2022/10/29 - 2022/10/29
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岩原城は太田道灌と並ぶ扇谷上杉氏の重臣で、西相の名将と呼ばれた大森氏頼の隠居城として知られている。氏頼は子の実頼に家督と小田原城主の座を譲ると、自らは奇栖庵明昇(きせいあんみょうしょう)と名乗ってこの城に入った。韮山城主・伊勢宗瑞(北条早雲)も氏頼の存命中は相模に侵攻できなかったとされ、明応3年(1494年)に氏頼が死去すると、翌年には小田原城を奪取している。このときの小田原城主は実頼の弟である藤頼で、一度はこの城に逃げ込むが追撃されて自害し、大森氏は滅亡した。
現在では、城址の大半は宅地化、農地化されている(https://4travel.jp/travelogue/11787881)。岩原八幡神社裏手には空堀跡が残っており、岩原八幡神社の参道を大手道にしたのだという。
(表紙写真は「岩原城址」標柱)
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岩原八幡神社本殿裏手に残る古墳の墳丘。
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岩原八幡神社本殿裏手に残る古墳の墳丘。岩原城の土塁になっている。
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下に続く空堀。
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空堀。
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先に伸びる空堀。
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「黄金塚之碑」(昭和28年(1953年)銘)。現在は、1基の古墳が岩原八幡神社本殿の裏手に残っているだけのようだが、平成の頃には複数基あったのだという。半世紀前には5基の古墳があったのだが、道路建設や最近の宅地の造成で失われてしまったのだという。その1つに黄金塚(こがねづか)古墳があり、それを記念した石碑が立っているのだという。この碑は元々は山頂にあったが、下りて来た。
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古墳の先は本来は城内。しかし、住宅が建つ。
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「岩原城跡」道標。
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一角だけが残されていて物見台と言われている。
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「岩原城跡想定図」。
岩原城の真ん中を貫いて道路が着けられた。城郭内はほぼ平地であったであろうか。道路沿いには住宅や公共施設、車の販売店、修理工場の他に、テニスクラブも出来ている。ミカン畑の他にもキウィイ畑や茶畑がある。
道路沿いには「竣工碑」が立てられている。土地改良が完了した記念碑である。 -
「南無阿弥陀佛」。物見台には石碑が並ぶ。
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「大森寄栖庵氏頼之墓」。物見台の横には畑や宅地が。
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並んだ石塔。墓地か。
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墓石。
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宝篋印塔などの墓石が並ぶ。
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「市指定文化財 岩原城址」標柱。
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墓の後ろには桜並木。
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物見台の墓石。
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物見台からの眺め。郭外は住宅地になっている。
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物見台からの眺め。城郭内は高い丘の上にある。
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物見台。
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向かいも城郭内。
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