リオデジャネイロ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
翼は、いきなり南米リオデジャネイロへ。前回の旅行記<br />「トレド〈スペイン〉の街とエル・グレコの物語」編<br />で、絶景の地に建つパラドール〈国営の宿〉から<br />タクシーを待ちながら歩き出し結局、タクシーがやって来ず<br />麓のバス停まで歩いたこと等を綴りましたが、<br />書きながら、あれっこんな事、前にも一度経験したなぁ。<br />と、思い出しました。(⌒▽⌒)<br />そして、今回 未だ旅行記にしていなかった画像たちの<br />登場となりました。<br /><br />大阪編の続きの京都・神戸や、夏のラビスタ東京ベイシリーズ<br />そして、札幌・小樽編を残したまま、<br />リオ編へ飛んできてしまいました。(⌒-⌒; ) <br /><br />スマホはまだなく、新発売のSONYのノートパソコンが<br />唯一日本とのつながり。しかし、メールがつながるのは<br />大都市の大きなHotelのビジネスセンターからのみ。<br />それも、なかなか繋がらず、やっと繋がったと思ったら<br />直ぐ虚しい響とともにビジーのエラーメッセージ。<br />中南米とアフリカでは送受信は諦め状態。(⌒-⌒; )<br />そんな時代でした。<br />遠く南米へのひとり旅をアップすることで、あの旅が実現する<br />までのことを懐かしく思い返しながら<br />困難よりも旅への想いが強い牽引力に<br />なってくれたのだなぁ。<br /><br />リオデジャネイロとワンワールドの旅に<br />登場してもらうことにしました。(^ー^)<br />

リオデジャネイロで3泊4日の滞在 ~ ワンワールドの旅の空から

90いいね!

2002/09/06 - 2002/09/09

62位(同エリア469件中)

0

45

あの街から

あの街からさん

翼は、いきなり南米リオデジャネイロへ。前回の旅行記
「トレド〈スペイン〉の街とエル・グレコの物語」編
で、絶景の地に建つパラドール〈国営の宿〉から
タクシーを待ちながら歩き出し結局、タクシーがやって来ず
麓のバス停まで歩いたこと等を綴りましたが、
書きながら、あれっこんな事、前にも一度経験したなぁ。
と、思い出しました。(⌒▽⌒)
そして、今回 未だ旅行記にしていなかった画像たちの
登場となりました。

大阪編の続きの京都・神戸や、夏のラビスタ東京ベイシリーズ
そして、札幌・小樽編を残したまま、
リオ編へ飛んできてしまいました。(⌒-⌒; )

スマホはまだなく、新発売のSONYのノートパソコンが
唯一日本とのつながり。しかし、メールがつながるのは
大都市の大きなHotelのビジネスセンターからのみ。
それも、なかなか繋がらず、やっと繋がったと思ったら
直ぐ虚しい響とともにビジーのエラーメッセージ。
中南米とアフリカでは送受信は諦め状態。(⌒-⌒; )
そんな時代でした。
遠く南米へのひとり旅をアップすることで、あの旅が実現する
までのことを懐かしく思い返しながら
困難よりも旅への想いが強い牽引力に
なってくれたのだなぁ。

リオデジャネイロとワンワールドの旅に
登場してもらうことにしました。(^ー^)

旅行の満足度
4.0
観光
5.0
ホテル
4.5
グルメ
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
旅行の手配内容
個別手配

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  • リオデジャネイロへの旅<br />随分と年月は経ってしまったけれど、<br />リオデジャネイロの観光主な名所は<br />当時からほとんど変わらず健在!<br /><コルコバードのキリスト像><br /><グアナバラ湾 アルポアドール海岸><br /><ウルカの丘とポン・ヂ・アスーカル> <br /><ペドラ・ダ・ガヴェア><br /><カンデラリア教会> <市立劇場> <br />と、画像が残されていました。(⌒▽⌒)<br />それでは<br />リオデジャネイロへの旅繋がりと<br />今年2023年計画中〈事前下調べ〉の話しを織り交ぜての<br />旅行記は始まります。<br />

    リオデジャネイロへの旅
    随分と年月は経ってしまったけれど、
    リオデジャネイロの観光主な名所は
    当時からほとんど変わらず健在!
    <コルコバードのキリスト像>
    <グアナバラ湾 アルポアドール海岸>
    <ウルカの丘とポン・ヂ・アスーカル> 
    <ペドラ・ダ・ガヴェア>
    <カンデラリア教会> <市立劇場> 
    と、画像が残されていました。(⌒▽⌒)
    それでは
    リオデジャネイロへの旅繋がりと
    今年2023年計画中〈事前下調べ〉の話しを織り交ぜての
    旅行記は始まります。

  • リオデジャネイロへの旅は<br />その年の夏<br />ワンワールドの航空券を手に<br />カナダのバンフから始まりました。<br /><br />バンフからナイヤガラの滝を回り<br />メキシコへそこから

    リオデジャネイロへの旅は
    その年の夏
    ワンワールドの航空券を手に
    カナダのバンフから始まりました。

    バンフからナイヤガラの滝を回り
    メキシコへそこから

    バンフ スプリングス ホテル ホテル

  • マイアミへ飛んで<br />北米最南端からキューバを眺めたり<br />マイアミから南米のサンチャゴへ入り<br />南海の孤島イースター島へ飛んで<br />サムライと呼ばれていたスズキをレンタルして<br />島中を駆け巡り<br />モアイ像は今のように柵もなにも無く<br />文字通り南海の孤島に建っていました。<br /><br />最近〈2023.3〉のアメリカABCニュースによると<br />面積160m2の小さな島イースター島におよそ300年 <br />前から存在する1000体もモアイ像ですが、このところの<br />気候変動により嵐がより強くなったのに加えて高潮の威力も<br />増し海面上昇で海岸の侵食に加えてそれとは反するような<br />干ばつ等の影響を受け大きな脅威にさらされている。と、<br />気になるニュース。モアイ像は、イースター島の人々の糧<br />ですから、島で触れ合いを持つことができた人たちを思うと<br />心痛みます。<br /><br />そのイースター島からサンパウロに出て<br />そこからイグアスの滝へ<br />イグアスで3泊した後再びサンパウロへ戻り<br />そこからブラジルのリオデジャネイロへ向かいました。

    マイアミへ飛んで
    北米最南端からキューバを眺めたり
    マイアミから南米のサンチャゴへ入り
    南海の孤島イースター島へ飛んで
    サムライと呼ばれていたスズキをレンタルして
    島中を駆け巡り
    モアイ像は今のように柵もなにも無く
    文字通り南海の孤島に建っていました。

    最近〈2023.3〉のアメリカABCニュースによると
    面積160m2の小さな島イースター島におよそ300年 
    前から存在する1000体もモアイ像ですが、このところの
    気候変動により嵐がより強くなったのに加えて高潮の威力も
    増し海面上昇で海岸の侵食に加えてそれとは反するような
    干ばつ等の影響を受け大きな脅威にさらされている。と、
    気になるニュース。モアイ像は、イースター島の人々の糧
    ですから、島で触れ合いを持つことができた人たちを思うと
    心痛みます。

    そのイースター島からサンパウロに出て
    そこからイグアスの滝へ
    イグアスで3泊した後再びサンパウロへ戻り
    そこからブラジルのリオデジャネイロへ向かいました。

    イグアスの滝 (アルゼンチン) 国立公園

  • マイアミから南米を巡るジェット機への<br />搭乗者の日本人はいつも、自分1人。<br />そんな時代でした。<br /><br />バンフから数えてリオデジャネイロにやって来たのは<br />33日目となっていました。

    マイアミから南米を巡るジェット機への
    搭乗者の日本人はいつも、自分1人。
    そんな時代でした。

    バンフから数えてリオデジャネイロにやって来たのは
    33日目となっていました。

  • カナダ~メキシコ~マイアミ~<br />そしてイースター島とまだ夏の様相でしたが<br />サンチャゴの空港に降り立った時には<br />寒くなってきたなぁ。と感じましたが<br />さすがに広いブラジル。<br />リオデジャネイロの日中は<br />まさにこれから夏に向かおうぞ。<br />そんな感じでした。<br /><br />リオデジャネイロと東京の<br />ここ数年の平均気象データを<br />Wikiをググってみました。<br />リオデジャネイロ<br />9月の平均最高気温 25°  日平均気温22°        平均最低気温19°  <br /> 降水量86mm      平均月間日照時間 138.0<br /><br />東京<br />最高気温27°  最低気温 20°  降雨日数 12日<br />同一のデータ表じゃなかったのですが<br /> 東京も平均値なのだろうね。  <br /><br />南半球と北半球でどちらも季節が反転する<br />境目の頃でした。

    カナダ~メキシコ~マイアミ~
    そしてイースター島とまだ夏の様相でしたが
    サンチャゴの空港に降り立った時には
    寒くなってきたなぁ。と感じましたが
    さすがに広いブラジル。
    リオデジャネイロの日中は
    まさにこれから夏に向かおうぞ。
    そんな感じでした。

    リオデジャネイロと東京の
    ここ数年の平均気象データを
    Wikiをググってみました。
    リオデジャネイロ
    9月の平均最高気温 25°  日平均気温22° 平均最低気温19°  
    降水量86mm 平均月間日照時間 138.0

    東京
    最高気温27°  最低気温 20°  降雨日数 12日
    同一のデータ表じゃなかったのですが
    東京も平均値なのだろうね。 

    南半球と北半球でどちらも季節が反転する
    境目の頃でした。

  • リオデジャネイロへ行ったら<br />先ずは、標高710mの絶壁の頂きにある<br />〈コルコバードのキリスト像〉へ<br />行ってみました。

    リオデジャネイロへ行ったら
    先ずは、標高710mの絶壁の頂きにある
    〈コルコバードのキリスト像〉へ
    行ってみました。

  • セントロから登山電車乗り場まではホテルのレセプションで教えてもらい<br />「コルコバード電車(Trem do Corcovado)」行のバスで向かいました。<br /><br />登山電車は<br />毎日8:00~19:00、30分間隔で運行していて<br />乗車時間は片道約20分程。<br />途中の急斜面から見る景色も見どころの1つで、<br />街の景色は登り時進行方向右側に広がります。<br /> 

    セントロから登山電車乗り場まではホテルのレセプションで教えてもらい
    「コルコバード電車(Trem do Corcovado)」行のバスで向かいました。

    登山電車は
    毎日8:00~19:00、30分間隔で運行していて
    乗車時間は片道約20分程。
    途中の急斜面から見る景色も見どころの1つで、
    街の景色は登り時進行方向右側に広がります。
     

  • 登山電車の終点で下車し、そこから更に100段を超える階段を上ると<br />キリスト像の後ろ姿が最初は小さく見えて<br />だんだんと大きくなり、そこに聳え立っていました。<br /><br />

    登山電車の終点で下車し、そこから更に100段を超える階段を上ると
    キリスト像の後ろ姿が最初は小さく見えて
    だんだんと大きくなり、そこに聳え立っていました。

  • 1922年ブラジル独立100周年を記念して<br />同年から1931年にかけて建設されました。<br />高さ39.6m   左右30m  総重量635トン。<br />2012年世界遺産に登録。

    1922年ブラジル独立100周年を記念して
    同年から1931年にかけて建設されました。
    高さ39.6m 左右30m 総重量635トン。
    2012年世界遺産に登録。

  • それはそれは、存在感があり聳え立っていました。<br /><br />コルコバードのキリスト像は、大きく両手を広げています。<br />このキリストの立ち姿にも、意味があるのです。<br />キリストが大きく両手を広げているのは、<br />ブラジルの人々の心の温かさを表していると考えられています。<br />

    それはそれは、存在感があり聳え立っていました。

    コルコバードのキリスト像は、大きく両手を広げています。
    このキリストの立ち姿にも、意味があるのです。
    キリストが大きく両手を広げているのは、
    ブラジルの人々の心の温かさを表していると考えられています。

  • 標高700mとは思えない<br />あんな高い所にあるのですね。

    標高700mとは思えない
    あんな高い所にあるのですね。

  • グアナバラ湾 アルポアドール海岸<br /><br />ブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビンが1962年に<br />作曲したボサノヴァの名曲「イパネマの娘」<br />(ポルトガル語: Garota de Ipanema、英語: The Girl from Ipanema)が<br />世界的に大ヒット。<br />このヒットで日本でもイパネマ海岸が一躍有名になりました。<br /><br />JAZZ界の大御所スタン・ゲッツのアルバム<br />『ゲッツ/ジルベルト』に収録された<br />英語盤「イパネマの娘」は<br />1963年3月ニューヨークのA&amp;Rレコーディングスタジオで<br />録音されました。<br />テナー・サックスのスタン・ゲッツ、<br />ギターとポルトガル語のボーカルがジョアン・ジルベルト<br />ピアノがアントニオ・カルロス・ジョビン<br />英語版のボーカルを担当したアストラッド・ジルベルトは<br />たまたま夫のジョアンに寄り添ってスタジオに来ていて<br />歌ってみたところそのままレコーディングとなりました。<br />そして英語版の「イパネマの娘」は<br />1963年7月18日から7月25日にかけて2週連続で<br />ビルボードHOT100で5位を記録<br />さらにイージーリスニング・チャートで1位を記録し<br />グラミー賞・最優秀レコード賞を受賞しました。<br />

    グアナバラ湾 アルポアドール海岸

    ブラジルのアントニオ・カルロス・ジョビンが1962年に
    作曲したボサノヴァの名曲「イパネマの娘」
    (ポルトガル語: Garota de Ipanema、英語: The Girl from Ipanema)が
    世界的に大ヒット。
    このヒットで日本でもイパネマ海岸が一躍有名になりました。

    JAZZ界の大御所スタン・ゲッツのアルバム
    『ゲッツ/ジルベルト』に収録された
    英語盤「イパネマの娘」は
    1963年3月ニューヨークのA&Rレコーディングスタジオで
    録音されました。
    テナー・サックスのスタン・ゲッツ、
    ギターとポルトガル語のボーカルがジョアン・ジルベルト
    ピアノがアントニオ・カルロス・ジョビン
    英語版のボーカルを担当したアストラッド・ジルベルトは
    たまたま夫のジョアンに寄り添ってスタジオに来ていて
    歌ってみたところそのままレコーディングとなりました。
    そして英語版の「イパネマの娘」は
    1963年7月18日から7月25日にかけて2週連続で
    ビルボードHOT100で5位を記録
    さらにイージーリスニング・チャートで1位を記録し
    グラミー賞・最優秀レコード賞を受賞しました。

  • 村上春樹のエッセイにスタン・ゲッツのことを<br />こんな風に書いていました。<br />「僕は、スタン・ゲッツの♪曲は昔から<br />よく聴いていました。そこで彼の生涯を<br />小説にしたいなぁと、彼について<br />いろいろと調べてみました。<br />華やかな音楽遍歴の影で彼は終生<br />酒と麻薬中毒に苦しんだ生涯を送り<br />まるで音楽は独立生命体のようで<br />宿生がでたらめでも進化するのだなぁ。」と<br />しかし、この生涯を小説に仕立てたところで<br />暗く滅入ってしまいそうになり<br />小説化は止めてしまったそうです。<br /><br />まぁ後に村上春樹は、本人の著作ではなく<br />ドナルド・L・マギン著<br />「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」<br />という訳本を出版することに。<br />村上春樹のスタン・ゲッツへの<br />入れこみ(⌒▽⌒)よく伝わってきました。<br /><br />そして「イパネマの娘」は、ビートルズのイエスタディなどに次いで<br />世界中で多くのアーティストにカヴァーされた<br />ポピュラーソングの一つといわれ<br />ボサ・ノヴァのナンバーとしてはもっとも著名な曲となりました。

    村上春樹のエッセイにスタン・ゲッツのことを
    こんな風に書いていました。
    「僕は、スタン・ゲッツの♪曲は昔から
    よく聴いていました。そこで彼の生涯を
    小説にしたいなぁと、彼について
    いろいろと調べてみました。
    華やかな音楽遍歴の影で彼は終生
    酒と麻薬中毒に苦しんだ生涯を送り
    まるで音楽は独立生命体のようで
    宿生がでたらめでも進化するのだなぁ。」と
    しかし、この生涯を小説に仕立てたところで
    暗く滅入ってしまいそうになり
    小説化は止めてしまったそうです。

    まぁ後に村上春樹は、本人の著作ではなく
    ドナルド・L・マギン著
    「スタン・ゲッツ 音楽を生きる」
    という訳本を出版することに。
    村上春樹のスタン・ゲッツへの
    入れこみ(⌒▽⌒)よく伝わってきました。

    そして「イパネマの娘」は、ビートルズのイエスタディなどに次いで
    世界中で多くのアーティストにカヴァーされた
    ポピュラーソングの一つといわれ
    ボサ・ノヴァのナンバーとしてはもっとも著名な曲となりました。

  • 一方、アストラッドは「イパネマの娘」のヒットによってアメリカで<br />人気歌手となりましたがジョアンとアストラッドは程なく離婚してしまいました。<br /><br />アストラッドはプロデューサー・クリード・テイラーの<br />後押しによって多くのボサ・ノヴァ曲を英語で歌唱し<br />「ボサ・ノヴァの女王」とまで呼ばれ<br />ボサ・ノヴァ歌手として世界的に有名になりましたが<br />ボサ・ノヴァ発祥の地であるブラジル本国ではこのヒット後も<br />ほとんど知名度のない存在であり続けました。<br />それは<br />ボサ・ノヴァがアメリカ的コマーシャリズムに蹂躙された<br />代表例として批判され、コアなボサ・ノヴァ愛好者たちから<br />アルバム『ゲッツ/ジルベルト』やアストラッド・ジルベルトが<br />複雑な扱いを受ける一因にもなっているのだとか。<br /><br />”あの街から”的には、暑い夏の日に棚から取り出しては聴く<br />気に入りの1曲となっています。

    一方、アストラッドは「イパネマの娘」のヒットによってアメリカで
    人気歌手となりましたがジョアンとアストラッドは程なく離婚してしまいました。

    アストラッドはプロデューサー・クリード・テイラーの
    後押しによって多くのボサ・ノヴァ曲を英語で歌唱し
    「ボサ・ノヴァの女王」とまで呼ばれ
    ボサ・ノヴァ歌手として世界的に有名になりましたが
    ボサ・ノヴァ発祥の地であるブラジル本国ではこのヒット後も
    ほとんど知名度のない存在であり続けました。
    それは
    ボサ・ノヴァがアメリカ的コマーシャリズムに蹂躙された
    代表例として批判され、コアなボサ・ノヴァ愛好者たちから
    アルバム『ゲッツ/ジルベルト』やアストラッド・ジルベルトが
    複雑な扱いを受ける一因にもなっているのだとか。

    ”あの街から”的には、暑い夏の日に棚から取り出しては聴く
    気に入りの1曲となっています。

  • アルポアドール海岸は、<br />コパカバーナ海岸とイパネマ海岸の間にある半島の先っぽのエリアで、<br />岩の上から海や山の景色を眺めることができ、<br />リオで最も有名な夕日鑑賞スポットといわれています。<br />日没の時間帯には、海に沈みゆく夕日を見るため多くの人が集まります。<br /><br />アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバの名曲「イパネマの娘」の<br />名前を冠した公園もあるのだとか。<br />

    アルポアドール海岸は、
    コパカバーナ海岸とイパネマ海岸の間にある半島の先っぽのエリアで、
    岩の上から海や山の景色を眺めることができ、
    リオで最も有名な夕日鑑賞スポットといわれています。
    日没の時間帯には、海に沈みゆく夕日を見るため多くの人が集まります。

    アントニオ・カルロス・ジョビンのボサノバの名曲「イパネマの娘」の
    名前を冠した公園もあるのだとか。

  • カリオカケイタさん<br />お元気ですか。<br /><br />お互いの掲示板でいろいろ旅の<br />お話しをしましたが<br />不思議とカリオカの話題は出なかったなぁ。<br />と今頃気がついたりしています。(⌒-⌒; )<br />こちらから、聞いてみるべきだったなぁ。と

    カリオカケイタさん
    お元気ですか。

    お互いの掲示板でいろいろ旅の
    お話しをしましたが
    不思議とカリオカの話題は出なかったなぁ。
    と今頃気がついたりしています。(⌒-⌒; )
    こちらから、聞いてみるべきだったなぁ。と

  • スマホの無いあの時代<br />メキシコ・南米とアフリカ大陸の情報は<br />他に手頃なガイドブックがなかったこともあり<br />もっぱら「地球の歩き方」に頼っていました。<br /><br />当時、メキシコでも南米でもアフリカ大陸も治安上<br />日没からの出歩きは控えていました。

    スマホの無いあの時代
    メキシコ・南米とアフリカ大陸の情報は
    他に手頃なガイドブックがなかったこともあり
    もっぱら「地球の歩き方」に頼っていました。

    当時、メキシコでも南米でもアフリカ大陸も治安上
    日没からの出歩きは控えていました。

  • それでも<br />ここはイパネマ海岸だよぉ。<br />ワクワク感と好奇心が<br />ある夜といっても日没間もなく<br />でしたが

    それでも
    ここはイパネマ海岸だよぉ。
    ワクワク感と好奇心が
    ある夜といっても日没間もなく
    でしたが

  • 当時は、Hotelの部屋に小型金庫などはほとんど<br />ほとんど備えられていませんでしたから<br />貴重品はHotelのレセプションに預け

    当時は、Hotelの部屋に小型金庫などはほとんど
    ほとんど備えられていませんでしたから
    貴重品はHotelのレセプションに預け

  • クレジットカード1枚と<br />もしもホールドアップに遭遇した時のために<br />僅かな小銭をポケットに入れ<br />身軽になって

    クレジットカード1枚と
    もしもホールドアップに遭遇した時のために
    僅かな小銭をポケットに入れ
    身軽になって

  • 人気のあまりいなくなった<br />イパネマ海岸沿いのレストランに<br />夕食を食べに出かけてみました。

    人気のあまりいなくなった
    イパネマ海岸沿いのレストランに
    夕食を食べに出かけてみました。

  • 地球の歩き方に載っていたお店で<br />その店の名物料理を食べました。<br />もう、味は忘れてしまいました。(⌒-⌒; )

    地球の歩き方に載っていたお店で
    その店の名物料理を食べました。
    もう、味は忘れてしまいました。(⌒-⌒; )

  • ただ、店の中では(⌒▽⌒)<br />違和感のないホスピタリティある接遇を受け<br />食べ終えるやいなやHotelまで、<br />逃げるように(⌒-⌒; ) 急いで帰ったことを<br />覚えています。<br />

    ただ、店の中では(⌒▽⌒)
    違和感のないホスピタリティある接遇を受け
    食べ終えるやいなやHotelまで、
    逃げるように(⌒-⌒; ) 急いで帰ったことを
    覚えています。

  • ウルカの丘とポン・ヂ・アスーカル<br />ポルトガル語で砂糖パンという名前を持つ「ポン ヂ アスーカル」。グアナバラ湾に突き出す奇岩です。 岩の上へは、ふたつのロープウェイを乗り継いでいきます。山々と海岸、そしてリオの市街が見事に調和した景観を楽しめます。<br /><br />2つのロープウェイを乗り継いでアクセスでき、リオの街や海などの美しい景色を眺められるスポット。1本目のロープウェイを降りたところにあるのがウルカの丘です。カフェテラスもありゆったりと過ごせます。その先のロープウェイで行くポン・ヂ・アスーカルは、半島の上にある巨大な奇岩で、頂上からの眺めはまさに絶景です。

    ウルカの丘とポン・ヂ・アスーカル
    ポルトガル語で砂糖パンという名前を持つ「ポン ヂ アスーカル」。グアナバラ湾に突き出す奇岩です。 岩の上へは、ふたつのロープウェイを乗り継いでいきます。山々と海岸、そしてリオの市街が見事に調和した景観を楽しめます。

    2つのロープウェイを乗り継いでアクセスでき、リオの街や海などの美しい景色を眺められるスポット。1本目のロープウェイを降りたところにあるのがウルカの丘です。カフェテラスもありゆったりと過ごせます。その先のロープウェイで行くポン・ヂ・アスーカルは、半島の上にある巨大な奇岩で、頂上からの眺めはまさに絶景です。

  • ペドラ・ダ・ガヴェア<br />バッハエリアにある、ユニークな形をした山。切り立った巨大な絶壁がテレビでも取り上げられ、日本でも有名となった絶景スポットです。山頂へはロッククライミングのように崖を登らないといけないようです。

    ペドラ・ダ・ガヴェア
    バッハエリアにある、ユニークな形をした山。切り立った巨大な絶壁がテレビでも取り上げられ、日本でも有名となった絶景スポットです。山頂へはロッククライミングのように崖を登らないといけないようです。

  • Hotelで朝食を終え<br />イパネマ海岸を散策するのは楽しかったです。<br /><br /><br />

    Hotelで朝食を終え
    イパネマ海岸を散策するのは楽しかったです。


  • 地球の歩き方の注意書きを読んで<br />メキシコ・南米・アフリカ大陸のHotelは<br />セキュリティのしっかりとしたところを選びました。

    地球の歩き方の注意書きを読んで
    メキシコ・南米・アフリカ大陸のHotelは
    セキュリティのしっかりとしたところを選びました。

  • 特段治安に不安を感じることもなく

    特段治安に不安を感じることもなく

  • というのも、ポリスマンが<br />間隔を置いて配置されていました。

    というのも、ポリスマンが
    間隔を置いて配置されていました。

  • 若者もシニアの方々も<br />それぞれに楽しんでいる様子を見て<br />あぁここは、日本の地球の裏側に来ているのだ<br />と、ひとりほくそ笑んでいました。

    若者もシニアの方々も
    それぞれに楽しんでいる様子を見て
    あぁここは、日本の地球の裏側に来ているのだ
    と、ひとりほくそ笑んでいました。

  • 「リオデジャネイロ市立劇場」 <br />セントロ地区の歴史的な建造物が立ち並ぶ一角にあり<br />パリのオペラ座を模して造られたという。<br />オペラや古典劇などを上演しており、<br />館内はガイドツアーで見学もできます。<br />コロナ禍で閉館していたのとことですが<br />このほど再開したとの情報も伝わってきました。

    「リオデジャネイロ市立劇場」 
    セントロ地区の歴史的な建造物が立ち並ぶ一角にあり
    パリのオペラ座を模して造られたという。
    オペラや古典劇などを上演しており、
    館内はガイドツアーで見学もできます。
    コロナ禍で閉館していたのとことですが
    このほど再開したとの情報も伝わってきました。

  • セントロ地区には<br />歴史的な建築物が見受けられ

    セントロ地区には
    歴史的な建築物が見受けられ

  • セントロ地区には<br />歴史的な建築物が見受けられ

    セントロ地区には
    歴史的な建築物が見受けられ

  • カンデラリア教会<br />セントロ地区に位置する「カンデラリア教会」<br />教会正面はバロック様式、内装は新古典主義と<br />ネオ・ルネサンス様式の歴史ある美しい教会です。<br />教会内の天井に飾られた絵画には、カンデラリア教会の<br />生い立ちとなる物語が描かれており、<br />白い大理石の像や床の文様なども美しいとのこと。<br />

    カンデラリア教会
    セントロ地区に位置する「カンデラリア教会」
    教会正面はバロック様式、内装は新古典主義と
    ネオ・ルネサンス様式の歴史ある美しい教会です。
    教会内の天井に飾られた絵画には、カンデラリア教会の
    生い立ちとなる物語が描かれており、
    白い大理石の像や床の文様なども美しいとのこと。

  • 僅か3日間の滞在でしたが<br />連日、Hotelで朝食を終えると<br />夕方まで街歩きをしていました。

    僅か3日間の滞在でしたが
    連日、Hotelで朝食を終えると
    夕方まで街歩きをしていました。

  • 僅か3日間の滞在でしたが<br />連日、Hotelで朝食を終えると<br />夕方まで街歩きをしていました。

    僅か3日間の滞在でしたが
    連日、Hotelで朝食を終えると
    夕方まで街歩きをしていました。

  • 僅か3日間の滞在でしたが<br />連日、Hotelで朝食を終えると<br />夕方まで街歩きをしていました。

    僅か3日間の滞在でしたが
    連日、Hotelで朝食を終えると
    夕方まで街歩きをしていました。

  • あの日 体調は絶好調でしたぁ。 <br />麓駅から登山電車に乗って<br />コルコバードのキリスト像へ行きました。<br />頂上展望台でしばし絶景を楽しんだ後<br />下山をする段になり登山電車口へ向かう途中<br />登山道が併設されているのを見て<br />絶景を眺められるのに、登山電車で一気に<br />降りるのはもったいないなぁ。<br />下りだし、階段を歩いて行こう!<br />と思い歩き出しました。<br /><br />しかし、歩く程に迷路のような道に<br />ハマってしまい、なんだか雰囲気も<br />危なそうな混みいった所に入ってしまいました。<br />これはまずいと気がつき、大きな道、大きな通り<br />へと急ぎ足で走るように駆け降り<br />なんとか大通りにで、無事タクシーを捕まえる<br />ことができ、セントロに戻ることができました。<br /><br />メキシコシティの市場散策でパンツ〈ズボン〉に<br />知らぬ間にケチャップをかけられ<br />一見すると紳士風のおじさんにそのケチャップを<br />とってあげるよ。ついておいで。などあり<br />もちろんついて行くことはなかったけれど、<br />あの時は、命の危険は感じませんでしたが<br />ここでは、一瞬 危な! と感じ<br />ワンワールドの旅で、一番の(⌒-⌒; ) でした。<br />しかし、今振り返ってみると<br />この2つの経験があってからより慎重に<br />しなければと、自分に言い聞かせて<br />その後、この旅で危険な目に遭うことはなく<br />旅を続けることができました。<br /><br />

    あの日 体調は絶好調でしたぁ。 
    麓駅から登山電車に乗って
    コルコバードのキリスト像へ行きました。
    頂上展望台でしばし絶景を楽しんだ後
    下山をする段になり登山電車口へ向かう途中
    登山道が併設されているのを見て
    絶景を眺められるのに、登山電車で一気に
    降りるのはもったいないなぁ。
    下りだし、階段を歩いて行こう!
    と思い歩き出しました。

    しかし、歩く程に迷路のような道に
    ハマってしまい、なんだか雰囲気も
    危なそうな混みいった所に入ってしまいました。
    これはまずいと気がつき、大きな道、大きな通り
    へと急ぎ足で走るように駆け降り
    なんとか大通りにで、無事タクシーを捕まえる
    ことができ、セントロに戻ることができました。

    メキシコシティの市場散策でパンツ〈ズボン〉に
    知らぬ間にケチャップをかけられ
    一見すると紳士風のおじさんにそのケチャップを
    とってあげるよ。ついておいで。などあり
    もちろんついて行くことはなかったけれど、
    あの時は、命の危険は感じませんでしたが
    ここでは、一瞬 危な! と感じ
    ワンワールドの旅で、一番の(⌒-⌒; ) でした。
    しかし、今振り返ってみると
    この2つの経験があってからより慎重に
    しなければと、自分に言い聞かせて
    その後、この旅で危険な目に遭うことはなく
    旅を続けることができました。

    コルコバードの丘 自然・景勝地

  • 計画を立てる時に、南米から今度はアフリカ大陸だぁ。<br />と意気込んで航空会社にチケットを申し込んだところ<br />ワンワールドのチケットの規約上、南米からダイレクトに<br />アフリカ大陸への路線が無く、マドリードへ飛び<br />そこからロンドンへ。というコースとなりました。<br />プラド美術館やパリ・ルーブル美術館、オルセー美術館など<br />一日中入り浸りになっていました。(⌒▽⌒)

    計画を立てる時に、南米から今度はアフリカ大陸だぁ。
    と意気込んで航空会社にチケットを申し込んだところ
    ワンワールドのチケットの規約上、南米からダイレクトに
    アフリカ大陸への路線が無く、マドリードへ飛び
    そこからロンドンへ。というコースとなりました。
    プラド美術館やパリ・ルーブル美術館、オルセー美術館など
    一日中入り浸りになっていました。(⌒▽⌒)

    プラド美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • ロンドンから念願のアフリカ大陸へ<br />ブリテッシュ航空でアフリカへ飛びました。<br />ナイロビはちょうどジャカランダの樹に<br />美しい紫の花が咲いていました。<br />ナイロビ空港から小型プロペラ機で<br />マサイ・マラ国立保護区へと飛びました。<br /><br />マサイ・マラ国立保護区を見下ろすオロロロの丘に<br />日本人建築家エドワード鈴木が設計・建設したロッジ<br />『ムパタ・サファリ・クラブ』があります。<br />このロッジのことを吉永小百合が、<br />寅さんに出演した時のエピソードとして<br />『渥美さんが〈ブワナトシの歌〉のアフリカロケの話をしてくださり<br />「夜中にションベンしようとテントから外へ出て見るでしょう。<br />するとね、星が無数の星が直ぐ近くで瞬いているンですよ。<br />あんまりいっぱい星があって思わず身震いしちゃってね」と<br />渥美さんが、あの表情で、あの声でいうんです。<br /><br />「役者なんて定めのないもの。先のことはわからない。<br />僕はひと月ふた月先の仕事だって決めずにのんびりして<br />いたいんだよね。そんな時、何かがふっとわかるような<br />気がするんです。気がするだけですが。」<br />そして、この言葉とアフリカの星は私の胸の奥に焼き付きました。<br />なおも続けて<br />ナイロビは赤道直下に位置していますが、標高が1600mという<br />高地にあるせいでしようか、気候は軽井沢の夏に似ています。<br />ナイロビはマサイ語で「冷たい水」という意味があるそうです。<br />写真家の三好和義さんの〈楽園〉という写真集があるのですが<br />この地球に残された楽園といわれる所を三好さんの目で<br />鮮やかに写し撮ったものです。その中にこの<br />「ムパタ・サファリ・クラブ」のベランダから見た<br />広大なサバンナの夕景がありました。<br />今直ぐにも飛んでいきたい思いです。<br />耳を澄ますとアフリカの大地に降ってくる星の音が<br />静寂の中から聞こえてくるような気がします。』と<br /><br />これを目にした時、アフリカへ行ったらここへ<br />行こう(⌒-⌒; )と楽しみにしてやって来たのでした。<br />連日ゲームドライブで国境の保護区まで<br />遠出をして野生動物を観察したりテラスから<br />満天の星を眺めたりして過ごしました。<br /><br />私が宿泊した数日間は、日本人の宿泊客のほとんどが<br />新婚旅行のカップルさんでした。(⌒-⌒; ) <br />その中に<br />「20歳代の記念に何かしたい。とやって来ました。」<br />と話す、某庁に勤めているという、ひとり旅の女子と<br />今はナチュラリストとして活躍する<br />Kさんのガイドするムパタ・サファリ・クラブ主催の<br />フリーツアーに参加しました。<br />偶然にも2回ともに参加者は2名だけでしたが<br />野生動物の侵入を防ぐための電気柵に囲われた<br />ムパタ・サファリ・クラブの自家菜園や<br />付近を散策しながら<br />それまで見たことのない植物の数々を教えてもらったり<br />夜明け前に、庭に集合して、<br />満点の星空にサーチライトのような灯りをピンスポットにし<br />て星座〈星〉に当てて説明してもらったり<br />どちらも楽しく興味の尽きないフリーツアーでした。<br /><br />Hotel代金は3食込みとなっていて<br />朝夕〈昼は、ゲームドライブの草原でランチBox〉の時間には<br />フリーツアーが縁となり、いつも3人でテーブルを囲み<br />日本の星付きレストランからやってきたシェフの作る料理を食べながら<br />アフリカの野生動物や植物の話しやお互いの趣味の話を交わしました。<br />Kさんは<br />〈アフリカの大学で野生動物と保護区の勉強をして<br />卒業後に数年間アフリカの自然保護区を回ってその後<br />ここに落ち着きました。〉と<br />言っていたので当時30歳前の青年でした。<br />彼は<br />休日にナイロビの街によく出かけ映画をよく観たそうですが、<br />ある日観た、スピルバーグの『プライベート・ライアン』の<br />話しが印象的でした。<br />〈ノルマンディー作戦に戦った若い兵士とその上官にトム・ハンクスで<br />公開当時冒頭の延々と続く戦闘シーンがリアルと話題になりましたが、<br />戦争に参戦する兵士と、後半その家族の哀しみが一層際立っていました。〉<br />映画が始まるり、アメリカ兵士が活躍するシーンになると<br />館内の観客は立ち上がって、スクリーンに向かって<br />やんやの歓声を送りながら見ている。ので、最初は驚いた。<br />とナイロビの映画館での話しなど次々と楽しく興味が尽きない<br />話しをしてくれ いつもダイニングのゲストは<br />自分たち3人の他誰もいなくなるまで話していました。<br />食事の時間はゲームドライブと同じくらい楽しい時間となりました。<br /><br />ムパタ・サファリ・クラブの滞在は、バンフから数えて41日目、<br />久しぶりに日本語を聞き・たくさん語り合いました。<br /><br />ムパタ滞在の4~5日間、今思うと夢のような日々でした。<br /><br />数日後<br />彼女が1日先に帰国し、その翌日Kさんたちムパタのスタッフさんに<br />マサイ・マラの空港に送っていただき、さよならを言った時は、<br />チョッピリセンチになるも、プロペラ機が飛びたち窓の下方に広がっている<br />野生動物たちが高原を駆ける姿を見ながらナイロビへ戻りました。<br /><br />さぁ次も楽しみにしていたケープタウンから<br />いよいよアフリカ大陸の最南端喜望峰だぁ。と<br />センチになる心奮い立たせ旅を続けました。<br /><br />

    ロンドンから念願のアフリカ大陸へ
    ブリテッシュ航空でアフリカへ飛びました。
    ナイロビはちょうどジャカランダの樹に
    美しい紫の花が咲いていました。
    ナイロビ空港から小型プロペラ機で
    マサイ・マラ国立保護区へと飛びました。

    マサイ・マラ国立保護区を見下ろすオロロロの丘に
    日本人建築家エドワード鈴木が設計・建設したロッジ
    『ムパタ・サファリ・クラブ』があります。
    このロッジのことを吉永小百合が、
    寅さんに出演した時のエピソードとして
    『渥美さんが〈ブワナトシの歌〉のアフリカロケの話をしてくださり
    「夜中にションベンしようとテントから外へ出て見るでしょう。
    するとね、星が無数の星が直ぐ近くで瞬いているンですよ。
    あんまりいっぱい星があって思わず身震いしちゃってね」と
    渥美さんが、あの表情で、あの声でいうんです。

    「役者なんて定めのないもの。先のことはわからない。
    僕はひと月ふた月先の仕事だって決めずにのんびりして
    いたいんだよね。そんな時、何かがふっとわかるような
    気がするんです。気がするだけですが。」
    そして、この言葉とアフリカの星は私の胸の奥に焼き付きました。
    なおも続けて
    ナイロビは赤道直下に位置していますが、標高が1600mという
    高地にあるせいでしようか、気候は軽井沢の夏に似ています。
    ナイロビはマサイ語で「冷たい水」という意味があるそうです。
    写真家の三好和義さんの〈楽園〉という写真集があるのですが
    この地球に残された楽園といわれる所を三好さんの目で
    鮮やかに写し撮ったものです。その中にこの
    「ムパタ・サファリ・クラブ」のベランダから見た
    広大なサバンナの夕景がありました。
    今直ぐにも飛んでいきたい思いです。
    耳を澄ますとアフリカの大地に降ってくる星の音が
    静寂の中から聞こえてくるような気がします。』と

    これを目にした時、アフリカへ行ったらここへ
    行こう(⌒-⌒; )と楽しみにしてやって来たのでした。
    連日ゲームドライブで国境の保護区まで
    遠出をして野生動物を観察したりテラスから
    満天の星を眺めたりして過ごしました。

    私が宿泊した数日間は、日本人の宿泊客のほとんどが
    新婚旅行のカップルさんでした。(⌒-⌒; )
    その中に
    「20歳代の記念に何かしたい。とやって来ました。」
    と話す、某庁に勤めているという、ひとり旅の女子と
    今はナチュラリストとして活躍する
    Kさんのガイドするムパタ・サファリ・クラブ主催の
    フリーツアーに参加しました。
    偶然にも2回ともに参加者は2名だけでしたが
    野生動物の侵入を防ぐための電気柵に囲われた
    ムパタ・サファリ・クラブの自家菜園や
    付近を散策しながら
    それまで見たことのない植物の数々を教えてもらったり
    夜明け前に、庭に集合して、
    満点の星空にサーチライトのような灯りをピンスポットにし
    て星座〈星〉に当てて説明してもらったり
    どちらも楽しく興味の尽きないフリーツアーでした。

    Hotel代金は3食込みとなっていて
    朝夕〈昼は、ゲームドライブの草原でランチBox〉の時間には
    フリーツアーが縁となり、いつも3人でテーブルを囲み
    日本の星付きレストランからやってきたシェフの作る料理を食べながら
    アフリカの野生動物や植物の話しやお互いの趣味の話を交わしました。
    Kさんは
    〈アフリカの大学で野生動物と保護区の勉強をして
    卒業後に数年間アフリカの自然保護区を回ってその後
    ここに落ち着きました。〉と
    言っていたので当時30歳前の青年でした。
    彼は
    休日にナイロビの街によく出かけ映画をよく観たそうですが、
    ある日観た、スピルバーグの『プライベート・ライアン』の
    話しが印象的でした。
    〈ノルマンディー作戦に戦った若い兵士とその上官にトム・ハンクスで
    公開当時冒頭の延々と続く戦闘シーンがリアルと話題になりましたが、
    戦争に参戦する兵士と、後半その家族の哀しみが一層際立っていました。〉
    映画が始まるり、アメリカ兵士が活躍するシーンになると
    館内の観客は立ち上がって、スクリーンに向かって
    やんやの歓声を送りながら見ている。ので、最初は驚いた。
    とナイロビの映画館での話しなど次々と楽しく興味が尽きない
    話しをしてくれ いつもダイニングのゲストは
    自分たち3人の他誰もいなくなるまで話していました。
    食事の時間はゲームドライブと同じくらい楽しい時間となりました。

    ムパタ・サファリ・クラブの滞在は、バンフから数えて41日目、
    久しぶりに日本語を聞き・たくさん語り合いました。

    ムパタ滞在の4~5日間、今思うと夢のような日々でした。

    数日後
    彼女が1日先に帰国し、その翌日Kさんたちムパタのスタッフさんに
    マサイ・マラの空港に送っていただき、さよならを言った時は、
    チョッピリセンチになるも、プロペラ機が飛びたち窓の下方に広がっている
    野生動物たちが高原を駆ける姿を見ながらナイロビへ戻りました。

    さぁ次も楽しみにしていたケープタウンから
    いよいよアフリカ大陸の最南端喜望峰だぁ。と
    センチになる心奮い立たせ旅を続けました。

    喜望峰自然保護区 国立公園

  • 当時、空港の周りさえ危ない香りがしたヨハネスブルク<br />にはビクトリアの滝への行き帰りにトランジット。<br />ナイロビから日没後に空港に着きました。<br /><br />ムパタ・サファリ・クラブで3人での食事をしながらの会話で<br />Kさんから、「ヨハネスブルクは気をつけてください。僕の友達が<br />日本から遊びに来た時、金品を身ぐるみ奪われました(;゜0゜)」<br />と聞いていたこともあり空港とタクシーターミナルの広場を挟んだ<br />インナーナショナルエアポートHotelに泊まりましたが<br />暗闇の中、僅か数10mでしたがHotelの玄関にたどり着いた時には<br />ホッとしました。(⌒-⌒; )<br /><br />翌朝、ビクトリアの滝へ飛んで2泊、再びヨハネスブルクへ<br />2時間半程のトランジットでケープタウンへ。<br /><br />ケニアでは、現地の日系の旅行会社にお世話になり<br />ビクトリアの滝では、空港の観光案内所で立地の良いHotelを<br />紹介してもらい、タクシー移動。ケープタウンでは、Hotelの<br />観光案内所で現地のツアーに乗って喜望峰へ。と<br />飛び回りましたが、当時は治安の不安定な所が多く、<br />ナイロビでは、朝、ホテルに迎えに<br />行くまで外出は控えてください。と言われたり<br />数えきれないフラミンゴが生息していた<br />ナクル湖へ向かう途中の車窓から見た<br />貧民街の風景に言葉を失い。<br /><br />当時、私が訪れたアフリカの街では、唯一、ビクトリアの滝<br />近くの街では、日中は治安には不安なく過ごせました。<br />この時、現地の旅行会社の呼び込みに乗って、<br />ラフティングをしました。ライフジャケットを着用して<br />激流をくだりましたが、まさかの船が転覆。<br />事前のビデオ説明で、ままあること、そんな時は周りに<br />スタッフのボートがいて救いあげるから、「don&#39;t panic」<br />その言葉が何故か瞬間頭に浮かび<br />一旦川の中へ頭から放り出され(;゜0゜)<br />ましたが流れに身を任せていたら<br />程なくして引き上げてもらいましたが、(⌒-⌒; ) 今思うと<br />やっぱり、ここでも危な! でした。<br />その様子をスタッフさんのボートから写した写真が<br />翌朝Hotelのレセプションに届きましたが<br />激流の中へ放り出されパニクっている姿が写っていました。<br />もちろん、帰宅後 家族には見せられない写真となりました。<br /><br />ビクトリアの滝へ行った時にはこれで、世界3大瀑布を見たぞ! と感激しました。<br />

    当時、空港の周りさえ危ない香りがしたヨハネスブルク
    にはビクトリアの滝への行き帰りにトランジット。
    ナイロビから日没後に空港に着きました。

    ムパタ・サファリ・クラブで3人での食事をしながらの会話で
    Kさんから、「ヨハネスブルクは気をつけてください。僕の友達が
    日本から遊びに来た時、金品を身ぐるみ奪われました(;゜0゜)」
    と聞いていたこともあり空港とタクシーターミナルの広場を挟んだ
    インナーナショナルエアポートHotelに泊まりましたが
    暗闇の中、僅か数10mでしたがHotelの玄関にたどり着いた時には
    ホッとしました。(⌒-⌒; )

    翌朝、ビクトリアの滝へ飛んで2泊、再びヨハネスブルクへ
    2時間半程のトランジットでケープタウンへ。

    ケニアでは、現地の日系の旅行会社にお世話になり
    ビクトリアの滝では、空港の観光案内所で立地の良いHotelを
    紹介してもらい、タクシー移動。ケープタウンでは、Hotelの
    観光案内所で現地のツアーに乗って喜望峰へ。と
    飛び回りましたが、当時は治安の不安定な所が多く、
    ナイロビでは、朝、ホテルに迎えに
    行くまで外出は控えてください。と言われたり
    数えきれないフラミンゴが生息していた
    ナクル湖へ向かう途中の車窓から見た
    貧民街の風景に言葉を失い。

    当時、私が訪れたアフリカの街では、唯一、ビクトリアの滝
    近くの街では、日中は治安には不安なく過ごせました。
    この時、現地の旅行会社の呼び込みに乗って、
    ラフティングをしました。ライフジャケットを着用して
    激流をくだりましたが、まさかの船が転覆。
    事前のビデオ説明で、ままあること、そんな時は周りに
    スタッフのボートがいて救いあげるから、「don't panic」
    その言葉が何故か瞬間頭に浮かび
    一旦川の中へ頭から放り出され(;゜0゜)
    ましたが流れに身を任せていたら
    程なくして引き上げてもらいましたが、(⌒-⌒; ) 今思うと
    やっぱり、ここでも危な! でした。
    その様子をスタッフさんのボートから写した写真が
    翌朝Hotelのレセプションに届きましたが
    激流の中へ放り出されパニクっている姿が写っていました。
    もちろん、帰宅後 家族には見せられない写真となりました。

    ビクトリアの滝へ行った時にはこれで、世界3大瀑布を見たぞ! と感激しました。

    ビクトリアの滝 (ジンバブエ) 滝・河川・湖

  • ロンドンの『アビーロードスタジオ』は<br />まだ、門や塀もなくスタジオのそばまで行くことができました。<br /><br />翌日、ロンドンからは鉄道に乗って<br />アイルランドのダブリンやベルファストへ。<br /><br />ほとんど情報らしきものも持たず<br />ただ一つ音の素晴らしく良いアリーナが<br />ベルファストにありそのアリーナで録画した<br />Live盤の名盤が何枚も出ている。という事を頼りに、<br />その会場でLiveが聴きたい。と<br /><br />せっかくアイルランドへ行くのだからと<br />ダブリンへも行ってみよう。<br />なんとも頼りない細々の情報でしたが<br />ロンドンからアイルランドへ向かう<br />車窓に広がる牧歌的な景色を眺めながら<br />鉄道の旅にワクワクしていました。<br /><br />ラッキーにも、ベルファストでもダブリンでも<br />満席のLiveチケットを手に入れるとこができ<br />素晴らしいステージショーを観ることができました。<br /><br />ライブ会場では写真撮影もOK!<br />なんと、観客の求めに応じて会場の係員が<br />観客のデジカメのシャッターを押してやる<br />サービスまでする姿は軽いカルチャーショックでした。<br />そんな時代でした。<br />

    ロンドンの『アビーロードスタジオ』は
    まだ、門や塀もなくスタジオのそばまで行くことができました。

    翌日、ロンドンからは鉄道に乗って
    アイルランドのダブリンやベルファストへ。

    ほとんど情報らしきものも持たず
    ただ一つ音の素晴らしく良いアリーナが
    ベルファストにありそのアリーナで録画した
    Live盤の名盤が何枚も出ている。という事を頼りに、
    その会場でLiveが聴きたい。と

    せっかくアイルランドへ行くのだからと
    ダブリンへも行ってみよう。
    なんとも頼りない細々の情報でしたが
    ロンドンからアイルランドへ向かう
    車窓に広がる牧歌的な景色を眺めながら
    鉄道の旅にワクワクしていました。

    ラッキーにも、ベルファストでもダブリンでも
    満席のLiveチケットを手に入れるとこができ
    素晴らしいステージショーを観ることができました。

    ライブ会場では写真撮影もOK!
    なんと、観客の求めに応じて会場の係員が
    観客のデジカメのシャッターを押してやる
    サービスまでする姿は軽いカルチャーショックでした。
    そんな時代でした。

    アビーロードスタジオ 劇場・ホール・ショー

  • パリのノートルダム大聖堂では、聖歌隊の合唱を聴き<br />モン・サン・ミシェルへはパリ発のマイ・バスのツアーでした。<br /><br />ウィーンやブダペスト~ベルリン・ドレスデン・ブレーメン等へは<br />世界の国々から集まってきた観光客と共に<br />ロンドン発の現地の旅行会社催行の2週間のバスツアーで回りました。<br />ブダペスト とウィーンではモーツァルトの家など<br />各地で定番コースを回り翌日と翌々日は<br />フリータイムというスケジュールでした。<br />

    パリのノートルダム大聖堂では、聖歌隊の合唱を聴き
    モン・サン・ミシェルへはパリ発のマイ・バスのツアーでした。

    ウィーンやブダペスト~ベルリン・ドレスデン・ブレーメン等へは
    世界の国々から集まってきた観光客と共に
    ロンドン発の現地の旅行会社催行の2週間のバスツアーで回りました。
    ブダペスト とウィーンではモーツァルトの家など
    各地で定番コースを回り翌日と翌々日は
    フリータイムというスケジュールでした。

    モン サン ミッシェル ラ メルヴェイユ 建造物

  • ブダペストの橋の上では、日中の観光でも長袖シャツ<br />では寒さに耐えられなくなり厚手のパーカーを<br />買い観光を続けました。<br />それから三度ロンドンへ戻って<br />ロンドンとパリの街歩きを楽しみました。<br /><br />季節は移り変わっていて<br />北アイルランドでは厚手のパーカーを着ていても<br />寒く、とうとうパリでダウンジャケットを買いました。<br />重口の赤ワインのような色で<br />襟が詰め襟の学生服のように立ち<br />全体に同系色の縫い目が入っていて<br />ダウンが広がらないようになっていて、<br />袖を通すとふぁふぁ。でコンパクトなダウンコート。<br />気に入って今でも、休日使用で着ています。<br /><br />パリでは、日本からやって来た友人と再会。<br />またまたルーブル美術館やオルセー美術館へ行ったり<br />モン・サン・ミシェルへバスツアーで訪れ名物の<br />オムレツを食べたり。数日後友人をシャルルドゴール空港で<br />見送った後、また、ひとり旅に戻って<br />その足でアジアとヨーロッパの交わう<br />カオスの街イスタンブールへ。<br />定期船に乗って黒海の見える所まで出かけたり<br />しました。

    ブダペストの橋の上では、日中の観光でも長袖シャツ
    では寒さに耐えられなくなり厚手のパーカーを
    買い観光を続けました。
    それから三度ロンドンへ戻って
    ロンドンとパリの街歩きを楽しみました。

    季節は移り変わっていて
    北アイルランドでは厚手のパーカーを着ていても
    寒く、とうとうパリでダウンジャケットを買いました。
    重口の赤ワインのような色で
    襟が詰め襟の学生服のように立ち
    全体に同系色の縫い目が入っていて
    ダウンが広がらないようになっていて、
    袖を通すとふぁふぁ。でコンパクトなダウンコート。
    気に入って今でも、休日使用で着ています。

    パリでは、日本からやって来た友人と再会。
    またまたルーブル美術館やオルセー美術館へ行ったり
    モン・サン・ミシェルへバスツアーで訪れ名物の
    オムレツを食べたり。数日後友人をシャルルドゴール空港で
    見送った後、また、ひとり旅に戻って
    その足でアジアとヨーロッパの交わう
    カオスの街イスタンブールへ。
    定期船に乗って黒海の見える所まで出かけたり
    しました。

    ブランデンブルク門 建造物

  • 夏のバンフから暑いメキシコ・マイアミ<br />肌寒むかったサンチャゴ、心地よい風が吹き抜けていた<br />イースター島。サンパウロは、セントロで降りたバス停から<br />Hilton Hotelまで歩いた道。鞄を引いて人混みを <br />かき分け、かき分けやっと着いてホッとひと息<br />ついたっけなぁ。との記憶が鮮明に。<br />イグアスの滝では、やはり圧巻の滝がすべてを飲み込んでくれました。<br />ロンドンは初秋を迎えていました。秋のパリと中欧素敵でした。<br />イスタンブールは、異国情緒満載。旅愁をかき立ててくれる街でした。<br /><br />カルチャーショック続きの旅でしたが<br />とうとう職場との約束の期限<br />の11月5日が近づいてきました。<br /><br /><br />マレーシアのクアラルンプールが <br />ついに最後の訪問地となりました。<br /><br />アジアの街では唯一訪れたクアラルンプール。<br />またまた暑さに引き戻され、<br />のびのび 観光を楽しみました。<br /><br />ツインタワーに登ったり市場をのぞいた時には<br />当時映画館で上映されたばかりの<br />作品が激安で売られていて驚きました。<br /><br />もう旅が終わってしまうという<br />なんとも言えない淋しさ と<br />家へ帰れる! 日本語で思いっきり話せる。<br />など 複雑な思いでした。<br /><br />職場のみなさま、各地のHotelへメールを<br />送ってくれサポートしてくれた友人たち<br />そして、あたたかく見守っていてくれた<br />相方さんに感謝をしてこの旅行記をおえることにします。<br /><br />〈後日談〉<br />あの旅を終え職場に戻るともう<br />元通りのめちゃめちゃ忙しい環境に放り込まれ<br />旅の余韻に浸っている暇は全く無く<br />やがて<br />その忙しさにも直ぐに慣れ<br />それがかえって良かったのかなぁ。<br />今振り返ってそんな風に思っています。<br /><br />いつか機会があれば省略せずに<br />ワンワールドの旅を旅行記に<br />残しておこうかなぁ。思いました。<br /><br />ここまでお付き合いいただき <br />ありがとうございます。<br />

    夏のバンフから暑いメキシコ・マイアミ
    肌寒むかったサンチャゴ、心地よい風が吹き抜けていた
    イースター島。サンパウロは、セントロで降りたバス停から
    Hilton Hotelまで歩いた道。鞄を引いて人混みを 
    かき分け、かき分けやっと着いてホッとひと息
    ついたっけなぁ。との記憶が鮮明に。
    イグアスの滝では、やはり圧巻の滝がすべてを飲み込んでくれました。
    ロンドンは初秋を迎えていました。秋のパリと中欧素敵でした。
    イスタンブールは、異国情緒満載。旅愁をかき立ててくれる街でした。

    カルチャーショック続きの旅でしたが
    とうとう職場との約束の期限
    の11月5日が近づいてきました。


    マレーシアのクアラルンプールが 
    ついに最後の訪問地となりました。

    アジアの街では唯一訪れたクアラルンプール。
    またまた暑さに引き戻され、
    のびのび 観光を楽しみました。

    ツインタワーに登ったり市場をのぞいた時には
    当時映画館で上映されたばかりの
    作品が激安で売られていて驚きました。

    もう旅が終わってしまうという
    なんとも言えない淋しさ と
    家へ帰れる! 日本語で思いっきり話せる。
    など 複雑な思いでした。

    職場のみなさま、各地のHotelへメールを
    送ってくれサポートしてくれた友人たち
    そして、あたたかく見守っていてくれた
    相方さんに感謝をしてこの旅行記をおえることにします。

    〈後日談〉
    あの旅を終え職場に戻るともう
    元通りのめちゃめちゃ忙しい環境に放り込まれ
    旅の余韻に浸っている暇は全く無く
    やがて
    その忙しさにも直ぐに慣れ
    それがかえって良かったのかなぁ。
    今振り返ってそんな風に思っています。

    いつか機会があれば省略せずに
    ワンワールドの旅を旅行記に
    残しておこうかなぁ。思いました。

    ここまでお付き合いいただき 
    ありがとうございます。

    ペトロナスツインタワー 現代・近代建築

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