2023/11/01 - 2023/11/01
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Reiseさん
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御香水神社はその名前のとおり、香り良い水が湧き出たことからつけられた名前です。この水は病にも効果があったとのことで、清和天皇より、御香宮という名前を下賜されています。
今も湧水を近隣の方がペットボトルに入れて持ち帰っておられました。
御香宮神社は神功皇后を主祭神として、仲哀天皇、応神天皇のほかの6柱の神を祀っています。
豊臣秀吉の時代には、伏見城に移して、鬼門除けの神として祀っています。
徳川家康は元ある土地に移しています。
鳥羽伏見の戦いでは、新政府軍(薩摩藩)の屯所となったそうです。
表門は伏見城の大手門だった門で、本殿も桃山時代の豪華な造りのものです。
石庭も小堀遠州作と伝わるものが移築され、伏見城跡から出土した瓦なども
見学できます。
(パンフレットを参考にしました)
歴史の遺産にあふれた神社でした。
そのあとは、伏見奉行所跡、観月橋を周り、十石舟・三十石舟の再現の船の走る川べりを歩いて、伏見の町並みを観ました。
久し振りにこのあたりを歩いたのですが、もう40年も経っていることに今さらながら驚きました。
町並みもすっかり変わっていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 自家用車 徒歩
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後香宮神社に来ました。
駐車場がいっぱい。ちょうど七五三のお参りも多い時期。
一つだけ空いてました。ラッキーポンキチです。
そして、すぐ目に入ったのは、こちらの佐藤栄作書と書かれてた
伏見の戦跡の石碑。
このあたりは鳥羽伏見の戦いの激戦地でした。
鳥羽伏見の戦いでは新政府軍 薩摩藩が屯所としています。 -
そして、拝殿の豪華な美しい建物に入ります。
神功皇后を主祭神、仲哀天皇、応神天皇のほか6柱の神を祀る神社です。
境内より香りの良い水が出て、清和天皇が御香宮という名前を下賜。
豊臣秀吉の時代には、伏見城の鬼門除けに城内に神社を置きます。 -
とても上品な彫刻と色合い。
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能舞台。
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大きな蘇鉄が勢い良いです。
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広い境内です。
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拝伝の彫刻があまりも綺麗で、しばし座って鑑賞。
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とてもきれいに整備された境内です。
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鎮社の杜といわれる樹々の茂ったなかに、おごそかな建物群。
絵馬堂。1755年に建立されたもの。
絵馬がおよそ80体,かけられており、その中でも1646年に奉納された
「社頭猿巡しの絵馬」は神社の御香水の病気平癒の伝承が書かれているそうです。 -
本殿を裏からみたところ。
とても気品に満ち溢れていました。 -
東照宮とありました。
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そのお隣には松尾大社。
小さなお社が続きます。 -
井戸でしょうか。
嘉永とみえます。
江戸時代のものでしょうか。。。 -
稲荷社もありました。
神聖な雰囲気です。 -
こちらに小堀遠州ゆかりのお庭があると聞いて、見学します。
小堀遠州が江戸時代に伏見奉行所内に造った庭を昭和32年に中根金作が境内に移築したものだそうです。 -
イチオシ
社務所の奥に広がる石庭。
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少しずつ紅葉が始まってました。
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静かです。
気品にあふれています。 -
ここにも説明書きがありましたが、徳川家光が小堀遠州の造ったお庭に感嘆して、小堀遠州は5000石が増額されたとか。
素晴らしい庭園と評価されたのですね~。 -
説明書が置いてありました。
鶴と亀、蓬莱島が表現されています。 -
おめでたい、理想、、、、明るいお庭でした。
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周りにも大きな樹々に囲まれています。
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イチオシ
こちらにある手水鉢。
文明9年の銘があります。
1477年。
とても古く珍しいものだそうです。 -
説明書を観ながら、ゆっくり鑑賞できます。
お寺の方が、窓なども開けてくれて、鑑賞がしやすくしてくれました。 -
障子の上の模様も可愛いです。
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おしゃれです。
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社務所のお隣の部屋には、伏見城跡~の出土品の展示室があると聞いていました。
実はこの日、庭園を観て帰ってしまったのですが、後日、この展示室を訪れています。
まず、見学前に社務所に問い合わせをしました。
日によっては、展示室が応接間になっているので、見学できないときがあるのだそうです。
入ってすぐに、ガラスケースに納められた伏見城跡~の出土の瓦たち。 -
色んな家紋の瓦があります。
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100点余りが展示されているそうです。
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金箔の残ったものもあるそうです。
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貴重な伏見城の遺構。
豪華絢爛な城の様子が浮かびます。。 -
こちらも金箔が残っているようにも見えました。。
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実に様々な大名の家紋がありました。
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伏見城の鯱の断片や亀甲飾りなどがあるそうです。
反射して、うまく写真がとれませんでした。。。 -
社務所のお隣の応接間が展示室になっていました。
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御香水。
病気平癒の益があるといわれています。 -
説明板にもありますが、起源は9世紀にさかのぼり、この水を飲むと病気が治るというありがたい水ということで、清和天皇より、御香水という名前を下賜されたそう。
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拝殿を通っていきます。
徳川頼宣による寄進。
豪華です。正面、極彩色唐破風彫刻というのだそうです。
伏見城の車寄せのものであったとも伝わっています。 -
境内の古い灯籠。
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どことなく、お城を思わせる雰囲気です。
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伏見桃山天満宮。
伏見城築城の際にはお城の周辺に諸大名の屋敷があったそうですが、前田利家は祖先とする菅原道真を祀る境内の隣接した場所に、屋敷を持ったそうです。
その後、観音寺の側に建てられ、昭和44年に現在の土地へうつされたようです。 -
厳かな天満宮でした。
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菅原道真を祀る天満宮。
学問の神様。 -
ちょっと良く読めませんが、石碑。
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こちらの天満宮の境内には伏見城の遺構、残石がありました。
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大きな石が。
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石を切り出す際の痕跡も見えました。
それにしても、、伏見城の遺構があちこちにあります。
ちょっと驚きました。 -
説明板がありました。
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伏見義民の碑があります。
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ちょっと見えにくいのですが、碑があります。
明治20年のもの。
碑文は勝海舟の撰、大事は三条実美の書だそうです。 -
説明板があります。
1785年、伏見奉行小堀政一の悪政を幕府に直訴した7人がおり、幕府に捕らえられ、病死や牢死などで亡くなり、小堀政一も罷免されます。
100年祭において、明治20年に碑が建てられます。 -
今も慰霊祭が執り行われているようです。
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神社入口にある鳥居の基礎です。
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説明板によると、徳川頼宣の奉納の大手筋の鳥居は江戸時代の地震により倒壊しますが、その後建て直しされます。
もとの鳥居の基礎の部分はとても綿密に造られた頑丈なものであったそうです。
日本の建築のきめ細やかさ。 -
こちらは表門。1622年、徳川頼房が伏見城の表門を拝領して、寄進し
ています。
こちらも重みのある立派な門で、正面の彫刻は中国の二十四孝のものです。
桃山時代の建築の様子がよくわかる遺構です。 -
二十四孝の彫刻。
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荘厳な作りの門でした。
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門入口には大きな石灯籠。
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参道も長い、、、
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拝殿へ続きます。
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この辺りは門前町。
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黒田節の発祥の地だそうです。
伏見の福島正則の屋敷で、黒田家の家臣 母里太兵衛が大きなサカヅキのお酒を飲みほし、希望していた槍を福島正則からもらったが、その後正則が
返却を要望しますが、太兵衛は槍を返さなかったというお話、、。
てっきり、九州かどこかで生まれた黒田節、、だと思ってました。 -
桃山善光寺。
1715年に創建された天台宗のお寺です。
徳川綱吉の持念仏 観音菩薩像を本尊。
伏見城の戦いで討死した鳥居元忠配下数百名の霊を弔っています。
幕末には薩摩郡の砲兵隊長の大山巌が陣地としていました。 -
結界があり、拝観ができない旨が書いてありました。
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外から観る境内、美しく整えられていました。
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少し歩き疲れて、休憩しました。
小さなカフェです。
園芸のもの、陶器なども売られていました。 -
そして何より。
めちゃくちゃかわいいワンちゃんがいました。
我が家も犬がいるので、犬の匂いがするのか、人懐っこく近寄ってくれます。
看板犬みたいで、通る人が皆、よしよし、していきます。 -
美味しくて濃いコーヒーを飲んで、元気復活です。
店主のお話も優しく染みて、、、癒されました。
また行きたいな。。 -
そして、歩いて、伏見奉行所跡に来ました。
伏見の民政や御所の警護、西国大名の監視などが主な役目の奉行所でした。 -
説明板があります。
鳥羽伏見の戦いでは、このあたりで薩摩の軍と新選組が激しい戦いをします。幕府軍は会津藩が中心となった1500人あまりが伏見奉行所に陣を敷き、御香宮神社に陣を張った薩摩藩兵800人との戦いです。
明治から第二次大戦終戦までは陸軍の工兵16第隊の敷地となり、
戦後は米軍が駐留しました。 -
現在は、桃陵団地となっています。
江戸時代の石垣の跡の写真があります。
この説明板の笠松は陸軍時代の門を利用したものだそうです。 -
今はそんな激戦が行われた雰囲気もなく、静かな一角に駒札の説明板と石碑が建っています。
さらに、歩いて下って、 -
京阪電車の観月橋駅に来ました。
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観月橋です。
こちらの橋は新しく建てられたものですが、鎌倉時代末期にもすでにここには橋があり、桂端といわれていたそうです。 -
橋の上から。
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明治天皇の関西行幸の際に、この地で休憩したそうです。
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豊臣秀吉の時代には、このあたりにあった大きな池、小暮池に堤防を造り、備後橋という橋を架けます。
鳥羽伏見の戦いで備後橋は焼失。1873年には豊臣秀吉がこのあたりで観月の宴を催したことから観月橋という命名であらたに、橋がかけられます。 -
澱川橋梁がみえます。
国の登録有形文化財でもあります。 -
豊臣秀吉の時代の巨椋池、湖みたいに大きかったそうですが、、
自然豊かな場所だったのですね~。 -
古い道標があります。
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寺田屋の方角に向かって歩きます。
宇治川の派流が美しいです。 -
途中、釣りをしている人もいたり、のんびり。
船が見えてきました。 -
今は観光船として。
もともとは、十石舟は江戸時代にお酒やお米を淀川を運び、お客さんを運んだ三十石舟がありました。 -
桜の季節は格別でしょう~。
桜の木々がびっしり。 -
乗り場がありました。
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コースの種類があるみたいです。
だいたい50分ほどで往復と聞きました。
今回は人も多いようだし、パスです。 -
寺田屋を目指します。
途中の伏見街並み。
町屋も沢山あって、情緒豊かな場所です。 -
月桂冠大蔵記念館。
お酒の好きな人にはたまらない場所でしょう。
外国からの観光客も多かったです。 -
建物も素敵です。
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イチオシ
白壁と黒の木造りの建物。
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こちらも外周りの建物をみるだけ。
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松林院。結界があるので中には入れませんが、
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端正なお庭が見えました。
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このあたりも、すっかり整備されて、コロナも落ち着き、また観光客が戻ってきたようです。
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おみやげ物屋さんや食事をする場所もあって、
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そういえば、伏見のこのあたりには、久しぶりに来ました。40年ぶりくらいです。
雰囲気がすっかり変わっていて、驚きました。
道も整備されていますし、建物も風情が壊れないように考えられています。 -
酒蔵屋さんも多く、
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建物を眺めながら歩いています。
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小さな通りも。
龍馬通り?
寺田屋はすぐ近くです。
次に続きます。
お読みいただいて、ありがとうございます。(^^♪
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