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2021年4月2日(土)、ノエビアスタジアム神戸へサンガの試合を見に行く前に明石に住んでる娘一家のところを訪ねた。朝10時半前、18きっぷを使ってJR神戸線の明石駅に到着。明石駅は夜行特急以外の全列車が停車するJR神戸線(山陽本線)の主要駅。JR神戸線、山陽本線に関しては下記の記参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11772518<br /><br />明石駅は1888年(明治21年)に山陽鉄道の兵庫・明石間の開通と同時に開業。2ヶ月後に山陽鉄道が姫路駅まで延伸され、途中駅となる。1906年(明治39年)に山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となり、1909年(明治42年)に線路名称が制定され、山陽本線の所属となる。<br /><br />1964年に駅舎を西に約160m移転し、島式ホーム2面4線の高架駅となる(下の写真1)。ホームの真下が駅舎になっており、JR西日本グループのショッピングセンター、ピオレ明石及び山陽電鉄明石駅と一体化されている。1987年には国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。2016年に駅前商業施設「ピオレ明石」が全面リニューアルオープン。<br /><br />山陽電気鉄道本線の山陽明石駅と隣接しており、明石市の中心機能を持つ駅であるが、隣接する神戸市西区民の利用客もかなり多い。明石市と兵庫県に付いては下記の記参照。<br />https://4travel.jp/travelogue/11735045<br /><br />まずは駅のすぐ北側にある明石公園へ。明石城の城跡のほぼ全域を公園化した城址公園。園内には史跡明石城跡や兵庫県立図書館などの教養施設、2つの野球場や陸上競技場などの運動施設があるほか、西芝生広場、東芝生広場、千畳芝、明石城武蔵の庭園、花と緑のまちづくりセンターなどその他の施設がある。二ノ丸の南には宮本武蔵作とされる日本庭園が整備され2003年に公開された。<br /><br />明石城の城跡には1883年(明治16年)に民営明石公園が開設されたが、1898年(明治31年)に御料地に編入され廃園となった。しかし、1918年(大正7年)4月15日に県が御料地の一部を借り上げて県営の明石公園が開設された。その後、1930年代にかけて二度の追加拡張が行われた。<br /><br />平山城である明石城本丸からは、明石駅前に立ち並ぶビルの向こう側に淡路島が見え、東は明石海峡大橋等を眺めることができる。園内には約200種類の樹木があり、アオバズクなどの野鳥やヤマトタマムシなどの昆虫も多く見られる。<br /><br />山陽本線の線路と道路を1本隔てて堀があり、その向かいが明石城跡なので、駅のホームあるいは電車の中から堀越しの本丸・二の丸の石垣と櫓を望むことが出来る。ちなみに線路と道路の間に見える薄緑色の屋根は、ピオレ明石の駐車場の屋根。<br /><br />私が明石公園へ入るのは3回目。最初は16年ほど前の夏、息子と一緒に明石の天文台に行った帰りに寄った(下の写真2)。2回目は5年前の3月にカープ(Carp)のオープン戦を見に来た(下の写真3)。<br /><br />ちなみにこの時の試合は楽天イーグルス(Tohoku Rakuten Golden Eagles)が相手で、カープの先発はルーキーの加藤で9対2で勝ったのだが、この加藤投手、今(2023年)シーズン抑えに抜擢されて活躍中の矢崎投手。結婚して2019年に苗字が変わってたのね。知らなかった・・・(なお、この年(2022年)1月に離婚して加藤姓に戻ったそうだが、登録名は敢えて矢崎のままにしてるとのこと。)<br /><br />駅北口を出て、堀沿いを左手に進み明石公園の正面入口から入場する。ここは太鼓門と呼ばれた明石城の正門で、西国街道(山陽道)に面していた。当時は太鼓門橋と呼ばれる長さ11間(約20m)、幅3間(約5.5m)の木製の欄干橋が架かり、正面に定ノ門と呼ばれる高麗門があった。門は枡形虎口で5間に8間の枡形を直角に曲がった先には能ノ門と呼ばれる櫓門があった。<br /><br />堀を渡る土橋の手前、右手に中部幾次郎翁銅像が建つ。明石出身で日本の水産業を世界の水準に押し上げた実業家と称賛されるマルハ(大洋漁業)の創始者。前に訪ねた旧西国街道沿いの浜光明寺にお墓がある。<br />https://4travel.jp/travelogue/11735047<br /><br />土橋で渡るのは明石公園南東部の東堀から南堀、そして明石トーカロ球場の西の西堀まで続く中堀。築城当時からある堀で、元々は内堀だった。当時は太鼓門の南約300m、現在の国道2号付近に外堀があった。<br /><br />江戸初期の1631年の本丸御殿の焼失にともない三の丸の下屋敷を拡張して居屋敷曲輪が造られ、居屋敷曲輪を囲う内堀ができたため、元々の外堀が総堀となり、この堀は外堀になった。でも、今は中堀と呼ばれる。ややこしい。土橋の左右の堀には11基の笠形噴水が設置されている。<br /><br />能ノ門跡を抜けた左手にはとき打ち太鼓がある。石垣の奥の上に建てられた建物の中に設置された武士の姿をしたロボットが、朝の8時から夕方の6時まで毎正時に刻打ちや舞を舞う。1989年に市制施行70周年を記念して設置されたもの。<br /><br />能ノ門跡から真っ直ぐ北へ向かうと一段と高くなった本丸を囲む石垣があるが、この道の右手はかつては屋敷などはなく、米蔵があっただけのようだ。とき打ち太鼓の先(北側)の右手に武蔵の庭園(下の写真4)。武蔵とはあの宮本武蔵のこと。剣豪としてのイメージが強い武蔵だが、ここ明石では初代城主の小笠原氏に招かれて町割や作庭を行っている。<br /><br />武蔵が作庭したのはいずれも明石市の本松寺、円珠院、雲晴寺などの寺院の他、明石城の樹木屋敷(現在の陸上競技場(きしろスタジアム)辺り)で、この武蔵の庭園はその樹木屋敷の庭園を1922年(大正11年)に庭園の旧材の一部を用いて作庭したもの。2003年に旧樹木屋敷の資料に基づき改修されている。<br /><br />庭園は乙女池と呼ばれる池泉を中心とした廻遊式庭園になっている。乙女池には樹木屋敷庭園の旧材を用いた護岸石組で囲まれた中島を置く。島は亀を象っており、北側の持ち上がった石が亀頭石で、南側には尻尾もある。両側から橋が架かっている。青石を用いたもので、桃山から江戸初期の庭に多く見られる厚みのある豪壮な自然石の石橋。<br /><br />乙女池の北側は築山の両側に滝石組を配し、中央部が出島で池に突き出している。向かって左手の滝石組は大滝と呼ばれ、大正期に作庭されたもの。反対側は小滝で、こちらは近年の回収時に整備されたもの。築山の山頂部には遠山石風の立石が置かれている。築山から乙女池の先に見えるのは駅前の2017年に完成した地上34階地下2階建のタワマン、プラウドタワー明石。<br /><br />乙女池の西側に建つのは御茶屋。樹木屋敷にあったものは、藩主が客を接待する迎賓館の位置付けだったと考えられている。ここでは、休憩所として使われてる。築山の後ろ側(北側)にはひぐらし池があり、本丸石垣や櫓を水面に映している。<br /><br />乙女池の南側には少し離れて藤見池。この池の南側からの光景は「逆さペアやぐら」として明石公園の幸せスポットの一つになっている(下の写真5)。本丸の坤櫓と巽櫓を池面に映った上下逆さのものと一緒に見られると云うこと。<br /><br />幸せスポットは乙女池の東側にもある。「縁結び・夫婦円満のクスノキ」。連理の木と呼ばれる枝と枝がつながった珍しい木。二つの幹が途中で繋がるのは吉兆とされ、大変希少で、仲睦まじいい様相から、縁結び・夫婦円満の象徴となっている。<br /><br />乙女池と藤見池の間に咲いていた荘川桜は1960年の御母衣ダム(岐阜県高山市荘川町)建設により水没する危機にあった樹齢約450年の老桜の二世。まだ若い感じだが、ほぼ満開だった。<br /><br />太鼓門からのメインストリートに戻る。この週末に開かれていた明石公園桜まつりで、多くの出店が出て賑わっている。北の突き当りには兜日時計がある。明石ロータリークラブが1970年に創立20周年記念で作ったもの。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.23912171578426208&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />一段高い、明石城の本丸、二の丸、東の丸跡へ進むが、続く

兵庫 明石公園(Akashi Park,Hyogo,Japan)

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2022/04/02 - 2022/04/02

364位(同エリア384件中)

旅行記グループ 明石・ノエスタ

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5

ちふゆ

ちふゆさん

2021年4月2日(土)、ノエビアスタジアム神戸へサンガの試合を見に行く前に明石に住んでる娘一家のところを訪ねた。朝10時半前、18きっぷを使ってJR神戸線の明石駅に到着。明石駅は夜行特急以外の全列車が停車するJR神戸線(山陽本線)の主要駅。JR神戸線、山陽本線に関しては下記の記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11772518

明石駅は1888年(明治21年)に山陽鉄道の兵庫・明石間の開通と同時に開業。2ヶ月後に山陽鉄道が姫路駅まで延伸され、途中駅となる。1906年(明治39年)に山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となり、1909年(明治42年)に線路名称が制定され、山陽本線の所属となる。

1964年に駅舎を西に約160m移転し、島式ホーム2面4線の高架駅となる(下の写真1)。ホームの真下が駅舎になっており、JR西日本グループのショッピングセンター、ピオレ明石及び山陽電鉄明石駅と一体化されている。1987年には国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。2016年に駅前商業施設「ピオレ明石」が全面リニューアルオープン。

山陽電気鉄道本線の山陽明石駅と隣接しており、明石市の中心機能を持つ駅であるが、隣接する神戸市西区民の利用客もかなり多い。明石市と兵庫県に付いては下記の記参照。
https://4travel.jp/travelogue/11735045

まずは駅のすぐ北側にある明石公園へ。明石城の城跡のほぼ全域を公園化した城址公園。園内には史跡明石城跡や兵庫県立図書館などの教養施設、2つの野球場や陸上競技場などの運動施設があるほか、西芝生広場、東芝生広場、千畳芝、明石城武蔵の庭園、花と緑のまちづくりセンターなどその他の施設がある。二ノ丸の南には宮本武蔵作とされる日本庭園が整備され2003年に公開された。

明石城の城跡には1883年(明治16年)に民営明石公園が開設されたが、1898年(明治31年)に御料地に編入され廃園となった。しかし、1918年(大正7年)4月15日に県が御料地の一部を借り上げて県営の明石公園が開設された。その後、1930年代にかけて二度の追加拡張が行われた。

平山城である明石城本丸からは、明石駅前に立ち並ぶビルの向こう側に淡路島が見え、東は明石海峡大橋等を眺めることができる。園内には約200種類の樹木があり、アオバズクなどの野鳥やヤマトタマムシなどの昆虫も多く見られる。

山陽本線の線路と道路を1本隔てて堀があり、その向かいが明石城跡なので、駅のホームあるいは電車の中から堀越しの本丸・二の丸の石垣と櫓を望むことが出来る。ちなみに線路と道路の間に見える薄緑色の屋根は、ピオレ明石の駐車場の屋根。

私が明石公園へ入るのは3回目。最初は16年ほど前の夏、息子と一緒に明石の天文台に行った帰りに寄った(下の写真2)。2回目は5年前の3月にカープ(Carp)のオープン戦を見に来た(下の写真3)。

ちなみにこの時の試合は楽天イーグルス(Tohoku Rakuten Golden Eagles)が相手で、カープの先発はルーキーの加藤で9対2で勝ったのだが、この加藤投手、今(2023年)シーズン抑えに抜擢されて活躍中の矢崎投手。結婚して2019年に苗字が変わってたのね。知らなかった・・・(なお、この年(2022年)1月に離婚して加藤姓に戻ったそうだが、登録名は敢えて矢崎のままにしてるとのこと。)

駅北口を出て、堀沿いを左手に進み明石公園の正面入口から入場する。ここは太鼓門と呼ばれた明石城の正門で、西国街道(山陽道)に面していた。当時は太鼓門橋と呼ばれる長さ11間(約20m)、幅3間(約5.5m)の木製の欄干橋が架かり、正面に定ノ門と呼ばれる高麗門があった。門は枡形虎口で5間に8間の枡形を直角に曲がった先には能ノ門と呼ばれる櫓門があった。

堀を渡る土橋の手前、右手に中部幾次郎翁銅像が建つ。明石出身で日本の水産業を世界の水準に押し上げた実業家と称賛されるマルハ(大洋漁業)の創始者。前に訪ねた旧西国街道沿いの浜光明寺にお墓がある。
https://4travel.jp/travelogue/11735047

土橋で渡るのは明石公園南東部の東堀から南堀、そして明石トーカロ球場の西の西堀まで続く中堀。築城当時からある堀で、元々は内堀だった。当時は太鼓門の南約300m、現在の国道2号付近に外堀があった。

江戸初期の1631年の本丸御殿の焼失にともない三の丸の下屋敷を拡張して居屋敷曲輪が造られ、居屋敷曲輪を囲う内堀ができたため、元々の外堀が総堀となり、この堀は外堀になった。でも、今は中堀と呼ばれる。ややこしい。土橋の左右の堀には11基の笠形噴水が設置されている。

能ノ門跡を抜けた左手にはとき打ち太鼓がある。石垣の奥の上に建てられた建物の中に設置された武士の姿をしたロボットが、朝の8時から夕方の6時まで毎正時に刻打ちや舞を舞う。1989年に市制施行70周年を記念して設置されたもの。

能ノ門跡から真っ直ぐ北へ向かうと一段と高くなった本丸を囲む石垣があるが、この道の右手はかつては屋敷などはなく、米蔵があっただけのようだ。とき打ち太鼓の先(北側)の右手に武蔵の庭園(下の写真4)。武蔵とはあの宮本武蔵のこと。剣豪としてのイメージが強い武蔵だが、ここ明石では初代城主の小笠原氏に招かれて町割や作庭を行っている。

武蔵が作庭したのはいずれも明石市の本松寺、円珠院、雲晴寺などの寺院の他、明石城の樹木屋敷(現在の陸上競技場(きしろスタジアム)辺り)で、この武蔵の庭園はその樹木屋敷の庭園を1922年(大正11年)に庭園の旧材の一部を用いて作庭したもの。2003年に旧樹木屋敷の資料に基づき改修されている。

庭園は乙女池と呼ばれる池泉を中心とした廻遊式庭園になっている。乙女池には樹木屋敷庭園の旧材を用いた護岸石組で囲まれた中島を置く。島は亀を象っており、北側の持ち上がった石が亀頭石で、南側には尻尾もある。両側から橋が架かっている。青石を用いたもので、桃山から江戸初期の庭に多く見られる厚みのある豪壮な自然石の石橋。

乙女池の北側は築山の両側に滝石組を配し、中央部が出島で池に突き出している。向かって左手の滝石組は大滝と呼ばれ、大正期に作庭されたもの。反対側は小滝で、こちらは近年の回収時に整備されたもの。築山の山頂部には遠山石風の立石が置かれている。築山から乙女池の先に見えるのは駅前の2017年に完成した地上34階地下2階建のタワマン、プラウドタワー明石。

乙女池の西側に建つのは御茶屋。樹木屋敷にあったものは、藩主が客を接待する迎賓館の位置付けだったと考えられている。ここでは、休憩所として使われてる。築山の後ろ側(北側)にはひぐらし池があり、本丸石垣や櫓を水面に映している。

乙女池の南側には少し離れて藤見池。この池の南側からの光景は「逆さペアやぐら」として明石公園の幸せスポットの一つになっている(下の写真5)。本丸の坤櫓と巽櫓を池面に映った上下逆さのものと一緒に見られると云うこと。

幸せスポットは乙女池の東側にもある。「縁結び・夫婦円満のクスノキ」。連理の木と呼ばれる枝と枝がつながった珍しい木。二つの幹が途中で繋がるのは吉兆とされ、大変希少で、仲睦まじいい様相から、縁結び・夫婦円満の象徴となっている。

乙女池と藤見池の間に咲いていた荘川桜は1960年の御母衣ダム(岐阜県高山市荘川町)建設により水没する危機にあった樹齢約450年の老桜の二世。まだ若い感じだが、ほぼ満開だった。

太鼓門からのメインストリートに戻る。この週末に開かれていた明石公園桜まつりで、多くの出店が出て賑わっている。北の突き当りには兜日時計がある。明石ロータリークラブが1970年に創立20周年記念で作ったもの。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.23912171578426208&type=1&l=223fe1adec


一段高い、明石城の本丸、二の丸、東の丸跡へ進むが、続く

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  • 写真1 明石駅

    写真1 明石駅

  • 写真2 2006年の写真

    写真2 2006年の写真

  • 写真3 2017年3月 明石トーカロ球場

    写真3 2017年3月 明石トーカロ球場

  • 写真4 武蔵の庭園入口

    写真4 武蔵の庭園入口

  • 写真5 明石公園 幸せスポット巡り

    写真5 明石公園 幸せスポット巡り

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