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旅の最終日は、焼き物で知られる常滑を訪ねる。陶器は好きなので、一度は訪れてみたかった街である。歩いてみると、細く入り組んだ道のそこかしこに、朽ち果てた窯元が佇み、街の栄枯盛衰を感じた。<br /><br />(2023.01.26投稿)

知多半島逍遥【3】~焼き物の街常滑~

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2023/01/09 - 2023/01/09

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旅行記グループ 【尾張】

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旅猫

旅猫さん

旅の最終日は、焼き物で知られる常滑を訪ねる。陶器は好きなので、一度は訪れてみたかった街である。歩いてみると、細く入り組んだ道のそこかしこに、朽ち果てた窯元が佇み、街の栄枯盛衰を感じた。

(2023.01.26投稿)

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
グルメ
4.0
ショッピング
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
新幹線 私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • この日も名鉄名古屋駅から出発する。乗り込んだのは、8時31分発の中部国際空港行特急である。途中までは初日と同じ経路であり、太田川駅で常滑線に入った。そして、30分で常滑駅に到着した。

    この日も名鉄名古屋駅から出発する。乗り込んだのは、8時31分発の中部国際空港行特急である。途中までは初日と同じ経路であり、太田川駅で常滑線に入った。そして、30分で常滑駅に到着した。

  • 駅から、窯元が集まる場所へと歩いて行く。その途中、歩道脇に陶製の猫が飾られていた。『とこなめ招き猫通り』と呼ばれ、市内39人の陶芸作家により作られたものだそうで、それぞれ別の御利益が書かれていた。

    駅から、窯元が集まる場所へと歩いて行く。その途中、歩道脇に陶製の猫が飾られていた。『とこなめ招き猫通り』と呼ばれ、市内39人の陶芸作家により作られたものだそうで、それぞれ別の御利益が書かれていた。

  • その中に、旅行安全のものもあった。どこか寅さんの雰囲気があった。

    その中に、旅行安全のものもあった。どこか寅さんの雰囲気があった。

  • その先の陶磁器会館の手前から続く上天の坂を登って行く。坂の途中には、廃墟となった煉瓦造りの窯元があった。焼き物の街として知られる常滑でも、工場での大量生産やプラスチック容器の普及により、多くの窯元が廃業したことだろう。

    その先の陶磁器会館の手前から続く上天の坂を登って行く。坂の途中には、廃墟となった煉瓦造りの窯元があった。焼き物の街として知られる常滑でも、工場での大量生産やプラスチック容器の普及により、多くの窯元が廃業したことだろう。

  • 坂を上り切ると、辺りは窯元が建ち並んでいる。しかし、休みなのか、どこも静かで人の気配も無い。陶管を造る窯元もあったが、そもそも、陶器の管など、今でも需要があるのだろうか。

    坂を上り切ると、辺りは窯元が建ち並んでいる。しかし、休みなのか、どこも静かで人の気配も無い。陶管を造る窯元もあったが、そもそも、陶器の管など、今でも需要があるのだろうか。

  • その先の橋の袂に、『とこにゃん』と呼ばれる陶製の大きな招き猫が置かれていた。そこは、先ほど観た『とこなめ招き猫通り』の真上であった。

    その先の橋の袂に、『とこにゃん』と呼ばれる陶製の大きな招き猫が置かれていた。そこは、先ほど観た『とこなめ招き猫通り』の真上であった。

    とこなめ見守り猫 とこにゃん (招き猫通り) 名所・史跡

  • 坂の上まで戻り、今度は反対側へと歩いて行く。しばらく歩くと、風情のある小道があったので入ってみる。途中に古民家カフェなどもあったが、廃屋の方が多い感じであった。

    坂の上まで戻り、今度は反対側へと歩いて行く。しばらく歩くと、風情のある小道があったので入ってみる。途中に古民家カフェなどもあったが、廃屋の方が多い感じであった。

  • この界隈は、細い道が入り組み迷子になりそうだが、道標があるので、地図が無くても歩くことが出来る。その道標に沿って歩いて行くと、『廻船問屋 瀧田家』と言う古い建物があった。常滑は、廻船の街でもあり、常滑船が、伊勢湾周辺の街と、上方や江戸を結んでいたそうである。鉄道や車が無い時代、大量かつ速く荷物を運ぶことが出来る船は、富を築くには理想的だったことだろう。

    この界隈は、細い道が入り組み迷子になりそうだが、道標があるので、地図が無くても歩くことが出来る。その道標に沿って歩いて行くと、『廻船問屋 瀧田家』と言う古い建物があった。常滑は、廻船の街でもあり、常滑船が、伊勢湾周辺の街と、上方や江戸を結んでいたそうである。鉄道や車が無い時代、大量かつ速く荷物を運ぶことが出来る船は、富を築くには理想的だったことだろう。

    廻船問屋 瀧田家 名所・史跡

  • 瀧田家を見学した後、その脇にあるでんでん坂を登る。坂上から少し歩くと、『土管坂』と言う場所があった。坂の両脇に陶製の土管が積み上げられ、独特な景観となっている。

    瀧田家を見学した後、その脇にあるでんでん坂を登る。坂上から少し歩くと、『土管坂』と言う場所があった。坂の両脇に陶製の土管が積み上げられ、独特な景観となっている。

    土管坂 名所・史跡

  • 土管坂の反対側の禰宜殿の坂を下りて行く。道の脇には、鳥のような置物が飾られていた。

    土管坂の反対側の禰宜殿の坂を下りて行く。道の脇には、鳥のような置物が飾られていた。

  • その鳥を狙うかのように、猫が佇んでいた。

    その鳥を狙うかのように、猫が佇んでいた。

  • そして、常滑最大の見所である登窯に辿り着いた。その脇には、ずらりと煉瓦造りの煙突が並んでいる。すべて同じ高さに見えるが、実際には高さが違うそうだ。

    そして、常滑最大の見所である登窯に辿り着いた。その脇には、ずらりと煉瓦造りの煙突が並んでいる。すべて同じ高さに見えるが、実際には高さが違うそうだ。

    登窯(陶栄窯) 名所・史跡

  • 反対側に出ると、斜面に造られた登窯の姿が良く見えた。もう少し近くで観たかったのだが、中に入ることは出来なかった。

    反対側に出ると、斜面に造られた登窯の姿が良く見えた。もう少し近くで観たかったのだが、中に入ることは出来なかった。

  • 一番下には、焚口が並んでいた。この窯は、明治20年ごろに造られたもので、当初は薪が使われていたそうだが、後に石炭と薪の折衷型に改良されたそうである。常滑には、往時60基もの登窯があったそうだが、今は、ここだけになってしまったそうである。

    一番下には、焚口が並んでいた。この窯は、明治20年ごろに造られたもので、当初は薪が使われていたそうだが、後に石炭と薪の折衷型に改良されたそうである。常滑には、往時60基もの登窯があったそうだが、今は、ここだけになってしまったそうである。

  • 登窯からは、別の道を辿って駅の方へと戻る。近くでは、常滑市のマンホールもあった。描かれていたのは、市の花である山茶花である。後でわかったのだが、中央の煉瓦積みのようなものは、常滑の『常』を図案化したものであった。

    登窯からは、別の道を辿って駅の方へと戻る。近くでは、常滑市のマンホールもあった。描かれていたのは、市の花である山茶花である。後でわかったのだが、中央の煉瓦積みのようなものは、常滑の『常』を図案化したものであった。

  • 道標に従って歩いていると、曲がり角に洒落た感じの工房があった。入り易い店だったので、覗いてみることにした。店内には、たくさんの作品が置かれていた。訊けば、すべて店主が制作しているものだそうだ。常滑焼も一つ欲しかったところなので、気に入った色合いのぐい飲みと、小さな器を購入した。

    道標に従って歩いていると、曲がり角に洒落た感じの工房があった。入り易い店だったので、覗いてみることにした。店内には、たくさんの作品が置かれていた。訊けば、すべて店主が制作しているものだそうだ。常滑焼も一つ欲しかったところなので、気に入った色合いのぐい飲みと、小さな器を購入した。

  • その店から、窯坂と言う急な坂を下って行くと、工房などが集まる一角に出た。その中ほどに、パン工房や喫茶があり、その一角に倒焔式角窯跡と言うものがあった。昭和33年に造られたもので、醸造向けの瓶や下水道用の陶管を焼いていたそうだが、僅か14年で廃止されたそうだ。

    その店から、窯坂と言う急な坂を下って行くと、工房などが集まる一角に出た。その中ほどに、パン工房や喫茶があり、その一角に倒焔式角窯跡と言うものがあった。昭和33年に造られたもので、醸造向けの瓶や下水道用の陶管を焼いていたそうだが、僅か14年で廃止されたそうだ。

  • その先で、また登り坂となった。カクジロの坂と呼ばれる坂で、その脇には、旧青木製陶所の建物があり、煙突も残っている。よく見ると、その煙突の上には木が生えている。煙突なので穴があるはずだが、どのように生えているのか気になった。

    その先で、また登り坂となった。カクジロの坂と呼ばれる坂で、その脇には、旧青木製陶所の建物があり、煙突も残っている。よく見ると、その煙突の上には木が生えている。煙突なので穴があるはずだが、どのように生えているのか気になった。

  • 坂の途中の何気ない風景も、良い感じである。常滑の街を歩いて感じたのは、思ったよりも活気が無く、やや廃れていたことである。新年早々であり、休日であったため、多くの工房が休みであったこともあるが、少々意外であった。とは言え、観光客の姿は多かったので、人気の街ではあるのだろう。個人的には、良い佇まいであった。

    坂の途中の何気ない風景も、良い感じである。常滑の街を歩いて感じたのは、思ったよりも活気が無く、やや廃れていたことである。新年早々であり、休日であったため、多くの工房が休みであったこともあるが、少々意外であった。とは言え、観光客の姿は多かったので、人気の街ではあるのだろう。個人的には、良い佇まいであった。

  • 坂を上り切り、少し歩くと、眺めの良い場所に出た。煉瓦造りの煙突が建ち並び、焼き物の街らしい眺めである。とは言え、煙突自体は、今は使われていないようである。

    坂を上り切り、少し歩くと、眺めの良い場所に出た。煉瓦造りの煙突が建ち並び、焼き物の街らしい眺めである。とは言え、煙突自体は、今は使われていないようである。

  • そこからすぐのところに、一木橋と言う橋が架かっていた。白塗りのひと際目立つ姿である。大正10年(1921)に架けられたもので、橋を造ってから、下の土をくり抜く工法で掛けられたそうである。

    そこからすぐのところに、一木橋と言う橋が架かっていた。白塗りのひと際目立つ姿である。大正10年(1921)に架けられたもので、橋を造ってから、下の土をくり抜く工法で掛けられたそうである。

  • 橋を渡り、その脇から続く一木橋の坂を下る。その先の交差点を渡り返すと、陶磁器会館の前に出た。その前にあったポストの上に、猫の姿をした郵便配達の置物が据えられていた。

    橋を渡り、その脇から続く一木橋の坂を下る。その先の交差点を渡り返すと、陶磁器会館の前に出た。その前にあったポストの上に、猫の姿をした郵便配達の置物が据えられていた。

  • 陶磁器会館を除いた後、時間があったので、お昼を食べることにする。探してみると、知多牛の文字を見つけたので、行ってみる。『丸一』と言ううなぎの店のようだが、知多牛も食べることが出来るようなので、そこに入ることにする。

    陶磁器会館を除いた後、時間があったので、お昼を食べることにする。探してみると、知多牛の文字を見つけたので、行ってみる。『丸一』と言ううなぎの店のようだが、知多牛も食べることが出来るようなので、そこに入ることにする。

    丸一 グルメ・レストラン

  • 品書きを見ると、知多牛のひつまぶしとある。それほど空腹でもないので、半盛をいただくことにした。待つ間、地元の蔵元が醸す『白老』と言う酒をもらう。お猪口と徳利に入れられて出て来たのだが、その酒器の形や色合いがとても素敵であった。気に入ったので、店員さんに訊ねてみたのだが、すでに引退された職人のもので、もう手に入らないそうである。

    品書きを見ると、知多牛のひつまぶしとある。それほど空腹でもないので、半盛をいただくことにした。待つ間、地元の蔵元が醸す『白老』と言う酒をもらう。お猪口と徳利に入れられて出て来たのだが、その酒器の形や色合いがとても素敵であった。気に入ったので、店員さんに訊ねてみたのだが、すでに引退された職人のもので、もう手に入らないそうである。

  • そして、ひつまぶしがやって来た。半盛とは言え、そこそこ量がある。吸い物と香の物なども付いていた。まずはそのまま食べ、次に薬味を添えていただく。そして、最後は茶づけにしていただいた。肉自体の量は少なかったが、十分に美味しかった。

    そして、ひつまぶしがやって来た。半盛とは言え、そこそこ量がある。吸い物と香の物なども付いていた。まずはそのまま食べ、次に薬味を添えていただく。そして、最後は茶づけにしていただいた。肉自体の量は少なかったが、十分に美味しかった。

  • ちょうど良い時間となったので、駅へと戻る。12時21分発の特急に乗り、名鉄名古屋駅へと向かう。そして、名古屋駅から、13時23分発の『のぞみ354号』に乗車し、今回の旅を終えた。今年最初の旅は、知多半島の小さな町を巡る旅であった。歴史や美味しいものに出会い、新年早々、良い旅となった。

    ちょうど良い時間となったので、駅へと戻る。12時21分発の特急に乗り、名鉄名古屋駅へと向かう。そして、名古屋駅から、13時23分発の『のぞみ354号』に乗車し、今回の旅を終えた。今年最初の旅は、知多半島の小さな町を巡る旅であった。歴史や美味しいものに出会い、新年早々、良い旅となった。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • ポテのお散歩さん 2023/01/27 17:44:15
    知多半島の街
    旅猫さん こんにちは。

    常滑の『とこにゃん』は、旅行記でよく拝見するので
    いつか歩いてみたい街でした。
    活気があるのかなと思っていたのですが、廃業されている窯元もあるそうで
    少し寂しいですね。

    渥美半島は花や果物の栽培のイメージがあるのですが、知多半島はお酢の醸造や醤油・味噌の醸造が盛んで、古い町並みや歴史が詰まった 人の暮らしが見える場所が多いと感じました。
    半田や常滑だけなら、名古屋から日帰りで行けそうですね。
    ゆっくり巡ってみたいです(*^-^*)

      ポテ

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/01/28 09:23:03
    RE: 知多半島の街
    ポテさん、こんにちは。

    いつもありがとうございます。

    常滑の『とこにゃん』は、有名なのですね。
    観光案内所でもらった地図に書いてあったので、立ち寄ってみました。
    でも、ちょっとのっぺりとしていて可愛く無かったです(笑)
    常滑は、新しい作家の工房などもあり、そこそこ観光客もいるのですが、観光ルート沿った道沿いでも、廃墟や廃業した窯元などの建物が多かったです。
    今は大量生産の時代なので、ちいさな窯元が集まる様な街は、なかなか難しいのかもしれませんね。

    知多半島は、尾張の中心名古屋に近かったので、色々な商業が発展したようですね。
    江戸時代からの商業の街が多いです。
    半田や常滑だけなら、日帰りも可能だと思います。
    ただ、離れているので、移動時間を考慮しないと行けませんね。
    半田の街も、見所が少し離れているので、歩くと結構時間が掛かります。
    ミツカンミュージアムは、完全予約制で所要時間90分と長丁場なので、上手く回らないと時間が無くなってしまいます。
    また、常滑にもINAXのミュージアムがあり、そこに寄ると、常滑で半日以上かかるかもしれません。

    旅猫
  • つきにこさん 2023/01/26 19:33:03
    知多半島
    旅猫さんお久しぶりです。
    数年前に大病をしたことと、孫の出産トラブルがありなかなか4トラにお邪魔することができませんでした。
    でも最近またそんな障害のある孫とも出かけらるようになって、4トラに戻ってきました(#^.^#)
    実は知多半島の出身です!!旅猫さんの旅行記読んでへ~こんなところあるの?って驚きました。でもまだまだ古い町並みがあって懐かしくも思いました。
    野間大坊の血の池は子供のころ本当に怖くてなかなか近寄れませんでしたよ。
    中埜酢も子供のころ、大きな大きなお屋敷でどんな方が住んでいるんだろう?と思いながら塀伝いに自転車を走らせていたんです。
    旅猫さんがいらっしゃることがわかっていたらお会いしたかったな~。

    旅猫

    旅猫さん からの返信 2023/01/26 20:57:57
    RE: 知多半島
    つきにこさん、こんばんは。

    お久しぶりです。
    色々なことがあったようですが、4トラに戻って来られて良かったです。
    しかも、知多半島のご出身だったとは!
    今回は、ぐるりと回らせていただきました。
    今は訪れる人も多いので、血の池は怖さはありませんでした。
    昔は、やはり不気味だったのでしょうね。

    半田のお屋敷は、立派ですよね。
    さすが、豪商は違いますね。
    つきにこさんが、自転車で通っていたというのが、不思議な感じです。

    旅猫

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