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2022年4月2日(土)夕方6時過ぎ、ノエビアスタジアム神戸の東側すぐにある和田岬駅から和田岬線で帰路に就く。平日は9時半から夕方の5時前まで、土曜日は9時前から5時半前まで運行されず、日曜・祝日は朝夕各1往復しか運転されない路線。JR西日本の京阪神地域で土曜ダイヤがあるのはこの線のみ。<br /><br />和田岬線は通称で、正式には山陽本線の兵庫駅から分岐する全長2.7kmの支線。和田岬は和田岬駅の1kmほど東の神戸港の入口に当たる岬。この岬が南西風と潮流を防ぐためにその北東側が天然の良港となり、歴史上の大輪田泊・兵庫湊以来、神戸港が発展することになった。<br /><br />六甲山地から南流する川の流出土砂および沿岸流によって形成された砂嘴。もともと、読みは同じで輪田や和太等と呼ばれていた。南北朝時代の1336年の湊川の戦いの舞台の一つで、新田義貞配下の脇屋義助、大館氏明が布陣した。<br /><br />明治時代中期以降に、先端部に三菱造船や川崎造船所等の重工業が進出して工業地域として発展。三菱造船の系統をくむ三菱重工業神戸造船所や三菱造船の電機製作所の部門が分離して独立した三菱電機、川崎造船所の系統をくむ川崎重工業等の工場が建ち並んでいる。国指定の史跡の和田岬砲台は神戸造船所の敷地内にあり、見学には予約が必要。<br /><br />和田岬線は1888年(明治21年)に山陽鉄道が兵庫・姫路間を建設するための兵庫港からの輸入資材輸送のために敷設された。その後、1890年(明治23年)に貨物線として開業。旅客営業開始は1911年(明治44年)。貨物営業は1980年に廃止された。<br /><br />1912年(明治45年)から1948年(昭和23年)まではノエスタの北側に途中停車駅として鐘紡前駅があったが、1962年(昭和37年)に完全に廃止され、現在は2駅を結ぶだけ。全線単線。1990年に客車から気動車に置き換えられ、2001年に電化された。<br /><br />1980年までは駅より先へ線路が延び、貨物専用線が道路を越えて三菱重工業神戸造船所へ繋がっていた。現在貨物線はなくなったが、この造船所への通勤の足となっており、朝は和田岬行が、夕方から夜にかけては兵庫行が大変な混雑となっている。<br /><br />和田岬駅は1890年(明治23年)に山陽鉄道の和田崎町駅として開業。当時は貨物営業のみの貨物駅。1895年(明治28年)に和田岬駅に改称、1906年(明治39年)に国有化され、1909年(明治42年)に山陽本線の所属となる。<br /><br />現在は単式ホーム1面1線しかない地上駅で、駅舎や券売機、改札もなく、ホーム先端と中央部2ヶ所から道路と直接出入りできる。現在の改札は兵庫駅の和田岬線ホームで行われている。なお、2009年まではホーム先端の南側にあるファミマのところに1943年完成の木造平屋建て駅舎が建っており、1999年の無人駅化までは使われていた。<br /><br />6時18分発の電車で兵庫駅に向かう。写真等ないが、和田岬駅を発車して左にノエスタを見ながら進むとすぐに兵庫運河を渡る。この橋は和田旋回橋と云い、1899年(明治32年)に架橋された旋回式可動橋で、日本最古かつ最初の鉄道可動橋。ただし、現在は回転機構がすべて撤去され固定されている。<br /><br />そのまままっすぐ電車は進み、阪神高速の高架の下を潜ってから右手に曲がり、兵庫駅に到着するが、阪神高速の高架の手前で南西に分岐する線がある。川崎車両兵庫工場への専用線で、同工場で落成した鉄道車両の輸送にも使われている。<br /><br />現在は線路もないが、かつてはその少し南のホームセンターのコーナンの辺りで神戸市場駅と兵庫港駅まで延びていた兵庫臨港線とも分岐していた。1984年に廃止された。<br /><br />6時22分、兵庫駅に到着。来る時にも降りた駅だが、山陽本線(JR神戸線)のホームは高架だが、和田岬線のホームは南側の中2階。上述したようにここで改札を抜ける。なお、兵庫駅だが、県庁所在地(兵庫県の場合は神戸市)ではなく、都道府県名がそのまま駅名になっている唯一の在来線の駅。ただし、駅名の由来は県ではなく、駅の所在地である神戸市兵庫区に由来している。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.23994374576872574&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />兵庫区だが、神戸市を構成する9行政区の一つで、市の中部に位置する。区名は兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれる港があったことから来ているが、そもそも天智天皇の治世にこの辺りに兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来している。<br /><br />県名と同じ名前の区で、神奈川県横浜市神奈川区と同じパターン。これには深い由来(?)がある。時は幕末、1858年の日米修好通商条約で神奈川・長崎・新潟・兵庫の4港を開港することになる。江戸と大坂の開港を強く求められたのに対しての折衷案が神奈川・兵庫の開港だったのだが、神奈川宿も兵庫津も当時は重要な拠点で、そこに貿易港を造りたくなかった。<br /><br />で、思いついたのが、当時は未開発の場所だった横浜と神戸。横浜村は神奈川宿の入江の反対側の小さな漁村で、神戸村は兵庫津の北側の人家もまばらな半農半漁の村。で、横浜は神奈川の一部で、神戸は兵庫の一部だと云い通すためにそれぞれを神奈川奉行、兵庫奉行の管轄下とした。その名残が神奈川県に兵庫県。<br /><br />その後、横浜と神戸は、今の区として残る神奈川、兵庫より発展し、立場が逆転、神奈川区、兵庫区はそれぞれ横浜市、神戸市の一部となった。歴史は面白い!<br /><br />兵庫区の誕生は1931年(昭和6年)、旧兵庫町のうち湊川以西の区域で発足し、湊西(そうさい)区と命名されたが、約1年半後に兵庫区に改称された。戦争中の行政区再編で区域が広がり、さらに戦後周辺村の神戸市編入よりさらに広がった。その後、1972年に一部地域を灘区に編入、73年に戦後編入された周辺村を北区に分区し、現在の区域となった。<br /><br />六甲山系の西側、鵯越から天王谷辺りから和田岬から西側の瀬戸内海までの縦長の区で、面積14.68平方kmは神戸市の9区で、長田区に次いで小さい。その長田区と中央区の間で北側は北区。<br /><br />人口は約11万人で、神戸市9区で長田区に次いで少ない。1970年頃には27万人程度だったが、以後減少を続けて1995年頃には10万人を切ったが、そこからは微増している。臨海部には複数の造船所が置かれ、阪神工業地帯の一角を成している。<br /><br />元参議院議員、大阪府知事の横山ノックは廃校となった菊水小学校卒業。柔道の阿部兄妹は和田岬小学校の出身。阿部兄妹の妹の詩は区内にある夙川中学・高校の卒業生で、先輩に歌手の奥村チヨ、テニスの沢松奈生子、柔道の杉本美香ら。<br /><br />また、2018年に神港橘高校に併合された市立神港高校は阪急ブレーブスで活躍した山口高志投手や藤崎マーケットの田崎佑一、さらに前身の第一神港商業学校を作家の陳舜臣が卒業している。同じく作家の灰谷健次郎も詳細不明だが兵庫区出身。<br /><br />ついでに神戸市についても触れる。兵庫県の南東部に位置する政令指定都市で、兵庫県の県庁所在地。人口約150万人は兵庫県で最多で、大阪市や京都市と共に京阪神大都市圏の中心都市。<br /><br />海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある扇状の入り江部に発展した理想的な港湾・神戸港を有する日本を代表する港町・港湾都市。面積は約557平方㎞で、県内の41市町で、3番目に広い。<br /><br />神戸という地名は、現在の中心市街地である三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸(じんふこ:神社に対して寄進された封戸(律令制の行政単位上の家)の住民)の集落であったことに由来する。このような集落は神戸(じんこ、かんべ)、あるいは神部(かんべ、かむべ)とも呼ばれ、それが「かうべ」に転じ、さらに発音から「こうべ」に変わった。<br /><br />律令制では、畿内の西部、五畿内のひとつ摂津国に属していたが、現在の垂水区、西区、北区の一部は播磨国に属していた。遣隋使の時代から京・大坂の外港・経由地として栄えた港があり、平清盛により福原京が計画された前後に貿易の拠点として整備され、大輪田泊(おおわだのとまり)として発展した。<br /><br />戦国時代には兵庫城が置かれたこともあったが、安土桃山時代には兵庫陣屋となり、江戸時代に入ると兵庫津奉行所が置かれた。1769年には幕府直轄領となり、大坂町奉行の兵庫勤番所が置かれた。<br /><br />幕末に兵庫港を開港することになり、実際には3㎞東の神戸村に港が造られた。1868年に外国人居留地や港が造られ、1879年に勅令により神戸港となる。港は日清戦争・第一次世界大戦を経て上海・香港・シンガポールと並ぶアジアの主要な貿易港として発展を続けた。<br /><br />港と共に造船・鉄鋼・機械を中心とした工業も発達し、阪神工業地帯の中核を担う日本有数の重工業都市に成長。兵庫と神戸は元来別々の町村だったが、神戸の拡大・発展に伴い、兵庫が神戸に飲み込まれる形で一つの都市として一体化していき、1922年には六大都市に指定された。<br /><br />太平洋戦争の神戸大空襲で大きな被害を出したが、戦後の高度経済成長期には、市街後背部の山地より削り取った土砂を用いて人工島を臨海部に埋立造成し、商工業・住宅・港湾用地として整備するとともに、埋立用土砂採取後の丘陵地を住宅地・産業団地として開発した。<br /><br />1981年には地方博ブームの先駆けとなるポートピア&#39;81を開催、また、三宮周辺が市内最大の繁華街となる。神戸港も世界有数の港湾となる。しかし、1995年1月の阪神・淡路大震災によって壊滅的被害を受ける。私も災害ボランティアで行ったが、ありゃホンマに酷かった。<br /><br />しかし、近年は都心地区である三宮エリアの再開発やウォーターフロントエリアの再開発、市内主要駅周辺のリノベーションなどの進行に加え、2006年に開業した神戸空港の国際化と国内線の拡大などで街全体の活性化が大いに期待されている。<br /><br />現在も全国有数の経済都市・港湾都市であり、貿易・造船・鉄鋼・機械・製造・ゴム・真珠加工・観光などの産業を中心に発展、ファッション・パン・洋菓子・日本酒などの産業も盛ん。灘区・東灘区から西宮市にかけては灘五郷と呼ばれる日本有数の酒所。<br /><br />幕末の1868年に神戸町が誕生し、1889年(明治22年)には神戸町・兵庫津・坂本村の区域をもって神戸区が発足。この時、すでに神戸の方が大きくなっていたということだろう。兵庫津の人々は嘆いただろうな~。で、1889年(明治22年)に市制移行。当時の人口は13万5千人。<br /><br />その後、編入を続け、1931年(昭和6年)に区制施行。当時は葺合区、神戸区、湊東区、湊西区、湊区、林田区、須磨区、灘区の8区。1939年(昭和14年)には人口100万人を突破する。 その後、編入や区の再編が行われ、現在の垂水区、須磨区、長田区、兵庫区、中央区、灘区、東灘区、北区、西区の9区となったのは1982年。<br /><br />中華街の南京町、神戸外国人居留地や北野異人館街などの異国情緒な街並み、神戸ハーバーランド、摩耶山掬星台からの夜景、有馬温泉など様々な観光地を持つ。また、幕末の開港以来、舶来品や西洋文化の流入する日本の玄関口となり、今なお旧居留地や北野異人館街などの西洋風の街並みにその歴史や影響を見ることができる。<br /><br />この日試合を見たサッカーのヴィッセル(Vissel)神戸の他、WEリーグのINAC神戸レオネッサ(Leonessa)、バスケットボールの神戸ストークス(Storks)、ラグビーのコベルコ神戸スティーラーズ(Kobelco Kobe Steelers)が本拠地を置く。かつてはプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ(Orix BlueWave)もあった。<br /><br />映画やドラマの舞台やロケ地として使われることも多い。近年では2019年の映画「アルキメデスの大戦」、2020年の映画「名も無き世界のエンドロール」、2007年のドラマ「華麗なる一族」、2020年のドラマ「心の傷を癒すということ」、2023年のドラマ「わたしの一番最悪な友達」など。あと、ゲームのポートピア連続殺人事件(1983年)なんかは懐かしい。<br /><br />神戸市出身の著名人はとても多いが、兵庫区出身以外の一部を列挙。政治家は土井たか子(第三神戸高等女学校(現御影高校)卒)、扇千景(神戸高校卒)。作家の横溝正史(神戸二中(現兵庫高校)卒)に漫画家の横山光輝(須磨高校卒)、ミュージシャンの井上堯之(星陵高校卒)、平松愛理(親和女子高校卒)。<br /><br />俳優の高島忠夫(神戸一中(現神戸高校))、杉良太郎(西代中学校卒)、浅野ゆう子(本山中学校卒)、橋本じゅん(東灘区出身)、濱田マリ(飛松中学校卒)、古田新太(伊川谷高校卒)、鈴木杏樹(マリスト国際学校中退)、森山未來(報徳学園高校卒)、北川景子(筒井小学校卒)、戸田恵梨香(鷹匠中学校卒)、水原希子(神戸国際高校卒)、野村周平(神戸学院大学附属高校卒)。<br /><br />タレントの山之内すず(伊川谷高校卒)にサッカーの永島昭浩(御影工業高校卒)、香川真司(乙木小学校卒)、フィギュアスケートの三原舞依(飛松中学校卒)、坂本花織(渚中学校卒)らも。パッと目についた人を順不同で上げているので、あの人抜けてるとかはなし。<br /><br />なお、神戸市のある兵庫県に付いては明石の項で書いたので、そちらを参照のこと。<br />https://4travel.jp/travelogue/11735045<br /><br /><br />以上で明石・ノエスタの記、終了

兵庫 神戸 和田岬線(Wadamisaki Line,Kobe,Hyogo,Japan)

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2022/04/02 - 2022/04/02

5342位(同エリア5538件中)

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年4月2日(土)夕方6時過ぎ、ノエビアスタジアム神戸の東側すぐにある和田岬駅から和田岬線で帰路に就く。平日は9時半から夕方の5時前まで、土曜日は9時前から5時半前まで運行されず、日曜・祝日は朝夕各1往復しか運転されない路線。JR西日本の京阪神地域で土曜ダイヤがあるのはこの線のみ。

和田岬線は通称で、正式には山陽本線の兵庫駅から分岐する全長2.7kmの支線。和田岬は和田岬駅の1kmほど東の神戸港の入口に当たる岬。この岬が南西風と潮流を防ぐためにその北東側が天然の良港となり、歴史上の大輪田泊・兵庫湊以来、神戸港が発展することになった。

六甲山地から南流する川の流出土砂および沿岸流によって形成された砂嘴。もともと、読みは同じで輪田や和太等と呼ばれていた。南北朝時代の1336年の湊川の戦いの舞台の一つで、新田義貞配下の脇屋義助、大館氏明が布陣した。

明治時代中期以降に、先端部に三菱造船や川崎造船所等の重工業が進出して工業地域として発展。三菱造船の系統をくむ三菱重工業神戸造船所や三菱造船の電機製作所の部門が分離して独立した三菱電機、川崎造船所の系統をくむ川崎重工業等の工場が建ち並んでいる。国指定の史跡の和田岬砲台は神戸造船所の敷地内にあり、見学には予約が必要。

和田岬線は1888年(明治21年)に山陽鉄道が兵庫・姫路間を建設するための兵庫港からの輸入資材輸送のために敷設された。その後、1890年(明治23年)に貨物線として開業。旅客営業開始は1911年(明治44年)。貨物営業は1980年に廃止された。

1912年(明治45年)から1948年(昭和23年)まではノエスタの北側に途中停車駅として鐘紡前駅があったが、1962年(昭和37年)に完全に廃止され、現在は2駅を結ぶだけ。全線単線。1990年に客車から気動車に置き換えられ、2001年に電化された。

1980年までは駅より先へ線路が延び、貨物専用線が道路を越えて三菱重工業神戸造船所へ繋がっていた。現在貨物線はなくなったが、この造船所への通勤の足となっており、朝は和田岬行が、夕方から夜にかけては兵庫行が大変な混雑となっている。

和田岬駅は1890年(明治23年)に山陽鉄道の和田崎町駅として開業。当時は貨物営業のみの貨物駅。1895年(明治28年)に和田岬駅に改称、1906年(明治39年)に国有化され、1909年(明治42年)に山陽本線の所属となる。

現在は単式ホーム1面1線しかない地上駅で、駅舎や券売機、改札もなく、ホーム先端と中央部2ヶ所から道路と直接出入りできる。現在の改札は兵庫駅の和田岬線ホームで行われている。なお、2009年まではホーム先端の南側にあるファミマのところに1943年完成の木造平屋建て駅舎が建っており、1999年の無人駅化までは使われていた。

6時18分発の電車で兵庫駅に向かう。写真等ないが、和田岬駅を発車して左にノエスタを見ながら進むとすぐに兵庫運河を渡る。この橋は和田旋回橋と云い、1899年(明治32年)に架橋された旋回式可動橋で、日本最古かつ最初の鉄道可動橋。ただし、現在は回転機構がすべて撤去され固定されている。

そのまままっすぐ電車は進み、阪神高速の高架の下を潜ってから右手に曲がり、兵庫駅に到着するが、阪神高速の高架の手前で南西に分岐する線がある。川崎車両兵庫工場への専用線で、同工場で落成した鉄道車両の輸送にも使われている。

現在は線路もないが、かつてはその少し南のホームセンターのコーナンの辺りで神戸市場駅と兵庫港駅まで延びていた兵庫臨港線とも分岐していた。1984年に廃止された。

6時22分、兵庫駅に到着。来る時にも降りた駅だが、山陽本線(JR神戸線)のホームは高架だが、和田岬線のホームは南側の中2階。上述したようにここで改札を抜ける。なお、兵庫駅だが、県庁所在地(兵庫県の場合は神戸市)ではなく、都道府県名がそのまま駅名になっている唯一の在来線の駅。ただし、駅名の由来は県ではなく、駅の所在地である神戸市兵庫区に由来している。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.23994374576872574&type=1&l=223fe1adec

兵庫区だが、神戸市を構成する9行政区の一つで、市の中部に位置する。区名は兵庫津(ひょうごのつ)と呼ばれる港があったことから来ているが、そもそも天智天皇の治世にこの辺りに兵の武器庫という意味である「つわものぐら(兵庫)」があったことに由来している。

県名と同じ名前の区で、神奈川県横浜市神奈川区と同じパターン。これには深い由来(?)がある。時は幕末、1858年の日米修好通商条約で神奈川・長崎・新潟・兵庫の4港を開港することになる。江戸と大坂の開港を強く求められたのに対しての折衷案が神奈川・兵庫の開港だったのだが、神奈川宿も兵庫津も当時は重要な拠点で、そこに貿易港を造りたくなかった。

で、思いついたのが、当時は未開発の場所だった横浜と神戸。横浜村は神奈川宿の入江の反対側の小さな漁村で、神戸村は兵庫津の北側の人家もまばらな半農半漁の村。で、横浜は神奈川の一部で、神戸は兵庫の一部だと云い通すためにそれぞれを神奈川奉行、兵庫奉行の管轄下とした。その名残が神奈川県に兵庫県。

その後、横浜と神戸は、今の区として残る神奈川、兵庫より発展し、立場が逆転、神奈川区、兵庫区はそれぞれ横浜市、神戸市の一部となった。歴史は面白い!

兵庫区の誕生は1931年(昭和6年)、旧兵庫町のうち湊川以西の区域で発足し、湊西(そうさい)区と命名されたが、約1年半後に兵庫区に改称された。戦争中の行政区再編で区域が広がり、さらに戦後周辺村の神戸市編入よりさらに広がった。その後、1972年に一部地域を灘区に編入、73年に戦後編入された周辺村を北区に分区し、現在の区域となった。

六甲山系の西側、鵯越から天王谷辺りから和田岬から西側の瀬戸内海までの縦長の区で、面積14.68平方kmは神戸市の9区で、長田区に次いで小さい。その長田区と中央区の間で北側は北区。

人口は約11万人で、神戸市9区で長田区に次いで少ない。1970年頃には27万人程度だったが、以後減少を続けて1995年頃には10万人を切ったが、そこからは微増している。臨海部には複数の造船所が置かれ、阪神工業地帯の一角を成している。

元参議院議員、大阪府知事の横山ノックは廃校となった菊水小学校卒業。柔道の阿部兄妹は和田岬小学校の出身。阿部兄妹の妹の詩は区内にある夙川中学・高校の卒業生で、先輩に歌手の奥村チヨ、テニスの沢松奈生子、柔道の杉本美香ら。

また、2018年に神港橘高校に併合された市立神港高校は阪急ブレーブスで活躍した山口高志投手や藤崎マーケットの田崎佑一、さらに前身の第一神港商業学校を作家の陳舜臣が卒業している。同じく作家の灰谷健次郎も詳細不明だが兵庫区出身。

ついでに神戸市についても触れる。兵庫県の南東部に位置する政令指定都市で、兵庫県の県庁所在地。人口約150万人は兵庫県で最多で、大阪市や京都市と共に京阪神大都市圏の中心都市。

海と山の迫る東西に細長い市街地を持ち、十分な水深のある扇状の入り江部に発展した理想的な港湾・神戸港を有する日本を代表する港町・港湾都市。面積は約557平方㎞で、県内の41市町で、3番目に広い。

神戸という地名は、現在の中心市街地である三宮・元町周辺が古くから生田神社の神封戸(じんふこ:神社に対して寄進された封戸(律令制の行政単位上の家)の住民)の集落であったことに由来する。このような集落は神戸(じんこ、かんべ)、あるいは神部(かんべ、かむべ)とも呼ばれ、それが「かうべ」に転じ、さらに発音から「こうべ」に変わった。

律令制では、畿内の西部、五畿内のひとつ摂津国に属していたが、現在の垂水区、西区、北区の一部は播磨国に属していた。遣隋使の時代から京・大坂の外港・経由地として栄えた港があり、平清盛により福原京が計画された前後に貿易の拠点として整備され、大輪田泊(おおわだのとまり)として発展した。

戦国時代には兵庫城が置かれたこともあったが、安土桃山時代には兵庫陣屋となり、江戸時代に入ると兵庫津奉行所が置かれた。1769年には幕府直轄領となり、大坂町奉行の兵庫勤番所が置かれた。

幕末に兵庫港を開港することになり、実際には3㎞東の神戸村に港が造られた。1868年に外国人居留地や港が造られ、1879年に勅令により神戸港となる。港は日清戦争・第一次世界大戦を経て上海・香港・シンガポールと並ぶアジアの主要な貿易港として発展を続けた。

港と共に造船・鉄鋼・機械を中心とした工業も発達し、阪神工業地帯の中核を担う日本有数の重工業都市に成長。兵庫と神戸は元来別々の町村だったが、神戸の拡大・発展に伴い、兵庫が神戸に飲み込まれる形で一つの都市として一体化していき、1922年には六大都市に指定された。

太平洋戦争の神戸大空襲で大きな被害を出したが、戦後の高度経済成長期には、市街後背部の山地より削り取った土砂を用いて人工島を臨海部に埋立造成し、商工業・住宅・港湾用地として整備するとともに、埋立用土砂採取後の丘陵地を住宅地・産業団地として開発した。

1981年には地方博ブームの先駆けとなるポートピア'81を開催、また、三宮周辺が市内最大の繁華街となる。神戸港も世界有数の港湾となる。しかし、1995年1月の阪神・淡路大震災によって壊滅的被害を受ける。私も災害ボランティアで行ったが、ありゃホンマに酷かった。

しかし、近年は都心地区である三宮エリアの再開発やウォーターフロントエリアの再開発、市内主要駅周辺のリノベーションなどの進行に加え、2006年に開業した神戸空港の国際化と国内線の拡大などで街全体の活性化が大いに期待されている。

現在も全国有数の経済都市・港湾都市であり、貿易・造船・鉄鋼・機械・製造・ゴム・真珠加工・観光などの産業を中心に発展、ファッション・パン・洋菓子・日本酒などの産業も盛ん。灘区・東灘区から西宮市にかけては灘五郷と呼ばれる日本有数の酒所。

幕末の1868年に神戸町が誕生し、1889年(明治22年)には神戸町・兵庫津・坂本村の区域をもって神戸区が発足。この時、すでに神戸の方が大きくなっていたということだろう。兵庫津の人々は嘆いただろうな~。で、1889年(明治22年)に市制移行。当時の人口は13万5千人。

その後、編入を続け、1931年(昭和6年)に区制施行。当時は葺合区、神戸区、湊東区、湊西区、湊区、林田区、須磨区、灘区の8区。1939年(昭和14年)には人口100万人を突破する。 その後、編入や区の再編が行われ、現在の垂水区、須磨区、長田区、兵庫区、中央区、灘区、東灘区、北区、西区の9区となったのは1982年。

中華街の南京町、神戸外国人居留地や北野異人館街などの異国情緒な街並み、神戸ハーバーランド、摩耶山掬星台からの夜景、有馬温泉など様々な観光地を持つ。また、幕末の開港以来、舶来品や西洋文化の流入する日本の玄関口となり、今なお旧居留地や北野異人館街などの西洋風の街並みにその歴史や影響を見ることができる。

この日試合を見たサッカーのヴィッセル(Vissel)神戸の他、WEリーグのINAC神戸レオネッサ(Leonessa)、バスケットボールの神戸ストークス(Storks)、ラグビーのコベルコ神戸スティーラーズ(Kobelco Kobe Steelers)が本拠地を置く。かつてはプロ野球のオリックス・ブルーウェーブ(Orix BlueWave)もあった。

映画やドラマの舞台やロケ地として使われることも多い。近年では2019年の映画「アルキメデスの大戦」、2020年の映画「名も無き世界のエンドロール」、2007年のドラマ「華麗なる一族」、2020年のドラマ「心の傷を癒すということ」、2023年のドラマ「わたしの一番最悪な友達」など。あと、ゲームのポートピア連続殺人事件(1983年)なんかは懐かしい。

神戸市出身の著名人はとても多いが、兵庫区出身以外の一部を列挙。政治家は土井たか子(第三神戸高等女学校(現御影高校)卒)、扇千景(神戸高校卒)。作家の横溝正史(神戸二中(現兵庫高校)卒)に漫画家の横山光輝(須磨高校卒)、ミュージシャンの井上堯之(星陵高校卒)、平松愛理(親和女子高校卒)。

俳優の高島忠夫(神戸一中(現神戸高校))、杉良太郎(西代中学校卒)、浅野ゆう子(本山中学校卒)、橋本じゅん(東灘区出身)、濱田マリ(飛松中学校卒)、古田新太(伊川谷高校卒)、鈴木杏樹(マリスト国際学校中退)、森山未來(報徳学園高校卒)、北川景子(筒井小学校卒)、戸田恵梨香(鷹匠中学校卒)、水原希子(神戸国際高校卒)、野村周平(神戸学院大学附属高校卒)。

タレントの山之内すず(伊川谷高校卒)にサッカーの永島昭浩(御影工業高校卒)、香川真司(乙木小学校卒)、フィギュアスケートの三原舞依(飛松中学校卒)、坂本花織(渚中学校卒)らも。パッと目についた人を順不同で上げているので、あの人抜けてるとかはなし。

なお、神戸市のある兵庫県に付いては明石の項で書いたので、そちらを参照のこと。
https://4travel.jp/travelogue/11735045


以上で明石・ノエスタの記、終了

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