2023/10/07 - 2023/10/07
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たびたびさん
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コロナ禍明けに長崎は福岡からはしごをしたのですが、長崎市内については二日間だけ。それも10年以上のブランクがあった後だったし、そんなものではここしばらくの長崎欠乏症はほとんど解消されてはいないでしょう。今回は、そのもやもやをきちんと晴らすべくいろいろ考えて、それなら長崎くんちに行くのが一番かなという結論に至った次第。長崎ならではの和華蘭文化が存分に味わえるお祭りで、これに勝るものはないですからね。ただ、祭りの期間中、天気の方はどうなるか分からないし、そうすると三日まるまるを長崎市内として、あと一日を嬉野温泉でゆっくりして帰るというスケジュールかな。いい感じに考えがまとまって、これならまず大丈夫。早いうちから宿を押さえて、準備万端。祭りの日を待ちました。
ところで、長崎は、福岡で2年半ほど暮らしている時から縁が出来て、以降も何度となく訪れてきましたが、その魅力は、街全体にあふれる文化の多様性。そして、歴史的な側面で捉えても、日本全体の歴史に決定的な影響を与えたという点は見逃せないことだと思います。
ただ、けっこうごちゃごちゃするので、少し整理すると以下の三つの時代が柱ですね。
<キリシタン大名の時代から秀吉の九州平定まで>
鉄砲伝来によって戦国時代の戦術は一変。信長の天下統一にも一役買いましたが、九州では大友宗麟、大村純忠、有馬晴信ら南蛮貿易のメリットに目を付けたキリシタン大名が出て、領内のにぎわいは目論見通り。宣教師による布教活動も活発化しました。最も有名なのは大友宗麟の府内ですが、沖田畷の戦いで有馬島津氏の連合軍が龍造寺氏を破った背景も有馬氏のそうして培った財力が小さくないと言われていますし、長崎もその中の一つという位置づけだったかと思います。
天文12年(1543) ポルトガル人が種子島に漂着。鉄砲伝来。
元亀2年(1571) キリシタン大名、大村純忠が長崎を開港。南蛮貿易の拠点へ。
天正15年(1587) 秀吉の九州平定。長崎は秀吉の直轄領へ。同年、バテレン追放令。
<徳川幕府の御朱印船貿易から島原の乱、鎖国政策まで>
御朱印船は出航港を幕府の直轄地である長崎のみと定められ、この辺りから特別な位置づけへ。一方、秀吉の朝鮮出兵時においても博多商人の力は大きかったはずなのですが、徳川の幕藩体制の中でローカルな存在となっていったのは仕方がないことだったかもしれません。
幕府を震撼させた島原の乱を経て禁教令が徹底されると、南蛮貿易の主役はポルトガルからオランダへ。いわゆる鎖国の体制が固まります。ただ、出島の貿易は限られているようですが、砂糖や特に絹織物の輸入は膨大で、金銀や銅の海外流出によって幕府の経済はけっこう大きな痛手も受けて頭の痛い問題でした。一方で、蘭学は医学を中心に江戸期を通じて間違いなく一大潮流でしたし、有田焼の赤絵も元は明の技術。伊東若冲に見られる南蘋派の影響や円山応挙の遠近法など例をあげればキリがない。キリスト教以外の情報は禁制ではないので、長崎を通じて入ってくる知識や情報の役割はけっして小さくなかったことも見落としてはならないことだと思います。
慶長9年(1604) 朱印船制度創設。寛永12年(1635年)まで。
慶長14年(1609)平戸オランダ商館開設。
慶長17年(1612)禁教令。
寛永13年(1636) ポルトガルとの貿易のため、出島築造。
寛永14年(1637)島原の乱勃発。
寛永16年(1639)ポルトガル追放。
寛永18年(1641)平戸オランダ商館が出島に移転。
<幕末の情報収集基地から開港後の武器商人の活躍、明治の近代化まで>
日本近海では外国船が出没。フェートン号をきっかけに海防の意識が高まりますが、アヘン戦争の情報は衝撃的。幕府の無力が表面化する中で、黒船の来航。幕府を追い詰める尊王攘夷の旋風と倒幕への流れも一気に加速。戊辰戦争に突入した薩長軍の十分な武器調達を可能にしたのは、幕府の開港だったというのも皮肉な結果かもしれません。幕末の激動期にあって、長崎はアヘン戦争をはじめとする世界情勢をキャッチする窓口だったし、アメリカの南北戦争終結で余った大量のミニエー銃を横流しするグラバーなど武器商人の拠点。坂本龍馬が亀山社中を長崎に置いたのものそれらの理由です。フェートン号事件での長﨑警備の不備を問われた佐賀藩の鍋島閑叟がそれをきっかけに軍備の最新化を図っていたことも新政府軍の強みになりましたし、あれもこれももしかすると長崎がなければ、明治維新は不可能だったかもと思えるくらい。そして、明治の近代化においては、長崎造船所や高島炭鉱、端島炭鉱などで大いに貢献。華麗な歴史が続きます。
文化5年(1808) フェートン号事件。
文政8年(1825) 異国船打払令。
文政11年(1828) シーボルト事件。
天保10年(1839) アヘン戦争。
天保13年(1842) 異国船打払令廃止。
嘉永6年(1853) 黒船来航。
嘉永7年(1854) 日米和親条約。
安政6年(1859) 長崎ほか開港。
慶応2年(1866)薩長同盟。
慶応3年(1867)大政奉還。
明治元年(1868) 戊辰戦争で、新政府が勝利。
明治4年(1871) 廃藩置県。
こうしたことに思いを巡らすと長崎の街から大きな世界が見えて来る。それは、ある意味、京都と似ているところがあって、時間を置くとまた浸ってみたくなる。欠乏症の原因となる感覚の所以です。
さて、長崎くんちに話を戻して。今年の踊り町は、桶屋町の本踊、船大工町の川船、栄町の阿蘭陀万歳、本石灰町の御朱印船、丸山町の本踊、万屋町の鯨の潮吹きの6つ。7年ぶりのお披露目となるのが通常サイクルですが、今年は4年ぶりの開催ということですから、個別に見るとなんと11年ぶり。本当に待って待って、満を持してのお披露目となったものです。
この日に拝見したのは、長崎アミュプラザのかもめ広場の庭先廻り。演し物は、やっぱり長崎の和華蘭文化の神髄。それぞれもそうだし、その組み合わせも含めて、多様な文化をうまく溶かし込んで、見事に再生したような面白さがありますね。敢えて言えば、中でも阿蘭陀万歳が印象的。無言劇みたいな不思議な感覚があって、万蔵と才蔵のシンプルな世界観も素晴らしいと思いました。初日から全開といったところ。幸先のよいスタートとなりました。
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広島から朝一番の列車で長崎駅に到着。
長崎くんちはどこで見ようか。とりあえず、駅の観光案内所で相談したら、近くのかもめ広場がありますよということで、そこに腰を落ち着けました。
まだしばらく時間がありまして、待っている間に掛け声の練習です。 -
「モッテコーイ」「ショモーヤレー」「ヨイヤー」
これでだいたい足りるんだそうですね。
ちなみに、モッテコーイとショモーヤレーは、もう一回!みたいなリクエスト。ヨイヤーは、良かったよーみたいな褒め言葉です。
始めはちょっと違和感もなくはないですが、練習しているうちにだんだん馴染んできたような感じです。 -
駅長さん以下が席について一行を待ち受けます。
手に持っている赤字で”花”と記した紙ですが、これが「花紙」。庭先廻りで出し物を呈上してもらうと「呈上札」をいただいて、そのお返しのご祝儀として渡すもの。ご祝儀のことは御花というのですが、この場では「花紙」を渡し、後でご祝儀を届けるという手順です。 -
始めの演し物は、船大工町の川船。
船大工町の世話役が「呈上札」を渡しています。
船大工町は、シーボルト通りの辺り。シーボルト通りの商店街は割と活気もあるし、諏訪神社にもまあまあ近い。ここも老舗の踊り町なんだと思います。 -
番号札の付いた旗を持った若い女性がやってきました。
本隊が到着するカウントダウン的なもの。
5、4、 -
3、2、1
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川船が現れましたよ~
待ってました! -
かもめ広場に入場です。
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川船には、大太鼓、締太鼓、鉦の囃方。
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船先には子どもが扮する船頭です。
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ここで取り出したのは投網。
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投網で魚をとる妙技が最初の見どころです。
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リズムを取りながら
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イチオシ
狙いすまして
えいやー -
見事に網を投げて
一網打尽。 -
獲物を回収して、無事終了。
大役ご苦労様でした。 -
ここからは、船の前後進に引き回し。
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ちなみに、若い衆の着物は川船の浮かぶ激流をイメージした白と青。
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姿勢を低くして
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一気に川船を前進させます。
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今度は後進。
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後進と
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前進を
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何度も繰り返した後は
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イチオシ
引き回しに移ります。
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右回りに
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勢いをつけたかと思ったら
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今度は
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逆の左回り。
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川船は
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加速、減速の度にかなりの揺れがあるのですが、
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囃方は、それをものともせず、太鼓、鉦を打ち鳴らす。
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ドンドンドンドン、ジャンジャンジャンジャン。
激流に揉まれる川船よろしく、全員一丸。必死で川船を操ります。
静から動への展開も面白くて、ちょっと胸がスカッとしましたよ。 -
続いての演し物。
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お姉さんたちの集団は、
桶屋町の本踊
本踊りは、ここと丸山町の二つです。 -
桶屋町の本踊は複数あって、これは紅組なんだとか。
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横一列に整列して
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一礼。
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始まりましたよ~
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ちょっといなせな雰囲気があって
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ちょっとした動作に
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艶がある。
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これも満を持しての登場ですから、
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その思いはいかばかりか。
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場が締まったところで終了です。
これも長崎くんちにはなくてはならない演し物ですね。 -
三組目は、栄町の阿蘭陀万歳。
個性的な面々の登場です。 -
三味線のお囃子ですが、皆さん地べたに座っていますけど
これが長崎くんち独特のスタイルです。 -
さてさて、
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主役はこの二人ですね。
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ちなみに、阿蘭陀漫才は東京生まれで、長崎育ちの踊り。
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シルクハットをかぶり南蛮服に
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唐扇子を手にした万蔵と
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鼓をもったピエロ風の才蔵の掛け合いが見どころ。
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もともとは花柳流が創作した前衛舞踊で、昭和8年、東京で上演されたのが始まりなんだとか。それが長崎の検番に伝わって、今では長崎くんちの定番となったというわけです。
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コミカルな動き、それ自体がなんとも不思議な楽しさ。
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漫才と言っても、しゃべくりではなくて
一種の無言劇。 -
イチオシ
コミカルで
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和気あいあいと言った軽妙な動きの中にも
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ちょっとした哀愁があって
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異国の地からやってきた二人の生い立ちや
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関係性まで想像させてくれるよう。
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とってもいいじゃないですか。
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二人の不思議な世界観に
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たびたびさんも
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目が釘付けですよ~
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東京での原型から
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長崎風のアレンジもあっての今なんでしょうが
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とにかくこの異国情緒は東京よりも長崎にぴったりですよね。
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それをちゃんと見出して
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長崎くんちの名物にしたという
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イチオシ
目の確かさにも敬服です。
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二人の掛け合いは
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続きますが、
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ちょっとしたストーリーもあるようで。
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それは、日本に漂流した2人のオランダ人が万才を覚え、正月の祝儀に回っているうちにふと故国を思い出して感傷にふけるというもの。
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なるほどー
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ピエロ風の才蔵は、突然へたり込んでしまいました。
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なにがあったのか
心配そうに近づいていく万蔵です。 -
なあなあ
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元気を出そうぜ。
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今日はお正月のめでたい日。
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二人でがんばらないでどうするんだ!
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そうだよな。
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気を取り直して
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励まし合い、
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また元気な姿を取り戻しました。
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この阿蘭陀万歳が長崎くんちの登場したのは、昭和26年のこと。もう70年以上の歴史を経てきているのですが、今でもこの瑞々しさ。
素晴らしい演し物ですね。 -
今度は町娘が加わって
お馴染みのぶらぶら節。これがまたいいんですよね~ -
最後まで
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ベストパーフォーマンスの連続でした。
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中国服を着た女の子の演技はどうでしょう。
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これも伝統を感じさせるものがありますね。
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はい、お疲れさまでした。
これで、終了のはずなのですが、うーん、まだまだ。
では皆さん、ご一緒に
ショモーヤレー、ショモーヤレー、ショモーヤーレーー -
リクエストに応えて、もう一度、ぶらぶら節。
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いやいや、たまりませんね。
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万蔵さんもこう見えて身が軽い。
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町娘さんとのコラボも妙にハマっていましたよ~
ヨイヤー、ヨイヤー
ヨイヤー、ヨイヤー -
四つ目の演し物は、本石灰町の御朱印船。
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冒頭でも触れましたが、御朱印船は鎖国以前、徳川幕府の許可を得て、東南アジアとの交易を行った船。長崎は朱印船貿易の唯一の出航港となりました。
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この御朱印船は、朱印貿易商として活躍した荒木宗太郎の船。
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船首に赤い服の女性が座っていますが、これは荒木宗太郎の妻で、ベトナム王女のアニオーさん。
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堂々の登場ですが、これから輿入れが行われるという設定です。
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その直後にはこんな御朱印船の手ぬぐいが撒かれて、私もひとつゲットできました。
縁起物を見ている人にもおすそ分けという祭りならでは太っ腹のパーフォーマンスです。 -
さて、準備が整ったところで、引き回し。
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合図の旗が振られると
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若い衆が一斉に動き出す。
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息を合わせて
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渾身の力。
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川船が川の激流なら
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こちらは大海原を行く大航海。
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前後左右に
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船は大きく揺れ動いて
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イチオシ
ダイナミック。
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船上には太鼓、鉦の囃子。
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船の揺れに負けじと
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ドンドン
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カンカン。
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若い衆もその音に勇気づけられているのでしょう。
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繰り返し繰り返し
疲れも見せず、全力で引き回します。
こちらもいったん終了しますが、モッテコーイ、モッテコーイ。
リクエストの応えて、最後また力を振り絞ってがんばってくれました。
ヨイヤー -
続いての演し物は、万屋町の鯨の潮吹き。
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唐津から平戸、五島列島で行われていた西海捕鯨が盛んな時代に生まれた演し物で、万屋町が初めて奉納したのは安永7年(1778)のことだとか。もう250年くらいの歴史があって、ちょっととんでもないものですね。
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若い衆に守られた鯨が登場。
川船や御朱印船と違って、形はシンプルですが、 -
その存在はやっぱり長崎くんちにハマっていて、長崎くんちを代表する演し物のひとつであることは間違いないですね。
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一斉に腰を低く身構えて
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旗が振られると
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イチオシ
引き回し。
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引き回して暴れる鯨を表現しているんですが、
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視点を変えると
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暴れる鯨を制圧しようと人間たちが四苦八苦しているように見えなくもない。
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シンプルなパーフォーマンスのようですが
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そこの微妙なアヤというのが
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見せる技となっているのでしょう。
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リアルな鯨の姿を想像させつつ
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漁をする人間との壮絶な格闘も感じさせる。
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そういう意味だと
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いろんな動きには無駄な要素がまったくないかもしれませんね。
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そして、なんと
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鯨の潮吹きまで。
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けっこうな勢いがあって、辺りはびしょびしょですけどね。
こちらもモッテコーイ、モッテコーイ。
びしょびしょになった体でおまけのパーフォーマンスをやってくれました。
ヨイヤー
ヨイヤー
ヨイヤー -
かもめ広場は実は出来たばかり。新品の会場だったのですが、以上が終了するときれいな石の床は傷だらけ。まあ、長崎くんちの傷ですから、これも観光客には見どころになっていくかもしれません。
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ここから、長崎駅近くを少し散策。
長崎浦上街道は、現在の長崎市西坂町から、浦上を抜けて、西彼杵郡時津町まで、真北に進む12kmの道。江戸時代、天領だった長崎と大村藩領を結ぶという役割。日本二十六聖人記念館のすぐそばに、「長崎浦上街道ここに始まる」の石柱が建っていました。 -
聖無動寺は、正保元年(1644年)創建の真言宗の寺。寺に上がっていく細い石段のところには詳しい説明板。
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オランダ船の航海安全等を祈願していた寺で、境内には安全祈願の石灯籠が残っていて、それは確認。長崎に滞在していた勝海舟と恋に落ちたお久の墓もあるようでしたがそちらの方はよく分かりませんでした。
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と
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さきほどの桶屋町の本踊に遭遇。
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こうやってあちこちの庭先廻り。
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庭先廻りは、敬意を表して演し物を呈上することで、
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福を分けお祝いするという趣旨。
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イチオシ
これも長崎くんちの重要な役割ですから、邪魔にならないように注意しないといけませんね。
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しかし、街に息づいているって感じ。
ほのぼのした雰囲気もいいですね。 -
ちょっと賑わっていたお菓子屋さんを発見。これは、田中旭榮堂という明治31年創業の栗饅頭の専門店。ごく普通の店構えですけど、ここが栗饅頭発祥のお店なんだとか。
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種類もいくつかありますし、大きさも普通サイズのものからかなり大きなサイズまで。ひとついただきましたが、まあ、栗饅頭は栗饅頭。特別なものではないですけどね。
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これは丸山町の本踊り。
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唐人の姿と
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芸子さん。
面白い組み合わせですよね。
こちらの方は三日目に諏訪神社でじっくり見せてもらうことになりますので。 -
しばらく歩いて、これは長崎市中の茶屋。
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かつてのお茶屋さん跡で、長崎ぶらぶら節でも、「遊びに行くなら花月か中の茶屋」と歌われていて、長崎を代表する老舗だったようですね。山の中腹を切り開いてできたような限られた敷地ですが、門から奥に入って行くと
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今でも庭園を眺めながらの
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ちょっと別天地のような雰囲気を感じますね。
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松もそれぞれが立派です。
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一方で、建物の方は清水崑展示館となっていて、
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奥に入ると
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長崎市出身の漫画家、清水崑の作品がそこかしこに。
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今に時期だったからかもしれませんが、
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長崎くんちをモチーフにした作品が
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とても多くて、けっこう楽しませてもらいました。
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地元で育った方だし、
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それぞれの場面に向ける視線がとても気持ちがこもっているような。
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イチオシ
阿蘭陀漫才の
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コミカルな動きや
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鯨の潮吹きも
こうして拝見するとまた違った魅力が感じられるような気がします。 -
鍛冶市通りを抜けて
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長崎市の中心部、浜町アーケードへ。活気のあるアーケード商店街で、最寄りの電停は、浜町アーケード駅、観光通駅、思案橋駅の三つ。眼鏡橋や中華街にも近いので、ここをぶらぶらしていても次の観光地へのことは考えやすい。観光客が多いのも当然の立地かなと思います。
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そこからすぐにある吉宗 本店は、長崎では有名な食事処。早めに来たつもりだったのですが、もうこんなに行列ですね。
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ただ、待っている間にこんなミニ鯨。これも庭先廻りで回っているようです。
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順番が来てお店に入ると下足番のおじさんがいて、靴を預けると二階に通してくれますが、
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これもちょっと前時代的な雰囲気があっていいですね。
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いただいたのは、名物の蒸し寿司と茶碗蒸しのセット。
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イチオシ
ずいぶん以前に初めて食べた時はあんまりおいしくないなという印象で、それが少し残っていたのですが、今回はまあ普通かな。蒸し寿司は酢の味が濃くなくてやさしい味わい。茶碗蒸しの方もたくさんの種類の具材が入っていて、それなりに楽しめました。
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では、最後に稲佐山展望台へ。
展望所へは長崎ロープウェイ無料循環バスを利用します。市内の中心部にある5つのホテルを経由して、長崎ロープウェイ淵神社駅まで無料で運んでくれます。予めスマホで予約する必要がありますが、まあまあ簡単。大きなバスだし、ラクチンです。 -
これは長崎ロープウェイの乗り場。稲佐山展望台に上る手段としては一番オーソドックスな方法だと思います。
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長崎の夜景は、山の上まで広がる市街の民家の灯りがやさしい明りになっていて特徴的なのですが、このロープウェイを利用すると上昇中にそのやさしい明りの感じがとてもよく分かる気がします。そういう意味でも、ロープウェイはお勧めですね。
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ロープウェイの山頂駅から展望所に向かいます。
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電波塔の下を抜けて
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ここですよね。
私はたぶん今回が三回目かな。 -
ここは、函館山、摩耶山掬星台と並ぶ日本三大夜景の一つ。
この写真撮影スポットの鶴はなんでしょうね。
比較的新しくできたものじゃないかと思います。 -
先ほども触れましたが、長崎湾をすり鉢状に囲む山には高いところまで人家が建っていて、
-
イチオシ
長崎湾に面した市街中心部の宝石のような煌めきに加えて、その人家のやさしい灯りがまたいい感じなんですよね。
三大夜景の中では長﨑の夜景が一番好きなんですが、ただ、神戸の夜景は六甲山からしか見たことがない。今度は摩耶山掬星台にも行ってみないといけないかもしれませんね。 -
なお、展望所の隣りには、大きな展望台の建物もありますが、それに上らなくても展望所からの眺めで十分かなと思います。
以上で、一日目は終了。
ところで、明日は、雨予報。くんちが中止にならないといいのですが。。
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