2023/03/19 - 2023/03/26
882位(同エリア4199件中)
広島れもんさん
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- 旅行記38冊
- クチコミ7件
- Q&A回答0件
- 35,483アクセス
- フォロワー15人
6日目はヴァポレットの1回券でまずムラーノ島へ行きサン・マルティーレ教会へ。本島に戻ってマドンナ・デッロールト教会そしてサンタルチア駅からパドヴァへ向かい、午後予約していたスクロヴェーニ礼拝堂に行った後この日いちばんのサンタントニオ聖堂へお参りするというスケジュールです。
朝いちばんにブラーノ島へ行きヴェネチア菓子で有名なお店にも行きたかったのですが、ヴァポレットが値上がりしていて75分有効の1回券でムラーノ島へ行き、そのまま戻るという行程に変更しました。マドンナ・デッロールト教会が10時からなので逆算して出発時間を決めたら、朝の時間に余裕ができて ”Pasticceria Tonolo”へも行けました!
*横長の写真はクリックすれば大きく鮮明に見えます
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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パニーニを買いに行こうとホテルを出たら、なんと霧が出ていました。ヴァポレット、大丈夫でしょうか?
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お店の前はいつもの風景。
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暗くてわかりづらいですが、こんな風に並んでいます。日によって、または時間によっても品ぞろえが変わっていますが、今日は7時前に来たのでほぼ揃っている感じでした!
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帰ってすぐに朝食、今日はモルタデッラと何だろう、アーティチョークが覗いているのでパンチェッタかな?後は昨日のサラダの半分とCOOPで買ったレモンのヨーグルトに FUJI です。
このあと食べたら歩いて10分もかからない ”Tonolo” へ。ちょうどお店がオープンする前で、地元の方や観光客が数人待っていました。 -
ショーケースにはイタリアの朝の定番、クリーム入りのコルネットだけでなくいろいろなペストリーが並んでいますがどれも大きい…。お客さんの中には左手のほうに会ったピスタチオといちごのパンを4つずつ包んでもらっている人もいて、いただいた人は今日1日やる気が出るだろうと思いました(笑)
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このお店はティラミスが美味しいという口コミがあったので、ティラミスとエスプレッソを注文。ティラミス1.8ユーロなんです!カフェと合わせても3ユーロ!甘さ控えめなのにはっきりとした味のティラミス、とても美味しかったです~。
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入口にはシュークリームもたくさん!でも今日はパドヴァでケーキを買う予定だったので、量り売りのクッキーを買いました。帰国していただいたらナッツの入っている何種類かがとても美味しくて、もっと買っておけばよかったと後悔しました(笑)
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あまり早くムラーノ島へ出発すると本島へ帰る時間に75分有効のヴァポレットのチケットが無効になるので、ローマ広場8:20発の3番に乗ることにしてぎりぎりに打刻しようとホテルは8時に出ました。
ヴァポレットの1回券は昨日COOPに行った時に自販機で購入していたので余裕で乗り場に着いたのですが、なんとカードをかざしても入口が開かない!何度やっても反応しなくてヴァポレットも来てしまってどうしようと思っていたら、隣の入り口から入ろうとしていた男性が手招きして一緒に入らせてくれたのでした、ほっ。
以前ブラーノ島へ行く時にこの3番のヴァポレットで Murano Faro へ行きそこから乗り換えたことがあるのですが、今回は Murano Colonna までという船内放送ががあり、たくさんのムラーノガラスの職人さんたちと船を下りました(外洋に出るこのヴァポレットはけっこう怖いです。おまけに霧が出ていたからなおさら。ブラーノ島へ行った時は本島に帰ってから地面が揺れているような感じがしたので気をつけてください)。 -
停留所からまっすぐ進むと、教会前の広場が見えてきました。
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橋を渡った広場から見たサン・ピエトロ・マルティーレ教会、15世紀に大火に見舞われ1511年に再建された教会です。
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時間通り9時に道沿いのドアが開いて、写真の右奥におられるベルリンから来られた男性と入りました。ここは2回目なのですが、前回はブラーノ島、トルチェッロ島とムラーノ島のモザイクのある教会を見て歩いたため、他の教会はよく調べていなくてベッリーニなどの絵を素通りしていたのでした…。
内部にはヴェネチアングラスのシャンデリアがありそれだけでも美しい教会です。 -
右側壁1番目 ティントレット ”キリストの洗礼”
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イチオシ
右側壁2番目 ジョヴァンニ・ベッリーニ ”バルバリーゴ祭壇画”
ヴェネチアのドージェ、アゴスティーナ・バルバリーゴに捧げられた絵です。教会内は暗くはなかったのですが霧の後で、男性がペンライトで照らして細部を見せて下さいました。私など写真を撮ったら絵を少し見るくらいで細部までは見てこなかったので反省…。ガイド本を見ながらほんとうにゆっくり鑑賞しておられました。
Google Earth (美術館 インデックス)イタリア・マルタで検索すると、プロのカメラマンが撮った絵を鑑賞できるのでぜひ参考にしてみてください。 -
調べていなかったけど、これもヴェロネーゼだよと教えてもらった絵 ”聖ヒエロニムス”。
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イチオシ
左側壁 ヴェロネーゼ ”聖アガタの監獄を訪れた聖ペテロ”
シチリアのカターニアの貴族の家に生まれた美しいアガタは、街の知事から申し込まれた結婚を拒否したため怒りをかい、法廷に引き出され信仰を捨てさせるため乳房を切り取られてしまいます。衰弱しきってもなお祈り続ける彼女のところに聖ペトロが現われて励まし、奇跡的に傷が治ったというエピソードを描いています。しかし決して信仰を捨てない彼女はさらなる拷問を加えられ、牢獄の中で息を引き取ったのだそうです…。 -
中央祭壇にも左右に立派な絵がありました。
こんなにたくさんの絵があったなんてそして親切な男性と会えて、この教会に来て本当によかったと思いました。 -
帰りはマドンナ・デッロールト教会近くの Orto まで4.1のヴァポレットで行くため、教会の先に進み橋を渡って Murano Museo へ向かいました。
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ローマ広場で入れなかったチケット、ここではちゃんとピッと鳴りました。9:32発に乗れたのでセーフです。ローマなどのバスチケットは最初だけ打刻しますが、ヴァポレットの場合ドアがなくても入るたびにかざすようになっています。
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ヴァポレットには本島に買い物に行く人たちがいっぱい乗っていました。お孫さん連れのおしゃれなおじさまも。
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”マドンナ・デッロールト教会”はもともと聖クリストフの教会でしたが、教会近くの菜園(Orto)から発見された聖母子像が霊験あらたかであるとたくさんの人が巡礼に訪れたため、この聖母子像を教会内に飾り ”菜園の聖母子教会”と改名しました。ファサードにはバラ窓があり、ロンバルディア風とヴェネト風の混ざった装飾飾りが華やかで、同じレンガ造りのフラーリ教会やパオロ教会より可愛らしい感じでした。翼廊の上部に立っているのは十二使徒、門扉の上は聖クリストファロスです。
教会前にはドアが開くのを待っている人がたくさんいました。 -
この教会はティントレットの教会とも言われるように、内部にはたくさんのティントレットの作品が飾られています。
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後陣を飾る絵たち。中央にはパルマ・イル・ジョーヴァネの ”受胎告知”がありますがその左右の絵、そして右と左の壁の大きな絵もティントレットが描きました。
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中央右は ”聖パオロの殉教”
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左は ”聖ペテロの聖十字架の出現”
この2枚の絵はパイプオルガンの内側の扉に描かれていたものだそうです。 -
左の壁 ”金の子牛の崇拝”
モーセがシナイ山で主と話をしている間に民は主の代わりに金の子牛を礼拝することを選んでしまい、これは十戒の戒めすなわち ”主のほかにどのような人やものも礼拝してはならない” という戒めを破ったことになりモーセの怒りをかってしまったのです。 -
右の壁 ”最後の審判”
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イチオシ
右側廊一番奥 ”聖母マリアの神殿奉献”
”聖母マリアの神殿奉献” とは、後に聖母マリアとなる幼女(3才)がエルサレム神殿に入り、その後14才になるまで神殿内の聖なる場所で育てられたというエピソードで、1547年ティントレットがこの近くに越してきて最初に描いた絵でした。またこの絵は前述のパイプオルガンの外扉を飾るために描かれたもので、扉を閉じた時に1つの作品になるよう2つのキャンバスに分割して制作された作品だったそうです。 -
内陣右側にはティントレットのお墓もありました。ティントレットは長い生涯のほとんどをヴェネツィアで過ごし亡くなりました。
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左側廊4番目 ティントレット ”聖アグネスの奇蹟”
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左側廊2番目 ティツィアーノ ”トビアスと大天使ラファエル”
盲目のトビトは貸した金を返してもらうため息子トビアスを使いに行かせました。トビアスは道を案内してくれる人間を見つけ、犬を連れて旅立ちましたが案内者は神が遣わした大天使ラファエルだったのです。ふたりはティグリス川のほとりで野宿した時魚を捕まえその内臓を持って旅し奇蹟を起こし、父親の目も胆汁で洗い治したというエピソードですが、お金は回収できたのでしょうか? -
左側廊1番目には盗難にあったベッリーニの ”聖母子像”のレプリカが飾ってありました。
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ヴェネチアの中心部ではないけれどムラーノ島の帰りにヴァポレットで下車すれば簡単にアクセスできるし、サンタルチア駅までそう遠くないことがわかったのもよかったです。
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教会のすぐ近くにあるティントレットが住んでいた家。
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ミセリコルディア川沿いにあった果物屋さん。そういえばオレンジを食べていないと思いまん中の1㎏2.6ユーロのオレンジをいくつかお店の人に渡したのですが、1㎏からと言われ仕方なく1㎏買うはめに…。ホテルに帰ると時間がかかるので携帯用のリュックに背負いました(笑)。
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ゲットー地区に着きました。
神聖ローマ帝国時代にドイツから来たユダヤ人がヴェネチアに住むようになり商業で活躍していましたが、1516年にはカンナレージョ地区の四方を運河で囲まれたこの地区に移住を強制し、昼間は他地区で商売を許されても夜はここに閉じ込められ重い特別税を課せられるようになりました。それでもヴェネチアの東方貿易の主役はユダヤ人で、ユダヤ人の乗っていない船はないほど栄えてたそうです。
1943年ドイツがイタリアに侵攻してくるとゲットーで暮らしていたユダヤ人の5分の1がナチスの強制収容所へ送られ、イタリア全体では9000人のユダヤ人が犠牲になったと言われています。
1797年ナポレオンがヴェネチア共和国を滅ぼすとゲットーに住むことを強制されなくなりましたが、それでも他地区へ越さないで住み続けた人はいたそうです。 -
たくさんの人を住まわせるためでしょう、高層のアパートが並んでいました。
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駅へ向かう途中、フォンダメンテ・カンナレージョ沿いにお魚屋さんが2軒出ていて、地元の人が買い物をしていました。真ん中にあるのは甲いか、イカスミパスタにするイカだと思います。
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珍しいものを見つけました。左隅にあるのはヴェネチアの春の名物で ”Moeche” という脱皮したばかりの小さなカニで、ラグーナ(干潟)で採れるそうなんです。これを揚げて食べるそうですが、バーカロでは見たことがないので高級食材なのでしょう。
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グーリエ橋からヴェネチア中心部へ向かう通り。
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反対にこちらはサンタ・ルチア駅に向かう通りです。この辺りはホテルとレストラン、お土産物屋さんがひしめいています。私はこの通りはほとんど通ったことがないので新鮮でした。
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駅に着きました。ボローニャ行きのRVが40分に出るのでそれに乗ることにしました。ホテルに帰っていたらぎりぎりになるんです。
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自販機で切符を買って打刻し、西端のホームに着きました。
パドヴァへ行く目的は、スクロヴェーニ礼拝堂の再訪とサンタントニオ聖堂へのお参りです。4年前は丸1日パドヴァで過ごしたので他のいろいろなところへも行きましたが、もう一度行きたいところはこのふたつだけでした。 -
パドヴァ駅に到着。半日なのでパドヴァカードを購入するのはやめてトラムのチケットを2枚だけタバッキで買いました。4年前は朝だったので歩いてエレミターニ博物館へ行きましたが、午後なのでトラムに乗ろうと思って駅前に出たらバス乗り場しかない!きょろきょろしていたら右手のほうからトラムがやってくるのが見え、急いで停留所へ走りました。
パドヴァは古代ローマ時代からの街ですが1222年には大学が設置され、アルプスを越えてやってきた学生やダンテ、ペトラルカなど一流の教授を受け入れました。また街の主だった建物、ラジョーネ宮やサンタントニオ聖堂、スクロヴェーニ礼拝堂もこの頃建てられたもの。1405年にヴェネチアの支配下に置かれてから文化・芸術の中心地はヴェネチアへ移っていったそうです。 -
13:30の予約で12:20頃エレミターニ市立博物館に着きました。予約時間の45分前には受付するようにとあり間に合ったのですが、できたらもうひとつ早い回に入れないかなと思っていたのですが、あっという間に手続きされてしまいかないませんでした。待ち時間は博物館の2階の絵画館で時間をつぶすことに…。
スクロヴェーニ礼拝堂はコロナ前よりも予約しやすくなっていました。それでも午前中は混むことがあるので、予定が決まったら早めに予約することをお勧めします。パドヴァ市立博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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ジョヴァンニ・ベッリーニ ”若き上院議員の肖像”
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パオロ・ヴェロネーゼ ”聖ジェスティーナの殉教”
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ティントレット ”シモン家の晩餐”
ルカによる福音書の中にある話で、イエスが宣教を始めて間もない頃ユダヤ教のファリサイ派のシモン家に招かれて食事をしていたところ、一人の罪深い女性が訪れます。そして泣きながらその足を涙でぬらし自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗ったのです。客を招く時に普通にするこれらの行為をシモン家の主人はしませんでした。それでもイエスは非難せず、その女性に ”あなたの行為があなたを救った、あなたは赦された”と伝えたそうです。
館内はかなり広くこれと思う絵だけを見て歩きましたが、時間が迫ってきて途中から受付へ戻りました。 -
13:30の予約の場合、5分前に礼拝堂入口へ行っておく必要があり、時間になったら温度調節用の部屋に通され解説のビデオを見るのですが、修復前の絵が出るので前回初めて見た時はかなりショックを受けました。
スクロヴェーニ礼拝堂は古代ローマ時代のアレーナがあった場所に、裕福な銀行家だったエンリコ・スクロヴェーニが高利貸しだった父親の罪の浄化を願って1305年の3月25日聖母マリアの日に献納したもので、シンプルなロマネスク・ゴシック建築の内部はジョットのフレスコ画であふれ、表現しようのない独特の世界が広がっています。
写真左手にあるのがアレーナの遺跡、礼拝堂は右手の後陣側面から入るようになっています。24日の予約を取る時、献納日の25日の予約はできなくなっていました。スクロヴェーニ礼拝堂 寺院・教会
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礼拝堂に入って最初に見えるのがこの景色。本来の入り口の壁に描かれているのは ”最後の審判”。剥落した部分もありますが細かい部分それぞれに描かれている場面がかなり独特で、献納者のエンリコ・スクロヴェーニが礼拝堂を捧げている様子も描かれています。
実は高校生くらいの20人近くのグループと一緒で、中央にいて先生の説明を聞いていたため思うように動けませんでした…。 -
天井も青く彩色され星が散らばっています。窓から入る日差しがあたる部分は白く光って見えにくいですが、明るい夜空に浮かんでいるような絵たち。
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礼拝堂の絵は3段構成になっていて、いちばん上が ”ヨアキム伝”と”マリア伝”、下の2段が ”キリスト伝”です。
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こちらは内陣側の壁。
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内陣のアーチにあるのは ”受胎告知”でこの絵は ”キリスト伝”の最初の絵になります。
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”受胎告知”の右から ”ヨアキム伝”が始まり ”最後の審判”の手前まで。”最後の審判”を挟んで次に始まるのが ”マリア伝”で、内陣側に来て”受胎告知”からが ”キリスト伝”になり下の段の ”マリアのエリザベツ訪問”へ進みます。
ここに初めて来た時は1枚1枚の絵がなんとなくわかる程度だったので帰ってから渡辺晋輔著の ”ジョットとスクロヴェーニ礼拝堂”という本を取り寄せ、今回は予習ばっちりで臨んだつもりでしたが、いちばん上の絵は見えにくくて写真写りもよくないのと時間が15分とあまりに短いのであっという間に終わってしまったのでした…。 -
イチオシ
”ユダの接吻”
ユダは ”私が接吻する相手がキリストだ”とあらかじめ兵士たちに伝えていました。この絵はかなり彩色が施されています。
これからの3枚はとくに好きな絵です。 -
”ゴルゴタの丘への道”
磔刑が決まったキリストは自ら十字架を背負って丘へ向かいます。キリストの表情が何とも言えない、好きな1枚です。色が剥がれていてもいい絵は感動します。 -
”磔刑”
足にすがりつくマグダラのマリアと失神してしまった聖母マリア、そして空には悲しむ天使たち。胸をかきむしっている天使もいます。 -
イチオシ
”われに触れるな”
キリストの死後3日目の朝、マグダラにマリアがお墓を覗くとキリストの亡骸は無くなっていて、振り向くとそこには復活したキリストが立っていました。マリアがすがりつこうとすると ”私に触ってはいけない、私はまだ神のみもとに上っていないのだから”と答えたのです。
キリストは復活したのちにしばしば使徒たちの前に姿を現し、復活の40日後に昇天したそうです。昇天の10日後、使徒たちが集まっていると突然激しい風が吹いてきて使徒たちの上に炎のようなものが降りてとどまると、一同は聖霊に満たされキリストの教えを受取ったのでした(聖霊降誕)。
私はキリスト教の信者ではないのですが、教会の宗教画を見て歩くようになってそのたびにいろいろな教えを学んできました。宗教画は字が読めない人のために描かれてきましたが、その絵から受け取るものは現在でも大きいと思っています。 -
簡素な内陣にはエンリコ・スクロヴェーニの石棺があり、祭壇にはジョヴァンニ・ピサーノの ”聖母と2天使”の像がありました。
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14時にスクロヴェーニ礼拝堂を出て次の目的地がドゥオーモ近くのレストランだったので、サンタルチア通りを歩いて向かいました。Googlemapのルート検索だと13分くらいだったからです。レストランの営業時間がお昼は14:30までとあり、ぎりぎりに着くと事前にメールはしたのですが返事はなく…。
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おしゃれなポルティコがあります。同じように大学のあるボローニャにもポルティコがありますが、増えていく学生の部屋の確保のための増築手段だったそうです。
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シニョーリ広場に着きました。パドヴァの歴史と文化が目覚ましく発展した1318年から1405年にパドヴァの領主だったカッラレージ家がここに住まいを構えていたことから ”シニョーリ”と名付けられたもので、南側には1300年代のロッジア、南西側には共和国の総督官邸だったカピタニオ宮(現在は市庁舎)などに囲まれた美しい広場です(左手に立つ円柱の上にもライオンがいました)。
カピタニオ宮の中央にある時計塔は1437年に再建されたもので、凱旋門の上には ”有翼のライオン像”、その上にはヤコボ・トンディによる美しい天文時計が掛かっています。この時計は12星座のうちの1つが欠けているのですが、何でも工事の支払いが遅れたための仕返しというエピソードが残っています。 -
凱旋門をくぐってカピタニアート広場へ向かいます。かつてはカッラーラ家の王宮があったそうですが、現在はパドヴァ大学の校舎になっています。
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道を間違えてドゥオーモの横に出てしまいました…。
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ドゥオーモは1117年の地震の被害を受け16世紀から18世紀にかけて現在の形になりました。右隣に立つ洗礼堂は13世紀のロマネスク様式のまま残っており、四角い建物に円筒形の屋根がのった珍しい形をしています。
ドゥオーモの横を通り何人かにソンチン通りを聞いてレストランへ急ぎましたが、時間には間に合ったもののもう料理を作る人が休憩に入ったので、サーディン・サオールかサンドイッチしか出せないと言われて仕方なくその先にあるカフェへ。パドヴァのドゥオーモと洗礼堂 寺院・教会
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”Caffè Della Piazzetta”
世界街歩きでこの通りを紹介している時に見かけたカフェで、パラソルの下でお茶するのもいいかなと思っていたのです。 -
ところがこのお店もサンドイッチかサラダしかできないという答え…。でも営業が通しのせいもあるでしょうが、お店の方がとても親切でメニューの説明をしてくれたんです。その中に美味しそうなサラダ発見!フィノッキオってまだ食べたことがない!
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運ばれてきたのはフィノッキオ、モルタデッラ、チーズがベビーリーフなどのサラダ野菜の上にたっぷりのっているもの!思わずびっくりとジェスチャーで伝え、日本のテレビでカフェが写っていたことも伝えました。
フィノッキオはフェンネルで知られているハーブの根元で、イタリアの市場ではよく見かけるのですがどんな味だろうと興味津々でした。結論から言えばクセのないセロリのような味でこのサラダの中では控え選手でした(笑)。それでもモルタデッラもたくさんのっていたし、パンも美味しくて時間をかけて完食!別のテーブルには大学の卒業生を祝うグループがいたり、女の子同士がいたり、カフェで休憩してる男性がいたりで、私もパドヴァの街に住んでる風にリラックスできました。 -
サラダランチは12.5ユーロだったので、食後にカフェもいただきました。
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ドゥオーモ広場まで戻りまずドゥオーモへ入りましたが、お腹がいっぱいで見て回る気分になれない…。ドゥオーモの隣にある洗礼堂のフレスコ画がすごいという口コミをたくさん見たのでそちらへ回ると、受付でチケットを買うように促されました。
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洗礼堂の受付がある建物に向かうと早口の英語で話されて、わかったのは4時からでオーディオガイド付きということだけ。英語で聞いても何もわからないけど8ユーロ払いましたが、まだ30分以上ありました…。食後のこの時間はほんとうに眠い時間でただ待つというのがこんなに辛いとは。帰ってからわかったことですが、この建物には教区博物館が入っていたようなんです。せめてそこに行っていれば苦痛ではなかったのに…。
時間が来ると隣の部屋に移動してまずビデオでの予習がありましたが、ここも立ったままなのできつい。 -
そして洗礼堂へ移動しました。内部はメナブオイによる1300年代のフレスコ画で埋め尽くされています…。
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たくさんの絵で埋め尽くされた壁・天井は好きか嫌いか好みが分かれると思いました。
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クーポラのキリストとたくさんの聖人たちが描かれたフレスコ画はとてもきれいでしたが、シンプルなスクロヴェーニ礼拝堂を見た後だからでしょうか絵が多すぎて入って来ません…。
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やっとのことで洗礼堂を出てサンタントニオ聖堂へ向かいましたが、道は険しかった…。ソンチン通り、この道は砂利が敷いてあるのですが石がとがっていて罰ゲームのよう。そう感じたのは私だけではなく、お年寄りのご婦人も痛そうに渡っておられて思わず笑い合いました。
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世界街歩きで紹介されていたデザインの違う柱廊、いろいろなところから持ってきたものだそうです。この近くにはパドヴァのシナゴークもあったと街歩きでは紹介されていました。
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広いローマ通りに出ましたが思ったより遠くて心がくじけそうに…。前回は中心部からトラムに乗ってサンタントニオ聖堂へ行ったので距離感が分からなかったのと、狭いヴェローナを歩いたためパドヴァも同じくらいと思ってしまったためです。
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途中で川が見えてもう少しだと元気が出てきました(笑)。
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イタリアでいちばんと思うパワースポット、サンタントニオ聖堂です。
ポルトガル生まれのフランシスコ派の僧で1231年にパドヴァの近くで短い生涯を終えた聖アントニオはサンタ・マリア・マーテル・ドミニ教会へ埋葬されましたが、彼の墓所で多くの奇蹟が起きたくさんの巡礼者が訪れるようになったため、翌年の1232年から大きな聖堂の建設が始まりました。聖堂の建設は14世紀中ごろまで続きその後も改修が行われたため、ロマネスク、ゴシック、ビザンチンなど異なる様式が混ざりあった美しい聖堂になっています。
中央にはドナテッロの ”磔刑像”のある主祭壇、左手翼廊には聖アントニオの遺骸を収めた棺のある ”聖アントニオ礼拝堂”、マーテル・ドミニ教会を組み入れた ”マドンナ・モーラ礼拝堂”、晩年聖アントニオに付き添っていた ”ルカ・ベルッディの礼拝堂”があり、最も奥の周歩廊は聖アントニオの聖遺物が収められた豪華な ”宝物礼拝堂”で中央には彼の舌やあごの骨が収められているという聖遺物箱がありました。その中で”聖アントニオ礼拝堂”には奇蹟を起こしてほしいと願う人々が訪れていて、棺に体を寄せて願っている人が何人もいました。
また周歩廊を回った聖アントニオ礼拝堂の向かい側にはアルキティエーロによる ”聖ヤコブ礼拝堂”があり、この聖堂の中ではシンプルなフレスコ画がきれいに残っていました。聖堂内は写真撮影ができないためたくさん勉強して言ったつもりでしたが、ちょうどミサも行われていて中央祭壇が遠くからしか見られなかったのが残念でした。 -
中庭からだけ撮影できますが、様々な建物が調和して建っている様がとても好きです。
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イチオシ
木陰で見えませんが鐘楼は2本立っています。
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双子のドームが仲良く並んでいます。
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イチオシ
聖堂横に見えるのは ”聖アントニオ礼拝堂”、その奥に小さく見えるのが聖堂に組み入れられたサンタ・マリア・マーテル・ドミニ教会の一部です。また広場左手には本来ドナテッロの ”ガッタメラータ騎馬像” があるのですが、改修中でした…。
ヴェネチア共和国に仕え総司令官にまで出世した将軍エラズモ・ダ・ナルニの墓碑記念像で、パドヴァで亡くなったためドナテッロがローマのマルクス・アウレリウス像を参考にして作ったもの。聖アントニオ寺院 (バジリカ デル サント) 寺院・教会
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広場南側に立っているのは左がサン・ジョルジョ礼拝堂で右はサンタントニオ同信組合です。ここは4年前に入ったので今回はパスしましたが、どちらにもきれいなフレスコ画が残っています。
サン ジョルジョ礼拝堂 寺院・教会
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聖堂へ向かう道や広場にはろうそくなどお供えするものから参詣の記念になるものまで扱っている屋台がいくつも出ていました。
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帰りは迷うことなく Santo から Ponte Romani までトラムに乗り、カフェペドロッキの前を通ってラジョーネ宮のあるフルッタ広場へ。
カフェ・ペドロッキは1831年創業のカフェで外装・内装も当時のまま残っていて、有料ですが脇の階段から2階へ上がるとパドヴァにおけるイタリアの独立統一運動期の資料などが展示されている部屋があります。カフェ ペドロッキ カフェ
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フルッタ広場に着きました。この建物はラジョーネ宮といい中世以降市庁舎兼裁判所としてパドヴァの政治・経済の中心になった場所。2階部分は大きな体育館のような広い部屋でもとはジョットのフレスコ画があったそうですが火事で焼失してしまい、現在は15世紀の天文学などを題材にしたフレスコ画が残っています。特に美しいのは2階のバルコニー部分とかまぼこ型の屋根で、昼間はこの広場にテントが並び衣類や食料品のお店が出ています。
4年前に来た時には小さなワゴン車のチーズ屋さんもお店を出していて、常連さんたちがたくさん買い物していました。みなさん好きなチーズがあるようでいろいろなチーズを選んでおられて、私はパルミジャーノやペコリーノ・ロマーノしか買ったことがないのでうらやましかったです。
なお反対側のエルベ広場は果物や野菜の市場になっています。ラジョーネ宮(サローネ) 城・宮殿
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”Gastronomia Marcolin”
ラジョーネ宮の1階部分は様々な食料品店が軒を並べる市場になっていて、買い物をする市民でいつも賑わっています。4年前ちょうどお昼時に訪れた時10人くらいの方が順番待ちの列を作っていて、行きたいレストランもあったのに”行列のあるお店には並ぶ”がモットーの私はお客さんに教えてもらった番号札をとって並んだのでした。
今回は夕方前でお客さんも少なくて、マグロとアボカドのサラダとコロッケ、そして日持ちのする BACCALA CONDITO も買いました(バッカラのオイル煮は4年前に買っている人がいて美味しい?と聞いたもの。もちろん!という答えだったんです)。
私はポルトガルに行った時にバッカラの魅力にはまってしまいましたが、イタリアでも特にヴェネト州でよく食べられていて再会に感謝です(笑)。 -
角度が違うだけです…。
お会計が15.20ユーロだったんですが、キャッシャーの数字を見て20ユーロ札と20セント出そうと思ったのに、あったはずの20セント硬貨が見つからなくてまあいいかと20ユーロ札を出したら、なんと最初に20ユーロ札を渡していたらしく ”はしたはいいよ”風に苦笑しながら5ユーロ札を返してもらったのでした。やさしそううなおじさまでした。 -
4年前に急遽 ”プラ―ト・デッラ・バッレ”でピクニックした時の写真です。野菜のラザニアと海のサラダにバッカラのオイル煮そしてたぶんインゲンなど野菜を炒めたもの。バッカラのオイル煮が美味しかったのはもちろんですが、ズッキーニや人参、茄子などの野菜のラザニアがめちゃくちゃ美味しくて、今回は普通のミートソースのラザニアしかなかったのが残念…。
この量は食べ切れず夜ご飯になったのはもちろんですが、バッカラのオイル煮はジップロックに入れて日本まで持って帰りました! -
最後に寄ったのは ”カフェ・ペドロッキ”。名物のミントのホイップクリームがのった ”カフェ・ペドロッキ” はかき混ぜずにそのままいただきます。何とも言えない味~!
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ここはチョコやクッキーなどのお土産用のお菓子も充実していて、小さな袋入りのクッキーを購入しました。
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後はいつも買うミニョン。どちらも2つずつしか買わなかったのに、ミニョンを入れる箱が大きくて、小さな紙袋には入りきらなかったんです…。
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その結果、10ユーロくらいのお買物に対してこんなに大きな紙袋に入れてくださったのです。ミニョン、4年前は紙袋でそれでも別段よかったのに、ほんとうに親切な店員さんでした。
カフェ・ペドロッキを守るライオンくん、昼間は子供たちに馬乗りされています。 -
ヴェネチアへ帰りますが、明るいうちに帰途につくとちょっと安心します。
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今日の夕食、今日は食べ応えのあるライ麦パンです。サラダもコロッケもバッカラもみんな美味しかった!
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カフェ・ペドロッキの紙袋の中身…
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ボルツアーノで買ったチーズ、クロックムッシュ風にするととても美味しかったです!
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お土産の焼き菓子やチョコたち。荷造りする前に記念写真を撮りました。いちばん美味しかったクッキーは何といってもボルツアーノのパン屋さんで買ったものでした!あと写真には入ってないのですが、COOPで買った ”Cantucci Toscani IGT”、 包装が格調ある感じで選んだのですが、それがかなり美味しくて値段も3ユーロしなかったので、イタリアのCOOPに行かれることがあったらおすすめです!(ちなみにフィレンツェの有名店では300gで7ユーロくらいするはずです)
明日はいよいよ最終日、最後まで気を抜かないようにしないと!
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