2012/09/04 - 2012/09/04
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chibi-monさん
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(2023年9月記: 旅行から11年も経っており役に立たない備忘録です・汗)
2012年8月の終わりから9月初めにかけて、ヘルシンキ、イギリス、イタリアを旅してきました。以前から行きたかったところを繋げました。
かなり前なのであまり参考にならないかもしれませんが、だいたい5年もたつと内容を忘れていることに気付き、自分の記憶力の無さに軽いショックを受け、超々・個人的な記録ですが、思い出しながらの備忘録です。
■2012年9月4日(火)
スターリング、グラスゴー
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《スケジュール》2012年 25泊27日
8月24日-25日 ヘルシンキ(泊)
8月26日 ヘルシンキ空港(泊)
8月27日-29日 チェスター(泊)
8月30日 ハワース(泊)
8月31日-9月1日 ヨーク(泊)
★9月2日-9月4日 エジンバラ(泊)
9月5日-9月7日 ウィンダミア(泊)
9月8日-10日 ロンドン(泊)
9月11日 ボローニャ(泊)
9月12日 ウルビーノ(泊)
9月13日-14日 メストレ(泊)
9月15日-16日 ジェノバ(泊)
9月17日 ヘルシンキ空港(泊)
■航空券
フィンエアー
2012/8/24 11:00 成田 - 15:15 ヘルシンキ
2012/8/27 8:25 ヘルシンキ - 9:25 マンチェスター
2012/9/17 19:00 ミラノ(マルペンサ)- 22:55 ヘルシンキ
2012/9/18 16:00 ヘルシンキ - 7:40 成田
ブリティシュエアウェイズ
2012/9/11 9:30 ロンドン・ヒースロー→ 12:35 ボローニャ
(102.05ポンド)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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■2012年9月4日(火)
スターリング城へ行きます。
宿泊しているThe Place Hotelから徒歩8分でエジンバラ・ウェイヴァリー駅へ。
スコット・モニュメントが見えます。
スコット・モニュメント:
スコット・モニュメントとは、スコットランドはエディンバラ新市街地の目抜き通りのプリンスィズ・ストリートに建つビクトリアンゴシック様式の塔。
1846年に建てられたスコットランドを代表する文豪の、ウォルター・スコット卿(1771~1832 年)の功績を讃えた記念塔です。彼の死から約8年後1840年に着工し、1846年に公開されました。高さは60.9mで、作家の記念碑としては世界最大。4ポンドの入場料を払えば後ろから中に入ることができ、287段の螺旋状の階段を昇り塔の頂上まで上がることができます。1階には小さな美術館があり、記念碑とスコット卿について学ぶこともできます。スコット モニュメント モニュメント・記念碑
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エジンバラからスターリングへは電車で50分、1時間に2本ほどあります。
7:33 エジンバラ発 - 8:24 スターリング着
First ScotRail 2等のみの座席で1等車両が無い電車でした。 -
12番線から出発。
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乗車50分でスターリング駅に到着
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スターリングの旧市街へは駅から徒歩圏内。
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Industrial Scool / Snowdon School for Girls の建物。名所ではないけれど、古い建物が多く撮影枚数が増えます。
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旧ハイスクール(The Old High School)
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旧ハイスクール(The Old High School)
1956年開校。この土地はかつてジェームズ4世によって設立されたフランシスコ会またはグレイフライアーズ修道院の敷地でした。そして、高校が建設される直前まで、このエリアは肉市場として使用されていました。 -
旧ハイスクール(The Old High School)は、1962年に移転し、建物は現在スターリング・ハイランド・ホテル(4つ星)です。1991年にオープン。
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Old Town Jail
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スターリング城から徒歩わずか 2 分、旧市街の中心部にある観光スポット。ガイド付き刑務所ツアーでは、刑務所を探索しながら、地元の犯罪と刑罰の歴史を巡る。屋上の展望塔から素晴らしい景色を眺められる(らしい)。
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Old Town Jail
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ホーリー・ルード教会(The Church of The Holy Rude):
スコットランドの中世の教会の一つ。 -
スターリング城に次いで2番目に古い建物。その歴史はディヴッド1世(1124-1153)の治世の時代に遡る。城との密接な関係により、15世紀から17世紀初めにかけて、常にスチュアート朝の密接な支援を受けており、ジェームズ6世(1567-1625)の戴冠式が行われました。
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コワネ病院(COWANE'S HOSPITAL):
スターリング旧市街にある17世紀の救貧院。ホーリー・ルード教会の向かいにあります。この建物は、商人ジョン・コーウェイ(オールド・スタニ―・ブリークスとも呼ばれる)の財産から遺贈により1637年に設立されました。 -
COWANE'S HOSPITAL
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「オールド・スタニーブリークス」:
病院の建物にあるジョン・コーウェイの像 -
アーガイルの宿(Argyll's Lodging):
ルネサンス様式のファサードがある17世紀の邸宅。館内では1600年代の家具などのコレクションが見れるが、中に入るためにはガイドツアーに参加する必要があります。 -
スターリング城前の付近で見た、「時代の岩」という名前で知られるスターピラミッド。1863年に建てられた記念碑。
スコットランドで市民的および宗教的自由のために殉教したすべての人々にささげられています。 -
高台にあるスターリング城の入り口の遊歩道から、ウォーレス・モニュメントが見えます。
スターリング城はフォース川のほとりの巨大な岩山の上に建っています。ここからは遠くまで見渡せて眺めがかなりイイです。
ウォーレス・モニュメントは、スターリングの中心街からバスで約10分の距離にある、「アビー・クレイグ」と呼ばれる小高い丘の上に立っています。高さ67メートルの塔は1869年に完成したもの。階段は246段。
19世紀当時のスコットランドでは、ナショナル・アイデンティティという国民意識が高まりました。その中で広く募った寄付によってこのモニュメントが建てられた。
「アビー・クレイグ」に建てられた理由…1296年、イングランド王・エドワード1世がスコットランドに侵攻、スコットランド独立戦争が始まり、その後60年間続きました。。数では劣勢のウォレス軍が1297年の「スターリング・ブリッジの戦い」で圧勝。この丘は、ウォレスが布陣した場所です。 -
城の遊歩道にあるロバート・ザ・ブルースの像。
(スコットランドに初めて来た無知な私は、はじめこの像をシェークスピアの像だと思っていた。。。汗)
1296年、イングランドのエドワード1世がエディンバラ城に攻め入り、その後パース、スクーンを制覇しスコットランドを征服した。
エドワード1世に反旗を翻した反逆児がウィリアム・ウォーレスである。
翌年の9月に、ウォーレス率いる蜂起軍はスターリング城を望むアベイ山に集結し、フォース川にかかるスターリング橋の周辺でイングランド軍と激突。
ウォーレス軍が圧勝する。
スターリング城は一時ウォーレスの手中のものとなるが、エドワード1世はスターリングの奪還とウォーレスの捕獲に奔走するがウォーレス軍のゲリラ戦に翻弄されていた。
仲間の裏切りによりウォーレスは1305年に捕まってしまう。エドワード1世のウォーレスに対する残忍な復讐は新たな反逆児を誕生させる。
ウィリアム1世の地を引くロバート・ブルースは、当初はエドワード1世に柔順でウォーレスの逮捕にも協力していたが、ウォーレスの死から1年後に突然、王位継承権を主張し、ロバート・ブルース1世を名乗る。
エドワード1世は怒り、ロバート追撃を命じるが、この年に死去してしまう。後を継いだのが無能なエドワード2世であり戦況が変わって行く。 -
ハイランダーの兵士像
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スターリング城:
スコットランド最大かつ歴史的にも建築的にも最も重要な城の一つ。
城は、スターリング・シル地層の岩山の上にあります。三方を切り立ったがけに囲まれている。
スコットランド独立戦争をはじめ、数世紀の間に少なくとも8回は包囲攻撃されたました。最後は1746年にボニー・プリンス・チャーリーが城を占領しようとして失敗。
写真は城門。入場料は14ポンドでした。スターリング城 城・宮殿
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城の主要な建物のほとんどは15世紀から16世紀に建てられたもの。
城の前部、城の主要部分への入り口。門番小屋はジェームズ4世によって建てられ、1506年頃に完成しました。 -
Lion's Den:
ジェームズ 5 世のために建てられたスターリング城の中心にある小さな中庭には、ライオンの巣と呼ばれる小さなエリアがあります。
この名前はおそらくスコットランドの紋章におけるライオンに由来しています。
中庭には、かつて1537年にフランダースからプレゼントとして王に送られたライオンの家にあったと考えられています。 ライオンは当時ヨーロッパの王の間で一般的な贈り物で、ジェームズ2世は1匹、ジェームズ6世は3匹を飼っていた。
ジェームズ6世は息子プライス・ヘンリーの洗礼祭にライオンを参加させることを計画していたと言われて、ライオンが幼児を運ぶ馬車を考えていた。しかし 幸いにも、「彼の存在が女性たちに恐怖をもたらした」場合のために計画は放棄された。 -
王宮:
ルネサンス時代の彫像がある王宮の東ファサード。
このイギリス初のルネサンス様式の宮殿は、ジェームズ5世によって建てられました。ルネサンス建築と後期ゴシック様式のディテールが組み合わさっています。1530年に始まり、1540年代後半までにほぼ完成しました。
宮殿の内部には、王と王妃のための2つのアパートメントがあり、それぞれにホール、チャンバー、ベッドルームがあり、クローゼットと呼ばれる様々な小さな部屋がありました。 -
イングランドのエリザベス1世に処刑された悲劇の女王、メアリー・スチュアートが幼少期を過ごし、彼女の息子で、イングランドとスコットランド両国の王位を継いだジェームズ6世(英国ではジェームズ1世)が教育を受けたのもこの王宮。
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城内の現在の建物のほとんどは、スチュワート朝ジェームズ 4 世、ジェームズ 5 世、ジェームズ 6 世によって 1490 年から 1600 年の間に建設されました。イギリス、フランス、ドイツの影響を折衷的に組み合わせたもの。
城の案内は、ジェームズ5世の肖像。 -
The King's Outer Hall 王の間
復元された暖炉もあります。
王との謁見の可能性のために、この部屋に入ることが許されたのは、ある程度の社会的地位のある人々だけでした。 who might be given the privilege of petitoning or conferring with the monarch. 王の家来たちは嘆願書を提出したりできる特権を誰に与えるかを決定した。選ばれたわずかの者だけが次の王の奥の広間(The King's Inner Hall)へ進むことが出来た。 -
The King's Outer Hall 王の間にて。
1546年、フランスの鎧…案内文がありました。
「野外で使用する鎧一式。馬上での武器の技能を示すために、3月から10月までの馬上槍試合の季節に、フランスの軍人または騎士の一人が使用したと考えられています。
現在の駐車場の片側のエリア、城を出て右側の墓地のエリアで、当時豪華で壮観な槍試合のトーナメントが開催され、宮廷の女性のための座席が設置されました」 -
The King's Outer Hall 王の間
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The King's Outer Hall 王の間
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王の奥の間(The King's Inner Hall):
訪問者はここで王との謁見の機会を与えられた。王に接近することは厳格に制限されており、それは名誉なことであった。暖炉の上にスコットランド王室の紋章があります。ジェームズ5世の死以降、王の部屋には家具がありませんでした。 -
王の奥の間(The King's Inner Hall)の天井
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王の奥の間(The King's Inner Hall)の天井
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王の奥の間(The King's Inner Hall)
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The King's Bedcamber:
最も重要な訪問者か、個人的な友人だけが、寝室で王に会うことが出来た。王は、恐らくここで、着替え、入浴し、祈りを捧げながら、このそばにある小さなスペースで眠ったと思われる。 -
The King's Bedcamberの天井
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The King's Bedcamberの天井
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The King's Bedcamberの天井
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The King's Bedcamberの天井
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The Queen's Bedchamber
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The Queen's Bedchamber
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The Queen's Inner Hall
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The Queen's Outer Hall
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城内
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スターリング ヘッズ ギャラリー(Stirling Heads Gallery):
スターリング ヘッズ ギャラリーには、かつてジェームズ 5 世の宮殿の天井を飾っていた 16 世紀のオーク材の円形家具の国際的に重要なコレクションが展示されています。
こちらのスペースには、日本語の案内が置いてありました。 -
このギャラリーには、1540年代スコットランド国王ジェームズ5世の宮殿の天井に飾られていたオークの浮き彫りが展示されています。「スターリング・ヘッズ」として知られるこれらのアートの中には、歴史上の人物や神話の神々の肖像画を木彫りにしたものがあり、当初は彩色されていたようです。
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スターリング・ヘッズはその当時最も重要な芸術作品とされていましたが、時代とともにその由来が忘れられてしまいました。しかし最近の調査により、これらの作品の多くから、国王ジェームズ5世とその妃メアリー・オブ・ギーズの王室にまつわる興味深い事実が明らかにされています。
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ジェームズ5世の宮殿は、外装、内装とも国王の人柄や権力を誇示する装飾品であふれていました。 文化財保護団体ヒストリック・スコットランドと専門家による調査によると、これらの彫刻や浮き彫りが国王のイメージメーカーとして製作された経緯が解明されつつある・・・案内に書かれていました。
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日本語のこんなカードが置いてありました。
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王子の塔(適当な写真は撮っていませんでした):
この塔は、約 1500 年に前工事の一部として建てられ、伝統的にスコットランド君主の保育園でした。ジェームズ 6 世は、有名なプロテスタント学者ジョージ ブキャナンによってここで教えられました。
プリンス タワーの窓からプリンスズ ウォークとクイーン アン ガーデンを眺める。プリンスタワーの木材の年輪年代測定により、1500 年代初頭に建設されたことが確認されました。この塔は、ジェームズ 6 世が長男ヘンリー王子の誕生に備えて 1593 年に改修しました。 -
王子の塔:
プリンス タワーは伝統的に、スターリング城内の王室の子供たちの保育所および学校とみなされてきました。証拠によると、この建物はヘンリー王子のためにこれらの目的に使用され、おそらくヘンリー王子の誕生を見越して、1593年頃に改装されたことが示唆されています。 -
プリンスズウォークからの眺め。
向こうに見えるこの建物は博物館の部分です。
ケースメイトとして知られるこれらの巨大な石造りの金庫は、包囲戦の際に軍隊を収容するために建てられました。城の展示は現在ここにあります。ここは、さまざまな君主によって城がどのように変更され、改良されたかについての大量の情報を備えた博物館です。南側の眺めも素晴らしいです。 -
プリンスズウォークからの眺めです。
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北門:
城内で現存する最古の部分で、1381年まで遡ります。 -
北門:
初期のスチュワート王ロバート 2 世 (在位 1371 ~ 1390 年) とロバート 3 世 (在位 1390 ~ 1406 年) の時代に、城の現存する最も初期の部分が建設されました。ロバート 3 世の弟としてスコットランドの摂政であったメンティス伯ロバート スチュワートは、北門と南門の工事に着手しました。現在の北門は、城内に現存する最古の石積みである 1380 年代の基礎の上に建てられています。 -
北門
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北門:
初期の北門には、おそらく大広間と関連していた元々の城のキッチンが含まれていました。グレート キッチンは後に城の東壁に建設されました。北門の上にある小さな建物は伝統的に造幣局であったと言われており、スコットランドでは Cunzie Hoose または「鋳造所」として知られています。 -
門の先には、
北門を越えると、ネザー ベイリーがキャッスル ヒルの北端を占めています。防御壁に囲まれたこのエリアには、19 世紀の衛兵所と火薬庫、そして現代的なタペストリーのスタジオがあります。 -
ネザー・ベイリー(Nether Baily):
ネザー ベイリーは、城の主要エリアの北、城の岩の下部を占めています。おそらくスターリング城で現存する最古の部分である北門を通ってアクセスします。 -
ネザー・ベイリー(Nether Baily)
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城のテラスからはロバート・ザ・ブルースが1314年に対イングランド戦で勝利した「バノックバーンの戦い」での戦場を臨むことができます。
この戦いの後、イングランドに利用されないように城を破壊。結果、見ることのできるスターリング城は、15世紀以降に作られたものがほとんど。 -
「バノックバーンの戦い」の案内板
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「バノックバーンの戦い」の戦場跡
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「バノックバーンの戦い」の戦場跡
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「バノックバーンの戦い」の戦場跡の案内板
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チャペル ロイヤル:
スターリング城内に礼拝堂があったと思われます 。実際、城に関する最も初期の証拠は、 1110 年にアレクサンダー 1 世によってその城内に礼拝堂が叙任されたことです。その後、スターリング城の礼拝堂について頻繁に言及があり、時には複数の礼拝堂があった可能性があるようです。
最も有名なのは、1543年9月9日に幼少のスコットランド女王メアリーが戴冠式を行ったスターリング城のロイヤル礼拝堂であり、1561年に彼女がフランスから帰国した際もミサを行ったとされます。 -
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大広間(Great Hall):
復元されたグレート・ホールは、チャペル・ロイヤルの隣りにあります。
スコットランドでこれまで建設された最大のもので、収容人員500人、祝宴、国家行事などに使用されました。
ほとんどの歴史家は、スターリング城の大広間はジェームズ 4 世の作品であり 、1501 年から 1504 年にかけて建設されたとしています。彼の国家行事にふさわしい会場を提供することを目的としていた。
しかし、1500 年代後半に書かれたある記述には、 ジェームズ 3 世がグレート ホールを建設したと示唆されているため、多少の混乱が残っています。また、ほぼ同時期の「旧広間」への言及もあり、大広間が城内に最初に建てられたものではないことを示唆しています。
大ホールはスコットランドでこれまでに建設された最大のもので、大きさは 138 フィート×47 フィートで、わずか 95 フィート×41 フィートのエディンバラ城のホールよりもはるかに大きかった。 -
1594年、ジェームズ6世は息子ヘンリー王子の洗礼のために広間で晩餐会を開催しました。
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この建物の外壁は、1500 年代のようにロイヤル ゴールド ハーリングで表現された独特の色になっています。
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観光客も少なくてじっくり観れました。
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テラスから「王子の塔」を眺めます。
建物の正面左に出っ張ってについている塔です。 -
グレート・ホールの建物の外観です。
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The Siege of 1651の案内板。
スターリング城の包囲攻撃は 少なくとも8回あった。スターリングはフォース川の交差点に位置し、スコットランド北部へのアクセスの重要な場所となってる。
1651 年、オリバー クロムウェルがスコットランド侵攻中にこの城を占領しました。 -
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城からの眺めが素晴らしいです。見晴らしが良い。
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城から出て、スターリング駅までの街並みを散策しました。
Mar's Walk -
Mar's Walk:
タウンハウスで現在残っているのはファサードだけですが、ルネッサンス建築の印象的な例として残っています。 -
The Boy's Club:
スターリング評議会の支援を受けているスターリング ボーイズ クラブは、ボランティア委員会によって運営されており、地域社会向けの宿泊施設を提供しています。 -
ダーンリー ハウス (Darnley's House):
真ん中の背が高い家です。
過去数世紀には居酒屋や集会所としても使用されていました。現在はカフェとして使われています。 -
ブロードストリートのダーンリー ハウス の前に大砲が。
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12:00 スターリング駅からグラスゴーへ向かいます。電車で40分ほど。
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12:40 グラスゴー・クィーン・ストリート駅
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グラスゴー駅で大好きなパンがあったのでランチにしました。
このほうれん草とチーズとクランベリージャムのタイプが1番好き。でもスコットランド以外では見たことがないんですよね。イングランドの方には売っていないんです。 -
このパン屋さん大好きで。コーヒーが1ポンド!
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パン屋さんのテーブルに座って。
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駅から歩いてすぐにあるジョージ・スクエアとグラスゴー市議会議事堂。
1787年にオープンし、ジョージ3世にちなんで名付けられました。広場の中心に彼の銅像が建てられる予定でしたが・・・、1776年にアメリカがイギリスから独立宣言し、グラスゴーの貿易に陰りが出始め、計画はひっそりと中止されました。 -
現在のジョージ・スクエアには、ロバートバーンズ、ヴィクトリア女王、ジェームズ・ワットの記念碑を含む12体の彫像があります。
こちらは、サー・ウォルター・スコット記念碑。
高さ24メートルの像です。アイヴァンホー、湖の貴婦人など人気小説を執筆した作家。 -
パラリンピック開催中でした。
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グラスゴー大聖堂:
12世紀に建築されたスコットランド本土で最も古い大聖堂であり、グラスゴーで最も古い建築物。教会の破壊まで伴った宗教改革の渦中にあっても、破壊を免れました。スコットランドでは数少ない無傷で残っている中世の大聖堂の一つ。ゴシック建築の大聖堂としては珍しい木造の天井があります。グラスゴー大聖堂 寺院・教会
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グラスゴーのルーツは、この大聖堂周辺にグラスゴーの街が出来たことに始まります。6世紀ころと言われています。最初に、聖マンゴー教会が設立され、その周辺に小さな集落ができたのが街が始まるきっかけ・・と。
この最初に建てられた教会、聖マンゴーのあった場所こそが、現在のグラスゴー大聖堂がある場所で、大聖堂内には聖マンゴー教会の一部が今も残っているそうです。 -
教会は、グラスゴーの守護聖人である聖マンゴにささげらえている。最初の石造りの大聖堂は1136年にスコットランド王ディビッド1世のもとに奉献されました。
最初の大聖堂の建物は火災により焼失または深刻な損害を受け、1197年に奉献された現在の大聖堂に引き継がれました。 -
教会は、グラスゴーの守護聖人である聖マンゴにささげらえている。最初の石造りの大聖堂は1136年にスコットランド王ディビッド1世のもとに奉献されました。
1587年以来国王の所有物です。
1406年、落雷により木製の尖塔を含む重大な被害が発生しました。中央の塔、尖塔、チャプターハウスが再建されました。現在の大聖堂は15世紀以来の姿とのこと。 -
写真は西側の窓、アダムとイブが中央ステージに登場する「天地創造」(1958年…新しいものですね)。フランシス・スピア―作。
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屋根は 20 世紀のものですが、一部にはオリジナルの木材が保存されています。
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身廊は、約 30 メートル (100 フィート) の高さ
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ネクロポリス
大聖堂の裏の丘は、1830 年代に公園から墓地に変換されました。 -
超宗派的なものです。実際、最初の埋葬者は 1832 年にユダヤ人男性でした。ここは散歩に最適な場所です。
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夕方、グラスゴーからエジンバラに戻り、ホテルから近いので、
歩いて再びカールトンヒルへ。カールトン ヒル 山・渓谷
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夕陽の時間、大勢の人が来ていました。
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しかし、混雑していると言うほどでは全くないです。のんびりできる素晴らしい場所。
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ホリールード宮殿が見えます。エジンバラ到着日にすぐに行きました。
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エジンバラの夕陽にお別れです。明日は湖水地方へ向かいます。
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夕ご飯はスーパーで調達。イギリスでは手前の様々な果物が入ったパックがおいしくて、行くとよく食べます。
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