2023/06/01 - 2023/06/01
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たびたびさん
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今日のハイライトは、甲子園球場、大阪中之島美術館の佐伯祐三展、司馬遼太郎記念館の三つですが、それぞれがそれぞれに大きなインパクトがあって衝撃的。思い出すだけでもヘトヘトになってしまうみたいなところがあるのですが、とりあえずはその辺りも含め少し整理をすることで旅行記の概要にしたいと思います。
まずは、 阪神甲子園球場。この伝統ある球場は、阪神タイガースのホームグランドでもあり、高校野球の聖地でもあり。全国には多くの球場がありますが、やはり特別な存在であることは誰しも認めるところだと思います。蔦の絡まる外観も最近のドーム球場ではまず見られないものですが、なんでも創業の大正13年にはさっそく蔦が植えられたということですから驚きですね。大阪に住んでいた時何度か足を運びましたが、阪神の勝利した試合で流れる六甲おろしは最高。当時はそこまでプロ野球に興味はなかった私でも、これに遭遇していっぺんににわか阪神ファンになってしまったというのも良き思い出です。今回は甲子園歴史館も拝見。切れ切れの記憶だった阪神タイガースの活躍や高校野球の数々のドラマも思い出して、これは確かに感動の連続。甲子園っていいなあ。野球っていいなあとちょっと感極まった気持ちになりました。野球と日本人。相性がいいのはアメリカ以上かもしれません。
続いては、大阪中之島美術館の誇る佐伯祐三の展覧会。佐伯祐三は、大阪市出身、大正・昭和初期の洋画家。二回の渡仏を通じた生涯の画業を余すところなく伝える内容でしたが、私は感銘というよりむしろちょっとした衝撃を受けました。というのも、明治以降、日本の西洋画はパリの印象派の影響を受けて、それをいかに学ぶかという視点で発展してきたのが基本的な流れ。しかし、たびたび的には、ここでまず、そもそもパリの印象派はどういうものなのかがけっこう大事です。ヨーロッパの美術史の源流をどこに置くかはいろいろあると思いますが、やはり基本はギリシャ、ローマです。紀元前10世紀にも遡る美術ですが、その圧倒的な存在感は今でも我々の憧れとして不動の位置を占めています。ローマ帝国が崩壊すると一転キリスト教美術の時代。迫害も受けた暗黒の時代でしたが、精神的な表現の深化はあって、この時代も美術史的には必ずしも不毛な時代とは言えません。そして、いよいよルネッサンス。あれこれの説明は不要かな。レオナルドダビンチが今でも画家の最高峰であることに疑う余地はありません。その後、バロック、ロココ、新古典派やロマン派。ルネッサンスの経験を糧にしたヨーロッパ絵画の黄金期を経て突如現れたのが印象派。一つ一つの作品はオールドマスターの作品と比べると明らかにマイナー感は否めず、とても拙いもののようにも映ります。しかし、私がまだ若いころですが、ルーブル美術館の膨大な絵画のコレクションやその他の欧州の美術館を拝見すると意外や意外。印象派の芸術性は人間の感性に直接響いてくるものがあってルネッサンスやバロックともしかすると同等だし、甘美だけど世界観に乏しいロココ、頭でっかちでちょっと理念先行的な新古典派やロマン派より優れているくらいにも感じました。アールヌーボーやアールデコへの流れも決定的ですしね。表面的な姿かたちではなく、芸術性の本質って不思議なものですけど、その気づきはヨーロッパに行っていなければなかったのではないかとも思います。ちょっと前置きが長くなりましたが、私は佐伯祐三の作品を拝見していて、その時の自分の思いがひょいと蘇ってきたような気がしたんですね。例えば、私の眼にはバロックの巨匠、レンブラントの絵画の美しさは宝石の煌めきと一緒なんですが、佐伯の作品もそのレンブラントの絵を見ている時のような気持ち。長く封印していた感覚がこんなところで顔を出すとは思ってもいませんでした。敢えてこの感覚に近いものがあるとするなら高橋由一かな。まあ好みは人それぞれだと思いますが、この辺りは皆さんのご意見も頂戴できればと思います。
最後は、司馬遼太郎記念館。司馬遼太郎の自宅敷地に建てられた施設で、敷地内には司馬遼太郎が晩年に使用した時のまま残されている書斎もあって、窓越しですが拝見することもできました。ただ、圧巻は、約2万冊の蔵書が納められている高さ11mの書架。龍馬がゆくを執筆するにあたり、神田の古本屋街では龍馬に関する本がまったくなくなってしまうほど買い漁ったとか。さすがという逸話も紹介されていました。
ところで、戦争に動員された司馬が敗戦を迎えて、「いつから日本人はこんなバカげた事をする様になったのだろう?元々はこれほどバカではなかったのではないか。」と疑問に思ったことがその後の活動の原点であるというビデオ。初めて見たものではありませんが、私は、これは”自分は色眼鏡で物事を見ているかもしれないからね”もっと言えば”良いとこ取りをしているかもしれないからね”という正直な気持ちを吐露したものではないかと思います。つまり、司馬遼太郎はこう言っているとかがいろんなことの絶対的な物差しになっているくらい司馬遼太郎の人気というか信頼度は高いのですが、本当にそういうことでいいのかな。やはり、そこにそれぞれが自分の意見をもって考えることがとても重要なのではないかと思います。例えば、幕末の最大のヒーローは坂本龍馬というのも司馬遼太郎の生んだ神話の一つ。薩長同盟の橋渡しをしたというのはその通りなのですが、幕末の奇跡を生んだ功労者は功山寺の挙兵をした高杉晋作の方が上という見方もあるでしょう。その信じられない行動力は龍馬の比ではありませんからね。また、吉田松陰の先見性や三条実美、大久保利通の倒幕への執念とかも龍馬以上と言えなくはないし、さらに視点を変えれば、新しい時代を熱望する大衆のエネルギー。特定のヒーローではなく、もっと大きな志士の群像や庶民の意識に芽生える時代の潮流を正しく理解することはとても重要です。ヒーローよりも群像や時代の潮流。司馬遼太郎のように鮮やかな切り口ではありませんが歴史はそこまで単純ではないし、そもそも司馬遼太郎を無条件で受け入れることで楽をしてはいけない。それは司馬遼太郎も望んでいないことだと思います。
ちなみに、関連する旅行記もありますので、参考まで。
https://4travel.jp/travelogue/11156687
https://4travel.jp/travelogue/10889765
https://4travel.jp/travelogue/11693047
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神戸の宿を出発して、午前中のメインは甲子園なんですが、その前に。。
神戸文学館は、神戸ゆかりの小説家や詩人など41人の紹介をする施設。早朝なので、とりあえず建物を拝見しようと訪ねました。岩屋駅からはけっこう上り坂が続きます。
さて、建物は、明治34年、関西学院初代チャペルとして建設された赤い煉瓦造り。第二次世界大戦では空襲で大破し、戦後になって修復されたものということですが、神戸文学館 美術館・博物館
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今はそんな過去があったことなんか微塵も感じさせない美しい姿。
国の登録有形文化財としての役割をしっかり果たしているように思います。 -
岩屋駅まで帰って、岩屋駅前の古びた喫茶店、モントルーが目に入って。ここでモーニングをいただくことにします。
モントルー グルメ・レストラン
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店内は、ザ昭和といった雰囲気。
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コーヒーの味とかはやっぱり老舗ですね。ちゃんとおいしくて、けっこう満足しました。
あと、おかみさんがちょっとフレンドリーでした。 -
岩屋駅から、阪神久寿川駅へ移動して。
福應神社は、阪神久寿川駅から歩いて5分。
地元の古社にしては本殿の意匠とか少し勿体があるし、境内には詳しい説明書きも。福應神社 寺・神社・教会
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西宮神社、越木岩神社と並ぶ西宮三福神であり、福應の号は、文禄年間(1592-1596年)、後陽成天皇より「福に応ずる宮」と賜ったものだとか。それなりの歴史があって、誇らしげでした。
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ここから今津のエリアへ。
今津六角堂は、明治15年、二階建ての木造校舎として建てられたものということですが、バルコニーの六角形の形や白とカーキ色のツートンカラーとかとてもおしゃれな意匠ですね。戦災を逃れ、小学校の洋風建築としては日本で2番目に古いというのも、この美しい外観からするとちょっと信じられないくらい。
なお、今津小学校の敷地内にあるので近づくことはできませんが、遠めでも十分見応えはあると思います。今津六角堂 名所・史跡
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そして、今津のシンボル、今津灯台。かつては江戸に向けて近隣の酒が積みだされた今津港に建つ木造の常夜灯です。
文化7年(1810年)、今津の酒造家「大関」醸造元、長部家五代目の長兵衛が建てた灯明台が起源ということ。その後、安政5年(1858年)、六代目文次郎が再建。今でも現役として活躍する最古の木造航路標識ということです。今津灯台 名所・史跡
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今津からだとちょっと遠いですが、甲子園まで歩くことにしまして。
甲子園素盞嗚神社は、阪神甲子園球場に隣接した神社。甲子園素盞嗚神社 寺・神社・教会
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これだけ近いですから、阪神タイガースの選手はじめ高校野球関係の必勝祈願が多いというのは分かる気がしますね。野球のボールやベースをかたどったお守りとかもあって、それもまた神社の新しいウリの一つとなっているようです。
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そして、甲子園球場。
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イチオシ
蔦の絡まるこの眺め。
球場の伝統をそのままに、多くの野球人や野球ファンの思いが詰まった夢や希望の象徴ですね。 -
今日は試合を見に来たわけではないので、甲子園プラスの方へ。甲子園歴史館の受付もここになります。周辺は、フードコートがあったり、グッズのショップがあったりの建物。試合がなくても甲子園歴史館を拝見して、ここでファストフードを食べながらクールダウン。それでも十分いい日になるのがすごいところです。
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甲子園歴史館は、入館料900円。少し高いなあと思ったのですが、結果としてこれは納得の価格ですね。
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内容は阪神タイガースの歴史と高校野球の歴史の二本立て。
まずは、阪神タイガースの歴史です。 -
どちらもまさに感動が山盛り詰まっていて、
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当時の記憶が鮮やかによみがえる。
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今や昔のことになってしまった感もありますが、
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また、野球にそれほど興味がなかった私でさえ
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イチオシ
やっぱりこの熱狂と全く無縁だったわけではない。
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タイガースが優勝した
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バース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発も鮮烈だったし
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その後の
矢野、赤星 -
藤川、鳥谷
必ずしも野球エリートという感じはないのですが、 -
今のレギュラー陣にも
それぞれに華があるのを感じます。
こうした雰囲気は常勝を義務付けられた人気球団の巨人とは異質のもの。そして、それは長い伝統の中で育まれてきたものであって、一朝一夕にできるものではない。そういう球団の歴史は偉大な財産ですからね。物語の存在は野球を超えてファンの心を熱くする。平和都市の市民球団から始まった広島カープも同じタイプです。 -
別の建物に移動して、
今度は高校野球の方。 -
名監督もたくさんいましたね。
池田高校の蔦監督。「さわやかイレブン」で一世を風靡しました。 -
怪物江川に
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PLのKKコンビ。
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ゴジラ松井、ハンカチ王子もそうかな。
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白球を追う選手たちに日本中が熱狂したのはすごいこと。
こうしてもう一度その感動を思い出せるなら、本当に安いものですね。 -
マンガの世界でも野球はお馴染み。
巨人の星に -
ドカベンもみんなの心を熱くした定番です。
それにしても、この内容の濃さは驚愕。甲子園、恐るべしですね。 -
甲子園の次は、大阪中之島美術館なんですが、その前に。一昨日の尼崎が時間切れでアウトになっていたので、その続きを回っておきたいと思います。
尼信会館は、名前の通り尼崎信用金庫の企業博物館というかギャラリーみたいな要素もありますね。 -
ゆったりしたロビーと三階までの各階に展示室があって。
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新進気鋭の画家や写真家の作品展をしていたり、
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常設展示室では、旧尼崎城や尼崎藩の関係。
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尼崎市立歴史博物館ほどではありませんが、
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尼崎藩がそれなりの藩であったことは十分に感じられて、けっこうけっこう。
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藩札に使われた名塩紙の紹介なんかも渋いです。
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また、世界の貨幣の展示では
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キラキラの金貨を含めた見事な展示があって、それなりに充実したラインナップ。コンセプトの統一感としては微妙ですが、尼信会館として今できることを精一杯やっているといった姿勢が感じられて悪くない。変な話、尼崎信用金庫のイメージもよくなったような気がします。
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近くにある世界の貯金箱博物館も尼崎信用金庫が運営する施設。
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世界62ヵ国、25千点を超える貯金箱を収蔵、展示する博物館というのですが、館内に入るといきなり無数の貯金箱が並んでいます。動物やキャラクターの貯金箱が多いようにも思いますが、まあ結局は千差万別。
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福の神貯金箱や福助人形とかはちょっとしたシリーズの感じもありますが、
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一歩間違うと雑多なコレクションにもなりかねない。
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どう見せるのかは微妙に難しい面もありそうです。
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寺町の方に移動して。
これは広徳寺。臨済宗大徳寺派のお寺です。 -
境内に詳しい由緒が書かれていて、開山は大徳寺の第七世、言外宗忠。戦国時代、尼崎に城を築いていた細川高国が敵将、三好康之に捕らえられ当寺で切腹させられたとか。秀吉が中国大返しの際、ここで休憩したとか伏兵を避けて逃げ込んだとか。徳川二代将軍、秀忠に朱印状30石を賜ったとか。なかなか多彩な歴史です。
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甘露寺は、室町時代の延徳2年(1490)、円誉上人源永が開いた浄土宗の寺。厳めしい門を入ると
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すぐに現れる桃山時代の様式を取り入れて改築されたという本堂、浄土堂が見どころです。二重屋根に二重垂木。欄干の巡る縁も確かに寺院建築にはなかなかない優美さです。
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法園寺は、浄土宗鎮西派の寺。
肥後国人一揆の責任から佐々成政が当寺で切腹させられたという、ここは佐々成政終焉の地。 -
境内には墓石の五輪塔があって、説明書もありました。小牧長久手の戦いでは、織田信勝を奉じて反秀吉。それでも肥後守となっての失態ですが、秀吉には恨み骨髄。切腹の際には自らの臓腑を秀吉のいる大阪城の方向に投げつけたということです。
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善通寺は、四条派金蓮寺の末寺で、永禄年間(1558-69)、覚阿上人の開基。そもそも尼崎は一遍上人遊行の地としての関りが深いようです。
三門の前には、醍醐天皇の一宮、尊良親王の忠臣、秦武文の碑。 -
屋根に特徴がある本堂の意匠も独特の雰囲気です。
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大覚寺は、聖徳太子ゆかりの尼崎最古の寺。
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推古天皇13年(605年)聖徳太子が百済の高僧日羅に命じて剣尾山に建てさせた月峰寺の遥拝所を建立したのが始まりと伝わります。
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節分に行われる大覚寺の身振り狂言。コロナ禍でしたが今年も奉納されていたようです。
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長遠寺は、日蓮宗の寺。元は山科にある日蓮宗の大本山、本圀寺の末寺。
外観からして立派な構えですが、元和9年(1623年)建立の本堂と慶長12年(1607年)建立の多宝塔は、いずれも国重要文化財。 -
逆にそれ以外は目立つ建物がなくて殺風景な感じもしなくはないですけどね。
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最後は、専念寺。通称「赤門の寺」。朱色の山門がシンボルです。
始まりは、平清盛の嫡男、重盛が法然に帰依し、法然門下の心寂を招いて治承元年(1177)に創建したという浄土宗の寺。朱塗りの山門も重盛の菩提所であったことからとのこと。重盛は長生きしていたら平家の運命も違ったものになっていたかもというくらいの人物。この由緒は、ちょっと重いものもあると思います。 -
寺町を離れて、あと二つ。
貴布禰神社は、阪神高速の北側。ちょっと変な場所みたいですが、鳥居から境内にかけては十分な広さがあってなかなか立派な構えです。 -
旧尼崎町の惣氏神であり、尼崎のだんじり祭ではここが有名。地元とのつながりがしっかりした神社だと思います。
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そして、尼崎えびす神社は、商売繁昌の神様「尼のえべっさん」。境内が公園として開放されているもの面白いですが、そこに場違いなほどどでかい赤い鳥居が建っているのもインパクトありですね。
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本殿は、その先。
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前面に赤い柱が四本並んで、これも変わった意匠だと思います。
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尼崎駅から福島駅に移動。県境をまたいだわけですが、尼崎と大阪なんてすぐ隣り。楽々ですね~
昼飯は、ラーメン人生JET。タレントの勝俣州和がえらく推していて、以前からちょっと気になっていました。 -
ラーメンは鶏白湯のスープなんですが、私的にはけっこうギトギト。濃厚な味という以上のものではないような。まあ、私はあんまりラーメンが好きな方でもないし、たまにはそれを打ち破ってくれるかなと少し期待していましたが、そうではありませんでした。まあ、普通です。
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では、少し歩いて大阪中之島美術館へ。
玄関前に建つ、ヤノベケンジの「SHIP'S CAT (Muse)」
ヤノベは大阪出身の気鋭の作家。菅谷館長からの依頼を受け、作成中だったこの旅の守り神、旅をしながら福を運ぶ猫「SHIP’S CAT」のシリーズを提案したのだとか。まだ見たことがない新しい世界へいざなってくれるようなわくわくする気持ち。やっと実物に出会いましたが、そんな瑞々しい期待を抱かせるのに十分なシンボルになっていると思います。 -
こちらは、令和4年に開館したまだ新しい美術館。館内もピカピカです。企画が持ち上がった時に、目玉のコレクションとしてモディリアーニの作品を高額で購入するというので物議を醸したことがあるのも記憶に残っていますが、その後は落ち着いたんでしょうか。
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上階の展示室へ。
このエレベーターもすごいことになってますよ~ -
イチオシ
これも、ヤノベの作品「ジャイアント・トらやん」
今にも動き出しそうな迫力です。 -
さてさて、モディリアーニもいいですが、今回は、もう一つの自慢のコレクションである佐伯祐三の企画展ですよ~
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「開館1周年記念特別展 佐伯祐三 ― 自画像としての風景」は、”大阪中之島美術館が誇る、世界一のコレクション”との見出しもありましたが、誇張ではなくまさにそういうことなんでしょうね。膨大な作品群は、空前絶後。佐伯祐三の凄まじい描写力を十分に堪能する内容だったと思います。
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プロローグ ~自画像~
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イチオシ
若い時の自画像だと思いますが、意志の強そうな眼差しが印象的。
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これはちょっとくだけた感じですね。
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第1章 大阪と東京
明治31年(1898年)、大阪市北区中津の浄土真宗の古刹、光徳寺の次男として誕生。大阪府立北野中学校在学中、従妹の影響で美術に興味を覚え、東京美術学校西洋学科予備科へ入学。 -
ここまでは、大正12年(1923年)、美術学校を卒業。11月に妻子を伴ってパリへ出発するまでの作品です。
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~下落合風景と滞船~
大正15年(1926年)、2年間のパリ生活を終え、下落合のアトリエに戻る。1年半ほどの一時帰国の間の作品です。 -
渡航前と比べて
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はっきりとした違いはないようにも思いますが、
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もともと持っているものは同じですからね。
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渡仏を経ても
日本の空気感で描くとこうなるということでしょうか。
ともに、第1章 大阪と東京にまとめてあるのも、そういうことなのかもしれません。 -
~親しい人々の肖像~
妻、米子に -
下宿先の兄弟だったかな?
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~静物画~
パリでの作品も -
アトランダムに並べてあります。
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イチオシ
これは人物画ではなくて、「人形」
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対して、がらりと変わるのがここから。
第2章 パリ
~自己の作風を模索して 1924年~
師事を仰いだフランス人画家、ヴラマンクの影響を受けつつ、自己の作風を模索した時期の作品。 -
クラマールに拠点を置き、パリの郊外を荒々しいタッチで表現した時代ですが、
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苦悩の中にも
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イチオシ
少しづつ、
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自信が現れてきたように感じます。
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~壁のパリ 1925年~
パリ15区の下町のアトリエに移り、対象はパリの街並みへ。 -
ユトリロの影響も受けつつ、
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絵具を塗り重ねて
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イチオシ
キャンヴァス上で混ぜ合わせる独自のマチエール。
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この辺りから佐伯祐三の世界が一気に開花したような感じ。
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荒々しさに力強さだけではない
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なんというか
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凄味のある美しさかな。
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ちょっとした変化なんですが、
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この進化はとても大きい。
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描く作品がどれも魔法をかけたように
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輝きだす。
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イチオシ
そんな境地に達したように感じます。
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第3章 ヴィリエ=シュル=モラン
新しい画題を求めて、田舎町、モランへの写生旅行。 -
イチオシ
対象をシンプルにとらえることで
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余計な要素は削ぎ落され
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画題の存在感が迫ってくる。
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これもいつの間にか実力が付いていたという証。
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対象が変わることで
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新たな表現方法が必要になって
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それにまたチャレンジすることで
新たな自分の世界を開いていく。 -
パリの街並みの佐伯祐三もいいけど、田舎町の佐伯祐三もいいよね。
そんな感じです。 -
エピローグ 人物と扉
パリに戻って風邪をこじらせるとそれ以降は喀血して病に伏すことが多くなる時代。享年30歳。昭和3年(1928年)にパリ郊外の病院で最期を迎えるまでの作品です。
「黄色いレストラン」はほとんど絶筆と言われる作品。堂々としていて、風格さえ感じます。 -
「扉」も似たような印象ですね。
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イチオシ
郵便配達夫の作品は
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たぶん佐伯祐三の代表作として知られるくらい有名で、これも「黄色いレストラン」と前後して描かれた作品。
しかし、この作品は、若い頃よりもより若々しさを感じるような力強さと落ち着いた独特の静謐さがあって。死の影が迫っている画家の絵とは思えませんね。
やはり、佐伯祐三は脂の乗り切ったところ、若くしての最期。無念の死だったかもしれません。 -
大阪中之島美術館からは、最後の司馬遼太郎記念館です。
東大阪の微妙に辺鄙なエリアなんですが、最寄りの八戸ノ里駅からは丁寧に道案内が出ていて、さすがですね。 -
これは敷地内に残された書斎。
22才で復員し、代表作の”龍馬がゆく”は43才。72才の生涯を駆け抜けた巨人。多くのファンは他の追従を許さないものがあって、私もその一人ですね。 -
ただ、冒頭のような気持ちを持ったのは、少し種明かしをすると大佛次郎の「天皇の世紀」を読んでから。大佛次郎の代表作は「鞍馬天狗」だと思いますが、それだけの人ではないんですね。ほか、山岡荘八の「小説 太平洋戦争」「徳川家康」なんかも重要だったし、塩野七生の「ローマ人の物語」も多角的に見る歴史の見方を教えてくれたように思います。
いずれにしても、ここに来るのは長年の課題だったこと。予想していた通りのところもあるし、そうでないところもありましたが、これで気持ちが落ち着いたということはかなりあると思います。 -
八戸ノ里駅からは、せっかくここまで来たので瓢箪山へ。
駅で降りると、駅前商店街のジンジャモール瓢箪山。”ジンジャモール”という名前の通り、瓢箪山稲荷の参道のような位置づけの商店街。 -
ただ、近鉄線の南側だけの商店街なので、長さはちょっとしかありませんけどね。
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近鉄線を挟んで、ジンジャモール瓢箪山の向かい側、北側がサンロード瓢箪山商店街。こちらもちらりと拝見しましたが、サンロード瓢箪山商店街の方がずっと長いので、当然、お店もこちらの方が多い。お肉の老舗とか気になるお店も見かけました。
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改めて、瓢箪山稲荷神社の方へ。
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創建は、天正11年(1583年)。秀吉が大坂城築城に際し、巽の方、三里の地に鎮護神として伏見城から”ふくべ稲荷”を勧請したことが始まりです。
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瓢箪山の瓢箪は、背後の山が実は双円墳で、その形状からの名前。その名前が面白いのと参道のような感じでさきほどのアーケード商店街が続いていて、その賑わいで有名になっているように思います。
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ここで晩飯は、喫茶 サウサリートというジンジャモール瓢箪山の中にある昔ながらの喫茶店。あんまりあか抜けてない外観ですが、まあそんなもん。中はもう少しましかな。
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ただ、お勧めのオムライスをいただきましたが、それなりにきちんとはしていて、地元で長くやってきただけのことはある感じ。女将さんもちょっと素人っぽいですが、なにかと親切です。
ここから今夜の宿の京都へ。奈良を経由して向かいました。
明日からの二日間は京都。今回の京都は原点に戻って、京都にどっぷりつかってみたいと思います。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Antonioさん 2024/05/14 07:59:02
- 司馬遼太郎の神話
- おはようございます。龍馬に関しては、司馬さんの龍馬像は作り上げたものと評価する人は少なからずいますね。GWに函館に行きましたが、土方歳三についてもフィクションの要素は多いかもしれません。
- たびたびさん からの返信 2024/05/15 11:18:01
- RE: 司馬遼太郎の神話
- 神話をフィクションと捉えると司馬遼太郎はちょっと違うかもしれませんね。ただ、膨大な事実を積み上げた後にそれはこういう意味であると言われてしまうとなかなか反論が出来なくなる。事実の解釈は自由であってしかるべきなのに、その事実があまりにも膨大なので司馬の解釈にがんじがらめに縛られてしまうんですね。司馬遼太郎はそんな気はないんでしょうが、そこは我々ががんばらないといけない領域でしょう。
対して、フィクションをフィクションとして広く世に受け入れられているのは、吉川英治。宮本武蔵と佐々木小次郎なんかほとんど吉川英治の創作ですが、それを分かって世の中が受け入れているのがすごいところです。新平家物語の清盛なんかもそうかな。吉川英治も司馬遼太郎にも負けない巨人ですね。
ちなみに、私にとっては旅と文学も意外に面白い関係。本だけではだめだし、旅だけでもダメ。いろんな相乗効果があるように思います。
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