2023/01/08 - 2023/01/08
1位(同エリア94件中)
旅猫さん
師崎港から乗ったバスを内海駅で降り、名鉄線に乗り換えて野間駅へと向かう。二日目の後半は、源義朝公最後の地である野間と、味噌などの醸造で知られる武豊を訪ねる。
(2023.01.20投稿)
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- 楽天トラベル
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内海駅から、11時15分発の名鉄名古屋行の特急に乗車。内海駅は、支線の終端の駅だが、思ったよりも立派な高架の駅であった。
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そして、4分で着いた野間駅で下車。まずは野間埼灯台へ行きたかったのだが、バスの時間まで30分以上あったので、近くにあると言う源義朝最後の地を訪れることにした。駅から数分歩くと、法山寺と言う寺に辿り着いた。御湯殿薬師如来を本尊とする寺で、行基が開いた歴史ある寺である。
法山寺 寺・神社・教会
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境内は狭く、御堂もかなり簡素である。そんな境内の片隅で、犬が気持ち良さそうに寝ていた。
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石仏が佇む道を下って行くと、目指す義朝公最後の地があった。平治の乱で平清盛に敗れ、再起を図るべく関東へ向かう途中、源氏の家臣であり、この地を治める長田氏の屋敷に身を隠した。しかし、ここ法山寺の湯殿で入浴中、裏切った長田親子により殺害されたのである。義朝公の坐像の脇には、その湯殿の跡が残されていた。
源義朝公之像 名所・史跡
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法山寺から駅へと戻る途中、長閑な景色の中に立派な石碑が建っていた。異変を知った義朝公の家臣が法山寺に駆け付け、この辺りに架かっていた橋で、長田氏の家臣と乱戦になったそうである。後に『乱橋』と呼ばれた橋の跡である。
乱橋跡 名所・史跡
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駅へ戻り、しばらく待つと、小さなバスがやって来た。ここ美浜町が運行している巡回ミニバス『自然号』である。乗り込んだのは、11時57分発の西部コースで、先客が一人いた。バスは10分ほどで、野間灯台バス停に着いた。驚いたことに、運賃は無料であった。
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帰りのバスまで8分しかないので、急いで浜辺へと出た。近くの岩場まで行き、灯台と海の景色を眺める。この日も風は穏やかで、絶好の旅日和である。野間埼灯台は、大正10年(1921)に設置された愛知県内最古の灯台だそうだ。灯台が立つ場所は野間崎と呼ばれ、海岸べりの低い場所にあるのが特徴的であった。
野間埼灯台 名所・史跡
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再びミニバスに乗り、次に降りたのは柿並公会堂バス停である。そこからすぐの場所に、野間大坊がある。野間大坊は通称であり、大御堂寺が正式な名称である。とりあえず、本堂に参拝。その本堂は、宝暦4年(1754)に再建されたものだそうだ。
大御堂寺 寺・神社・教会
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その本堂の裏手近くに、源義朝公の墓がある。墓の周りには、多くの木片が供えられていた。これは、殺害された際、「我に木の太刀の一本でもあればむざむざ討たれはせん」と言ったことから、木太刀を供えるようになったそうである。
源義朝の墓 名所・史跡
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すぐ近くには、織田信孝の墓もあった。織田信長の三男である信孝は、織田家の跡目争いに敗れ、ここ大御堂寺の南ノ坊で自害したそうである。近くには、頼朝を助けた池禅尼の供養塔や、義朝公の家臣であり、やはり長田親子に殺害された鎌田政家とその妻の墓もあった。
織田信孝の墓 名所・史跡
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義朝公に挨拶をした後、客殿へと向かう。その客殿は、豊臣秀吉の晩年の居城であった伏見桃山城の建物の一部を移築したものだそうだ。その客殿で、御朱印をいただくと、武将印なるものが目に留まった。なかなか恰好が良いので、所縁の武将たちのものをいただいてしまった。
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境内の一角に、小さな供養塔が置かれてた。平安時代後期の尾張目代であった平康頼のものだそうだ。康頼は、荒れるに任せていた義朝公の墓を整備し、水田を寄進した上で僧侶を常駐させたそうである。平家滅亡後、源頼朝はその恩に報い、阿波国麻殖保の保司に任じたそうだ。源平双方から称えられた武将である。
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大門から出て、駅へと向かう。そのすぐ先に、血の池と呼ばれる小さな池があった。その池は、義朝公の首を洗ったとされる場所だそうだ。なんでも、国に変事があると、水の色が赤くなるそうだ。よく見ると、少し赤みがかっているようだが、大丈夫だろうか。
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駅の方へと歩いて行くと、地図に『長田親子磔の松』と言う場所がある。立ち寄ってみると、そこは密蔵院と言う寺で、その裏山に件の松があるようだ。少々不気味な道を辿って行くと、幹だけが残された松が保存されていた。義朝公を謀殺した長田親子は、平家討伐後、頼朝により、この松に磔にされたそうである。
はりつけの松 名所・史跡
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松のあった場所から駅の方へと下ると、道の脇に『長田屋敷跡』と書かれた看板が立っていた。この辺りに、長田氏の屋敷があったのだろう。説明板などは無かったので、詳しくは分からない。
長田屋敷跡 名所・史跡
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野間駅に戻り、13時19分発の特急に乗り、知多武豊駅を目指す。
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20分足らずで到着した知多武豊駅で下車。構内にあった観光案内所で地図をもらい、早速街歩きを始める。まずは、JR武豊駅の方へ向かい、途中で駅とは反対の方へ進む。すると、住宅街の中に、黒い板壁の蔵が建ち並ぶ場所があった。武豊は、醤油や味噌の醸造で知られる街で、今でも多くの蔵がある。最初に見つけたのは、たまり醤油を醸す『丸又商店』の蔵で、とても風情のある景観であった。
丸又商店 専門店
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そこから坂を下って行くと、降り切った所に大きな石碑があった。愛知県で最初に敷かれた鉄道の武豊停車場があった事を記念するものであった。そのすぐ脇には、転車台が保存されていた。旧国鉄武豊港駅にあったものだそうで、直角二線式と言う珍しい形式だそうだ。
旧国鉄武豊港駅転車台 名所・史跡
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まだお昼を食べていなかったのだが、ちょうど昼と夜の間で、ほとんどの店が閉まっている。探していると、近くにあった『味の蔵たけとよ』と言う施設の中に、食事処があったので、そこで食べることにした。注文したのは、地元の醤油を使っているという炒飯である。500円と言う安さだったが、味噌汁や香の物まで付き、なかなか美味しかった。
まちの駅 味の蔵たけとよ グルメ・レストラン
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食後、近くの路地裏を散策。その界隈には、多くの醸造蔵が建ち並び、独特な雰囲気を醸し出していた。どこかで味噌でも買おうと思ったのだが、どこも閉まっていて、結局、買うことは出来なかった。
南蔵商店 青木弥右衛門 専門店
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それでも、趣のある街を歩いているだけで楽しい。近代的な蔵もあったが、多くが木造黒壁の建物で、瓦屋根と相まって、とても風情があった。
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その一角には、小さな祠もあった。見えれば、津島神社である。東海地方では、津島信仰と言うものがあり、各地の小さな祠が祀られたそうだ。
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近くでは、空き家も目立った。今、全国で数多くの空き家があり、社会問題にまでなっている。若い人は都会に出てしまい、中心部から外れると急に寂しくなる。根本的な対策を考えないと、この国はますます悪くなるような気がする。
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途中から来た道を戻り、今度はJR武豊駅の方へ向かう。8年前に知多を訪れた時は、JR線で半田駅まで来たのだが、武豊駅は初めてである。ローカル線の終着駅らしい佇まいもあり、一度は利用してみたいものだ。
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武豊駅の脇を抜け、さらに歩いて行くと、醸造伝承館と言う施設があるようなので、行ってみることにする。そこは、中定商店と言う味噌とたまり醤油を醸す蔵であった。しかし、伝承館は閉まっていた。建物の壁にあった説明板に寄れば、知多半島は、銚子、龍野と並ぶ三大銘醸地に挙げられるそうだ。
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なかでも武豊町は、昭和初期には50軒ほどの蔵元が建ち並んでいたそうである。往時ほどの隆盛は無いが、今も当時の風情が微かに感じられる。
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線路沿いに歩いて行くと、ふと心を惹かれる場所があった。単線の線路と踏切、そして年季の入った建物が醸し出す風景が、何故か心に響く。
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地図を見ると、その先の踏切近くに、『三井家住宅』と言う古い建物があるようなので、探してみる。路地裏でようやく見つけたその建物は、江戸時代に庄屋を務めていた三井家の住宅であった。内部の見学は出来ないので残念だったが、立派な石垣が美しく、見応えがあった。
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そこから、線路沿いに武豊駅の方へと戻る。その途中に、武雄神社と言う大きな神社があった。その社は、武豊町の名の由来となったそうである。町の前身である長尾村の氏神が武雄神社であり、合併した大足村の氏神が豊石神社であったことから、『武豊』と名付けられたそうだ。
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武雄神社を後にして、名鉄線の走る西側へと歩いて行く。そして、名鉄線を越えた先に、武豊町の歴史民俗資料館があった。それほど大きな施設ではなかったが、そこそこ見応えがあった。中でも、多くの和船の模型が興味深かった。
武豊町歴史民俗資料館 美術館・博物館
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ちょうど開催されていた『むかしのくらし展』では、懐かしい生活用具が多く展示されていた。特に、アルマイト製の弁当箱などは、子供の頃の記憶が甦り、何だか嬉しくなってしまった。
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陽が傾いて来たので、そろそろ宿のある名古屋駅へ向かうことにする。そして、名鉄の知多武豊駅から、16時37分の特急に乗車した。車内はガラガラで、展望席も空いていたが、後ろ向きなので止めておいた。
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この日の宿は、名鉄名古屋駅から数分の場所にある『ダイワロイネットホテル名古屋駅前』である。この系列のホテルは、結構気に入ってるのだ。
ダイワロイネットホテル名古屋駅前 宿・ホテル
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夕食は、和食の店で地酒でもと思っていたのだが、宿で訊くと、居酒屋は多いが静かな店は少ないと言う。大都市である名古屋の駅前では難しそうなので、名鉄百貨店の上にあった食堂街で見つけた天婦羅屋に入った。一番安い定食を頼み、生ビールをお供にして夕食とした。予め苦手な食材を訊いてくれるなど、なかなか良い店である。天婦羅も揚げたてで、美味しかった。明日は、焼き物の街常滑を訪ねる予定だ。
銀座天一 名古屋名鉄店 グルメ・レストラン
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この旅行記へのコメント (8)
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- hot chocolateさん 2023/01/27 08:37:10
- 野間
- 旅猫さま
おはようございます。
厳しい寒さが日本列島を襲っていますね。
我が家の食堂の気温は、冬、日頃朝は11度なのですが、
この数日は7度まで下がっています。寒いわけです。
知多半島は未踏の地なので、源義朝公最後の地、野間も行ったことがありません。
野間大坊の境内には義朝の墓の他にも、織田(神戸)信孝や池禅尼の墓や供養塔もあるのですね。
神戸信孝の辞世の句がすごいですね。
「昔より 主を討つ身(内海)の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
秀吉に対する恨みが尋常ではない・・・
昔から野間は主を謀殺した地として名高いのですね。
池禅尼が頼朝の命乞いをしたことによって、後々頼朝によって平氏が滅ぶなんて皮肉なものです。
武豊の木造黒壁の建物はとても風情がありますね。
趣のある街は歩いているだけで楽しいです。
hot choco
- 旅猫さん からの返信 2023/01/28 09:03:28
- RE: 野間
- hot chocoさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
今日もなかなかの寒さですが、天気は良いですね。
我が家は集合住宅なので、暖房無しでも朝は20度近くあります。
昼間は、暖房無しで過ごしています。
知多半島は地味な場所なので、未踏の方が多いようですね。
野間大坊は、愛知の方には馴染みの場所みたいです。
新春と言うこともあり、かなり混み合っていました。
信孝の辞世の句は、滅多に無いものですね。
あれほど個人に対しての恨みを詠んだものは無いのでは。
信孝から見れば、家来筋に切腹させられたのですから、無念だったことでしょう。
池禅尼の一言が平家の運命を変えたわけですが、息子の頼盛は助かったので、その辺りが恩に報い、仇を憎む頼朝らしいとも言えますね。
武豊も地味な街ですが、あの木造黒壁の蔵が建ち並ぶ光景はなかなかでした。
職場近くの物産展でもらった武豊の食事処が載った地図に、たまたま蔵の風景が載っていたので立ち寄ってみたのです。
旅猫
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- ポテのお散歩さん 2023/01/23 15:55:26
- 知多半島
- 旅猫さん こんにちは。
知多半島、いざ巡るとなると どこを観光したらよいのかわからず、
新鮮なお魚を食べる所だとしか知らなかったのですが、
源義朝公の終焉の地があるのですね。
個人的には池禅尼の供養塔もあるのが興味深いです。
武豊は醤油醸造の町らしい、黒塀が良い感じです。
野間はおっかない地名が多いので、
武豊の醤油蔵を見ながらの町歩きが楽しそうです(*^-^*)
ポテ
- 旅猫さん からの返信 2023/01/23 20:48:14
- RE: 知多半島
- ポテさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
知多半島は、あまり人気は無さそうですよね。
とは言え、半田と常滑は、結構訪れる人も多いような。
平治の乱は知っていても、義朝が亡くなった場所は知らない人が多いですね。
野間と言う地名は、歴史好きでないと、出てきません。
最近では、恋人たちの聖地となって、凄いことになっていますが。
池禅尼に興味があるとは渋いですね。
頼盛の母で、頼朝の命の恩人。
頼朝は、恩人には感謝するところがあるようですね。
武豊は、なかなか良い町でした。
味噌やたまり醤油の蔵が集まる場所があり、独特な街並みでした。
野間は少々暗い感じがしますね。
歴史が物語っているような気もします。
旅猫
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- pedaruさん 2023/01/21 11:42:09
- 木製の塀、蔵、瓦屋根
- 旅猫さん こんにちは
醸造の町武豊の裏通り、風情のある景観でわくわくしますね。歴史を重ねて、繫栄してきた街を見るなんて、旅行の醍醐味ですね。
あのチャーハンのセット、これで500円とは信じられません。良心的というのでしょうか、この店の主人の人柄が察せられます。
戦で敵を殺しても避難されませんが、謀殺では日本人は許しませんね。
義朝を殺した永田親子は子々孫々まで語り継がれてしまいますね。
乗ったバスが無料とは旅人にとってはうれしいですね、思い出になります。
次の常滑、楽しみです。
pedaru
- 旅猫さん からの返信 2023/01/22 11:26:35
- RE: 木製の塀、蔵、瓦屋根
- pedaruさん、こんにちは。
書き込みありがとうございます。
武豊は、あまり人気のない街のようですが、思ったよりも風情のある街でした。
今も数軒の蔵が味噌やたまり醤油を造っていて、往時の雰囲気が伝わってきます。
とは言え、観光客が来るような街では無いですね。
500円の格安炒飯は、道の駅のような施設の中にありました。
安い理由は、肉の代わりに大量のキャベツが入っていることかもしれません。
肉入りは、650円でした(笑)
野間は、歴史ある街ですが、駅の周辺はとても寂しかったです。
それでも、野間大坊は参拝者が多く、とても賑わっていました。
でも、源義朝の墓にお参りする人はほとんどいませんでしたが。
やはり、皆さん、現世の自分の幸せをお祈りしに来てるわけですからね。
義朝最後の地でも、長田親子磔の松でも、誰にも会いませんでした。
歴史好きには、長田親子は嫌われ者です。
主君を謀殺するのは、武士道に反しますからね。
それにしても、あの町営バスは、100円でも取ってもらった方が嬉しいです。
いつか、廃止になってしまうような気がするので。
そうそう、同じ書き込みが二件ありましたので、片方を削除させていただきました。
旅猫
- pedaruさん からの返信 2023/01/23 06:23:50
- RE: RE: 木製の塀、蔵、瓦屋根
旅猫さん おはようございます
鎌倉の頼朝の墓も寂れた感じで、人気がありません。やはり義経の影響でしょうか。
書き込みに失敗しました。ご配慮ありがとうございました。
pedaru
- 旅猫さん からの返信 2023/01/23 20:41:20
- RE: RE: RE: 木製の塀、蔵、瓦屋根
- pedaruさん、こんばんは。
頼朝の墓は、一大観光地鎌倉にあるので、混んでる時もありますね。
私も3回ほど行きましたが、1度は賑わっていましたよ。
義経は、戦には強いのですが、政治は空っきり駄目だったので、頼朝に見捨てられてしまいましたね。
旅猫
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