2023/12/23 - 2023/12/23
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ペコちゃんさん
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テレビCMなどでお馴染みの「夢グループ」から「日帰りバス旅行無料ご招待」のパンフレットが届き、 ” エ~! 本当 ? ” と最初は驚いたのですが、折角なので参加することにしました。
ツアータイトルは《 師走の湘南紀行 江の島の大パノラマと鶴岡八幡宮 》で、横浜中華街でのランチと傷害保険まで無料・・・一人参加だと、本当に ” タダ ” で昼食付のバスツアーに参加でき、2人目からは6千円で一緒に行けます。(つまり、夫婦で参加すると、1人3千円)
ツアーの主催は「STEPトラベル」で、観光・食事の後はムートンの会社で見学・買物・・・これが狙いでしょうが、ツアー会社はどうやって利益を出すのか気になりながら観光バスに乗りました。
写真は、鶴岡八幡宮。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス
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31名の参加者を乗せたバスは、地元を7時10分に出発して圏央道を走り、1時間で厚木PAに到着。
1人参加のタダの人も数名います。 -
厚木PAから茅ケ崎に向かう途中は、富士山がよく見えます。
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圏央道から新湘南バイパスを走り、茅ヶ崎海岸ICで降りて江の島に向かいます。
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湘南の海岸を走る134号線(大磯~横須賀)は、南国の雰囲気。
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久し振りの江の島と鎌倉です。
江の島は、昭和22年に藤沢市に編入されるまでは鎌倉郡片瀬町でした。 -
江の島のシンボル・シーキャンドルが見えてきました。
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元々は陸続きだった江の島・・・侵食などにより約2万年前に島となり、かつては干潮時に片瀬の浜から江の島まで歩いて渡ったそうですが、明治時代に木橋が架けられ、西側の「江の島弁天橋」(歩行者用)は昭和32年、東側の「江の島大橋」(車用、全長389m)は昭和39年の東京オリンピックのヨット競技に合わせて造られました。
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江の島大橋を渡って島へ。
相模湾へ突き出した江の島は、周囲:4km、標高:60mで人口は約300人・・・ 大正12年の関東大地震で島全体が2m近く隆起したそうです。 -
今回のバスは、えびす交通。
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バスを降りて仲見世通りの方へ・・・歩道には貝のタイルが埋め込まれています。
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まだ朝の9時過ぎなので、あまり店は開いていませんが、魚屋の店先にはカキなどが美味しそうに並んでいます。
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突然現れたのは、江の島のゆるキャラ「えのしご君」・・・江の島の「えの」とタツノオトシゴの「しご」を合体させた名前だそうで、タツノオトシゴが戻ってくる位に江の島の海をキレイにしようと活動しているそう。
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仲見世通りに向かいます。
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奥の建物は「江ノ島アイランドスパ」・・・江の島の直下1500mから湧き出る天然温泉のスパ施設で、日帰り入浴や宿泊も出来ます。
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江の島は弁財天信仰の地で、江島神社は琵琶湖の竹生島神社・宮島の厳島神社と共に「日本三大弁天」の一つに数えられています。
仲見世通りの入口に建つ「青銅の鳥居」は江島神社の三の鳥居・・・1747年に創建されましたが、現在の鳥居は1821年に再建されたものです。
この鳥居からは江島神社の参道で、土産物屋や旅館・飲食店などが並んでいますが、まだ9時過ぎなのであまり開いてません。 -
仲見世通りにある江ノ島郵便局・・・案内標識のデザインが素敵ですね。
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入口にある明治時代の郵便差出箱(ポスト)・・・明治4年に始まった郵便事業で各地にポストが設置されました。
これは明治20年頃のポストのレプリカですが現役です。 -
石段の先に、江島神社の朱の鳥居が見えてきました・・・現在の鳥居は、昭和11年に山田流筝曲の家元・林敏子が再建・寄進したものです。
朱の鳥居から階段がずっと続き、山頂までは約260段! -
これは、以前訪れた時に撮った「山田検校銅像」・・・江の島と縁が深い山田検校の功績を讃えて、百年忌にあたる大正6年に像と顕彰碑が建立されました。
山田流箏曲の開祖・山田検校は、1757年に江戸で生まれ、幼くして失明しますが箏を学んで多くの曲を作り、後に山田流を興しました。
代表作に『江の島曲』があり、実際に江の島に滞在して構想を練ったと言われます。 -
江の島の南西部は海蝕崖に囲まれ、海蝕洞「岩屋」もあるので、古来より宗教的な修行の場となりました。
奈良時代には役小角(えんのおづぬ)、平安時代には空海・円仁、鎌倉時代には良信(慈悲上人)・一遍上人、江戸時代には木喰(もくじき)が参篭(さんろう)して修行に励んだと伝えられています。 -
1182年に源頼朝の祈願により文覚(もんがく)上人が弁才天を勧請し、頼朝が鳥居を奉納したことをきっかけに代々の将軍や御家人が参拝し、鎌倉時代以後も、その時々の為政者から聖域として保護され、参詣されてきました。
この「瑞心門」は龍宮城を模した神門で、江島神社の辺津宮へと繋がっています。 -
右に行くと岩屋洞窟がありますが、左に進みます。
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梵字の弁財天の石碑。
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江島神社ご鎮座1450年を記念して、2002年に奉献された「弁財天童子像」。
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更に階段を登り・・・
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やっと辺津宮の手水舎まで来ました。
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江島神社は辺津宮・中津宮・奥津宮の総称で、この「辺津宮」は1206年に時の将軍・源実朝が創建し、1675年に再建された後、昭和51年の大改修により権現造りの現在の社殿が新築されました。
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須佐之男命の次女の田寸津比賣命を祀る辺津宮・・・屋根には江島神社の社紋「向かい波三つ鱗」が見られます。
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八角のお堂「奉安殿」・・・勝運祈願の八臂弁財天や音楽芸能の上達を願う人々の信仰を集めている妙音弁財天が祀られています。
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奉安殿の隣には、江島神社に祀られている三女神の父神・須佐之男命を祀る「八坂神社」・・・江戸時代には天王社として祀られ、1844年に再建され、1873年に八坂神社と改称され、2001年に改築されました。
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三女神の一柱・市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を祀る「中津宮」・・・853年に慈覚大師が創建し、1689年に五代将軍・徳川綱吉により、本殿・幣殿・拝殿からなる権現造りの社殿が再建されました。
現在の社殿は、1996年の全面的な改修によるもので、創建当時の朱色が鮮明な社殿が再現されています。 -
七代目・尾上菊五郎と五代目・尾上菊之助親子の手形モニュメント・・・1999年に江の島大歌舞伎が開催され、『弁天娘女男白波』で菊之助が演じた弁天小僧は、大いに観衆を沸かせたそうです。
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その先から見える「江の島ヨットハーバー」の美しい眺め・・・ここは、昭和39年の第18回東京オリンピックでヨット競技会場になった所。
2020年東京オリンピック・パラリンピックでもセーリングの会場となりましたが、コロナ禍で無観客ということもあり、あまり知られていません。 -
石段がきついので、ここからは「江の島エスカー」で、江の島頂上部に向かいます。
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昭和34年に日本初の野外エスカレータとして登場した「江の島エスカー」・・・高齢者には有難い設備です。
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エスカーを降りると、目の前に「江の島サムエル・コッキング苑」・・・1880年に横浜在住のアイルランド人貿易商のサムエル・コッキングが金亀山与願寺(現在は神仏分離され江島神社)の菜園敷地3800坪を買収し、1882年に植物園として開園した、日本で3番目に古い植物園です。
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シーキャンドルは有料ですが、苑内の入場は17時まで無料!
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サムエル・コッキング温室遺構・・・1923年の関東大地震で温室の上屋はすべて倒壊して荒廃し、1948年に藤沢市が跡地を買収して翌年に「藤沢市立江ノ島熱帯植物園」として開設しましたが、その時の工事で地下に埋め込まれた温室が、2002年のリニューアル工事の際に再発見されました。
南北に長い3棟の温室の他に、ボイラー室や貯水槽などがあります。 -
リニューアル工事の整備が終わり、2003年に藤沢市の公園施設「江の島サムエル・コッキング苑」として再オープンしました。
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綺麗に手入れされた公園は、バラやツバキなど季節の花々で彩られますが、この時期は夜になると、関東三大イルミネーションにも選ばれている江の島「湘南の宝石」のイルミネーションが人気のようです。
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江の島の新しいシンボル「江の島シーキャンドル」・・・苑内にある展望灯台で、苑のリニューアルに合わせて2003年に竣工しました。
避雷針まで入れた高さは59.8mで、民間灯台として日本最大級の灯台機能があり、41.75mの所にガラス張りの展望フロア、更にその上の屋外展望台から富士山や丹沢などのワイドな眺望が楽しめますが、時間がないので諦めます。 -
緑の中に佇む、中国の伝統様式の四阿(あずまや)「騁碧亭(ていへきてい)」・・・1981年に中国・昆明市との間で結ばれた友好都市提携を記念して建てられました。
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その近くには、3羽の孔雀が彫られた石像・・・台座には「吉祥永駐」の文字。
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眼下には、2014年にオープンした江の島ヨットハーバーのシンボル「湘南港ヨットハウス」が見えます。
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石段を歩いて降りて仲見世通りに戻ると、10時前なのでお土産屋さんなどもオープンしています。
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デニム発祥地・倉敷からやってきた「デニムストリート 江ノ島店」。
デニムや雑貨、デニムをイメージした青いドリンクや肉まんなど、面白い品揃えで2020年にオープン。 -
相模湾と富士山の美しい眺め。
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江の島から鎌倉に向かう途中の湘南の海には、朝早くから大勢のサーファーが押しかけています。
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遠くに霞むのは伊豆大島。
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人気漫画「スラムダンク」の舞台にもなった「江ノ電」・・・ここ「鎌倉高校前駅」近くの踏切は人気の写真スポットで、多くの人がカメラやスマホ片手に電車を待ち構えています。
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ここは、いい波が来ていますね。
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鎌倉の街に入り、先ずは鶴岡八幡宮の「一の鳥居」・・・1668年に江戸幕府四代将軍・徳川家綱によって寄進された石造明神鳥居で、高さは約8.5m。
二の鳥居と三の鳥居も家綱の寄進によって建て替えられましたが、1923年の関東大震災で三つとも倒潰し、1937年に一の鳥居だけが元通りに再建されました。 -
続いて「二の鳥居」・・・鉄筋コンクリート造で再建されました。
鳥居の手前には、1961年に奉納された白色セメント造の狛犬が置かれています。 -
三の鳥居も朱塗りの鉄筋コンクリート造。
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三の鳥居の前を走るレトロ調の赤いバス「京急りんどう号」・・・鎌倉駅から鎌倉街道を通って金沢八景駅まで運行しています。
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鶴岡八幡宮は、1063年に源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して創建した鶴岡若宮が前身で、1180年に鎌倉入りを果たした源頼朝が現在の地に遷して「鶴岡八幡宮新宮若宮」とし、鶴岡八幡宮を中心として鎌倉の街を発展させます。
1181年に本格的な社殿を造営し、翌年には参道若宮大路と神池(源平池)が造営されました。 -
源平池に架けられた「太鼓橋」・・・その先には舞殿が見えます。
昔は朱塗りの橋だったことから「赤橋」と呼ばれていましたが、関東大震災によって全壊し、現在の橋は昭和2年に架け替えられました。 -
1182年に北条政子は境内の東西に池を掘らせ、東の池(源氏池)には3島を配して「三は産なり」と祝い、西の池(平家池)には4島を造って「四は死なり」と平家滅亡を祈ったそうです。
こちらは源氏池で、ユリカモメやカモがノンビリと浮かんでいます。 -
橋を渡った島に鎮座する「旗上弁財天社」・・・周りには源氏の印・白旗が沢山奉納されています。(平家は赤旗)
当社は明治初年の神仏分離で他の堂塔と共に除かれますが、昭和31年に再興され、昭和55年に鶴岡八幡宮創建800年を記念して、文政年間(1818~1830)の古図をもとに復元されました。 -
社殿の裏にある「政子石」・・・二つの大きな石は、夫婦円満と子宝の祈願石で、北条政子が懐妊の際、安産を祈って置かれた石とされています。
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多くの屋台が並ぶ参道。
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手水舎。
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唐破風の入母屋造りの建物「舞殿」・・・下拝殿とも言われ各種儀式が行われます。
1186年に義経の愛妾・静御前が舞った場所でもあります。 -
2010年3月10日の4時40分頃、鶴岡八幡宮のシンボルとして親しまれていた大石段左の大銀杏が、強風のために根元から倒れました。
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これは以前撮った大銀杏ですが、樹齢800年とも1000年とも言われていました。
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倒れた大銀杏は3つに切断され、根元から高さ4mの部分が7m離れた場所に移植されました。
再生への努力が実を結び、倒壊から1か月後には根元から若芽が育ってきました。 -
大銀杏の再生を祈願する絵馬。
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61段の本宮大石段の登り口に鎮座する、寛文8年(1667)に奉納された狛犬・・・当初は石段の上(楼門の手前)にありました。
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「本宮(上宮)」は町の大火の火が届かないように、山の中腹に建てられましたが、4度目の火災で焼失した後、1828年に第11代将軍・徳川家斉によって再建され、現在の本宮の原型となりました。
その後、関東大震災で倒壊しましたが修復されて現在に至っています。 -
楼門に掲げられた額の「八」の字は、神聖な神の使いとされる二羽の鳩で表現されています。
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神社なので、楼門の左右には仁王様ではなく随身像。(随身:上皇・法皇などの皇族や、摂政・関白などの貴族の警護を担当する人)
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左横から見た本殿。
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源頼朝が遷座した「若宮(下宮)」・・・ 現在の社殿は、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠による鶴岡八幡宮の大改修時のもので、1624年に完成しました。
2019年に漆塗り等の工事が完了し、彩色豊かな社殿が蘇っています。 -
若宮の社殿横に聳えるのは、三代将軍・源実朝が中国・宋から苗を取り寄せて植えたと伝えられる「ビャクシン」。
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その先にある柳原神池(やないはらしんち)を渡って白幡神社に向かいます。
紅葉が水面に美しく映えていますが、この池には蛍の幼虫や餌のカワニナが放たれ、6月には放生祭(ほたるまつり)が執り行われます。 -
白旗神社の近くに置かれた「鶴亀石」・・・水で表面を洗うと鶴亀の文様が輝いて現れる、大変目出度い石だそうです。
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1200年に北条政子により創建された鶴岡八幡宮の境内末社「白旗神社」。
祭神は源頼朝と三代将軍・源実朝で、黒塗りの社殿が印象的です。 -
江の島~鎌倉の観光を終えて、横浜中華街へ。
横浜中華街パーキングにバスを停めて中心街に向かいます。 -
土曜日ということもあり、人で溢れています。
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昼食は四川料理と湖南料理の「福満園・別館」・・・福満園は1995年の創業で、中華街に本店・新館と3店舗あり、テレビなどでも紹介される人気店です。
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ツアーの無料ランチは6品ですが、折角の中華街なので9品の特選中華コース(2,600円)にバージョンアップ(31名中5名でした)。
左から麻婆豆腐・フカヒレスープ・海鮮炒飯・エビチリなどなど・・・美味しく頂きました。 -
横浜マリンタワーなど車窓から横浜の街を楽しみながら、本ツアーの目的地(?)に向かいます。
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高木ミンクのファクトリー横浜に到着。
高木ミンクは、江戸時代末期に岐阜県養老町で創業した毛皮関係の会社で、会社の看板も ” Factory " でなく ” FurCtory ” 。 -
入口を入った所で会社や商品の概要説明を聞き、その後バスの中で配布・回収されたお土産クイズの当選者発表。
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全問正解は、私たち夫婦を含めて、僅か3名!・・・革で作ったこのワンちゃんを貰いました。
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ムートン体験コーナーでムートンシーツ・カーペットの心地よさを、皆さん体験中。
会社の一押しは、このムートン磁気マットレス・・・寝てる間に血の巡りが良くなり安眠や腰痛や肩こり、肌荒れ、髪の毛までつやつやになるそうですが、約80万円もするので購入者はゼロ。 -
高額商品ばかりでなくアウトレットコーナーもあり、クッションなどを買った人もいましたが、タダで招待された面白いバスツアーでした。
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