2023/02/20 - 2023/02/21
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やんぐさん
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天璋院篤姫
2008年に放送された大河ドラマ「篤姫」の主人公です。
当時高校生だった私。
思春期ど真ん中の多感な時期に大いに感動した物語と生き様。
そんな天璋院さまの生まれ故郷を感じたく鹿児島の地へ。現代へと受け継がれる美しい景色とともに体感してきました。
指宿市~鹿児島市~桜島~霧島温泉を巡る旅ですが、
完全に変態旅行記なので、先に謝ります。すみません。
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前回の旅行記では書きませんでしたが、鹿児島空港到着後、真っ先に向かったのは篤姫様の生家である今和泉島津家のある指宿市に行きました。
この物語を語るに初めはここでないと。
そう決めており、助手席に乗り込みました。もちろん車内のBGMは篤姫のテーマで。
ここは篤姫様の実父、島津忠剛や兄をはじめ今和泉島津家代々の当主が眠る地です。
立場としては分家ではありますが島津宗家を支える一門であり、将軍の謁見にも同席できたそうです。
篤姫は、名門の家臣一族である今和泉島津家第五代・忠剛の娘として1835年12月に鹿児島城下で生まれました。
篤姫はのちの江戸幕府第13代将軍、徳川家定公の正室となりますが、将軍の正室としては珍しく外様の一大名家からの輿入れ。
さらに島津宗家の出ではなく分家の出。事実上養子になるので実子となりますが、、
そうなると父母よりも身分が高くなるんですよね、気軽に声をかけることもできなくなります。
もうこの時点で涙ものです。
という自分でも気持ち悪いと思った回想をしながら、
まずはお父様とご親族の皆様へ感謝の挨拶です。
ここは真面目に、粛々とお参りさせていただきました。今和泉島津家墓所 名所・史跡
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右側が篤姫様の実父、島津忠剛、右側がお兄さんの墓所です。
この場所に来れたことと感謝の気持ちを込めてお参りさせていただきました。
ここ一体は初代から代々の墓所ですが、周りの灯籠には安政や文久などの年号が刻印されており、もうこれだけで興奮です。
時代を超えて現存していることに感動を覚えました。今和泉島津家墓所 名所・史跡
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こちらの鳥居、よくみると真ん中に丸印に十の字
島津家の家紋があります。
この家紋は鹿児島中の至るところで見ることができます。
今和泉島津家の跡地は現在学校が建てられており現存はしてません。ガッツリ生徒さんが授業をしてましたので写真はとりませんでしたが、そこから見える山間とか見るだけで胸熱でした。
こんな感じで気持ち悪い楽しみ方をしてます。。今和泉島津家本邸跡 名所・史跡
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大鳥居でかすぎです。
照国神社 寺・神社・教会
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薩摩藩第11代藩主
島津斉彬を祀る神社、照国神社に来ました。
今和泉島津家の一子(のちの篤姫)を養女とし、徳川将軍家に嫁がせた藩主です。
島津藩は各藩に比べて異国との貿易も盛んでいち早く西洋の文化を取り入れた藩でもあるため、外国と対等に渡り合える改革を推し進めた人物でもあります。
また、家柄や身分にとらわれず、下級武士であった西郷隆盛や大久保利通などその後の日本を大きく変える人物を引き立てた人です。
ある意味時代の先駆者、これは徳川家も見て見ぬふりできないですね、、それくらい影響力があったようです。
現代日本の基礎を生み出した人物として評価され、文久3年(1863年)天皇から島津斉彬公に「照国大明神」の神号を授けられ照国神社となりました。 -
境内です。
写真だとわかりにくいですがとにかく広くてデカいです。
鹿児島県最大の神社で大晦日には埋め尽くすほどの人が参拝されるそうです。
そして、個人的興奮ポイントはいたるところに島津家の家紋があること。照国神社 寺・神社・教会
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島津家の家紋はとても有名ですので、どこでも見ることができます。
鹿児島市の市旗も、とてもそっくりな紋章が使われています。
実は諸説ありますが、現在の日本の国旗を定めたきっかけも斉彬公が共通の日本船舶の印として使用した説もあるそうです。 -
門にも家紋が。
家紋探しも結構楽しいと思います。
参拝ではお礼をお伝えしました。近代日本の礎と篤姫様について。
おそらく、篤姫様に対する感謝を強くお伝えした気がします。笑 -
照国神社を少し歩いた鶴丸城跡地に、天璋院篤姫像がありました!
先ほど巡った今和泉島津家出身の姫で、島津斉彬の養女となり、13代将軍 徳川家定の正室となります。
将軍の正妻は公家以上の家柄から迎えられるのが慣例でしたが、出生が武家のかつ分家の出であることは異例です。
実は過去に島津家の娘が将軍の正妻となった例がありました。11代将軍の徳川家斉の正室である広大院は、もともと茂姫という薩摩藩島津家の娘です。
夫が世継ぎのいなかった第10代将軍の徳川家治の養子となって将軍職を継いだため、茂姫は将軍の御台所となり大いに活躍したそうです。
この前例から島津家との縁組が決まったとのことですが、篤姫様が嫁いだ当時は、ペリーの黒船来航から外国からの脅威と、それに伴う国内の混乱があった時です。
尊王攘夷運動等も重なり、幕府の権威が落ちてきた時代とも言えます。
その時代に島津家との縁組を結ぶことは、幕府にとっても島津家にとってもメリットが大きかったと思います。
ざっくりした背景ですが、こんな時にある意味政治の波にのまれた篤姫様の運命に感銘を受けたのが始まりで、幕末の歴史が好きになった高校時代でした。天璋院篤姫像 名所・史跡
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これが見たかった!
鹿児島の街を強いまなざしで見る姿にドキドキが止まりません。
江戸についてから嫁ぐまでには、外交問題や大地震により縁談があってから5年たって正室として迎えられましたが、2年もたたないうちに夫は逝去。24歳で天璋院として落飾します。
その後、将軍職を継いだ徳川家茂は幕府の公武合体政策の一環で天皇の皇女である
和宮を正室として迎えます。
これも波乱万丈の始まりで、天皇家と武家では家柄の差があるため、姑である天璋院は和宮との関係で悩んだことが史実として残っています。
時代は進み、討幕運動が盛んになり、幕府と討幕派が戦争するようになります。
この倒幕派の中心は薩摩藩や長州藩、そして朝廷も支援にあたり、幕府は朝敵(天皇の敵)とみなされ徳川家は追い込まれます。
篤姫様や和宮様からすれば、自分の実家が嫁ぎ先に攻めてくることになります。
実家からは地元に戻るように言われますが、2人は断り徳川家の存続と平和的解決のため奔走します。。
すみません、、熱く語りすぎましたが、激動すぎるこの時代に、嫁ぎ先の運命を背負った篤姫様たちを思うと、感銘を受けました。
僕なら実家に帰っているよな、、と。
「女の道は一本道。定めに背き引き返すは恥にございます。」大河ドラマ篤姫で、篤姫が乳母より教わる言葉です。
その道に入ったらその道を進み続けなさい、強い意志を持って前に歩む大切さを教えられる言葉です。
もちろんフィクションだと思いますが、この言葉は今でも忘れずに残っています。
そんなことを思っていました。笑天璋院篤姫像 名所・史跡
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桜島に行く前に、西郷隆盛の銅像を見てきました。
高さ約8m、鹿児島出身の彫刻家である安藤照が製作し,昭和12年に銅像として完成しました。
実は西郷隆盛は、篤姫の輿入れに至るまでの準備や雑務を斉彬公の命で行っていたそうで、お互いに面識がありました。
のちに西郷は討幕派の大将として中心的人物になりますが、
最後に討幕派が江戸城に攻め込む間際に、篤姫(天璋院)から受け取った手紙を見て、思いとどままり、江戸城無血開城へ繋がりました。
とにかく大きくて立派。
比較的近代の人ですので顔はほぼ同じだと思います。これくらい迫力があったんでしょうね。
最後は悲しい最後でしたが、貫き通したところは篤姫ととても似ていますね。西郷隆盛銅像 名所・史跡
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見事なまでの逆光で誰だかわかりませんが、大河ドラマファンでしたら胸熱間違いなし。
小松帯刀の像です。
大久保利通や西郷隆盛などの影に隠れがちでしたが、明治維新の立役者の一人であります。
ドラマでは斉彬から賜った互いのお守りを篤姫と帯刀が持ち、男女の友情が描かれていましたね。
「日本一の男の妻になりたい」という篤姫の言葉どおり、将軍の妻という形になり呆然とした帯刀の顔(瑛太さん)はとても印象的でしたねw
最終的には日本の礎を築いたという功績を残すので日本一の男になったのだと思います。小松帯刀像 名所・史跡
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そしていよいよ桜島へ。
桜島フェリーに向かう道路から桜島の全景です。 -
船に車のまま乗り込み乗船です。
対岸の桜島に上陸するので約10分くらいで着きます。
出発までは時間があるので船内を散策しました。桜島フェリー(鹿児島市船舶局) 乗り物
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船内でうどんを食べてる人がいたので探したところ、
フェリー内にありました。
やぶ金 桜島フェリー店です。
わずか10分足らずの船旅ですし、この船でしか食べられないと思うと自然に足が向かってました。やぶ金 桜島フェリー店 グルメ・レストラン
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メニューはかなりシンプル、かけ、天ぷら、たまご
くらいで、うどんかそばが選べます。
自分は天ぷらそばにしてみました。
九州特有の甘みのあるつゆで、出汁もしっかり。
とても美味しくいただきました。
プラスチックのどんぶりもかわいいです!やぶ金 桜島フェリー店 グルメ・レストラン
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少しづつ近づく桜島。
うっすらぼんやり感も味がでてます。これから出発です。桜島フェリー(鹿児島市船舶局) 乗り物
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船が出発し鹿児島市の街を後にします。
風が冷たくて船が出たらほぼ皆さん室内に行きました。桜島フェリー(鹿児島市船舶局) 乗り物
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私はやり遂げなければならないミッション、桜島を眺める篤姫ごっこをやらないといけないため、耐えました。
江戸に輿入れする際の移動手段として船を利用したそうで、そこでみた桜島は生涯で最後に見た桜島となります。
徳川家に嫁いでから、薩摩の地を再び踏み入れることはありませんでした。
このシーンは「さらば桜島」として名シーンともいえます。
この広大な桜島の雰囲気や景色を見ていたと思うと、感無量な気持ちで眺めていました。
目に焼き付けていたら船は港に到着しました。桜島 自然・景勝地
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桜島に上陸です。
てっきり火山だけだと思いましたが、普通に人々が暮らす集落や学校があり、街の中にあることを知りました。
ここからの景色も雄大で、ここからの距離でも火山活動の音が聞こえてくるほどです。
鹿児島の天気予報を見てると、火山灰の降灰予報も出ており、火山とともに暮らしがあることを体感しました。
展望スポットがいくつもあり、ここは真下から全貌を望める有村溶岩展望所に行きました。
溶岩が流れ込んでできたエリアなので、ゴツゴツの溶岩も併せて見ることができました。桜島 自然・景勝地
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桜島の火山活動は活発で頻回に噴火を繰り返しています。
噴煙に合わせて噴石が落ちることも多く、道先々で避難壕があります。
かなり大きな噴石があるようで道端や道路に落ちていました。
洞窟型やシェルターのようになってるところなどありました。 -
少し車を走らせて、黒神埋没鳥居にきました。
大正3年の大噴火での火山灰や軽石がこの地域一帯をうめつくしたそうで、3メートルあった鳥居が埋まったそうです。噴火の脅威を後世に伝えようと掘り起こすのをやめたため、そのままの形で残されています。
膝下くらいの高さになっているので、自然の強さを感じることができます。
学校のど真ん中にありますが、近くに駐車場もあるので行きやすいと思います。
鳥居の状態を維持するために、ここの中学生がボランティアで掃除、管理してるそうで、とても綺麗に保存されていました!黒神埋没鳥居 名所・史跡
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駐車場に戻ると黒煙が。
火災かなと思うくらい吹いていたので少し心配でしたが噴火してるみたいでした。徐々に大きくなってる感じで少し慌てて出ました。桜島 自然・景勝地
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少し離れたところで撮った写真です。
力こぶのような噴煙ですね。
近くでみると結構焦りましたが、離れてみると結構な量がでてるんですね。桜島 自然・景勝地
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少し遅めのお昼は鹿児島ラーメンをいただきました!
鹿児島でラーメンと言えば豚骨ベースのスープですが結構あっさりしているのでとても食べやすいです。
チャーシューは黒豚です。ラーメン一本槍 グルメ・レストラン
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桜島を横見に横断しながら車を走らせ、霧島エリアにきたので、国宝の霧島神宮に行きました。
歴史が深く、国宝である神殿ほか、国の重要文化財に指定されたものも多数現存しています。霧島神宮 寺・神社・教会
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とても立派な拝殿です。
階段がきつくてあまり写真を撮ることが出来なかったのですが、細かい彫刻の作りがきらびやかでした。
裏手には山神社もあり、幻想的な雰囲気です。
パワースポットとして、双方に参拝される方が多いそうです。 -
霧島温泉郷で宿泊したのは
霧島みやまホテル。客室は全部で12室の小さなお宿ですが、特徴は5つある貸切湯が24時間入りたい放題なところ。
鍵を持って開けるので、完全個室で1人でも家族でも入れるのでとてもおすすめです。霧島温泉郷 霧島みやまホテル 宿・ホテル
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広い露天風呂もあって独り占めできるのはすごいですよね。
夜は星空が綺麗で眺めながら入れます!
硫黄泉で湯の花がたっぷり、白濁の湯です。
ただ洗い場も脱衣所も外なので結構寒かったです。霧島温泉郷 霧島みやまホテル 宿・ホテル
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源泉掛け流しなので、常時お湯があふれています。
本当に贅沢な体験ができました!
鹿児島で篤姫様のゆかりを訪ねる旅。
頭の中で一人大河ドラマ上映されて、聖地巡礼のような気持ちで回れました。
九州醤油も買えたので、大満足の2泊3日でした!霧島温泉郷 霧島みやまホテル 宿・ホテル
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