2022/09/24 - 2022/09/24
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この旅行記のスケジュール
2022/09/24
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宝積寺
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東黒門跡
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阪急京都線大山崎で下車。
羽柴秀吉と明智光秀による山崎合戦や幕末の禁門の変で知られる天王山から、旧西国街道を通り、勝龍寺城跡を巡り、長岡天満宮参拝。
阪急京都線長岡天神駅より乗車。
大山崎駅~大念寺~宝積寺~旗立松~十七烈士の墓~酒解神社~天王山頂上(山崎城跡)~観音寺~東黒門跡~与市衛門の墓~神足神社(勝龍寺城土塁・堀跡)~勝竜寺城跡公園~神足ふれあい町屋~長岡天満宮~開田城跡~長岡天神駅
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スタートの阪急大山崎駅。
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大山崎駅を出ると左手に、山崎聖天参道近道(天王山ハイキングコース近道)の看板が立っている。
この道を進み天王山へ向かう。 -
大山崎町観光案内図。
JR線路沿いに出る。JR線路沿いに立っている案内図。 -
大念寺。
JR山崎駅前の踏切を渡ると急坂になる。坂を登ると先ずは大念寺に到着。参拝は自由。
1555年(弘治元年)井尻但馬守長助による開基、開山は知恩院から招いた徳誉光然である。 -
宝積寺:山門。
坂を登る切ると宝積寺の山門に着く。 -
宝積寺:三重塔(重要文化財)。
山崎合戦時、宝積寺に羽柴秀吉は本陣をを置いた。
秀吉が一夜で建立したという三重塔。 -
宝積寺:本堂。
724年(神亀元年)聖武天皇の勅命を受けた行基が建立したと伝えられる真言宗の寺。
拝観は自由。閻魔堂は拝観料400円・午前9時~午後4時。
本堂に向かって右奥に、天王山山頂ハイキングコース入口がある。 -
天王山山頂ハイキングコース。
階段上になった坂道が続く。階段上の坂道は歩幅を合わすために、登りにくい上に疲れる。 -
旗立松(天王山八合目付近に当たる場所)。
1582年(天正10年)本能寺の変直後の山崎合戦の時、羽柴秀吉が味方の士気を高めるため、松の木の上高くに千成瓢箪の旗印を掲げた所。現在の松は7代目。
戦局に大きな影響を与え、勝利を収めたといわれる。 -
旗立松の脇には、山崎合戦之地碑。
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旗立松展望台。
現在は木々が覆い茂り展望は良くない。 -
旗立松の前に立つ、酒解神社鳥居。
ここ地点からバイキングコースは、緩やか坂道になる。 -
十七烈士の墓。
1864年(元治元年)禁門の変で敗れ、天王山山中で自刃した隊長真木和泉守以下十七名の眠る墓。
(真木和泉守は江戸時代後期の久留米藩の攘夷派)
禁門の変(蛤御門の変)。
長州藩と会津藩・薩摩藩の京都での権力争い。
1863年(文久3年)八月十八日の政変により京都から追放された長州藩は、会津藩主京都守護職の松平容保らの排除を目指して挙兵して、京都御所の門(禁門)を中心に戦われた。 -
酒解神社。
神輿庫は板倉形式という珍しい形式で、鎌倉時代前期の建築。重要文化財。
板倉は切妻造り本瓦葺きで、構造は分厚い角材を組み上げた形のもの。
天王山頂上まではあと少し。 -
天王山頂上(270.4m)到着。
山崎城跡の主郭に当たる。
眺望は木々に覆われて良くない。 -
天王山山頂(主郭跡)の山崎城跡解説板。
南北朝時代のころから砦があった。現在残っているものは、山崎合戦後に羽柴秀吉が築城したもので、大坂城が築城されると廃城となる。
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天王山山頂部に残る山崎城跡の遺構、石垣。
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天王山山頂ハイキングコース。
下山に歩いた竹林のこみち。 -
観音寺(山崎聖天)。
観音寺側に下山。
899年(昌泰2年)宇多法皇が御願寺として創建されたと伝えられている。 -
観音寺参道は、阪急電車とJRの高架を潜る。
大山崎付近は、阪急電車とJRが並走して走る。 -
観音寺参道入口。旧道の西国街道に出る。
西国街道を歩き、勝龍寺城跡に向かう。 -
観音寺~勝龍寺城跡までの西国街道。
大山崎の東黒門跡。
かつては大山崎集落は離宮八幡宮の神領でり、15世紀に治安維持のため集落の東と西の端に黒門が設置された。
山崎合戦時、羽柴秀吉方の高山右近が陣取ったとされる東黒門跡は、山崎合戦の火蓋が切られた場所。 -
観音寺~勝龍寺城跡までの西国街道。
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観音寺~勝龍寺城跡までの西国街道。
伝・与市兵衛の墓。
1702年の元禄赤穂事件を題材にした「仮名手本忠臣蔵」に与市兵衛は登場する。婿の早野勘平を主君の仇討ちの一員に加えるために、娘のお軽を祇園に身売りして工面したお金を持って帰る途中、この地で山賊に殺される。
物語の舞台にふさわしい場所であったため、忠臣蔵の根強い人気とともに「仮名手本忠臣蔵」ゆかりの地となり、墓には、与市兵衛夫妻の戒名が刻まれているとされた。
実際は,清誉浄佐という人が,両親の供養のため,高野聖を千人寄宿させたことを記した石碑だとみられている。 -
神足神社にある勝龍寺城惣構の復元された土塁・空堀跡。
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勝竜寺城公園。
西国街道沿いにある勝龍寺城跡が公園として整備されている。山崎合戦で羽柴秀吉に敗れた明智光秀が最期の夜を過ごした城。
入園料:無料
開園時間:4月~10月 9:00~18:00
11月~3月 9:00~17:00
休館日:12月28日~1月4日 -
勝龍寺城公園より天王山を望む。
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神足ふれあい町屋(旧石田家住宅主屋)。
西国街道にある江戸時代の商家旧石田家住宅を「神足ふれあい町屋」として開放している。和室・観光物産コーナー・喫茶室などがある。
入館料:無料(和室を使用する場合は利用料必要)
開園時間:4月~10月 9:00~18:00
休館日:12月28日~1月4日 -
八条ヶ池。
長岡天満宮境内には、かつて八条宮家の別荘があったと伝わり、八条ヶ池は、1638年(寛永15年)八条宮智忠親王によって整備された。 -
長岡天満宮。
菅原道真が九州の太宰府に左遷されたとき、名残を惜しんで道真が自作の木像を贈り、御神体として祀ったのが長岡天満宮のはじまり。
長岡天満宮の本殿・祝詞舎・透塀は、1941年(昭和16年)平安神宮の社殿を移築されたもの。 -
開田城跡。
戦国時代の国衆(土豪)であった中小路氏の居館跡。
発掘調査により、開田城は一辺約70mの方形の居館で、周囲には、幅約6.5・高さ2mの土塁、幅約8m・深さ約1mの堀があった居館跡。 -
ゴールの阪急長岡天神駅。
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