2023/11/01 - 2023/11/01
124位(同エリア560件中)
Reiseさん
- ReiseさんTOP
- 旅行記442冊
- クチコミ839件
- Q&A回答0件
- 349,813アクセス
- フォロワー55人
京都 山科へ行きました。
天智天皇陵から大石内蔵助のゆかりの大石神社と岩屋寺、乃木希典ゆかりの乃木神社、御香宮神社が主な場所です。
その他にも山科神社や坂上田村麻呂のお墓、醍醐天皇の外祖母となった宮道列子のお墓、中臣遺跡、明智光秀の胴塚など、歴史遺蹟をまわりました。
忠臣蔵ファンの夫が前から行きたかった大石神社と大石内蔵助が隠棲していた場所の岩屋寺、大石内蔵助や赤穂義士に関しての展示がある宝物館がありました。両方とも貴重な品々を見学できます。
岩屋寺では特に四十七士の御位牌や四十七士の像など、とても心に残りました。お寺の方が丁寧にひとつひとつを説明してくださいました。
泉岳寺や赤穂の花岳寺、赤穂の大石神社など、大石内蔵助や赤穂義士たちで有名な場所は沢山ありますが、こちらの山科の大石神社、岩屋寺にも大石内蔵助や義士たちの足跡が沢山残っています。
こちらにももっと参拝、見学が増えるとよいな、、、と強く願いました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
PR
-
車のナビで示された天智天皇 山科陵、こんなところに来てしまいました。
-
天皇陵のまわりの小路を徒歩で、参道のほうへ向かいます。
陵のまわりには小路がありました。 -
参道の扉があいていましたので、ここよりも中に入れるようです。
-
まるで、森の中を歩いているかのような、樹々に囲まれた御陵です。
石畳が長い、美しい参道でした。 -
第38代天皇、天智天皇陵 山科陵です。
7世紀末から8世紀、古墳時代末期の古墳です。 -
ここからはわかりませんが、正八角形の形の古墳だそうです。
-
山科の森に狩りに出た天智天皇は消息不明となり、沓が発見されたところにお墓を築いたといわれています。
-
参道途中から入ってきたので、観れませんでしたが、参道の入り口には、日時計があるそうです。
天智天皇がはじめて水時計を採用したことから造られたそうです。 -
それにしても、御陵は大きいです。樹々がそびえたっていました。
-
大石神社は近くです。
-
鳥居があります。
この辺りは駐車場ではありません。 -
お寺の地図がありました。
さらに車で上へ。 -
桜並木の参道を上がったところに駐車場。
桜の季節は綺麗だろうなぁ~。 -
駒札の説明板にもありますが、12月14日討ち入りの日には、義士の御祭りもあるのですね。
-
こちらは社務所ですが、
-
そのうえにある神社の拝殿のほうへ。
-
拝殿です。
建立は1935年、昭和10年です。
浪曲師の吉田奈良丸が提唱し、京都府と京都市が賛同し建立されたそうです。
主祭神は大石内蔵助。討ち入り前に隠棲していた場所にも近いです。 -
駒札の説明があります。
-
大石桜と呼ばれる、大きな枝垂れ桜がありました。
春はみごとでしょう。 -
大石家の家紋が見える提灯。
-
大石内蔵助の像もありました。
-
美しく、気品のある拝殿でした。
-
境内には、お話のなかで、討ち入りの際に武器を供給したといわれる
天野屋利兵衛のお社もありました。 -
境内。
石碑もあります。 -
家紋が見えます。
-
拝殿には、古い画などが飾られていました。
-
画は古いものでしょうか、、、
-
宝物殿の前に、可愛い馬がいました。
-
はなこちゃんです。
小さな馬の種類なのですね。。 -
近隣の方もニンジンやお野菜のえさを届けているそうです。
可愛いです。。癒されます。 -
宝物館へ。
自由に入って見学してよいみたいですが、一応、社務所の方に声をかけました。
見学料はフリーです。
社務所の方に、写真の撮影の許可をもらいました。
小さな資料館ですけれど、所せましと展示物が並んでいました。 -
入ってすぐに、木村拓哉も討ち入りのテレビドラマに出演していたのですね~。
-
そういえば、最近は年末にも12月の討ち入りがあった前後にも、もう忠臣蔵のテレビドラマはすっかり、なくなってしまいました。
忠臣蔵の大ファンである夫は毎年、寂しくなった、、、、とこぼしています。
確かに、いまは、もう、忠臣蔵、赤穂浪士の討ち入り、、なんて言葉もあまり聞かなくなりました。 -
夫の影響で、数々の忠臣蔵のドラマを観ましたが、、、
その中でも個人的に最も好きだったのが、北大路欣也主演の忠臣蔵のテレビドラマでした。
鋭い眼光の中に、熱い情みたいなものが感じられ、淡々と討ち入りの計画を進める決意と反面する人間的な温かさを感じました。
ドラマの中での感想です。
多くの俳優が大石内蔵助を演じていますが、それぞれに味のある、心に残る演技をされています。 -
討ち入りをした義士たちの面々の屏風。
古いもののようです。 -
大石内蔵助をはじめ義士に関しての資料がずらり。
-
大石家の漬物石で造ったといわれる大石内蔵助像。
-
大石内蔵助が伏見で遊んだ際に書いたといわれる落書きだそうです。
-
こちらも大石内蔵助作?
画が可愛いです。 -
書も画も楽しむひとだったのですね~。
討ち入りの前の緊張が少しでもほぐれたのでしょうか。。 -
大高源五の書もありました。
-
小野寺十内の書簡。
-
貴重な掛け軸も沢山ありました。
-
大石内蔵助の書と画。
画がとても素朴で愛らしいです。 -
これは何の画でしょうか。。
細やかな人のように思えます。 -
大石内蔵助をはじめとして、赤穂義士、大石神社についての資料が沢山ありました。
-
大石内蔵助像。
-
大石内蔵助像と四十七士の画。
-
懐かしい中村勘九郎さんのお写真もありました。
早くに亡くなられて残念です。
高校生のころ、遠足で訪れたところに、テレビ撮影でおられ、京塚まさこさんや大竹しのぶさんとともに、きゃーきゃーとうるさい高校生の私達を
優しく笑っておられました。
大竹しのぶさんにサインをお願いしたところ、「あなたにあげると、他の人にもあげないといけないから、、、、」とやんわり断られ、その様子をみていて笑われていた中村勘九郎さん、、、よーく覚えているんです。
最後に今は亡き京塚まさこさんとそっくりの日本史の先生が一緒に写真を撮ってもらっていました。
羨ましくて、、、もう、大興奮の遠足でした。笑
半世紀近く前の思い出です。。。それにしても偶然お会いして、ラッキーポンキチでした。
話はそれてしまいました。。。 -
大石神社に関する資料も。
-
何度このシーンをドラマの中でみたことでしょう~。
(最初は夫に無理やりお付き合い、、、そのうち、私も忠臣蔵のファンに。笑) -
古い画のようですが、討ち入りまでの様子が時間経過ごとに描かれていました。
松の廊下での刃傷です。 -
討ち入りを決意しつつ、遊びほうける姿に偽り、
-
討ち入りの影響が及ばないように、妻を離縁し、子供らとともに豊岡の実家に帰します。
-
討ち入りの様子。
迫力のある絵巻ものでした。 -
四十七士のそれぞれの姿を描いた屏風もありました。
-
とても綿密に描かれた画でした。
-
こちらは大石内蔵助作といわれる香炉です。
多才な人です。 -
桜の花の咲くころに再訪してみたいです。
-
とても静かです。
-
神社の周りの樹々も紅葉が始まっていました。
つぎに、岩屋寺に向かいます。 -
近くの岩屋寺に来ました。
ここは、大石内蔵助が赤穂を離れ、家族とともに2年足らずの間に住んだ家があったといわれる場所です。
近くに住む親戚を頼って住んだといわれています。
ここを離れるときは、岩屋寺に邸宅や土地を寄進したそうです。
全てを覚悟して、全てを整理していました。
以前からとても来たいと思っていた場所でした。 -
駐車場のそばに、説明板があります。
岩屋寺は天台宗のお寺です。現在は尼寺。
本尊の不動明王は智証大師の作と伝わります。 -
そばに、神社の鳥居とお社もありました。
-
境内の地図があります。
-
美しい言葉がありました。
尼寺の優しい雰囲気の言葉。 -
石段を登り、門をくぐると、本堂があります。
浅野家の家紋が見えました。
この後ろ側には大石家の家紋があります。 -
お寺の方が案内をしてくださいます。
-
記念館は新しくなった建物のようです。
-
入ってすぐに、ご住職の挨拶がありました。
-
浅野内匠頭の有名な辞世の句もあります。
-
大石内蔵助の辞世の句、残した言葉など。
-
写真が、ぶれてしまいました。
大石内蔵助の年表がありました。 -
まず、本堂でお寺の説明を聞きます。
そして、御位牌をみました。
浅野内匠頭をはじめ、大石内蔵助などの四十七士の御位牌。
大石内蔵助が討ち入り前に、あらかじめ用意したものだと聞きました。
そこは撮影が禁止です。
こちらは、大石内蔵助が使用していた硯と文机。
硯は、自作のものだそうです。 -
大石内蔵助の念持仏十一面観音とその左は息子の大石主税の念持仏。
大石主税は金色の部分を懐にいれていたそうです。
文机も素朴なものです。 -
小さな文机は大石主税のもの。
すずりも。 -
-
イチオシ
大石内蔵助像が真ん中に。
その両側には大石家の家訓が書かれています。
子の家訓は、脇差に彫られていたそうです。 -
説明。
君主を第一に、、という家訓。代々受け継がれてきたのですね。 -
掛け軸。
大石内蔵助の筆まめ、画も風流です。 -
こちらの掛け軸も素敵でした。
討ち入りの前に、書や画などで心を落ち着けていたのでしょうか、、。
器用で繊細な人のようにも思えます。 -
大石内蔵助の遺品の数々。
-
大石家の家紋が見えます。
-
大石内蔵助が使っていたものが大切に保存されています。
香炉など。
お茶もされていたのですね。 -
書や書簡なども大切に保管されていました。
-
山科での大石内蔵助。
2年足らずの間、家族とともに暮らし、また家族とも別れがあり、、
討ち入りの計画を進めるなかで、家族と最後に暮らした時間。
家族も生涯忘れることがなかったでしょう。
その後、
伏見に遊びに出かけるのも、当時は山を越えて意外に近かったようです。 -
左は軍資金が入っていた銭箱、右は書類入れ、赤穂浪士120人分の血判状が入っていたそうです。
-
左は討ち入りの際に大石内蔵助が使用したといわれる手槍。
右は大石内蔵助の奥さんの陸が使っていたといわれるなぎなた。 -
大高源五自作の太刀と木太刀。
「ひと切れば、われも死なねばなりませぬ」と彫られてあります。 -
円山会議があり、血判状を受け取り、最終的に討ち入りへの参加は60名に。
-
討ち入りまでの様子。
-
討ち入りの様子が模型で。
-
イチオシ
最後に見学したお部屋には、四十七士の像がずらりと納められていました。それぞれの義士の顔が異なっています。
説明の方によると、討ち入り前に似顔絵を描いておいて、その後にそれぞれの像を造ったそうです。
大石内蔵助の準備が細かく、討ち入り後のことも常に強く念頭にあったように思えます。
大石内蔵助の最後の手紙もありました。
これを読んで、泣いてしまいました。。。
討ち入り前に、人を率いる立場として、また、父親として、想いが綴られていました。
長い手紙です。
討ち入りまでの間に、赤穂浪士達も何人も大石内蔵助の元を去り、その悔しさみたいなものが綴られていました。素直に悔しい~という気持ちを綴っていて、暇を出した家来二人については、この先の就職の世話をお願いしています。
また豊岡に帰した家族の次男がお寺に預けられたことを残念に思い、できたら武士としての道に戻してやってほしい、、、という父親としての率直な気持ちが綴られていました。
人を想い、家族を想い、そんな想いもありつつ、自分の最期も覚悟して
今までお付き合いをしてもらって、感謝の気持ちが綴られていました。
全てを覚悟して、お世話になった方々に深く挨拶をしています。
人としての大石内蔵助の気持ちが伝わってきました。
花岳寺は赤穂にある、浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺です。
大石内蔵助の祖先のお墓もあります。
そして、義士のお墓もあります。ここには、義士の遺髪が納められているそうです。 -
資料館を出て、外へ。
-
イチオシ
浅野家の家紋の裏には大石家の家紋がありますよ~と見せてくださいました。
-
お庭、大石弁財天とあります。
-
お庭には大石内蔵助お手植えという梅の樹があります。
-
こちらのお茶室には、大石内蔵助の邸宅の木材が使われていると聞きました。
-
中の見学もしてみたかったです。
-
小さな石塔や
-
石灯篭がありました。
-
境内を歩いてみます。
-
お堂があり、
-
そのそばに、大石内蔵助の遺髪塔。
寺坂吉右衛門が遺髪をもって帰り納めたそうです。 -
説明。
1775年に建てられたものだそうです。 -
このあたりに大石内蔵助の邸宅があったという石碑。
明治のころに建てられたものだそうです。 -
このあたり、小高いところに。
樹々に囲まれています。
見下ろすと、下の町並みが良く見えます。
昔は、高い建物もなく、よく遠くまでが見下ろせたのではないでしょうか。。 -
紅葉が始まっていました。
-
新しい、邸宅跡の石碑もあります。
-
とてもきれいに整備されていました。
-
静かな場所でした。
-
すぐ近くの、山科神社へ行きます。
大石内蔵助も神社の奥の院で、討ち入りの成功を祈ったといわれる神社です。 -
坂は急です。
真ん中のあたりは苔で、滑りやすいので注意です。 -
到着です。
-
拝殿、その奥に本殿。
-
駒札説明板があります。
建立の時期がはっきりしませんが、
室町時代~江戸時代前期の様子もあるそう。
燈籠には江戸時代の年号があるようです。 -
小さなお社もありました。
-
大切に守られている神社の雰囲気がありました。
-
古い石灯籠。
これが江戸時代のものでしょうか~。 -
急な階段です。
それにしても高いところに。。 -
真ん中に手すりが付けられています。
山科の大石内蔵助、義士をめぐっての旅でした。
最後までお読みいただいて、ありがとうございます。^^
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Reiseさんの関連旅行記
山科(京都) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
121