2021/12/04 - 2021/12/04
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ガッサンさん
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柳生は剣豪の里である。柳生家は、徳川幕府の兵法指南として活躍した一万石の大名です。柳生新陰流のふるさと「柳生の里」は奈良県奈良市にあり、伝承もあり、神秘的な魅力を秘めている。数々の伝承地を訪ねてみました。
大きな岩は花崗岩ですが中央で見事に割れています。一説によると、柳生新陰流の始祖・柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に修行していて、天狗と思って切ったのがこの岩だと伝えられている。この岩は「鬼滅の刃」のモチーフにもなっているそうです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 観光バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
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柳生但馬守宗矩役の中村錦之助さん(NHK大河ドラマ)です。写真の前に「柳生新陰流(やぎゅうしんかげりゅう)」の説明があったので読んでみました。
戦国末期、上泉伊勢守秀綱に新陰流の秘伝を授けられた柳生石舟斎宗厳が、新たに無刀取りを究め、柳生新陰流を創始した。
その子五男・但馬守宗矩は将軍家の兵法指南として、秀忠・家光に柳生新陰流を教授した。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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資料室に展示されている、柳生新陰流の免許と思われます。
芳徳寺 寺・神社・教会
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忍辱山(にんにくせん)円成寺(えんじょうじ)石碑が入口に立っています。忍辱山 円成寺は柳生街道沿いにあります。
JR・近鉄奈良駅より奈良交通バス柳生方面行き約30分「忍辱山」バス停下車徒歩西へ2分です。円成寺 寺・神社・教会
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円成寺庭園(平安時代)名勝
平安末期に寛遍(かんぺん)僧正が築いたと伝えられ、浄土式と舟游式(しゅうゆうしき)を兼備した宸殿造系庭園である。昭和五十、五十一年に発掘調査、環境整備を完了した。円成寺庭園 公園・植物園
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円成寺の国宝・重要文化財の案内板が立っていました。
国宝が2点・重要文化財が5点・県指定文化財が3点・名勝が1点円成寺 寺・神社・教会
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名勝 円成寺庭園(平安時代)です。
円成寺庭園 公園・植物園
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多宝塔です。受付から入るとすぐ見えてきます。
円成寺 寺・神社・教会
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楼門(室町時代)重要文化財です。
応仁二年(1468)の再建。三間一戸入母屋(いりもや)桧皮葺で、上下層とも和様三手先を使い、下層出入口の上に、正・背面とも花肘木(はなひじき)を入れている。円成寺 寺・神社・教会
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楼門(室町時代)重要文化財の裏側です。
円成寺 寺・神社・教会
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鎮守社 春日堂・白山堂(鎌倉時代)国宝です。
円成寺 寺・神社・教会
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本堂(阿弥陀堂)(室町時代)重要文化財です。
文正元年(1466)栄弘阿闍梨が旧本堂と同じ規模と様式で再建した。春日造社殿に両廂付(りょうひさしつき)で局(つぼね)・宝蔵・経堂・籠堂(こもりどう)・御堂(みどう)を設け、向拝に舞台を付けた宸殿造で須弥壇の上は折上格天井(おりあげごうてんじょう)、大壇の上は小組格天井、そのまわりに四方流化粧天井を張りめぐらして、藤原時代の阿弥陀堂を現している。須弥壇上にあって本尊を安置している。三方開放高御座型大形厨子(さんぽうかいほうたかみくらがたおおがたずし)や、内陣中央、方形に配した四本柱に極彩色に描かれた聖衆来迎(しょうじゅらいごう)二十五菩薩は、全国でも珍しく、供養棚の格狭間(こうざま)や柱根の反華座は逸品である。昭和三十六年解体修理を完了した。円成寺 寺・神社・教会
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とうとう、柳生新陰流のふるさと「柳生の里」へやって来ました。ここは市営駐車場です。近くに柳生茶屋、トイレなどがあります。
旧柳生藩陣屋跡史跡公園 公園・植物園
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正木坂道場辺りに来ました。奈良県内での剣道の試合はここで行われるという。
旧柳生藩陣屋跡史跡公園 公園・植物園
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「石舟斎塁城址」の石碑です。
剣豪の里・柳生にかつて城があったことはあまり知られていません。場所は、柳生家代々の菩提を供養する芳徳寺と、柳生新陰流の正木坂道場、その東の山一帯を含む〝山王台〟です。遺構として土塁、堀切、いくつかの郭があるといいます。芳徳寺に至る前に右に折れると、山を切り込んだ堀切があります。草葉が茂る小道は、現在水道施設がある南郭跡に続き、やがて主郭があったスペースに出ます。
豪族としての柳生家本拠は、華美や規模を誇示しない質実剛健な存在だったのでしょうか芳徳寺 寺・神社・教会
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山門の前に案内板が立っていました。少し、読んでみます。
奈良市指定文化財 芳徳寺本堂 1714(尚徳4)年 平成4年三月四日 指定
芳徳寺は、一六三八年(寛永十五)年創建の禅宗寺院で、徳川将軍家に新陰流の剣術を教えた柳生家の菩提寺です。
現本堂は、一七一一(宝永八)年の火災後の再建です。前方に三室、後方に三室、計六室を配し、周辺に広縁を巡らすなど、禅宗寺院にみられる典型的な方丈形式の建物です。一八二五(文政八)年に屋根がこけら葺から瓦葺に変更されています。
禅宗寺院の少ない奈良市内における唯一の方丈建築として高い価値があります。本堂裏手の柳生家墓所(市指定文化財)とともに、柳生家の歴史を伝えている点も貴重です。
奈良市教育委員会芳徳寺 寺・神社・教会
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芳徳寺の白い塀です。まるで城の塀のようである。
芳徳寺 寺・神社・教会
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正面の建物は芳徳寺の本堂です。
本堂や資料室へは、向かって右側の資料室の入り口から入ります。本堂一帯の空間から直接本堂へ入ることは出来ません。芳徳寺 寺・神社・教会
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芳徳寺の本堂から見た柳生の風景です。
芳徳寺 寺・神社・教会
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左「柳生家墓所」と右「本堂トイレ」へ行く道標です。
芳徳寺 寺・神社・教会
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「柳生家の墓塔」の石碑が立っていました。
芳徳寺 寺・神社・教会
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案内板が立っていたので読んでみました。
奈良市指定文化財 芳徳寺柳生家墓所 附列堂和尚墓所 室町~江戸時代
平成八年四月十一日指定
柳生家は、徳川幕府の兵法指南として活躍した一万石の大名です。
芳徳寺柳生家墓所は、一六三八(寛永十五)年、寺を建立した際、十兵衛杉のそばにあった中宮寺の墓地を移したと言われ、初代藩主宗矩(むねのり)の墓を中心に十二代俊順(としむね)までの藩主・一族の墓石・供養塔八十六基が整然と並んでいます。市内唯一の大名家墓所であり、中世末以来この地域で活躍した大和の在地武士の歴史をうかがわせる史跡としても貴重です。
また、墓所への道沿いには、宗矩の四男である当寺第一世住職の列堂和尚墓所があり、大名家とその菩提寺の関係を示すものとして重要です。
奈良市教育委員会
と、ありました。芳徳寺 寺・神社・教会
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芳徳寺柳生家墓所を案内する奈良観光ガイドのガイドさんです。
芳徳寺 寺・神社・教会
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柳生三代の墓の前で足を止め、説明するガイドさんです。
芳徳寺 寺・神社・教会
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中央の墓が初代藩主宗矩(むねのり)の墓です。
芳徳寺 寺・神社・教会
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初代藩主宗矩(むねのり)の墓を中心に十二代俊順(としむね)までの藩主・一族の墓石・供養塔八十六基が整然と並んでいます。
芳徳寺 寺・神社・教会
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芳徳寺柳生家墓所を一通り見終えると「一刀石」へ向いました。途中に「一刀石・天乃石立神社」の案内が立っていました。
一刀石 自然・景勝地
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「天石立神社(あまのいしたてじんじゃ)」の鳥居をくぐりました。
一刀石 自然・景勝地
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「式内天乃石立神社」の案内が立っていました。
一刀石 自然・景勝地
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天乃石立(あまのいわたて)神社。本殿を持たず四つの巨石が御神体として崇められています。手力雄命(たぢからおのみこと)が、天岩戸の扉を引き開けた時に、力余って、ここまで飛んで来た岩戸の扉であるという伝承があります。
一刀石 自然・景勝地
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天石立神社(あまのいわたてじんじゃ)は柳生町の岩戸谷にある神社です。戸岩山という小高い山の北麓、標高330メートルの山中に本殿を有たず、鎮座する巨岩を直接拝する形態をとっています。柳生一族の修練の場だったと伝承されています。
社辺は戸岩谷と称し「鬼滅の刃」のモチーフとなったとされる。巨岩、巨石が累々とする景勝地で、沢庵によって「柳生十景」の一に数えられ、「万年渓」と名付けられた。一刀石 自然・景勝地
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一刀石(いっとうせき)の案内が立っていました。読んでみます。
この大きな岩は花崗岩ですが中央で見事に割れています。一説によると、柳生新陰流の始祖・柳生宗厳(石舟斎)が天狗を相手に修行していて、天狗と思って切ったのがこの岩だと伝えられている。
と、ありました。一刀石 自然・景勝地
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「鬼滅の刃」の聖地としても有名になった「 一刀石(いっとうせき)」です。
一刀石 自然・景勝地
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一刀石から「旧柳生藩陣屋跡」に向い歩き始めました。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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道の奥に鳥居が見えて来ました。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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「摩利支天碑 200m」の道標がありました。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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柳生八坂神社の鳥居です。
元は「四之宮大明神」と呼ばれ、奈良春日大社第四殿の比売神を祀っていたが、1654年(承応三年)に徳川四代将軍家綱の兵法指南役だった柳生宗冬(柳生藩第3代)が,大保町にある「八坂神社」の祭神素戔鳴命の分霊を勧請して社殿を造営し「八坂神社」に改めた。拝殿は「天之石立神社」のものが移築されたという。
さらに宗冬は,八坂神社の横の岡に武道の守り神である摩利支天を祀った。現在、祠はないが、この山を摩利支天山と呼び、その山頂に摩利支天の石のレリーフが復元されている、そうです。旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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柳生街道の道標です。左、「奈良 疱瘡地蔵 0.5km」直進「八坂神社 柳生」と書かれてあった。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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「旧柳生藩陣屋跡」の案内板が立っていました。
柳生は剣豪の里である。
柳生陣屋跡をはじめ家老屋敷 柳生家墓地や芳徳寺に保存されている数々の宝物に剣豪のありし日をしのばせている。
柳生陣屋は柳生新陰流を生み出した宗厳(石舟斎)の子宗矩が亡父宗厳の菩提を弔むため芳徳寺を建て ひきつづき三年の歳月を費やし寛永十九年この地に建築したものである。
「柳生藩日記」によるとその坪数は一三七四坪(四五三四㎡)表は竹の枝門であったと記されている。
その後宗冬により増築整備されたが延享四年(一七四七)の火災により全焼し仮建築のまま明治の廃藩により姿を消した。
奈良市ではこの柳生陣屋跡を庭園文化研究所長森蘊工学博士の調査・設計により昭和五十五年六月に公園として整備したものである。
奈良市旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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1642年に藩祖・柳生宗矩が建てた柳生藩陣屋の跡地。現在は史跡公園となり、春には約300本のソメイヨシノが咲くお花見スポットです。
顔ハメ看板は、中央の黒ずくめ武将は柳生十兵衛三巌、左の白髪頭の武将は柳生石舟斎宗巌です。旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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「旧柳生藩陣屋跡」です。
旧柳生藩陣屋跡 公園・植物園
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「旧柳生藩陣屋跡」から柳生の家老屋敷へ歩いています。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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石垣の上に「旧柳生藩家老屋敷」の看板が立っていました。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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門に入る手前に色鮮やかに紅葉した木があったので撮影してみました。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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門の左側に「旧柳生藩 家老屋敷」の提灯が下がっていました。
柳生藩(1万石)の家老、小山田主鈴の旧邸です。主鈴は、文政9年(1826)国家老として江戸から奈良に移り、柳生藩南都屋敷を預かって藩財政の立て直しに成功、弘化3年(1846)家督を譲って退隠、さきに藩公柳生但馬守俊章から賜っていたこの地に新邸を営んで余生を送った。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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門から玄関が見えて来ました。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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旧柳生藩家老屋敷の玄関です。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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玄関脇にある観光客用の出入口です。ここで靴を脱ぎ、座敷に上がります。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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旧柳生藩家老屋敷に上がりました。所々に展示品が飾ってあります。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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座敷から見た庭園です。
玄関正面の前庭と、主屋の北面から東面に矩折(かねおり)に展開する奥庭とから成る。作庭にあたって大阪の茶人木津宗詮の指導を受けたと伝え、大小24基の燈籠が配置されていたとい。奥庭には、手水鉢あとの石組のほか、各所に景石が残されていて風情がある。カエデ・カシ・モチの巨木は、樹齢200年を数えるとみられる。修復にあたっては、できるだけ原形をとどめるよう意を用いた。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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旧柳生藩家老屋敷の客間です。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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1971年放送のNHK大河ドラマ『春の坂道』の写真です。右側が主人公 柳生宗徳役の中村錦之助さん、右側が『春の坂道』の原作者 山岡荘八さんです。
山岡荘八先生は昭和39年(1964)この旧柳生藩家老屋敷を買得、以後しばしばここに滞在した。昭和46年(1971)NHKから放映されて柳生ブームをおこすことになった。
大河ドラマ『春の坂道』の原作も、この屋敷でその想を練ったものといわれる。旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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左側から柳生宗矩役の中村錦之助さん、中央がおさめ役の倍賞美津子さん、右側が烏丸順子役の松本留美さんのパネル写真です。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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柳生の里を撮影した写真コンクールで入賞した写真が飾ってありました。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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渡り廊下の立札がありました。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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ガラスケース内には、資料、武具などが展示してあった。
旧柳生藩家老家敷 名所・史跡
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