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台風による飛行機欠航で止むを得ず網走に延泊しました。<br />飛行機が<br />午後なので午前中時間が空きました。<br />よって、網走刑務所に行ってみることにしました。<br />元々そんなに興味があった場所ではありませんでしたが、行ってみたら北海道開拓の歴史に大きくかかわっていたことを知り、興味深く面白かったです。<br /><br />ググっていたらインターネット割引券を発見!<br />そのページをスマホで提示すれば10%引きでした。<br /><br />この監獄、めっちゃ広く、敷地面積は約東京ドーム3.5個分です。<br /><br />明治2年、明治政府は蝦夷の地を北海道と名付け、開拓使という役所を置いて開拓を進めることにしました。<br />明治維新と佐賀の乱、西南戦争から多くの国事犯が発生し北海道に監獄を設置し収監。<br />廉価な労働力としてその囚人を働かせることにしました。<br />小さな小さな漁村だった網走に刑務所ができ、網走刑務所120年の歴史がスタートしました。<br />北海道開拓という使命のもと受刑者たちの果たした功績は大きかったようです。ロシアの脅威から、日本を守るという軍事上の理由から北海道の開拓は大至急行わなければならず、そのためにはまず、人を運び物を運ぶための道路を作らなければなりませんでした。<br />中央道路開削工事のため明治23年には1200人もの囚人が送り込まれています。<br />その過酷な労働は映像で詳しく知ることができました。<br />今日の北海道の繁栄は尊い受刑者たちの犠牲の上になりたっているんですね。

SWは夫婦共に初めての道東へ。12予定になかった網走に宿泊したので、博物館網走監獄へ。

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2022/09/16 - 2022/09/20

112位(同エリア1032件中)

nichi

nichiさん

台風による飛行機欠航で止むを得ず網走に延泊しました。
飛行機が
午後なので午前中時間が空きました。
よって、網走刑務所に行ってみることにしました。
元々そんなに興味があった場所ではありませんでしたが、行ってみたら北海道開拓の歴史に大きくかかわっていたことを知り、興味深く面白かったです。

ググっていたらインターネット割引券を発見!
そのページをスマホで提示すれば10%引きでした。

この監獄、めっちゃ広く、敷地面積は約東京ドーム3.5個分です。

明治2年、明治政府は蝦夷の地を北海道と名付け、開拓使という役所を置いて開拓を進めることにしました。
明治維新と佐賀の乱、西南戦争から多くの国事犯が発生し北海道に監獄を設置し収監。
廉価な労働力としてその囚人を働かせることにしました。
小さな小さな漁村だった網走に刑務所ができ、網走刑務所120年の歴史がスタートしました。
北海道開拓という使命のもと受刑者たちの果たした功績は大きかったようです。ロシアの脅威から、日本を守るという軍事上の理由から北海道の開拓は大至急行わなければならず、そのためにはまず、人を運び物を運ぶための道路を作らなければなりませんでした。
中央道路開削工事のため明治23年には1200人もの囚人が送り込まれています。
その過酷な労働は映像で詳しく知ることができました。
今日の北海道の繁栄は尊い受刑者たちの犠牲の上になりたっているんですね。

旅行の満足度
4.5
交通手段
レンタカー

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  • 網走駅前のホテルからレンタカーで5分。<br />博物館網走監獄までやってきました。<br /><br />9時オープンですが8時50分に到着。<br />すでに多くの車が駐車場に停まっています。<br />皆さん、オープン待ちですね。

    網走駅前のホテルからレンタカーで5分。
    博物館網走監獄までやってきました。

    9時オープンですが8時50分に到着。
    すでに多くの車が駐車場に停まっています。
    皆さん、オープン待ちですね。

  • こんな橋を渡って中に入ります。<br />網走刑務所は、網走川を渡って中に入ります。<br />その橋の名は鏡橋。

    こんな橋を渡って中に入ります。
    網走刑務所は、網走川を渡って中に入ります。
    その橋の名は鏡橋。

  • 「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」との思いが込められています。

    「流れる清流を鏡として、我が身を見つめ、自ら襟をただし目的の岸にわたるべし」との思いが込められています。

  • 雨降ってます。<br />かなり降ってます。<br /><br />台風の影響ですね。<br />でも予報では午前中遅めには止むはずです。

    雨降ってます。
    かなり降ってます。

    台風の影響ですね。
    でも予報では午前中遅めには止むはずです。

  • チケット売り場。<br />すでに多くの方々が並んでます。<br /><br />入場料は1500円×2名

    チケット売り場。
    すでに多くの方々が並んでます。

    入場料は1500円×2名

  • さあ奥へ。

    さあ奥へ。

  • 正門です。<br />通称「赤レンガ門」です。<br /><br />右側が看守の部屋。<br />左側は囚人に面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。

    正門です。
    通称「赤レンガ門」です。

    右側が看守の部屋。
    左側は囚人に面会に来た家族が申しこみと待合室に使いました。

  • この部屋で囚人の家族は面会を申し込んでいました。

    この部屋で囚人の家族は面会を申し込んでいました。

  • さらに奥へ。

    さらに奥へ。

  • その奥に見える建物は庁舎です。<br />明治45年に建てられ、国の重要文化財に指定されています。<br /><br />刑務所管理部門が入る建物でした。<br />網走刑務所に関する様々な歴史や展示がされていました。<br />ミニ映画も上映されており、網走刑務所の設立に関して、そして囚人たちが北海道開拓にいかに重要な役割を果たしたか、色々知ることができました。

    その奥に見える建物は庁舎です。
    明治45年に建てられ、国の重要文化財に指定されています。

    刑務所管理部門が入る建物でした。
    網走刑務所に関する様々な歴史や展示がされていました。
    ミニ映画も上映されており、網走刑務所の設立に関して、そして囚人たちが北海道開拓にいかに重要な役割を果たしたか、色々知ることができました。

  • 赤レンガの水門が見えます。

    赤レンガの水門が見えます。

  • 網走刑務所の前方には網走川が流れていて、この川は水路として利用されており、網走刑務所の生活物資を運び入れたり、農場の物資の出し入れに利用されていました。筏に肥溜めを載せ農場に運ぶ様子を再現されています。

    網走刑務所の前方には網走川が流れていて、この川は水路として利用されており、網走刑務所の生活物資を運び入れたり、農場の物資の出し入れに利用されていました。筏に肥溜めを載せ農場に運ぶ様子を再現されています。

  • 網走刑務所職員官舎です。<br />官舎長屋と言われていた建物です。<br /><br />明治45年から昭和50年まで、176戸網走川沿いに立ち並んでいました。<br /><br />中は人形が置かれ、当時の生活が再現されていましたが、1軒9坪の1LDKと狭いスペースに家族が生活していました。<br />必要最低限のものだけ置かれた家だったようです。

    網走刑務所職員官舎です。
    官舎長屋と言われていた建物です。

    明治45年から昭和50年まで、176戸網走川沿いに立ち並んでいました。

    中は人形が置かれ、当時の生活が再現されていましたが、1軒9坪の1LDKと狭いスペースに家族が生活していました。
    必要最低限のものだけ置かれた家だったようです。

  • 休泊所<br />受刑者が塀の外に出て作業し、戻れないような時に建てられた簡易の宿泊所です。

    休泊所
    受刑者が塀の外に出て作業し、戻れないような時に建てられた簡易の宿泊所です。

  • 狭いスペースで寝起きして、食事は中央で立って戴きます。<br /><br />北海道開拓の大きな礎になった、札幌と網走を結ぶ中央道路の建設にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。<br /><br />動く監獄とも言われ、タコ部屋という言葉の語源になりました。<br />過酷な環境だったのですね~

    狭いスペースで寝起きして、食事は中央で立って戴きます。

    北海道開拓の大きな礎になった、札幌と網走を結ぶ中央道路の建設にあたり、明治24年4月から11月までの8ヶ月間に、延べ1,000人以上の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、次々と休泊所を建てては移動していきました。

    動く監獄とも言われ、タコ部屋という言葉の語源になりました。
    過酷な環境だったのですね~

  • さらに奥へ。<br /><br />網走刑務所内には大きな農園がありました。<br />受刑者が働いている様子が表現されています。<br />

    さらに奥へ。

    網走刑務所内には大きな農園がありました。
    受刑者が働いている様子が表現されています。

  • 農場の前にあるのは、耕抎庫と呼ばれる倉庫で、農機具や肥料、収穫された作物を入れていました。

    農場の前にあるのは、耕抎庫と呼ばれる倉庫で、農機具や肥料、収穫された作物を入れていました。

  • 中に入ってみました。

    中に入ってみました。

  • 受刑者が鍛冶仕事で農具の手入れをしているところが人形で表現されています。

    受刑者が鍛冶仕事で農具の手入れをしているところが人形で表現されています。

  • 大きな農園をかかえていた網走刑務所ですが、日本で唯一水田を持つ刑務所だたそうです。

    大きな農園をかかえていた網走刑務所ですが、日本で唯一水田を持つ刑務所だたそうです。

  • 網走刑務所の農園作業の施設として造られたニ見ケ丘刑務支所です。<br />明治29年に造られた施設で、国の重要文化財に指定されています。

    網走刑務所の農園作業の施設として造られたニ見ケ丘刑務支所です。
    明治29年に造られた施設で、国の重要文化財に指定されています。

  • 農場に隣接しています。

    農場に隣接しています。

  • 入ってみます。

    入ってみます。

  • 入って最初の部屋です。

    入って最初の部屋です。

  • 窓の外には農場が見えます。

    窓の外には農場が見えます。

  • 教誨堂(きょうかいどう)<br /><br />壇上でお坊様が受刑者にお話ししています。<br />犯罪で心がすさんだ受刑者を構成させる場所。<br />様々な宗教家が訪れて講演を行っていました。

    教誨堂(きょうかいどう)

    壇上でお坊様が受刑者にお話ししています。
    犯罪で心がすさんだ受刑者を構成させる場所。
    様々な宗教家が訪れて講演を行っていました。

  • ながーい流し。<br />受刑者が一斉にココで顔を洗ったのでしょう。

    ながーい流し。
    受刑者が一斉にココで顔を洗ったのでしょう。

  • ココは食堂。

    ココは食堂。

  • 刑務官の監視の中での食事ですね。<br /><br />やっぱり寒々しいな~<br /><br />ココで受刑者が食べていた同じ食事を戴くことができる監獄食堂がありましたが、今はコロナで閉鎖中。<br /><br />網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したものだったようです。<br />麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま or ホッケ)、小皿、中皿、みそ汁。<br />で900円。<br />意外と美味しかったようです。

    刑務官の監視の中での食事ですね。

    やっぱり寒々しいな~

    ココで受刑者が食べていた同じ食事を戴くことができる監獄食堂がありましたが、今はコロナで閉鎖中。

    網走刑務所の昼食として出された食事メニューを再現したものだったようです。
    麦飯(麦3:白米7)、焼き魚(さんま or ホッケ)、小皿、中皿、みそ汁。
    で900円。
    意外と美味しかったようです。

  • 人に監視されての食事なんて美味しくないですよね~<br /><br />受刑者の席は決められていました。

    人に監視されての食事なんて美味しくないですよね~

    受刑者の席は決められていました。

  • ココは作業場です。

    ココは作業場です。

  • 受刑者はココで様々な作業を行っていました。<br />高いところからも看守が目を光らせています。

    受刑者はココで様々な作業を行っていました。
    高いところからも看守が目を光らせています。

  • 外で作業ができないとき、ココで穀物の選別などを行っていたようです。<br /><br />作業と言っても農場ですから、農業に関する作業ですね。

    外で作業ができないとき、ココで穀物の選別などを行っていたようです。

    作業と言っても農場ですから、農業に関する作業ですね。

  • ココは炊事場。

    ココは炊事場。

  • 炊事も受刑者の大切な仕事の一つでした。<br />多い時には50人の受刑者の食事を作っていたそうです。

    炊事も受刑者の大切な仕事の一つでした。
    多い時には50人の受刑者の食事を作っていたそうです。

  • 監視されての入浴。

    監視されての入浴。

  • ココから先は受刑者が寝起きする舎坊です。<br />いわゆる牢屋ですね。

    ココから先は受刑者が寝起きする舎坊です。
    いわゆる牢屋ですね。

  • おー--<br />この景色、テレビで見たことある。

    おー--
    この景色、テレビで見たことある。

  • 受刑者たちは、農作業を終えるとココで寝起きしていました。<br /><br />木造獄舎としては現存する唯一の建物です。

    受刑者たちは、農作業を終えるとココで寝起きしていました。

    木造獄舎としては現存する唯一の建物です。

  • 木製の牢屋ですね。<br />斜めに格子が入っていて、正面の受刑者同士は見えませんが、斜めの隙間から刑務官からは受刑者を見ることができます。

    木製の牢屋ですね。
    斜めに格子が入っていて、正面の受刑者同士は見えませんが、斜めの隙間から刑務官からは受刑者を見ることができます。

  • ストーブ置場<br /><br />この広い廊下にストーブは2台だけ。<br />極寒の冬、受刑者は寒さに耐え続けました。

    ストーブ置場

    この広い廊下にストーブは2台だけ。
    極寒の冬、受刑者は寒さに耐え続けました。

  • 隣の建物へ。<br />ニ見ケ丘刑務支所を出たら雨は止んでました。

    隣の建物へ。
    ニ見ケ丘刑務支所を出たら雨は止んでました。

  • ココがメインの舎坊です。

    ココがメインの舎坊です。

  • ココが入口です。

    ココが入口です。

  • 建物が左右に大きく広がっています。

    建物が左右に大きく広がっています。

  • ココからではわかりませんが、放射線状に建物が広がってます。

    ココからではわかりませんが、放射線状に建物が広がってます。

  • 舎房

    舎房

  • この建物は国指定の重要文化財に指定されています。

    この建物は国指定の重要文化財に指定されています。

  • ココが中央見張り所。<br />ココから5方向に舎坊が伸びています。<br /><br />5本の廊下がココから真っすぐ見ることができます。

    ココが中央見張り所。
    ココから5方向に舎坊が伸びています。

    5本の廊下がココから真っすぐ見ることができます。

  • ※HPより写真をお借りしました。<br /><br />5つの放射線状に建っている舎坊。<br />その中心点にあるのが中央見張り所です。<br />ココから5方向の舎坊の廊下をすべて眺める(監視する)ことができます。<br /><br />第1・3・5舎の奥行が58.2m<br />第2・4舎の奥行が72.7m

    ※HPより写真をお借りしました。

    5つの放射線状に建っている舎坊。
    その中心点にあるのが中央見張り所です。
    ココから5方向の舎坊の廊下をすべて眺める(監視する)ことができます。

    第1・3・5舎の奥行が58.2m
    第2・4舎の奥行が72.7m

  • 左から第一舎、第二舎。

    左から第一舎、第二舎。

  • そして第三舎、第四舎。

    そして第三舎、第四舎。

  • そして一番右の第五舎。

    そして一番右の第五舎。

  • 中央見張り所からは、5本の廊下がこのように真っすぐ見え、何か異変があれば中央にいながらすべての廊下が見えるように設計されています。

    中央見張り所からは、5本の廊下がこのように真っすぐ見え、何か異変があれば中央にいながらすべての廊下が見えるように設計されています。

  • ここは雑居房です。<br />

    ここは雑居房です。

  • 一部屋の広さは約6畳。<br />3名から5名が収容されていました。

    一部屋の広さは約6畳。
    3名から5名が収容されていました。

  • 「第一房」の表記。<br /><br />「壱」ではなく「壹」ですね。

    「第一房」の表記。

    「壱」ではなく「壹」ですね。

  • これも先ほどと同じの斜め格子。<br />廊下から雑居房の中は見えますが、中から反対側は見えません。<br /><br />正面からは中は見えない。

    これも先ほどと同じの斜め格子。
    廊下から雑居房の中は見えますが、中から反対側は見えません。

    正面からは中は見えない。

  • 斜めに見ると中が見える。

    斜めに見ると中が見える。

  • 天井の様子。<br />

    天井の様子。

  • 木製の頑強な扉。

    木製の頑強な扉。

  • テレビでしか見ることのない景色ですね。

    テレビでしか見ることのない景色ですね。

  • この先は独居房です。

    この先は独居房です。

  • 一部屋の広さは4.9㎡です。

    一部屋の広さは4.9㎡です。

  • 奥の囲まれたスペースはトイレです。

    奥の囲まれたスペースはトイレです。

  • こんな特徴的な廊下です。

    こんな特徴的な廊下です。

  • ドアの上の窓は中を観察する窓。<br />下は食事を入れる食器口です。<br /><br />2時間ドラマでしか見たことない。。。。

    ドアの上の窓は中を観察する窓。
    下は食事を入れる食器口です。

    2時間ドラマでしか見たことない。。。。

  • ココは懲罰房。<br />受刑者の人形が座ってます。

    ココは懲罰房。
    受刑者の人形が座ってます。

  • ココも。<br /><br />真冬には零下30度にもなり、寒さはかなり厳しかったようです。<br />暖房が入った状態でもマイナス8度から9度。<br />吐いた息が壁に当たるとみるまに凍り付き、無数の金平糖ができるそうです。<br />金平糖は壁だけではなく、自分の眉毛や鼻毛が凍ってできることもあったそうです。

    ココも。

    真冬には零下30度にもなり、寒さはかなり厳しかったようです。
    暖房が入った状態でもマイナス8度から9度。
    吐いた息が壁に当たるとみるまに凍り付き、無数の金平糖ができるそうです。
    金平糖は壁だけではなく、自分の眉毛や鼻毛が凍ってできることもあったそうです。

  • ここは、四舎二十四房。<br />昭和の脱獄魔と言われた白鳥由栄、別名「昭和の脱獄王」 が収監されていた房です。

    ここは、四舎二十四房。
    昭和の脱獄魔と言われた白鳥由栄、別名「昭和の脱獄王」 が収監されていた房です。

  • 白鳥由栄の人形です。<br /><br />昭和11年に青森刑務所 針金で合鍵<br />昭和17年に秋田刑務所 天井の換気口を破る<br />昭和19年に網走刑務所 ドアの視察口を破る<br />昭和21年に札幌刑務所 食器で床下を掘る<br />を脱獄しています。<br />4度の脱獄に成功した男です。

    白鳥由栄の人形です。

    昭和11年に青森刑務所 針金で合鍵
    昭和17年に秋田刑務所 天井の換気口を破る
    昭和19年に網走刑務所 ドアの視察口を破る
    昭和21年に札幌刑務所 食器で床下を掘る
    を脱獄しています。
    4度の脱獄に成功した男です。

  • ふんどし姿で逃げています。<br />この白鳥由栄の話は、「破獄」という小説になっており、NHKでドラマ化されたので覚えています。

    ふんどし姿で逃げています。
    この白鳥由栄の話は、「破獄」という小説になっており、NHKでドラマ化されたので覚えています。

  • ビックリですね~~

    ビックリですね~~

  • この部屋に白鳥由栄<br />,<br />いわゆる「昭和の脱獄王」が収監されていたんですね。

    この部屋に白鳥由栄
    ,
    いわゆる「昭和の脱獄王」が収監されていたんですね。

  • ココ二はココのドラマがあったんですね。

    ココ二はココのドラマがあったんですね。

  • 約6畳の部屋で3名~5名です。

    約6畳の部屋で3名~5名です。

  • 3名の人形でも狭さを感じます。

    3名の人形でも狭さを感じます。

  • 初めて訪れた刑務所に私たちシニア夫婦は興味津々です。

    初めて訪れた刑務所に私たちシニア夫婦は興味津々です。

  • ココで舎房と並んで見どころの一つである浴場です。

    ココで舎房と並んで見どころの一つである浴場です。

  • 大勢の受刑者が寝食を共にする刑務所では、皮膚病などが流行りやすく、衛生面から入浴は必要なものでした。<br />また、受刑者にとって、作業後の入浴は楽しみの一つでもあったようです。

    大勢の受刑者が寝食を共にする刑務所では、皮膚病などが流行りやすく、衛生面から入浴は必要なものでした。
    また、受刑者にとって、作業後の入浴は楽しみの一つでもあったようです。

  • 15人単位で脱衣から着衣まで15分。<br />その15分は、手前の浴槽に3分、洗体3分、奥の浴槽に3分、洗顔3分。<br />と決まられており、受刑者は皆一定方向(前)を向いて号令に従って入浴していたようです。<br /><br />当時は、6月から9月まで月5回入浴、他の月は1回入浴と定められていました。<br />少ないですね~<br />この頻度で衛生が保たれていたんでしょうか?<br /><br />1日で約200人の受刑者が入浴していました。<br />

    15人単位で脱衣から着衣まで15分。
    その15分は、手前の浴槽に3分、洗体3分、奥の浴槽に3分、洗顔3分。
    と決まられており、受刑者は皆一定方向(前)を向いて号令に従って入浴していたようです。

    当時は、6月から9月まで月5回入浴、他の月は1回入浴と定められていました。
    少ないですね~
    この頻度で衛生が保たれていたんでしょうか?

    1日で約200人の受刑者が入浴していました。

  • この網走刑務所の初期の受刑者は、気骨のある士族出身の軍事犯や政治犯入れ墨の受刑者が多かったのですが、時代と共に、重罪を犯した凶悪犯や、任侠なども収容されるようになりました。<br />

    この網走刑務所の初期の受刑者は、気骨のある士族出身の軍事犯や政治犯入れ墨の受刑者が多かったのですが、時代と共に、重罪を犯した凶悪犯や、任侠なども収容されるようになりました。

  • こうやって看守に監視されながらの入浴だったのですね。

    こうやって看守に監視されながらの入浴だったのですね。

  • 明示に造られたレンガ造りの独房です。<br />登録有形文化財に指定されています。

    明示に造られたレンガ造りの独房です。
    登録有形文化財に指定されています。

  • 監獄内の規則を守らない受刑者は、食事の量を減らされ、ココに収監されました。<br />窓の無い、真っ暗な独居房です。

    監獄内の規則を守らない受刑者は、食事の量を減らされ、ココに収監されました。
    窓の無い、真っ暗な独居房です。

  • これは懲罰牢。<br />規則を犯した受刑者が、7昼夜の間、真っ暗な中で重湯の身で生活します。

    これは懲罰牢。
    規則を犯した受刑者が、7昼夜の間、真っ暗な中で重湯の身で生活します。

  • 綺麗な光景の監獄ですが、普通ではない塀の中の生活なんですね。

    綺麗な光景の監獄ですが、普通ではない塀の中の生活なんですね。

  • ココは、教誨堂という建物です。

    ココは、教誨堂という建物です。

  • 収容者対して行う精神的、倫理的、宗教的な強化指導のことである。僧侶や牧師さんが受刑者に人の道を説き、更生へと導くように尽くした場所でもある。

    収容者対して行う精神的、倫理的、宗教的な強化指導のことである。僧侶や牧師さんが受刑者に人の道を説き、更生へと導くように尽くした場所でもある。

  • 教誨堂の中は広いスペースがあります。<br />ココに受刑者が集まり、お坊様や牧師さんのお話を聞いていたんですね。

    教誨堂の中は広いスペースがあります。
    ココに受刑者が集まり、お坊様や牧師さんのお話を聞いていたんですね。

  • 一通りざー-っと拝見してきました。

    一通りざー-っと拝見してきました。

  • 明治23年に網走刑務所ができた時は、このような木塀だったのですね。<br />当時の正門を再現した門と塀です。

    明治23年に網走刑務所ができた時は、このような木塀だったのですね。
    当時の正門を再現した門と塀です。

  • 哨舎という建物です。<br />外部からの侵入や、受刑者の行動を監視した見張所です。

    哨舎という建物です。
    外部からの侵入や、受刑者の行動を監視した見張所です。

  • この刑務所、北海道の開拓に大きくかかわっていることが判りました。

    この刑務所、北海道の開拓に大きくかかわっていることが判りました。

  • 鏡橋を渡って外に出ます。

    鏡橋を渡って外に出ます。

  • 網走監獄をあとにしました。<br /><br />つづく

    網走監獄をあとにしました。

    つづく

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