2012/09/02 - 2012/09/02
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chibi-monさん
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(2023年9月記: 旅行から11年も経っており役に立たない備忘録です・汗)
2012年8月の終わりから9月初めにかけて、フィンランド、イギリス、イタリアを旅してきました。以前から行きたかったところを繋げました。
かなり前なのであまり参考にならないかもしれませんが、だいたい5年もたつと内容を忘れていることに気付き、自分の記憶力の無さに軽いショックを受け、超々・個人的な記録ですが、思い出しながらの備忘録です。
■2012年9月2日(日)
ヨーク -> エディンバラ
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《スケジュール》2012年 25泊27日
8月24日-25日 ヘルシンキ(泊)
8月26日 ヘルシンキ空港(泊)
8月27日-29日 チェスター(泊)
8月30日 ハワース(泊)
8月31日-9月1日 ヨーク(泊)
★9月2日-9月4日 エジンバラ(泊)
9月5日-9月7日 ウィンダミア(泊)
9月8日-10日 ロンドン(泊)
9月11日 ボローニャ(泊)
9月12日 ウルビーノ(泊)
9月13日-14日 メストレ(泊)
9月15日-16日 ジェノバ(泊)
9月17日 ヘルシンキ空港(泊)
■航空券
フィンエアー
2012/8/24 11:00 成田 - 15:15 ヘルシンキ
2012/8/27 8:25 ヘルシンキ - 9:25 マンチェスター
2012/9/17 19:00 ミラノ(マルペンサ)- 22:55 ヘルシンキ
2012/9/18 16:00 ヘルシンキ - 7:40 成田
ブリティシュエアウェイズ
2012/9/11 9:30 ロンドン・ヒースロー→ 12:35 ボローニャ
(102.05ポンド)
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■2012年9月2日(日)
ヨーク駅からエジンバラに向かいます。
9:00 ヨーク駅発(9番線)、12:01 エジンバラ・ウィ―バリー駅 到着。3時間の旅です。ヨーク駅 駅
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ヨーク駅構内です。
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ヨーク駅に到着したとき、日本人の女の子とフランス人の男性と2階にあるカフェCostaでお茶したっけ。もはや懐かしいです。皆さん、チャッツワースへ行かれたのだろうか?
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この電車で向かいます。East Coaster。
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1等ブリットレイルパスを利用しました。車内はすいていました。
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1等ブリットレイルパスでもらいました。
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こちらも。最近はコーラは飲まなくなったなあ・・
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こちらももらいました。
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途中、ダラムに下車する案も考えたのですが止めてしまいました。
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エジンバラ・ウィ―バリー駅到着しました。19番線に到着。
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エジンバラ・ウィ―バリー駅です。
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おおー。スコットランド来ました感。初めてのスコットランドです。
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遠くにエジンバラ城が見えています。
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スコット・モニュメント
プリンスィズ・ストリートにあります。文豪サー・ウォルター・スコットを記念して建てられたものです。高さは約61メートル。 -
まずホテルに行き、チャックイン時間前なので荷物を預かてもらいました。
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ロイヤル・マイルです。
オールドカーの展示をしていました。ロイヤル マイル 旧市街・古い町並み
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ロイヤル・マイルの通りは、中世の雰囲気がそのまま残っています。
西端のエディンバラ城と東端のホリルード宮殿を結ぶ、約2キロの通りです。 -
あ、ここにも!普通に、日常で着ておられるものなんですね。妙にワクワクする自分・・・w
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聖ジャイルズ大聖堂(St. Giles' Cathedral):
ゴシック様式の教会。
セント ジャイルズ大聖堂は、1124 年にデビッド 1 世によって設立され、ほぼ 900 年間教会として機能してきました。スコットランドの激動の宗教史を背景に、内戦の種が蒔かれ、宗教改革中はジョン・ノックスの教区教会となった。ここは今でも、国会議事堂の礼拝や最も古く高貴なシスル(Thistle)教団の奉仕活動などの市民サービスの重要な中心地です。(公式HPより)
大聖堂前の像は、スコットランド出身の著名な経済学者、アダム・スミスの銅像です。 -
ロイヤル・マイルにある「Tolbooth Kirk」という名前の教会です。
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12:50 城の正面には、エスプラネードとして知られる長く傾斜した前庭があります。現在のエスプラネードは 1753 年に練兵場として建設され、1845 年に拡張されました。エジンバラ ミリタリー タトゥーが毎年行われるのはこのエスプラネードです。
ミリタリー・タトゥ:
エディンバラ城のエスプラナード広場で毎年8月に行われる夏の一大イベントです。
高くそびえ立つ城郭に見守られながら、伝統衣装を着たスコットランド軍に属する音楽隊のパレードや、華やかなショーが展開されます。
正式には「ザ・ロイヤル・エディンバラ・ミリタリー・タトゥー(The Royal Edinburgh Military Tattoo)」と呼ばれ、第二次世界大戦以降の復興期に、国民を元気づけるべくスコットランドとイングランドの連隊が公演を行ったのをきっかけにスタートしました。 -
エディンバラ城の正門です。
スコットランドの城の中で最も有名なこの城には、複雑な建造の歴史があります。
かつてはスコットランド君主の邸宅であった要塞で、現在は主に博物館として機能しています。スコットランドの名誉 (王冠の宝石)、運命の石、15 世紀のモンス メグ、ワンオクロック銃が展示されています。
海抜135 メートル (443 フィート) にあり、キャッスル ロックと呼ばれる火山岩からエディンバラの街を一望できます。
最も古い部分であるセント マーガレット礼拝堂は 12 世紀に建てられました。大広間は 1510 年頃にジェームズ 4 世によって建てられました。16世紀後半の摂政モートンによる半月砲台。第一次世界大戦後のスコットランド国立戦争記念館が建てられました。エディンバラ城 城・宮殿
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ポートカリス門(Portcullis Gate):
ポーカリス門は、1571 年から 1573 年の壊滅的なラング包囲戦の後に建設されました。1584 年に門番小屋の上部が完成し、1750 年にさらに改修されました。
高くなった桟橋のスパイクの下を通ります。かつては侵入者を防ぐために、鉄の門の横に 3 組の重い木の扉が設置されていました。最上階のアーガイル タワーは 1880 年代に増築されました。王族の象徴であるライオン見えます。 -
ロイヤルマイルを歩いた突き当りにエジンバラ城があります。事前予約はしておらず、窓口でチケットを買いました。日本語の冊子も買ったようです(一時、断捨離にはまり、もう捨ててしまってありませんが・・・もったいないことをしました)。
ガイド本を含めてチケット代19.95ポンド。
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2012年当時は、日曜日でも、そんなに観光客であふれていたという程でもなかったです。チケットもそう並ばずにすぐに買えました。エディンバラ城 城・宮殿
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城に入場すると、この光景が。
この写真を撮ったときは、何をしているのかわかっていない・・・工事中なのかと思ってました・汗 -
この日、柵をしていて、工事をしているのかと思うような光景でした。
パッと写真を撮ったものの、よくポスターの内容を見ていませんでした。
夜に花火があることを後で知りましたが、よく見るとポスターに書いてあった・・・汗
なぜその後花火があることがわかったのか...いきさつは後ほど・・・。 -
今晩の花火大会の準備中でした。
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ラング・ステアーズ
キャッスル ロックの頂上までのルートで70 段の階段があります。この階段はかつて城への最初の入り口でした。石畳の丘の周囲を取り囲む緩やかなルートは、重砲の移動のために 1600 年代に作られました。 -
キャッスル ロックからの素晴らしい眺め。
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アーガイル・タワー(Argyle Tower):
第 9 代アーガイル伯爵が 1685 年に処刑される前にここに拘留されていたことから、アーガイル タワーと名付けられました。 -
アーガイル・タワー(Argyle Tower)
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聖マーガレット礼拝堂:
キャッスル ロックに居を構えたことが知られているスコットランドの最初の王は、マルコム 3 世 キャンモア(在位 1058 ~ 1093 年) でした。彼の敬虔な妻マーガレット女王は1093 年に城で亡くなり、後に列聖されました。スコットランドの聖マーガレットは、聖マーガレット礼拝堂で記念されています。この礼拝堂は、約 1130 年から 1140 年にかけて岩の最高点に建てられ、城の敷地内に現存する最古の建物です。 -
聖マーガレット礼拝堂の入り口です。
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聖マーガレット礼拝堂:
この手前にベンチがあって、人がいっぱい腰掛けて休憩していて、引きの写真が撮れなかった・・・。 -
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聖マーガレット礼拝堂:
城内およびエディンバラで最も古い建物は、小さな聖マーガレット礼拝堂です。スコットランドの城に現存する数少ない 12 世紀の建造物の 1 つで、デイヴィッド 1 世(在位 1124 ~ 1153 年)の治世に遡り、王室の私的な礼拝堂として建設され、奉献されました。それは、1093 年にこの城で亡くなった母、スコットランドの聖マーガレットに贈られました。この城は、1314 年にロバート ブルースの命令で城の防御が破壊された軽傷にも耐え、16 世紀から火薬庫として使用されました。1851 年から 1852 年に修復された。この礼拝堂は今でも結婚式などの宗教儀式に使用されています。 -
モンス・メグ:
モンス メグとして知られる15 世紀の大砲が、聖マーガレット礼拝堂前のテラスに展示されています。この大砲は 1449 年にブルゴーニュ公フィリップ 3 世の命令でフランドルで建設され、 1457 年に彼の姪の夫であるジェームズ 2世に贈り物として贈られました。13,000 ポンド (5.9 トン)大砲は復元された馬車の上に置かれています。 -
モンス・メグ
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半月砲台:
ハーフ・ムーン・バッテリーは、古いデイヴィッズ・タワーの後に建設された砲台である。この壮大な防衛の設備は今日も城の東側を占める。かつてディヴィッズ・タワーの客室であった部分は、冬の間だけ軍事用ハトの小屋にされたりしていた(ウィキより)。 -
半月砲台
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クラウンスクエアの王宮:
この中のクラウンルームがあります。
王宮は、ェームズ 4 世の治世中の 15 世紀半ばに建設が始まり、1617 年にジェームズ 6 世が城を訪問した際に大規模に改修され、国王と女王のための公営アパートが建設されました。1階には、現在国王のダイニングルームと呼ばれているライヒ(低)ホールと、6月にジェームズ6世がスコットランド女王メアリーから生まれた誕生室(メアリールームとして知られる)小さな部屋があります。
また、クラウン ルームが、スコットランドの名誉ある王冠、王笏、国剣を収容するために 1615 年に建てられました。スコットランドの君主が伝統的に戴冠する際に使用されたスコーンの石は、1996 年にスコットランドに返還されて以来、王冠室に保管されています。 -
クラウン ルーム:
「オナーズ・オブ・スコットランド(Honours of Scotland)」
建物の奥の部屋に戴冠用宝器の王冠・王笏・剣の3種が展示されています。
中は撮影禁止でした。
展示されているスコットランド名誉勲章は、英国最古のクラウン ジュエルです。金、銀、貴重な宝石で作られた、貴重な王冠、王笏、国家の剣は、非常に重要な品物です。
この王冠はジェームズ 5 世のために作られ、1540 年のギーズ女王メアリーの戴冠式で初めてこの王冠を着用しました。スコットランド女王メアリーは 1543 年に新しい王冠と王笏を組み合わせて初めて戴冠しました。 -
宮殿内の展示です。
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宮殿内の展示です。
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宮殿内の展示です。ロバート・ザ・ブルースの戴冠式の場面。
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エディンバラ城の宮殿内。メアリー・スチュアートが後のスコットランド王ジェームズ6世を生んだ部屋。
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Great Hall外観
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大ホール:
大広間の大きさは 29 × 12.5 メートル (95 × 41 フィート) で、城内の州議会所でしたが、スコットランド議会がここで開催されたという証拠はありません。歴史家はその年代については意見が分かれているが、16 世紀初頭に完成したと考えられています。
屋根を支える装飾的な彫刻が施された石のコーベルにはルネッサンス様式の装飾が施されており、1515年頃のフランスのブロワの作品と比較され、当時のスコットランドの芸術が比較的進んでいたことが示されています。これは、スコットランドに 2 つしかないオリジナルのハンマービーム屋根を持つ中世のホールのうちの 1 つです。 -
1650 年にオリバー クロムウェルが城を占領した後、大広間は彼の軍隊の兵舎に改装されました。そして 1737 年には 312 人の兵士を収容できるように 3 階建てに分割されました。
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1790 年代に新兵舎が建設された後、1897 年まで軍事病院となりました。その後、修復されました。大ホールは今でも時々冠婚葬祭に使用されており、BBC スコットランドのホグマネイ ライブプログラムの会場としても使用されています。ホールの南には、14 世紀のカーテン ウォールの一部があります。
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ダビデ塔の入り口
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ダビデ塔は 1912 年の定期保守作業中に発見され、ハーフムーン砲台の下の発掘調査により、建物の現存する範囲が明らかになりました。いくつかの部屋は一般公開されていますが、下の部分は通常閉鎖されています。
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「黒い晩餐」事件:
スチュアート朝時代の1437年、ジェイムズ1世(在位1406-37)が暗殺され、後を継いだ七歳の幼王ジェイムズ2世政権下で実権を巡って政争が起きた。
エディンバラ城代ウィリアム・クライトンとスターリング城代アレクザンダ・リビングストンは結託して有力貴族ダグラス伯を除こうとし、1440年11月28日、前年に病没した父伯の後を継いだばかりの十六歳の少年ダグラス伯ウィリアム・ダグラスと弟デイヴィッドをエディンバラ城内で逮捕、処刑する凶行に出た。
クライトンらはダグラス伯兄弟を招いて10歳の少年王ジェイムズ2世臨席の晩餐会をエディンバラ城で開催、宴が盛り上がったところで大皿に乗せられた黒牛の頭が運ばれたのを合図に、二人を逮捕、罪をでっちあげて略式裁判にかけ処刑した。「黒い晩餐(Black Dinner)」事件と呼ばれている。 -
「黒い晩餐事件」を表現しているのか…グラスの絵が岩穴の奥に浮き上がります。
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続いて、同じ場所に、この紋章のような・・・ものが浮き上がる。
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結構、暗い中で見ています。
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スコットランド国立戦争記念館:
クラウン スクエアの北側にある兵舎を改装。元は教会で、1366 年に再建され、1540 年に武器庫に転用された。その後、この教会は 1755 年に取り壊された。
スコットランド国立戦争記念館の建設は 1923 年に始まり、 1927 年 7 月 14 日に英国政府によって正式に開館された。外装はガーゴイルで装飾されて、内部には個々の連隊の記念碑があります。 -
エディンバラ城を後にして。
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ロイヤル・マイルを反対側の東の端まで向かいます。
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16:40 ホリルード宮殿(The Palace of Holyroodhouse)です。
1128年にデイヴィッド1世によって建てられた寺院が前身。15世紀から、スコットランド国王夫妻の住居として使われてきた。宮殿はイギリス王室の宮殿として現在も利用されていて、宮殿はエリザベス2世の夏季の滞在地として使用されていた(女王は2022年9月8日に崩御)
そのせいなのか、貴重な展示が沢山あたっと記憶しているのですが、写真撮影不可なので…忘却の彼方です。
もはや遠い記憶なのですが、メアリ―・スチュアートが当時身に付けていたものなどの私物が沢山展示してあって、こんなものがまだ残っているんだーと興味深く観て、予定よりも時間がかかってしまったという記憶です。
思い出したのですが、宮殿には、ロイヤルコレクションが観れるThe Queen's Galleryという展示部分もあって、私の入場が遅かったもので、チケットオフィスで、そっちのチケットはもう販売できないって言われましたっけ…・泣
宮殿内部のほうだけを観たようです(チケット 11ポンド)。
(クイーンズ・ギャラリーは2002年に敷地内にあった教会を改築し、英国王室のコレクションを展示したギャラリーです。常設展示はなく、膨大な数コレクションよりテーマを決めての展示が行われているそうです)
他の見所の一つがグレート・ギャラリー。
89人の歴代スコットランド王の肖像画が圧巻・・・写真が無いと忘却の彼方・汗 -
1501 年から 1505 年にかけて、ジェームズ 4 世は修道院に隣接してゴシック様式の宮殿を建設しました。この工事のきっかけはおそらく、工事がまだ進行中の 1503 年 8 月に修道院で行われたジェームズ 4 世とマーガレット チューダーの結婚から来ています。
ジェームズ 5 世は1528 年から 1536 年にかけて宮殿を増築し、現存する宮殿の最古の部分であるジェームズ 5 世の北西の塔を建設しました。宮殿の北西の角の、角が丸い巨大な長方形の塔の中に、新しく王族の宿泊施設が造られました。
ジェームズ 5 世の北西の塔にある王族の宿泊施設は、1561 年のスコットランドへの帰国から 1567 年の強制退位まで、スコットランド女王メアリーによって使用されました。
ホリールード宮殿の最も有名な居住者の 1 人はスコットランド女王メアリーであり、彼女の治世において、ここはいくつかの重要な出来事の舞台となりました。
2番目の夫であるダーンリー卿ヘンリー・スチュワートと宮殿内の私設礼拝堂で結婚しました。
メアリーがデヴィッド・リッツィオ殺害を目撃したのは北西の塔内の部屋でした。ダーンリーと数人の貴族は、下のダーンリー自身の部屋から専用の階段を通って女王の居室へと入りました。夕食時にリッツィオと女王と他の4人の廷臣らがいるところに押し入り、リッツィオを寝室から外の部屋に引きずり出し、彼は刺殺され、57本の短剣による傷を受けたとされます。
メアリーは1567年5月に3番目の夫である第4代ボスウェル伯爵ジェームズ・ヘプバーンと宮殿で結婚しました。
現在の王宮の中には、女王によって作成された針仕事やフランソワ・クルーエによって描かれたミニチュア肖像画などのさまざまな工芸品が展示されています。 -
隣接するホリルード修道院(Holyrood Abbey)です。
スコットランドのエディンバラにある正教会の修道院の廃墟です。
ホーリールードという名は「聖十字架」と言う意味。
現在は廃墟となっていますが、デイヴィッド2世、ジェイムズ2世など歴代スコットランドの王が眠っている場所だそうです。 -
この修道院は 1128 年にスコットランド王デイビッド 1 世によって設立されました。
1437 年、ジェームズ2世の戴冠式が行われ、1449年7月3日、ホリールード寺院でゲルデルン公アルノルト・ファン・エフモントの娘メアリーと結婚しました。
1498 年から 1501 年にかけて、ジェームズ 4 世はホリールードの修道院回廊に隣接する王宮を建設しました。1503年にヘンリー7世の娘マーガレット・テューダーとホリールード寺院で結婚式を挙げました。
1538 年にジェームズ 5 世の非嫡子である幼児ロバート スチュワートがホーリールードの騎士団長に任命されたとき、修道院に対する王室の影響力はさらに高まりました
ラフ・ウーイング戦争中、ハートフォード伯爵のイギリス軍が侵攻し、1544 年と 1547 年にホーリールード修道院に構造的損害を与えました。屋根から鉛が剥がされ、鐘が取り外され、修道院の内容物が略奪されました。1559 年、スコットランドの宗教改革中に、暴徒が祭壇を破壊し、教会の残りの部分を略奪したため、修道院はさらなる被害を受けました。
名誉革命後の 1688 年に、、エディンバラの暴徒は修道院に侵入し、王室礼拝堂に入り、王家の墓を冒涜した。
1768年12月2日、その後の修復に失敗した修道院の屋根は崩壊し、修道院は現在のような屋根のない廃墟となりました。 -
修道院の修復は 18 世紀以来何度か提案されており、1835 年にスコットランド国教会総会の場に、1906 年にシスル騎士団の礼拝堂にと修復が提案されました。 ? しかし、両方の提案は拒否されました。
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1829 年 7 月、フェリックス メンデルスゾーンはホリールード礼拝堂の遺跡を訪れました。
メンデルスゾーンの交響曲第3番「スコットランド」は、ホリールードからインスピレーションを得ているそうです。メンデルスゾーンは後に家族への手紙の中でそう語っています。 -
ホリルード公園も広がっています。
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ホーリールード・パークは、標高251メートルの丘「アーサーズ・シート」まで続く260ヘクタールもの広大な敷地です。
お天気が良かったのもあって、ここでの散歩はとても気持ち良かったです。
エディンバラ滞在中は天気が良く、暗いイメージが無いままでした。ギリギリ夏の名残を感じるものでしたが。(…翌年2013年9月にも、インヴァネスへ行く途中の立ち寄りで行くことになるのですが、もうすっかり秋のスコットランドで、冷たい雨に遭うことになりました) -
アビーの奥に見える小山は、アーサーズ・シート。
こんな近くにクッキリの緑が眩しいお山(実際には丘)が見えたので、びっくり感動していました。 -
30分ほどで登れるそうです。次回エディンバラに行くことがあったら登りたい!
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エディンバラ駅そばのホテルにチェックインしました。
1泊だけの、Royal British Hotel 三ツ星です。
朝食なしで65ポンドでした(2012年当時で8,000円ほど)。プリンシズ・ストリート沿いで、エディンバラ駅から徒歩2分。ホテル インディゴ エディンバラ プリンセス ストリート バイ IHG ホテル
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このホテルは、泊まってみたらとても気に行ったので、エジンバラ滞在中はずっとここが良かったのですが、お手頃価格のせいか、この日しか予約できず・・。
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素朴でかわいいお部屋でした。
現在は、ロイヤル ブリティッシュ プリンセス ストリートと言う名前へホテル名が変わり、4つ星になり、モダンに改修されているようです。
この当時とは似ても似つかないモダンな方向性の部屋に変貌しています。 -
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19:30 このホテルには高層階にレストランがありました。こ?の時間は、まだ外は明るいです。
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せっかく初めてスコットランドに来たのですから、あの料理に挑戦しようと・・・。
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ハギスです。挑みましたが、完全に打ちのめされました(多分、リピは無い)・汗
Tardditonal Haggis, Neeps & Tattiesとメニューに書いてありました。
Neeps & Tattiesとは:
《料理》ニープス・アンド・タティーズ◆スコットランド料理。ハギスという内臓料理に添えられるもので、ルタバガという根菜(カブのようなもの)をつぶしたものとポテトを添えたもの。 -
この時、隣りの席のご婦人たちがホテルのレストランの女性とおしゃべりしていまして。。。
ホテルのかたが、今晩 Fireworks があるんですよ、と。Fireworks と聞こえたけど、何なのかわからない自分・汗。
ホテルのかたが窓のそばに行って、あの辺りで見れますよーとお話しているのを聞いて、観に行くことに。 -
21:00少し前です。駅から少し行ったところのエディンバラ城が良く見えるところで、大勢が集まていました。
花火とクラシック音楽を融合させたものという催し、らしい。
まずクラシック音楽…交響曲のような派手な音楽が城のほうから聞こえてきます。 -
そして、音楽とともに花火が。
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手持ちなので撮影は完全に失敗していますがw
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21:44 クライマックスで、エジンバラ城が燃えているような演出。昼間に城内で準備していたのは、コレだったんですね。こ?の光景は圧巻でした。
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1時間ほどありました。エディンバラ城をバックにした花火は素敵でしたねー。
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大勢の人の中を歩いてホテルへ戻ります。ホテルはここから徒歩5分という近さ。
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そんなに危ない雰囲気もなく、スリに会うこともなく(たぶん、お金は少ししか持って出ていないと思う)カメラだけ持って観に来たのですが、初めて来たスコットランドで思いがけない光景に会い、とても楽しい初スコットランドの夜でした。
明日は、アバディーンへ行きます。
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