2023/09/27 - 2023/09/30
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beanbagさん
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9月29日(金)晴れ
3日目は、午前中にかねて行きたかった北海道開拓の村を訪れます。昼過ぎに札幌に戻り、大通公園で開催されている「2023さっぽろオータムフェスト」を覗いた後、ホテル送迎バスに乗って定山渓温泉に向かいました。
これで、登別温泉、湯の川温泉、定山渓温泉の北海道三大温泉郷コンプリートです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 私鉄
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6:00 今朝も札幌駅のサンドリアでサンドウィッチを購入。
サンドリア JR札幌駅西コンコース グルメ・レストラン
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ホテルに持ち帰って朝食です。
私はレタストマトチーズ、妻はハムチーズ。
野菜ジュースやドリンクヨーグルトは1階コンビニで購入、コーヒーはホテルロビーのコンプリメンタリー。京急EXホテル札幌 宿・ホテル
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8時前にホテルをチェックアウト。
地下鉄南北線で大通駅へ。大通駅 駅
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3番出口のコインロッカーに荷物を預けます。
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こんどは東西線で新さっぽろ駅に向かいます。
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新札幌バスターミナルから
新札幌バスターミナル 駅
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9:15発 JR北海道バス 開拓の村行。満員の乗客を乗せて出発です。
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9:35 北海道開拓の村に到着。
北海道開拓の村 美術館・博物館
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北海道開拓の村は、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を移築復元・再現した野外博物館、いわば「北海道版明治村」です。
開拓当時の生活を知りたくて訪れました。 -
出入口となる札幌停車場。
65歳以上は無料、マイナンバーカードを示せばOKです。旧札幌停車場 名所・史跡
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旧開拓使札幌本庁舎
現在の北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)の前身。1873年(明治6年)10月に完成しましたが、6年後の1879年に火災で焼失。設計図が残っていたので当地に復元したものです。
ボランティアガイドAさんにお願いして、10時から2時間コースでガイドツアースタートです。ツアー時間や観たい場所などは、希望を言えば柔軟に対応してくださいます。 -
イチオシ
北海道開拓の村は、1983年(昭和58年)4月開村。今年でちょうど40周年です。
ニセアカシア並木の両側は市街地という設定。中央を馬車鉄道が走っていましたが、2か月前に事故で馬が怪我したので、現在は運行していません。
また、植え込みになっている場所にも従来はニセアカシアが植っていましたが、平成16年(2004年)台風18号「ポプラ台風」で倒れ、代わりに植え込みに造り替えたそうです。 -
旧三ます(くちがまえに斜線)河本そば屋
主屋:1909年(明治42年)頃築
石蔵:1925年(大正14年)頃築
明治初頭は小樽が北海道で一番繁栄した町だったので、開拓の村には小樽から移築した建物が目立ちます。 -
いますぐ営業できるほど完全に保存された店内です。
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旧小樽新聞社
1909年(明治42年)築
札幌軟石(溶結凝灰岩)を外壁に積み上げています。 -
小樽新聞は1894年(明治27年)創刊。1942年(昭和17年)11月に新聞統合令により道内11紙が統合され、北海道新聞となりました。
内部には当時の印刷機も展示されています。 -
旧武井商店酒造部
1886年(明治19年)頃築
鰊漁で繁栄した泊村から移築。 -
内部には酒造設備が再現されています。
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住居部分も復元。
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旧開拓使工業局庁舎
1877年(明治10年)築
現存する開拓使関係庁舎として唯一のもの。開拓の村で唯一の国指定重要文化財です。 -
当時の札幌には、都市建設に必要な材木の貯木場が多数存在し、現在の大通に当たる場所から北には官公庁、南に民間の建物が次々と築造されました。
この工業局庁舎は、現在のテレビ塔のやや北、創成川近くにあったそうです。 -
旧札幌警察署南一条巡査派出所
1911年(明治44年)築
ボランティアのエキストラ巡査が敬礼。こんにちは。 -
旧島歌郵便局
1902年(明治35年)築
久遠郡せたな町から移築。 -
投函口が回転する北海道仕様の郵便ポスト。
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旧武岡商店
1898年(明治31年)築
新ひだか町東静内より移築。
武岡家は、旧徳島藩の家老稲田邦植に従い1871年(明治4年)に静内郡に移住し、以来、米穀、雑貨、荒物などを扱ってきた商家。現在も本社を新築して事業を継続しているそうです。 -
旧山本理髪店
大正末期築 -
旧大石三省堂支店
1907年(明治40年)頃築 -
本屋ではありません、菓子店です。
帯広には柳月や六花亭など菓子店が多数存在しますが、お菓子づくりに欠かせない砂糖(甜菜糖)の産地だったからだそうです。 -
旧藤原車橇製作所
1903年(明治36年)築 -
1898年(明治31年)兵庫県出身の宮大工 藤原信吉が深川に入植し、1903年(明治36年)妹背牛で車橇製造を開業しました。
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当時の日本では橇の円曲部を作る台木曲げの技術がなく、サハリンのロシア人から学んだそうです。
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市街地群を通り抜けたころ、空模様が怪しくなってきました。これはこれで厳しい気候の北海道らしい風景です。
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旧浦河公会会堂
1894年(明治27年)築
スコールのような激しい雨が降ってきたので、教会内に避難します。 -
座って雨宿りできたのは幸運でした。
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窓の外は強風と大粒の雨。10分ちょっとで通り抜けました。
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旧土谷家はねだし
1887年(明治20年)頃築
漁村群に入ってきました。
はねだしは、鰊漁家の付属施設として、海側に跳ね出す形で建てられた倉です。 -
旧青山家漁家住宅
母屋:1919年(大正8年)築
文庫倉・石倉・板倉:1888年(明治21年)築
米倉・網倉・外便所:1887~1896年(明治20年代)築
青山家は1859年(安政6年)に山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家です。
昨年6月に小樽を訪問し、一番感動したのが旧青山別邸(国登録有形文化財)です。鰊漁で巨万の富を築いた青山家3代目 政恵が6年半をかけ、贅を凝らして建てた別邸は、個人住宅としては日本建築の最高峰と言っても過言ではない素晴らしいものでした。なので、その本邸は開拓の村の中でも一番観たいと思っていました。 -
母屋の漁師宿泊部分。1人あたり畳1枚が割り当てられ、50人が寝泊まりできました。
保存状態が良いので、朝ドラ『マッサン』のロケにも使われたそう。 -
ボランティアガイドAさんの説明によると、建網にかかったニシンを沖から陸に揚げるまで、3種類の船でリレーするように作業を行なっていたそうです。
まず、沖合でニシンがかかった網を手繰る作業(網おこし)を行う「起こし船」、起こし船と身網を挟んで並行の位置につき、獲れたニシンを船にくくりつけた丈夫な網に落とし入れる作業を行う「枠船」、浅瀬まできた枠船から大きなタモ網で船にニシンを汲み移す「汲み船」です。
1漁場につき1組25名の漁師がチームを組み、作業を行います。
梁には大船頭以下、舳係まで、1組25名の名簿が2組掲げられています。 -
母屋の主人家族の居住部分。
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ヤマハ オルガンもありました。
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母屋は何度か火事に見舞われているので、札幌軟石の防火壁が設けられています。
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右から文庫倉、石倉、
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板倉、米倉。
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板倉の内部。
味噌倉、漬物倉、雑倉の3つに仕切られ、雑倉には鰊釜や大型の漁具などが収納されていました。 -
網倉
大切な網倉は、海から一番離れたところにあります。 -
鰊漁を終えた網は、翌年の漁期まで大切に保管されます。
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鰊粕や鰊油製造に使われた圧搾機や大釜が展示されています。
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廊下
陸揚げしたニシンを一時収蔵するための施設です。
鰊漁が終わると、船や櫓などの大型漁労具が収納されます。この大きな船は先に説明した枠船です。大きすぎて写真に収まりません。
鰊漁の全てがわかる圧巻の展示です。 -
旧札幌拓殖倉庫
1907年(明治40年)築
開拓使のシンボル 五稜星が掲げられています。 -
農村群に入ってきました。
旧若狭家たたみ倉
江戸末期築 -
旧ソーケシュオマベツ駅逓所
1907年(明治40年)頃築(主屋)
虻田郡喜茂別町(昨日、定期観光バスで走った所)から移築。
駅逓所は、明治・大正・昭和にかけて、交通不便の地に駅舎と人馬を備え、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行い、北海道の発展に大きな役割を果たしました。 -
背中は、富山の薬売りが一休みしている姿。
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旧納内屯田兵屋
1895年(明治28年)築
深川市にあったものを復元。
ちなみに、Aさんの母方は岐阜県から入植した屯田兵だったそう。 -
屯田兵は、住居以外にも開墾・農耕具、台所用具、夜具などが新たに官給され、北海道開拓民の中にあっては比較的恵まれた存在でした。
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旧岩間家農家住宅
1882年(明治15年)築
岩間家は、旧仙台藩亘理領の氏族移民団の一員として1871年(明治4年)入植した畑農家です。石置き屋根が特徴的。 -
茶の間
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旧山田家養蚕板倉
1881年(明治14年)頃築 -
旧樋口家農家住宅
1897年(明治30年)築
樋口家は、富山県から移住した水田農家。1893年(明治26年)に入植し、5年目にこの家を建てました。富山出身の棟梁に建築を依頼し、郷里の建築様式を取り入れています。 -
旧小川家酪農畜舎
大正末期築
札幌農学校出身の小川三策がアメリカから取り寄せた設計図を参考に建築したもの。2013年(平成25年)に屋根と2階部分が崩壊しましたが、復元されました。 -
開拓小屋(再現)
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入植者が最初に建てた住居を再現したもの。開拓地で伐採した木材や笹、枯草を重ねた上にむしろを敷いて、最低限の雨避けと保温を確保しています。
屯田兵屋と比べると粗末さが際立ちます。 -
旧信濃神社
1897年(明治30年)築 -
市街地群に戻ってきました。
旧近藤染舗
1913年(大正2年)築
1898年(明治31年)に創業した旭川で最も古い染物店。 -
近藤染舗の創業者は、徳島県からの移住者兄弟。藍は徳島県の特産であり、故郷の技術を受け継いで商売を始めました。
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旧来正旅館
1919年(大正8年)築
東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は退役後、開通直後の宗谷本線永山駅前に移り、待合所を開業。1918年(大正7年)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し、営業を再開しました。
北海道は歴史が浅いことが幸いし、保存すべき建造物が数多く残っていたので、こうして1か所に集め、タイムカプセルのように閉じ込めることができました。 -
出発地点に戻ってきました。北辰旗(五稜星)が翻っています。
芝生広場では大勢の修学旅行生がお弁当を広げています。
予定の12時を過ぎたので、ここでツアーを終了します。ボランティアガイドの解説ともに建造物一つ一つをつぶさに見学することで、開拓当時の生活感が肌身を通じて伝わってきました。満足感の高い、充実した見学。長時間案内してくださったAさんに感謝です。 -
ログハウスのバス停で帰りのバスを待ちます。
北海道開拓の村 美術館・博物館
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12:30発 新札幌駅前行のJR北海道バス→地下鉄東西線を乗り継いで札幌に戻ります。
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開拓の村でこんなポスターを見つけました。ランチはここで摂ることにします。
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大通公園に戻ってきました。オータムフェスト会場です。道内各地のご当地グルメが一堂に揃っているので、ランチには便利です。
ラーメンとカレーは店舗数が多いので券売所で食券を購入します。さっぽろオータムフェスト 祭り・イベント
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私はラーメン800円をチョイス。店が多くてどこを選んで良いか分からないので、とりあえず列が一番長くて人気がありそうな店を選びました。
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それがこの店、室蘭 鐡灯らぁめんの麦味噌らぁめん。
麺もチャーシューも美味しいのですが、スープが少し塩辛かった。 -
妻はこんなチョイス。
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こんなお店で購入しました。
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カレー店もたくさん並んでいて、選び放題です。
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14:15 大通西5丁目のホテル送迎バス集合場所に少し早めに着くと、すでに2台のバスが待機しています。定刻(14:40)前ですが、先着順に満員となった1号車で出発。
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大通公園は、雪まつり以上に賑わっています。インバウンド客も多数。食を通じて北海道全体の活性化に貢献するという狙いが見事に実現しています。
大通公園 公園・植物園
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送迎バスからの眺めも興味深い。
硬石山の採石場
「硬石山での採石は、1872年(明治5年)にさかのぼる。新しく北海道の首府として建設が始まった札幌に石材を供給するために、大岡助右衛門が採石を始めたのが始まりである。対岸の穴の沢で札幌軟石が発見されると、札幌硬石として区別された。これが硬石山の名の由来である。主に建物の土台など強度を要するところに札幌硬石、壁などの飾り石に札幌軟石が使い分けられて盛んに用いられた。」(Wikipedia) -
国道230号を外れ、石山橋で豊平川を渡ります。
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新御料橋を渡ると、束の間、藻岩発電所取水堰が顔を出します。
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砥山橋で3度目の豊平川渡河。
国道230号を走れば、すんなり定山渓温泉に入れますが、あえて脇道を走るのはこちらの方が景色が良いので、宿泊客に対するサービスだと理解します。 -
帽子のようなあの山は、烏帽子岳(標高1,109m)でしょう。
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岩肌が露出した定山渓の山々。
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15:25 定山渓第一寶亭留 翠山亭に到着。大半の客はここで降車します。
定山渓第一寶亭留 翠山亭 宿・ホテル
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私たちは、別のワンボックスカーに乗り換えます。
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2~3分で今宵の宿に到着。
翠山亭倶楽部定山渓
全15部屋、中学生以上専用の大人の宿。翠山亭倶楽部定山渓 宿・ホテル
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札幌軟石をあしらった玄関ホール。
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特別室を予約しました。ゆっくり寛ぎたいので。
登別温泉、湯の川温泉と同様、当地一番のホテルの、一番良い部屋に宿泊するというコンセプトです(個人の勝手な判断です)。「これ以上はない」と思うと、あとで後悔しようがありません。 -
リビング 34平米
広いことは広いのですが、ソファが低過ぎて老人には立ち上がりにくいのが難点。 -
ベッドルーム
快適です。 -
和室10畳
更衣室として利用しました。 -
半露天の温泉内風呂
これまでで最高の個室半露天風呂でした。 -
ウェルカムドリンクとスウィーツ。
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チェックイン後は、ラウンジを跨いで
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大浴場に向かいます。
とりあえず、ひとっ風呂。 -
内湯
サウナもあります。 -
露天風呂
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洗い場
部屋数が少ないので、ほとんど貸切状態。 -
ラムネやデトックスウォーターなど。
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ラウンジはオールインクルーシブ。このごろの高級ホテルのデフォルトです。ただし、セルフサービス。
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スウィーツも。
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食事前に白ワインを1杯。
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往年の名機 タンノイのスピーカー。アンプはアキュフェーズ。
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18時から食事です。
部屋を出て3歩!の個室でいただきます(写真を撮り忘れたのでHPから拝借)。 -
前菜
かぼちゃとフォアグラの茶碗蒸し
2種類の舞茸 -
前菜
秋鮭のミルフィーユ仕立て
レンズ豆ソースかけ
ポルチーニのクリームソース添え -
メニューにある食前酒が廃止されたようで、代わりに私には鍋島 雄町 純米吟醸 一合がサービスされました。
妻は、いつも通りノンアルビール。 -
お凌ぎ
ウニとニシンの握り -
御椀
金目鯛、松茸、舞茸の白醤油吸い物 -
本日のお造り
カンパチ、ボタンエビ、マグロ、ヒラメ、ホッキ貝 -
本日のお造り
キンキの焼き霜 -
本日のお造り
毛蟹
どれも新鮮な一級品。とても美味しい。 -
私は、まる田 特別純米 一合を追加。夕張郡栗山町小林酒造のお酒です。
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蓋物
銀宝、大根含め煮、里芋のオランダ煮、麩の柚餡 -
焼物
道産牛のステーキ、椎茸のキンピラ風味、茄子の煮浸し、鮑のいぶりがっこ風味 -
お食事
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使ったお箸は上質の塗り箸。お土産にいただけます。
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デザート
ラ・フランスのクリーム仕立て
「雨ノ日と雪ノ日」のジェラート添え
(「雨ノ日と雪ノ日」は、第一寶亭留グループが経営するジェラート・ピザ・スープのお店)
どの料理も手が込んでいますが、過度に調理せず、素材の味を存分に引き出しているので、味わい深く楽しめました。 -
ラウンジに赴いて食後酒を楽しみます。
20時以降はバーテンダーが常駐。飲み物は基本的に無料です。 -
気になっていたイチローズモルトをニートで。定番のホワイトラベル。
埼玉県秩父市に蒸留所を置くベンチャーウイスキーからリリースされているウイスキーです。 -
これがなかなか良い。少し甘めのふくよかな香りに、強いアルコールの尖った刺激が舌に心地よい。これまで国産ウイスキーにあまり興味がありませんでしたが、これは良い。
バーテンダーとの会話も弾み、3杯お代わりして部屋に戻りました。 -
本日の歩数は14,686歩。北海道開拓の村は手頃な広さです。
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