2022/05/02 - 2022/05/03
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RAINDANCEさん
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岡山県南東部、瀬戸内海に面する市である備前を訪れました。陶器や刃物といった生活文化が、備前焼や備前長船といった伝統文化に発展したことで知られます。また、日本最古の庶民の学校とされる旧閑谷学校も有名です。
★瀬戸内海を望む日生(ひなせ)にて、舌でも眼でも海を味わう。
★文化人が集った老舗旅館に泊まり、備前エリアの歴史・文化の見どころを巡る。
[いただいた郷土料理/ご当地グルメ]
◎鰆(さわら)
◎牡蠣
◎ベイカ
◎シラモ
◎どどめせ
※注:画像は2022年より以前に訪れた際のものも含んでおります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー 新幹線
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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兵庫県から国道250号線「はりまシーサイドロード」を通って、岡山県そして備前市に入ります。
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備前市に入ってまず向かったのは日生(ひなせ)。
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2005年に備前市と合併するまでは、兵庫県に接する日生町でした。
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瀬戸内海に面する港町です。
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日生港に張り出した楯越山の麓の突端付近にあるのが、日生の魚市場「五味の市」。
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ゴールデンウィーク中のお昼時に訪れましたが、covidの影響なのかまだまだ人は少なめ、こぢんまりと季節の新鮮な魚介が並んでいました。
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岡山は全国3位の牡蠣の産地、季節外れながらも日生産の養殖岩ガキがありました。
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やはりここは日生なのでカキフライ(600円)と…
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…岡山といえば今(訪れたのは5月)が旬の鰆も外せないのでタタキで、そして巻き寿司を買って軽くランチとしました。
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鰆はかなり肉厚でずっしり重量感がありながらも800円とお手頃、身が引き締まりつつ柔らかく臭みもなくポン酢でさっぱりと味わうと美味でした。
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「海の駅しおじ」と「日生カキオコ」の店。カキオコのシーズンは11~3月あたりとのこと。
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海の駅の横にあったのが「加子浦(かこのうら)歴史文化館」。日生の歴史や産業をテーマに展示した「資料館」と、日生出身および備前市ゆかりの文化人を紹介した「文芸館」からなります。こちらが資料館、江戸時代末期の日生の資産家だった吉田家を移築。
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こちらが文芸館。蔵をイメージした造り。
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まずは文芸館を見てみましょう。
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日生で生まれ育った文人・芸術家たちの紹介がありました。こちらは児童文学者の牧野大誓氏。日本漫画の草創期に活躍。
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こちらは小説家の里村欣三氏。大正12年(1923年)に徴兵から脱走し満州を放浪した後、プロレタリア作家→従軍作家となりフィリピンにて戦死。
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南画家の久保田耕民氏。
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”浪花恋しぐれ”の岡千秋氏も日生(鴻島)の出身。
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続いて資料館の方へ。日生の歴史や海との関わりが紹介されていました。
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三間あがりの和室。
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館の名になっている「加子浦」というのは、公用船や海路を行く参勤交代の諸大名の通船へ、水や薪を供給したり加子役(船をこぐ者)を勤める労役を課された浦のことだそうで、日生はその加子浦に指定されていたそうです。地名と勘違いしていました。
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特産の牡蠣養殖についても解説あり。
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加子浦歴史文化館をあとにし、港を離れて楯越山の上を目指します。
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このような細い山道を登り…
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クルマ4台ほどが駐められる小さな駐車場へ。
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駐車場から少し歩くと、ほぼ山頂に「みなとの見える丘公園」があります。公園に設置された「幸せの鐘」…よくある恋人の聖地的なものではなく、港町日生にちなんで実際に船で使った「号鐘」が取り付けられています。
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なんといっても眺望が素晴らしい。
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瀬戸内の島々と、点在する牡蠣の養殖いかだと、鹿久居島と繋がる日生大橋が、日生独特の風景を見せてくれました。
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最後に港町を見下ろしたのち、日生の町をあとにします。
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こちらは、備前市閑谷にある「旧閑谷学校」。
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江戸時代前期の寛文10年(1670年)に、岡山藩主池田光政によって創建された、現存する日本最初の庶民のための公立学校、誰でも通えた学校です。ここが「校門(鶴鳴門)」。
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受付と井戸。
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校門を入って正面右手に「閑谷神社」。
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閑谷学校の創始者である池田光政を祀っており、元は「東御堂」または「芳烈祠」と呼ばれていたそうです。こちらは「拝殿」。
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本殿内には御神体として光政の座像が安置されているらしい。
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校門を入って正面左手が「聖廟」。孔子廟とも呼ばれ最も重要な施設として中央の一番高い所に配されています。足利学校もそうでしたが、昔は学校と言えば孔子の儒学の影響を受けています。
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朱塗りの八角形の聖龕(せいがん)内には孔子像が安置されていて、毎年1月4日の「読初の儀」など年に数日のみ特別公開されているそうです。
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ここは殆どの建物が重要文化財で、この石塀も重要文化財。
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続いて、校門から入って左手の「講堂」へ。創建当時は「茅葺き」でしたが、その後改築され現在の堅牢な「備前焼瓦」に葺き替えられたらしい。
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この講堂だけは、「学問の殿堂」として旧閑谷学校を代表する”国宝”です。
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講堂の裏側の「飲室」と「習芸斎」。
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さらに奥にあるのは「資料館」。明治38年(1905年)に学房跡に「私立中学閑谷黌」の本館として建設されたもの。
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館内には旧閑谷学校に関する資料が展示されていました。
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旧閑谷学校は、平成27年(2015年)に「近世日本の教育遺産群」として、特別史跡旧弘道館、史跡足利学校跡、史跡咸宜園跡などとともに最初の日本遺産に認定されました。
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旧閑谷学校をあとにし、400mほど離れた岡山藩主の補佐役として尽力した津田永忠の邸宅跡も見てみました。
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その近くには「黄葉亭」。
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文化10年(1813年)に、来客の接待や教職員・生徒の憩いの茶室として建てられ、儒者や文人の親交の場としても使用されました。
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次に、閑谷の山間部から移動し備前市の中心部へ。
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目当てはこちらの「ゑびすや荒木旅館」、備前市の中心部である片上地区にあります。この日はここに泊まります。
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宿の駐車場の隣には「万代常閑翁跡」。明国の難破船を助けたことで明人から秘薬の製法を教わった和泉国の万代家の8代常閑が、噂を聞きつけた岡山藩主の典医に招かれここに住んでたそうです。万代常閑は富山藩主にも秘薬を教え”富山の薬売り”が始まったことから「日本売薬の祖」。
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この辺は中心部ではあるのですが、奥に見えるアルファビゼンなる大型商業施設はかなり前に閉業した模様。
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ゑびすや荒木旅館のエントランス。
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安政3年(1856年)創業の備前焼に所縁が深い老舗宿です。玄関。
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純和風かと思いきや、洋風なロビーラウンジ。
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芸術家の北大路魯山人がたびたび訪れ、備前焼の作家も多く泊まったようです。(廊下には備前焼の作品がズラリ)
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創業時の面影を残す建物のレトロ感は圧巻。
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文化人の交流の場だったとあって、応接室なるものも。
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その内部。
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GW中でしたので料金は安くありませんでしたが、たまにはこういう昔のまんまの純和風旅館も良いものです。
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岡山出身の医学者だった緒方洪庵が愛したという、「山吹」という客室でした。
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縁側からは…
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…中庭。気持ちの良い風が入ります。
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お着き菓子は、明和元年(1764年)創業の古見屋羊羹の「高瀬舟羊羹」、岡山県真庭市(旧落合町)の銘菓。お茶は備前焼の茶器にて。
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共同の洗面所やトイレ、風呂といった水回りはちゃんとリノベートされていて、古い和風旅館にありがちな「トイレと風呂が...」といったことはありません。
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こちらがお風呂。
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このように新しくてきれい。温泉ではありませんが、さっぱりできました。
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風呂のあとは夕食です。備前焼の食器で季節の素材を用いた手造り会席膳を楽しみました。
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右奥はベイカ(岡山・香川近辺の瀬戸内でよく獲れる)の酢味噌和え、鰆のたたき。右に備前特産のシラモ(湯引きで赤くなる海藻)と茶碗蒸し。真ん中には鮎の塩焼き。そして天ぷら。
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和食かと思っていたら、意表をついてスペアリブが出てきました。あ、味は和風かな?
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「御前酒蔵元 辻本店」の日本酒。岡山県真庭市の蔵元で、文化元年(1804年)の創業当時より三浦藩の殿様への献上酒を造っていたので”御前酒”なのだそうです。
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ヘルシーな雑穀米と吸い物。
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デザートはメロン。ごちそうさまでした。
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翌朝…
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朝食です。メインはブリの照り焼き。
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チェックアウト後、備前焼の中心地とされる伊部(いんべ)へ向かいます。
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まずやって来たのは、伊部駅の500mほど北、西国街道に面する「天津(あまつ)神社」。
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狛犬、参道沿いの塀の陶板に備前焼。
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由緒等は不明ながら、創建は応永18年(1411年)との説があるらしい。備前焼の神門。
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屋根瓦、参道の敷石にも備前焼が使用されているという徹底ぶり。
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随身門。
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拝殿。
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拝殿の床も備前焼。まさに備前焼尽くしの神社でした。
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伊部の西国街道沿いは、備前焼の窯元やギャラリーだらけ。
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平安時代に伊部の平野部の熊山の麓にて、椀・皿・瓦などを焼きはじめたのが備前焼の起源とされています。
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備前市西部の流紋岩でできた山々に挟まれる伊部地区では、山からの土が堆積した「干寄(ひよせ)」と呼ばれる良質な土が産出されたのだそうです。
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初期の備前焼は熊山連山の山中で焼かれてましたが、備前焼が人気になって窯の大型化や物流の利便性により、この辺りの町に窯元が多くできたらしい。
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西国街道をさらに進むと「伊部橋」に差し掛かりました。橋の欄干にも備前焼。ん?”創作茶会”?
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不老川のほとりで茶会が催されていました。
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なかなか趣ある風景です。
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JR伊部駅前の方へ向かってみます。
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JR伊部駅の駅ビルとでも言いましょうか、「備前焼伝統産業会館」にやってきました。建物全体が登り窯の形になっているんだそうです。
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1階は観光情報センターで民芸品やお土産販売もあり。
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2階では備前焼陶友会員の作家・窯元の作品を展示即売してました。
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備前焼製作工程の紹介もあり。
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続いてやって来たのは「備前長船刀剣博物館」。この所在地はギリギリ備前市ではなく瀬戸内市の長船(おさふね)町になりますが、昔は同じ備前国だったので”備前長船”…ということで備前のくくりでご紹介。
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備前国の吉井川下流域では、質・量ともに日本一と謳われる鉄資源(赤目砂鉄)に恵まれ、刀鍛冶の名工が生まれました。
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刀のことは詳しくないですが、備前長船光忠・長光・景光・兼光の四代に渡って作られた「長船物(おさふねもの)」の名刀は、織田信長・上杉謙信・豊臣秀吉といった有名な武将に愛用されていたとのこと。
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鍛冶場や工房といった設備も備え、日によって実演も見学できるようです。
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さて、ここでちょっとランチタイム。刀剣博物館から南西約3kmほどのところにある「備前福岡 一文字うどん」にて。
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長船町の吉井川沿いにあるうどん屋さんです。
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うどんは国産小麦にこだわり自前の畑で麦から作り、小麦を丸ごと挽く石臼方式で黒みがかった独特なものです。
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うどんを自分で湯がいて好きな具を取る讃岐スタイル。
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タマゴは生でも茹ででもお好きな方で。
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このスタイル、薬味や出汁を(常識の範囲で)欲しいだけ入れられるので大好き。
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私はかけうどんにかき揚げ天ぷらと油揚げ。
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妻は鴨南蛮うどんをチョイス。
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めずらしく、郷土料理の「どどめせ」を扱っており、もちろんいただきました。どどめせは、炊込みご飯に酸っぱくなったどぶろくを入れた”どぶろくめし”が始まりとされ、岡山ばら寿司の元祖と言われているものです。こだわりと個性が光るうどん屋さんでした。
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さて、備前で最後に訪問したのが、伊部駅の西方5kmほどの山裾にある「大瀧山 福生寺」です。その「仁王門」、室町時代の応永4年(1397年)の建築で県指定文化財。
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こちらは「本堂」。奈良時代の天平勝宝年間に鑑真和上により開基、足利義教によって再興されたと伝えられる古刹です。
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一番の見どころはこちら「大瀧山三重塔」、15世紀中頃の建立で国指定重要文化財。丘の上にぽつんと立ち裏手はすぐに山。
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裏山に野生の藤の花が咲いていて大きな蜂がブンブン飛んでましたが、スズメバチではなくてクマバチなので大丈夫です。
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閑谷学校・備前焼・備前長船といった、歴史と伝統文化を持つ備前エリアと、海の恵みがあふれる日生エリア…見どころ満載の備前市の旅でした。次に訪れる際には、牡蠣真っ盛りの季節を選んで日生でカキオコを食べねばなりません。そんなタスクを残しつつ、次の目的地である岡山市へ。
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ゑびすや荒木旅館
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備前・日生(岡山) の旅行記
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