2022/09/28 - 2022/09/28
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2022/09/28
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「ホテル白岩」はかなりくたびれたホテルで建物は2棟あり、宿泊したのは旧館だったようで、エレベーターは2階からしかありませんでした。素泊まりで1人7,300円は高く感じました。東京都民割の割引5.000円が無ければがっかりするところでした。午前7時30分にチェックアウトして友人宅に向かいます。皆と合流して一緒に朝食をいただいて2日目の観光に移ります。とは言えまず最初に行ったのは「千波環境美化センター焼却施設」です。今朝までに出たゴミを捨てる必要があります。全員が車に乗ったまま計量して、その後にゴミを降ろします。その重量の差がゴミの重さになるわけです。費用は最初に購入した袋の代金に含まれているということです。そのまま車で南下して最初の観光は「地層大切断面」です。父の遺した古い写真の中に伊豆大島を自転車で一周した旅の物があり、この断層の前に愛用の輪行車が写っていました。ようやくその場所に立つことが出来て感慨深い気持ちになりました。さすがに60歳を超えて自転車で大島を一周する気にはなりませんでした。今回最後の観光は波浮港の周辺で、午前10時過ぎには到着しました。港を散策して伊豆の踊子で有名な「みなとや旅館」を見学しました。映画の伊豆の踊子は山口百恵主演の物が記憶に残っていますが、川端康成の小説「伊豆の踊り子」の主人公カオルのモデルとなったタミさんとうい踊り子が実際に波浮港で生活し、「みなとや旅館」などにお座敷がかかり、踊りを披露していたそうです。ここから階段の上にある「旧甚の丸邸」に向かって階段を上がりましたが、友人たちは長い階段を見ただけで車に戻ってしまいました。歩いてもすぐだろうと思ったのは甘く、結局丘の上まで登る羽目になりました。登り切った集落は車でも来ることが出来るようで、電話をかけて友人たちを呼びました。隣にある「島京梵天」で休憩するのが目的でもあったからです。ここは大島出身の友人も知らない場所で、お店も素晴らしかったのですが、裏手にあるゲストハウスがまた素晴らしかったです。お願いして見せていただきましたが、次回はここに泊まるのも良いと思いました。そろそろ帰りの高速船の時間が気になってきますが、「筆島」にも足を延ばしました。夏に行った利尻島や礼文島の絶景も素晴らしかったですが、伊豆大島も負けてはいないなと思いました。元町まで戻って友人宅の戸締りをしてお昼を食べに「紀洋丸」へ向かいました。さすがに刺身やべっこう寿司は食べたばかりなので、イカフライとエビフライの定食をお願いしました。帰りの船は岡田港だったのでそのまま海岸線を走りました。空港の脇を抜けて「野田浜」にも立ち寄りました。これでほぼ大島を一周したことになったと思います。岡田港でレンタカーを返し、ターミナルの3階で缶チューハイで乾杯して、午後3時30分の高速船で竹芝に戻りました。1泊2日の短い旅でしたが、実に充実していたと思います。次回は「大島温泉ホテル」に宿泊して、お鉢巡りとトレッキングをメインに再訪したいものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 船 レンタカー 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ホテル白岩」で迎えた大島の朝です。今日も天気は良さそうで、部屋からは利島がきれいに見えました。
天然温泉の宿 ホテル白岩 宿・ホテル
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望遠レンズでは対岸の伊豆半島の建物まで見えました。
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位置的には万三郎岳1,405メートルと万二郎岳1,299メートル、遠笠岳から矢筈山の稜線が確認できます。
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そして昨日よりきれいな姿で富士山が見えます。温泉に浸かって午前7時30分を待ち、フロントが開いたところでチェックアウトします。今日の出港は岡田港と教えてもらいました。
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友人宅に行くと朝ごはんの用意がすでに済んでいました。まずはビールで乾杯です。
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友人が作ってくれた「はんば飯」です。”はんば”は冬場の岩場に付く海草です。冬場に成長し長さ15センチから25センチになり、大島では”はんぱ”ですが、”はばのり”と呼ぶ地域もあるそうです。
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そして「明日葉蕎麦」です。ネギと油揚げは東京から持ってきました。
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ホテルは素泊まりにしていて正解でした。どこででも食べられる料理よりこういった地産の料理をいただきたいです。
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デザートは「大島牛乳アイス」です。牛乳より濃厚な美味しさです。
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2日目は午後3時までしかないので、午前9時には友人宅を出発しました。今日は島の南側を車で周ります。
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反時計回りに元町を出発しますが、集落の間には見事な松林が見られました。集落は島の西側に多く、東西で植生も違うように思えました。
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島の火の見櫓はコンクリート製が普通だそうです。これは鉄製の火の見櫓では錆びてしまうからだそうです。何となく灯台のように見えてしまます。
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まず向かったのは「千波環境美化センター焼却施設」です。2日間の滞在では集積所にゴミを出せないので、焼却施設まで持ってきました。まずは車のまま計量台に乗ります。
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そして建物の中にある焼却炉にごみを捨てます。表を1周して再び計量台に乗ります。その重さの差がゴミの重さになるわけです。焼却料金は町中で買い求めるゴミ袋に含まれているそうです。都内で買うよりは割高なのは仕方ないと友人は言っていました。
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かなり島の南側までやってきました。沖合の利島が正面に見えてきました。その左側には南に続く伊豆半島の島々が見えます。
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鵜渡根島や新島や神津島が見えます。いつか行ってみたい島々です。
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天気が良くて最高の景色です。これが雨だったら車を止めることも無かったでしょう。
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トヨタレンタカーの車は6人でちょうど良かったです。一緒に来るはずだった友人1名は、前日にお母さんの具合が悪くなって急遽取りやめになってしまいました。7月の栃木の旅では7人揃って楽しかったので残念です。
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「地層大切断面」も一度は見てみたいと思っていました。NHKの「ブラタモリ」でも紹介されていましたが、父の遺した古い1枚の写真を思い出すからです。
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中学生の頃に自転車で東京から京都まで行こうと考えていました。その計画を父に話すとブリジストンの輪行車のすごいやつを買ってきて、人の計画を横取りして京都まで1週間かけて行ってしまいました。翌年は中山道を通って京都まで向かいました。それで自分では行く気が無くなってしまいました。
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その流れで伊豆大島へ渡ってその自転車で島を一周したようです。この断層の前に自転車を置いて撮った写真が残っていたわけです。この数年は父と一緒に旅した所を訪ねていますが、さすがに大島を自転車で一周しようとは思いませんでした。
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沖を行くLPGタンカーを見送って先に進みます。
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島の南側の波浮港には午前10時に着きました。
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もっと賑やかな場所を想像していましたが、美しい入り江の港の周囲は寂れていました。ほとんど観光客の姿もありません。路線バスの少ない大島ではレンタカーが無いと移動は面倒に思えます。
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港の一角には野口雨情の歌碑が置かれてありました。この碑の書は森繁久彌もよるものだそうです。隣には鉄のパイプが林立していて、備え付けの鎚で右側から左に向かって叩くと「波浮の港」の曲になりました。
https://www.youtube.com/watch?v=JCrg2LDCYU0 -
湊の対岸の高台には展望台がありますが、ここには後で立ち寄ることにします。かつてはこの港から利島への連絡船も出ていたようですが、現在は漁港になっています。
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周囲には古い町並みが残されていますが、人の気配は感じられません。
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昔は旅館でも営んでいたのでしょうか?2階の窓の欄干に歴史を感じます。
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その脇の階段を登ると昔の港屋旅館が見えてきます。現在は「踊り子の里資料館」となっています。「伊豆の踊子」は川端康成の短編小説で、伊豆を旅した19歳の時の実体験を元にしています。そのモデルとなった旅芸人一座がこの旅館と縁があったということです。
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風待ちの港となった波浮港には明治から大正と昭和の初期にかけて、与謝野鉄幹や与謝野昌子、大町桂月、林芙美子、幸田露伴、土田耕平など様々な文人墨客が保養や観光、作品を執筆するために訪れ、波浮港を題材とした貴重な作品も残しています。
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昔の旅館らしい電話ボックスが残されていました。電話番号が2番なので波浮港村でも有数の家だったのではないでしょうか。母方の祖父の生まれた京都の二条陣屋にも同じような電話ボックスがかつてはありました。
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館内には「伊豆の踊り子」のモデルになった、大島の旅芸人一座が芸を披露した様子が再現されています。
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川端康成が実際に伊豆に旅したのは一高入学の翌年大正7年の1918年秋で、寮の誰にも告げずに出発した約8日間の初めての1人旅だったそうです。川端はそこで岡田文太夫こと、時田かほる(踊子の兄の本名)率いる旅芸人一行と道連れになり、幼い踊子の加藤たみ(松沢たみ)と出会います。
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この旅から約7年経た後に「伊豆の踊子」を書いた川端は、自作についてはすべて書いた通りで事実そのままで虚構はなく、あるとすれば省略だけであるといったそうです。
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川端は幼少期に身内をほとんど失っており、1歳7か月で父親、2歳7か月で母親、7歳で祖母、10歳で姉、15歳で祖父が死去し孤児となるという生い立ちがあったため、作中に”孤児根性”という言葉が出てきます。
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また当時の旅芸人は河原乞食と蔑まれ、物乞いのような身分の賤しいものとみなされていたそうです。そういった一般的な見方を離れた好意と信頼が川端との間に生れたのだと思います。
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川端が伊豆で出会ったその旅芸人一行がこの港屋旅館で踊っていたということから資料館として残されたそうです。家族はこの波浮の港で生活を営み、踊り子たちは通りで野津竹を鳴らしながら流していたそうです。往時の波浮の町を見てみたかった気がします。
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友人によると宿泊と宴会だけではなく、気に入った芸子さんや踊り子さんがいるとお座敷の後に仲良くなることが出来たそうです。この部屋と廊下を挟んだ狭い部屋がリアルに感じられました。
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「踊り子の里資料館」を出て目の前の階段に「旧甚の丸邸」と矢印が書かれた看板がありました。その長い階段を見て皆は車に戻ると言い出します。ここまで来てと思い1人で階段を登りました。ところが登っても登ってもジグザグ上に階段は続きます。
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よく見ると港屋旅館だけが千鳥破風入母屋造里の建物だと分かります。風の強い大島では珍しい造りだと思います。
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波浮港はかつては9世紀の噴火でできた火口湖でしたが大津波で海とつながり、その後江戸時代の寛政12年の1800年に秋広平六の指揮の元、がけを切り崩し港口を広げ港となりました。 湖のように穏やかで静かな美しさはそんな歴史があったのだなと感じます。
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240段以上の階段を登りきると正面に「旧甚の丸邸」の建物が見えました。大体ビルで言うと17階くらいを一気に登ったことになります。隣に「島京梵天」の看板がありご主人が店先を掃除していました。
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看板には午前11時開店と書かれてあります。どうやらここまで車で上がってこられるようなので、友人に電話して来てもらうようにしました。ここで鯛焼きを食べる予定にもしていました。全員で6人になる旨を伝えると開店を速めてくれることになりました。
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車で来るにはかなり遠回りになるようで、ようやく合流したのでまずは「旧甚の丸邸」の見学を先にします。踊り子はこの屋敷でも踊っていたそうです。
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「旧甚の丸」は江戸時代後期から昭和初期に繁栄した網元の家だそうです。塀は海路を運ばれた栃木県の大谷石が使われています。7月には同じメンバーで大谷石博物館に行ったばかりです。
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大きな蘇鉄の木が植えられていますが、時代を考えると贅沢をしていたことが分かります。多分鹿児島から運んだのではないかと想像し、この幹の太さだと200年くらいは時を経ていそうです。
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石造2階建ての建物の外壁には”なまこ壁”が施され、伊豆下田の影響を受けていることがよくわかります。
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不思議なのは2階部分は45度の角度で仕上げられていますが、1階の部分は60度くらいに仕上げられていることです。こんな壁は今まで見たことがありません。心の平穏が保てないような苛立ちを感じさせます。
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玄関の土間には洋風のタイルが嵌め込まれてありますが、これも統一性のないばらけた張り方です。この家の主のセンスについて考えてしまいます。
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座敷のデザインはいたってまともで伝統的な建築様式を踏襲しています。
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ただ使用している木材は見事なもので、巨大な梁や柱の1本1本も20センチほどのヒノキ材が使われているようです。障子の桟も丁寧な造りなので、大島で造ったのではなく、贅をこらせて日本各地で造らせて運ばせたのだと思います。今年は北海道の鰊御殿をいくつも見てきたので同じようなものを感じます。
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急な階段を上がった2階は巨大な大部屋になっていました。ここの梁も見事ですし、小屋組みも立派です。ここでは蚕を育てていたようです。
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大島出身の友人もここへ来たのは初めてだったようです。
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早めにお店を開けてくださったので「島京梵天」で休憩することにします。古い古民家をリノベーションした素敵なお店です。
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恵比寿ビールとビールに合いそうなハムチーズの鯛焼きを注文しました。友人たちもそれぞれ好きなものを注文しましたが、1時間後にはお昼を食べなければなりません。
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店内には日本各地の民芸品からアフリカや東南アジアの彫刻なども並んでいます。
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ご主人と話してみると波浮に移ったのは16年前で、最初はご夫婦で観光できたそうです。隣にある「旧甚の丸邸」を観光で立ち寄って気に入ったそうです。試行錯誤で鯛焼きにたどり着き、鯛焼きを初めて11年とのことです。
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この店の裏側には「青とサイダー」という店もありました。元町に比べると観光客が訪れることも少なく、空き家も目立ち始めていたこのエリアが数年前からイノベーションを起こしているようです。
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食事にもなる「ハムチーズ」です。「多めに羽をつけておきました。」とおっしゃる通りで、羽にもチーズが入っているのでカリカリになった部分が美味しいです。さらに話をしていると店の裏側でゲストハウスを開いているということで見せてもらうことにしました。
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築130年の古民家をリノベーションした一棟貸しの宿。もともとは波浮港の網元が暮らした住宅だったそうです。この飛び石は「旧甚の丸邸」の2階から見えていて気になっていました。
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この古民家をリノベーションしているときに、裏手から恵比寿さんの像がくっついた溶岩が出てきたそうです。いろいろ調べてみたら、東京の島々を生んだ神様だということがわかり、恵比寿さんが背負っている鯛を焼こうじゃないかとなったそうです。
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なるほど店に置いてあるビールが恵比寿だということにつながるのだと思いました。
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元々網元の屋敷だっただけあって使われている材木は良い物だと分かります。元々の建物を残しながら露出する柱や鴨井や敷居などは染色するなど手が加えられています。
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最大で5人は泊まれるということでしたが、実際にはもっと多くの人数で泊まれそうです。友人は自宅をこのように改修してゲストハウスにしたがっていたのでかなり気に入ったようです。
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襖には杜甫が長安で読んだ飲中八仙歌が書かれてあります。多分元々ここにあったものではないでしょうか。当時長安で酒豪として有名だった人8人の肖像画的な詩です。友人たちとここで酒を飲むにはもってこいの部屋です。
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リノベートは地元の大工さんにお願いしたようで、そこについても詳しく訪ねていました。建物は1頭貸しだそうで、1泊4万円くらいだったと思います。
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2人で過ごすにはちょっと広すぎると思います。友人とも前の日にピザを取りに行くときに話していましたが、大島のホテルはどこも古びたままでまた泊まりたいと思えるところは無さそうです。星野リゾートの様な資本が入るか、質の高い小さなゲストハウスがあれば面白いのにと思います。
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まさに話していた通りのゲストハウスが目の前にあったわけです。昨晩のように刺身やべっこう寿司や島ピザをテイクアウトしてここで食べたら楽しいと思います。元々は土間だった台所もきれいになって、食器やコンロ、電子レンジやオーブンまで揃っているので安心です。お風呂もありますが、島には温泉がいくつかあるので、日帰り温泉を利用するのが良さそうです。いずれにせよレンタカーが無いと身動きは取れません。
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少し時間を押してしまいましたが、「筆島」にも立ち寄りました。今回最後の観光スポットです。
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今年は北海道の利尻島や礼文島、積丹半島の神威岬も尋ねましたが、伊豆大島にも素晴らしい絶景がありました。
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ずっと眺めていても飽きない景色です。ただの岩のように見えるこの筆島ですが、実は大島よりも古い歴史を持っているそうです。大島といえば三原山が有名ですが、昔は3つの火山があり、その中でも筆島火山は最も古く240万年から数十万年前ころに活動していたと考えられています。
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筆島のあるこの辺りは「オタイの浦」とも呼ばれ、徳川時代(文禄元年)の朝鮮侵攻の折に「ジュリアおたあ」は第一隊長、小西行長により囚われて、九州に連れてこられます。キリシタン信者の行長夫妻に育てられ、長じてジュリアの洗礼名を受けます。関が原の戦いで東軍に破れた行長は刑死、ジュリアは家康の侍女として仕えますが1612年の家康のキリシタン禁教令によりジュリアは改宗を求められますが、その迫害にも負けず棄教しなかったのでその見せしめとして大島へ流されます。その後は新島へと移され、更に当時は絶海の孤島といわれた神津島に流されてそこで生涯を終えます。いまでも神津島では「ジュリアおたあ」を偲んでジュリア祭が行われているそうです。
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筆島から波浮港に戻ってきて、高台の展望台で車を停めました。横には波浮港を開いた秋広平六の像がありました。元々は千葉の君津の生まれで、22歳の時に禁令を破り村を出て、江戸大伝馬町の利兵衛店、庄次郎のもとで商いに従事します。天明元年の1781年に庄次郎と伊豆諸島の無人島探査願を幕府に申請し、伊豆諸島を廻ることになります。波浮の港の開削を幕府に建議し、寛政10年の1798年に工事の見積を積算の代官に願書を出し、彼の強い意志と協力者たちの熱意により幕府は開削を許可し、2年後に現在の様な波浮港が整備されます。
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見晴らし台の横には「アンコ椿は恋の花」の歌碑もありました。
https://www.youtube.com/watch?v=yY6nYPwcDXk -
歌詞では「三日遅れの便りを乗せて~♪」とありますが、ここから投函した絵葉書は6日後に自宅に届きました。その間に津軽半島と下北半島の旅が出来ました。
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見晴らし台からの景色は手前の木々にさえぎられていました。反対側の「島京梵天」側から見た方がきれいだと思います。
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先ほど見学して歩いた「踊り子の里資料館」になった港屋旅館が確認できます。その裏手の急峻な階段は本当に疲れました。「旧甚の丸邸」や「島京梵天」は木々に隠れているようです。
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波浮港からは朝と同じルートで元町まで戻りました。正午に予約してあった「雑魚や紀洋丸」には数分遅れで到着しました。
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この店は大島では有名な店のようで、夜は予約しないと入れないこともあるようです。我々の行ったお昼時は意外なほど空いていました。
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大漁旗が座敷の仕切りになっていました。
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島の名産の魚は食べてしまったので、フライの定食にしました。妻は大きなエビフライ定食で、ご飯は少なくしてもらいました。
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こちらはイカフライ定食です。こちらもご飯は少なめにしてもらいます。ハムチーズ鯛焼きがまだ井の中に残っている気がします。
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これで1泊2日で計画した予定は全部終わりました。一度友人宅に立ち寄り戸締りをして岡田港に向かいます。
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元町港にある友人の地元の知り合いのお土産店で買い物をして、最後の絵葉書を投函します。
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お土産物屋さんの裏手に赤い門が見えたのでちょっと立ち寄ってみます。ここは弓の名手である鎮西八郎源為朝が保元の乱で捕えられた後、大島へ流され住んでいた館の跡と伝えられているそうです。後に代官屋敷となったところとも言われ、為朝のために許されたという格式ある朱塗の門があることから通称、赤門と呼ばれています。屋敷内には戦いに備えたという物見台、抜け穴などがあり、奥まった木立の中には為朝神社がありました。
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元町港を出て、「ショッピングセンターべにや」で大島牛乳と明日葉とパックになったクサヤを買いました。友人からは「都内のマンションでクサヤを焼いたら大変なことになるよ。」と止められました。これは残念でした。
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大島一周道路で岡田港に向かうのでは面白くないので「野田浜」を経由してもらえました。ここで最後の観光となりました。
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「歌乃茶屋」辺りから見えた潮流の早いところは目の前で見るとすごい迫力でした。春に行った鳴門海峡ほどではないにしても、海面の高さに差があるように思えます。
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無事に岡田港に到着しました。友人はレンタカーを返しに行ってくれていて申し訳ないです。
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岡田港のフェリーターミナルは2019年に新しく建てられたガラス張りのデザインのものです。このフェリーターミナルは津波避難施設にもなっています。ターミナル屋上は高くなっているほか、桟橋から早く避難できるように頑丈な津波避難デッキがあります。
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岡田港防波堤灯台は椿をモチーフにした「アンコ椿灯台」として灯台好きには人気のデザイン灯台になっているそうですが近くにまで行く時間はありませんでした。
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大島の北端は乳が崎ですが、その東にある風早崎の突端に建つ伊豆大島灯台が見えました。フェリーの出港は午後3時30分なので時間まで2階の閉まったフードコートで缶チューハイを飲みながら旅の思い出を語りました。
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このフェリーターミナルの設計は日建設計が担当したようで、監理技術者は一級建築士の松下督という方が担当されたようです。この方のの代表作は「海ほたる」があるそうです。
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出航の時間になり大島ともこれでお別れです。また近い将来に来たいものです。
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帰りは「セブンアイランド大漁」でした。韓国の大学教授が見たら卒倒しそうなデザインかもしれませんが、大漁旗の様な朝日が描かれています。
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「セブンアイランド大漁」のデザインは柳原良平でした。柳原良平のイラストというと我々の世代以上だと1958年当時寿屋(現サントリー)に在籍していた頃に描いたアンクルトリスが懐かしいです。船好きとしても知られ、昨年乗船した太平洋フェリーの「きそ」の船内には巨大な七福神が「きそ」に乗ったイラストが描かれていました。
https://4travel.jp/travelogue/11701876 -
帰りの船内は睡魔との戦いでした。友人や妻は下を向いたまま動きません。窓側の席に座らせてもらったので、表を眺めながら音楽を聴いていました。帰路も三浦半島が見える左舷の席でしたが、午前中の方が太陽光線の具合が良いです。
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夕方の陽が落ちる前に羽田空港の沖合を通過しました。
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家に帰ったら翌々日の青森行きの旅行の荷造りをしなければなりません。青森へは羽田空港から飛行機で往復します。
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夕方の出発のラッシュ時間だったようで、羽田に着陸する飛行機と離陸していく飛行機で混雑しているようです。
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普段は撮れないアングルで写真が撮れるので楽しい一瞬です。
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札幌に向けてAirDoの機体が飛んでいきます。
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レインボーブリッジを潜ると竹芝客船ターミナルもすぐです。
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東京タワーを見るとホッとします。
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同じ時間に岡田港を出港した臨時便の「セブンアイランド 友」も入港してきました。
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終わってみればあっという間の1泊2日の旅でした。
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この後は地元に戻って中華を食べながら打ち上げをしました。大島の旅の疲れを取るまでもなくすぐに青森の旅が始まります。
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