2024/02/11 - 2024/02/16
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mom Kさん
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通い続ける士林區 ” 社子市場 ”
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- エバー航空
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我が家に着くなり、E「オカアサン、社子市場ニ イキタイ?」「行きたい !」
二人で行くのは、6年ぶり。
あの時もEnchanは、おばあちゃんのための果物を買ったね。
角の饅頭のお店も豆花屋さんもお正月休みだった。 -
社子市場。
お正月二日目は、お店のお休み多くても農家さんは働く。 -
E「ナニ タベタイ?」
「温かい豆花が食べたい」
E「ピーナッツ イレル?」
「入れる」 -
新年3日目、7時。公園で太極拳をしたあとは、朝ご飯に。
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清掃する人
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新しいお店
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あるある。これこれ。
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両方熱々。やっぱり好吃。 -
お昼も、この界隈ではなかったメニューが掲げられてる。
そういえば古い自助餐は無くなっていた。
コロナ禍で飲食店規則が厳しくなったのかなあ。
新しいお店は、設備も何もかもぴかぴかを誇っている。 -
社子市場の入口角っこは、毎回異なる小さな露店。リンゴ箱程度に丸々チキンだけという時もあった。今日はピザ状の大きな餅。どこかのローカル食かもしれない。
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11時34分。見つけちゃった! 買い物を済ませたお母さんも食べている。私も。そばに小さなテーブルにイスあり。
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オアゼン
台東のW曰く。「あれは、屋台の食べ物で、台東にはお店はありません。」 -
社子市場のお弁当屋さんで選んだ大好き野菜スター
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2時半に出る。彼女の友人マイルズさんには台南に向かう前にも会っていた。
日本語勉強中、日本大好き→日本代表私。また会いたいらしい。
で、彼を途中でピックアップして
E「一時間半後ネ。」と言って、二人だけ降ろされた。
本当は一人でほっつき歩きたい迪化街。 -
最近気になるバッグに立ち止まる。マイルズさんが、「お母さん,、これは小麦粉を入れていた袋です。」彼はお気に入りの日本の陶器のお店に誘う。
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ナイロン素材の種類が増え、それにカラフルになっている。もう昔の籠屋さんではない。
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マイルズさんもEnchanと同じことを言う。M「ここはとてもお金持ちのところです。」大陸との交易が最も盛んだったエリアとか。高価な薬は、大きなお金が動いていたことが想像できる。
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私は、開発で高層ビルに変わらないこと、流行りのモールとやらのショッピングセンターができないことが嬉しい。一族や個人の財力と結束がかたいのか。数年数十年単位の発想など持たないのか。歩きながら、こんなことを考えるのも楽しい。
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”ブームなんて一時ですよ。” ”経済効果?” ”文化効果の威力(幸せ)を知らない貧しい君たちよ。” と、この建物から聞こえてくる。
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メインストリートからの1本外れた平行に伸びる小路。もともと簡素な建物が並んでいたところか。新しい住まい。でも低層が守られている。
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さらにメインストリートから離れます。
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ここも修復程度になればいいなあ。
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マイルズさんのおじさんが、一時この辺りに住んでいて、子供の頃よく来ていたという。
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彼が、そこから少し離れた所へ案内してくれた。
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この地域の名前のついたお寺です。
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お正月だから参道のお店は全部閉まっています。ここは初詣でにぎわうことはないみたい。
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お寺の入口にあたる茶店のようなところだけが開いています。
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向こうに見えるのが、お寺の門。
背にしているのが先ほどのお寺。 -
M「台湾は、大きな木の下にお店を作るのです。」よいお話を聞けました。
なあるほど。
大きな木の大きな枝が建物をかぶせるように広がっていました。 -
Enchanが迎えに来てくれて、彼と別れます。
E「オカアサン ナニタベタイ?」
「揚げていない臭豆腐! 焼きそば!」
前者、さすがにこれは彼女御用達の高級レストランにはありません。
向かった先は、私、これもお気に入り寧夏夜市エリア。
オアゼンも牡蠣麺も好きなお店がある。
彼女は、屋台街には目もくれない。私は、そちらばかり。 -
お持ち帰りを待つ間、私は外れて屋台の方へふらふら。
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さっき見つけていたんだ。大好きスイカジュース。
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午後5時半。私の夕食。
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13日朝
私が出入りする勝手口。インドネシアかフィリッピンから来ているメイドさんたちが、この誰も入り込まない家と家との壁の間で休憩時楽し気におしゃべりしている。マレー語で挨拶したら、笑顔が返ってきた。まだ十代に見えるほど若い。
前の公園で車いすを押しているのは、大抵彼女たち。 -
葫蘆街に軽トラックが止まっていて、野菜が並べられていた。芹にみえるが、日本のと太さが違う。色も濃く、がっしり。手に取って、匂いをかがせてもらったら、おじさん、葉っぱをむしり取って、「こうするとよくわかるよ」みたいな顔つきで私に手渡してくれる。
一束買うことにした。小銭を全部だしたが、二人でのぞき込むが足りなさそう。
紙幣は1枚ポケットに入れている。
おじさん、1元、5元のありたっけを10元一つに併せて、「これでいいよ。」というふうににっこりしてくれた。多分、本当は50元だったと思う。どのお野菜にも値段などなし。みんな、早朝の畑から直行に見えた。籠に入って売られているのも好き。
お正月で市場もお店もお休み。でも野菜たちはそんなの関係なく、すくすく。遠くから来たのだろう。
申し訳なかった。 -
今日は、古いお店に行こう。
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台南のあのお店の味とつい比べてしまう。
私は、台南を知ってしまった。 -
インリンの彼女が、日本で一番食べたくなった台湾の食べ物だと言っていた
クレープ状卵巻き。今朝は、これと温かい砂糖なし豆漿。
あとは、おやつのお持ち帰り。 -
ここの小籠包も試してみたいなあ。
-
さて、まずこの芹をお水に浸けて
-
昨夜の臭豆腐がほぼ残っているので、お昼はこれ。
Enchanが、このヨーグルトを食べなさいと持ってきた。デンマーク製。乳清なし。どこでどうやって手に入れているんだろう。牛乳も普通のスーパーで買わない徹底ぶり。
もともと食べ物や健康に一家言ある子。それにしても一層顕著になっていて驚く。
心配する。 -
葫蘆街
バス通りから通って帰る道。小さなお店は全然変わっていないが、早朝の朝食屋台は無くなっていた。私が初めて台湾の朝食を食べた屋台。叔父さんと叔母さんが、覚えていてくれて、4階のベランダで洗濯物を干していたら、手を振ってくれた。それもずいぶん昔になる。 -
お昼は、マントウと臭豆腐を炊飯器で温める。
EnchanもAndyさん同様、非電子レンジ派。日本の我が家に来ても、台所用品の
材質にうるさい。アルミニウム製品はもってのほか。
東北の震災原発事故後、私が日本から持参の食べ物は絶対受け取ってもクレナイ。お菓子さえ甥達に渡してクレナイ。
今回日本を出る朝、お寿司屋さんに注文して持参した巻きずしもアウト。
台北の”高級”日本料理店もどき寿司は、食べたのに。プンプン。 -
三度目のマイルズさんと三人でのおでかけ。最近できた宗教施設。彼は、クリスチャンなのに? なぜここに来たのだろう。
「今日もマイルズさんとお出かけするの?」
E「マイルズ、オカァサンガ スキ ミタイ。」
「あなたは?」
返事を渋る。 -
次に連れて行ってくれたところ。街からさらに離れた山の中腹。
芸術大学の敷地は、市民のトレッキングコースにもなっているみたい。 -
確かに遠くに台北市が一望。お日様でかろうじて暖かいが、今回の台湾行は寒い。
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14日朝9時にお散歩
ここは葱餅だったかな。いつも人が並んでいるお店。
お休みは、家族の大事な時間。よいと思います。
こんな町の空気がいいなあ。
長く続いているお店ならでは。
味わいのある貼り紙も。 -
町工場や古い住宅街や小店の多いエリアの中に娘分の家がある。
彼女だけは、留学時以外故郷から離れない。 -
バス停の名が「葫蘆市場」だから、ひところ大賑わいだったのかもしれない。
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20年以上もこのまま状態で置かれている不思議。
営業していたところは、6年前でさえ総菜屋さん一軒だけだった。 -
今日も良い天気。社子市場へ。
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日式カレーに日式とんかつは、以前から他の街でも見かけているが、遂に市場でお好み焼きですか。
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社子市場からうんと離れたエリアまで歩いたら、大繫盛のお店を通りかかった。狭いキッチン。多いメニュー。作り手の手際を見ているのも楽しい。
頼んでみたら、どんどんできたものをどんどん取りに来たお客さんが持って行き、結局20分以上待っていたような。奥の店内はとても入れそうにない満席、待ち人。 -
午後7時 この界隈は、家族経営のお店が多い。気持ちが和み、落ち着く。
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ここも
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15日 9時を待って、郵便局へ。自分宛てパンフレット類577g 他封書2通41gと42gで合計291元。wildmanさんへのカード切手5元、日本への絵葉書10元。
さて今日のミッションは終わった。
バス停のそばの朝ごはん屋さん風景にみとれていたら、
台北駅行が今出ていく!
215番は、しばらく来そうにない。「天母」表示のバスが来た。乗ってみよう。
一人で天母エリアに行くのは、初めて。
Enchanは、バスに乗らない。 -
見覚えのない通りをバスは進む。橋を渡って、士林區を出て台北駅から一層遠くなる。デパートが見えたら、とにかく降りようだけの心つもり。とうとう私一人の車内。終点車庫に着いた。運転手さん、ぽつんと座っている私に驚く。♂「どこに行きたいの?」「天母です。」♂「天母のどこ?」「う~ん、(どこでもいいが)天母の新光です。」
-
運転手さん、仲間に呼びかける。
-
英語の話せる職員さんを伴って戻って来た。隣のバスに案内され、♂「連れて行ってあげよう。」
悠遊カードをタッチしようと思ったら、♂「しなくていいよ」 -
私、貸し切り状態。
また街並みに戻っている。
デパートが見えた。降りた。
昔のイメージとは違っていた。 -
バスが去っていった方向に歩いていたら、小籠包のレストランの前に出た。12時を過ぎたばかり。
小菜は、自分でショーケースの中のパックを取り出す。
コーンスープもご自由に。
周りは、この辺りの住民年配層多い。
出てきたら、外のベンチで住民らしい白人系家族が並んで待っていた。 -
またバスに乗り、MRTの駅が見えたところで降り、台北駅へ。
ドーナツ屋さん、珍しく行列なしと喜んで近づいたら、あと1時間以上かかると、前のお客さんに応えている。
そんなときもあります。
もう今日は帰ろう。明日帰国の準備にお掃除もある。 -
帰国の朝
最後の大事なミッションへ。
社子市場を通り過ぎた向こうの小籠包店。
♪(^^ 逢いたかった 逢いたかった きぃみぃにぃ~♪ -
紅茶入りにしよう
-
油飯は日本まで持って帰る。注文票外帯の大にチェックを入れる。
重さに応じて、一斤という欄もあった。
食べ終えてもまだ7時半。名残惜しく歩き周る。
あの長く待った大繁盛店、この時間帯にすでにto goもで大賑わい。
今回発見した駅弁店は、まだ開店前。
ガラス戸のお弁当写真を眺める。素食もあり。次回は、これだ。 -
9時半の予約タクシーは、10分前に出てみるとちょうど向こうから来ていた。
9時50分にはエバ空港のカウンターに。
上階に上がってみると、こんなことになっている。 -
アミューズメント化は、まだ途中かな。
昔のシンプル飛行場は、もうどの国も消えていくのか。 -
窓からは、まだまだ大きくなるための工事中。
-
6年前の地下レストラン街を見つけられず。
検査場通過。朝買ったばかりのXOジャン瓶うっかり入れていたのを没収される。
フードコートに上がり、一番奥で街の豆花屋さんに似たコーナーを見つける。 -
<我が家にて>
これまでは、我が”娘”が空港へは送り迎えしてくれていた。
だからか、帰る朝、机に置かれていた。
私は、使えないよ。
彼女の使える日本語
「おかァさん」「おはよう」「おやすみ」「分かった」「ばか」これだけ。
20年たっても変わらない。
ときどき、私は、「えんちゃん、好き。」という。彼女は、いつも素っ気なく
「I know. l know LA」と返す。とてもぶっきらぼうに。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2024/04/03 07:06:35
- 屋台の食べ物
- mom Kさん おはようございます。
親戚の家に泊まって、毎日ごろごろ、気が向く時間に好きな所に、好きなだけ行って、好きなだけ食べる。毎日が極楽ではありませんか。
せかせかと名所めぐりが旅行というものですが、mom Kさんのは、暮らしている形態です。そのうち自分は台湾人になってしまったと気付くでしょう。
pedaru
- mom Kさん からの返信 2024/04/03 18:56:32
- 弁解の余地がありません
- 今までの旅や本や映画で出会ったことがひょいと心に浮かんでくるので、このペースが今のお気に入りです。自分との二人旅で、それを楽しんでいます。
物事が結びついてくる感覚は、若いころには味わえない特権ですね。
”きづく”という面白さも味わえるようになりました。随分おそい成長です。
朝から台湾のみんなとのやり取りで、とにかく無事でほっとしたところです。与那国からも返事が届きました。旅で出会った人々のことが心配でなりません。
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