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2022年3月5日(土)12時前、穴太寺を出て、仁王門の前の三差路を西側に進む。道はすぐに北側に曲がり、犬飼川を渡る(下の写真1)。犬飼川は能勢妙見山の北側の亀岡市南西端、西別院町から流れ出し、北流して宇津根橋手前で大堰川(桂川)に注ぐ。もうしばらく上流の犬飼天満宮辺りの桜並木は素晴らしい(行ったことないけど)。<br /><br />小幡橋を渡ったところの左手にあるのが小幡神社。社伝によると、3世紀中頃の第10代崇神(すじん)天皇の10年、天皇の命により派遣された四道将軍の一人で、丹波地域を治めた丹波道主命が天皇の父・開化天皇を祀ったのが起源。丹波道主命に関しては、彦坐王とする説や、彦坐王の御子・美知能宇斯(みちのうし)王とする説がある。<br /><br />開化天皇の第三皇子・彦坐(ひこいます)王と彦坐王の御子・小俣王を配祀した古社で、飛鳥時代の708年(和銅元年)に丹波守の大神(おおみわ)狛麻呂が社殿を造営したと云う。平安時代の927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている。社号の「小幡」は祭神・小俣王に因むものとする説があるが明確ではない。<br /><br />新宗教「大本」の出口王仁三郎は、幼少のころからこの神社を信仰し、1898年(明治31年)、27歳の時に裏の高熊山で修行し、小幡大神の神示を得たと云う。<br /><br />小幡橋北詰の西側の階段が参道で、下に鳥居が見える。参道脇の右手には「延喜式内 小幡神社」と刻まれた社号標、左手には常夜灯が建つ。参道入口は狭く、小さな境内を想像させるがけっこう懐の深い神域。<br /><br />階段を下ると、砂利の参道に鳥居が建っており、参道を進むと拝殿があり、その奥の階段の上に本社社殿。一間社、流造、檜皮葺の本殿の前に参拝用の屋根が付けられたもの。社蔵の棟札によると元々は室町時代の1442年に管領細川政元により本殿造営が行われたそうで、1492年など複数の修造、屋根葺替えが行われているが、現在の本殿は、江戸前期の1683年(天和3年)に再建されたもの。<br /><br />虹梁の上に二つの蟇股をおき、その上にまた虹梁をのせ、その中央に蟇股をおいて棟木を支える二重虹梁大瓶束を用いており、亀岡地方では早い事例であり、京都府の登録文化財となっている。屋根には「一つ巴」の紋が使われている。<br /><br />多くの境内社がある。本殿右手には地主社、左手には遷之宮。また本殿左手に、参道に背を向ける位置に大原社。さらに左手奥に、朱の鳥居が並んでおり、権高稲荷社が祀られている。<br /><br />拝殿の右手には祖霊社・百太夫社、左手には愛宕社。そして、愛宕社の脇には社日。五角形の石の柱に五柱の神々を刻んだもので、出雲などの山陰に多く見られる。刻まれている五柱の神々は、農業祖神・天照大神、五穀祖神・倉稲魂命、五穀守神・大己貴命、五穀護神・少彦名命、土御祖神・埴安媛命。春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋には収獲に感謝する。<br /><br />祖霊社・百太夫社の境内奥の上の段には全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが置かれている小屋がある。応挙の子である応瑞が奉納したもので社宝。絵馬の下の段にあるのは鞍のようだ。<br /><br />その他、手水舎(下の写真2)や上田正昭宮司の歌碑(下の写真3)がある。上田正昭宮司は1927年生まれで小幡神社の第33代宮司を務めた。京都大学教養部教授や埋蔵文化財研究センター長、大阪女子大学学長などを歴任。この石碑は2001年の宮中歌会で詠んだ歌を記念して翌年2002年10月に建立したもの。「山川も草木も人も共生の いのちかがやけ新しき世に」。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9776922522377684&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />続いて円山応挙の寺、金剛寺に向かうが、続く

京都 亀岡 穴太 小幡神社(Obata-jinja Shrine,Anao,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2022/03/05 - 2022/03/05

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旅行記グループ 亀岡穴太

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月5日(土)12時前、穴太寺を出て、仁王門の前の三差路を西側に進む。道はすぐに北側に曲がり、犬飼川を渡る(下の写真1)。犬飼川は能勢妙見山の北側の亀岡市南西端、西別院町から流れ出し、北流して宇津根橋手前で大堰川(桂川)に注ぐ。もうしばらく上流の犬飼天満宮辺りの桜並木は素晴らしい(行ったことないけど)。

小幡橋を渡ったところの左手にあるのが小幡神社。社伝によると、3世紀中頃の第10代崇神(すじん)天皇の10年、天皇の命により派遣された四道将軍の一人で、丹波地域を治めた丹波道主命が天皇の父・開化天皇を祀ったのが起源。丹波道主命に関しては、彦坐王とする説や、彦坐王の御子・美知能宇斯(みちのうし)王とする説がある。

開化天皇の第三皇子・彦坐(ひこいます)王と彦坐王の御子・小俣王を配祀した古社で、飛鳥時代の708年(和銅元年)に丹波守の大神(おおみわ)狛麻呂が社殿を造営したと云う。平安時代の927年に編纂された延喜式神名帳に記載されている。社号の「小幡」は祭神・小俣王に因むものとする説があるが明確ではない。

新宗教「大本」の出口王仁三郎は、幼少のころからこの神社を信仰し、1898年(明治31年)、27歳の時に裏の高熊山で修行し、小幡大神の神示を得たと云う。

小幡橋北詰の西側の階段が参道で、下に鳥居が見える。参道脇の右手には「延喜式内 小幡神社」と刻まれた社号標、左手には常夜灯が建つ。参道入口は狭く、小さな境内を想像させるがけっこう懐の深い神域。

階段を下ると、砂利の参道に鳥居が建っており、参道を進むと拝殿があり、その奥の階段の上に本社社殿。一間社、流造、檜皮葺の本殿の前に参拝用の屋根が付けられたもの。社蔵の棟札によると元々は室町時代の1442年に管領細川政元により本殿造営が行われたそうで、1492年など複数の修造、屋根葺替えが行われているが、現在の本殿は、江戸前期の1683年(天和3年)に再建されたもの。

虹梁の上に二つの蟇股をおき、その上にまた虹梁をのせ、その中央に蟇股をおいて棟木を支える二重虹梁大瓶束を用いており、亀岡地方では早い事例であり、京都府の登録文化財となっている。屋根には「一つ巴」の紋が使われている。

多くの境内社がある。本殿右手には地主社、左手には遷之宮。また本殿左手に、参道に背を向ける位置に大原社。さらに左手奥に、朱の鳥居が並んでおり、権高稲荷社が祀られている。

拝殿の右手には祖霊社・百太夫社、左手には愛宕社。そして、愛宕社の脇には社日。五角形の石の柱に五柱の神々を刻んだもので、出雲などの山陰に多く見られる。刻まれている五柱の神々は、農業祖神・天照大神、五穀祖神・倉稲魂命、五穀守神・大己貴命、五穀護神・少彦名命、土御祖神・埴安媛命。春には五穀の種を供えて豊作を祈願し、秋には収獲に感謝する。

祖霊社・百太夫社の境内奥の上の段には全国に三幅といわれる円山応挙の絵馬の一つが置かれている小屋がある。応挙の子である応瑞が奉納したもので社宝。絵馬の下の段にあるのは鞍のようだ。

その他、手水舎(下の写真2)や上田正昭宮司の歌碑(下の写真3)がある。上田正昭宮司は1927年生まれで小幡神社の第33代宮司を務めた。京都大学教養部教授や埋蔵文化財研究センター長、大阪女子大学学長などを歴任。この石碑は2001年の宮中歌会で詠んだ歌を記念して翌年2002年10月に建立したもの。「山川も草木も人も共生の いのちかがやけ新しき世に」。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9776922522377684&type=1&l=223fe1adec


続いて円山応挙の寺、金剛寺に向かうが、続く

  • 写真1 犬飼川

    写真1 犬飼川

  • 写真2 手水舎

    写真2 手水舎

  • 写真3 上田正昭宮司の歌碑

    写真3 上田正昭宮司の歌碑

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