2024/03/12 - 2024/03/12
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たびたびさん
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今回の旅は四日間。奈良の春日祭を拝見するというのが最初の目的だったのですが、その前に長期の休館が明けた藤田美術館を久しぶりに訪ねたくなったのと、さらにはいつか行こうと思っていた十津川も一泊二日で加えたという次第。関西を代表するビッグな二つで、結果的に春日祭がメインかどうか分からなくなってしまった感はありますが、まあ、それもよし。これで四日間が無駄のないしっかりした計画になったと思います。
さて、初日の今日は藤田美術館をメインにして、大阪城公園の辺りから、ついでにパナソニックミュージアムと守口市街をちょこっと回るという計画。東京の街歩きに比べると大阪の方が範囲は狭いようにも思いますが、歴史の厚みが違うので、どんなところを歩いていても予想を超える何かに出会うことが多いんですよね。まあまあ、そんなところも楽しみにしながらの散策。ここでは藤田美術館とパナソニックミュージアムについて触れておくことにします。
まずは、藤田美術館のこと。この美術館は、藤田財閥(現在のDOWAホールディングス)の創始者藤田伝三郎、その長男の藤田平太郎、伝三郎の二男の藤田徳次郎のコレクションを基にしていて、まずは天下に三つしかない名物、曜変天目茶碗のうちのひとつを所有することで有名です。また、個人的なコレクションにして、それ以外にいくつもの国宝があるということですから、その凄さは十分にご理解いただけるかと思います。
長期の休館が明けて、やっと訪れることができましたが、建物はかなり近代的にリニューアルされていて、アプリを使って展示品の説明を表示するという最先端の技術も導入していました。展示品は、千利休の花入れ、伝藤原公任の暮春花色紙、桃山~江戸の雪中梅花小禽図、藤原定家の小倉色紙、藤原俊成の住吉切、伝源頼政の平等院切、古今和歌集の高野切、久我通親の熊野懐紙、雪村周継の竹林七賢図、尾形乾山の重文角皿などなど。ちょっとため息が出るランナップですが、作者が分からない作品でもここの美術館がコレクションにしているとそのことで作品に箔が付いているような感じ。つまり、作者も大事だけど、コレクターも作品の評価の重要な要素。欧米では常識になっているようですが、日本ではまだまだ。正倉院の御物は別格にしても、○○ゆかりの品というのとも違います。私の知る限りだと古美術では松平不昧公がややそういうクラスではないかと思いますが、この美術館もいい線いっているのではないかと思います。
もう一つは、パナソニックミュージアム。パナソニックの歩みというより、創業者、松下幸之助の人となりを紹介する内容の博物館。和歌山市出身で、父の事業が失敗したことで、尋常小学校を中退、9歳で丁稚奉公に出されるというところからの出発。電球ソケット、自転車用電池ランプの考案、ヒットから始まって、松下電器という大企業を育て上げるのですが、経営者としてだけでなく、次の時代の経営者を育てるという活動が第二ラウンド。松下政経塾もその延長線にあるものでしょう。戦後の高度成長をけん引した偉大な人物であることはその実績からしても疑いようはないのですが、この博物館を拝見して、手放しで楽しめるかというとちょっと微妙な気持ち。例えば、社員一丸とか家族と同様とかは、先のラグビーのワールドカップで話題となった”ワンチーム”と同じようでいて、たぶんそうではない。”ワンチーム”は、もともとは違う国で育った選手たちの多様性を前提としていて、視点はかなり違うように思います。つまり、松下イズムを現代に活かすための修正は少なからず必要なわけでそこを省くと単に松下幸之助を神格化したり、ノスタルジーに浸るだけになりかねない。その加減がとても難しいような気がします。そして、一方でそれより大きなのは今の姿との関係。日本の電機産業は、シャープや東芝の例を見るまでもなく、韓国や台湾、中国に押されっぱなし。かつ、イノベーションが起きるのはますます米国だし、日本のダイナミズムとか夢のまた夢的な空気が漂っているようにも感じます。それはバブルの崩壊から失われた30年の問題なのでしょうが、その総括はどうしたらいいのでしょうか。これはすべての日本人が悩んでいる問題。ちょっと厳しいかもしれませんが、どうかするとこの博物館はそうしたリアルな問題から目を逸らしているように感じられなくもない。伝統を守ることも大切かもしれませんが、日本のトップ企業がこれでいいのかな。疑問に思ってしまいましたが、ちょっと言いすぎでしょうか。
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京阪の京橋駅に到着して、ここから藤田美術館を訪ねますが、久しぶりの京橋。せっかくなので、京橋の周辺もチェックしておきましょう。
この辺りは商店街だらけなので、どれがどれなのかかなり分かりにくいです。京阪京橋商店街は京阪京橋駅の北口を東側の出にたところ。高架の南側に延びる細いアーケード商店街。江南チケットとかありますが、駅への”抜け道”みたいな感じです。 -
北に向かうと京橋一番街。
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京橋一番街を入って、それを抜けたところが京橋東商店街。ここもアーケード商店街ですが、昼間でも暗い感じ。案外、夜の方が活気があるのかもしれません。
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京橋東商店街から東に向かって抜けたところが京橋駅前商店街。南北に走る京橋駅前商店街に出ます。この商店街はまた最初の京阪京橋商店街につながっていて、ごちゃごちゃしていることはお分かりいただけると思います。
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今度はJRの京橋駅。南口ロータリーに建つ平和よ永遠なれは、大阪城東ライオンズクラブが設立20周年の記念事業として建てた少年と少女の像。太平洋戦争の時、医師として被災者の治療にあたった会員の提言を受けて、作られたものだということです。
なお、京阪京橋駅からだと道が複雑で、けっこう苦労しました。 -
その隣りが、大阪大空襲 京橋駅爆撃被災者慰霊碑。平和よ永遠なれの像とセットみたいな感じかな。
太平洋戦争終戦前日の昭和20年8月14日、大阪は最後の大空襲を受けたのですが、京橋駅にも4発の1トン爆弾が落ち、分かっているだけで210名が犠牲になったとか。太平洋戦争の犠牲者は本当に日本中の至る所。犠牲者の御冥福を祈ります。 -
JR京橋駅の北側は、京橋コムズガーデン。駅から直結の飲食店を中心とする地下街です。
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ただ、地下街と言っても、地上に向かう階段やその周辺は空が見えるので、あんまり地下という感じはしないかも。いわゆる地下街とは違って、むしろ自然な開放感があると思います。
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京阪京橋駅の西側に沿って、藤田美術館に向かいますが、その途中がKぶらっと。ショッピングモールというより、飲食店が多い、高架下のストリートといった感じ。ちょこっと軒先が付いているので、雨の日は気持ち的に楽ですね。駅へ急ぐ人がパラパラ歩いていて、通り道になっています。
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さて、藤田美術館です。かなり昔ですが、訪ねた時は休館で残念な思いをしましたよね。今はなくなりましたが、隣りの太閤園で昼飯を食べて帰った記憶があります。
それにしても、このリニューアルされた建物は想像以上に立派。 -
全面ガラス張りで明るいロビーも悠々。
近代的なデザインです。 -
ここが入口。
チケットのカウンターはなくて、入り口の係りの人に料金を払います。
と同時に美術館のアプリをダウンロード。そのアプリで作品の解説が見れるようになっていました。また、スマホであれば展示品の撮影はOK。なかなかありがたいことですね。 -
いよいよ展示室です。
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展示は、「咲 春は花」
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イチオシ
作品保護のためでしょうが、光の加減がいいですね。
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墨梅図
室町時代15~16世紀 -
イチオシ
右上に讃があって、書画一体の中国の影響を感じます。
雪舟は、応永27年(1420年)~永正3年(1506年)。中国に学んだうえで、日本画の世界を切り開きますが、まだしばらくは交じり合った時代が続くということでしょう。 -
雪中梅花小禽図
桃山~江戸時代 16~17世紀 -
イチオシ
この頃になるとまさに日本画の世界。
雪舟の影響も濃いようですが、日本人の心象風景とでもいうような情景です。 -
竹林七賢図
雪村周継 室町時代 16世紀 -
作者は不明ですが、広い余白と讃。日中合作のような不思議な感覚です。
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イチオシ
緑地菊唐草文唐織
能装束ですが、この小袖も何とも言えない出来栄え。
豪華には違いないのですが、全体としては意外にさらりとした印象。どんな貴人が身に着けていたのか。センスの塊りのようなデザインです。 -
古染付桜川平水指
中国 明時代・17世紀ほか -
イチオシ
堆朱
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赤銅臥牛香炉
石川光明ほか 明治43年
藤田伝三郎の70才を祝って、藤田組の職員が贈ったもの。 -
暮春花色紙
伝藤原公任 平安時代 12世紀 -
イチオシ
藤原公任の代表歌は、小倉百人一首(55番)
滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ
藤原道長や紫式部との関りもあり、平安の絶頂期に活躍した才人。三十六歌仙も藤原公任の三十六人撰に基づくもの。この書もさらさらっとまるで仙人が書いたような趣を感じます。 -
小倉色紙
藤原定家 鎌倉時代 12世紀
藤原定家は、後鳥羽院の勅命によって編纂された新古今和歌集の撰者6人のうちのひとり。小倉百人一首の撰者でもあり、日本の代表的な歌道の宗匠。ただ、正岡子規にけちょんけちょんの評価をされて、ちょっと風向きが変わったかもしれません。 -
イチオシ
和歌五種(住吉切)
藤原俊成 平安時代 12世紀
藤原俊成は、藤原定家の父。親子二代で、名声を揺るぎないものにした功績は大ですね。 -
イチオシ
平等院切
伝源頼政 鎌倉時代 12世紀
源頼政は、源氏でありながら保元・平治の乱でも平家に追従していた大物。その後、以仁王の挙兵に応じたものの、宇治平等院の戦いに敗れ自害。しかし、ここから平家滅亡の流れが始まります。 -
重文 古今和歌集巻第十八断簡(高野切)
平安時代 11世紀 -
古今和歌集は、醍醐天皇の命により編纂された最初の勅撰和歌集。紀貫之、在原業平、小野小町、僧正遍昭などなど。
そして、古今和歌集を書いた高野切は、以降のひらがなのお手本です。 -
イチオシ
重文 熊野懐紙
久我通親 鎌倉時代 13世紀 -
後鳥羽上皇は熊野三山に30回以上も御幸し、その道すがら歌会を開催。その和歌を清書したものが熊野懐紙です。
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日本文化の王道といったオンパレードですね。
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漢字は中国の宝。
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王義之は神様ですが、日本でこのような進化をするとは夢にも思っていなかったでしょう。
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慈覚大師円仁
入唐して帰国後、慈覚大師が関係した寺は、平泉中尊寺や浅草の浅草寺など関東に209寺、東北に331寺。天台宗の3代座主として以上にその活動範囲は広いです。
ただ、密教にこだわって本来の天台宗の教義からは遠くなったという意味では残念な人物。まあ、次の円珍はもっと残念ですけどね。 -
イチオシ
二重切竹花入 銘よなが
千利休 天正18年(1590)
日本は中国から学び、そこから日本の文化を築いていく。オリジナルがないような中でお茶だけは日本のオリジナルと思っている人も多いと思いますが、それは違います。断簡は利休好みだったし千利休はわび茶を完成させた人物ですが、わび茶の創始は村田珠光。しかし、中国唐代に陸羽によって著された書物「茶経」というのがあって、そこにはすでに飲茶だけではなく、茶道に至る精神性が説かれています。たぶん、村田珠光も千利休もそれを目にしていたはず。客観的に言えば、珠光も利休もそれを日本的に表現する方法を工夫したということだと思います。お花も同様に中国からですね。
ただ、オリジナルがどうとかは関係ない。韓国人はめちゃめちゃこだわるようですが、そうではないですよね。いいものをいいと評価して、自分のものとして受け入れたことが日本人の素晴らしい点。私は、当初の稲作を受け入れた縄文人辺りから備わったDNAのような気がしてなりません。 -
舟形花入
千宗旦 江戸時代 17世紀 -
茶杓 銘松風
千宗旦 江戸時代 -
狩野派の初期のもの?長谷川等伯ではないでしょう。
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尾形乾山の絵皿
しだれ桜かな -
重文 銹絵絵替角皿
作:尾形乾山 画:尾形光琳 江戸時代 18世紀 -
全部で10枚の作品です。
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藤田家のひな人形?
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藤田伝三郎の紹介です。
以上、展示品の数はさほど多くはないですが、源氏物語を藤原公任で補ったり、源平合戦を源頼政でさらりと触れたりして、もうこれで十分。ここの所蔵品は歴史をバックボーンにした美術品ですからね。その美しさを楽しむだけでなく、背景にある歴史に思いを馳せることができるので、美術鑑賞に歴史の旅がくっついているような気分かな。また、別の視点で言うと、美術館の質は、やっぱり流れの一貫性。なにか飛びぬけていいものがあっても、玉石混交だと興ざめします。これだけ安心して楽しめるのは、野村美術館とか関東だと三井美術館かな。それほど数はないような気がします。 -
あとは、藤田美術館の敷地の中にある旧藤田邸庭園の方へ。
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ちなみに、藤田邸は、藤田財閥の藤田伝三郎が日本郵船の大阪支店長屋敷を買い取って移り住んだのが始まり。網島御殿と称される建物群が完成します。庭には多宝塔や後世に造られた茶室もありますが、
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池や芝生のスペースなど普通の都市公園のような眺め。大名庭園のようなものを想像するとがっかりするかもしれません。
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旧藤田邸庭園の裏側、大川沿いの遊歩道脇に出て、これは水防碑。碑には、「災害は忘れたころにやってくる」と刻まれているだけですが、明治18年の大洪水では、東成郡27か村が水中に没したということ。今も異常気象が云々言われていますから、それなりの備えは必要です。
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さらに下流の方に進んで
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川崎橋は、昭和53年に架設された斜張橋。それなりに美しいスタイルですね。中之島公園と千里の万博記念公園を結ぶ大規模自転車道の一環として架けられたもの。江戸期は、ここには橋がなく、川崎渡という渡しがあって。大阪城京橋口から対岸の幕府の役人宅や諸藩の蔵屋敷のある地域をつなぎました。
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寝屋川橋は、寝屋川の最下流。寝屋川は、この橋を過ぎると大川に合流します。昭和4年に架けられた橋は、長さ94.5m、幅19.0m。それなりの大きさではあるのですが、橋が通す道は平たんなので、車で通っていても橋の存在にはあまり気が付かないかなと思います。
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寝屋川橋の東詰めにあるのが、京橋川魚市場の碑。植え込みの中に隠れるように建っています。
この市場が扱ったのは雑魚場市場のような他の市場が扱った海魚ではなく川魚。幕府から大阪で川魚を独占的に扱うことを公認された市場だったようです。 -
ここから大阪城を目指します。
東町奉行所跡の石碑は、大阪合同庁舎の前。大阪城代の下に置かれた東西の町奉行。大阪城にも近いここは、東町奉行所があった場所。豪商の米の買い占めに憤った大塩平八郎がたびたびその窮状を訴えたのがここだったとか。しかし、奉行所は動かず、大塩平八郎の乱が起きてしまいます。幕府の役人が立ち上がったことは今からは想像できないくらい驚天動地の出来事。天保8年(1837年)のことです。 -
少し進んだ大阪府庁本館は、大阪城公園の西隣り。現在の建物は、三代目。大正15年、名古屋市役所本庁舎の設計もしたという平林金吾の設計。石造りのようにも見えますが、鉄骨鉄筋コンクリート造のがっちりした建物。関西万博の幟が下がっていました。
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では、大阪城内へ。
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天守閣を望む本丸までやってきました。
今日は雨。晴れていればキラキラ輝くいい眺めなんですけどね。 -
ミライザ大阪城は、大阪城本丸広場に建つ歴史的建造物。昭和6年に建てられた左右対称のロマネスク様式の旧第四師団司令部庁舎です。
現在は、レストランやカフェ、土産物のショップなどが入る複合施設ですが、 -
内部は
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レトロな雰囲気が
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いいですね。
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大阪城の歴史をまとめたパネル展示もありました。
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昼飯は、JO-TERRACE OSAKAの
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さち福や。
メニューを見ても定食屋さんみたいで気軽に入れるお店ですね。 -
から揚げ定食をいただきましたが、普通においしい。スタッフのきびきびした動きもいいと思います。
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ここから、また京阪京橋駅の方に戻ります。
読売テレビは、川向こうに見える低層ビルと高層ビルが二段階になった立派なビル。この建物は三代目のようですね。大阪では大阪テレビ放送に次ぐ民間では二番目に放送免許をもらったテレビ局。名前の通り、読売新聞の系列です。 -
大阪城ホールは、大阪城公園にある多目的アリーナ。昭和58年、大阪築城400年まつり開催に合わせてオープンした楕円形のドーム式の施設です。
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コンサートや各種イベントが頻繁に行われていて、いつも人が集まって賑わっているという感じです。
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大阪城公園と大阪ビジネスパークの間を流れる川は、第二寝屋川。ここから下流の寝屋川橋を過ぎると大川に合流します。名前はイマイチですが、八尾市福万寺町付近で恩智川から分かれる淀川水系の一級河川。ゆったりと流れて、水量も多いです。
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IMPは、松下IMPビルの中にある商業施設。東西に延びる200mのモールの中央部には、円柱の列柱空間と4層吹き抜けのアトリウム空間。周囲はフードコートみたいになっていて、大勢のお茶をする人がいました。この近未来的なデザインは、けっこうインパクトがあると思います。
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TWIN21は、OBPパナソニックタワーとMIDタワーの2つのビルで構成される双子ビル。吹き抜けの空間が巨大で、これは見応えがあります。38階のレストランまで含めたショッピングモールで、つまり、中心は飲食かなと思います。
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大阪城京橋プロムナードは、京橋駅と大阪ビジネスパークを直結する橋。京橋駅から大阪城公園に向かうのもこれを利用すると便利です。近代的で斬新なデザインの屋根つきの歩行者専用橋というのがウリですが、近未来的なトンネルを歩いているような感覚が楽しいです。
京橋駅からパナソニックミュージアムの最寄り駅、西三荘駅に向かいます。 -
パナソニックミュージアム 松下幸之助 歴史館は、パナソニックの創業者、松下幸之助の人となりを紹介する企業博物館。
西三荘駅からはすぐですね。 -
正門を入って、これが歴史館。
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歴史館に入ると
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エントランスには、松下幸之助の在りし日の写真があれこれ。
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ここからが展示室。
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「私は和歌山市から和歌山線に沿って東へ二里、海草郡和佐村というところで明治27年11月に生まれた。。」
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「私の少年時代はむしろ小僧時代という呼び方が当たっているかもしれない。。」
冒頭にも触れましたが、尋常小学校を中退、9歳で丁稚奉公に出されることになった幸之助少年です。 -
私の社会生活はまず火鉢屋の小僧から始まった
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創業
幸之助23歳
松下電気器具製作所を設立します。 -
飛躍の端緒となった改良ソケットから始まって、
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ナショナルランプの大ヒット。
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小さな手工業の段階ですが、夢は大きく膨らみます。
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飛躍
56歳
海外に学ぶことが緊急時であると思い立ってアメリカに向けて旅立つ。 -
57歳
フィリップス社との技術提携。 -
打開
高度経済成長後の金融引き締めに対する改革。 -
経世
第一線から退いた後も松下電器を育てた経営哲学で、今度は有意の経営者を育てるという活動に入っていく。 -
隣りに建つパナソニックミュージアム ものづくりイズム館にも寄ってみます。
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かつての製品群がこれでもかというほど並んでいましたが、
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あんまり伝わってくるものはないかな。
見学者はポツポツいて、ビジネスマンらしき人も。ただ、もやもやした気持ちは冒頭で触れたとおりです。 -
また、ここからは周辺散策。
天乃神社は、社伝として、正平2年(1347年)、楠木正成の子、楠木正行が室町幕府執事高師直と戦った四條畷の戦いの際、楠木正行が本陣を置いた場所とされているよう。 -
ただ、四条畷はここからけっこう離れているし、ちょっと無理はあるような。
しかし、楠木正行に関係する神社であることは確かでしょう。
なお、楠木正行の死によって南朝方は崩壊したと思いきや、室町幕府の内紛もあって、その後も南朝の勢力は一気には衰えない。尊氏には最期まで安らかな時代はなかったという印象ですね。 -
守口市駅の方まで歩いて、これは守口文化センター。アートっぽい外観も悪くない立派な建物です。中心は、音楽や演劇イベントなどが多く開催されるエナジーホール。その他、会議室や図書室も併設した守口市を代表する総合文化施設です。
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守口市民体育館も守口市駅東口からすぐ。守口文化センターも立派ですが、この体育館もけっこうな大きさ。守口市の箱モノはどれも立派ですね。ここでは、プロバスケやバレーボールといった公式戦も行われるようで、質の高さも窺えます。
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ここから京街道の方へ向かいます。
文禄堤は、車の通りから階段を上がってもう一つの通りに出た場所。プレートの説明板がありました。
秀吉が伏見城と大阪城を結ぶ最短距離の道として文禄5年(1596年)に淀川左岸の堤防を改修・整備したものですが、京へ向かう時は京街道、大阪に向かう時は大阪街道と呼ばれたそう。なお、堤の長さは27kmあったようですが、面影が残るのはこのあたりだけだそうです。 -
街道を進むと
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すぐに守口宿高札場。
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さらにどんどん進んで、守口一里塚跡。
小さな場所ですが、公園のように整備されて、青い石で作られた石碑もなかなか立派でした。守口宿が整備されたのは、大阪夏の陣の翌年元和2年(1616年)。一里塚は守口宿への入り口でもあり、出口でもあったということです。 -
そこから引き返すような感じで、難宗寺へ。
この寺は、文明9年(1477年)創建の浄土真宗本願寺派の寺。文明7年(1475年)、吉崎を退去した蓮如は枚方に居を定めますが、その頃、守口でも布教活動をしており、それに帰依した守口地元の来迎衆が尽力したようです。 -
この寺のある辺りが守口宿の中心。明治元年(1868年)京都を出立し大坂御幸に向かった明治天皇も、最初の宿泊はここ難宗寺。そして、この大坂御幸は東京遷都を目指す第一歩。翌年の東京への御幸、再御幸を経て、天皇は東京に移ることになりました。
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山門横の大阪府の天然指定物、大イチョウも有名です。
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難宗寺の北西角に残る東海道守口道標。四つの石柱が建っていて、左側二つの「左 京」「すぐ 守口街道」が道標。ここが京街道と守口街道の交差点だったということですね。右側二つは「御假宿所」「御行在所」。明治元年の明治天皇大坂行幸で難宗寺が宿泊地となったことを示すものです。
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守口宿本陣跡の駒札です。
守口が宿場となったのは、元和2年(1616年)。それに伴い、ここに本陣、問屋場が設けられます。守口宿の特徴は道路の幅が異常に広いこと。定められていた4.6mに対して15m。それだけ人や荷物が多かったことが窺われます。 -
旧守口宿のエリアには、もうひとつ、大塩平八郎ゆかりの書院という史跡があります。天保8年(1837年)の大塩平八郎の乱はあまりにも有名ですが、ここは、地元の豪農、白井家の邸宅があり、その一角にあった書院が大塩平八郎ゆかりの書院と呼ばれたのだとか。つまり、白井家当主の孝右衛門は大塩平八郎の中心的な門下であり、大塩平八郎はここで講義を行ったり、挙兵の密議や打合せが行われたと言うこといです。
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今夜の宿は奈良。
途中の鶴橋駅近くで晩飯です。 -
鶴橋の駅を出てすぐ。通りの向こうに鶴餃子の看板が見えたので手っ取り早くここに決めて訪ねてみました。
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いただいたのは、焼き餃子とスープ餃子。
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肉がけっこう存在を主張していて、香辛料もほどほど。普通においしい餃子です。
明日は、春日祭り。あんまり情報がなくてちょっと不安なんですが、まあ、何とかなるでしょう。
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