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2024年1月下旬の週末に、山梨県甲府市へ一泊二日の一人旅に行って来ました。

<br /><br />山梨県は私の住む神奈川県と県境を接していますが、今まで訪問したことはありませんでした。<br /><br />長野方面に旅行した時に通過したことはよくありましたけどね…<br /><br />ここは日帰り圏内ですが、今回は現地の温泉地に宿を取って、2024年最初の旅行を楽しんできました。<br /><br />本編は1日目の日中後半の旅行記です。

2024年1月冬の週末一泊一人旅~山梨県甲府②:舞鶴城公園・湯村温泉街~

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2024/01/27 - 2024/01/27

102位(同エリア1175件中)

チャムンパス

チャムンパスさん

この旅行記のスケジュール

2024/01/27

この旅行記スケジュールを元に

2024年1月下旬の週末に、山梨県甲府市へ一泊二日の一人旅に行って来ました。



山梨県は私の住む神奈川県と県境を接していますが、今まで訪問したことはありませんでした。

長野方面に旅行した時に通過したことはよくありましたけどね…

ここは日帰り圏内ですが、今回は現地の温泉地に宿を取って、2024年最初の旅行を楽しんできました。

本編は1日目の日中後半の旅行記です。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • この前編は『2024年1月冬の週末一泊一人旅~山梨県甲府①:藤村記念館・武田神社~』です。<br />https://4travel.jp/travelogue/11881925<br /><br />旅の1日目の1月27日(土)は、前半に藤村記念館と武田神社を訪問しました。<br /><br />武田神社バス停から14時30分発の山梨交通バスに乗車して、甲府駅北口バスターミナルで下車。<br /><br />そこから歩いて『舞鶴城公園(甲府城跡)』を訪れました。

    この前編は『2024年1月冬の週末一泊一人旅~山梨県甲府①:藤村記念館・武田神社~』です。
    https://4travel.jp/travelogue/11881925

    旅の1日目の1月27日(土)は、前半に藤村記念館と武田神社を訪問しました。

    武田神社バス停から14時30分発の山梨交通バスに乗車して、甲府駅北口バスターミナルで下車。

    そこから歩いて『舞鶴城公園(甲府城跡)』を訪れました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 甲府駅南口に近い『内松陰(うちまつかげ)門』(左上)から入城しました。<br /><br />内松陰門は1999年に復元・再建されました。

    甲府駅南口に近い『内松陰(うちまつかげ)門』(左上)から入城しました。

    内松陰門は1999年に復元・再建されました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 石段を上がって本丸跡に到着しました。<br /><br />1873(明治6)年に廃城した後、石垣を除いて当時の城郭建築物は全て撤去されました。<br /><br />その後、戦後になってから一部の建物が築城当時の工法で復元・再建されています。

    石段を上がって本丸跡に到着しました。

    1873(明治6)年に廃城した後、石垣を除いて当時の城郭建築物は全て撤去されました。

    その後、戦後になってから一部の建物が築城当時の工法で復元・再建されています。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 本丸跡の南西隅に建つ『謝恩碑』です。<br /><br />高さ18.2メートル、1920(大正10)年に建てられた花崗岩製のオベリスク状の石碑で、碑文の揮毫は『明治の元勲』山縣有朋です。<br /><br />1907(明治40)年と1910(明治43)年の2回にわたり山梨県を襲った大水害は、県内の山林の無計画な伐採による荒廃が原因でした。<br /><br />山梨県内の山林の半分を占める御料地を直接県に管理させて治山事業に着手出来るようにするため、1911(明治44)年に明治天皇は県内の御料地の山林全てを県に下賜されました。<br /><br />当時の山梨県民はこの時の対応に感謝して、この石碑を建てたそうです。

    本丸跡の南西隅に建つ『謝恩碑』です。

    高さ18.2メートル、1920(大正10)年に建てられた花崗岩製のオベリスク状の石碑で、碑文の揮毫は『明治の元勲』山縣有朋です。

    1907(明治40)年と1910(明治43)年の2回にわたり山梨県を襲った大水害は、県内の山林の無計画な伐採による荒廃が原因でした。

    山梨県内の山林の半分を占める御料地を直接県に管理させて治山事業に着手出来るようにするため、1911(明治44)年に明治天皇は県内の御料地の山林全てを県に下賜されました。

    当時の山梨県民はこの時の対応に感謝して、この石碑を建てたそうです。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 本丸跡の南側に建つ『鉄(くろがね)門』は、2013年に復元・再建されたものです。

    本丸跡の南側に建つ『鉄(くろがね)門』は、2013年に復元・再建されたものです。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓門構造となっている鉄門の2階は無料で見学できます。<br /><br />開放時間は9時から16時30分まで、定休日は年末年始と祝日を除く月曜日です。

    櫓門構造となっている鉄門の2階は無料で見学できます。

    開放時間は9時から16時30分まで、定休日は年末年始と祝日を除く月曜日です。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 鉄門2階入口そばの石垣の上から見た南方面の景色です。<br /><br />眼下に甲府の街、さらに山並みの向こうに冠雪した富士を一望することが出来ました。

    イチオシ

    鉄門2階入口そばの石垣の上から見た南方面の景色です。

    眼下に甲府の街、さらに山並みの向こうに冠雪した富士を一望することが出来ました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • さらに眺めのいい場所へ、と思って次は天守台に上がりました。

    さらに眺めのいい場所へ、と思って次は天守台に上がりました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 築城当時の天守台の上には壮大な天守閣が建っていた様ですが、その後火災で焼失し明治の廃城当時は何も建っていなかった様です。

    築城当時の天守台の上には壮大な天守閣が建っていた様ですが、その後火災で焼失し明治の廃城当時は何も建っていなかった様です。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 天守台の上から見た西方面の景色です。<br /><br />逆光でわかりにくくなってしまいましたが、真っ白な南アルプスの峰々を望むことが出来ました。

    天守台の上から見た西方面の景色です。

    逆光でわかりにくくなってしまいましたが、真っ白な南アルプスの峰々を望むことが出来ました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • そして改めて南方面の景色です。<br /><br />NTT甲府支店の電波塔に富士が少しカブってしましました( ´△`)

    そして改めて南方面の景色です。

    NTT甲府支店の電波塔に富士が少しカブってしましました( ´△`)

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • こちらは東方面の景色です。<br /><br />左端に見える塔は『長禅寺』の五重塔です。<br /><br />長禅寺は武田信玄によって定められた『甲府五山』の筆頭とされた臨済宗の禅寺です。

    こちらは東方面の景色です。

    左端に見える塔は『長禅寺』の五重塔です。

    長禅寺は武田信玄によって定められた『甲府五山』の筆頭とされた臨済宗の禅寺です。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 北方面を望むと、真下に『稲荷櫓』が見えました。<br /><br />次はあそこに行ってみましょう。

    北方面を望むと、真下に『稲荷櫓』が見えました。

    次はあそこに行ってみましょう。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 天守台脇のスロープを下って、北側の『稲荷曲輪』へ…

    天守台脇のスロープを下って、北側の『稲荷曲輪』へ…

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 稲荷曲輪の北東隅に建つ稲荷櫓は、2004年に復元・再建されました。

    稲荷曲輪の北東隅に建つ稲荷櫓は、2004年に復元・再建されました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓の内部は先程の鉄門と同様、一般に無料で公開されています。<br /><br />開放時間と定休日は鉄門と同じです。

    櫓の内部は先程の鉄門と同様、一般に無料で公開されています。

    開放時間と定休日は鉄門と同じです。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 再建してからまだ20年程しか経っていないため、櫓の内部の柱や壁板の木の色も真新しいですね。

    再建してからまだ20年程しか経っていないため、櫓の内部の柱や壁板の木の色も真新しいですね。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 石垣側の石落としの穴も忠実に再現されています。

    石垣側の石落としの穴も忠実に再現されています。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 武田氏滅亡後の甲斐国は幾度も領主が代わりました。<br /><br />豊臣秀吉の東国平定後にこの地を治めた豊臣系大名は、中世的な武田氏時代の『躑躅ヶ崎(つつじがさき)館』に代わる新しい城として、畿内で主流となっていた『石垣の城』を躑躅ヶ崎館から近いこの場所に築城しました。<br /><br />その後江戸時代に入ると将軍のいる江戸を防衛する要衝として、前期は徳川親藩や譜代大名が統治、後期は天領として甲府城代が置かれました。

    武田氏滅亡後の甲斐国は幾度も領主が代わりました。

    豊臣秀吉の東国平定後にこの地を治めた豊臣系大名は、中世的な武田氏時代の『躑躅ヶ崎(つつじがさき)館』に代わる新しい城として、畿内で主流となっていた『石垣の城』を躑躅ヶ崎館から近いこの場所に築城しました。

    その後江戸時代に入ると将軍のいる江戸を防衛する要衝として、前期は徳川親藩や譜代大名が統治、後期は天領として甲府城代が置かれました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓の1階は城跡の発掘調査で出土した発掘品を展示しています。

    櫓の1階は城跡の発掘調査で出土した発掘品を展示しています。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓の2階にも上がれます。

    櫓の2階にも上がれます。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 2階の天井は太い梁が剥き出しで、櫓の構造がよくわかります。

    イチオシ

    2階の天井は太い梁が剥き出しで、櫓の構造がよくわかります。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 2階に展示されていた江戸時代の甲府城のジオラマ。

    2階に展示されていた江戸時代の甲府城のジオラマ。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓は腐食しやすい釘を使わずに木材と木材を嵌め込み、組み合わせて建てられています。

    櫓は腐食しやすい釘を使わずに木材と木材を嵌め込み、組み合わせて建てられています。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 櫓の2階の窓から見た景色です。<br /><br />格子に遮られて眺めはよくないですが、防御の観点ではこれがベストです。<br /><br />ここまで見て、舞鶴城公園を後にしました。

    櫓の2階の窓から見た景色です。

    格子に遮られて眺めはよくないですが、防御の観点ではこれがベストです。

    ここまで見て、舞鶴城公園を後にしました。

    舞鶴城公園 (甲府城跡) 公園・植物園

  • 徒歩で甲府駅南口に行き、甲府駅バスターミナルから15時50分発の『01系統』一高・羽黒経由山宮循環線の山梨交通バスに乗車しました。<br /><br />約10分程乗車して、湯村温泉入口バス停で下車しました。

    徒歩で甲府駅南口に行き、甲府駅バスターミナルから15時50分発の『01系統』一高・羽黒経由山宮循環線の山梨交通バスに乗車しました。

    約10分程乗車して、湯村温泉入口バス停で下車しました。

    路線バス (山梨交通) 乗り物

  • バス停から乗車したバスがやって来た方向を撮影しました。<br /><br />ビルの間のから見える建物は、湯村温泉を代表する『常磐ホテル』さんです。

    バス停から乗車したバスがやって来た方向を撮影しました。

    ビルの間のから見える建物は、湯村温泉を代表する『常磐ホテル』さんです。

    信玄の湯 湯村温泉 温泉

  • すぐに今回の旅のお宿には入らずに、暫く『湯村温泉通り』を北方面に歩いて温泉街を散策しました。<br /><br />地元山梨県では『湯村温泉』で通じますが、兵庫県北部にも同名の温泉地がありそちらの知名度が高いため、全国的には区別して公式に『信玄の湯 湯村温泉』と呼ばれています。<br /><br />弘法大師の開湯伝説を持つ古くからある温泉地で、戦国大名の武田氏は戦いで傷ついた将兵をここで湯治療養させていたそうです。<br /><br />いわゆる『信玄の隠し湯』ですが、週末土曜日の夕方の温泉街のメインストリートで人影を見ることはなく、賑わいは感じられませんでした。

    すぐに今回の旅のお宿には入らずに、暫く『湯村温泉通り』を北方面に歩いて温泉街を散策しました。

    地元山梨県では『湯村温泉』で通じますが、兵庫県北部にも同名の温泉地がありそちらの知名度が高いため、全国的には区別して公式に『信玄の湯 湯村温泉』と呼ばれています。

    弘法大師の開湯伝説を持つ古くからある温泉地で、戦国大名の武田氏は戦いで傷ついた将兵をここで湯治療養させていたそうです。

    いわゆる『信玄の隠し湯』ですが、週末土曜日の夕方の温泉街のメインストリートで人影を見ることはなく、賑わいは感じられませんでした。

    信玄の湯 湯村温泉 温泉

  • 温泉旅館『ホテル吉野』さんの玄関先に掲げられていた、旅館の温泉分析表です。<br /><br />湯村温泉の泉質は一般的に弱アルカリ性の塩化物・硫酸塩泉ですが、ホテル・旅館により源泉が違うため泉温や泉質に若干の違いがあります。

    温泉旅館『ホテル吉野』さんの玄関先に掲げられていた、旅館の温泉分析表です。

    湯村温泉の泉質は一般的に弱アルカリ性の塩化物・硫酸塩泉ですが、ホテル・旅館により源泉が違うため泉温や泉質に若干の違いがあります。

    ホテル吉野 宿・ホテル

  • 温泉街のラーメン店『湯村食堂』さんは夜営業されるのでしょうか、のれんは出ていましたが『準備中』でした。

    温泉街のラーメン店『湯村食堂』さんは夜営業されるのでしょうか、のれんは出ていましたが『準備中』でした。

    湯村食堂 グルメ・レストラン

  • 右手にある『湯谷神社』です。<br /><br />古くからここに鎮座する、湯村温泉の守り神なのでしょう。

    右手にある『湯谷神社』です。

    古くからここに鎮座する、湯村温泉の守り神なのでしょう。

    信玄の湯 湯村温泉 温泉

  • そのまま湯村温泉通りを歩いて『松元寺(しょうげんじ)』にやって来ました。<br /><br />桃山期の慶長年間に建立されたと伝えられる曹洞宗の禅寺です。

    そのまま湯村温泉通りを歩いて『松元寺(しょうげんじ)』にやって来ました。

    桃山期の慶長年間に建立されたと伝えられる曹洞宗の禅寺です。

    信玄の湯 湯村温泉 温泉

  • お寺の境内からも白富士を望むことができました(*&#39;▽&#39;*)

    お寺の境内からも白富士を望むことができました(*'▽'*)

    信玄の湯 湯村温泉 温泉

  • 松元寺の近くに旅館『杖温泉 弘法湯』さんが建っています。<br /><br />昭和の温泉旅館の佇まいが懐かしい、いい雰囲気のお宿ですね。<br /><br />しかし、今回私が泊まったお宿はこちらではありません…

    松元寺の近くに旅館『杖温泉 弘法湯』さんが建っています。

    昭和の温泉旅館の佇まいが懐かしい、いい雰囲気のお宿ですね。

    しかし、今回私が泊まったお宿はこちらではありません…

    湯村温泉郷 杖温泉 弘法湯 宿・ホテル

  • 湯村温泉街の散策を終えて元来た道を引き返し、今回の旅のお宿『湯村ホテル』さんに入りました。<br /><br />本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。<br /><br />この続きは『2024年1月冬の週末一泊一人旅~山梨県甲府③:湯村温泉湯村ホテルさん~』となります。<br />https://4travel.jp/travelogue/11884434

    湯村温泉街の散策を終えて元来た道を引き返し、今回の旅のお宿『湯村ホテル』さんに入りました。

    本編旅行記を最後までご覧いただき、ありがとうございます。

    この続きは『2024年1月冬の週末一泊一人旅~山梨県甲府③:湯村温泉湯村ホテルさん~』となります。
    https://4travel.jp/travelogue/11884434

    自家源泉かけ流しの天然温泉ビジネスホテル 湯村ホテルB&B 宿・ホテル

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