たらなかったんだそうです<br />この石には矢除けの霊力があるんだそうです

    矢除石と言われる石です
    武田信玄が師と仰ぐ慈雲寺中興の祖・天桂上人に戦場へ向かう際に戦勝の教えを請い、上人はこの石の上に立って「私を弓で射てみよ」と言ったそう
    で、至近距離から弓を射たが、全て岩で跳ね返されて上人に当たらなかったんだそうです
    この石には矢除けの霊力があるんだそうです

  • 石段を登りきると山門へと続く杉並木

    石段を登りきると山門へと続く杉並木

  • 日根野織部正高吉供養塔<br />豊臣秀吉の部将で天正18年諏訪の領主になり高島城を築いた築城の名手で、慶長5年6月26日高島城に病んで没し、慈雲寺に葬られた

    日根野織部正高吉供養塔
    豊臣秀吉の部将で天正18年諏訪の領主になり高島城を築いた築城の名手で、慶長5年6月26日高島城に病んで没し、慈雲寺に葬られた

  • こちらの立派な松は、町の天然記念物「天桂松」<br />木の上には雪は無いけど(地面にはまだ雪が残っていますが)、雪吊りがされています<br />樹齢は450年ほどだそうです

    こちらの立派な松は、町の天然記念物「天桂松」
    木の上には雪は無いけど(地面にはまだ雪が残っていますが)、雪吊りがされています
    樹齢は450年ほどだそうです

  • 慈雲寺は正安2年元国皇帝の国使として中国四大仏教名山の一つ浙江省普陀山観音禅寺より来朝した一山一寧国師により観音菩薩が教えを垂れる寺、禅道場として開山されました

    慈雲寺は正安2年元国皇帝の国使として中国四大仏教名山の一つ浙江省普陀山観音禅寺より来朝した一山一寧国師により観音菩薩が教えを垂れる寺、禅道場として開山されました

    慈雲禅寺 寺・神社・教会

  • 白砂が美しい枯山水

    白砂が美しい枯山水

  • 先に進んで諏訪大社春宮の鳥居に到着<br />春宮は下社の最初の鎮座地とも伝えられる

    先に進んで諏訪大社春宮の鳥居に到着
    春宮は下社の最初の鎮座地とも伝えられる

  • 神楽殿

    神楽殿

  • 弊拝殿

    弊拝殿

    諏訪大社下社春宮 寺・神社・教会

  • こちらの彫刻も立派ですよ

    こちらの彫刻も立派ですよ

  • 子安社

    子安社

  • その左に筒粥殿では1月14日夜から15日早朝にかけて、米と小豆の粥を炊き、農作物の吉凶を占う筒粥神事が行われます

    その左に筒粥殿では1月14日夜から15日早朝にかけて、米と小豆の粥を炊き、農作物の吉凶を占う筒粥神事が行われます

  • 春宮を後にして万治の石仏へ行ってみます

    春宮を後にして万治の石仏へ行ってみます

  • 砥川に挟まれるようにある浮島神社<br /><br />ここにも御柱が建っています

    砥川に挟まれるようにある浮島神社

    ここにも御柱が建っています

    浮島神社 寺・神社・教会

  • 橋を渡り上流に少し行ったところにあるのが万治の石仏<br />万治3年に造られた石仏は、自然石の上に顔が置かれています<br /><br />正面で一礼し、「よろずおさまりますように」と心で念じて時計回りに三周し、正面に戻って「よろずおさめました」と唱えて一礼してお参りします

    橋を渡り上流に少し行ったところにあるのが万治の石仏
    万治3年に造られた石仏は、自然石の上に顔が置かれています

    正面で一礼し、「よろずおさまりますように」と心で念じて時計回りに三周し、正面に戻って「よろずおさめました」と唱えて一礼してお参りします

    万治の石仏 名所・史跡

  • 昭和49年御柱祭に岡本太郎が訪れた際に絶賛し、全国紙のコラムなどに掲載したことで有名になり、この石碑の字を書いたのも岡本氏だそうです

    昭和49年御柱祭に岡本太郎が訪れた際に絶賛し、全国紙のコラムなどに掲載したことで有名になり、この石碑の字を書いたのも岡本氏だそうです

  • おんばしら館 よいさ です<br />諏訪の有名な御柱祭を紹介した施設です

    おんばしら館 よいさ です
    諏訪の有名な御柱祭を紹介した施設です

    おんばしら館 よいさ 名所・史跡

  • その敷地の中に鉄腕アトムのマンホール<br />手塚治虫氏の祖先と秋宮の関係から今年の2月に鉄腕アトムとコラボした秋宮をモチーフとしたマンホール蓋が設置されています<br />手塚治虫氏は鎌倉時代に諏訪大社下社神職の最高位「大祝(おおほうり)」を務めた金刺氏の末裔とされています

    その敷地の中に鉄腕アトムのマンホール
    手塚治虫氏の祖先と秋宮の関係から今年の2月に鉄腕アトムとコラボした秋宮をモチーフとしたマンホール蓋が設置されています
    手塚治虫氏は鎌倉時代に諏訪大社下社神職の最高位「大祝(おおほうり)」を務めた金刺氏の末裔とされています

  • もちろん御柱も

    もちろん御柱も

  • 春宮の表参道に出たところにあるのが下馬橋<br />春宮で最も古い建造物だそうです<br />どんなに身分が高い人でも馬を降りて渡らなくてはいけないそう<br />尤も現在は渡れませんけど

    春宮の表参道に出たところにあるのが下馬橋
    春宮で最も古い建造物だそうです
    どんなに身分が高い人でも馬を降りて渡らなくてはいけないそう
    尤も現在は渡れませんけど

    下馬橋 名所・史跡

  • 表参道を下っていくと鳥居

    表参道を下っていくと鳥居

  • 魁塚(相良塚)です<br />相楽総三ら赤報隊幹部が冤罪によって慶応4年3月3日斬首に処せられた場所に、かつての同志であった人達や有志により明治3年建てられた塚

    魁塚(相良塚)です
    相楽総三ら赤報隊幹部が冤罪によって慶応4年3月3日斬首に処せられた場所に、かつての同志であった人達や有志により明治3年建てられた塚

    相楽塚(魁塚) 名所・史跡

  • 下諏訪駅に12時半頃に到着しました<br />12時22分に前の電車が行ってしまい、ここで30分ほど待つ羽目になってしまい

    下諏訪駅に12時半頃に到着しました
    12時22分に前の電車が行ってしまい、ここで30分ほど待つ羽目になってしまい

    下諏訪駅

  • 13時05分 小淵沢行きの電車で移動します

    13時05分 小淵沢行きの電車で移動します

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