2023/10/09 - 2023/10/11
76位(同エリア131件中)
araさん
この旅行記のスケジュール
2023/10/09
2023/10/10
2023/10/11
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ようやく12年目にして東日本大震災の被災地を訪ねた。二度と元には戻らない原子力災害の過酷さと大津波の教訓をあらためて現地で知り学ぶ巡行だった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月9日午前11時半。福島県双葉町の双葉駅のホーム。千葉県柏市の柏駅から常磐線特急電車で約3時間20分かかった。駅は閑散としていて駅前にも人気はなかった。
双葉駅 駅
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東日本大震災・原子力災害伝承館。双葉駅からは町が運営する低料金のシャトルバスがあり、程なくして着いた。徒歩だと30分。
東日本大震災 原子力災害伝承館 美術館・博物館
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東日本大震災・原子力災害伝承館の遠景。
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展示通路の最初に掲げられていたものは、かつての双葉町に掲げられていた標語だった。原発の町は原発によって壊滅的な打撃を被った。
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東京電力福島第一原子力発電所の水蒸気爆発など伝える当時の地元紙。
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大震災の前と後を撮った原発周辺の写真。
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救助にあたった消防隊員や海上保安庁の潜水隊員らを紹介。展示には「複合災害の下の現場、危険を顧みず使命を果たした人々」とある。
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伝承館には被災者が実情を話す「語り部」がいて、午前と午後にそれぞれ別の被災者が経験を語っている。
双葉町に仮住まいしているという男性は「炉内に残る燃料ジブリを取り出す技術、方法はいまだ確立されていない。ジブリが完全に除去できない以上、汚染水の海洋放出に終わりはない。永遠に続く。結局、福島原発はチェルノブイリのように石棺で放射線を閉じ込めるしかない」と絶望的な状況を語った。
双葉町は大津波と原子力発電所爆発という過酷な二重災害で12年経った2023年10月現在でも町のほとんどの地域が放射能汚染による帰還困難区域とされている。町の住民は100人にも満たないと聞いた。
原子力発電所で重大事故が発生すれば、もう二度と元には戻らない。電気を原発に頼る日本だが、その危うさをあらためて自覚した。地震が多発する日本だけに、極力原発は減らしていくべきだ。
しかし、政府は原発政策を大転換させ、脱炭素社会の実現とエネルギーの安定供給のためとして原発を最大限の活用するという基本方針をまとめた。60年を超える原発の長期運転を認め、次世代型の原子炉の開発・建設に取り組むとした。そんな政策がどうしてとれるのか。岸田首相らはここを訪れ、原子力災害の過酷さを直視すべきだ。 -
東日本大震災・原子力災害伝承館の海沿いに設けられた巨大な防潮堤。
この後、双葉駅に戻り仙台を経由して東北新幹線で一ノ関へ。駅前のホテル松の薫一関に一泊した。ホテル松の薫一関 宿・ホテル
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10月10日午前7時すぎ、JR一ノ関駅から大船渡線で気仙沼駅に向かった。各駅停車で約1時間半、多くの高校生が乗り降りしたが、岩手県から宮城県に入る県境越えのローカル線なので沿線の中学生が宮城県気仙沼市の高校に進学するケースもあるのかなと思ったりもした。
気仙沼駅で午前9時半、盛行きのBRT(写真)に乗り替えた。BRTとはバス・ラピッド・トランジット(Bus Rapid Transit)の略で線路を車道に変えて走るバスのこと。大津波で寸断された鉄道をいち早く復旧させるための手段だそうで、バスは専用道から一般道に乗り入れて奇跡の一本松駅に向かった。
車窓からはせまい湾が複雑に入り込んだ三陸沿岸特有のリアス式海岸の特徴がよく見えた。大津波はこのそれぞれの湾を遡上して住民をのみ込み全てを破壊した。気仙沼駅 駅
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10日午前9時半、BRTは奇跡の一本松駅に着いた。文字通り奇跡の一本松前だと思っていたら、東日本大震災津波伝承館前だった。紛らわしいと思ったが、奇跡の一本松が広く知られているので駅名(バス停名)に採用したのだろう。
大津波に襲われた三陸沿岸などの被災地には各地にその教訓を伝える伝承館が建てられている。その中で、ここは国営の施設。津波の実態、被害、教訓などを映像を駆使した展示で伝えている。東日本大震災津波伝承館 名所・史跡
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大津波で破壊された消防車。
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当時の状況を伝えるパネル。
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被災した三陸沿岸各地にまず緊急道路をくしの歯のように通して救急搬送、救援物資搬送などに尽力したと伝えるビデオ映像。
ただ、双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館が行っているような「語り部」はいない。被災住民の肉声が聴けず、残念に思っていたら、奥のコーナーにNHKの記録映像があった。必死に津波から逃れたなどと話す住民の証言が何百人とテレビモニターに収められていて、胸が締め付けられた。
しかし、残念ながら素通りする人ばかり。来館者はぜひ見るべきだ。伝承館は積極的に誘導すべきで熱意が感じられない。 -
伝承館を出ると海に向かって道がまっすぐ延びている。
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伝承館を中心に周辺一帯が高田松原津波復興祈念公園として整備されている。中央は献花台。
高田松原津波復興祈念公園 公園・植物園
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海岸には巨大な防潮堤が延々と築かれている。高さは12.5m。震災前の5.5mから倍以上に引き上げられたそうだ。今度こそ地域を守ってほしい。
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伝承館からまっすぐ延びた先の防潮堤にあらためて献花台が設けられている。大震災で亡くなった人と行方不明者、計2万2215人(震災関連死含む)の鎮魂を祈り、追悼している。
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献花台を右に防潮堤を下って行くと、建物が折れ曲がった震災遺構・陸前高田ユースホステルが残されている。
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陸前高田ユースホステルの手前に立つのが、奇跡の一本松。
この一本松は1896年の明治三陸地震津波、1933年の昭和三陸地震津波、1960年のチリ地震津波を生き延び、今回の大津波でも耐え抜き、「奇跡の一本松」と讃えられた。ユースホステルの建物で大津波の直撃を免れたのが幸いしたという。
しかし、震災の翌2012年に枯死したそうだ。現在はモニュメントとして保存されている。高さ27.5mもあるという大きな一本松は遠くからもよく見え、復興祈念公園のシンボルともなっている。奇跡の一本松 名所・史跡
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岩手県陸前高田市の東日本大震災津波伝承館から離れて再びBRTで気仙沼駅へ。同駅で気仙沼線のBRTに乗り換え、一般道も走ってJR前谷地駅へ。2時間20分ほどバスに揺られたが、やはり列車よりはかなり遅かった。
前谷地駅からは再び石巻線に乗り換え、石巻駅に着いたのは午後6時すぎだった。5時間ほどローカル線を乗り降りしたが、乗客の大半は高校生。ローカル線が高校生の足になっていることを知らされた。
泊まったのは石巻駅前の旅館「いしのまき」(写真)。素泊まりは格安だった。旅館いしのまき 宿・ホテル
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10月11日午前9時すぎ、石巻市内でカーシェアーをして北上川沿いに車を走らせた。約1時間で震災遺構大川小学校に着いた。校舎に近づくと大津波の悲劇が胸に迫った。
旧大川小は大津波にのみ込まれ、児童108人のうち74人が、教職員13人のうち10人が死亡、行方不明となった。学校被災では途方もない犠牲者数で無残に破壊された校舎を目の当たりにして子供たちはどんなに怖かっただろうかと無念さがこみ上げてきた。石巻市震災遺構大川小学校 名所・史跡
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一階は何も残っていない。
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二階の教室も津波にのみ込まれた。
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どの教室も無残に破壊された。
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校庭裏は小高い山だった。結果論だが、なぜ、どうしてこの山に逃げなかったのかと悔やまれた。
子供を失った両親らは市と県の過失を訴えて提訴。学校側や市教育委員会は子供たちを最大限守らなければならない責任があるとしてその過失を認める判決が確定している。
大川小では山に逃げるような避難訓練はやっていなかった。ありきたりの避難訓練ではなく、最悪の事態を想定した避難訓練が欠かせないことを痛感した。 -
石巻では石ノ森章太郎の作品、サイボーグ009や仮面ライダーなどのオブジェによく出会った。戸惑って調べてみたら、石ノ森章太郎は隣接の登米市生まれで石巻を第二の故郷としているとか。駅近くには作品を紹介する石ノ森萬画館まであった。港町にサイボーグ009や仮面ライダーは少し違和感もあるが、石ノ森がとても愛されていることが伝わってきた。
写真は石巻駅前。正面に仮面ライダー、駅入口にサイボーグ009がいる。この後、仙台を経由して帰途についた。石巻駅 駅
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