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2024年04月15日 まるで初夏のような陽気に誘われて諏訪湖畔に出かけました。表紙の写真は諏訪市にある高島城です。別名を「諏訪の浮城」とも呼ばれ、380年前に諏訪湖の波打ち際に築城されたときは、まるで諏訪湖に浮いているような難攻不落の水城と言われたそうです。<br /><br />なお、今回掲載の写真は全て昨年購入したSHARP・AQUOS sense8 で撮影しました。

2024年 桜咲く諏訪湖畔を往く

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2024/04/15 - 2024/04/15

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chiaki-k

chiaki-kさん

2024年04月15日 まるで初夏のような陽気に誘われて諏訪湖畔に出かけました。表紙の写真は諏訪市にある高島城です。別名を「諏訪の浮城」とも呼ばれ、380年前に諏訪湖の波打ち際に築城されたときは、まるで諏訪湖に浮いているような難攻不落の水城と言われたそうです。

なお、今回掲載の写真は全て昨年購入したSHARP・AQUOS sense8 で撮影しました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
グルメ
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
自家用車 徒歩

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  • 無料開放となった国道142号新和田トンネルをくぐって下諏訪町へ。最初に訪れたのは諏訪湖畔にあるハーモ美術館。<br />

    無料開放となった国道142号新和田トンネルをくぐって下諏訪町へ。最初に訪れたのは諏訪湖畔にあるハーモ美術館。

  • 岩合光昭さんの「ねこのとけい展」開催中。観覧料は大人1人1200円で、点数は少ないがアンリ・ルソーやグランマ・モーゼスなどの常設展も見ることが出来ます。<br />

    岩合光昭さんの「ねこのとけい展」開催中。観覧料は大人1人1200円で、点数は少ないがアンリ・ルソーやグランマ・モーゼスなどの常設展も見ることが出来ます。

  • 館内は撮影禁止ですが撮影OKの写真が2枚ありました。<br />

    館内は撮影禁止ですが撮影OKの写真が2枚ありました。

  • イタリアで撮影したネコだそうです。<br />

    イタリアで撮影したネコだそうです。

  • もう一枚はこちら。<br />

    もう一枚はこちら。

  • 諏訪湖に面した窓からは、こんな風景が。<br />

    諏訪湖に面した窓からは、こんな風景が。

  • 湾曲した額絵のようです。<br />

    湾曲した額絵のようです。

  • 平日だったので駐車場は余裕がありました。<br />

    平日だったので駐車場は余裕がありました。

  • 館を出たところから撮った左側です。<br />

    館を出たところから撮った左側です。

  • 右側です。<br />

    右側です。

  • 正面です。<br />

    正面です。

  • ランチは湖畔道路沿いにあるイタリアンレストラン、Cannery Row で。<br />

    ランチは湖畔道路沿いにあるイタリアンレストラン、Cannery Row で。

  • この店の特徴は前菜バイキングとフリードリンクで、ポタージュもありました。料金はメインと併せて1人約2000円ほど。<br />

    この店の特徴は前菜バイキングとフリードリンクで、ポタージュもありました。料金はメインと併せて1人約2000円ほど。

  • 私のオーダーはオルチャという名のピザ。生地が厚く、ベーコンも大きいので食べた気がしました。<br /><br />

    私のオーダーはオルチャという名のピザ。生地が厚く、ベーコンも大きいので食べた気がしました。

  • 妻はフォルマッジョ。仕上げにチーズまで掛けてもらいましたが、大きいので半分は持ち帰らせてもらいました。前菜食べすぎ注意です。<br />

    妻はフォルマッジョ。仕上げにチーズまで掛けてもらいましたが、大きいので半分は持ち帰らせてもらいました。前菜食べすぎ注意です。

  • 昼食後は隣の諏訪市へ移動、諏訪市役所にクルマを駐めさせてもらってから歩道橋を渡って・・・<br />

    昼食後は隣の諏訪市へ移動、諏訪市役所にクルマを駐めさせてもらってから歩道橋を渡って・・・

  • 高島城の跡に造られた高島公園入園。<br />

    高島城の跡に造られた高島公園入園。

  • 満開の桜の下になにかある。<br />

    満開の桜の下になにかある。

  • 諏訪市公式HPによると、長野県とミズーリ州は姉妹県の関係にあり、セントルイス市から長野県知事に長野県内の都市と姉妹都市の縁組みをしたいとの申し出がありました。依頼を受けた当時の西沢知事は、セントルイス市と同様に工業が盛んな諏訪市を推薦し1974年に姉妹都市となりました。とのこと。<br /><br />なお、この石碑は40周年を記念して造られたものと思われます。<br />

    諏訪市公式HPによると、長野県とミズーリ州は姉妹県の関係にあり、セントルイス市から長野県知事に長野県内の都市と姉妹都市の縁組みをしたいとの申し出がありました。依頼を受けた当時の西沢知事は、セントルイス市と同様に工業が盛んな諏訪市を推薦し1974年に姉妹都市となりました。とのこと。

    なお、この石碑は40周年を記念して造られたものと思われます。

  • 公園内の風景1

    公園内の風景1

  • 公園内の風景2

    公園内の風景2

  • 公園内の風景3

    公園内の風景3

  • 公園内の風景4 <br /><br />シダレザクラの向こうの池の石に止まっている鳥はイミテーションです。<br />

    公園内の風景4 

    シダレザクラの向こうの池の石に止まっている鳥はイミテーションです。

  • 公園内の風景5 <br /><br />縦構図で

    公園内の風景5 

    縦構図で

  • 公園内の風景6<br /><br />桜は、すでに散り始めています。<br />

    公園内の風景6

    桜は、すでに散り始めています。

  • 高島城の天守が見えてきました。<br />

    高島城の天守が見えてきました。

  • 天守と桜の共演

    天守と桜の共演

  • 諏訪高島城は武田氏の滅亡後、諏訪頼忠に代わって転封された日根野高吉が1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、諏訪湖畔に築いた城。<br /><br />1601年(慶長6年)日根野氏は下野国に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。<br /><br />城は廃藩置県で取り壊されるが1970年に鉄筋コンクリートで再建され現在に到る。天守の入場券は大人1人310円だが、見るべき資料はあまり無い。<br />

    諏訪高島城は武田氏の滅亡後、諏訪頼忠に代わって転封された日根野高吉が1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、諏訪湖畔に築いた城。

    1601年(慶長6年)日根野氏は下野国に転封となり、譜代大名の諏訪頼水が2万7千石で入封。再び諏訪氏がこの地の領主となり明治維新まで続くこととなった。

    城は廃藩置県で取り壊されるが1970年に鉄筋コンクリートで再建され現在に到る。天守の入場券は大人1人310円だが、見るべき資料はあまり無い。

  • 天守3階からの眺め・西方向<br /><br />諏訪湖が望めるが、築城時はすぐ下まで湖水であった。<br />

    天守3階からの眺め・西方向

    諏訪湖が望めるが、築城時はすぐ下まで湖水であった。

  • 天守3階からの眺め・北方向<br /><br />この後に行く立石公園が見える。<br />

    天守3階からの眺め・北方向

    この後に行く立石公園が見える。

  • 天守3階からの眺め・東方向<br /><br />諏訪市役所が公園の向こうに見える。なお、堀の左側はかつての二の丸があった場所。<br />

    天守3階からの眺め・東方向

    諏訪市役所が公園の向こうに見える。なお、堀の左側はかつての二の丸があった場所。

  • 天守3階からの眺め・南方向<br /><br />諏訪の市街地が広がる。<br />

    天守3階からの眺め・南方向

    諏訪の市街地が広がる。

  • 天守から出て堀の外へ出る。この橋の名は冠木橋。<br />

    天守から出て堀の外へ出る。この橋の名は冠木橋。

  • 縦構図で一枚

    縦構図で一枚

  • 隅櫓、冠木橋、そして天守と満開の桜が綺麗。<br />

    隅櫓、冠木橋、そして天守と満開の桜が綺麗。

  • 最後は昨年10月にも行った立石公園。桜曇りの日だったので透明感が今いちだったのが残念でした。<br /><br />これで「2024年 桜咲く諏訪湖畔を往く」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。

    最後は昨年10月にも行った立石公園。桜曇りの日だったので透明感が今いちだったのが残念でした。

    これで「2024年 桜咲く諏訪湖畔を往く」は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございます。

  • OMAKE1<br /><br />ちょっと桜分が不足気味なので、佐久市臼田にある龍岡城・五稜郭の桜を追加します。(笑)ついでに龍岡城についてスタディ。<br /><br />龍岡城は幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていました。龍岡藩は1万6千石の小藩であり、城主の格式は認められていないため、厳密には城ではなく田野口陣屋です。しかし日本には函館とここしかない西洋風の星形要塞が珍しいので最近、佐久市も売り出しにかかっています。(笑・追加)

    OMAKE1

    ちょっと桜分が不足気味なので、佐久市臼田にある龍岡城・五稜郭の桜を追加します。(笑)ついでに龍岡城についてスタディ。

    龍岡城は幕末期に築城され、龍岡藩(田野口藩)の藩庁が置かれていました。龍岡藩は1万6千石の小藩であり、城主の格式は認められていないため、厳密には城ではなく田野口陣屋です。しかし日本には函館とここしかない西洋風の星形要塞が珍しいので最近、佐久市も売り出しにかかっています。(笑・追加)

  • OMAKE2<br /><br />文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)は、信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得ました。<br /><br />西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計、元治元年(1864年)3月に建設を開始しました。

    OMAKE2

    文久3年(1863年)、三河国奥殿藩の藩主・松平乗謨(のりかた)は、信濃国佐久郡への藩庁移転と陣屋新築の許可を江戸幕府から得ました。

    西洋の軍学に関心を寄せ、砲撃戦に対処するための築城法を学んでいた乗謨は、新たな陣屋として稜堡式城郭(星形要塞)を設計、元治元年(1864年)3月に建設を開始しました。

  • OMAKE3<br /><br />龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、建物は解体され、競売に処されましたが、御殿を構成した建物の内、「御台所」だけは城郭内で位置を変えて現存しています。堀は埋められたことがありましたが、昭和の初期に住民によって元に戻されています。<br /><br />1875年(明治8年)に田野口村の尚友学校が移転。以後、佐久市立田口小学校となり城跡は学校用地として使われてきました。<br /><br />ところが、田口小学校が統合により2022年度末で閉校となり、閉校後に小学校の全施設を解体撤去し、竣工時の龍岡城にできる限り近い状態に戻す整備計画が着々と進められているそうです。<br /><br />おしまい

    OMAKE3

    龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、建物は解体され、競売に処されましたが、御殿を構成した建物の内、「御台所」だけは城郭内で位置を変えて現存しています。堀は埋められたことがありましたが、昭和の初期に住民によって元に戻されています。

    1875年(明治8年)に田野口村の尚友学校が移転。以後、佐久市立田口小学校となり城跡は学校用地として使われてきました。

    ところが、田口小学校が統合により2022年度末で閉校となり、閉校後に小学校の全施設を解体撤去し、竣工時の龍岡城にできる限り近い状態に戻す整備計画が着々と進められているそうです。

    おしまい

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