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2022年3月5日(土)12時過ぎ、亀岡穴太の小幡神社から北の宮垣内の集落に進む。新宗教「大本」の出口王仁三郎が生まれ、育った集落。小幡神社の北側の道を西へ進んで行くと愛宕灯籠があり、「右 金剛寺」の道標があるので、三差路へ右折する(下の写真1)。<br /><br />愛宕灯籠とは京都の愛宕山にある愛宕神社を祀る灯籠で亀岡にはたくさんある。愛宕神社は防火の神様と云うことから防火の祈りを込めて建てられている。かつては常夜灯としての役割も果たしていた(一部現役もあるそうだ)。また、愛宕神社への案内板だったものもあるようだが、これは違うな。方向逆だし。<br /><br />この道標から少し先に進むと「金剛禅寺 一名 応挙寺」と彫られた立派な石柱があり、参道が続いている。これが金剛寺。石柱にあるように金剛禅寺、応挙寺とも呼ばれる。臨済宗天龍寺派の仏教寺院。山号は福寿山でご本尊は釈迦牟尼仏。<br /><br />鎌倉時代の1289年に後嵯峨天皇の第二皇子の高峰顕日(仏国国師)を開山として創建された。現在の伽藍の原型は1738年の4代目住職の玉堂の中興によるもの。<br /><br />江戸中期の1733年(享保18年)に当地の農家の次男として生まれた江戸時代を代表する画家円山応挙は、8歳から15歳までこの寺で小僧生活を送り、画家の道を勧めていた住職玉堂の死を機に京都へ出て絵画の修業を始めた。<br /><br />応挙は、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した画風が特色。諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも云われている。1795年に63歳にて死没。今もこの金剛寺の他、相国寺、三井文庫、八坂神社、東京国立博物館、三の丸尚蔵館などに多くの作品が残る。<br /><br />応挙は画家として名を成した後の1788年、55歳の頃にこの寺に赴き、本堂6室の襖53幅と壁4面に山水図、波濤図、群仙図を描いた。この3作は現存し、国の重要文化財に指定されている(山水図と波濤図は東京国立博物館で保管されている)。2005年には、応挙が玉堂を描いた水墨画の掛軸や書簡が発見されている。<br /><br />参道の奥に山門(楼門・鐘門)が建つ。1771年に建立されたもの。「亀岡の自然100選」に選定されている。門の横には1999年に老朽化に伴って本堂・庫裏を全面改築し、第14世小住承碩の晋山と併せて落慶・晋山法要を営んだ記念碑が置かれている。<br /><br />山門を抜けると正面に本堂で、右手に庫裏。共に1999年に再建されたもの。庫裏の前には「亀岡市の銘木100選」に選定された樹齢200年以上の白梅の木がある。境内の左手には地蔵堂や十三重石塔、土蔵があり、さらに本堂の左手には墓地が広がる。<br /><br />なお、事前に予約をしておけば本堂に案内していただけるとのこと(拝観料不要)。本堂には複製の波濤図があり、玉堂和尚肖像画や應擧の書簡もある。また、金剛寺所有の群仙図は毎年11月3日に一般公開されるそうだ。その他、應擧が襖絵や壁絵を寄進した当時の本堂の模型もあり、絵の位置が分かるそうだ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9776936782376258&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />12時15分過ぎ、金剛寺を出て、茨木街道に戻り北に進むが、途中に大本の所有地で、許可なく立ち入りを禁ずるとの立札が立っている。知らなかったのだが、ここは瑞泉郷と云い、出口王仁三郎の生家跡のようだ。王仁三郎の歌碑や、当時の池や井戸、樹木などがあり、明治時代の若き王仁三郎を偲ぶことが出来るそうだ(下の写真2)。<br /><br /><br />亀岡運動公園から駅に戻るが、続く

京都 亀岡 穴太 金剛寺(Kongo-ji Temple,Anao,Kameoka,Kyoto,Japan)

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2022/03/05 - 2022/03/05

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旅行記グループ 亀岡穴太

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月5日(土)12時過ぎ、亀岡穴太の小幡神社から北の宮垣内の集落に進む。新宗教「大本」の出口王仁三郎が生まれ、育った集落。小幡神社の北側の道を西へ進んで行くと愛宕灯籠があり、「右 金剛寺」の道標があるので、三差路へ右折する(下の写真1)。

愛宕灯籠とは京都の愛宕山にある愛宕神社を祀る灯籠で亀岡にはたくさんある。愛宕神社は防火の神様と云うことから防火の祈りを込めて建てられている。かつては常夜灯としての役割も果たしていた(一部現役もあるそうだ)。また、愛宕神社への案内板だったものもあるようだが、これは違うな。方向逆だし。

この道標から少し先に進むと「金剛禅寺 一名 応挙寺」と彫られた立派な石柱があり、参道が続いている。これが金剛寺。石柱にあるように金剛禅寺、応挙寺とも呼ばれる。臨済宗天龍寺派の仏教寺院。山号は福寿山でご本尊は釈迦牟尼仏。

鎌倉時代の1289年に後嵯峨天皇の第二皇子の高峰顕日(仏国国師)を開山として創建された。現在の伽藍の原型は1738年の4代目住職の玉堂の中興によるもの。

江戸中期の1733年(享保18年)に当地の農家の次男として生まれた江戸時代を代表する画家円山応挙は、8歳から15歳までこの寺で小僧生活を送り、画家の道を勧めていた住職玉堂の死を機に京都へ出て絵画の修業を始めた。

応挙は、近現代の京都画壇にまでその系統が続く「円山派」の祖であり、写生を重視した画風が特色。諸説あるが「足のない幽霊」を描き始めた画家とも云われている。1795年に63歳にて死没。今もこの金剛寺の他、相国寺、三井文庫、八坂神社、東京国立博物館、三の丸尚蔵館などに多くの作品が残る。

応挙は画家として名を成した後の1788年、55歳の頃にこの寺に赴き、本堂6室の襖53幅と壁4面に山水図、波濤図、群仙図を描いた。この3作は現存し、国の重要文化財に指定されている(山水図と波濤図は東京国立博物館で保管されている)。2005年には、応挙が玉堂を描いた水墨画の掛軸や書簡が発見されている。

参道の奥に山門(楼門・鐘門)が建つ。1771年に建立されたもの。「亀岡の自然100選」に選定されている。門の横には1999年に老朽化に伴って本堂・庫裏を全面改築し、第14世小住承碩の晋山と併せて落慶・晋山法要を営んだ記念碑が置かれている。

山門を抜けると正面に本堂で、右手に庫裏。共に1999年に再建されたもの。庫裏の前には「亀岡市の銘木100選」に選定された樹齢200年以上の白梅の木がある。境内の左手には地蔵堂や十三重石塔、土蔵があり、さらに本堂の左手には墓地が広がる。

なお、事前に予約をしておけば本堂に案内していただけるとのこと(拝観料不要)。本堂には複製の波濤図があり、玉堂和尚肖像画や應擧の書簡もある。また、金剛寺所有の群仙図は毎年11月3日に一般公開されるそうだ。その他、應擧が襖絵や壁絵を寄進した当時の本堂の模型もあり、絵の位置が分かるそうだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9776936782376258&type=1&l=223fe1adec

12時15分過ぎ、金剛寺を出て、茨木街道に戻り北に進むが、途中に大本の所有地で、許可なく立ち入りを禁ずるとの立札が立っている。知らなかったのだが、ここは瑞泉郷と云い、出口王仁三郎の生家跡のようだ。王仁三郎の歌碑や、当時の池や井戸、樹木などがあり、明治時代の若き王仁三郎を偲ぶことが出来るそうだ(下の写真2)。


亀岡運動公園から駅に戻るが、続く

  • 写真1 愛宕灯籠と道標

    写真1 愛宕灯籠と道標

  • 写真2 瑞泉郷

    写真2 瑞泉郷

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