2023/07/05 - 2023/07/07
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mom Kさん
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宗谷本線終着駅「稚内」。駅舎を出て、驚いた。
通りの向こうは、人、人、人・・・ここ、わ、わ、わっかないですよねえ。
年に一度の北門神社の大祭、本祭りの日にであったぁ~
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
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旭川駅午後1時。サロベツ1号は、早くもホーム入り。乗車可。
JR北海道さんありがとうございます。
進行方向の左側に席を取ったが、待て待て、日に焼けます。その時が来たら、左窓に密着すればいい。 -
5時を過ぎた。
カメラを持って左席に移り、目を凝らす。もうそろそろのはず。
あ、あ、あ~、今!
一瞬だった。瞬き以上の駿足でサロベツ号は、走り抜けた。 -
あの時は、上り「サロベツ号」車窓。初めて出会った日。あの瞬間は忘れない。・・・・・・・・・、
やはり、車で会いに来よう。バッカスさんが見送ってくれたあの駅、あのホーム。
まるでもう、映画のシーン。 -
脱力で稚内港を眺めやる。
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相沢商店さんに初めて入店。創業1922年。
気になって仕方がなかった「ほっけのフライ」、みぃーっけ。
旭川で食べられなかった初めてのお味。
「おにぎり茶屋」さんを思って、いただきまーす!
包み紙をマットに、にこにこ。熱い緑茶も最高。旅してるう~
むむ、美味しい上に2個分はあるおにぎり。一つにしてよかった。これから何度も会いに行きますからね。
私は、こういうパン粉が細かい目が好き。厚岸のカキフライもこれだった。
北海道は、これがノーマルなんだろうか。 -
お宿前から屋台が連なる。
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いきなりですか。山女魚!ですか。大好物。龍泉洞ですって。
懐かしい~。学生時代ですよ。(翌日の店主との会話で、震災時湧水が止まったという。しばらくして、流れ出したのは、「白かったよう。」と教えてくれた。)
ここは、長蛇の列。
手前でお客さんをさばいている女性に、「明日もありますか」と尋ねた。
♀「9時からです。」ときっぱり、にこやか。
とりあえず、そばに積まれていたパックの山女魚甘露煮を確保。 -
おそらく気温は、20度を超えた程度。
子供たちや若者は浴衣姿。 -
屋台街の終わりに、もう一つのテントエリアが広がる。サロベツファームの幟看板。
焼き男性が、「スペアリブ、味見しますか?」と声をかけてくれた。悩んでいたのは、そうではない。ソーセージとお腹をはかっていた。「いいえ、ありがとうございます。明日までもちますか。」
♂「少しパサパサします。」と、最後の1片(写真手前右端)を指す。
「豊富」の地名を覚えた。今後の旅先リストに加えよう。 -
お向かいテントも人盛り。
「写真、撮らせてください。」と口をついたら、手を止めてくださった。”あげかま”熱々1枚お買い上げ。お祭りだい。当然、立ち食いでほおばる。私、最近お行儀悪い。 -
屋台通りから1本山手の通りは、普段通り。いいえ、いつものようだけど、ここもお祭りの華やぎが辺りの空気にもいっぱい。灯りも躍っている。
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旭川銀座商店街角っこの八百屋さん、買わずにはいられなかった。新鮮細め、個性豊かなキュウリ。昨年の北海道旅で発見のお気に入り「きりこみ」と混ぜる。
ちょうどサロンに一人ゲストがあちらとこちらでアルコール片手。お味見程度をおすそわけ。例の社長さん、ご自分の折詰赤飯を強く勧めてくれるが、私、お赤飯は苦手。でも、言えない。「食べなくては、いけないものたくさんなので(それはほんと)・・。ありがとうございます。」社長さん、なかなかあきらめてくれない。 -
二日目の朝
お祭りは、今日でお終い。 -
お宿サロンで、時計を見ながら待っていた。
9時。行こう。焼き台に人が立っている。火おこしを始めるところだった。
お話聞きたいから、そろりそろり質問。 -
お返事は、胸の底まで滑り込む。
奥行無限。 -
「手のお写真、撮らせてください。」とお願いしたら、焼く動作のポーズ。
「あのう、手のお写真が欲しいのです。」と再度お願い。
で、このポーズになりました。これが、老師の偉大な手です。 -
今日、わたし、一番のお客様。
山女魚。何年ぶりでしょうか。
テントにも次々宅配便で商品が届く。早速、稚内女性が、「ブルーべリ届いてる?」とお買い上げ。常連さんなのだ。
昨夕の店頭女性は、地元のお手伝いさんと聞いて驚く。とても息があっていて、てっきり・・・。毎年、ここに来ているので、彼女も毎年お祭り店員さんらしい。私、ここに住んでいたら、ゼッタイ立候補する。 -
路上にまだ置かれたままでした。
改めて、幸運をかみしめる。
午後もう一度様子を見に行こう。山女魚と岩魚を1匹ずつ、焼いたのなら明日利尻まで持っていける。鮎は昨夕売り切れていたから、早め行こう。 -
北門様にお参りします。お礼しなければなりません。
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金属製の鳥居にこのお色。私は、関西では見かけたことはない。
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もう昨日の本祭り日に出番を終えています。ここのお渡りはどんなのかなあ。
到着前だったから、見られなかった。 -
本殿前から見える稚内の町。
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♀「子供を抱いています。」と教えてもらっていたが、わかりません。
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肉体の温かみを感じます。
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稚内泊で一番のお目当て、旧瀬戸家の開館時間ちょうどにたどり着きました。
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受付の女性に「説明させていただきましょうか。」と尋ねられたので、「ありがとうございます。まずは一人で見学させていただきます。そのあとお尋ねさせていただいて、よろしいですか。」と断ると、にっこりしてくださった。
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積雪多く、長い期間のはずなのに、植栽に傷みや不自然さはない。大きさもほどよい整ったお庭だ。
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この屏風は、市民からの寄贈。
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このタイルは、もう作られていないものだろう。どこから運ばれたのかしらん。我が家のお風呂場に、ずいぶん探したが、このテイストは、見つけられなかった。うらやましくて注視。
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夫人は、平成9年まで、お一人で住んでおられたと。
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10年間空き家のまま置かれていたらしいが、ご子息一家が、よく管理をされていたに違いない。主の空気がまだ濃厚。
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初代当主が、息子二人に同じものを贈り、それぞれが持っておくように伝えたという。象牙製。市に寄贈。
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市民の手による作品。当主夫妻。
先代は、石川県から利尻への移住。
27歳で利尻から稚内に移り、底曳網漁業を行う。 -
最後まで使われていた洗濯機。手入れが行き届いている。
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お風呂場も同様。見入る。
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左右の部屋に挟まれた小部屋。てっきり子供部屋かしらと思ったら、二人の女中さんの部屋だった。ふすまの模様が可愛くて、こんなのを見つけたいと見つめていた。
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秋田県から当主所有の船で連れてきた棟梁に、全部お任せの建築だったという。
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1970年ごろの稚内が盛況を極めた時代の港風景。瀬戸家は、大船主8家のうち最後まで稚内にとどまっての当家。
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昭和27年建築当時の価格で、「この階段、一段のケヤキ板で1万円でした。」と、案内の女性、説明に一段と熱がこもってきます。
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唯一、洋間仕様。天井の高さも異なる工夫。2階に設え。主人の書斎。
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市にお屋敷が寄贈された際、蔵から花嫁衣裳が出てきたという。気仙沼から輿入れのお嫁さんは、こちらには住まわれなかったらしいが、花嫁道具はここに展示されている。現在、S市にお住まいとかで、市が問い合わせたら、全てそちらでとお返事されたらしい。
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最後の当主夫人の趣味の手芸作品も。
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案内のWさんは、他に来館者もいないせいか、すっかり私に寄り添ってくださる。
♀「ここは、本州のような湿気が少ないので、良い状態です。」
むき出しのままの展示がもったいない。私には正倉院級宝物。黒のお色もいい。
庶民(ではないが)のこのような物は、保存しにくいので、一層貴重と
考えてしまう。お孫さんや曾孫さんのおめでたい折に、(コンサートの衣装にでも)身に着けられると、どんなにかご先祖さまの供養にもなるでしょうに。
花嫁支度をした気仙沼のご両親を想う。
wさんと二人して「素晴らしいですよねえ。」と、座ってうっとり眺めていた。 -
津軽塗。
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これも初めて拝見するデザイン。
日本は、家具を譲り受けていく風土がないような。
「これは、曾祖母の婚礼ダンスです。」なんて、言ってみたい。
母の鏡台だけは、守っていこう。 -
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樺太と稚内の間の距離の短さを手で教えて下さる。
「(姿も含めて)お写真撮らせてください。」とお願いした。
大鵬関一家も樺太からの引き上げ者。お母さんが船酔いで、やむなく稚内で下船。
のちに大相撲の稚内巡業の際、彼は、瀬戸家に滞在したという。祖母は大ファンだった。その理由の一つが面白い。身体に決して絆創膏やら包帯やらを他の力士のようにしないから。彼女の「相撲美」は正しい。 -
天井も凝っています。結び目は藤のつると説明されたかしら。上を指し示し、説明してくださった。一人ではずいぶん貴重な見落としがあったと、感謝する。
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Wさんのお父さんは、新潟県から来られた方だそうです。柿とお米は毎年秋になったら、送ってくるので、「父は、北海道のお米を食べたことがなかったんですよ。」と笑う。私は、雨竜の”ゆめぴりか”を食べられていたら、きっとびっくりして喜ばれていただろうと思った。
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外壁は、モルタル壁。近年でも稚内は三度の大火があり、敢えて木材を使用しなかったらしい。外観からは、内装の豪奢さは、全く想像できない。
途中見学者が入ってこられ、もうお一人の男性の案内が終わるや否や出ていかれたようだ。ずいぶん長く遊ばせていただいた。退去する。 -
昨夕すっかり予約を忘れていた。大丈夫かなあ。
このあたりのはずなのに、港まで行ってもそれらしき建物がない。働いている男性に尋ねた。「あゝ」と言って、ひょいと角を曲がって、「あそこ」と指さす。
私が、今通り過ぎたところだ。 -
ブイヤベース。メインのこの赤魚はなんだろう。サーモンたくさん。ホタテたくさん。パンは温かく、さすがの美味。
カウンターなので、オーナーシェフお一人の奮闘が見える。背後のテーブル席は、おそらくローカル客で、12時前だというのに満席。 -
入口壁面に、パリ修業時代らしい写真が飾られていた。
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私が見過ごして通り過ぎた前。
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お店を背に見える風景。マルセイユでこそ、こういう場所のビストロを探すべきであった。港の観光客でいっぱいのレストランを選んでしまった遠い日。
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帰りは、バスを捕まえよう。バス停の時刻を調べてから、市場の建物に入り、
今夕の予定、温泉の場所を確かめる。 -
同じ階にここ。
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最北の温泉。シェスタ後、戻ってこよう。
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一昨日チェックインの際、まごまごしていたら、年配男性が、この場に慣れた風に「こっち」と、声をかけてくれた。てっきりTHE STAY関係者と思ったら、香具師メンバーをまとめる「社長さん」でした
翌朝、早朝ロビーに降りたら、「あそこ、うまいで。」と言って、にこっとし、いそいそと外へ。窓越しに追っていたら、早朝から開いている食堂に入っていった。
夕食時は、よくサロンで周りの人に声をかけていた。♂「五島にも行った。佐渡にも行ったぁ。四国にも行った。沖縄だけ行ってないなあ・・・時代が変わったぁ~。昔は、ご飯食わしてくれるだけでよかったぁ~」
彼が繰り返した「時代が変わったぁ~」は、私は一人旅を始めた頃を思う。 -
「抜海」
名前を見るだけで、ほろほろ。
「豊富」「勇知」は、来年のターゲット。
ここ稚内でその名前と魅力の一端に出会えた。 -
駅構内の掲示板を眺めていたら、このポスター。
今年は、記念すべき年なのですね。 -
東北物産のテント撤去が総勢で行われています。つかの間の出会いでも深いものがありました。寂しさ込み上げます。
早朝のまだ後始末に取り掛かる前、別の売り場の男性とゆんたくしていて、道路越しに私を認めると手招きしてくれた。うれしかった。きちんとお別れできた。追加で届いた山女魚も完売と聞いて、嬉しかった。後祭の昨夜も店頭の行列を見ていた。 -
次は、別海に向かうそうだ。毎年、ここで出店。
「稚内が一番売れます。」と、さりげなくきっぱり。この町はとりわけ待ってくれている人が多いのですね。
後片付けにもう一時間以上かかっている。総勢13名。そのうち女性は、4名。 -
「南稚内」まで行こう。
稚内駅構内に案内情報いっぱい。
昨夕、副港市場の駐車場脇でお店と看板を見ていた。”最北の串カツ”とあった。 -
宗谷本線 稚内発10:28
南稚内まで一駅、所要時間3分。 -
昨夕、ヤムワッカナイ温泉に浸かっていると窓の向こうに港の家並みが見えた。あそこまで行くと、何があるんだろう。このあたりとは違っているように思えた。
-
降りたのは、私とローカル一人。
戻りの時間を覚えておく。(後に頭のメモが時刻変換していて大失敗)時刻表眺める私に
♂「お待ちしてます。」と声掛けてくれる
若い駅員さん。弟子屈の改札青年を思い出すような優しさ。
こちらは背が高く、新弟子と呼びたくなるような姿勢よく立派な体格。
駅舎を出ると「船員組合」
一般の人も泊まれると看板がかかっていた。 -
青年駅員さんにたずねていた。
「商店街はどのあたりでしょうか。」
♂「うーん、・・。」困らせる質問だったみたい。
♂「そこ、左に行けば、飲み屋街みたいな通りがあり、感じで分かります。」
と応えてくださった。
入口に喫茶店。一瞬考えたが、入らず、まっすぐどんどん歩く。ほぼ夜の開店らしい風情。
この石畳風の最後は、眼鏡屋さんだった。 -
町の皆さん、おうちから出てきた様子で、道路向こうの高校生らしいグループの行列を見守っています。
引率の先生も前後し、最後尾の少年は、道化のような衣装を身に着け、
周りの声かけに応じている。
行列が遠くに行って、散会し始めたお母さん集団のお一人に、「なんの催しですか」と尋ねると、♀「今、文化祭で、稚内高校のパレードです。」「そうですか。創立100年なのですね。」♀「そうです!」とにっこり。
ああ、私、「おめでとうございます」と言うべきであった。修業が足らん。 -
まだ稚内戻りJRまで、時間がある。もう少し先まで行ってみよう。稚内高校が見えるかもしれないと思っていたら、海側の方向に建物の間からスーパーマーケットらしい大きな建物が見えた。幹線道路を越えて、入店すると、広い店内。魚売り場(二度の経験で利尻では、案外食卓水産物が少ないと知った)に行くと、このうれしくなる陳列。自家製一夜干し鰊を迷わず購入。初めて食べるタイプだから、一層期待大。
-
あら、こんなところに、ニュールンベルグで食料品詰めて持ち帰ったお買い物保冷バッグ。一回り小さいが、折り畳みと色は全く同じ。
-
ご機嫌でスーパーを出てきたら、帰る方向が分からない。駐車場で待っている年配女性に「南稚内駅の方向は、どちらでしょうか。」と尋ねたら、♀「駅ですかあ・・・。」おぼつかない風情で、♀「あっちです。」と指をさす。お礼を言って、歩き始めるが、全く見覚えのない道路と建物ばかり。引き返し、今度は、横断歩道をスーパーめがけて渡ってきたミドル男性に尋ねる。目印と方向を的確に教えてくださった。進め。発車時刻にギリギリか。
-
ちょうど、2分前!と駅に着いたら、今出て行った!?先ほどの青年駅員さん、
「すみません。」ですって。とても申し訳なさそうにしてくれる。あなたが謝られることがないんですよ。と返事する。ふらふらしている途中に覚えていた時刻を自動チェンジしていた私の記憶。
う、もうー。わたし、最近多いミス。
「稚内まで歩いてどれくらいでしょうか。」おそらく歩いたことのない彼に聞く無謀。また悩ませている。歩くという私に戸惑い気味で、♂「20分…うーん…30分かなあ・・・」「1時間で行けますね。」♂「1時間は、かからないと思います。」ややきっぱり。 -
港が見えなくなったと思ったら、温泉が目の前に現れた。案外近かった。
最北の高架下。右手に「ら、せーぬ」さんが見えた。
旧瀬戸家に寄っていこう。昨夜ベッドでもう一つの質問を思い出していた。
今日もWさんがおられたら、うれしい。尋ねておこう。 -
Wさんは、私を見るなり、とても喜んでくれた。どうぞどうぞ上がってくださいと進めてくれるが、立ち寄らせてもらったわけを告げる。♀「ちょっとお待ちくださいね。」と事務所に戻って、手にされてきたのは、浮き球とウニの殻でできた手作り風鈴。まだ旅は続く。私は、グラムカッター人。でも、Wさんのうれしそうなお顔を見たら、断り切れなかった。
”祭りの後の静けさ”人が消えた町、普段の稚内に戻っています。 -
稚内の最後は、ここに。
-
町のお人でいっぱい。カウンターも満席。「ら・せーぬ」といい、稚内市民はインドア派のようです。
奥のテーブルの一方が開いていた。野菜ハムサンドとアメリカンを注文。
ここも店主一人キッチン。注文を受けてから、食パンをパンナイフでカットするのが見える。
野菜サンドとメニュー多の゙ホットドッグにも魅かれた。
これは美味しい!
サンドイッチメニューが多いわけです。
乗船まであと3時間。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- pedaruさん 2023/07/20 11:01:52
- 稚内
- mom kさん こんにちは
稚内は北の町ということで子供のころから名前は知っていましたが、どんなところなのかは、当然知りませんでした。
ところが、mom kさんの旅行記で知りました、実は何もない所なんですね(笑)。
開校百年の高等学校や、祭りの屋台はどこにでもあります。でも地元の人と親しく話せる観光客はそうはいません。ケバイ色の幕、立ち昇る炭焼きの魚の煙、あんず飴、ヒバの葉の上に並べられたいかの醤油やきのにおい、どれも懐かしい、そして美しい、
アセチレンの匂い、おっとこれは私の子供のころでした。
豪邸ではないけど、訪ねてみると生活の残り香がなつかしい民家、こんな家も見られて
よかったですね。観光地を避けて歩く旅行記でした。
pedaru
- mom Kさん からの返信 2023/07/20 12:25:46
- Re: 稚内
- pedaruさんも今日は閉じこもりですか。江戸は怪しい空模様ですね。
そうなんです。稚内は、素っ気ないんです。降り立ったのは、三度目ですが、街を歩いたのは、二度目です。
2年前の夏、礼文からのフェリーで降り立ち、1泊した最初は、「最果て感」が納沙布岬に行くまでもなく、町全体から迫ってきました。旅行記を書けませんでした。寂しさ込み上げてきて、おろおろ。その朝まで過ごした礼文島の星観荘での豊かな日々が体にあります。だから、突き落とされ感もありました。食事をした記憶もありません。翌日早々のサロベツ号で灰色の町を去りました。
何も会えなかった旅(町)は、悲しい。それで、却って気になってはいました。利尻旅を決めた時に、「稚内に二泊する」とまず計画。このお祭りは、そんな私のために用意してくれたんだと、駅を降りて、前を見たとき分かったんです。
札幌の屋台グループの社長さんがゲストハウスに泊まっていました。THE STAYのオーナーでしょうか。フロントにおられるとき、何かと声をかけてくださいました。このお宿のおかげで、稚内旅行記が生まれました。オーナー(?)は、「(屋台グループのみなさん)『来年もお願いします。』と言っていかれましたよ。」と、わざわざ私に教えてくれました。つかの間の私と社長さんとの交流に目を止めておられたからだと思います。
来夏は、利尻には渡りません。この稚内を終着地点に、オロロン北上を考えています。喫茶”北門館”も楽しみです。注文が入って、食パンをパンナイフで切る技に見とれました。野菜サンドに決めています。
北海道を順にまわる屋台の売り上げは、「稚内が一番」と店主が即答されました。並みいる大きく有名な観光地をさしおいて。
只者ではありません、稚内。
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