2023/03/25 - 2023/03/25
54位(同エリア268件中)
たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん
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《2023.March》あみんちゅぶらり東海歩く旅そのⅢ静岡~西伊豆観光前編~
2日目の朝は目覚ましの音で目が覚めた。疲れが溜まっているのか、いつものように勢いで起きられない。おまけに外は雨、スイッチが入らない。とにかく着替えを済ませて食事に向かう。一階のレストランが食事場所となっているが、夜に見た車の多さの理由を知ることとなる。多くの宿泊客、様々な理由から多くの宿泊客とお食事処でバッティングすることはあるのだが、マスク着用が任意化されてからは初めてとなる。こういう場所だからかも知れないが、マスクを外している者が多い。バイキングの料理を取るトングは手袋をはめてということは徹底されてはいるものの、やはり連れと話をしながら料理を取る者も居るために良い気はしない。神経質になり過ぎだと言われるかも知れないが、感染防止のために約3年間マスク着用していたことを考えれば、政府が言ったからとて〝大丈夫〟と考えられないのは致し方ないことであろう。そんな環境ではいつものようにガッツリ食べたい気持ちはあれど、長居をしたくないことから〝適度〟にお腹が膨れればまあ良いか~という気持ちが勝り、お代わりなして席を立つ。
一旦部屋に戻り荷物を作る。出発前にホテル外観の写真を撮りに行く。外は雨、おまけに結構降っている。そんな中で撮った写真は雨粒が写っているものもあった位だ。まあこの天候だとドライブ中心かな~と思いつつ部屋に戻り、階段や通路はなんとかならんのかと思いつつ荷物を車へと積み込んで出発する。
夜はイルミネーション巡りと決まって入るが、昼間はノープランだ。取り敢えず近くのセブンイレブンに立ち寄ってひと息入れる。最初に土肥金山に行こうと考えていたが、最寄りにもう一ヶ所金山跡があるようなのでそちらを目指すことにした。龕附天正金鉱がその場所だ。観光地化された土肥金山に比べると地味な存在だが、ガイド付きの案内込みだということでポイントは高そうだ。駐車場に車を停めて事務所へと向かい、入山料800円を支払う。そのやり取りの中で〝お金かかりますが~〟的なことを言われてびっくりした。逆に当たり前でしょうと切り返したくなったが、無料の施設と勘違いしてくる者も居るのだろうかとこちらが気になった位であった。ガイドに付いてくれたのはかなりのお年のじいちゃんであった。腰が曲がってはいるが健脚で、足場が悪いのをものともせずに歩いて行く。元々この龕附天正金鉱は、他の金鉱のように〝鉱脈の枯渇〟で閉山した訳ではない。送風や排煙等物理的な理由により〝限界点〟とされた場所で掘削を止めたことが閉鉱の理由だそうだ。安土桃山時代から掘削が始まった金山は手堀で進められ、当時のノミの跡がくっきりと残っている。また残っているノミの跡が全て掘削のためではないということも興味深いところであった。
坑道突き当たりには〝龕(がん)〟と呼ばれる場所で終わっている。龕とは仏像等を収めるずしのようなものを指す言葉だが、こちらの場合は金鉱を掘り進めるにあたり、多くの金銀の鉱脈を見つけるが、その場所が物理的な理由によって限界地点であったことと、それ以上掘り進めるのに祟りを恐れて、坑道一番奥の場所であるこの場所に龕を置いたことに起因する。すぐ隣の土肥金山は昭和時代に削岩機を用いて掘削していたようだが、龕附天正金鉱には昔のままのノミの跡が今日に残る。土肥金山と龕附天正金鉱のどちらが良いかという問いかけあるようだが実にナンセンスだと思う。龕附天正金鉱はそのままの状態を損ねないように手が加えられているに過ぎないものである。対して土肥金山は足元を舗装することにより誰でもが鉱山見学ができるようにしてあり、当時のものをジオラマで再現したり、掘削機の実物を展示したり等という〝博物館〟の如く作られている。見学して受ける印象は違うにしても、龕附天正金鉱に比べると土肥金山の方が幅広い年齢層が理解できる作りとなっているように私には思える。双方の違いを知るには実際に訪れてみて初めてわかることに違いない。そんな思いに駆られた龕附天正金鉱見学であった。
見学を終え一旦車に戻ることにする。偉そうに龕附天正金鉱と土肥金山の違いを述べた私には、改めて土肥金山との違いを体験したく、すぐ近くの土肥金山も訪れることにする。土肥地区のナンバーワンの観光地だけあり、団体を含めて訪れている方の多さにちょっとびっくりする。アソビューで割引価格での事前購入の入場券を10%引きの900円で購入する。セコいかも知れないが、経費的なものは少しでも安くという習慣が身についてしまった。
まず最初の中庭は特に何がある訳でもない。ただ桜の時期の週末に行われる〝ソメイヨシノライトアップ〟の会場になるばしょでもあり、たまたま訪れた3月25日がラッキーなことにその日に当てはまる。行程の進捗によっては立ち寄りたいと思いつつ歩いて行くが、金山坑道入口の上に連なる桜並木は、曇天で色はイマイチだが〝桜並木〟としての迫力は十分に持っていた。そして肝心の坑道内部であるが、掘削の時期によってエリアが分かれており、それぞれのエリアごとに当時の金を掘る様子が人形によってわかるようにされていた。故に大人ならばともかく子供にとってはわかりやすいものとなっており、龕附天正金鉱よりもビジュアル的にわかりやすいものとなっていた。順路も足元が舗装されているために歩き易く、脚力に自信がない方には寧ろお勧めではないかと私自身は感じたのであった。勿論土肥金山そのものは延長100km、深さ180m、面積37haに及ぶ広大なものであり、観光用に整備された行動はその一部にしか過ぎない。それでも時代の流れで掘削方法が変わったことなどは理解できるし、順路を歩くことだけで歴史の流れを体験できる施設であることには違いない。どちらが良いという訳ではなく、手軽さを取るかオリジナルを取るかというところではないかと私には思えた。
ガイド付きではないため自分がどこまで知りたいかによって所要時間は変わると思う。私自身は〝時代の流れ〟を知りたかったのて凡そ30分程度で順路を通り抜けたが、それでも江戸時代に掘削が始まった時期から昭和40(1965)年の閉山に至るまでの掘削境内の変遷を知ることができて満足であった。
坑道から出ると資料館である〝黄金館〟に向かうことになる。ここは世界最大の重さ250kgの〝金塊〟があることで知られている。令和5(2023)年4月25日の小売価格で言うならば1gあたり9,520円なので2,380,000,000円、つまり23億8,000万円となる。ジャンボ宝くじの前後賞合わせての当選金10億よりも高い・・・、庶民の私は瞬時に頭のメモリーがすっ飛んだ。金額も凄いのは確かだが、250kgは私4人分以上・・・そんな重さを素手で動かせる訳もない。虚しいだけの経験になるが実際に触ってみた。指に〝紙やすり〟を貼り付けておけば1g位は取れたのでは・・・なんて妄想を抱きながらその場所を離れるしかなかった。その隣には12.5kgの金塊があり、こちらは持ち上げる体験ができるようになっている。こちらは1億1900万円、米袋ひとつ+αであるが、盗難防止のために開けられている穴からは片手の前腕しか入れることができないようになっている。持ち上げられるかもと淡い期待を抱いたが、無理である。というよりも無理して力を入れて持ち上げようとすると手が攣ってしまう・・・。結局庶民には手の届かないものということで、悪いことは考えず素直にその場を立ち去る私であった。
土肥金山にはその他〝砂金取り体験〟もできるようになっている。別料金が発生するが、子供達には人気のようである。ただ雑な性格の私には向かないのでスルーする。いつか夢の中でも良いから1kgの金塊が手元にある妄想を抱きながら・・・。
最後にやって来たのが本館であり、食事やお土産物の購入等ができる場所となっている。地域振興券2,000円分があるのでお土産を購入した。売場へはリクエストがあった〝温泉まんじゅう〟、自宅へは〝金箔カステラ〟という定石のお土産品を選ぶのは、センスのない私らしい選択であった。
そんな感じで土肥金山を周遊し車へと戻って来た。これからは南下ルートを辿るが、時間を見ながら走らないとまたイルミネーションに間に合わない可能性もあるために、時間を逆算しながら走ることにする。まず訪れた先は最福寺、曹洞宗のお寺だが〝サイフクジ〟と和名が付けられたしだれ桜の名所でもある。入口にはソメイヨシノが満開で期待が膨らむが、開花時期が少し遅いしだれ桜には少し早かったようだ。しかしつぼみはピンクで、開花すると白いピンポン球のような花が咲き、散る頃にはまたピンク色に戻るという〝変化〟は訪れた日でも確認することができ、その珍しさは目では確認することが出来た。残念ながら写真で切り取ると開花した花弁が曇天の空の色と同化してしまい、あまり映えていないことが残念であった。今回の伊豆旅では距離の読み間違いで訪れることが出来なかった場所があるために、再訪したいと考えている。伊豆エリアのイルミネーションは大抵3月末から8月迄行われている施設が多いので、それを調整しながらしだれ桜の開花に合わせて再訪したいと改めて感じた私であった。その他にもムラサキハナナがちょうど時期を迎えて咲いており、目立つ花ではないが境内一面に咲き乱れ、その存在感をアピールしていた。時間の都合で郷土歴史資料館である〝夢の実現堂〟にも立ち寄れなかったので、再訪を楽しみにしながら次の目的地を目指すことにした。
走ること7分で到着したのは恋人岬。恋人岬というものは日本全国に存在するが、この西伊豆の恋人岬もそのひとつである。旧来より〝廻り崎〟という呼称で〝福太郎〟と〝およね〟伝説に纏わる〝恋人達の聖地〟となっており、その民話に基づく〝鐘〟を3回鳴らすと恋が叶うとされていた。その〝およね〟が立った場所とされる〝廻り崎〟の岬が昭和58(1983)年5月に〝恋人岬〟と改称され、その最先端にある3回鳴らす〝鐘〟が昭和59(1984)年10月に〝愛の鐘〟へと姿を変えて現在に至っている。また展望台から少し戻った場所にある姉妹提携記念の鐘 とめがね記念碑だが、この姉妹提携記念の鐘は〝金の鐘〟と呼ばれている。世界的に知られるグアムにある恋人岬と、土肥恋人岬が正式に姉妹提携を結んだことを祝して誕生した鐘であり、幸福をもたらす鐘とされている。ただ鳴らせば良い訳ではなく(1回目)自分の身を清め、(2回目)相手の心を呼び、(3回目)2人の愛を海に誓うの3ステップを踏まなければならない。それに加えて普段の行いが左右するという〝メガネ記念碑〟から富士山が望めること。この全てが叶うと恋も叶うと言われている。
恋人岬駅名標と〝アイラブユー〟のハンドサインと共に写真を撮り、幸福地蔵尊に手を合わせ、ステラハウス横の〝恋愛願掛け絵馬〟を見ながら順路を歩いて行くと、〝手を繋ぐ道〟と称されるボードウォークのアップダウンを越えて先ずは展望台に辿り着く。そして愛の鐘〝ラブコールベル〟を鳴らしてから恋人像アモーレと写真を撮る。今来た道を戻り、途中姉妹提携記念の鐘 とめがね記念碑へと立ち寄り、3ステップを踏んで〝金の鐘〟を鳴らし、普段の行いを確かめるべく〝メガネ記念碑〟から富士山を眺め、ステラハウスで〝恋人宣言〟をする。今後のことをお互い確かめ合うことができるならば、有料の〝恋人宣言〟を宣言して、結婚式の際には祝電を頂くとまあ気の長くなるような過程を踏まなければならない。私のような飽き性で面倒くさがりには、こんなことを遂行できる自信もないしやる気もない。だからいつまで経っても独身のままだがそれも気楽で良いと思っている。そんな輩には〝ネタ作り〟にしかならない場所がここ恋人岬なのかも知れない。訪れたことでなにか変わるかとも思ってはいたが、やはり性分は変わることはなかった。まぁそれはそれで楽しめるならば訪れる価値はあるだろう。そんな思いを抱えながら雨で決して足場が良くない順路を往復して来た私であった。
という訳でネタづくりのために訪れた恋人岬を後にして次の目的地を目指すことにする。途中セブンイレブン西伊豆賀茂店に立ち寄って一息入れ、昨日も訪れた黄金崎に到着した。
ここは夕陽を浴びて岬全体が黄金色に輝く西伊豆の名所のひとつとして知られている。黄金色になる正体は、風化した安山岩が温泉水によって変質し黄褐色に変化した〝プロピライト〟と呼ばれる自然現象によるものだそうだ。昭和63(1988)年には静岡県の天然記念物指定を受けており、伊豆半島を代表するジオサイトとしても有名である。遊歩道や展望台、芝生の広場や休憩施設などが整備されており、富士プロピライト山と駿河湾の眺望も素晴らしいスポットである。また黄金崎海岸(根合海岸)は絶好のダイビングスポットでもあり、西風の吹かない限り一年中潜ることが出来、魚の種類が多くダイバーに人気のスポットにもなっている。海水浴場としての側面もあり、砂と小石が混ざった浜で透明度が高く磯遊びも楽しめる場所として、遊ぶに事欠かない観光地である。
駐車場には展望台があり、天気さえ良ければ富士山を望むことができる。また一年を通して日没の場所や時間が凡そわかる案内板も置かれていた。その他にも三島由紀夫文学碑や航海王伊豆伊三郎像が建立され、休憩施設である〝こがねすと〟では西伊豆町ならではの自慢の逸品〝西伊豆自慢品〟が購入できる他、喫茶コーナーではケーキやソフトクリーム、西伊豆名産のところてんなどの軽食もとることができる等駐車場迄やって来るだけでも楽しめる場所となっている。
また〝馬の頭〟そっくりの形をしている奇岩は〝馬ロック〟と呼ばれており、競馬の必勝祈願で立ち寄った方が大きく当てた等という噂もあり、こがねすとで販売されている〝馬ロック絵馬〟と共に〝競馬の神様〟として崇められているという。競馬をはじめ博打の類は勝てると思えない私には縁遠いもの。おまけにこの天気では夕陽は勿論プロピライトが夕陽に映える景色は期待できない。しかし来たからには一通り目を通したいという想いから、駐車場から一旦下がってから上る富士見の丘への遊歩道をてくてく歩く。どうやら奇岩群に手を加える量を最小限にしたためにこんなアップダウンのある遊歩道になったのだろうとは思うのだが、最近の運動不足の影響からかすぐに息が上がってしまう。それでもなんとか歩き切って富士見の丘へと到着する。天気が悪いので眺望はないが、ここであることに気付くこととなる。西伊豆の眺望を謳い文句にしている観光地に於ける展望台には〝富士見〟という名称が付けられている。日本全国でも〝富士見台〟とか〝富士見〟という地名があることから気にはしていなかったのだが、富士見=富士山が見えるという繋がりに気付いた私であった。
そんな富士見の丘から雲が垂れ込む景色を眺めて下りてくる。帰りは道を変えて歩いてみたところ〝黄金神社〟なる鳥居と祠を見つけた。言い伝えによると、小石を拾ってお社に供えると願いごとが叶うらしい。小さなお願いならば聞いてもらえるかと、旅路の安全を祈念して参拝を済ませ、再び歩き始める。石切り場は築城石とも呼ばれる石を切り出して船で海を渡り、静岡の海岸で陸揚げされた後駿府城の石垣になったというものである。昭和に入ってからは道路工事やトンネル建設等に転用されたことから〝県道石〟と呼ばれたこともあるそうだ。
今でも切り出した巨石が動いているようなdéjà vuを感じながら、駐車場へと戻って来た。三島由紀夫文学碑や伊豆伊三郎像等、地元所縁の記念碑の他に〝こがねすと〟と呼ばれる黄金崎公園休憩施設がある。西伊豆町ならではの自慢の逸品〝西伊豆自慢品〟が購入できるほか、喫茶コーナーではケーキやソフトクリーム、西伊豆名産のところてんなどの軽食もとることができる場所となっているようだ。お土産の類は一応購入しているので、時間の方を優先し先を急ぐことにした。
しばらく進むと黄金崎駐車場が満杯の際に利用する〝根合駐車場〟がある。この時間では黄金崎公園駐車場が利用できるため、休憩に利用している者が多いようだ。この界隈も桜が綺麗に咲いており、斜面や道路沿いに咲く桜はなかなかの咲き具合を誇っている。昨晩訪れた場所もあるのだが、やはり明るい時と比較すると大きな違いを感じた。
《続く》
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線 JRローカル 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- JTB
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旅二日目は雨。
団体向けの温泉宿だろう。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん伊東園ホテル土肥 宿・ホテル
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そんな中を出発する。
伊東園ホテル土肥 09:39 (0.0km・0.0km・102.9km・0.0km/h)団体向けの温泉宿だろう。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん伊東園ホテル土肥 宿・ホテル
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セブンイレブン伊豆市土肥店で飲み物を飲みながら一服する。
セブンイレブン伊豆市土肥店 09:40 (0.9km・0.9km・103.8km・45.0km/h)
09:58 -
当初の予定を変更し、龕附天正金鉱を訪れる。
龕附天正金鉱 09:59 (0.1km・1.0km・103.9km・5.0km/h) -
龕附天正金鉱、ここが受付。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、パンフレット兼入場券。
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龕附天正金鉱、鉱脈の体験掘り施設。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、鉱脈の体験掘り施設。
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龕附天正金鉱、またの名を柿木間歩ともいう。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、柿木間歩入口。
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龕附天正金鉱、足元の鉱脈。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、柿木間歩入口。
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龕附天正金鉱、手彫りの跡が残る坑道。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、〝尺取り〟は長さを計った印である。
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龕附天正金鉱、赤玉石は鉄石英つまり鉄の鉱脈である。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、坑道。前を歩いているのはガイドのじいちゃん。
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龕附天正金鉱、坑道内にてガイドのじいちゃん
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、坑道内のサカサ階段。坑道内で利用した松明の煙等を排出するための空気の対流装置である。
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龕附天正金鉱、槌やノミの騒音をけすための〝防音装置〟の役目を果たした。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、坑道突き当たりの〝龕(がん)〟。これ以上掘り進むと祟りがあると恐れ、龕を彫り山の神として祀ったところである。ちなみに〝龕〟が掘られているところは全国的にここだけである。
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龕附天正金鉱、坑道突き当たりの〝龕(がん)〟。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、方向を変えて坑道を進む。
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龕附天正金鉱、坑道内の金鉱と銀鉱。素人には良くわからない…。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、坑道を出口に向かって進む。
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龕附天正金鉱、石切場。幕末の御台場建設に使われたという。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、昭和40年代に発掘された精錬所の跡。
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龕附天正金鉱、作られたとされる小判のレプリカ。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、金を精錬した際に出たカス。
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龕附天正金鉱、金を精錬した際に出たカス。
伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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龕附天正金鉱、昭和40年代に発掘された精錬所の跡。
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龕附天正金鉱、昭和40年代に発掘された精錬所の跡。
一通り見学したのでそろそろ出発しようか。
龕附天正金鉱 11:22伊豆最古級の手彫り坑道跡が残されている。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん龕附天正金鉱 名所・史跡
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土肥金山に到着する。
土肥金山 11:23 (0.4km・1.4km・104.3km・20.0km/h)土肥金山 名所・史跡
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土肥金山案内図。
土肥金山 名所・史跡
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世界一の金塊は250kg。怪盗たかティムはこれを狙う。
土肥金山 名所・史跡
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土肥金山、入口。
土肥金山 名所・史跡
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アソビューの〝土肥金山クーポン(観光坑道&資料館 共通入館券 )〟を利用。10%引きで900円となる。
土肥金山 名所・史跡
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土肥金山、中庭。この場所が夜のソメイヨシノライトアップ会場となる。
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土肥金山史跡・山神社祠洞に進む。
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土肥金山、由緒書。
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土肥金山、坑内入口に進む。
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土肥金山、金山奉行堂。
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土肥金山、中庭の池。黄金色の鯉とはこれらしい。
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土肥金山、観光坑道マップ。
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それでは坑道に入るとする。
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坑道に入る。
土肥金山の様子
土肥金山の坑道は総延長100km、地底深度180m、面積37haにおよび、採掘が進むにつれ切羽が深くなると、湧出する温泉熱や通気が悪く酸欠で倒れ(気絶)、灯火も消えるため。各所に唐箕(送風機)を置いて空気を送って稼働した。 -
土肥金山の様子
土肥金山の坑道は総延長100km、地底深度180m、面積37haにおよび、採掘が進むにつれ切羽が深くなると、湧出する温泉熱や通気が悪く酸欠で倒れる(気絶)、灯火も消えるため。各所に唐箕(送風機)を置いて空気を送って稼働した。 -
土肥港出入の千石船
土肥金山の産金が増加すると人の交流も多くなり、山内、町屋は繁盛し、資材や食料衣料などの消費物資は、全国各地から千石船で土肥港に運ばれ陸上げされた。また産金は御用船で駿府や江戸に送り出されて港は活況を呈した。 -
土肥金山、坑道入口。
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土肥金山町屋の賑わい
土肥金山には奉行所武家屋敷、鉱夫長屋勝場、床屋などの金山関係の建物をはじめ、商家旅籠などの町屋が形成され、毎日商人職人、行商人等の働く姿で賑わいと活気とで町中が、あふれていました。 -
土肥金山の夜の賑わい
土肥金山には奉行所が置かれ役人、金掘人夫の外金山景気を目当てに諸国から商人、芸人、渡世人僧侶などが集まり町屋が大きく形成され、その賑わいは土肥千軒といわれ繁盛した。 -
昭和時代の削岩機。
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山神社には大山祇尊が祀られている。大山祇尊(オオヤマツミ)のミコトとは〝大いなる山の神〟という意味である。
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山神社
祭神 大山祇尊古来。大山祇尊は金山守護の神であり、金穿たちは坑内の出入には必ず礼拝して、作業の安全と黄金の幸を祈るのがしきたりで、この伝統は現在の鉱夫にも引き継がれています。 -
坑道を進んで行く。
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手繰り水替(みずかえ)
切羽(きりは:坑内の採掘現場)が深くなると地下水が湧出するので、水貫(みずぬき:排水坑道)まで水を汲み上げます。この作業に従事する者を水替人足といい、昼夜を問わず、多数の人足が休むことなく働いていました。 -
湧出する黄金の泉
ここに湧出している泉は、金鉱の岩盤の隙間を透し湧出しているもので、昔から〝黄金の泉〟として親しまれ、手指を浸したり金銭を浸したりすると、金運を掴むと云われております。 -
山留(やまどめ)
留木(とめぎ:坑木)を使って、落盤や落石を防ぐため坑道の普請をする作業を山留といい、これに従事する者を山留大工といいます。山留めには、目的・場所により数多くの種類があり、特殊な技能を要する作業であります。 -
送風
採掘が進み、切羽が深くなると、通風が悪くなり湧出する温泉熱もあって気絶(きだえ:酸欠)で倒れたり、灯火も消えて作業ができなくなります。これを防ぐために、各所に唐箕(とうみ:木製の手回し送風機)を使って空気を切羽に送りました。 -
坑内風景
坑内の通路を廊下といいます。穿子は足半(短い草雑)を履き当尻を腰につけて真っ暗な廊下を片手に杓(植物油を用いた灯)を持ち合砂(ホッパとも云う)や鑽を担い切羽に向かいます。 -
切羽
坑内の採掘現場を切羽といいます。江戸時代には、女性も坑内で働くことも多く、中には夫婦一緒に働き、男は金掘り、女は運搬の仕事をしました。坑内は地熱や温泉熱で大変暑いので、裸に近い姿で働かざるを得ませんでした。 -
坑道は続く。
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坑内風呂
土肥の温泉は金山から湧き出したのが始まりといわれており、当時から坑内で湧出した温泉は、坑内で働く金掘たちにとって作業の疲れを癒しながらもっとも楽しい一時の憩の場所でありました。 -
休憩中の坑夫。
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運搬
鉱石が入った藁むしろの袋を坑外に運び出す。袋ひとつ19kgだったそうだ。 -
金子地蔵尊。
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採掘切羽
ここは400年前、この金山で本格的に採掘が始められた最初の鉱脈です。天井に見られる赤い岩盤の個所が金鉱脈であります。この脈に沿って坑夫達が採掘を進めていました。 -
土肥金山、採掘切羽。
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土肥金山、採掘切羽。
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坑道に残る鑽の跡。
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ということで観光坑道巡り終了。
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土肥金山、黄金館。
土肥金山郷土資料館 美術館・博物館
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ゆるキャラ〝おぎん〟とたかティムさん。
土肥金山郷土資料館 美術館・博物館
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土肥金山のゆるキャラ、おぎん。
土肥金山郷土資料館 美術館・博物館
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世界最大の金塊は250kg。持てるわけがない。
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こちらが12.5kgの金塊。持ち上げられなくはないが、多分腕が攣ると思い傾けただけだった。指に紙やすりを貼っていたら…と後で思ったチキンの私。
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土肥金山の顔出しエリア。
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土肥金山、本館入口。
土肥金山 金の砂 グルメ・レストラン
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土肥金山、本館の顔出し。
土肥金山 金の砂 グルメ・レストラン
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橋を渡って車に戻る。
土肥金山 13:09土肥金山 名所・史跡
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最福寺しだれ桜で有名な最福寺を訪れる。
最福寺 13:19 (6.0km・7.4km・110.3km・35.3km/h) -
国道沿いにはソメイヨシノ。
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最福寺、ソメイヨシノのたかティムさん。
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本因坊家十四世本因坊秀和生誕の地碑。
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最福寺、本堂。
新種しだれ桜には少し早かった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん最福寺 寺・神社・教会
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郷土歴史資料館〝夢の実現堂〟。
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石仏だが詳細は不明。
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江戸時代のキリシタン灯籠。
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最福寺境内のムラサキハナナ。
新種しだれ桜には少し早かった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん最福寺 寺・神社・教会
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最福寺、ムラサキハナナとたかティムさん。
新種しだれ桜には少し早かった。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さん最福寺 寺・神社・教会
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「しだれ桜」縁起
学名:サイフクジ
和名:伊豆最福寺しだれ
平成十三(二〇〇一)年四月、(財)日本花の会にて新品種に認定される。
開花の時期は、毎年三月下旬で、四月八日頃に満開となる。
八重の花が枝垂れるのが特徴で、つぼみの時は薄いピンク色、開花すると白色になり、散る頃には再びピンク色になる。
現在の幹は二代目で、初代は江戸時代からあったと伝えられ、その昔、満開の頃には、対岸の清水方面からも見えたという。
八重のしだれ桜は大変珍しく、この桜は日本では四例目になると言われる。
曹洞宗金峰山最福寺 -
最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺のしだれ桜。
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最福寺しだれ桜。ちょっと花の時期には早かったが見れたことに満足して出発する。
最福寺 13:40 -
恋人岬にやって来た。勿論ネタづくりのために他ならない。
恋人岬 13:47 (2.2km・9.6km・112.5・18.3km/h) -
〝アイ・ラブ・ユー〟のハンドサインの石像と〝恋人岬駅名標〟。
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恋人岬駅名標。
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恋人岬駅名標とたかティムさん。
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アイ・ラブ・ユーのハンドサインの石像。
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アイ・ラブ・ユーのハンドサインの石像とたかティムさん。
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幸福地蔵尊。
京都洛西の鈴虫寺(妙徳山華厳寺)におまつりしてある「幸福地蔵さま」に願いを叶えて頂けると聞いて全国から数多くの人々のお参りが絶えません。
その名高い「幸福地蔵さま」のご分身をこの富士見遊歩道恋人岬におまつりしました。
普通、仏さま、お地蔵さまは裸足ですが、このお地蔵さまの足元にご注目くださいワラジを履いておられます。と由来文に書かれていた。 -
ねこ店長は昨年亡くなったと聞いた。次期店長の〝ちびにゃん〟のことなんだろうか…。
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ねこ店長の水飲み場。
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三浦丈明の恋人岬の歌詞。
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ステラハウス、外観。
多種多様なサービスを行っているお土産物屋さん。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんステラハウス グルメ・レストラン
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恋人岬に続く路は、結構桜が咲いていた。
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恋人岬に続く路は、結構桜が咲いていた。
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若山牧水記念歌碑。
ひとみには露をたゝへつ笑む時の
丹の頬のいろは桃の花にして -
恋人岬ボードウォーク〝手をつなぐ道〟、出発点。
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展望デッキとボードウォーク。
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ボードウォーク。
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展望デッキ迄のボードウォークを歩いている途中海を撮ってみた。
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カップルお二組用の椅子なのだろうか?
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恋人像〝アモーレ〟は、彫刻家重岡健治氏製作の作品である。残念ながら富士山は見えない…。
恋人像アモーレの由来
その昔、村の娘「およね」と漁師の「福太郎」という若い男女おり、土肥の朝市で知り合った2人は、すぐ恋に落ちました。
しかし2人が会うには、険しい山を越えなければならず、毎日会うのは難しい状況でした。
そこで「およね」は毎日近くの神社に通い、神様に「福太郎」と結ばれるよう願いました。
するとある日、およねの前に神様が現れたのです。
神様は「およね」に2つの鐘を渡しました。「およね」は1つは自分で持ち、もう1つは「福太郎」に託します。
それからの朝晩。「福太郎」が船で恋人岬の沖を通るとき、「およね」は福太郎に向い3回鐘を鳴らしました。
「およね」の鐘の音を聞いた後、今度は「福太郎」が自分の持っている鐘を3回鳴らし、お互いの愛を確かめ合ったのです。
結果、村人たちの協力もあって「およね」と「福太郎」は結ばれることになりました。めでたしめでたし。 -
恋人像アモーレとたかティムさん。真菰を連れてくるべきだったか…。
恋人岬ホワイトデースペシャル 祭り・イベント
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晴れた日ならばこの様に富士山が見えるらしい。
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勿論今日は雲に隠れて見えないが…。
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展望デッキから眺めた海。
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愛の鐘〝ラブコールベル〟。
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愛の鐘〝ラブコールベル〟とたかティムさん。
恋人岬 自然・景勝地
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愛の鐘〝ラブコールベル〟。
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愛の鐘〝ラブコールベル〟。
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方位を示していたはず。
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展望デッキにて、たかティムさん。
恋人岬 自然・景勝地
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展望デッキにて、ソメイヨシノ。
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富士見台入口に書かれていた〝鐘〟の鳴らし方指南。
鐘は3回鳴らしましょう
1回目 自分の身を清めます。
2回目 相手の心を呼びます。
3回目 2人の愛を海に誓います。
とするらしい。 -
(左)姉妹提携記念の鐘
(右)めがね記念碑富士見台 自然・景勝地
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姉妹提携記念の鐘とメガネ記念碑とたかティムさん。
富士見台 自然・景勝地
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めがね記念碑。
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富士見台より眺めた海。
富士見台 自然・景勝地
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訪れた日が良かったようで、桜が満開となっていた。
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ステラハウス駐車場脇には、〝恋絵馬願掛け所〟がある。
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ステラハウス館内の西伊豆土肥温泉〝恋人の里〟の顔出し。
多種多様なサービスを行っているお土産物屋さん。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんステラハウス グルメ・レストラン
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ステラハウス館内の〝熱愛宣言〟のバックパネル。
多種多様なサービスを行っているお土産物屋さん。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんステラハウス グルメ・レストラン
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ステラハウスとたかティムさん with 愛の定期券。どうやら私は2025年2月14日迄に結婚しなければならないらしい。
多種多様なサービスを行っているお土産物屋さん。 by たかちゃんティムちゃんはるおちゃん・ついでにおまけのまゆみはん。さんステラハウス グルメ・レストラン
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それでは出発するとしよう。
恋人岬 15:06 -
セブンイレブン西伊豆賀茂店で一息ついて…。
セブンイレブン西伊豆賀茂店 15:10 (3.4km・13.0km・115.9km・48.5km/h)
15:22 -
黄金崎公園に到着。
黄金崎公園 15:26 (1.8km・14.8km・117.7km・25.7km/h) -
黄金崎公園、馬ロックとたかティムさん。
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黄金崎公園、馬ロック。
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黄金崎公園、馬ロックとたかティムさん。
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黄金崎公園、日の入りの場所と時間。
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黄金崎公園、富士山は・・・やはり見えない・・・。
黄金崎 自然・景勝地
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黄金崎公園から眺めた海。
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黄金崎公園、日の入りの場所と時間。
黄金崎公園 公園・植物園
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黄金崎公園、富士見の丘にてたかティムさん。
黄金崎公園 公園・植物園
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黄金崎公園から眺めた海。
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黄金神社へと向かう道の桜。
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黄金神社
黄金神社には古くから言伝えがあります。
小石を社に御供えすると、願いごとが叶うとされています。
試してみて下さい。 -
黄金崎音頭の歌碑。
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石切り場(築城石)の由来
昔、この地は海岸に硬い大きな石がたくさんあり、その石の1つ1つに矢穴と呼ばれる穴を掘り、バメの木で作った矢を穴に入れ石を割り、船に積み、海を渡り静岡の海岸に運び、駿府城の築城石として使われたそうだ。(今でも海底には矢穴石がいくつか見ることができる。)その後、昭和5年頃よりこの地の築城石跡で間知石を採り、県道工事や宇久須隋道、宇久須川堤防などの工事に使われ、県道石と呼ばれたこともあった。向かい側の根合海岸は砂浜できれいな浜であったが、この石切り場の石滓が流出し小石浜が出来たと言われている。 -
馬ロックに戻って来た。
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三島由紀夫文学碑、獣の戯れの一節が刻まれている。
三島由紀夫文学碑 名所・史跡
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航海王伊豆伊三郎像。
鈴木伊三郎(1820~90年)は、1820(文政3)年5月、宇久須村(現西伊豆町)に生まれた。
生家が海運業を営んでいたことから、ペリー来航後、江戸に出て幕府海軍の船手として採用された。
翌年の54(安政元)年11月4日に安政東海地震が起き、下田港に停泊していたプチャーチン提督の乗るロシア軍艦ディアナ号が大破し、この修理のため戸田港に回送中に富士沖で沈没する事件が起きる。
プチャーチンはこの時日露交渉に来ていた矢先であった。
帰国する術を失ったロシア乗組員のため、新たにヘダ号造船が企画されることになる。
鈴木伊三郎はこの時戸田に赴き、ロシア水兵から西洋式の造船技術と航海技術を学ぶのである。
ヘダ号は短期間で建造し、これにプチャーチンは乗船して本国に帰るのだが、この時造船技術を学んだ者たちはその後その技術を生かして大きく羽ばたいていったのである。
碑陰には次のように刻まれている。
「明治維新ソ連兵から洋式帆船の操法を学ぶ。函館戦争当時幕府の軍船旭日丸の船長となり活曜した海の快男児である。維新後千石船を造り郷上の発展に尽した先覚者である。明治二十三年七十歳で没す」…。
伊三郎の船大工から造船技術者としての変貌の様子が分かる。
57(安政3)年7月に江戸小石川造船所で、当時国内最大の帆船である幕府軍艦「旭日丸」が進水するも、旭日丸はこの時重大な設計ミス(復元力の計算違いによるもので、大波を受けると転覆の可能性大という危険)があったがゆえ、操法技術を持つ伊三郎に航海長の白羽の矢が立ったといわれている。
碑陰にあるように、伊三郎は新政府に加わることを拒み、榎本武揚に付いて函館戦争に加わった。
しかし五稜郭の戦いに敗れて降伏し、伊三郎は東京へ護送される。そして、72(明治5)年に釈放され、地元の宇久須へ戻ることになった。
郷里に戻って再び海運業を始め、千石船「いなり丸」で伊豆と東京を往復する日々を送ったのである。
鈴木伊三郎胸像(西伊豆町安良里・黄金崎公園内西端)伊豆の伊三郎像 名所・史跡
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黄金崎公園、富士見台遠望。
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こがねすと(黄金崎公園休憩施設)は西伊豆町ならではの自慢の逸品「西伊豆自慢品」が購入できるほか、喫茶コーナーではケーキやソフトクリーム、西伊豆名産のところてんなどの軽食もとることができる場所である。
黄金崎公園 16:17黄金崎公園 (こがねすと) 公園・植物園
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黄金崎公園の駐車場である根合駐車場に移動した。黄金崎公園の一角だが桜が綺麗に咲いている。
根合駐車場 16:20 (0.8km・15.6km・118.5km・16.0km/h) -
黄金崎公園の一角だが桜が綺麗に咲いている。
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黄金崎公園の一角だが桜が綺麗に咲いている。
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黄金崎公園の一角だが桜が綺麗に咲いている。
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昨晩も訪れた黄金崎に至る道の桜。
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こちらもそう。そろそろ出発するとしようか。
根合駐車場 16:24
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