2022/10/28 - 2022/10/29
428位(同エリア1286件中)
赤い彗星さん
この旅行記スケジュールを元に
今回の新潟旅行で一番楽しみにした場所が北方文化博物館。
当初、2日目に訪れる予定を天気が崩れそうということで、
郊外への移動で時間が掛かり、建物内の見学であれば、
天気が悪くても問題ないかと判断し、初日に繰り上げ。
危惧していた天気も崩れることなく、屋外散策も出来ました。
訪問するには時間が掛かる場所にありますが、
時間を掛けても来て良かったと思える風景が拡がっていました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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弥彦から、新潟市に到着。
新潟市はラーメン所ということで、お昼は青島ラーメンで頂きました。
濃厚醤油の美味しい中華そばでした。 -
新潟駅から、約1時間バスに揺られて郊外の北方文化博物館を訪れました。
阿賀野川の堤防上に造られた道路上のバス停からは、約5分程の場所にあります。北方文化博物館 美術館・博物館
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入口の門を通り過ぎても、大きな庭園スペースが拡がっているだけで、入場チケットを購入できるような窓口も見当たりません。
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そのまま奥に進むと、門土蔵が見えてきました。
名前の通り、門と土蔵の機能を併せ持つ長大な施設です。
冠婚葬祭時のみ使用されていた大門と通常使用する通用門の2か所の出入口と、
2階建ての蔵で構成されています。 -
江戸時代に百姓から豪商になり、明治期に新潟県の沢海一帯で東京ドーム300個分もの土地を所有する大地主でもあった伊藤氏が、明治22年に8年かけて造営した自宅が、現在北方文化博物館となっています。
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まだチケット売り場に到達していない場所に安置されている石灯籠と石仏群。
昭和28年に林野開墾事業により、真言宗海満寺のあった場所(阿賀野市出湯)から出土した石造物の一部です。度々、土石流の被害に遭った土地であったらしく、鎌倉~室町時代初期の墳墓や石像物が、大量に出土したそうです。 -
正面に見える建物入口で入場チケットを購入して、園内に入場します。
入場料は、大人800円(2022年現在)です。 -
戸を開け放てば、3間続きの茶の間。計27畳の広さです。
当主が来客を迎えるための部屋で、大名御殿の大広間のような茶の間です。 -
高価そうな磁器なども展示されている板の間と台所。
50人以上の従業員の食事を用意するため、毎朝1俵(60kg)もの米を炊いていたそうです。 -
館内に展示されているトキの剥製。
明治初期までは全国に生息していたそうですが、昭和に入って日本在来種は絶滅してしまいました。しかし中国から譲り受けたつがいの繁殖に成功し、佐渡ヶ島では、数百羽まで増えているようです。 -
昭和48年に北方文化博物館に移築された刈羽古民家。
江戸時代初期の茅葺屋根の古民家です。 -
一見ドリルのようにも見える螺旋水車。
脱穀や籾打ちなどの様々な作業の動力源として活躍したようです。 -
古民家内の土間には、当時の生活道具が展示されています。
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寒冷地の各藩は、半年間雪に閉ざされる地で生産活動も制約が大きいことから、板の間は一間のみという厳しい倹約令を強いていたそうです。
家長のみ板の間で暮らし、残りの家人は土間に筵を引いて生活していたそうですが、寒冷地でそれこそ命に関わるような禁令ですね。 -
刈羽古民家の隣に移築された吉ヶ平古民家。
吉ヶ平集落に明治初期に建てられた椿和三郎氏の邸宅です。
昭和45年の閉村に際し、八代当主の伊藤文吉氏が譲り受け、移築したものだそうです。 -
吉ヶ平古民家の土間には、台所道具が陳列されています。
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明治期に建てられた民家ということで禁令などもなくなり、板の間が使用されています。
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茶会や結婚式場などのイベントで利用されている常盤荘。
一般客は入室できません。博物館となっている主屋に移る前に住んでいた邸宅で離れ座敷として利用されていた建物が移築されたものです。 -
古民家や常盤荘に囲まれた池は、毎年6月下旬から8月にかけてハスに覆われるハス池です。
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歴代当主の収集した美術品を展示している北方文化博物館の宝物館的な建物となっている集古館。往時は、3,000俵もの米俵を保管してた米蔵でした。
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茶器や陶器などの日本の美術品が展示されているかと思っていたら、いきなりエジプトのミイラマスクに遭遇。
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スペインや中国の陶器も展示されています。
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葵紋の入った蒔絵。
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藤原時代の大日如来像。藤原氏が摂関政治で権力を振るっていた平安時代の後期を藤原時代とも呼ぶんですね。
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琉球沈金八角三段重食籠。
食籠は、食物を入れるためのもので、祭祀に使用されていたそうです。 -
三楽亭の扁額が掛かった小さな門を奥に向かいます。
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三楽亭の外観。一面を見ての外観からは分かりませんが、正三角形の建物です。6代当主の伊藤文吉が造営した離れの書斎兼茶室です。
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入室は出来ないので窓越しですが、室内が三角形になっているのが分かりますね。
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三楽亭の模型。本当に正三角形になっています。
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中庭から、主屋棟に戻ってきました。次は2階を見学します。
今まで武家屋敷や古民家など、色々な古い建物を見てきましたが、その中でも最も大きく長い階段だと思います。天井が高く、建物の造りもしっかりしているんでしょうね。 -
主屋の2階は、考古資料室とされていますが、色々な時代の収集品が展示されています。
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伊藤家で使用されていた箪笥や帳簿などが展示されているゾーン。
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歴代当主が使用していた小金庫。
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埴輪などの古代の美術品も展示されています。
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主屋から、中庭を挟んで大広間を眺めた風景。
大広間の風景が、JRのキャンペーンにも登場していましたね。 -
伊万里焼などの大皿。
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博物館前の阿賀野川に漂着し、持ち主が現れずに展示されることになった天狗のお面。どこかに奉納されたものだったり、能などに使用するお面ですかね。
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主屋から、渡り廊下を渡って大広間に向かいます。
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開け放たれた大広間から見える庭園を描いた絵画が展示されていました。
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冠婚葬祭や賓客を迎える時だけ、使用されていた大広間。
主屋とは中庭を隔てていて、大広間からのみ回遊式庭園を眺める事が出来ます。 -
回遊式庭園に面した襖や障子は、全て取り払われていて非常に開放感があります。
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陽が落ちつつある秋の夕暮れ。
ひんやりとした空気の中、誰もいない大広間で日本庭園を眺めながら、
過ごした時間は、静かに心が充たされた時間でした。 -
11月に入ったら、美しい紅葉が見れそうですね。いつか見てみたい。
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庭園を眺めるのに畳の上に座って見る事も出来ますが、3脚の椅子も用意されています。誰もいなかったので畳の上に座ったり、椅子に座ってみたりと庭園鑑賞を好きなように楽しむ事が出来ました。
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大広間横にも複数の部屋があります。
来客の控室や休憩所として、利用されていたのかもしれませんね。 -
式台玄関の内側に掲げられた静松軒の扁額。
先程、回遊式庭園を眺めていた大広間の名称です。 -
今はもう動かない、大きなのっぽの古時計。
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樹の幹がくり抜かれて、仏像が安置されていました。
5代当主が植えた松が枯れてしまい、松と先祖の供養を兼ねて、8代当主が幹をくり抜き、大日如来像を彫ったものだそうです。 -
大広間棟の大玄関と名付けられた式台玄関。
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門土蔵と隣接している土蔵。
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門土蔵の2階部分。飲み物なども提供できるような設備もあり、イベントなどで利用されているようです。
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最後もまた土蔵門を通って、博物館を後にします。
右が通用門、左が大広間棟正面の大門です。 -
北方文化博物館横にある沢海日枝神社。
境内には、本殿拝殿と石灯籠だけの小さな神社です。
沢海藩2代藩主の溝口政勝により、社殿が再建されたと伝わっています。沢海日枝神社 寺・神社・教会
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江戸時代、沢海藩改易後に旗本の小浜氏がこの地域を管理することになり、ここに代官所屋敷が置かれていたようです。
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新潟市方面に向かうバス停前の風景。
阿賀野川の土手に造られた広い道路は、結構な交通量でした。 -
川が見えないくらい広い阿賀野川の河川敷。畑なども作られているようです。
この時点でも雨が降りそうな感じではありませんでしたが、帰りのバスで新潟駅方面に戻っている最中に結構な強さの雨が降ってきました。初日の観光を終えるまで、雨が待ってくれていた気がする、久々の新潟訪問初日でした。阿賀野川 自然・景勝地
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