2022/12/23 - 2022/12/23
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kojikojiさん
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この旅行記スケジュールを元に
ツアー2日目の出発は中途半端な午前8時50分でした。旅先での目覚めは早く、前回の旅では散歩できなかった「虹の松原」の海岸線を歩いてみました。この日は朝から強風が吹いていて、松原の松の枝も折れて吹き飛ばされています。もうすぐ正月なので松の枝を拾っていこうかとも考えましたが、元々が防風林で強風にあたっているので、枝は反り返り松葉も片側にしか残っていないので使えそうもありません。昨晩見た唐津城まで行ってホテルに戻りました。朝食も前の晩と同じ宴会場でいただいて、バスに乗って「唐津城」に向かいました。午前9時の開場に合わせての見学になります。階段で登るルートとエレベーターで昇るルートがあり、妻はエレベーターで行くので100円を渡します。城内は博物館になっていてその歴史が紹介されています。豊臣秀吉の家臣だった寺沢広高がこの地に封ぜられ、それ以降の歴史を初めて知ることが出来ました。さらに年代別の唐津焼の成り立ちも興味深かったです。残念ながらここは写真撮影が出来ませんでした。最上階の天守に上がり、表に出てみると玄界灘からの物凄い強風で立っていることも出来ません。急に雪が混ざったり、晴れ渡ったりと数秒ごとに景色が変化します。「唐津城」は前回来たときには来る時間がなくて残念な思いが残っていたのですが、ようやく念願が叶えられました。さらにバスに乗り「七ツ釜」向かいます。ここではバスを降りた後に森の中をしばらく歩きますが、強風のために木々がきしみ、葉をこする音がすごいです。さらに草原に出ると風が直接体に当たり、小雪も舞っています。草原の先に「七ツ釜」の柱状節理の絶景が待っていますが、ここも立っていられないほどの強風と雪です。しばらくすると雪が止んだので何とか写真が撮れました。その後はすぐに雪が強くなり、周辺の視界は閉ざされました。そのタイミングでまた2号車が来たので、またも1号車で良かったと思います。「七ツ釜」からはすぐの場所に呼子港があり、ここで昼食になります。「海舟」という料理屋の2階の座敷で呼子大橋をながめながら「呼子のイカの活造り」をいただきます。刺身はもとよりげその天婦羅も美味しかったです。美味しい地酒もいただきました。ツアーが予定通りだったのはここまでで、この後迷走が始まります。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス 船 ANAグループ 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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ツアー2日目の朝も早くに目が覚めてしまい、大浴場でひとっ風呂浴びてから散歩に出掛けました。「洋々閣」の近くまで行ってから海岸線に出てみます。
虹の松原 自然・景勝地
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松浦川の河口の漁港まで出てみますが風の強いこと。とりあえず昨晩も行った舞鶴橋の袂まで行ってみることにします。
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昨晩「唐津城」のライトアップを眺めた場所まで着きました。風は強いですが雨も降っていないのでこの日の観光も大丈夫そうだと感じました。
舞鶴橋 名所・史跡
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豊臣秀吉の家臣だった寺沢広高がこの地に封ぜられた後、広高の子の堅高は天草領に構えていた富岡城が島原の乱の際に一揆側に攻められた責任を取らされ、天草領4万石を没収されます。堅高は正保4年の1647年に江戸藩邸で自殺し、また嗣子がなかったために寺沢家は断絶となります。
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以後は譜代大名5家が入れ替わり、明治4年の1871年の廃藩置県により廃城となり、払い下げにより建造物が解体されます。現在の城は昭和41年の1966年に文化観光施設として5層5階の模擬天守が築かれ、門や櫓も同時に再建されました。
唐津城 名所・史跡
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「唐津城」は朝食を食べた後に見学するのでここでホテルに向かって戻ることにします。松原を歩くと強風で折れた松の小枝がたくさん落ちていました。もうすぐ正月なので、家に飾るのも面白いかと枝振りの良い松を探してみます。ところが元々が防風林なので、枝の片側にしか松葉が付いておらず、その枝も風で曲がっているので使い物になりそうもありませんでした。
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風の強い浜に出てみると遠浅の海からは波が押し寄せてきます。その景色は荘厳でもありました。
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そのうちに小雪が舞い始め、砂の上に積もることも無く吹き飛ばされて行きます。その景色も美しかったです。
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もちろん極寒の散歩に妻は行くはずもありません。昨晩と同じ朝食会場で朝ご飯をいただきましたが、妻から後光が射しているように見えました。よく見たら頭の上に光輪(HALO)が載っていました。合掌そしてアーメン。
メルキュール佐賀唐津リゾート 宿・ホテル
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エッグスタンドではオムレツが作ってもらえました。それ以外にも地産の豆腐などの食材が並んでいました。安いツアーで来ているので、よほどのことがない限りどんな食事でもありがたくいただけます。
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プラス思考で旅したほうが楽しいですからね。そんなつもりで旅行記も作っていますが、沖縄で泊まったホテルの晩御飯が美味しいと書いたら、美味しいと思わなかった方からメールが来ました。その方の投稿はクレームみたいなことが多かったですが、自分のマイナス思考を人に伝えて何がしたいのか。
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出発前に部屋から天気を確認してみますが、風は強くても晴れ間が出ているので天気は大丈夫そうです。と、この時はそう思いました。
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ホテルのアプリを登録すると1,000円分のクーポン券がいただけるというので、慌てて2人で登録して金券をいただきました。それは有明海の美味しい海苔に変えることが出来ました。
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ホテルを午前8時50分に出発して5分ほどで「唐津城」前の駐車場に着きました。お城は9時に開くのでそれに合わせての出発です。2号車は少し遅れての出発のようです。本丸へはこの階段を登るのですが、左手にはエレベーターもあり、100円で利用できるとの説明がありました。それを聞いた妻は手を出してくるので100円を持たせました。
唐津城 名所・史跡
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階段の脇には多宝塔の塔身が置かれてありました。これは法華経の信仰に由来するもので、塔身には釈迦如来と多宝如来が彫り出されています。顔の部分がえぐられているのは、仏像の顔を3度石で叩けば翌日は晴れるという俗信によるものだそうです。そのための石らしいものが上に置かれてあります。
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強風で落とされた赤や黄色に紅葉した葉がたくさん落ちています。
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玄界灘に突き出した東松浦半島の北部には文禄と慶長の役の拠点として名護屋城がありました。そして東松浦半島の東部に築かれたのが唐津城で、役の後で使われなくなった名護屋城の資材を用いたとされます。
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文禄元年の1592年から慶長3年の1598年にかけ、豊臣秀吉が明征服をめざして朝鮮に侵略した戦争がありました。この戦争の呼称については朝鮮では当時の干支をとって「壬辰・丁酉の倭乱」と呼び、明では日本が侵入した明の辺寨である朝鮮をおさえるという意味で「万暦朝鮮の役」と呼びます。今日では「文禄・慶長の役」「朝鮮出兵」「朝鮮侵略」と呼ぶのが一般的です。
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そんな歴史の中にあったことを考えると玄界灘の景色も、この「語る状」の石垣も違って見えてきます。
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昨日は対岸の台形に見える鏡山の山頂の展望台からこちらを望みましたが、今日は反対側の景色を眺めることが出来ました。
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宿泊していたホテルと「虹の松原」から散歩してきた辺りを確かめてみます。
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唐津城といえば五層の壮大な天守が有名ですがが、実はこの天守は模擬天守で、本来の唐津城には天守は築かれていなかったそうです。一説では秀吉の名護屋城の天守を移築する予定だったが果たせなかったとも言われますが、実際のところは江戸幕府に遠慮したのではないかといわれます。
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階段をあがり始めると雲が吹き飛んで青空が出てきました。上空の風はものすごく早いです。
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先ほどまでどんより曇ってグレー色だった天守閣が真っ白になりました。
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午前9時前なので天守閣に人の姿はまだありません。まるで江戸時代からここに建っていたかのような姿がそこにあります。
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二ノ曲輪にある「本丸櫓門」からさらに階段をあがります。
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本丸から天守閣を見上げます。エレベーターで昇ってきた妻たちの姿も見えます。
唐津城 博物館 美術館・博物館
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壁に開いた穴は狭間(さま)から表を覗いてみます。虹の松原の方角に天使の梯子が見えました。もう少し高い場所からだともっときれいに見えたのだろうと思います。
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天守閣は博物館になっており、「唐津城」の歴史が紹介されていました。特にすごいものが展示されてるわけではありませんが、写真撮影は禁止になっていました。唐津焼の歴史についても詳しく案内されていたのが興味深かったです。
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天守閣まで上がってみると、ここまで歩いてきた二の丸から本丸へ至るルートが手に取るように分かります。少し前まで晴れていた空はどこかへ吹き飛んでしまいました。
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時たま唐津湾にあるいくつかの島が姿を現します。昨晩泊まった「ホテル&リゾーツ佐賀唐津」の宴会場は唐津湾の3つの島の名前が使われていました。湾内には「高島」「神集島」「小川島」「加唐島」「松島」「馬渡島」「向島」の7つの島があるようです。
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そのうちの1つである「高島」が一番大きな島です。歩いても1周50分ほどの小さな島ですが「宝当神社」があることから全国的に知られるようになりました。1990年代にある住民が宝くじを購入した際に神社名にあやかり当選を祈願したところ高額当選した事が有名になったきっかけだと言われています。こんな小さな島ですがちゃんと宝くじ売り場があるそうです。
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松浦川に目をやると手前の鶴舞橋の向こうに松浦橋が見えます。ちょうどホテルの部屋から見えた橋なので位置関係が分かりやすいです。逆光ですが水面がキラキラ輝いてきれいです。
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唐津東港には長崎県の壱岐行きのフェリーが停泊しているのが見えました。まだ利用したことの無い航路ですが、いつか壱岐にも行ってみたいと思っています。又風が強くなって、天守閣の海側には立っていられないほどです。
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唐津城の天守から一望される虹の松原は城主だった寺沢広高が築いた防風と防砂林で、かつては「二里の松原」と呼ばれました。朝散歩した時よりも波は強くなり、満潮の影響なのか砂浜も狭くなっているようです。
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「洋々閣」も探してみますが甍の中に埋もれていてどこか分かりません。寒すぎるので早々に引き上げます。
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本丸まで戻るとまたきれいな青空になりました。妻はエレベーターで降りるというのでまたお別れです。
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同じルートで駐車場に向かいます。
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帰りは4人のおばあさんが竹箒を持って階段の掃除をしていました。秋からこのシーズンは落ち葉が多いので大変だと思います。すっかり見違えるほどきれいになっていました。
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駐車場の手前で絵葉書を1枚書いて投函します。今年はいったい何枚絵葉書を出したのか…。バスは「七ツ釜」に向かって走り出します。前回唐津に来たときは「唐津城」にも「七ツ釜」にも「呼子」にも行かなかったので楽しみにしていた観光です。
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唐津の町を出て農村の風景に変わると途端に雪が積もっていることに驚きます。そして小雪も舞ってきました。
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壱岐まで見えるのではないかと思い、写真を撮っておきましたが入り組んだ海岸線なので方角が分かりません。
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「七ツ釜」は陸地からも海からも遊覧船で観光できるとは聞いていましたが、遊覧船は欠航になっていました。
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駐車場でバスを降りて全員で「七ツ釜」の見学に向かいます。ここでは40分ほどの観光の予定です。
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沖合には姿の美しい「鷹島」が見えました。名前は「鷹島」ですが、その姿はクジラに例えられるそうです。
七ツ釜展望台 自然・景勝地
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海岸線は絶壁になっていて、その様子からも柱状節理なのだと分かります。福井の東尋坊とか北海道の花咲港辺りの海岸線、10月に行った下北半島や11月に行った北海道の層雲峡でも見て来たことを思い出します。
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駐車場から歩いて来た森の中も強風で枝葉が大きく揺れてすごい音がしていましたが、草原に出るとものすごい強風です。
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「七ツ釜」の1つの先端になる「黒瀬鼻」だけがこんもりした森になっています。不思議な景色に、日本にはまだまだ知らないところがたくさんあると思います。
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ススキ野原の先には像が見えました。これも佐用姫に関わる物かと思いました。これは「乙姫大明神」というものでした。
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「七ツ釜」は玄武岩がその波の荒々しさで知られる玄界灘の荒波にさらされ浸食されてできた景勝地です。断崖は深くえぐられ、その名の通り7つの洞窟が並列し、自然の驚異を感じさせてくれます。ただ、陸上からではそのすべてを見ることは出来ないようです。この波を見ると遊覧船が欠航なのも頷けます。
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35年近く前に池袋の西武にWAVEという音楽や音響の館がありました。その中にAVスタジオというものがあり、期間限定で著名人の提案するAV空間を作っていました。その仕事でスタイリストの北村道子さんと一緒に仕事をさせていただいたのですが、その時のテーマが「Le Grand Bleu」(その当時はグレート・ブルーという英題)でした。部屋の床も壁も天井もクライン・ブルーのような群青の空間を作りました。
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その時初めてリュック・ベッソンの映画だと知ったのですが、すぐにLD(レーザー・ディスク)を買って観ましたが完全にはまりました。そして30歳の時に2か月のヨーロッパの旅に出て、映画のロケ地をいくつか訪ねました。シチリアのタオルミーナの「カポ・タオルミーナ」と「サン・ドメニコ・パレス・ホテル」、「タオルミーナのジャルディーニ・ネクサス駅」、町中の細い路地…。一緒に映画を観た弟はペルーの鉄道を乗りに行ってしまいました。
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話しは逸れましたが主人公のジャック・マイヨールは実在の人物で「人類史上初、素潜りで水深100メートルを達成した人物」として有名です。著書「イルカと海に帰る日」では子供の頃の思い出が書かれてありました。
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父親の仕事の関係で子供の頃は中国の上海に住んでおり、そこから毎年夏になると避暑のために一家で佐賀県唐津市に滞在するのが通例でした。子供時代のジャックに素潜りを教えたのは東唐津の漁師たちでした。
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「七ツ釜」の海で素潜りをしているジャックに興味を持ったかのように、背後から近づいていた大きな魚影があり、それがイルカとの初めての出会いでした。
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そんなことを思い出しながら初めて来た「七ツ釜」でしたが、そんな思い出もすっ飛んでしまうような暴風でした。スマホにいれていた映画のサントラの音楽を聴こうと思いましたが、それどころではありません。エリック・セラのCDを持って20年くらいは地中海周辺を旅しましたが、日本の景色には合わなさそうです。
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遅れてやってきた2号車の人たちも展望台に着いたみたいですが、島影は消えてしまっています。写真には写っていませんが、細かい雪も舞っています。
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1人で「黒瀬鼻」を一周してきたので、心配した妻が待っていてくれました。
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「七ツ釜」の見学の後はバスに乗って呼子に向かいました。呼子大橋の見える港に到着しました。
呼子大橋 名所・史跡
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どうやらこの店でお昼が食べられるようです。添乗員さんの事前説明では「漁によっては生きたイカではなく冷凍のものだったり、イカが無い場合もあります。」とのことでしたが、生き作りがいただけるようです。
ぐるめ海舟 唐津店 グルメ・レストラン
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「海舟」というレストランの2階の座敷を目指します。1回はお土産屋さんになっているので後で買い物も楽しめそうです。
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今回のツアーのポイントである「呼子のイカの生き造り」ですが、これで4人前ということです。お隣のご夫婦に断って写真を撮らせていただきました。
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普段であれば2人で大きなものを1杯いただいているのでちょっと残念です。
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ここはもう冷酒しかないので前の晩も飲んだ地元の「太閤」をいただきます。一切火入れをしない本生酒特有のすっきりとした飲み口なのでイカにはよく合います。
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イカしゅうまいはこの店で造られているもののようで、1階でも売っているようです。美味しかったイカのもろみ漬けは後でお土産に買い求め、まとめてクール便で東京まで送りました。
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動いていた胴体の部分は熱々の揚げたてのゲソの天婦羅になって帰ってきました。これは最高に美味しかったです。
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イカ釣り漁船を眺めながらジャック・マイヨールもここへ来たのだろうかと思いました。お土産も送れて大満足の唐津の旅でした。
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良かったのはここまでで、バスに乗ると添乗員さんから「暴風雪の影響で九州中の高速が通行止めになりました。予定していた門司港と下関のふくフルコースは中止となり、博多駅に向かってそこから小倉駅まで新幹線に乗っての移動になります。」ということでした。ここからツアーは迷走を始めます。
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