2022/12/30 - 2022/12/30
191位(同エリア322件中)
kirinbxxさん
- kirinbxxさんTOP
- 旅行記413冊
- クチコミ111件
- Q&A回答67件
- 270,482アクセス
- フォロワー34人
2022年末のドライブ旅行、主目的はビクトリア州西部にあるサイロアートを見て歩くことでした。
しかし、その途上、少し足を伸ばせば行ける範囲で、面白そうな博物館があったので寄っってみることにしました。
それは第二次世界大戦中、日本軍のダーウィン爆撃の結果としてできた後方支援基地の跡地にできた飛行艇の博物館です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
フィールドビンアートを楽しんだWoomelangから110kmほど、ほぼ東に向かって走って到着したのがこちら、Lage Bogaという小さな町(同名の湖があります)にある博物館です。正式名称は、Lage Boga Flying Boat Museumとなっています。
-
Lage Bogaという小さな町のライオンズクラブのメンバーが、地元のパブでビールを飲みながら考えついたプロジェクトに、地元の農家、地元自治体とスポーツクラブ、歴史的航空機修復協会などが協力して完成したといいます。
-
カタリナとは、PBY カタリナ(Consolidated PBY Catalina )という第二次世界大戦で活躍した米国コンソリデーテッド・エアクラフト社が開発した飛行艇です。第二次世界大戦では米軍だけではなく、英国やオランダ、そしてオーストラリアも使用していました。オーストラリアの北側には数多くの島があり、飛行艇はとても重宝されていました。
-
1942年、それまで連合軍の飛行艇基地として利用されていたオーストラリア北部にあるダーウィンとブルームが日本軍によって攻撃されました。その結果、16隻の飛行艇が失われ、連合軍は日本軍機が到達できない内陸部に基地を作る必要があると考えました。
-
白羽の矢が立ったのがこちらです。この湖は、面積はわずか940ヘクタール(9.4平方km)という小さなものです。しかし、周囲のインフラが整っているのに障害物はほとんどなく、全方向での発着が可能、という条件を満たしていました。当時の飛行隊長の出身地に近く、そういう利点を熟知していたのも選定の理由です。
ダーウィンよりさらに3000kmも離れてますから、日本軍が空襲するなんて不可能ですし。 -
1942年6月、オーストラリア、オランダ領東インド空軍、および米国の飛行艇の整備と修理のための拠点がここに作られました。それは「Home of Catalina」の由来です。
-
当時の写真が展示されています。
-
当時のブリーフィングルームの雰囲気のある小部屋でまずは当時の様子や、部隊の戦績などを記録したビデオを鑑賞。
-
本来は軍用で、哨戒、救援、輸送、爆撃など広い用途で使われたそうですが、旅客機として使っている航空会社もありました。当時の飛行服を着せたマネキンとともに。
-
後ろから見たところです。
-
内部も見る事ができます。COVID-19の流行以前は、予約すれば中の見学も出来たようです。
-
カタリナのエンジンはプラット・アンド・ホイットニー R-1830-72空冷星型レシプロエンジン (1,050Bhp)が2基というものでした。
-
2008年、ビクトリア州は記録的な旱魃の被害を受けました。ウォータースポーツを楽しむ場所となっていたボガ湖も殆ど干上がり、死んだ魚の悪臭に悩まされることになりました。しかし、そのとき、湖底に沈んでいたカタリナをはじめとする飛行艇・水上飛行機の部品や装備が発見されました。そのうちの一部は国内諸機関の協力で修復され、こうして展示されています。
-
ここで修理・整備されたのはカタリナだけではありません。例えばこれは、マーティンPBMマリナーの垂直尾翼です。
-
これはドルニエDo24kという飛行機の機首部分。ドルニエはドイツのメーカーですが、開発を依頼したのはなんとオランダ。アジアのオランダ領で使用するためのものです。初飛行のわずか3年後、オランダはドイツに占領されてしまうのですが・・・日本によるオランダ領インドネシアなどの占領に際し、ダーウィン、そしてこの小さな湖へと難を逃れてきました。
-
こちらは、ヴォート・シコルスキーOSUキングフィッシャーという、比較的小型の水上機に使われていた9気筒エンジンです。
-
当時、ごく一般的に使われていたシボレーのトラックです。
-
さまざまな印刷物の展示もあります。
下の女性が敬礼をしている印刷物は、The Women's Auxiliary Australian Air Force (WAAAF)という組織への加入を呼びかけるポスターです。オーストラリアは人口が少ない事もあり、整備士や信号手などが不足していましたし、国内の民間機の操縦士を国外の前線に送るためにはその穴を埋める女性操縦士も必要でした。一方、元々男女関係なく移民・開拓の労苦を分かち合っていた女性も軍に参加したいと希望する人が多数いたそうです。女性を軍に、ということには反対も多く、14ヶ月の議論ののち、WAAAFが結成されました。 -
そのため、このボガ湖の施設では通信部門は全員が女性でした。
-
この人形は、暗号部門で戦争終結まで働き、後にここのカタリナを保存するために活動していたカタリナクラブの代表者となった女性をモデルにしています。
-
当時使われていたさまざまな機器。なにしろ空襲を受けていないので、こういうものがたくさん残っています。
-
士官の個室。電話とタイプライター、デスクは当時のもの。
-
このマネキンが来ている服も、当時の女性隊員が大事に保存してあったのを、彼女の死後譲り受けたものです。
-
どの軍事系博物館や地方都市の歴史博物館に行っても必ずある、日本の降伏を報じる新聞記事です。まぁ、博物館の性格上、よそに比べると少ないのですが。
-
飛行艇を係留しておくためのコンクリートブロックは、2000年に引き上げられてここに並べられました。
-
庭には、当時配備されていた大砲(こんなとこまで、日本軍が来るわけはないのですが)に、のんびりできるベンチ、そして米豪蘭の国旗があります。
現在は釣りや、ウォータースポーツを楽しむリゾート地になっている湖ですが、こんな奥地にまで基地ができていたとはびっくりでした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
オーストラリアの博物館
-
前の旅行記
City of Adelaide号 世界最古の現存複合クリッパー船
2021/12/19~
アデレード
-
次の旅行記
南オーストラリアの博物館(6)Vickers Vimy Exhibition ~安住の地へ
2025/05/10~
アデレード
-
2021年10月 2泊3日ドライブ旅行(1)アンティークの町の自動車博物館
2021/10/02~
南オーストラリア州
-
南オーストラリアの博物館 (2) セントキルダ・トラム博物館
2021/10/23~
アデレード
-
南オーストラリアの博物館 (1) 国立軍事車両博物館
2021/10/24~
アデレード
-
南オーストラリアの博物館 (3) 航空博物館(ポート・アデレード)
2021/12/05~
アデレード
-
南オーストラリアの博物館(5)国立鉄道博物館
2021/12/05~
アデレード
-
南オーストラリアの博物館(4)アデレード空港のVickers Vimy
2021/12/19~
アデレード
-
City of Adelaide号 世界最古の現存複合クリッパー船
2021/12/19~
アデレード
-
Home of the Catalina ボガ湖飛行艇博物館
2022/12/30~
ビクトリア州
-
南オーストラリアの博物館(6)Vickers Vimy Exhibition ~安住の地へ
2025/05/10~
アデレード
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
オーストラリア の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
オーストラリアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
オーストラリア最安
305円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ オーストラリアの博物館
0
26