2024/03/12 - 2024/03/12
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gianiさん
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福岡の二大都心博多/天神、両者に挟まれるのは三大歓楽街にも挙げられる中州を擁する大都市。
東京一極集中のご時世で、唯一成長中かつ成長要因が若者の流入増加という驚異のエネルギーを持つ都市。
独自の文化を発信し刺激の絶えない都市を、博多/天神を軸に振り返ってみます。
- 旅行の満足度
- 5.0
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福岡は、天神と博多という相反する街が相互発展しました。直接原因は、福岡藩初代藩主黒田長政です。
天神は市民の表玄関で、西鉄福岡駅と岩田屋/三越が一体化した商業エリアです。 -
天神は、菅原道真の神号(天満大自在天神の通称)に由来します。901年に大宰府へ流される途上で薬院新川の水面に映る己のやつれた姿を嘆いたとされる場所。そこは水鏡天満宮として道真を祀ります(天神1丁目)。
※原始は薬院近くの今泉付近。1612年に福岡城鬼門を守るために、現在地に移転。水鏡天満宮 寺・神社・教会
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一方の博多はJRが乗入れ、日本有数の港を有する他所者たちの表玄関。広義には、福岡空港も含まれます。戦後は、商業圏としても発展し、天神に迫る勢いです。名称は、博多湾に由来します。
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前史:双子都市の誕生(1601-)
古代から国際貿易都市「博多」が存在しました。鎌倉時代以降、貿易の事業主は商人自らの手に移り、商業都市として発展します。
関ヶ原後に入府した黒田長政は、博多の西側を埋め立てて城と武家町を造営し「福岡」と命名。一方で博多商人も庇護し、福岡/博多という双子都市が成立しました。天神も、福岡に含まれます。 -
福岡の地位低下
家康の死後に鎖国へ傾き、博多商人は活動の場を大きく制限されます。黒田長政の防衛政策で長崎街道は福岡/博多を迂回し、一大幹線も失います。
明治維新時には、(90万石の城下町)鹿児島と(国際都市)長崎に後塵を拝します。新政府は九州の中央に位置する熊本を拠点整備し、福岡は九州第四の都市に脱落します。 -
福岡市誕生(1889-)
明治22年の政府の市制町村制施行に伴い31の地方自治体で市制が施行されます。九州では、鹿児島/熊本/久留米/長崎/佐賀/福岡の6市です。
人口は5万人、面積は5平方kmでした(現在は面積343平方km/人口164万人)。実は、名称を福岡市にするか博多市にするかで、紛糾しました。 -
当時の市域
現在の中央/博多2区の中心部に相当します。東の端は御笠川、西の端は樋井川、南端は国体道路(薬院堀跡)です。陸軍施設へ変化した福岡城が、堀や池に囲まれているのが印象的で、今と似つかない景観です。官庁街の福岡/商人の博多に二極化しました。 -
現在の御笠川
右が原始福岡市域、高速環状線が写り込む左側が郡部(現在は博多区千代に編入)。御笠川 自然・景勝地
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樋井川
現在の今川橋から撮影。
撮影地点が郡部(現早良区西新)で、対岸が原始福岡市域(中央区今川)。樋井川 自然・景勝地
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当時の博多駅は現在地(1963-)と大きく異なり、現在は出来町公園になっています。真っ先に鉄道を誘致したことは、後々プラスに働きます。
出来町公園 公園・植物園
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博多港開港(1899-)
家康による朱印船貿易で栄えた博多商人は、秀忠/家光による鎖国政策の下で相対的地位を低下させ、明治維新後も(長州藩の)下関港と伝統の長崎港に後塵を拝し、港湾施設も未整備でした。政府主導プロジェクト(1889-)で大形桟橋の整備等をして、10年後に博多港が開港します。 -
築港
1908年には博多築港、1910年には福岡築港(現在の漁港部分:魚市場と長浜ラーメンが目印)が竣工します。 -
現在の博多港
三大都市圏以外では最大の港です。港は8ブロックに分かれ、鉄道貨物駅/空港が近接するのが特長です。博多ポートタワー1階に展示スペースがあります。博多ポートタワー 名所・史跡
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西側より順番に
荒津埠頭:石油基地としてタンクが立ち並び、九州各地へ配送されます。
須崎埠頭:輸入穀物を受け入れ、サイロが並ぶ景観が特徴です。
博多埠頭:博多港原始の地。現在は離島航路が割り振られます。
中央埠頭:博多埠頭の東側を埋め立てて1936年に供用開始。国際航路/クルーズ船/高度化倉庫が割り振られます。 -
東浜埠頭:建築資材(セメント/鉄鋼関連)が割り振られ、プロパンのガスタンクが並びます。
箱崎埠頭:雑多を扱う最大エリアだが、青果と自動車輸出(トヨタ)が顕著です。JRと都市高速が乗り入れ、複合一貫輸送が可能です。
香椎パークポート:博多港の強みである貨物コンテナを扱い、国際物流の拠点です。
アイランドシティ:特に大きなコンテナ船を受け入れます。 -
箱崎埠頭には、福岡貨物ターミナル駅があります。鉄道コンテナ輸送の基地です。一番多いのは東京行です。
博多臨港線は市場に接続し、直近は鮮魚輸送も行っていましたが、1998年に福岡市場~福岡貨物ターミナル間が廃止しています。 -
博多湾を囲むように埠頭が並びます。
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鉄道誘致(1889-)
市制施行年に、九州初の鉄道が開業します。太閤地割(=博多市街)のど真ん中に博多駅を誘致した全国でも稀有な例です(市街から離れた寒村に設置されるのが慣例)。市名を福岡にする代わりに、駅名を博多にすることで折衝したというのが定説です。1891年には門司港~熊本が開業します。九州鉄道発祥の地碑 名所・史跡
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博多ポートタワーからの眺め。
写真の船舶は、博多埠頭第2ターミナルから出港する壱岐経由対馬行の貨客船。1T(右枠外)は、市営船です。1908年に竣工した博多築港は、右手前枠外になります。
その先が中央埠頭で、右が釜山への国際航路で高速船ビートルが接岸中、左(先端)がクルーズ船用の岸壁。
その奥が東浜埠頭です。博多ふ頭第1・第2ターミナル 乗り物
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転じて西側の須崎埠頭には、穀物サイロが立ち並び、輸送船も接岸中。
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手前の須崎埠頭の先には、荒津埠頭の石油タンク群が見えます。国内の製油所からの輸送船を受け入れます。
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博覧会(1887/1910)
政府の殖産興業政策に伴い、九州地方の8県は持ち回りで博覧会(九州沖縄八県連合共進会)を開き、産業の振興に努めました。福岡県は1887年に割当たりましたが、当時は実力のある博多地区で開催されます。白い建物は、九大の前身です。
帝大誘致を巡って(旧制五高を有する)熊本との争いに勝利し、九州帝国大学は福岡に設置され、学研都市としての素地を獲得します。
1910年の福岡開催に際して、福岡市は只ならぬ準備を行います。 -
第13回九州沖縄八県連合共進会(1910)
今までの農業見本市的性格から一気に脱皮し、都会的な博覧会にしました。会場には53のパビリオンが建設され、かつてない盛況ぶりでした。天神中央公園 公園・植物園
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当時の建物で唯一残されたものが、こちら。
来賓の宿泊/接待に用いられ、展覧会後に取り壊されるパビリオンとは設計の次元が違います。内部には、貴重な資料が展示されています。旧福岡県公会堂貴賓館 美術館・博物館
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市内交通の整備
3月の開催に間に合うように、中央資本が福博電気軌道を設立し、(帝国)大学前~今川橋間に路面電車を敷設しました。閉会後も市民の足として定着し、人々の移動を活性化させました。
一方、太田清蔵・渡辺与八郎ら地元実業家は博多電気軌道を設立し、博多~姪浜等を整備します。両者は西鉄福岡市内線へ発展します。福博であい橋 名所・史跡
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道路整備
路面電車の軌道敷設に伴い、既存の道路をベースに、市内を貫く幹線道路を整備(黄緑)しました。東西の路線は、現在の明治通りの中核部分です。南北を貫くのは、現在の大博通りです。両者は呉服町で交差します。大博通り 名所・史跡
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それに伴い、4本の橋も架けられました。写真は、現在の明治通りに当たる西大橋。
明治通り (福岡市) 名所・史跡
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会場用地の確保
福岡城の肥前堀を埋め立てて、会場用地を捻出しました。東は新川、西は天神西通りに挟まれたエリアです。天神西通り 市場・商店街
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肥前堀と中堀は、現在のサザン通り西口交差点に位置した福岡城薬院門へ通じる道で分かれていました。
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博多/天神の連結
福博後、博多電気軌道は全長4kmの循環線を開業します。博多と天神が鉄道で結ばれ、人の流れが活発になります。
写真は、天神交差点から眺めた渡辺通り。 -
中州の発展
博多の西側地区(中州)も開発され、一大歓楽街となります。博多と福岡を隔てる那珂川の中州という地形です。 -
博多地区の呉服町は、中世から湊に面し、幹線道路/路面電車の乗換地点として栄えました。
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博多地区は、西町付近の金融街(写真)等もありました。
一方の福岡地区は1924年に現在の西鉄大牟田線が開業し、住宅地/官庁街から商業地区/官庁街へ脱却し始めました。
1929年に、福岡市は長崎市を追い抜いて、九州最大の都市になります。 -
天神地区の商業化
1929年に天神初の百貨店として福岡松屋が開業します。福岡初のエスカレータを導入する等、話題に事欠かないお店でした。戦争中に軍需工場に転換/空襲で焼失され、戦後は衣料品店(松屋レディース)になります。現在のminaの位置です。
※銀座を本店とする松屋とは、まったくの別物です。ミーナ天神 ショッピングモール
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岩田屋開業(1936)
現在の西鉄福岡(天神)駅のターミナルデパートとして、岩田屋が開業します。九州で初の終着駅と商業施設が直結した施設です。現在も九州最大の売上高を誇る岩田屋本店は、鉄道と連携して天神を一大商業エリアに押し上げます。岩田屋 本店 百貨店・デパート
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九州一の商業地区誕生
天神交差点(写真)を挟んで、北側の松屋/南側の岩田屋を軸に、天神は九州一の商業エリアとなり、現在に至ります。
※重要:岩田屋本店は天神交差点に面していました。当時の建物は、現在パルコになっています。 -
余談
筑紫(福岡県の2/3)でお馴染みのスーパーマーケットSUNNYも1960年に岩田屋が設立し、地域の小売業をリードしました。
※最終的に岩田屋は経営破綻し、現在サニーは西友/百貨店は三越伊勢丹HD傘下になっています。 -
西日本鉄道誕生
国策合併で1942年に誕生した西鉄(西日本鉄道)は、1952年の主権回復後に伴って主体性を以て活動できるようになります。
1955年にはすべての路面電車が天神を経由するように運転されます。いつどこの電停で乗っても天神へ行けるということです。同じく、路線バスも主要路線を全て天神に接続するようにしました。
※福岡市は、軌道もバスも西鉄が担う特殊な都市です。路面電車は1979年に廃止されました。 -
エンタメ要素
1955年には西鉄福岡(天神)駅前に、福岡スポーツセンターが開業します。第一に大相撲九州場所の会場、その他スポーツ興行の会場として機能しました。現在は、跡地にソラリアプラザが営業しています。 -
バスターミナル開業
1961年に西鉄福岡(天神)駅が高架化され、地上階(高架下)には福岡バスセンターが開業します。鉄道/バスのスムーズな乗換がセールスポイントで、高速道路網の発展に伴って都市間移動の主役を担います。
現在は鉄道の真上の3階に移動し、西鉄天神高速バスターミナルの名称です。バスタ新宿と双璧を為すBTです。
続いて、博多地区の反撃を扱います。西鉄天神高速バスターミナル 乗り物
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三代目博多駅(1963)
博多地区も、巻き返しを図ります。
用地不足ゆえに機能が著しく制限された国鉄博多駅を移転する工事が行われ、博多旧市街のど真ん中を通過していた路線を300m東側の現在地へ移動しました。
新設された東口は「筑紫口」と名付けられ、未開の地域に国家機関の出先機関が設置されます。旧市街に面する西口は「博多口」と呼ばれ、駅ビルが建設されて博多井筒屋等が入居します。
駅地下にはマイング博多駅名店街が開業、翌年には博多駅地下街も開業します。 -
博多口に面する大博通りは、幅50mに拡張されます。太閤町割(1587)に起源を発する歴史ある通り道です。
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バスターミナル開業(1965)
国鉄/.福岡市の出資で、博多駅にバスターミナルが開業します(通称「博多駅交通センター」)。
現在は博多バスターミナルとなり、西鉄傘下です。都市交通/都市間交通の両方を担います。 -
山陽新幹線伸張(1975)
博多駅筑紫口に山陽新幹線が乗り入れ、福岡市の表玄関としての地位を盤石とします。新幹線ホーム下には商業施設の博多デイトスが開業します。博多駅は、西鉄福岡駅と比べると約半分の利用者数でしたが、10年後の1985年には逆転します。博多デイトス ショッピングモール
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天神流通戦争(1970s~)
博多地区の追い上げ等で天神内部の商業競争は過熱し、天神流通戦争と呼ばれる出店/撤退現象が見られます。商業界の新陳代謝現象です。戦前から、天神を南北に貫く渡辺通沿いが主戦場です。
※通りの名前は、博多電気軌道創設等に携わり市の発展に尽力した渡辺與(与)八郎に由来します。渡辺通り 名所・史跡
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第一次戦争(1971-76)
1971年のダイエーショッパーズ福岡店に端を発します。
天神北交差点に面し、ノース天神/ミーナ天神の地下階を介して、天神地下街(後述)と繋がっています。現在は、イオン傘下の天神ショッパーズ福岡となっています。 -
1975年には、博多大丸が移転して、大丸福岡天神店となります。渡辺通りを挟んで西鉄福岡駅の向かい側です。
※博多大丸は、1953年に博多地区の呉服町で開業します。大丸 福岡天神店 百貨店・デパート
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1976年には、渡辺通りに沿って天神地下街(てんちか)が開業します。
同年には、岩田屋新館(現パルコの建物の一部)も開業します。
天神地下街は19世紀のヨーロッパをイメージしてデザインされ、全長600mの通路は東西2本で構成され、北はミーナ/南は地下鉄天神南駅に接続します。天神地下街 市場・商店街
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第2次流通戦争(1989)
西鉄が立ち上げた福岡天神駅再開発計画(ソラリア計画)の第1期が関係し、福岡スポーツセンターを解体してファッションビルのソラリアプラザを開業したのが契機です。双頭を為すのは三菱地所が開業したファッションビルのイムズです。
※イムズは2021年から解体中なので、グーグルマップ上では現在も姿をとどめます。イムズ ショッピングモール
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第3次流通戦争(1996-99)
ソラリア計画第2期が核で、1997年に西鉄福岡駅ビルのソラリアターミナルビルが開業しました。中核テナントとして福岡三越が開業、ビル内には天神高速バスターミナルも収まります。
※これに伴い、西鉄福岡駅は南へ100m移動しています。福岡三越 百貨店・デパート
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前年の1996年には、岩田屋が若者向けの店舗Z-SIDEをオープンします。
余談ですが、Z-SIDEへの過剰投資等で岩田屋の屋台骨は揺らぎ、2004年に自主再建不能に陥って閉店します。伊勢丹傘下で、旧Z-SIDE店舗を岩田屋本店本館としてリニューアルします。 -
1997年には、大丸福岡天神店にエルガーラ(東館)がオープンします。
この時期に百貨店の売り場面積は2.7倍に増床したとされます。 -
1999年にはソラリア計画第3期プロジェクトとして、旧駅ビル跡にソラリアステージが開業し、ソラリア計画は完遂します。
写真は天神交差点から見た光景で、手前にソラリアステージ、その先にソラリアターミナル(三越マーク)が見えます。 -
博多の追撃
博多地区南東部には1959年に閉鎖した鐘紡博多工場跡地があり、スポーツ施設等として生まれ変わるも治安悪化が深刻でした。現西日本シティ銀行系列の福岡地所が1997年にキャナルシティ博多をオープンさせました。
単なる商業施設ではなく、人々が楽しめる街を建設するというコンセプトのもと、集客力を発揮します。キャナルシティ博多 ショッピングモール
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博多リバレイン(1999~)
博多地区の中州には、1925年に福岡市初の百貨店である福岡玉屋が開業しました。鹿児島/佐世保に次ぐ九州で3番目の百貨店です。1933年には売り場面積で九州最大の店舗となります。再開発区画に建設された博多リバレインへ移転する予定でしたが、一転して閉店を選択します。博多リバレイン 名所・史跡
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代わりに、演劇専用劇場/美術館/アンパンマンミュージアム等も入る商業施設になりました。
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地下鉄開業(1981-)
モータリゼーションが進み、路面電車は交通渋滞の重大要因とされます。1979年に福岡市内線は廃止されます。
1981年には市営地下鉄が開業し、現在30km以上の路線網に発展しています。空港/博多/天神が概ね10分以内で移動可能になりました。 -
国鉄からJRへ(1987‐)
国鉄の分割民営化に伴い、東京への接続を意識したダイヤから地域輸送を意識したダイヤへの移行が可能になり、列車運行本数は2倍以上に増えて利便性が増します。
2011年には九州新幹線が全線開業し、九州の玄関機能が強化されます。
新幹線開業に併せた博多駅ビル再開発事業により、遂にJR系のアミュが進出します。博多口には大型商業施設JR博多シティが開業し、撤退した井筒屋の代わりに阪急が開店します。隣接する福岡郵便局跡地には2016年にKITTE博多が開業し、博多マルイが開店します。
2023年には地下鉄七隈線も乗り入れ、博多商業施設の集客力は天神の七割程度まで発展しています。 -
第4次天神流通戦争(2004-07)
2004年にBivi福岡が開店します。商業中心地が天神交差点を中心に北寄りだったのが、南方向へシフトしたことの顕著な事例です。ビビ福岡 ショッピングモール
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新制岩田屋(2004)
伊勢丹傘下になった岩田屋は、経営再建のために本店を閉館して、Z-SIDEを新たな本館/向かいのNHK福岡放送局跡を新たな新館(写真)として再出発します。三越や大丸も店舗改装で迎え撃ちます。
煽りを受けた博多井筒屋は、2007年に閉店します。
※2008年に三越伊勢丹HDが発足した関係で、2010年に岩田屋と福岡三越は傘下の「岩田屋三越」に統合されます。 -
第5次天神流通戦争(2010-12)
第6次天神流通戦争(2014-16)
2010年、岩田屋本店本館跡にパルコが開業します。2015年には、隣接する岩田屋新館跡地にパルコ新館を建設します。ソラリアターミナルビル/ソラリアステージ/パルコ本館/新館が地上通路で繋がる動線です(一直線ではありませんが)。
2011年にはJR博多シティ/キャナルシティイーストが博多地区に開業し、2012年には天神の3百貨店がタッグを組んで生存を図りました。2015年のKITTE博多開業など、天神は内部競争から一致して博多に対抗するスタンスに変化しています。
2023年にキャナルシティイーストビル(5階建て)は解体を開始し、大型ビルに改築予定です。福岡パルコ ショッピングモール
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1889年に発足した福岡市は、周囲の自治体を編入して市域を拡大しました。政令指定都市となった1972年にほぼ確定します。西新/箱崎/大橋等の副都心も機能している有機的な都市です。
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福岡空港は、博多まで5分/天神まで10分のロケーションで、日本一都心に近い空港です。
新幹線を利用すれば、九州/中国/関西から概ね2時間ほどでアクセスできます。
アジアに目を向けると、韓国第2の都市釜山とは、高速船で4時間未満の旅です。 -
今回は原始の博多/福岡(天神)地区に注目しましたが、外の風を感じるなら博多/地元らしさを楽しむなら天神の商業施設というのが端的表現になるかと思います。ツーリストは、天神で福岡らしさを感じられると思います。ローカルを感じる最大のアイコンは、飲食かと思われます。
天神地区でのおすすめ食体験は、仙頭でしょうか。もつ鍋を軸に、前菜から締めまでアミューズに溢れた内容です。もつ鍋 仙頭 グルメ・レストラン
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塩もつ鍋は、忘れられない味です。
最近、近所へ移転しています。個人的には、旧店舗の雰囲気の方が好きでした。
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