2024/01/05 - 2024/01/05
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ペコちゃんさん
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コロナ禍で中断していた〇〇会の新春恒例行事・七福神めぐり・・・2024年は文京区にある「小石川七福神めぐり」に仲間6名で出かけました。
小石川七福神めぐりは、茗荷谷町会長や地元の旧家が発起人となって、平成七年(1995)から始まった新しい七福神めぐり・・・そのためか、参拝者も少なく、途中の案内表示や七福神の幟もないため、道順には多少苦労しました。
写真は、真珠院に建つ七福神と宝船の七福神像。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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池袋から東京メトロ・丸の内線に乗り、茗荷谷駅へ・・・初めて降ります。
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小石川七福神めぐりは、茗荷谷駅から後楽園駅周辺にある寺社と東京ドームなど八ヵ所を巡る約2時間のコースです。
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茗荷谷駅を出て左に曲がると「茗荷坂」・・・昔はこの辺り一帯に茗荷畑が広がっていたことから、その地名が付きました。
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茗荷坂を下ると拓殖大学の文京キャンパスがあります。
拓殖大学は日清戦争後、日本の領土となった台湾開拓の人材を育成する教育機関として1900年に開校し、翌年この地に学舎を構えました。
拓殖とは「殖民地を開拓し、そこに移り住むこと」の意で、初代校長は桂太郎。 -
<1>深光寺【恵比寿天】
拓殖大学の向かいにある浄土宗寺院の深光寺(じんこうじ)・・・坂の上にあります。 -
深光寺の本堂・・・深光寺は1639年に現在地に創建されました。
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本堂の階段右側に祀られた恵比寿様・・・何とも幸せそうな微笑みを浮かべた漁業と商売繁盛の神様です。
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鐘楼。
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本堂の左手には、「南総里見八犬伝」などでお馴染みの滝沢馬琴(1767~1848)の墓があります。
晩年、目を悪くした馬琴は息子のお嫁さんの手を借りて執筆活動をしました・・・昔は字を書けない女性方も多く、字を教えながら代筆してもらう、正に二人三脚。 -
深光寺を出て左手に進み、丸の内線のガードをくぐります。
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約30段の「庚申坂」を上って春日通りに出て、徳雲寺へ向かいます。
庚申信仰は、十干と十二支を組み合わせた60日毎の庚申の日に、人が眠ると三尸(さんし)の虫が体内から抜け出して罪科を天帝に告げ口することから、三尸の昇天を阻むため庚申講を組織し、人々はその夜は一晩中眠らずに過ごし、終わると酒食で夜明けまで宴が続く、江戸の庶民の社交の場でもありました。
この坂下に庚申塚があったことから庚申坂と呼ばれます。 -
<2>徳雲寺【弁財天】
臨済宗円覚寺派の徳雲寺は、1630年に解脱寺の名で現在地に創建され、その後、妙峯山徳雲寺へと改号しました。 -
徳雲寺本堂。
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境内の左側にある六角堂に弁財天が祀られています。
小石川七福神は男女の弁財天が祀られているので8ヵ所回りますが、徳雲寺は『男弁天』。 -
これが人頭蛇身(男性の顔にとぐろを巻いた蛇)の弁財天・・・他所の七福神にはない男弁天ですね。
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スタンプを見ると、男弁天の姿がよく分かります。
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春日通りから左折して播磨坂桜並木を進み、交差点を右折すると、高層マンション「小石川パークタワー」が見えてきました。
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<3>極楽水【弁財天】
小石川パークタワー脇の公園の中にあり、石段を上って行きます。
かつてここは、隣にある宗慶寺の境内でした。 -
浄土宗の僧侶・聖冏上人が1415年にこの地に庵を草創し、龍に仏法を授けた報恩として授かったと伝えられる湧き水が「極楽水」・・・今は枯れていますが、かつては二重井筒の極楽の井から名水が沸いていたのでしょう。
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小さな祠に女弁天が祀られていますが、暗くてよく分かりません。
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<4>宗慶寺【寿老人】
聖冏上人が編んだ庵は、その後、徳川家康の側室で六男・松平忠輝の母であった茶阿局(法名:朝覚院殿貞誉宗慶大禅定尼)の隠居寺となり、1621年の没後、寺号を宗慶寺、院号を朝覚院と改めました。
本堂の正面には徳川家の紋・三ツ葉葵があります。 -
昭和20年の空襲で寺は焼失し、現在の建物は2015年に竣工。
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ガラスケースの中に祀られた寿老人。
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徳川家の葵の家紋と龍が描かれた雨水桶・・・エネルギーを感じます。
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宗慶寺を出て吹上坂を戻り、薬の「エーザイ本社」の前を左折して、真珠院に向かいます。
1936年に創業したエーザイの旧社名は、衛生材料(絆創膏や包帯)を略した「日本衛材」・・・国内5位の医薬品メーカーです。 -
<5>真珠院【布袋尊】
浄土宗の真珠院は、松本藩主の初代・水野忠清(家康の生母・於大の甥)を開基として1684年に創建。
寺号は、忠清の法名・真珠院殿によります。 -
逆から読んでも同じ音になる回文「宝船」の石碑・・・「長き世の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな」・・・七福神と宝船とこの回文歌を枕の下に置いて寝ると、良い初夢が見られるそうです。
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その隣にある七福神像・・・七福神が勢揃いして宝船に乗った、目出度い石像です。
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真珠院の本堂・・・大正12年の関東大震災では殆ど被害が無かったのですが、昭和20年の東京大空襲で全焼しました。
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本堂前にある象の彫刻を施した香炉。
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本堂下の通路を抜けると裏手が墓地になっていて、大きな布袋様の石像があります。
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諸動物の慰霊塔。
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墓地には、当寺を開基した水野家の墓所もあります。
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鈴木茂三郎の墓碑・・・鈴木 茂三郎(1893~1970)は、戦争とファシズムに対して反対を貫いた人物で、1951年に日本社会党の第2代委員長に就任した際の党大会の演説は「青年よ 再び銃をとるな」として標語となり、日本の平和運動の象徴的な存在となりました。
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大きな岩には、平等院・鳳凰堂の雲中供養菩薩のような仏さんが祀られています。
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その裏にある庭園には、美しい錦鯉が・・・
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真珠院を出て右手に歩くと、2012年に再建された傳通院(でんづういん)の大きな山門があります。
ここは七福神の寺社ではありませんが、立ち寄ってみました。 -
傳通院は、1415年に開創した極楽水の小さな草庵・無量山寿経寺がスタートです。
徳川家康の生母・於大の方が1602年に逝去し、家康は寿経寺を当地に移転して堂宇を建て、この寿経寺を菩提寺とします。
於大の方の法名が「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」だったことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。 -
山門をくぐると、正面に本堂、左側に鐘楼があります。
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昭和20年の空襲で伽藍は全て灰燼と帰しましたが、昭和24年に本堂を再建し、昭和63年に現在の本堂が建立されました。
徳川将軍家の菩提寺なので、寺院幕には葵紋。 -
内陣。
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鐘楼に架かる梵鐘は1839年に鋳造されたもの・・・戦禍で焼失した伽藍の中で、唯一難を逃れた梵鐘です。
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墓地には徳川家ゆかりの人々の墓があります。
(上の写真)於大の方の墓
(下の写真)千姫(2代将軍・徳川秀忠の長女で豊臣秀頼の妻)の墓 -
徳川家以外には、柴田錬三郎・佐藤春夫・堺屋太一などの墓もあります。
これは、浪越徳治郎の指塚。 -
<6>福聚院【大黒天】
福聚院は幼稚園も兼ねており、住職は園長先生・・・外から見ると幼稚園で、奥にお寺があります。
近江国に安置されていた大黒天像を、1774年にこの地に移して寺院を設けたのが福聚院の始まりで、傳通院の鎮守寺でもあります。 -
門を入った所にある「とうがらし地蔵」・・・明治の中頃、持病の喘息に苦しんでいたお婆さんが、医者から止められていたにも拘わらず、好きなとうがらしを食べているうちに亡くなったので、近所の人が憐れんで地藏尊を建て、とうがらしを供えました。
その後、喘息に苦しむ人々が祈願すると治り、お礼にとうがらしを供えるようになったと伝わります。 -
とうがらし地蔵の隣に祀られた大黒天。
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幼稚園を横切って福聚院の本堂へ。
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本堂に祀られた本尊の大黒天座像・・・鎌倉時代の作と伝わる木造の像で、烏帽子に米俵という一般的な姿ではなく、甲冑をまとった武装神となっています。
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<7>源覚寺【毘沙門天】
1624年開創の源覚寺は、眼病平癒の「こんにゃくえんま」として親しまれています。 -
社務所の横にある「御百度石」・・・1852年に建立されたものです。
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1979年に再建された本堂。
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本堂の内陣。
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閻魔堂・・・賽銭箱の後にお供えのコンニャクが積まれています。
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堂内に祀られた閻魔像は鎌倉時代の作と言われています。
こんにゃく閻魔の由来は、眼病に苦しんでいた老婆が好物のこんにゃくを断って病気の平癒を祈願していたところ、閻魔大王が身代わりとなり自らの片目を老婆に与え、眼病がたちまち治ったそうで、そのため、閻魔様の右目は黄色味がかっています。
この言い伝えから厳覚寺の閻魔様は「こんにゃくえんま」と呼ばれ、眼を患う人々の信仰を集めました。 -
2体ある「塩地蔵」・・・自分の治したい部分に相応するお地蔵さまの箇所に塩をつけて病気の治癒を祈願すると、ご利益があるそう。
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毘沙門天堂。
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木造の毘沙門天が祀られています。
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鐘楼の梵鐘は1690年に奉納されたものでしたが、1937年に当時日本領だったサイパン島の南洋寺に寄進され、1944年のサイパン島軍民玉砕で所在不明となります。
しかし、1965年に米国・テキサス州で発見され、1974年の「サンフランシスコさくら祭り」に展示された後、源覚寺に戻り、太平洋を渡った鐘ということで「汎太平洋の鐘」と呼ばれています。 -
<8>東京ドーム【福禄寿】
七福神の最後は、何と、東京ドーム! -
東京ドーム・ジオポリスの屋上に祀られた福禄寿・・・江戸時代は、東京ドームの隣りにある「小石川後楽園」で祀られていました。
七福神めぐりの計画時に、小石川後楽園は有料であり年末年始は休みということで、東京ドームの敷地内に再興されました。 -
七福神巡りも無事終わり、後楽園駅のそばにある文京シビックセンターへ・・・1994年に竣工した文京区役所が入る、地上27階・地下4階・塔屋3階の超高層ビルです。
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広々とした1階ロビー。
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エレベーターで25階の展望ラウンジへ・・・ここは地上約105mの高さにあり、昼は330度の大パノラマを、夜は東京の美しい夜景が楽しめます。
東側にはスカイツリー。 -
北側を見ると、真ん中にサンシャイン60、その右の細い建物は豊島清掃工場の煙突。
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西側には、2010年に竣工した34階建の住友不動産飯田橋ファーストタワー、その先は新宿の高層ビル群。
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近未来的な新宿副都心のビル群。
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東京都庁舎の左側に富士山が・・・こんな幻想的な夕景がここから楽しめます。
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そして眼下には小石川後楽園。
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スカイツリーをバックに撮った写真は、真っ黒け。
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前回来た時は25階の「シビックスカイレストラン椿山荘」で豪華(?)な松花堂弁当を食べましたが、2021年に営業を終了したため、今回は13階の文京区役所職員食堂で。
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目の前には東京ドームと東京ドームシティアトラクションズ・・・最高の眺望です!
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職員食堂なので、コスパは抜群・・・楽しい小石川七福神めぐりでした。
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