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 春日山原始林は世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産です。春日大社の神山として古くから狩猟や伐採が禁じられてきたため、市街地に近いにもかかわらず豊かな植生が残されています。当日は休日だった為か、ハイキングを楽しむ数多くのハイカーと会いました。春日山原始林は、奈良市民にとって「憩いの森」なのかもしれません。<br /> 春日山原始林のハイキングから春日大社へ向いました。春日大社は通り過ぎのように駆け足で進み奈良公園へ向いました。

世界遺産「春日山原始林」から「春日大社」までを歩く

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2021/12/04 - 2021/12/04

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ガッサン

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 春日山原始林は世界遺産「古都奈良の文化財」の構成資産です。春日大社の神山として古くから狩猟や伐採が禁じられてきたため、市街地に近いにもかかわらず豊かな植生が残されています。当日は休日だった為か、ハイキングを楽しむ数多くのハイカーと会いました。春日山原始林は、奈良市民にとって「憩いの森」なのかもしれません。
 春日山原始林のハイキングから春日大社へ向いました。春日大社は通り過ぎのように駆け足で進み奈良公園へ向いました。

旅行の満足度
3.0
観光
3.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩

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  •  先頭を行く人は赤い帽子が目印「奈良観光ガイド」のガイドさんです。このガイドさんの案内で、世界遺産「春日山原始林」から「春日大社」まで歩きました。

     先頭を行く人は赤い帽子が目印「奈良観光ガイド」のガイドさんです。このガイドさんの案内で、世界遺産「春日山原始林」から「春日大社」まで歩きました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  春日山石窟仏の案内板が立っていたので読んでみました。 <br /> 【春日山石窟仏】<br /> 春日山原始林(特別天然記念物)<br /> 御蓋山(283m)東の花山(497m)芳山も含め春日大社背後の山を総称して春日山という。平城京の昔から都びとに散策の地として親しまれて来た山で、古歌にも数多くうたわれている。<br /> 仁明天皇の承和8年(842年)以来春日大社の神域として狩猟伐採が禁じられてきたため原始林となり国の天然記念物に指定されている。<br /><br /> 【滝坂の道】<br /> 春日山と高円山の間の谷川沿いに、奈良の街と柳生を結ぶ近道として開かれた道で、柳生街道とも呼ばれる。昔は人の往来も多かったが、今は通る人もほとんどなく忘れられようとしている道である。<br /> 江戸時代初期、当時の奈良奉行がつくらせたいう石だたみの道が今ものこり、また朝日観音、夕日観音、春日山石窟仏(穴仏)、首切地蔵等、石仏の宝庫でもあり、東海自然歩道になっている。

     春日山石窟仏の案内板が立っていたので読んでみました。 
     【春日山石窟仏】
     春日山原始林(特別天然記念物)
     御蓋山(283m)東の花山(497m)芳山も含め春日大社背後の山を総称して春日山という。平城京の昔から都びとに散策の地として親しまれて来た山で、古歌にも数多くうたわれている。
     仁明天皇の承和8年(842年)以来春日大社の神域として狩猟伐採が禁じられてきたため原始林となり国の天然記念物に指定されている。

     【滝坂の道】
     春日山と高円山の間の谷川沿いに、奈良の街と柳生を結ぶ近道として開かれた道で、柳生街道とも呼ばれる。昔は人の往来も多かったが、今は通る人もほとんどなく忘れられようとしている道である。
     江戸時代初期、当時の奈良奉行がつくらせたいう石だたみの道が今ものこり、また朝日観音、夕日観音、春日山石窟仏(穴仏)、首切地蔵等、石仏の宝庫でもあり、東海自然歩道になっている。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  史跡<br /> 春日山石窟仏(かすがやませっくつぶつ)の案内板が立っていましたので読んでみました。<br /> この石仏は、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです。石仏は全部で十八体ありますが、左右の二つの洞窟にわかれています。一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。<br /> 正面左側の洞窟は、久寿二年(1155年)の銘があり、平安時代の作であることが明らかです。しかし、これらの石仏を誰がほったのか明らかではありません。<br /> 大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したものといわれています。また、大仏殿を建てるとき、石材を掘り取った跡に石工が彫刻したものともいわれています。

     史跡
     春日山石窟仏(かすがやませっくつぶつ)の案内板が立っていましたので読んでみました。
     この石仏は、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです。石仏は全部で十八体ありますが、左右の二つの洞窟にわかれています。一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。
     正面左側の洞窟は、久寿二年(1155年)の銘があり、平安時代の作であることが明らかです。しかし、これらの石仏を誰がほったのか明らかではありません。
     大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したものといわれています。また、大仏殿を建てるとき、石材を掘り取った跡に石工が彫刻したものともいわれています。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  石仏は、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです。石仏は全部で十八体ありますが、左右の二つの洞窟にわかれています。一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。<br /> 

     石仏は、東大寺大仏殿を建てるために石材を掘り取った跡に彫られたものです。石仏は全部で十八体ありますが、左右の二つの洞窟にわかれています。一つは地蔵尊を中心としたもので、いま一つは大日如来と阿弥陀如来を中心としたものです。
     

    春日山原始林 名所・史跡

  •  正面左側の洞窟は、久寿二年(1155年)の銘があり、平安時代の作であることが明らかです。しかし、これらの石仏を誰がほったのか明らかではありません。<br /> 大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したものといわれています。また、大仏殿を建てるとき、石材を掘り取った跡に石工が彫刻したものともいわれています。

     正面左側の洞窟は、久寿二年(1155年)の銘があり、平安時代の作であることが明らかです。しかし、これらの石仏を誰がほったのか明らかではありません。
     大乗院の一僧(山伏)が岩窟に起居して彫刻したものといわれています。また、大仏殿を建てるとき、石材を掘り取った跡に石工が彫刻したものともいわれています。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  山内禁煙の案内板が立っていました。現在地を見ると新池の近くです。

     山内禁煙の案内板が立っていました。現在地を見ると新池の近くです。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「首切地蔵 0.3km」の道標まで来ました。

     「首切地蔵 0.3km」の道標まで来ました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「地獄谷石窟仏 1.3km」の道標、石窟仏から1.3km歩いたことになります。

     「地獄谷石窟仏 1.3km」の道標、石窟仏から1.3km歩いたことになります。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  世界遺産春日山原始林の中を進みます。原始林とは感じません。

     世界遺産春日山原始林の中を進みます。原始林とは感じません。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  普通の山道より整備されているように感じました。

     普通の山道より整備されているように感じました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  首切地蔵です。よく見ると赤い前垂れの上部の所にクラックがあるのがわかります。この部分が首切部と思われます。前垂れの取付ひもの部分です。

     首切地蔵です。よく見ると赤い前垂れの上部の所にクラックがあるのがわかります。この部分が首切部と思われます。前垂れの取付ひもの部分です。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  案内板が立っていたので読んでみました。<br /> 首切地蔵<br /> 荒木又右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。谷川ぞいに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石だたみの道は、昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたものです。

     案内板が立っていたので読んでみました。
     首切地蔵
     荒木又右衛門がためし斬りしたと伝えられる首切地蔵です。彫刻の手法から鎌倉時代の作と思われます。谷川ぞいに登ってきたこの道は滝坂道と呼ばれ、江戸中期に奈良奉行により敷かれた石だたみの道は、昭和のはじめまで柳生方面から奈良へ米や薪炭を牛馬の背につけて下り、日用品を積んで帰っていくのに使われたものです。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  首切地蔵です。<br /> 赤い前垂れの取付ひもの部分に割れ目があります。この部分が首切部です。

     首切地蔵です。
     赤い前垂れの取付ひもの部分に割れ目があります。この部分が首切部です。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  岩に彫られている石仏は朝日観音です。

     岩に彫られている石仏は朝日観音です。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  案内板が立っていたので読んでみました。<br /> 朝日観音<br /> 対岸の岩壁に彫られているのは朝日観音です。これは早期高円山の頂からさしのぼる朝日にまっさきにてらされていることから名付けられたもので、実際には観音ではなく中央は弥勒仏 左右は地蔵仏です。この石像には文永2年(西暦1265年)の銘があり、鎌倉時代の石彫の代表的なもので、この下の夕日観音と同じ作者と思われます。

     案内板が立っていたので読んでみました。
     朝日観音
     対岸の岩壁に彫られているのは朝日観音です。これは早期高円山の頂からさしのぼる朝日にまっさきにてらされていることから名付けられたもので、実際には観音ではなく中央は弥勒仏 左右は地蔵仏です。この石像には文永2年(西暦1265年)の銘があり、鎌倉時代の石彫の代表的なもので、この下の夕日観音と同じ作者と思われます。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  朝日観音です。皆同じように見え、区別がはっきりしません。

     朝日観音です。皆同じように見え、区別がはっきりしません。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  夕日観音の案内が立っていました。

     夕日観音の案内が立っていました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  ガイドさんにここだ、と言われた方向にカメラを向け、シャッターを押しました。<br />写真の中央部に夕日観音が写っていました。

     ガイドさんにここだ、と言われた方向にカメラを向け、シャッターを押しました。
    写真の中央部に夕日観音が写っていました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「寝 仏」の案内が立っていました。

     「寝 仏」の案内が立っていました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  大きな石の側面に彫られているのが「寝 仏」です。

     大きな石の側面に彫られているのが「寝 仏」です。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「寝 仏」を拡大して撮影してみました。

     「寝 仏」を拡大して撮影してみました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  寝仏から10分くらい下った所に石灯籠がありました。

     寝仏から10分くらい下った所に石灯籠がありました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  柳生 峠の茶屋 3.2kmの道標です。この地点に「公衆トイレ」があります。

     柳生 峠の茶屋 3.2kmの道標です。この地点に「公衆トイレ」があります。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「公衆トイレ」の道標が立っていました。

     「公衆トイレ」の道標が立っていました。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「上の禰宜道」春日大社の石柱が立っています。

     「上の禰宜道」春日大社の石柱が立っています。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  「歴史の道」の案内板です。<br /> 休日に当り、多くのハイカーと行き交いました。この辺は手頃なハイキングコースなのでしょう。

     「歴史の道」の案内板です。
     休日に当り、多くのハイカーと行き交いました。この辺は手頃なハイキングコースなのでしょう。

    春日山原始林 名所・史跡

  •  大きなクスノキの根本に案内板があったので読んでみました。<br /> 若宮大楠(わかみやのおおくす)<br /> 樹高 二四.0m 幹周 一一.四六m<br /> 県下で一、二位を争う巨樹であるこのクスノキは、もとは三本の苗木が成長に伴って合着したものといわれおり、神功皇后お手植えと伝えられる。<br /> 記録によれば享保四年(1719年)の大雪で幹上部が折損し、そのため低い樹形になったとされる。<br />                              春日大社<br />

     大きなクスノキの根本に案内板があったので読んでみました。
     若宮大楠(わかみやのおおくす)
     樹高 二四.0m 幹周 一一.四六m
     県下で一、二位を争う巨樹であるこのクスノキは、もとは三本の苗木が成長に伴って合着したものといわれおり、神功皇后お手植えと伝えられる。
     記録によれば享保四年(1719年)の大雪で幹上部が折損し、そのため低い樹形になったとされる。
                                  春日大社

    春日大社 寺・神社・教会

  •  石灯籠の後部にある大木が「若宮大楠」です。

     石灯籠の後部にある大木が「若宮大楠」です。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社に到着です。石灯籠の前に案内が立っていました。<br /> 「御三家紀伊徳川家初代 徳川頼宜の石灯籠」と書かれていました。

     春日大社に到着です。石灯籠の前に案内が立っていました。
     「御三家紀伊徳川家初代 徳川頼宜の石灯籠」と書かれていました。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  「御三家紀伊徳川家初代 徳川頼宜の石灯籠」の案内を少し読んでみました。<br /> 徳川家康が愛育していた当時三歳の十男、長福丸(後の徳川頼宜)のために寄進した石灯籠、と書かれていました。

     「御三家紀伊徳川家初代 徳川頼宜の石灯籠」の案内を少し読んでみました。
     徳川家康が愛育していた当時三歳の十男、長福丸(後の徳川頼宜)のために寄進した石灯籠、と書かれていました。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社幣殿・舞殿は、通常時の「参拝所」です。

     春日大社幣殿・舞殿は、通常時の「参拝所」です。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  「銘木 砂ずりの藤」です。 <br /> 慶賀門を入った所の棚造りの藤で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名があります。ノダフジの変種といわれます。<br />摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれている古い藤であり、 樹齢700年以上といわれます。<br />また、境内の萬葉植物園には、『藤の園』があり、20品種/約200本の藤が植栽されており、たいへん豪華に開花します。

     「銘木 砂ずりの藤」です。 
     慶賀門を入った所の棚造りの藤で、5月初旬頃に花房が1m以上にも延び、砂にすれるということからこの呼名があります。ノダフジの変種といわれます。
    摂関近衛家からの献木と伝えられ、『春日権現験記』にも書かれている古い藤であり、 樹齢700年以上といわれます。
    また、境内の萬葉植物園には、『藤の園』があり、20品種/約200本の藤が植栽されており、たいへん豪華に開花します。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社の南門です。南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになったそうです。

     春日大社の南門です。南門は春日大社の南回廊にあり、表参道を歩いて回廊内に入る時に潜る門で、高さは12mあり春日大社最大の楼門です。平安時代中期頃藤原氏の長者や摂関による春日詣がはじまり、その際の参向門とされました。廻廊が作られた頃には現在のような2階建ての立派な楼門となり、春日大社の正門としての性格を持つようになったそうです。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社 西回廊の吊灯籠でしょうか。吊灯籠もこうも連なると圧巻です。

     春日大社 西回廊の吊灯籠でしょうか。吊灯籠もこうも連なると圧巻です。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社で結婚式を挙げる新郎新婦。古式豊かな正装での結婚式でした。

     春日大社で結婚式を挙げる新郎新婦。古式豊かな正装での結婚式でした。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  春日大社 直会殿(重要文化財)と西回廊(重要文化財)の吊灯籠です。吊灯籠の数が多いと絵になります。

     春日大社 直会殿(重要文化財)と西回廊(重要文化財)の吊灯籠です。吊灯籠の数が多いと絵になります。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  慶賀門 (けいがもん)から中を撮影しています。<br /> 慶賀門は西回廊にある三つの門の中で南側にある門です。神山御蓋山を正面に望む門で、古来正式な参入門とされていました。宮中よりお出でになる藤原氏の大臣や上卿はこの門を潜り参入していました。現在の春日祭では勅使が藤原氏であればこの門より入ってお祭りを奉仕します。西回廊の他の二つの門と異なり天井板(格天井)で特別仕様なところからも春日大社と藤原氏との深い所縁を感じることができます。

     慶賀門 (けいがもん)から中を撮影しています。
     慶賀門は西回廊にある三つの門の中で南側にある門です。神山御蓋山を正面に望む門で、古来正式な参入門とされていました。宮中よりお出でになる藤原氏の大臣や上卿はこの門を潜り参入していました。現在の春日祭では勅使が藤原氏であればこの門より入ってお祭りを奉仕します。西回廊の他の二つの門と異なり天井板(格天井)で特別仕様なところからも春日大社と藤原氏との深い所縁を感じることができます。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  「阿倍仲麻呂公 望郷の思い」の石碑が立っていました。その脇に案内板が立っていました。概略を下記に書きます。<br /> 遣唐留学生に選ばれた阿倍仲麻呂公(数え年17歳)と吉備真備公(20歳 晩年右大臣)たちは、ここ春日の神地で壮行神事を受けて出発、過程履修後は仲麻呂公のみ乞われて唐朝廷に入り、要職を歴任したのでした。<br /> 遂に帰国の夢むなしく七十歳で亡くなりました。この歌は、故国日本をしのび続けた悲しみの歌になってしまいました。

     「阿倍仲麻呂公 望郷の思い」の石碑が立っていました。その脇に案内板が立っていました。概略を下記に書きます。
     遣唐留学生に選ばれた阿倍仲麻呂公(数え年17歳)と吉備真備公(20歳 晩年右大臣)たちは、ここ春日の神地で壮行神事を受けて出発、過程履修後は仲麻呂公のみ乞われて唐朝廷に入り、要職を歴任したのでした。
     遂に帰国の夢むなしく七十歳で亡くなりました。この歌は、故国日本をしのび続けた悲しみの歌になってしまいました。

    春日大社 寺・神社・教会

  •  晩秋の奈良公園の紅葉です。

     晩秋の奈良公園の紅葉です。

    奈良公園 公園・植物園

  •  晩秋の奈良公園の紅葉です。色が鮮やかだったので、ここでもシャッターを押しました。<br /> 【世界遺産「春日山原始林」から「春日大社」までを歩く】の旅は、いったんここでペンを置きます。ここから柳生方面へ向います。

     晩秋の奈良公園の紅葉です。色が鮮やかだったので、ここでもシャッターを押しました。
     【世界遺産「春日山原始林」から「春日大社」までを歩く】の旅は、いったんここでペンを置きます。ここから柳生方面へ向います。

    奈良公園 公園・植物園

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