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友達夫婦との南九州の旅から早半年。<br />今度は四国にある9つの名城をめぐる旅に参加しました。<br />国内でも海外でもお城巡りは大好きです!<br />しかも今回は、いくつかのお城では現地の専門ガイドさんが<br />ご案内して下さるとのこと。<br />嬉しいですね~。<br /> 旅の3日目。<br />四万十川の佐田の沈下橋を見学して、今回の旅では<br />5つ目となる日本100名城の一つで現存する十二天守の一つでもある<br />宇和島城を目指します。<br /> ここでも専門ガイドさんが案内してくださるとのこと、<br />楽しみに向かいます。<br />

友達夫婦と行く四国9名城をめぐる旅(5:宇和島城)

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2022/11/19 - 2022/11/19

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Ybaba姫

Ybaba姫さん

友達夫婦との南九州の旅から早半年。
今度は四国にある9つの名城をめぐる旅に参加しました。
国内でも海外でもお城巡りは大好きです!
しかも今回は、いくつかのお城では現地の専門ガイドさんが
ご案内して下さるとのこと。
嬉しいですね~。
 旅の3日目。
四万十川の佐田の沈下橋を見学して、今回の旅では
5つ目となる日本100名城の一つで現存する十二天守の一つでもある
宇和島城を目指します。
 ここでも専門ガイドさんが案内してくださるとのこと、
楽しみに向かいます。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
観光バス JALグループ ANAグループ
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
阪急交通社
  • この日もお粥の健康朝食。

    この日もお粥の健康朝食。

  • ツアー3日目。この日、まずは四万十川の<br />佐田の沈下橋に向かいます。<br />この川は岩田川、四万十川の支流かなあ。

    ツアー3日目。この日、まずは四万十川の
    佐田の沈下橋に向かいます。
    この川は岩田川、四万十川の支流かなあ。

  • 長閑な景色が続きます。<br />本流も近いようです。

    長閑な景色が続きます。
    本流も近いようです。

  • バスを降りて、少し歩いて、四万十川は<br />佐田の沈下橋に到着。<br />川下りの屋形船の乗り場もあるようですね。

    バスを降りて、少し歩いて、四万十川は
    佐田の沈下橋に到着。
    川下りの屋形船の乗り場もあるようですね。

  • 沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように<br />設計された欄干のない橋のことです。

    沈下橋とは、増水時に川に沈んでしまうように
    設計された欄干のない橋のことです。

  • 欄干の無い橋を、地元の方でしょうか<br />自転車で渡っていきます。<br />橋幅は車1台通るのがやっとのような狭い<br />橋なので、よろけたら危なそうです。<br />おじさん、気を付けてね~。

    欄干の無い橋を、地元の方でしょうか
    自転車で渡っていきます。
    橋幅は車1台通るのがやっとのような狭い
    橋なので、よろけたら危なそうです。
    おじさん、気を付けてね~。

  • 向こう岸まで橋を渡る途中、<br />あらあ・・・<br />橋が落ちてしまっているところがあります。

    向こう岸まで橋を渡る途中、
    あらあ・・・
    橋が落ちてしまっているところがあります。

  • 川中の土地の木の枝に沢山の漂流物が<br />絡みついています。<br />あそこまで増水したということですね。

    川中の土地の木の枝に沢山の漂流物が
    絡みついています。
    あそこまで増水したということですね。

  • 橋を渡り切った対岸からの1枚。<br />今は水量が少ないので、<br />増水した時の沈下橋の様子は、<br />あまりわかりませんね。

    橋を渡り切った対岸からの1枚。
    今は水量が少ないので、
    増水した時の沈下橋の様子は、
    あまりわかりませんね。

  • バスの駐車場にあった案内板。<br />左下は今日見た景色より少し<br />水量が多いけど、橋はしっかり<br />見えています。<br />でも、右下の写真では<br />橋はすっかり沈んでしまっています。<br />少し白く波立っているところに<br />橋があるんですね。

    バスの駐車場にあった案内板。
    左下は今日見た景色より少し
    水量が多いけど、橋はしっかり
    見えています。
    でも、右下の写真では
    橋はすっかり沈んでしまっています。
    少し白く波立っているところに
    橋があるんですね。

  • 四万十川の四季の案内。<br />初夏のホタルが飛び交う様を<br />見てみたいなあ。

    四万十川の四季の案内。
    初夏のホタルが飛び交う様を
    見てみたいなあ。

  • 佐田の沈下橋を後に宇和島城へ向かいます。<br />この地方の家では屋根を二重に設けている<br />家が多いそうで、この地方独特の建て方<br />なんだそうです。

    佐田の沈下橋を後に宇和島城へ向かいます。
    この地方の家では屋根を二重に設けている
    家が多いそうで、この地方独特の建て方
    なんだそうです。

  • そうこうしているうちに<br />お城が見えてきました。<br />日本100名城の一つであり、現存十二天守の<br />一つも持つ宇和島城では、専門ガイドの方が<br />案内してくださいます。<br />ここは初めて訪れるお城なので本当に楽しみです。

    そうこうしているうちに
    お城が見えてきました。
    日本100名城の一つであり、現存十二天守の
    一つも持つ宇和島城では、専門ガイドの方が
    案内してくださいます。
    ここは初めて訪れるお城なので本当に楽しみです。

  • 天守が建造されたのは1601年、<br />藤堂高虎が築城の時とされていつとのこと。<br />高虎が今治に転封となったことから、<br />奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が<br />1615年に入城。<br />2代宗利の時代に 天守以下、城郭の大修理を行い、<br />1671年に完成。現在の天守はその時のものだそうです。<br />

    天守が建造されたのは1601年、
    藤堂高虎が築城の時とされていつとのこと。
    高虎が今治に転封となったことから、
    奥州仙台藩主、伊達政宗の長子秀宗が
    1615年に入城。
    2代宗利の時代に 天守以下、城郭の大修理を行い、
    1671年に完成。現在の天守はその時のものだそうです。

  •  前の写真の左端の石垣の辺りは<br />17世紀後半頃に築かれたと推測<br />されているそうです。<br />角の部分は他のお城の石垣でも<br />よく見かける算木積みですね。

     前の写真の左端の石垣の辺りは
    17世紀後半頃に築かれたと推測
    されているそうです。
    角の部分は他のお城の石垣でも
    よく見かける算木積みですね。

  • 石垣に使われている石には<br />海食や穿孔貝による穴のある石材が<br />点在しています。

    石垣に使われている石には
    海食や穿孔貝による穴のある石材が
    点在しています。

  • 天守に向かって階段を上っていきます。

    天守に向かって階段を上っていきます。

  • この辺りの石垣は、藤堂高虎が創建した当時、<br />1601年頃の古い石垣の特徴をとどめている<br />そうです。<br />

    この辺りの石垣は、藤堂高虎が創建した当時、
    1601年頃の古い石垣の特徴をとどめている
    そうです。

  • 無加工の自然石を用いて、反り(そり)を<br />もたない直線的な勾配で積み上げられています。

    無加工の自然石を用いて、反り(そり)を
    もたない直線的な勾配で積み上げられています。

  • 天守が見えてきました。

    天守が見えてきました。

  • 正面から見た天守。<br />

    正面から見た天守。

  •  現在の天守は、宇和島伊達家2代宗利が<br />1666年頃に改修、3重3階総塗籠式(そうぬりごめしき)、<br />層塔型(そうとうがた)の天守とのこと。<br />各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(げぎょ)<br />があり、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、<br />非常に格式を重んじた造りです。

     現在の天守は、宇和島伊達家2代宗利が
    1666年頃に改修、3重3階総塗籠式(そうぬりごめしき)、
    層塔型(そうとうがた)の天守とのこと。
    各階の装飾性の高い破風(はふ)や懸魚(げぎょ)
    があり、小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、
    非常に格式を重んじた造りです。

  • この天守ひな型は、<br />非常に精巧で、単純な大きさだけでなく<br />柱の太さに至るまで1/10スケールで<br />作られているそうです。<br /> 宇和島城では天守・雛形ともに江戸時代の<br />ものなんだそうです。

    この天守ひな型は、
    非常に精巧で、単純な大きさだけでなく
    柱の太さに至るまで1/10スケールで
    作られているそうです。
     宇和島城では天守・雛形ともに江戸時代の
    ものなんだそうです。

  • 万延元(1860)年に大規模な修理を行っていて、<br />前の写真の天守雛形はその修理に際して<br />作られたことが記されている木札。

    万延元(1860)年に大規模な修理を行っていて、
    前の写真の天守雛形はその修理に際して
    作られたことが記されている木札。

  • 現代の作品でしょうけど<br />カッコイイ素敵な屏風!<br />

    現代の作品でしょうけど
    カッコイイ素敵な屏風!

  • 天守からの眺望

    天守からの眺望

  • 天守からの眺望

    天守からの眺望

  • 天守からの眺望

    天守からの眺望

  •  宇和島城の天守には狭間が無いそうなのですが、<br />その代わりに武者窓(太い格子を備えた窓)の<br />格子が五角形になっています。

     宇和島城の天守には狭間が無いそうなのですが、
    その代わりに武者窓(太い格子を備えた窓)の
    格子が五角形になっています。

  • これは、鉄砲や弓矢で狙いをつける<br />角度が広角になるように工夫されて<br />いるそうです。

    これは、鉄砲や弓矢で狙いをつける
    角度が広角になるように工夫されて
    いるそうです。

  • 元禄16年(1703年)に描かれた城下絵図です。<br />この頃は、宇和島城が海城だったことが<br />よく分かります。<br />現在の市街地の大半は埋め立て地なんだ<br />そうです。

    元禄16年(1703年)に描かれた城下絵図です。
    この頃は、宇和島城が海城だったことが
    よく分かります。
    現在の市街地の大半は埋め立て地なんだ
    そうです。

  • 敷地内には児童公園も備えられて<br />いるようです。

    敷地内には児童公園も備えられて
    いるようです。

  • 天守から降りてくる途中の石垣(土塀?)が<br />細かい植物に覆われていました。

    天守から降りてくる途中の石垣(土塀?)が
    細かい植物に覆われていました。

  • アップにするとこんな感じ。<br />マメツタかなあ。

    アップにするとこんな感じ。
    マメツタかなあ。

  • ランチは、道の駅 みなとオアシスうわじま<br />のきさいや広場。<br />宇和島城の見学が少し長引いたので、<br />ランチの時間はちょっと短め。<br />こちらは添乗員さんおすすめの<br />宇和島鯛めし。宇和島の鯛めしは卵黄を加えた<br />タレを鯛のお刺身に絡めてご飯の上にのせて<br />食べるのだそうです。<br />とっても美味しかったようですよ。

    ランチは、道の駅 みなとオアシスうわじま
    のきさいや広場。
    宇和島城の見学が少し長引いたので、
    ランチの時間はちょっと短め。
    こちらは添乗員さんおすすめの
    宇和島鯛めし。宇和島の鯛めしは卵黄を加えた
    タレを鯛のお刺身に絡めてご飯の上にのせて
    食べるのだそうです。
    とっても美味しかったようですよ。

  • お魚がoutの私はトンカツ・・。<br />ランチの後は、大洲城に向かいます。<br />

    お魚がoutの私はトンカツ・・。
    ランチの後は、大洲城に向かいます。

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